雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫



イメージを豊かに



7、8年前に大学院博士後期課程が認可されてから、研究室の学生数は大きく膨らんできた。

ここ数年は、総勢で30名近くになり、国立大学の一学科に相当する人数の学生を狭隘な実験室に押し込め、各自が自分の机ももてない状況である。昨年7月に研究所がオープンし、一週間の内4日間は、4から5名の学生が研究所に出かけているので、ほんの少しスペースに余裕が出てきた。

しかしながら、これだけ大勢の学生に対して、1人の教員で指導をするのは限界で、今までの10名くらいで行ってきた指導は通用しなくなってきていた。

そこで、一昨年度からこれまで数ヶ月に一度行っていた報告会を、毎月やろうと決め実行してきた。また、英語の重要性を痛感していたので、朝の輪読会は教員になってから30年以上になるが、これだけは中断してはいけないと継続してきた。

研究に関しては、数年前からは博士後期課程の学生がトップに立ち、前期課程の学生と学部の学生が実験をやる体制を整えてきていたつもりであったが、どうもしっくりこない。また英語に関しては、これだけの人数で同じ内容の論文を輪読しても、能力に大きな差がある。そこで、大学院生と学部生の両方に分け、学部のほうは大学院生が交互に面倒を見て、大学院のほうはなるべく自分たちで、これはと思うホットな論文を翻訳し、さらには少し高度な英会話をやる時間も作ることにして実行してみた。

しかしながら、この二年間を通して、研究や指導体制以前に、基本的な報告、連絡、相談のいわゆるホウレンソウが徹底しないことが多くなってきた。何度も手をかえ品をかえ、ことあるごとに、研究室の運営にあたっている大学院生全員にアドバイスをし、叱咤激励してきたが、どうもうまくいかなかった。

われわれのような、講座制を採用していない教員並列の私学では、学生と教員が一体となって研究教育にあたるので、大学院生の指導力は磨かれていくはずである。ところが、大学院生の人数が多くなると、責任の所在がはっきりしなくなってきて、うまく機能しなくなる。

企業に代表される組織体では、指導力のあるリーダーが決められ、何事もうまく運営できるようにしなければならない。大学の研究室の場合もピラミッド型になっていれば問題が無いが、本年度のようにマスター二年生が5人もいる場合、その中からリーダーを決めるのは、学生も私自身も教育機関故に躊躇してしまう。リーダーを選定するよりも、それぞれの個性を生かし、彼ら自身で、運営できる体制を考えてみるように指示してみた。

しかしながら、なかなかうまく機能しない。彼らは目的や目標を設定し、それに至るプロセスをどのようにすればいいのか、そのイメージがわかないようだ。

言われたことはある程度きっちり実行するが、自分から進んでイメージを膨らませて、その次のステップにもっていくことが下手なようだ。子供のころから、何を行うにしても受身であったので、リーダーシップをとる訓練ができていないのである。

そこで、研究室を運営していくにあたって重要と思われる用件ごとに、学部生、大学院生の中から連絡係を決めるようにした。

また、進捗報告会を始めとして、みんなで集まったときは、大学院の学生が毎回交替で進行役を決めるが、お互いを意識するのか、華麗さに欠ける。
 研究においても、実験の結果を考察し、それでは次にこのようなことをやろうと、いろいろ発想が出てきてもいいはずだが、なかなかその発想が出てこない。経験がないからと言ってしまえばそれまでだが、進捗報告会で彼らの実験結果報告を聞いていると、面白い結果が出ているのに残念だ。いつも口がすっぱくなるまで、積極的に考える習慣をつけるようにいっているのだが、なかなかいいアイデアが出てこない。 

したがって、次の展開は残念ながら私を中心に提案しなければならなくなる。彼らはしぶしぶ実験をしているわけではないが、イメージがつかめないのであろう。

なるべく彼らには、ディスカッションの過程で、本人からアイデアが出たようにもっていき、自信を持たせるように努力している。

一年間でいろいろ知識を吸収し、イメージを膨らませ、いつも挑戦的に実験ができるようにこれからも心がけていく。

発想の豊かさが、まさにこれから求められるようになってきているのである。

今までのように、きちっと引かれたレールに、ただ乗っていればいい時代から、自分でレールを敷設する時代に入ってきているのである。

研究室の学生に対しては少なくとも丸1年間、毎日のように触れ合うことができるのであるから、どのように指導助言するか、指導体制をどのように構築するか、新たな挑戦だ!と、イメージを膨らませて、前向きの気持ちだけは失わないようにしたい。



ここにもSARSの影響



昨年10月頃、中国(広州)で、5月8日から開催される予定であった、表面処理関連国際会議の募集が本格的に始まった。中国側としては、日本から少なくとも50名以上の参加者を要望していた。

表面技術協会の会長を務めている関係で、団長として参加することになっていたので、如何に50名以上集めるか、日本側のリエゾンを担当されている名古屋大学の高井先生、協会事務局、旅行業者と何度も打ち合わせしてきた。

その間、口コミで皆さんに参加を要請していたので、募集要項が協会誌に掲載される前に、すでにかなりの人数の参加が確認されていた。したがって、それほど参加者人数に関しては心配していなかった。

時系列的に思い起こすために手帳をチェックしてみたが、2月13日に開催された協会理事会での報告では、すでに60名以上申し込みがあり、さらに、企業から学生の発表を促進する意味で、多額の寄付金の申し入れがあり、この時点では参加者がもっと増えると予想されていた。

ところが2月末、協会の総会が開催されたその数日前から、香港、中国本土で新型の肺炎が発生し、すでに病院の医師や看護婦にも感染したという。当時は、それほど大きな広がりを見せず、収束するのではとのニュースが流れていた。

総会当日、まだワクチンも出来ていないのに中国行は中止がいいのではと、忠告してくれる会員がいた。その時点では、少し様子を見て判断すればいいと考えていた。

3月にはいるとイラク戦争が勃発し、CNNなどは24時間ライブ。その後、日を追うごとに、少しずつSARSのニュースが流されるようになってきた。

その頃から責任者として断行するか、中止するか、延期するか決めないといけないと、旅行業者を通して中国本土の状況を至急に問い合わせてもらった。確か3月17日のことである。

次の日にファックスが入り、まだ正式には報道されていない発症者の人数、中国以外での状況について記されており、その時点で中止か延期すべきであると判断した。

日本では、まだそれほど発症者が多いとは報道されていなかったので、当時誰も延期または中止になるとは思っていなかた。早速、事務局に自分の考えを伝え、高井先生に連絡、中国側との折衝に入った。

中国の主催者は、この種の肺炎は夏になると菌が死滅するので二ヶ月くらい延期すればいいとの連絡が入った。

いずれにしても、延期することに対しては中国側も受け入れたので、時期的な問題は後回しにして、先ずは参加者に延期の連絡だけは至急にすべきであると判断。正式に参加者に連絡したのは4月3日であった。

なんとその次の日、テレビを中心として厚生省やWHOの見解が大きく報道された。あまり先走ってもいけないし、遅れてもいけないが、責任者としては的確な判断であったと思う。その後、中国の主催者側には完全収束を条件として10月か11月まで延期とした。

果たしてワクチンがそれまでに完成するのか。感染源は一箇所ではなく、ビールスが二種類とのこと。ビールスの変異が早いとなれば、初動捜査(?)の遅れは致命傷である。また感染力が強く、人が全世界にばら撒く結果になっている。グローバル化の悪い面が一挙に噴出したように思える。

製造業の多くが中国本土にシフトしてきたが、SARSが長引けば産業界に与える影響は計り知れない。リスク管理の意味でも、日本の製造業をすべてシフトさせることの是非を真剣に考える必要がある。