雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫



研修生の受け入れ

 

 表面工学研究所の事業の中に、研修生の受け入れ指導がある。研究所を開設して間もなく、国内の公的研究機関と海外の企業から早速研修の要請があった。実際には、国内の技術者を受け入れたのは、体制が整った昨年の暮れ二週間であった。

 通常、研修期間は少なくとも半年から一年が適当だろうが、この短期研修を通して、魅力があり、満足していただけるようなプログラムを、どのように構築するか、良い経験になった。

 また、一月の二週間と三月の二週間、都合おおよそ一ヶ月間アメリカ企業の技術者を指導した。その企業の従業員は大半がPhDであると言う。最大の問題はランゲージバリア、恥ずかしい話だがフルに会話ができる学生がいないこと、また研究所の専任スタッフも英語を苦手とするものばかりだ。かろうじて小生が、若干会話ができるだけである。これだけ国際化している中で、研究所が世界に向けての技術発信基地と標榜したいならば、研究スタッフ全員が日常会話の基礎くらいはこなせるようにならねばならない。

日ごろ学生にも、スタッフの一人である田代君にも、自分の過去を振り返って、英会話の必要性を説いている。私自身、本気でやる気になったのは、30代後半で、ドクターを取得するための条件のようなものであった。その条件とは研究論文が7、8報、さらに英語で論文を少なくとも1報、国際会議でも2報くらい発表することであった。今でも忘れはしない、1980年京都で開催されたインターフィニッシュがはじめての英語での口頭発表だった。ということは今から23年前である。目覚めるのが少し遅かった。しかし、まったく会話ができなかった訳ではない。大学四年の時、東京オリンピックが開催されたこともあって、我々の学生時代は第一次英会話ブームであった。したがって大学時代から少しは興味を持っていて、英会話スクールに通っていた。しかし、本来の目的から外れて異性との友好を深めることに専念してしまったが?? それでも一応は英語検定の2級(日常会話が少しできる程度のレベル)を当時取得していた。このようなわけで本格的に意識を持ってやりだしたのはかなり遅かったわけである。

だから、いつも学生諸君には自分は30代後半から英会話の勉強をやりだしたが、君たちは若いのだから、毎日少しの時間でいいから強い意志を持ってやってみるようにと、日ごろから意識付けしている。

ドクターに進学した学生は、国際会議で発表したり、論文を英語で書いたりしなければならない。そのため、英会話に通ったものもいる。また学部生、マスターの中でも目覚めて、やる気になった学生数は徐々に増えてきている。

 横道にそれたが、現時点では外国から研修生を受け入れた場合、私にかかる負荷が大きい。なるべく私がいなくてもお互いの意思が通じるようにしなければならない。したがって、今回は研修が始まった初日の打ち合わせで具体的な検討スケジュールを決め、後は田代君と学生に任せることにした。そうは言っても内心は不安で研究所に何日も出かけ、また毎日のように電話とメールで連絡をしていた。特に、三月の研修のとき、イラク戦争の勃発、テロ対策のため、アメリカから送られた薬品の入管にあたっては、いろいろ普段では経験できない場面に遭遇した。

学生と比較するまでもなく、今回研修にきたアメリカ人はものすごく熱心だった。実験のノートはきちっと整理していた。これは先発明のアメリカではごく常識なのであろう。

 極めてタイトなスケジュールであったせいかもしれないが、本人は朝5時に起き、先ずコーヒーを飲む。それからホテルの屋上や景色のいいところを散歩している間に、カフェインの効果があらわれエネルギーがみなぎってくると言う。それから部屋に戻り、当日行うことを整理する。朝は九時前に研究所に来ていろいろ田代君に質問を投げかけていたようだ。

一月の研修の際、実験を始める当日は大学で会議があり、研究所にいけないので田代君が一人で打ち合わせねばならなかった。田代君は英語に不安があるので、たまたまアメリカに留学して日本に帰ったばかりの学生がいたので協力をあおいだ。

 手伝ってくれた学生は、小学生五年生からアメリカに渡っていたのでネイティブと同じくらい会話は堪能であったが、残念ながら化学は専攻していなかった。しかし、本人にはアルバイトの形で既に二ヶ月くらいそのプロセスを教え、用語も理解させていたので問題は無いだろうと思っていた。初日はお互い上手くいっていたようだが、2日目に留学帰りのその学生が「この人頭が悪いんじゃないの、馬鹿みたいに質問をどんどんして」と、文句を言い出したようだ。案の定、3日目にその学生はアメリカの技術者と口論したらしく、研究所には来なくなった。心配だから4日目に研究所に出向き質問を受けることにした。

実験を始める前日、どのように進めるか、前処理からめっきまでのノウハウの多い部分について分かりやすく説明した。本人は物理屋でドライプロセスは経験が豊富であるが、ウエットプロセスは初めての経験である。質問の内容は全てのプロセスにわたり、化学的な反応や流体力学的な内容、また本人のアイデアも質問に含まれていた。

単にこちらが教えるだけでなく、実験に基づいた深い内容に関しての質問をこちらに投げかけてくる。お互いに討論することは願ってもない経験であった。アメリカ帰りの学生には、化学用語や彼の言わんとしているイメージが全くつかめなかったのであろう。

それからは田代君が一人で対応し、毎日クリーンルームに入り、片言英語で意思が通じ合ったようだ。特に三月の2度目の研修に際しては、田代君のヒアリング能力はかなり向上したようで、二週間目のまさに終わりごろは、私がいなくてもほとんどパーフェクトに相手の言っていることが理解できていた。また、三月の終わりは学会で、田代君も私もどうしても研究所には行けず完全に学生に二日間任せることになったが、学生にとっても海外の技術者と一緒に実験ができたことは貴重な経験になったはずである。彼らも田代君同様、英会話の勉強を(ちょうど新学期でラジオ、テレビ講座が始まる)はじめるのではと期待している。

 実際の実験にあたっては、田代君はその技術者の余りの熱心さと慣れないクリーンルームのイエローランプで、どっと疲れが出たようであった。あるとき、「先生、放って置くと何時までも実験をしようとするのですが、どうしますか」と連絡が入った。田代君のことを思い、実験をやめるように指示しなければならなかった。彼の実験に対するアグレッシブな姿勢は、研究所で実験をしていた学生にとっても良い刺激になった。アメリカは徹底した個人主義と実績中心主義なので、この種の研究者の熱心さはごく普通なのかもしれない。特に三月の研修では、サンプルを本国に2度送り、すぐに評価し、その結果をフィードバックしてまた実験に取り掛かるという熱心さであった。彼の会社も真剣である。

とにかく、ハイテク分野のいくつかの領域では、アメリカやヨーロッパと対等に、またはこちらのほうが進んでいる場合もあるのだから、これからは日本が先頭を走る領域もたくさん出てくる。

しかし、実際の技術や研究の担い手は若者である。我々が若いころに持っていた情熱、執着心、ハングリーさが、今の日本の若者には欠けている。

日本はこれまでと同じ事をしていては生き残れない。四月からは一年間の長期研修生を受け入れる。これまでの短期研修事業の経験を生かして満足していただけるよう努力する。