1998年4月


 雑感
    関東学院大学 本間英夫

大学の研究環境
 最近、学会等で技術関連の方々と話す機会が多いのですが、日本の科学技術は荒れてきたと危惧する人が増えてきたように感じます。又、きたる二十一世紀に向かって、日本の開発能力の低下に危機感を持っている人も多くいます。何故だろうと、少し解析してみることにしました。それは元来殆どの技術は、西欧諸国から導入されたもの、借り物の技術であり、生産性の効率追求にばかり目を向けた結果といえるでしょう。確かに、日本は西欧の科学技術をキャッチアップし、物づくりでは世界のトップに躍り出てきました。しかし、基礎的な技術の積み上げは、西欧諸国に比してお粗末である事は、アメリカやヨーロッパに出かけ、教授や技術関連の方々と討論したり、研究所を訪問したときに、ひしひしと感じます。日本においては、研究投資はどちらかというと応用研究、実用に近い研究に注力されてきました。分野によっては最早、西欧諸国に見習う、模倣する、二番手としてリスクを回避しながら効率よく物づくりをする環境ではありません。自ら先頭を切って行かねばならなくなってきました。これからは思い切った研究投資が必要であるとして、国も科学技術の振興策の一環で科学技術基本法案の成立、実行に移すための具体的な提案がなされてきています。昨年大学の研究機関等に対する助成策として、数値は忘れましたが数百億円の予算を計上し、私の知り合いにも、その助成にあずかった教授がいます。ところが、実績を上げている大学は一部に限られていること、又、使途が限定されており、高価な道具は購入できても、維持費、運転資金は自前で調達しなければならず、結局は有効に使われないことが多いようです。私も一昨年から少額ですが助成金の申請が通り、ある研究をやってきました。しかし、申請書作製、中間報告、会計報告、最終報告書作成など極めて煩雑で、助手や技術員のいない我々のような弱小大学では、全て自分と学生で処理しなければならず、かなり大変でした。昨夜遅く(三月二十日)九十八年度の予算が衆議院で可決されました。教育関連として学術研究に一兆円振り向けるとの事です。これは、将来の経済発展への先行投資と位置づけ、国立大学の設備などに重点配分するとのことです。日本の大学の研究設備は、先進諸国と比べると極めて劣悪です。まずは、入れ物からと言うことでしょうか。

 人材育成
 企業においては勿論、我々大学においても研究には多額の資金が必要ですが、お金だけで開発がすすむわけがありません。先ず、人の養成が大切です。大手の大学とは比べることは出来ませんが、私の研究室にも大、中、小企業の技術者が、かなり頻繁においでになります。多くの方々は、わくわくしていない、考えようとはしていない、研究意欲がない、頭だけで考えて実行していない、発想が豊かでない等、この人はきれると感心する人は少ないように感じます。それは、既に大学や大学院において、研究の面白味を味わっていない、研究が教授や指導者の指示に従ってノルマ的に実験をこなしているだけ、この傾向は、企業に入ってから益々増幅されているように思えます。これは、大学で研究者、技術者を育てている我々を始め、企業の技術関連トップ、中堅管理職の人々は猛省すべきであると思います。根底には、業績や実績中心主義があり、特に大学においては、研究と教育との板挟みになっている人が多いのです。研究手法を教えることの前に高い倫理観を持った、これからの日本を担う若者を育てる意識をもって処して行かねばなりません。

 理工離れ
 若者の理工離れの現象はかなり深刻な状態にあると言われてきました。親の過保護の下で、何でも手に入る環境の中で、目の前の多くの物が科学技術の進歩の結果であるなど、全く自覚していない子供が多いようです。ある小学生の親がデパートでカブトムシを購入し子供に与えたそうです。数日後、カブトムシが動かなくなったので親に「コンビニへ行って電池を買ってくるからお金をちょうだい」と、笑い話ではありません、実話です。これは極端な例でしょうが、都会の小学生は野原での動植物、昆虫などとの、ふれあいの経験がないのでしょう。最近の小中学生のナイフによる殺傷事件などは、「生」に対する実体験の欠如の何者でもありません。冒頭に書いた、技術が荒れているどころか、子供自身の無垢な心が、教育の欠陥によって荒れてくるのではないか心配です。最近やっと偏差値教育の是正が叫ばれ、大学では多様な入試方法を採用するようになってきました。理工離れが叫ばれて久しいのですが、受験体制、偏差値教育からくる初等教育からの実験、実習科目の軽視が理工離れ傾向に、拍車をかけてきたのではないでしょうか。しかし、本年の受験動向を見ると、若干この傾向に変化の兆候が認められます。本年は、どこの私学でも文系の志願者は大幅に低下しました。この原因としては、昨年夏頃から始まった地方銀行の破綻に始まりました。その後、一連の銀行破綻、中堅ゼネコン、準大手の証券会社の会社更生法適用等から、日本の景気の先行きに暗雲が立ち上り、そしてあの十一月末の土曜日、まさかと驚かされた四大証券の一角が、多額の負債を抱え、自主廃業に追い込まれました。この間、経済の先行指標であるダウ平均株価は、一万五千円を割り込み、外国の投資家から完全に見放されたような格好になってきました。我々のような素人にも、連日、不良債権処理、公的資金導入、貸し渋り、優先株、劣後債、破綻処理などわかったようなわからないような用語に曝され、また、リストラ、年功序列型の賃金体系から能力給へ、金融業界の賃金カット等々、当然受験生自身や親も、何か大学時代にスキルを持たねばならなくなったと、直感的に文系からのシフトが起こったのでしょう。私は、教員になった当初から、学生には実力をつけること、何か売り込める物を持つこと、これだけは誰にも負けないぞと自信を付けることを言い続けてきました。特に、弱小私学出身者は、私のひがみもありますが、偏差値に毒された日本の社会では、力がなければ受け入れてもらえません。殆どの学生は、卒業研究を通じて力を付けて、産業界に出ていってくれたと思っております。

 金融ビッグバンに向けて
 三月二十日の朝刊、スポーツ紙に至るまでヤクルト本社が資金の運用に失敗し、一〇〇〇億円にも上る負債を出したとの報道が一面を飾りました。せっかく本業で蓄積してきた利益も、何年間かの資金運用の失敗、しかも大蔵官僚の天下りの人が運用していたと知って、開いた口がふさがりません。多くの製造業の経営者はやっと本業に専念しなければならないと感じてきているようです。私は決して余剰資金の運用が悪いとは思いません。資本主義経済においては巧みにクレバーに資金を有効に運用すべきであると思います。しかしながら、余りにも賭のようになってはリスクが大きく、しかも、ある一人の独断によって、抜き差しならぬ所まで追い込まれていくのはどうかと思いますし、その意味でもリスク管理を、きっちり行える体質に変えて行かねばならないでしょう。それにしても、日本人の特性としての、横並び意識、同質的パターンは、これはどうしようもない特性であり、今後グローバル化、金融ビッグバンの中で、どの様に展開していくのでしょうか?日本では、一般投資家は全く育っていないと思います。又育てようとはしていないと思います。一任勘定、借名口座、利益補填など、誰が折角蓄積した財産を、信用できない証券会社に預けることが出来るでしょうか。だけどよくよく考えてみますと、日本では、貯蓄は美徳なりと現在、個人金融資産一二〇〇兆もあるとのことです。これらの資金は、極めて安い利息に個人が甘んじ、運用を銀行や各種機関投資家にまわされて運用されているわけです。年間一パーセントにも満たない利息に甘んじさせられている状態は、もう長く続かないでしょう。我々も、少し利口にならねばならないと思います。一般の人には、株式投資はギャンブルで近づくものではない、せいぜい投資信託、何とかファンドで運用していることが多いと思います。これは、運用をファンドマネージャに任せて運用してもらっているわけで、リスクは少ないが結局は運用のための資金や手数料などがさっ引かれると、そんなにメリットのあるものとはいえません。エネルギーの変換効率と同じで、なるべく色々人の手を介さないで、直接取引をしたほうがよいはずです。その意味では、株式投資に個人が、もっと参加すべきであると思います。島国でしかも農耕民族である我々は、どうしても同一の行動をとっていれば安心で、思い切ったことはしないのが、特長なのかも知れません。この様な体質の下で、果たして来るべく二十一世紀の金融ビッグバンを、どの様に乗り切っていくのでしょうか。おそらく、この四月から、徐々に外資系の金融機関が個人の資金の運用もターゲットにして、色々な商品を紹介することになるのではと思います。余り踊らされないで、これからは利口に運用することをお勧めいたします。

 トレンディーな話
 サッカーくじ法案が論議されて、衆議院を通過したとのことですが、果たして日本になじむのか、純粋にスポーツを愛している我々にとっては、どうかと思います。フランスでのワールドカップサッカー参加を機に、青少年のサッカー熱が更に上がり、ひ弱になったと言われる青少年の心と体を作るにはボール一つあれば多くの子供が楽しめるスポーツが汚れるような気がしてしょうがありません。観客は純粋に観戦するのでは無く、ギャンブルの対象としてゲームを見ている風景を想像すると、背筋が寒くなります。豊かな国には、どうもそぐわないのではないでしょうか。どうせやるのなら、もう少し知的なところで勝負してもらいたいと思います。と言ったところで、ひんしゅくを買う話になることをあえて、中年以降の我々にとって、タブーとされてきた話題を提供します。もし、この様なことを書くことが許されないのであれば、どうかコメントを頂きたくお願いいたします。株式投資の話に関連しますが、オリンピックが終わってしばらくしてから、学生と雑談をしていた時に、ある学生が「先生、選手村で今度新しく発売されたコンドームを選手に配ったところ、非常にそれが評判が良かったとのことでした。」 「今までのものより薄く、ポリウレタンから製造されているので、ゴムの臭いがないし、熱伝導が良好で、暖かさが直に相手に伝わる、等の特徴を保持しており、直ぐに品切れになったとのことでしたよ」と。そういえば休日にデパートに出かけた時、そのような宣伝がどこかに出ていたような気がしていた。若者の間で人気が出て、今品薄状態で購入できないのだという。学生には、その会社の株は絶対に上がるぞ。君たちがもし、既に働いていて少し貯金があれば、この様なときが絶好のチャンスなのだよと、言って別れた。その日、自宅に帰って、新聞でそのメーカーの株価を見たところ、確か七一〇円くらいであった。前日の新聞を見ると、七四〇円くらい、これは大分既に動きが出てきているのかな、二部の銘柄としては少し出来高も多いし、二〇〇〇株くらい買っておこうと思っていた。買いを入れるときは、電話回線を用いる、いわゆるホームトレード。翌朝、学生の学会の練習を見てやらねばならなかったので、すっかり忘れてしまっていました。動きはそんなに激しくなかったので、次週に買いを入れようとそのつもりでいました。ところが、その次の週始め、確か三月の十七日の朝刊に、一面全部を使ったいわゆる全面広告がなんと日本経済新聞に出ました。曰く「政治、経済、コンドーム。。。。日本は今我慢の時代だ!」 「おかげさまで、全国的に売り切れ続出のため皆様には大変ご迷惑をおかけしています。。。。」 しかも、その広告面の左側の紙面はその銘柄の載っている株式欄。日経新聞は経営にタッチしていたり、ビジネスマン以外、特に若者は殆ど購読していないので、製品を買ってもらう為の広告ではない!かなり戦略的な広告であると思えました。もう、時既に遅し!その日は、朝から値動きが急峻で、九〇〇円近くまで急騰し、その翌日は、確か九〇〇円台の買い気配で終わっていました。この動きは決して個人投資家が動いたのではなく、機関投資家や証券会社が、その広告を契機に買いを入れていることはめいめいです。先回り買いの絶好のチャンスを逃したと、これこそ、初めての短期的予測の的中でした。本日、三月二十一日の新聞によると、年初来高値が一〇九〇円であるので、ひょっとしてすでに、この株は一度動きがあって、七〇〇円くらいに下がった後の動きまで気づかなかったのかも知れませんが、いずれにしてもこんな事でも株価は動くものなんです。