雑感シリーズ
関東学院大学  本間 英夫


日本のベンチャー
昭和二四年、人事院勧告の制度が発足して以来、昨年の暮れ初めてボーナスの〇.三パーセント切り下げが勧告された。民間ではすでに人員削減、ワークシェアリング、早期退職、希望退職等待った無しの対策が講じられてきているのに、対策が手ぬるいとの批判は否めない。国家および多くの地方自治体レベルで財政赤字、人件費カットは当然の手段である。将来に対する不安は益々増幅され、個人消費(若者は例外か)は冷え込んだままである。八九年から始まったハイテク量産の終焉か?例えば、乗用車の生産台数を見てみると八九年くらいまでは着実に生産台数が伸び年間約三百万台が生産されていた。それが数年で著しい伸びを示し、年間五百万台を越えるに至った。その後のバブルがはじけ生産台数は大幅に低下してしまった。
同じ様な現象が、日本の多くの製造関連産業に当てはまるのではないだろうか。大増産に伴う設備投資、バブル終焉に伴う過剰設備の整理、価格破壊、その間に推進されてきたISOシリーズ、物作りの国際統一規格化にともなう更なる効率化と価格低下、低コストの労働市場を求めた海外展開等。

 九四、九五年からブームになったインターネットを中心とする情報産業に関しては、二一世紀の基幹になる。日本では情報機器関連の部品や製品の製造だけがバブルのはじけた後も生産が拡大している。しかし、この領域にしてもハード面だけに注力してきたのでソフト面で米国に利益の大半を吸い取られる結果になっている。二〇世紀の工業化社会型技術から情報社会型技術にシフトしなければならない。しかし、日本はソフトが不得手、ベンチャーが育ちにくい、規制が多い、これらの諸点が指摘されてからか最近は、ソフトや新産業を中心としたベンチャー育成に力を入れようと話題になってきているが、果たして日本の今までの風土、習慣、気質等からうまく育つだろうか。育ちにくいとするのが大方の意見である。

しかし、戦後まもなく工業化社会の発展の下地となったソニーの井深、オムロンの立石、ホンダの本田の諸氏は勿論、表面処理に携わるほとんどの企業の先代または現役の経営者はすべて、今で云うところのベンチャーを立ち上げた人達だ。工業化技術に関してはこのようにうまくベンチャーが育ってきたわけであるが、果たしてソフトに関してはどうだろうか。いつの時代も必ず時代の要請に伴って育つであろうと楽観したいが。



急がれる雇用と構造改革
大手企業では何千人から何万人の従業員の削減が余儀なくされ、再建計画が発表されている。労働組合を中心として雇用維持を求める声が盛り上がるのも当然である。しかしながら企業の中で雇用を維持するための具体的な手段はどうも余り論議されていないようである。雇用の削減を最小限にとどめるには、企業内部に新規事業を育てる人員と種を持っていれば可能なはずだ。従来は雇用維持と云うよりも、積極的に新しいビジネス展開しようと多くの事業展開が試みられた。しかし、ほとんど失敗に終わり、元のさやに収まっている例が多い。物まね、人まね、一斉に同じ方向を向いて競争乱立、従業員の能力、技能転換がうまくいかなかったのか。最近うまく事が運んだ例として、NECの栃木工場があげられる。その工場では制御機器から全く異なる領域の電池の生産拠点と変わって再生している。企業および従業員の努力次第では人員のリストラではなく、このように雇用確保が推進できるのである。
それにしても、今まで制御機器、医療機器を、月当たり十台程度生産していた工場が、月何十万個の量産工場にシフトすることに成功したNECの栃木工場では並々ならぬ従業員と経営者の努力があったことと思われる。百数十名の従業員が富山県の入善にある工場に単身赴任し、一年間再教育を受けたとのことである。しかも制御関係の電気工学系の技術から、全く畑違いの電池、科学材料、しかもその量産技術を学んだわけである。企業側も富山工場での訓練期間中の一年分の給与、賞与、住宅費、年末年始の帰省費用を負担した。事業の構造改革と雇用確保には、このように経営者と従業員の相互の努力が、成功につながるわけである。
最近、日産の村山工場の閉鎖にあたって、カルロスゴーンが、再建計画のアナウンスで配置転換の用意を表明した。このように、これからは人を切るのではなく、雇用の維持に配慮した計画が実行されることを期待したい。それには従業員が能力開発できるような対応力が求められる。能力のない人はこれから去らねばならない時代が来てしまったのである。

とどまることを知らない携帯電話
 いつも話題に出して恐縮だが、日本の携帯電話の拡大はどこで飽和状態になるのだろうか。昨年度は純増台数が一千万台以上になった模様である。したがって四年連続の一千万台純増と云うことになる。日本の人口に対する普及率はそろそろ四〇%に達するのではないか。世界的に見ても九〇年世界全体で一千万台であった加入数が、現在四億台から五億台に達しているのではないかと云われている。
携帯電話の普及率は、昨年訪問したフィンランドが最も高く、九八年末で約五八%、九九年、第一四半期で六〇%、(我々が訪問した昨年九月時点で六五%に達したとはNOKIAの弁)、次いで昨年、第一四半期で比較するとスウェーデン五〇%、ノルウェー四八%、イスラエル四〇%、日本三二%、イタリア、シンガポール、オーストラリア、デンマークの四ヶ国は日本とほぼ同じ普及率、これらの国に続いて二〇%台にポルトガル、韓国、米国、イギリスがそしてカナダでもそろそろ二〇%に達するところに来ている。加入数では人口比率になるので米国で七千万台、日本四千万台、中国三千万台、イタリア二千万台と続く。北欧における特にフィンランドでの普及率はこのように極めて高いが、これには地理的条件、すなわち、国土面積に対する人口密度が低い、寒冷地であること、固定網よりも無線網の方が、効率的なインフラ整備が出来ることに大きく起因している。

したがって、固定網の整備がされていない国においては携帯電話が主要な通信手段になる。これからは中国が、猛烈な勢いで伸びるであろう。すでに日本からも携帯電話の関連事業、例えばビルドアップ工法を主体としたプリント基板製造メーカーが進出している。当面、世界全体での生産台数、加入台数は衰えることを知らないであろう。参考までに、九九年の携帯電話生産台数は二億七千二百万台、企業毎の生産台数を比較すると、NOKIA七千万台(二六%)、モトローラ四千二百万台(十五%)、エリクソン二千五百万台(九%)、パナソニック二千二百万台(八%)、サムソン一千百万台(七%)となっている。このようにNOKIAは携帯電話ではナンバーワンの企業を目指している。ここで少しNOKIAの歴史を見てみよう。一九八七年当時は、化学薬品、家電製品、機械、床材、ゴム、紙、ケーブル、電話機、通信機とありとあらゆる事業をやっていた。一九九一年に世界最初のデジタルネットワークの設置に端を発し、九八年に移動通信に完全特化するようになった。
NOKIAは独立した研究センター(NRC)を持っており、一九九一年時点で八五一人の研究者を擁していた。七〇%が修士修了者、十六%がプレドクターとドクターで二十九ヶ国の国籍を有する研究者から構成されていた。一九九九年末には一千百名に増員され、全世界の開発部門を統括している。携帯電話、ワイヤレスシステムでナンバーワンを目指し、インターネット分野でもリーディングカンパニーを目指している。現在十二ヶ国に四十四の研究所を持ち全体で一万五千人の研究者が研究開発に従事している。
マルチメディアは第三世代に入ったが、これからカメラとワイヤレスイメージ、ヒューマンユーザーインターフェース機能を付加した商品がどんどん市場に現れて来るであろう。その兆しがすでにパソコン、携帯機器に付加され、いつ買い換えるか判断に迷うこのごろである。


インターネット市場
日本のインターネット産業は米国と比較すると二年から三年遅れていると云われている。インターネットの商用サービスが九〇年に米国で解禁となり、日本に導入されたのが九十三年であったことに起因していると云われている。もう一つ大事な要素はインターネットの通信費が日本ではかなり割高であり、データーの転送速度が遅いことも原因である。インターネットを利用するにあたっては、インターネットサービスプロバイダー(IPS)への基幹網接続料金と、接続ポイントまでの市内電話料金(アクセス回線料金)の費用がかかる。ⅠPSへの料金はすでに米国並の価格になった。したがって残るは、ユーザとIPS間のアクセス料金である。三分十円、これではあまりにも米国と比較して高すぎる。米国では月約二〇ドル(二千円)の定額制である。NTTは、昨年の十一月からようやく試験的に定額制の導入を決めたが、まだ八千円前後で日米格差は縮まっていない。しかも電送速度が遅く、今後動画や大容量のコンテンツのデーター通信には不向きである。「ラスト ワン マイル」(加入者と接続する回線の末端部分)と、呼称されるアクセス回線高速で、しかも定額の低料金で提供する方策を多くの企業が取り組み始めた。ISDN(総合デジタル通信網)、CATV(ケーブルテレビ)、FTTH(光ファイバー回線)無線LAN、ADSL(非対称型デジタル加入者線)、FWA(加入者系無線アクセス)、デジタル衛星回線などがあげられる。加入者系無線アクセスは現在、ソニーと日本テレコムが実用化に向けて研究中である。

通信速度が速いために、大容量のコンテンツの利用に有望視されている。二一世紀に入り、いずれ近いうちに公共のインフラとして整備されるであろう。電子取引はしたがって急拡大するであろう。