1998年2月


雑感
           関東学院大学  本間英夫

 先日、斉藤先生と久しぶりにお会いした際に、生前から中村先生に、たまには技術以外のタテ書きの文を書くように、何時も言われていたことを思い起し、駄文を投稿させていただくことにした。海外視察報告やセレンディピィティーに関して書いて以来、久しぶりのタテ書きである。そこで、これから毎号とは行かないまでも、なるべく長続きするためにと先ず、表面技術協会の1月号に依頼を受けて書いた巻頭言に手を入れてみた。従って学術誌に掲載したものを大幅に手直しをした形になってしまったので、文が支離滅裂になってしまった。読み難いでしょうが辛抱願います。

 バブル経済の終息を意図した経済政策はことごとく、後手後手で後遺症が癒えるどころか、この数ヶ月はまさに世紀末的様相を呈している。ただし、この文を書いているときと、皆様のお手元に届く迄には、一ヶ月程度のタイムラグがあるので、株価は大きく反転しているかも知れない。金融市場には若干の明るさが見えてきたとも言われている。これを書くためにワープロをにらんでいる一月下旬、日経平均が一万七千円を回復した。為替相場も百二十五円台に急騰している。これは後手にまわったかも知れないが追加経済政策、銀行の貸し渋りの緩和期待等により、外国の機関投資家の日本株買い戻しによるところが大きいと言われている。しかし、あくまでも株価というのは先行指標であり、必ずしも実体経済を反映しているものではないので金融安定化策、景気対策が浸透し、方向感が見えてくるまでは、一進一退になるのか、またはこのまま下値を切り上げて行くのか、または下値を模索する展開になるのかわからない。経済の予測はごく短期には微分量でプロット出来るが、中期的にはなかなか難しい。最近ではファジー理論を取り入れて、予測の精度を上げる研究もなされているようであるが、玄人にも予測できないことが素人にわかるはずがない。長期的展望にたって自己の信ずるものにかけるしかない。中村先生は何時も経済の予測を書いておられたが、ひょっとして原稿の締切間際に、修正を加えられたことが度々あったのではないかと思われる。あまり気にすると前に進まないので、考えのおもむくままに先に展開してみたい。明治開国以来、欧米諸国の技術キャッチアップ、模倣、改良、生産性向上に腐心してきた結果、創造性を発揮する環境の整備が大幅に遅れている。さらにはバブル経済下で、真の技術を磨くことなく、大量消費型の生産の効率追求に重点が置かれ、真の技術の蓄積がなされてきていなかったと思われる(技術のトップから中堅の方、経営者はよくこの事を吟味してみるべきである)。バブルにより技術は荒れたと表現する人がいる。私も同感で、これから、いかに技術ポテンシャルを上げるかが急務である。資源に乏しい我が国は、科学技術で立国していかねばならないことは自明である。しかしながら、日本の技術力に比較して、最近米国の技術力の強さが再認識されてきている。確かに、基礎研究分野では、日本の技術力は劣っている分野が多いと思われる。基礎研究は大学や公的研究機関が得意とする領域のはずであるが、日本の大学のポテンシャルは一部の大学を除いて、余り高いとはいえない。研究を行うには潤沢な研究費は必要であろうが、むしろ研究スタッフの飽くなき情熱に依るところが大きい。又研究成果が、当事者の業績や研究費に反映されるようにならないと、活性化されないであろう。平成八年の七月に、科学技術基本法が閣議決定され、その後、国公立大学と企業の共同研究の障害となっていた規制の緩和、研究公務員の事業規制緩和が計られてきた。しかし、この規制緩和にも関わらず、実行されていないようである。日本の社会においては、ソフトである頭脳を評価する風土が無いため、我々のような大学で研究をやっているものにとっては、この種の国の機関の規制緩和は大歓迎で、早く浸透させてもらいたいものである。実は私学にはこの様な規制は以前から無かったのであるが、国の機関が動き、一般に浸透しない限りは、広く認識されない。また、日本における企業の研究開発は、長期低迷から、高付加価値製品や、ニーズに直結した製品開発に注力せざるを得ないことも、産学官の交流の促進の障害となっているのであろう。更に、日本の科学技術の一つの特徴として、実用的研究偏重、特許取得重視が上げられる。ちなみに、科学技術論文の発表件数と特許の出願件数を各国で比較してみると、日本だけが、ずば抜けて特許件数が多いのに驚くと共に、逆に科学技術論文数は少ない。玉石混淆ならまだしも、石ころだらけではいけないと、最近企業では特許の出願に対して量より質に移行していることは喜ばしい。小生の今までの数少ない経験の中で、論文を書くことによって特許とは異なり、綿密な実験計画、結果の解析、論理的考察、メカニズムの究明などを通して、科学的思考が更に醸成されるとともにアイデアが湯水のごとくどんどん出るようになると確信している。しかも、国際共生、社会性、公正さの視点からも、論文発表の重要性を認識すべきである。日本は、その意味において幾つかの分野を除いて、全般的には科学技術に関しては、まだまだ底が浅いと言わざるを得ない。創造性の豊かな技術者が出やすい、環境作りをすることが急務である。それには、現在の知識偏重型の教育から、知恵を出せるような教育に転換すべきである。又,技術者である前に,人間として高い倫理観を持った人材を輩出するように努めて行かねばならない。米国、西欧では、大学、公的研究機関、民間企業の間で科学技術に関するコンソシアムがいくつも編成され既に活動が始まっている。昨年の春の学会で米国のコンソシアムが円滑に運営されるまでの、苦労話をお聞きする機会があったが、まず、お互いの駆け引き、疑いから始まり、その後、論議が沸騰し、標準化、それから協調へと進んだとのことであった。日本でも,半導体の実装に関するコンソシアムが最近実現したが,この様な動きが活発化することを願っている