1999年3月

雑感
        関東学院大学  本間英夫

新人社員教育の時期

 三月の下旬から、ほとんどの会社で新入社員の教育が始まります。いや実際は一月くらいから始まっているようです。卒業を間近に控えて、卒業研究や修士論文作成にいちばん忙しく集中しなければいけない時期に、ドーンと自宅に分厚い郵便が、内定企業から送付されてきます。 
 中身は、入社前に一般的な常識を身につけるための、色々な設問をケーススタディ形式で回答させるテキストとのこと。このような就職前の予備研修的なやり方は、いつ頃から始まったのか定かでありません。小生もあまり気にしていませんでしたが、学生にとってはかなりのロードになるようです。
 内容について聞いてみますと、電話の受け答え、挨拶の仕方、ごく常識的な問題をクイズ形式で答えるようになっているようです。学生も見くびられたものです。仕方のないことかもしれません。学生時代は、ほとんど同学年の限られた友達とのつきあいであるため、常識がないことは確かです。しかし、一様に常識がないと判断し、入社前の全学生に、この種のテキストを与えるのはいかがなものでしょうか。確かに三年生が卒業研究に入ってくるときは、私も最近の学生の非常識さには驚きます。しかし一度注意したり忠告すると彼らは何も抵抗せず受け入れます。彼らは家庭においても、高校までの教育においても、あまりこの種の常識を学習する機会がなかっただけです。私の経験では、一年間研究室にいれば見違えるように言葉遣い、人との応対、電話のかけ方、挨拶文の書き方、その他の常識が身に付く事は勿論のこと、人間的にも大きく成長します。しかしながら、内定企業には楯突くことも出来ず、無駄な時間を強いられているように思えます。
 よーく考えて下さい。一般には彼らがリクルート活動を三月から開始し、早くて六月、最近は、超買い手市場?ですので八月から九月にならないと内定が出せません。その間、学生はあちこちの企業を回ったり、決まりそうな企業に何回も足を運ばされ、卒業研究には集中できないのです。内定をもらってやっと卒業研究に入り、そろそろ研究の内容が分かってきた頃に、今度はクイズ形式の常識問題集です。従って、彼らが卒業研究に集中できるのは極めて短期間になってしまいます。
 いちばん成長期にある技術者の卵を腐らせてしまうことになります。腐った卵を買っていいんですか?新入社員教育も採用のやり方も厳しく見直す必要があるのではないでしょうか?以下に本年修士課程を修了する学生の意見を紹介しますので、総務(人事)の方は参考にしてください。

「社会人になるためのマナー、ルール等を学生のうちに学ぶことはとても大切な事だと思います。確かに私も含めてほとんどの学生は、卒研に入るまで言葉遣いや応対がよいとは言えません。しかし、卒業研究やマスターの学生として研究室で学んでいる間に常識はついてきました。また研究にウェイトを置かなければならない時期に、新入社員の教育を行う必要性があるのか疑問に思います。
また、文系か理系か、学部生か大学院生かの区別もないため、バイトや旅行に行く暇もない学生にとっては非常につらいものです。採用する学生の質を見極めて、通信教育を行うか、せめて三月の上旬くらいまでは卒業論文、研究に集中できる様に教育法法を考えていただきたいと思います。」
ちなみにこの学生が会社から送られてきた常識問題(三ヶ月コース・七万から八万円だそうです)を集中して三時間、解答し、それを教育を委託された会社に送ったとのこと。提出一週間後に会社から連絡が入り、一方は九六点もう片方は百点満点でコメントには大変よく出来ていますとの事::。画一的にこんな問題をやらせることに意味があるのでしょうか?

何をしてきたかで採用

 今までほとんどの企業で、学生が大学時代にあるいは大学院時代に、何をしてきたか、どんな勉強をしてきたか、ほとんど気にしないで、むしろ偏差値の高い大学からその序列だけを信じて採用してきました。採用する側にとっては、それが最もリスクのない方法であったことは確かなようです。学生本人も、親も、先生も、企業も皆認めてきました。しかし、最近技術系の一部の企業で変化の兆しが見られるようになってきました。何をしてきたかに力点を置き、大学でどんな勉強をやり、どの先生の下で指導を受けてきたか、採用側も真剣に考えるようになってきました。企業がこのあたりのことを真剣に考えるようになってきますと、学生は変わるでしょう。先生も変わるでしょう。
 最近、物作りの好きな学生が減ったと云われていますが、そんなことはないはずで、ただその機会が幼児期から与えられていないだけです。物作りのプロセスはカットされ、すべてインスタントでレディメードです。小中高での理科実験などもあまり力が入れられていないようです。このように学生が成長過程において物作りにふれる機会に恵まれていないだけで、もしその機会が多くなれば、もっと理科系を志望する学生は増加するでしょう。
 現在の受験制度では、物作りの好きでない学生が、入学してくるところに問題があります。彼らはなぜ工学部に入り、なぜその学科を選んだのか、決してその学問が好きで選んだ訳ではありません。予備校などで作成された精度の高い自分の合格可能大学、学部、学科から選択しているのが圧倒的に多いのです。試験問題を今のような形ではなく、能力を違った角度から問うようになれば、又、面接や実技、高等学校でのクラブ活動などの実績を精度よく評価したり、試験のやり方を変えれば、高等学校の教育は現在の偏差値教育から変わるはずです。従って、中学、小学校の教育も変わっていくことになります。 現在のように同じ勉強をすることが、有効であるとの認識の下では、成績の序列だけで高等学校の序列、大学の序列が決まってしまいます。この構図が崩れるような方法が導入されれば、もっと個性的な大学が出てくるでしょう。

 最近の教育事情

 最近中学校で授業が出来ないとか、高等学校でも就学困難校と言われている学校が問題になっています。高校の先生がテレビのインタビューに応じて話されていたことには、若干の驚きを感じました。授業をするのが怖いとか、生徒が先生の講義など完全に無視し、がやがやうるさいのは当たり前で、授業中に席を立ったり、エスケープし、全く授業にならないそうです。果たしてこの現実を改善できるのでしょうか。文部省の最近の調査によりますと全国で学級崩壊は十二クラス中一クラスにのぼるそうです。
 昨年卒業した女子学生の一人が工業高校の教師になりました。男子の生徒より女子生徒の方が始末が悪いそうです。気にくわないと、集団で登校拒否をしてしまうそうです。
 最近大学と同じように科目の選択性が導入されたこともあって、一部の選択科目に至っては、惨憺たるもののようです。大学並に選択性を導入して、生徒の自主性やゆとり、多様な人材作りを意図したことだと思いますが、うまく事が運ぶわけがありません。
 教育委員会や、学識者が英知を尽くしての結論であろうと思いますが、超エリートと言われる人たちが考えて、いくら理想論を並べても、それを生徒が咀嚼出来なければ、何にもなりません。教育現場を知っている人にとっては、困難を伴うことは、はじめからわかっていたのではないでしょうか。
 団塊の世代の頃から導入された、偏差値教育を受けてきた人が、現在教員になっており、しかもその教育制度の中で、競争を勝ち抜いてきた、いわゆるエリートの分類に入る人たちです。挫折を感じている学生の気持ちなど理解できないのでしょう。現状はどうしようもないところに、立ち入ってしまっているような感じがします。先生の多くは、教育に対する情熱を無くしているとのことです。自分が立て直してやる!との気概を持った先生はいないものなのでしょうか。核家族化が進んだ現代で、家庭教育を受ける機会が減少している学生たちに、いきなり個人の自立などを要求することは困難であるかもしれませんが、真の人間教育をしてもらいたいものです。
 前述のテレビのインタビューに応じた先生方を見ていますと、どことなく自信がなく頼りなく、ひ弱な感じがしました。大学卒業後、直ぐに教員になるのではなく、一般社会で経験を積んで、生徒から見て信頼される自信がついてから教員になるべきです。特に、最近多発している中学生のナイフを用いた殺傷事件や理解に苦しむ猟奇事件の多発、いじめ問題などは世紀末的様相を呈してきています。いずれの事件も社会の中で子供達が取り残されたり、無視されたり、親や教師の愛情の欠落が主要な原因になっていると思います。もっと生徒の目線に立ち、ものを考える努力をしなければなりません。子供は朝から晩まで、監視下、管理下におかれ、がんじがらめになっており、目的もわからないまま単に、勉強、勉強とつまらない日々を無為に送っているように見えます。彼らからは真の笑いが消え失せ、昔のように、近所のガキ大将を中心とした遊びなどいっさい無く、ゲームマシンに向かって両手を異常な早さで動かし、しかもそれは大人が作製したプログラムで、遊ばされているだけです。また、バーチャルリアリティに慣れっこになり、ボタン操作でぶん殴ったり銃で殺したりするゲームが多く、実際の痛みやそのような行為を行うことによってどんな影響があるのか全く自覚できていません。
 外で子供の楽しく遊んでいる姿を見ることは、滅多になくなりました。近所の公園は、公共投資で立派なものが出来ています。色々な製品で言えば、過剰品質も甚だしい立派な器です。しかし日曜日などに散歩しても、余りこどもの姿は見られず、せいぜい犬をつれてポリ袋とシャベルを持った中年過ぎの人が、ちらほら見られるだけです。子供達は親につれられて、混雑おびただしい行楽地にかり出されて真の喜びや、遊びは全く経験できないのではないでしょうか。又、近くの小学校や中学校を日曜日に覗いてみても、運動クラブを強化しているところでは、その部に限って、遊びでなくて、練習や試合をやっています。そこには真の喜びがあるのかなと疑問に思えてきます。
 最近の小中学校では、課外活動が自由にやれる雰囲気にはなっていないようです。先生が授業が終わったらなるべく早く帰宅させるようにしていて、クラブ活動も熱が入らないようです。もっと自由に活動させる環境を作ってやらねばならないでしょう。何も入れ物を整備しろと言っているのではなく、教職員がもっと真剣に将来を担う子供達のために尽くしているという、奉仕の精神が肝要かと思います。学校が終わると即座に塾に直行させ、毎日が無味乾燥で訳が解らずに、ただ成績を上げるためのノウハウを伝授し、記憶力の善し悪しを問うだけでは、発想豊かな人材が育つ訳がありません。ですから、中学生ともなると、つまらなく目的が見いだせなく、生徒はがやがやするようになるのでしょう。
 我々の仲間でも、学生がうるさくて授業にならないとぼやくのもいますが、ぶつぶつ言う前に自分の講義が学生にとって魅力があるのか、学生を引きつける魅力ある講義をすれば学生も真剣についてきます。小中学生にはもっとゆとりのある授業をし、しかも、もう偏差値教育等やめにしたらどうでしょうか。そう言えば栃木県のある高等学校で定期試験を廃止し日常点で成績を評価するとした、勇気のある行動も見られるようになってきました。この試みは、国全体で色々な領域で現在進められている、いわゆる規制緩和の一環なのです。
 今までは、文部省の管理下で指導要領に沿って統一的な授業をすることが決められていましたが、これが緩くなってきました。教科書の検定もかなり緩くなってきたようで、各学校毎に選択の余地が広がったようです。ただし、厳然と残っている偏差値教育を、ドラスチィックに変えていかないと、元の木阿弥になってしまうおそれがあります。既に少子化の影響が私学の学校経営に影響を及ぼしてきているそうです。この際、思い切って特徴のある教育を全面に出して行かねばならないでしょう。本年の我々の大学の一般入試の受験者は昨年と比較しますと三割減です。地元志向、国立大学志向、もう五、六年すると全員入学、更には、かなりの大学が淘汰されると言われています。

 手帳のカレンダー変更を

 パーカライジングの里見さんに学会の部会でお会いした際、先生も毎月原稿を書くのが大変でしょうから最新情報を提供しますとの事でした。
 超多忙の方々にお知らせ
 手帳の最後のページに来年二〇〇〇年のカレンダーがあると思いますが、一月一五日の休日を十日(月曜日)に十月十日を九日に変更してください。変更になっていない手帳が多いようですので念の為。