雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫



研究のセンスと成果



以前に今年の研究室の陣容や研究の進め方を紹介したが、半年を経過した今も、実験の進捗発表会は2週間ごとに進めている。このペースは守ることにした。

その報告会では、実験結果と考察に関して一人十分から十五分程度説明し、その後に皆と議論に入る。ほとんどの4年生は自分のテーマを理解し積極的にデーターを出し考察も出来るようになってきた。

3年間、ともすればやすきに流れるがごとき怠惰な生活から、4年生になって初めて、研究室という環境の中で実験を通して研究する心を学ぶのである。彼らにとって先ず、挨拶の仕方、電話の応対や言葉使い等の日常生活の常識を身に付けることから始まる。

使用前、使用後ではないが、彼らは4月の時点と比較すると見違えるように良くなってきている。少し大げさな言い方になるが、社会に出る前のマナー教育に始まり、日々の研究生活を通して技術者としての倫理や道徳も勉強することになる。

研究室によっては単に研究の実績をあげるために、全力投球しているところもあるようだ。全ての余裕を切り捨て、我々教員やドクターの研究実績をあげる補助実験をやらせていたら、彼らは実験に対しての関心や情熱は薄れ、単に与えられたテーマをこなすことだけになってしまう。これでは教育機関としては失格である。

私に出来ることは、技術を中心とした人材育成であるとの信念で教育にあたっている。

 昨年まではドクターが未だ少なかったので、私とドクターの2人で研究の進め方を打ち合わせ、大体その線に沿って進めてきた。今年は前報でも触れたがドクターの数が一挙に増えて、それぞれのドクターにかなりの権限を委譲する形を取ってみた。

 面白い現象が出てきた。研究を進めていく上で研究者のセンスによりどんどん新しい発想が出て、それが成果となって現れるリーダー、なかなか成果が出ないリーダー、したがってマスターおよび学部の学生も、どのチームについているかによって伸び方が大きく違ってくる。これではいけないと少し彼らとのふれあいの機会を増やすことにした。

 今までは、昼食時に大学院生全員が研究室に集まり、雑談をしたり、今後の実験の方針を話したりしていたが、6月頃から4年生との昼食ミーティングを週に2度くらい入れることにした。

 また、朝の輪講会は人数が多いことや、学部生と大学院生では理解度が異なるので、今のところ二つに分けて平行して進めている。

 内容としては、英語の論文に限らず日本語の論文も参考にし論議したり、また、過去の研究室で行ってきた研究について、なぜその研究に着手したか、特にどのような発想に基づいて研究を展開してきたか、に重点をおいて解説をしている。これが彼らの知識となって、また自分でも積極的に文献を調べる様になり、一つのテーマで議論して色々意見やアイデアが出るようになってきた。

 中には寡黙な学生もいるが、どちらかというとその種の学生は頑固で自分で心に秘めて実験を行い、進捗報告会でアット驚かせる。いずれにしても研究室の雰囲気は大人数の割には上手くまとまってきた。



ハイテク日本危うし



 ITを中心として製造業にもまさに世界的な規模での変革が起こっている。先月号には日本の技能や技術水準は高いからと、少し楽観的な見解を述べたが、高度な製造技術もすでに東南アジア諸国にシフトしている。人件費が日本と比較して十分の一くらいのところが未だ多く、利益を上げねばならない企業としては当然、海外へ展開している。日本がこれまで製造技術として培ってきたいろいろなノウハウや、コツ、センスなど、遅れをとってきた東南アジアに止むを得ず移転しているのである。

 台湾では日本よりもハイテク領域の製造工場を立ち上げ、日本のお株を奪った格好である。そして、台湾はITのハードウエア製品の主力生産国になってきた。

 パソコンやその周辺機器の委託生産件(ファウンドリー)、世界のシェアの50%を越える製品としては、電源装置、キーボード、スキャナーやマザーボードなどで99年には前年比10%増の210億ドルとのこと。しかもそのうちの40%以上は台湾で生産するのではなく中国本土や海外に生産を委託している。

 更には、世界一、二位を争うICのファウンドリーの拠点も台湾であり、日本の企業は価格競争力を維持するために競って台湾の企業との契約をしている。日本はソフトに弱く、ハイテクのハードの生産拠点にとのもくろみはこのようにして潰え去っていく。

危うし日本。









日本における技術者、技能者は



 韓国や台湾の若者と日本の若者を比較してみると、どちらが熱心か?どちらに基礎的能力があるか?韓国や台湾に軍配が上がる。かなり不安になってきた。日本の若者には情熱、粘り強さ、工夫しようとする心意気等が、かなり低下してきている。

 技術や技能の伝承がなおざりになり、ベテランの技能者はどんどん消えていく。また若い技術者を養成する教育システムが崩れてきている。物質的な豊かさの中で、果たして我々が多くの若者に、日本はこれからも技術中心で行かねばならないと説いてきたのだろうか。技術の面白さ、充実感、生きがいを説いてきたのだろうか。

 我々の時代とは異なり大学進学率が大幅に上がり、親も、教員も、当の高校生も有名大学に進学出来れば人生ばら色と、高等学校は予備校化し、落ちこぼれた連中が偏差値の低い(そのようなレッテルを皆で貼ってしまった)普通高校か工業高校に進学する。

我々の時代は工業高校のほうが、普通高校よりも実力のある学生が入っていたものである。また敗者復活戦が出来ないシステムが出来上がってしまっている。社会における個人の貢献度やステータスは、偏差値の高い大学を出たかどうかで決めてきた。この偏差値教育の典型な欠陥は、次のやり取りに代表される。

なぜ医学部に入学したのか?偏差値が一番高かったから。なぜこの大学を選んだのか?なぜこの学部学科を専攻したのか?偏差値が自分とマッチしていたから。もうこの大学には合格したから自分の一生が決まったようなもの。とか・・・・。

バブルの後始末で日本の各企業は待ったなしの体質改善が計られている。偏差値の高い大学出身の有能といわれたサラリーマンが、容赦なしにリストラにあっている。この現状を見て、少しは偏差値教育が変わってくれればいいのであるが、確立された価値観が変わるには長い月日を必要とするであろう。

 今年に入ってから大学のFランクという用語が出てきた。Fは大学の成績で不可のことである。すなわち大学として不可と認定されたことになる。ここで使われたFはフリーパスのFである。誰が認定しているのか。文部省ではない。

大手の予備校が一般入試で「ほぼ全員入学」と、従来の偏差値の設定が不能になった大学をFランクと認定したのである。

 今年の春、入学者が定員に達しなかった私立大学は百三十三校、学部ベースで見ると千二百二十二学部中二百五十一学部が定員割れとなった。短大はもっと激減で50%以上の学校がすでに定員割れになっている。

 少子高齢化の中で受験人口は激減し、我々の大学でも、あと数年でFランクの仲間入りをするのではないか、と現在必死になって対策がなされている。

 しかし、所詮これも無駄な努力なのかもしれない。上位の何十大学だけが残り、後は生き残りをかけて偏差値教育から、更に魅力のある大学作りをしていかねばならないのである。

これからが真の意味での個々に特徴のある大学、魅力のある大学、偏差値に関係しない大学作りをすることは、考えようによってはやる気が出てチャレンジしたくなる。しかし現実は無責任かもしれないがこれからの十年間で多くの大学の淘汰が起こるであろう。

 社会にとって必要な人材を受け入れる容量はロードマップよろしく人口の推移、これからの日本の進む方向が決まれば自ら決まってしまう。



私の構想



それではFランクで生き残る方策は?

偏差値教育の信奉者はともかく、我々のような弱小の大学が生き残るためには、実務に強い人材をこれまで以上に意識して輩出しなければならない。実務に強いということで、それでは専門学校ではないかとの批判があるが、そんなレベルではない。

英語はみっちり実学的に海外の技術者と渡り合えるレベルにし、デジタルデバイトなんのその、最新の知識を植え付けるだけではなく、その根底にある基礎的な考え方、ソフトもハードも原理に至るまで理解させる。

現在多くの学生は、単にいろんなソフトやデジタル機器に振り回されているだけである。

これまでのような大人数のマスプロ教育に決別し、たとえば、我々の化学であれば120名から30名程度にする。

単純計算で授業料を4倍にすれば採算が合う。そんな甘いものではない。それこそジリ貧で廃科になってしまう。本来、旧帝大はエリートの養成機関として始まったのであるから、天下国家を担うその種の人材はそちらに任せるとして、日本の真の担い手である中小企業向けの人材作りに専念する。

たとえば、我々の表面処理の領域では現在、日本全国に何千社、その中のトップ数十社でさえも技術者の確保には苦労をしてきた。名前の知れた大企業と比較して、学生が自ら俺はこの会社に入社することが夢であったと言うのは皆無であろう。

トップ十数社以下になると一般の工学系を専攻している学生は見向きもしなかっただろう。三十数年前、中村先生は、「君たち大企業へ行きたいと思っても無理だぞ。」「どうしても行きたいのなら高卒の資格で行きなさい。」と、また「大企業はこれからも永遠に大企業でありえないんだよ。」と、確かに、新設された学科の学生を企業に紹介するのは大変なことであったと思う。

今と比較して全ての産業規模はまだ大きくは無かった。しかも表面処理の業界はほんの駆け出しであった。

先生は学生を当時の大学の事業部や、知り合いの会社に入れていた。その後、私が先生の後を引き継ぐことになるが、すでに卒業生が300人を超えた。一部の卒業生を除いて、ほとんどが表面処理に関連する企業で活躍している。

私は学生とはほとんど毎日兄貴のように付き合ってきた。今では親父か、いや、おじいさんかな。めっきを中心とする産業の規模はそれほど大きくは無いが、それにしても大学の一分野で特徴を出すとしたら、その領域の人材育成は安心して任せておいてくださいと断言できる。また本業界はそれを認めてくれるであろう。

このように色々な産業界と直結した取り組みを、先生方得意な領域でやれば一躍有名大学になるであろう。

また、この種の伝統を潰えないようにするには、次を担う教員スタッフを確保できる体制が無ければならない。しかし、今の教員並列では不可能である。これからは本来の講座制の復活がぜひとも必要であり、大学は極端な言い方をすれば、アメリカ的に入れ物と人件費の一部だけを提供し、研究費は自分で稼ぐ。こんな時代がもうすぐやってくるかもしれない。積極的に展開してもいいと思っている。

 ある大学では、一研究室で研究所と名乗ってもいいことになり、現在、かなりの数の教授が何々研究所、所長という名刺を作り、対外的にステータスをあげている。

また5年間の冠講座も積極的に進めている。これも大学をいかにサーバイブさせていくかの手法なのである。しかも、絶対淘汰されそうもないような大学が積極的に、これからの大学の経営を考えている。いくつかの大学で色々な新しい試みがなされている。