1999年11月


雑感
                関東学院大学  本間 英夫

製造業の体質は変化するか

 日本の産業において成長の原動力は、国際競争力の高い高級な製品を、低価格で提供することで生き延びてきました。果たして、日本の経済を永続させる上において、戦略的に是認されることでしょうか。
 小渕総理が国会で二〇世紀を総括し、また、来る二一世紀に向けてアジアを代表する責任ある国家として、永続的な成長の重要性を訴えていました。果たしてグローバル化した国際経済において、従来通りのこの考えでよいでしょうか。
 日本は、九〇年代に入ってからは輸出入ともほぼ横這い状態で、過大な生産能力を残し、依然として大幅な国際収支黒字です。これはあくまでも数字上のことであり、果たして国民全体が豊かになったでしょうか。決して、そうではなく、逆にリストラを初めとする雇用不安、一般のサラリーマンを初めとして、公務員に至るまで給与の減額、ボーナスカットが取りざたされるようになってきました。
 国際収支の黒字という数字は何を意味するのでしょうか。現在の状況では、当面消費拡大や雇用拡大は、しばらく望めないでしょう。したがって、現状を維持するため、皮肉にも高級で採算性の低い製品をジャンジャン作り、海外の市場を求めて投げ売りまがいのことを、今後続けることが良いでしょうか。
 現在はアメリカの景気が、その受け皿となってくれていますが、もし、アメリカ経済の舵取りが間違って、バブルの崩壊と言った現象が起これば、日本経済はひとたまりもないでしょう。
 CNNだったかABCだったか忘れましたが、クリントン大統領の経済報告の中で、経済主要国の国際収支黒字幅とGNPおよび雇用の伸び率の間には、逆相関関係があり黒字の大きい日本は、総需要および雇用創出が低いとしていました。日本は八〇年代の中頃から、安価で高品位の製品を作ることに精を出しました。
 米国は、日本と競合しない情報分野やバイオを初めとするハイテク分野に注力しました。これらが今、正に米国で開花しています。日本はエレクトロニクス製品のハードを安く作ることにきゅうきゅうとし、知恵と知識の集合体、いわば心臓部である情報のソフトを始め、多くのハイテク分野は米国の掌中にあります。
 これからの日本の製造業は、如何にあるべきでしょうか。量から質への転換が云われて久しいですが、政府は既存産業を保護しつつ、新規産業を創生するための規制の緩和、税制の優遇措置を講じながら、活力ある発展を目指しています。
 人ごとのような話になりますが、資本主義経済において、企業は収益をあげる努力を常に怠ってはなりません。日本のROE(株主資本利益率)は惨憺たるもので、質的に高い利益の追求をする責任を経営者は担っています。しかしながら、全体としてこれだけ落ち込んだ状況から、急峻に立ち直ることは不可能です。
 既存の設備の中で生かせるものは生かしながら、新規の高付加価値の製品を作る為の、技術水準の向上が最も重要です。単に設備を導入すれば仕事がとれるような、技術水準の低い領域に関しては、極力、短期で投資が回収できる体制を作らねばなりません。思い切って設備を導入したが、投資を回収する前にその設備が陳腐化したとか、その仕事が東南アジアの諸国に移ってしまったと言う例をよく聞きます。それ故、量的な物作りだけを追求するのではなく、フレキシブルな新規設備を導入し、高度な技術に裏打ちされた物作りが、これからは必要になってきます。
 オンリーワンと言う言葉は余り好きではありませんが、常に高い技術力を持つ為の準備を怠らないよう、技術者がもっと技術者らしく活躍できる場や環境を整備しなければなりません。
 表面処理業界で技術者がどれくらい生かされているか、まだまだお粗末です。折角、大学時代に研究を通してセンスが磨かれて、これから期待できるぞと、業界に送りこむのですが、トラブルシューティングの便利屋になってしまい、徐々に技術力は低下していく卒業生が多いのは残念です。
 「ハイテック、めっきが無ければローテック」魅力ある新規な技術がごろごろしているのに、これらの種をうまく育てるような体制になっていないのは誠に残念です。何ヶ月か前の本誌で少しふれましたが、一企業内で新規の技術の核を作るのが困難ならば、是非、我々と協同で表面処理特有の、魅力ある技術を確立する体制を構築するのは如何でしょうか。「Only one よりもOnly for the technology oriented group」というのはどうでしょうか。
 これからはコンピューターを通じて、世界の最新情報が瞬時のうちに入手できるでしょう。高収益、高付加価値を生む産業構造の構築、更には、ベンチャービジネスを始める環境を整備しなければなりません。
 日本は若い技術者がベンチャービジネスを行える環境が整っていません。いくら政府を始め、有識者が提案しても空回りするだけです。歴史的に技術はすべて西欧諸国の物まねに端を発していること、単一民族で協調意識が高いこと、お上に従順、トップダウン、チャレンジング精神に欠ける、人と違ったことをすることを避ける、等の要素から、ベンチャー精神は今後ともなかなか育たないでしょう。
 最近、やっといくつかの大学でベンチャーに関する講座が開講されました。ベンチャーの成功例やビジネスの展開の仕方を教えているようですが、これも米国の物まねです。むしろ新しい研究開発の捉え方、研究手法を教えるべきでしょう。この点は一部の大学の先生以外はまことに日本人の弱いところです。したがって、ベンチャーが根付くにはかなりの年数がかかるでしょう。長期的な計画を立てながら焦らずに着実に足下から固めていかねばなりません。

大卒の就職率

 これまでは大学を卒業しさえすれば、ほとんどの人は一生涯安泰な生活を送ることが出来ました。ところが、銀行を初めとして、多くの企業が未曾有の不良債権を抱え、人の採用もままならなくなってきました。なんと、今春大卒の六〇パーセントしか就職にありつけなかったとの統計が八月に報道されました。来春卒業する学生の就職率は、もっと落ち込んでいるでしょう。技術職はまだしも、事務職の落ち込みが激しいでしょう。
 企業は人件費の削減のため、事務の外部委託を導入するようになってきています。いわゆるアウトソーシングです。これまでは、システム管理などの専門分野に重きが置かれていましたが人事、経理、厚生などの間接分野に拡大してきています。
 また、総務庁の労働力調査によると、本年の六月職種別雇用者数は、事務職が前年の同月比で三・四パーセント減、また、昨年の秋以降、企業リストラ雇用者数が一貫して減少し、六月の統計によると、前年度より全体で七〇万人が職を失ったことになっています。その中で最も影響が大きかったのは事務職で、前年同月比で四三万人も減少しています。これに続いて、製造や建設作業者(一四万人減)、販売職(一一万人減)、運輸通信関連(一〇万人減)、対照的に保安やサービス職は七万人増とのことです。
企業はまさに、高い利益を上げていた時代から、生き残りをかけたリストラを拡大し、最早、悠長な時代からの決別を余儀なくされています。 企業は即戦力専門知識を求めるようになってきました。それ故、大学で教育と研究に従事するものにとって、今まで以上に学生に能力を付加して、世の中に送り出すように努力しなければなりません。学生自身も、低学年の段階で自分の進路をある程度決めておく必要があるでしょう。
 多くの私学で同じ問題を抱えていますが、一部の大学を除いて、残念ながらほとんどの学生が不本意入学であり、その学生を意識付けするのには、かなりの時間を要します。特に最近の学生は、高校時代には単に受験勉強をしてきたか、または推薦入学者の多くは、受験勉強さえこなさなかったので、基礎的能力が低いのが現状です。
 私の担当している化学科でも、一学年一〇〇名を越えるので、一人一人に対するケアーが行き届かず、しかも無気力な学生が多い。したがって、学生すべての意識を向上させることは、きわめて困難です。大なり小なり、どの大学でもこの傾向があります。
 半年くらい前に、文部省の諮問機関が、大学生の単位認定に対して、厳しくし留年も止む無しとの答申がなされました。このことは新聞やテレビでも大きく報道されましたが、学生には全くその危機感が無いようであり、何とかなると思っているようです。
 担当している必修の科目で同じように、同じレベルの試験を課しても、昨年あたりから不可と認定せざるを得ない学生数が極端に多くなってきました。今までは、一〇人前後であったのが、昨年は三〇名、本年の前期の試験で四〇名、不可をつけねばならなくなってきています。
 講義のやり方には、毎年工夫を人一倍かけているつもりですが、学生は無気力になってきています。今まで、学生の前では大学を辞めたくなったなど言ったことはなかったのですが、学生の無気力さを目の当たりにして、つい本音が出ました。これまでは、学生を引きつけるのには自信があったその講義のやり方が、通用しなくなってきたのです。また、出席状況を調べてみてもオール出席なのに白紙に近い答案を平気で出してきます。いくら何でも下駄を履かせる気にもなりません。極端に質の低下が起こったのか、あるいは最近の学生の傾向なのか、一度、他の大学の先生と話し合わねばならないと思っています。
 このような学生を四年間指導し、世の中に送らねばならないのですが、学生の意識を向上させるには、現在の就職難が続いた方がいいのか、かといってあまりこの傾向が続くと、将来に対する不安を煽る事になってしまいます。しかしながら、雇用だけに限ってみても、今までのように終身雇用では逆ピラミッド構造になってしまい、年俸制の導入、通年採用が一般化しています。今までの産業や雇用形態から新しい形態に変わらざるを得ない状況にあるので、当分は学生にとって手厳しい時代が続くでしょう。
 学生に対して企業は、即戦力、専門知識を要求するようになり、大学の教育も専門学校化していくのか、このことに関しては賛否両論ですが、社会の要求としては、我々もこれを受け入れざるを得ないと思っています。
 大学が単なる資格を習得したり、技術を習得したりするだけでは、専門学校と変わらなくなります。専門学校のような教育と言っても、ベースは大学で共に学び、共に語り、共に遊ぶことで、その大学特有のカラーが学生に脈々と引き継がれ、学生の心の中に残るものです。いろいろな行事、クラブ活動、ゼミナール、卒業研究を通して個々人の人格が形成されていくわけで、そこに大学の意味があると思います。
 我々は、学生の能力や気質を理解した上で、学生が納得して社会に出ていけるようにしているつもりです。それが出来なくなったら、私も大学を辞するときであると思っています。