雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫



組み合わせ技術とすり合わせ技術



世界的な規模での製品の規格統一、それに伴うグローバル調達、成熟産業はどんどん海外(特に東南アジア)にシフトし、このままでは日本は危ないとよく話題に挙げられている。

低コストでの物作り展開の中で、工場の閉鎖、または縮小、東南アジアへの展開を余儀なくされている企業は多くなってきた。この流れをくい止めようと必死になっても無駄な努力で、経済原理から当然の成り行きである。

 繊維を初めとして、家電製品いわゆる白物その他、成熟産業は海外にシフトしてきた。確かに東南アジアでは既存の完成された技術を組み合わせ、低賃金で物作りが出来る。

これは組み合わせ技術と言うことが出来る。

 世界的なコスト競争の中で、最近では高度なエレクトロニクス産業も東南アジアを中心に海外に展開している。

コアになる技術に関して日本国内で試作から始まり完成度を上げ、組み立てを中心とした技術が海外にシフトしているのである。

高度な技術がこれらの国々で可能になるためには、電気、ガス、上下水道、通信網、交通網等のインフラの整備、同時並行的に教育レベルやモラルの向上を推進していかねばならないであろう。

特に教育のレベルアップは生活水準の向上とともに、国民全体に浸透するまでに少なくとも十数年はかかるであろう。現状では、東南アジア諸国では組み立て技術を中心とした産業の展開が当分続くことになる。

 では、コアとなる高度な技術とは何か。

日本には外国が真似の出来ない『すり合わせ技術』が脈々と伝統として、また風土として培われてきている。これには、いわゆるハイテク関連の技術だけではなく、多くの基幹を担う要素技術のすり合わせであり、これが日本の強みである。

 よく引き合いに出されるのが大田区の中小企業である。精密機械にもできないようなミクロの世界をコントロールする芸術的な職人技、これは『すり合わせ技術』の典型である。すり合わせるということは、如何にしてその技術を極限までチューニング(微調整)し、最適化するかということになる。

 技術全般に対して日本人はすり合わせが得意であり、まさにこのすり合わせ技術や技能が中小企業を中心として醸成されてきたのである。

 当面はこれが強みで、分野によっては優位に展開できるだろう。

しかし、熟練を必要とした領域は規格化され、マニュアル通りに物作りをする傾向が広まってきた。今迄「すり合わせ」が必要とされたプロセス上のノウハウ、物作りにおけるこの種のこだわりや勘に頼ってきた体質から、ITの導入により物作りは大きく変わる可能性がある。

現在は未だ物流システムが中心であるが、最近では仮想実験での反応予測も可能であるし、近い将来ITによるリモートセンシング、各種の化学組成の精緻なコントロール、物作りはより正確、迅速、高効率で行われるようになるであろう。

 しかしながら、IT化が進むといっても、そのアイデアや活用法を考えるのは、人間であり、今まで以上に脳力(能力)の増強がきわめて重要になる。

 それにしても最近の若者は率先して、物作りや製造業に入ってこない。これからは今迄以上に観察眼、洞察力が要求されるのに、これでは真面目に真剣に技術に取り組んでいる東南アジア諸国に追い越されてしまうのではないだろうか。



日本の技術の強みと弱み



 日本人はオリジナリティーが無く、西洋やアメリカの技術を取り入れてるだけではないか、とよく非難されたものである。確かに戦後の復興期はそうであった。

しかしながら、技術を導入した後の改良に対する能力は、抜群に優れている。日本に入ってきた技術の多くは、改良が重ねられ、完成度の高い技術にまで高められているのである。

 この改良に対するセンスは上述の『すり合わせ技術』を得意としていることに由来する。この日本の技術者の特徴が余りにも前面に出すぎて、独創性が表に現れてこなかったのだろうか。

しかし、色々な技術関連の啓蒙書を読むと解るように、日本で考えられ、実際に工業化された独創的な開発技術は枚挙にいとまがない。

 表面処理関連の独創や発想に関しては中村先生も色々お書きになっていた。私も以前にセレンディピィティー物語と題して数回のシリーズを書かせてもらった。

 日本人は独創性が無いといわれてきた背景には、環境を整備してこなかったこともあるが、環境がよければいい発想が出るわけでもない。それよりも、日本発の独創研究の成果が、海外に発信されてこなかった事に起因している事が多い。

 すなわち、論文や、特許を英語で書くのが苦手であった。いや書く能力が低かった。外国の学会での発表も活発でなく発表する能力も低かった。

 能力が無かったと決め付けるのは、少し言いすぎであるが、実際、一部の人を除いて学者、研究者、技術者の中で、英語を日頃から何の抵抗も無く、第二外国語として話せる人はどれ位いるだろうか。また、研究論文をどれくらいの人が書けるのだろうか。

 グローバル化、規格化、規制緩和化のなかで、今までの一部の人にゆだねられてきた英語力を、ビジネスおよび技術の世界で、対等に論議し発表し、論文や特許を書くレベルに上げねばならない。第二外国語として『使える英語』教育の推進が急務である。

 今迄も、日本で多くの独創的な開発がなされてきたが、日本の技術は評価されず、アメリカや西洋の技術を過信し、日本で開発されてきた新しい目を摘んでしまっていた。

 自由に、時には荒唐無稽と思われる研究に対しても、時間と研究費がでるような、オリジナリティーの出せるような環境を整備することも大切である。日本のように四季を持った温帯ゾーンの中ではこの種の発想が生まれやすいはずである。

科学技術の発達に伴う課題



 日本人の勤勉さは労働を善とし、休むことを悪とする考えにもとづいて、戦後の廃墟から工業先進国としてのステータスが確立されるまでに至った。

 しかしながら、最近の若者は危機意識が全くない。かなりの割合で、カッコ良さ、物質的な豊かさしか追求していない様に見える。就職に関しても大卒の20%以上がフリーターになっている。または科学技術の進歩が早すぎて、ついていけないと思っている学生がどんどん増えている。

技術史を調べれば明らかであろうが、原理の発見から実用にいたるまでには長い時間を要するのが常であった。少なくとも19世紀まではそうであった。

 ところが20世紀になると実用化までのスピードが、グーンと加速される。

 たとえば我々が手掛けてきた表面処理の分野に限定して時系列的に研究レベルから実用化レベルに至るまでの期間を思い起こしてみると、およそ5年で実用化にこぎつけている。

中村先生が大学の事業部に来られる少し前(今から40年以上前)から始まった光沢青化銅めっき、先生の当時の学位論文を見る限りでは5年くらいで仕上がっている。

光沢を得るためのアプローチは、現在、我々が実験している方法と何ら変わらない。変わったのは機器の進歩くらいで考え方は同じである。

当時、電気化学測定は真空管で出来た計測器であり、一つのデータを取るのにも、かなりの時間が費されていた。

 顕微鏡の観察は、現在のように電子顕微鏡が無いので、光学顕微鏡を最大限に使い、電子線スペクトルも綿密に取られていた。

 せっかちな先生だったので、研究から実用化までに5年、当時としては超スピードであった。当時、実験に携わった人達の熱心さ、情熱が開発スピードを上げていたのである。今の若者と比較すると格段の相違がある。

次の開発がプラスチックス上のめっきである。アメリカでプラめっきが開発されだしたのが、1950年代でその頃は無電解銅やニッケルは未だ開発されていなかった。

 先ずは不導体の導体化法としては銀鏡反応を利用するものであった。またプラスチックスも今のように色々なエンジニアリングプラスチックスが未だ開発されておらず、ベークライトのような熱硬化性の材料では金属との密着が取れないので、そーっと銀の皮膜をつけ、後は強引に電気めっきでその表面を金属の殻で覆ってしまうやり方であった。

 したがって初めは、ボタンや女性用の小物の装飾品を作るぐらいであった。

しかしながら、ひとたび技術に火がつくと関連技術は大きく進歩するものであり、アメリカでは、いかに密着をあげるか、銀鏡に変わる導電化法はないか、研究が進められ無電解銅めっきの下地が出来てきた。

 しかし、この銀鏡も無電解銅めっきも、実はヨーロッパで中世の錬金術師達がすでに見出した技術である。したがって原理が見出されてから100年以上経過して応用にこぎつけたことになる。

 本格的なプラめっきの研究が始まるのはアメリカでABS樹脂が開発されてからである。

日本にこの樹脂が紹介されるや否や、中村先生を中心として当時大学内にあった事業部の技術スタッフが、いち早くテストピースを金型で作成し、まず、いかにしてプラスチックスとめっき膜の密着性をあげるかの検討が始まった。

 無電解銅めっきの研究を最初に手掛けたのが斉藤先生である。私も研究の初期段階からお手伝いしたので間違いないが、実用化にはやはり5年くらいはかかっている。その後キャタリスト、選択めっき、クロム酸の再生と一連のプラめっきの研究が続いた。

次いで、めっき廃水や環境問題に着手し、シアン電解酸化、クローズドシステムが確立された。さらにその後、無電解めっきの新工法、と研究が進むがいずれも5年位で実用化レベルにこぎつけてきた。しかも、プらめっき以後の研究は、ほとんど我々の研究室の学生が中心となって進められてきた。

指導者が先見性、研究に対する鋭い洞察力、情熱を持っていれば、学生も自然と研究に取り組む姿勢が異なってくる。これまで学生からの不平や不満は余りなく、皆充実して一年間の卒業研究生活や数年間の研究生活を送れたのではないかと自負している。

 ここで我々の研究の話から一般的な話に戻そう。

 最近では、コンピューターを中心とした情報通信技術は開発速度が極めて速く、犬の年齢に例えて、ドッグイヤー(7年が1年)で進化しているといわれている。したがって、最近の技術にはもうついていけないと、不安に感じる人が多くなるのも当然である。

 95年「科学技術の進歩が早すぎてついていけない。」、と不安に思っている人が53.7%であった、これが98年には80.5%に増えたとの事である。本年の調査はないようだが、殆どの人が不安に感じていることになる。

しかし余り心配することは無い。新しい原理が発見されてから応用に至るまでは、いずれも初期は誘導時間が必要でかなりの時間がかかる。ひとたび誘導期を過ぎれば指数関数的に開発速度が上がるものである。人間の飽くなき欲望が開発スピードを上げるのである。

 今から7~8年前だったか慶応大学で表面技術協会の学会の折にご健在であった武井武先生が『君たち働いているのではなく、動いているだけではないのか』との警鐘が今も印象深く私の脳裏に刻まれている。

 ドッグイヤーに少しでも抵抗して、誘導期にあたる研究に注力し学生を育てていきたいものである。

時にはゆったり考えたり、散歩したり、語り合ったり、まどろんでいるとき、(REM睡眠時か?)面白いくらい色々発想が出てくるものである。



サードウエア産業



通産省構造審議会で21世紀ビジョンの取りまとめの中で、これからの発展性が高い産業分野はサードウエア産業であると新語を使ってビジョンをまとめている。すなわち、日本が得意としてきた、ハードウエア(物作り)と、情報技術(IT)とを融合させて、第三の産業(サードウエア)を作ろうとの提案である。

 製造プロセスにITがすでに導入され、自動化が進み、正確、迅速、高効率で製造が進むようになりつつある。

例によってヤフーで『サードウエア産業』で検索してみた。この用語で引っかかってきたのはたったの2件であった。未だ一般的な用語として認知されていないらしい。

 試算によると、情報家電製品は、現行の約3兆円から年平均5%程度伸び、2025年には約9兆円。サービスは現行の約3兆円から、年平均7%伸び2025年には約19兆円規模になるとしている。

 情報家電について、①AV(オーディオビジュアル)機器発展系、②コンピューター発展系、③通信機器発展系、④車載機器発展系、⑤周辺機器発展系、に大別している。通産省は、日本の産業が比較的優位を保つ方向性としていわゆる『サードウエア産業』分野の創出を強調している。さて、この『サードウエア産業』という言葉、果たしてどれくらい認知されるだろうか。

 『どしゃぶり』から『小雨』、『うす曇り』分野によっては『晴天』と景気に明るさが出てきているようである。

 負の十年間、産業界においては多大の痛みを伴うリストラ、これまでの成長神話から着実な安定成長、豊かな精神生活を送りたいものである。