雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫



オンリージャパンへの武装



 言い尽くされた感があるが、戦後50年余り西欧から導入された技術を上手く改良し、産業競争力も一時(1993年)は世界のトップに踊り出た。しかし、いわゆる負の10数年の間に生産拠点のグローバル化、アジア諸国、特に中国の台頭により、日本の産業競争力は一挙に30位以下に転落してしまった。高コスト構造を是正するために、中高年層の大量のリストラ、新規雇用の縮小、最近では賃下げ、ついには人勧も戦後初のベースダウン。

 これまでの日本は、アジア諸国の先頭に立ち発展してきた。しかしながら、これからは西欧諸国の技術の物まねは通用しない。企業経営者が度々オンリーワンを目指すというが、大企業で潤沢な開発資金と知恵の出る技術者が何人もいるのならば、それも納得できる。しかし、表面処理産業では一社で開発投資を行い、オンリーワンを狙うとの考えは通用しないであろう。むしろ、大学や公的機関とコラボレートして、積極的に日本発の技術をどんどん作り上げていかねばならない。オンリージャパンの技術の気概を持って。

 おりしもこの原稿を書いている時に、日経に大企業への開発投資に関してのアンケート調査結果が載っていた。それによると、企業の65%が開発投資額を増やし国際競争力を高めると言う。また外国の大学への委託研究を削減し、国内の大学との連携を強化するという。

 外国の大学や公的研究機関を視察してみて、日本の企業がこれらの機関に委託研究や大型の寄付をしている実情を知り、なぜもっと日本の大学と連携しないのかと疑問に思っていた。日本の多くの大学では、30年位前の学園紛争の経験から産学協同や産学連携に対してかなり拒否反応が強かった。多くの先生方は、産業界との共同研究に対しては冷ややかな見方をしていたのである。

 それがこの数年の間で状況がかなり変わってきた。政府は技術立国としての日本の再生をかけて、研究や教育に対する予算配分を大幅に変えてきている。民間企業も積極的に開発費の一部を大学に寄付したり、委託してもらいたいものである。



これからの教育



これまでの改良型、模倣型をベースにした日本では、均質で暗記型の教育でよかった。しかしながら、これからは高度の知識を獲得し、知恵の出せる技術者を多く輩出されねばならない。ゆとり教育がそれを狙って考えられたのであろうが、既に構築されているシステムを変革するには、多大の努力とエネルギーが要求されるであろう。また、創造性を豊かにしようと、本年度から導入された総合教育が定着するには、かなりの時間とノウハウの蓄積が必要であろう。

 21世紀は創造性のある天才育成型に切り替える必要ありと唱える人が、かなり多くなってきているようだ。しかし、これまでの教員としての経験から、創造性の豊かな人、記憶力が抜群にいい人、着実に与えられたテーマーをこなしていく人、調査能力に強い人、工学的センスのある人、無い人、人それぞれである。

 氏か育ちかとの論議があるが、最近読んだ「時間、愛、記憶の遺伝子を求めて」サブタイトル生物学者シーモア・ベンザーの軌跡(早川書房)著者、ジョナサンワイナー 訳者、垂水雄二によると、残念ながら氏だという結論である。

 遺伝子に、既にそれぞれの能力が組み込まれているようである。それぞれの能力が備わっていても、知識が無ければその能力が発揮できないのであり、したがって、基礎教育の段階からそれぞれのセンスが、大いに育成できるようにするのがいいのではないか。

英語教育も、実学的な会話を重視した形に変わるよう文科省が提言している。そのために先生の再教育が必要である。

たとえば、英語の先生はTOEICの点数で、720点以上獲得しなければならないとしている。しかし、現役の英語の教員で、その点数を取れる人はかなり制限されてしまう。それだけの能力を持った先生が全国で教えるようになるには、少なくとも10年はかかるのではないだろうか。

戦前戦後を通じて、これまでの英語教育は実学的な点からみるとあまり改善されていない。日常の会話をこなせる人は、おそらく全人口の1%もいないと思う。かなり英語力のある人でも会話となると全く駄目と言う人が多い。単一民族で外国との交流が少なかったので致し方ない面もあるが、それにしてもお粗末である。

今までも、このシリーズで言い続けているが、英語の入試問題を思い切って各大学で口語に重点をおけば、これからの18歳以下の英語力は大幅にアップするだろう。いずれにしても、現役の先生自身にその能力が無いのだから、時間はかかるであろう。

 大学の教育も然り。4年間の教育課程において基礎、教養、専門と縦割り、横割り、色々なカリキュラムが検討されているが、多くの教科は単位を取得するためだけの科目になってしまっている。

 学生も積極的に興味を持って、授業に参加していないのが現状である。試験のやり方も、ただの暗記型から調査型、創造型に切り替える必要がある。学生自らが色々な手段で調査、創造し、その結果をレポート形式で提出する方式がこれからはもっと導入されねばならない。



理科離れの学生の能力アップを



 大学が大衆化し、18歳人口の約半分が大学に進学するようになってからは、自ら意識を高くして将来を見据え、チャレンジしようとの意欲を持った学生は極めて少なくなった。また、我々教える側の能力や使命感が、低下してきているのも事実である。

 我々の大学でも、工学部の受け入れ学生数は、この20年以上大きな変化は無いが、理科系の科目の取得単位数の少ない高校生を受け入れなければならないところまで来ている。高等学校までの受験対策型勉強の欠陥か、理科離れが実際に修復できないところまできてしまっているのである。高等学校に入ると、理科をほとんど専攻しない生徒が8割くらいいると言う。したがって、理科の基礎内容を理解していない学生を対象にして、教育にあたらねばならないので必要以上の労力を強いられる。また、今の多くの学生は文章表現能力にも欠けている。

4年生(卒研生)は卒業研究論文の作成が必須であり、中には学会での口頭発表のための概要を書かねばならない。また、博士前期課程の学生には必ず論文を書くように指導してきたが、最近は全くその能力が低下している。英語での論文など全く期待できない。

 テレビ文化、漫画文化で長文の小説は読んでいないし、学術論文に至っては自ら読むと言う習慣は全く無い。かなり時間に余裕を持たせて概要や論文を書いてみるようにしても、下地が出来ていないのだから無理なのである。その彼らに自信を持たせて、産業界に送り出せるように指導しなければならないのだから、大変な労力がかかる。

したがって、大学に入ったら即座に意識変革をさせ、これから何をなすべきなのか、自覚させるような仕掛けを早く構築しなければならない。最近の学生は出来が悪いと、嘆いてばかりいても何にもならないのである。

 今までの日本の教育システムの欠陥が現れてきている現状を認識し、これからは創造型人材の育成(それだけが教育の目的ではないが)に力点を置かねばならないとの理解のもとに、教員一人一人が努力しなければならない。



知恵の出せる技術者の養成を



 高度な知識や技術に裏打ちされた知識労働者、知恵の出せる技術者の価値が大きく高まってくる。

 今までは終身雇用で、個人は生活の安定を保証され、会社に対する帰属意識は高かった。しかしながら、これからは就社ではなく就職、アメリカのようにジョブホッパーが徐々に増加するのか。アメリカでは、知的労働者は組織への帰属意識が低く、自らの能力を最大限に発揮し評価される。もし評価が高ければ見返りも大きいが、評価が下がれば減俸、あるいは自ら去らねばならない厳しさがある。流動性は高い。

 今まで小生が知り合ってきたアメリカの技術者も、一つの企業への定着率は低い。日本でもポスト工業化社会と称して、さらにはグローバリズムの名のもとに、このような形態になるのか。

 小さな日本では、この形態は馴染まないのではなかろうか。したがって、知識労働者を惹きつけるために、給料に代表される処遇だけでなく、知的好奇心をどんどん満足させるような魅力的な仕掛け作りに経営者は考えを馳せねばならない。

 中小の経営者の中には、すでによきパートナーとして高度な知識とスキルを持ち、知恵の出せる技術者が育っている。大学との共同研究を初めとして技術者の研究室への派遣も積極的に行ってきている。

 小生の研究室にもこの10年間くらいの間で、企業から派遣された研究生や大学院生は、すでに20人以上になる。研究所設立を契機に、更に大学院生や研究生の受け入れ体制が整ってきた。産学協同、産学連携の追い風の中で、これまで培ってきた研究開発を中心とした人の育て方のノウハウを、きっちり次の世代に伝えていきたい。