雑感シリーズ

関東学院大学  本間 英夫

偶然の発見

もう既に15年位前になるが、セレンディピティーについてシリーズで紹介したことがある。セレンディピティーという言葉はセレンディップ(セイロン)の3人の王子のおとぎ話に由来しており、王様が王子達に旅をさせ、その旅程中に偶然に、いろいろなものを発見していくことから、思わぬものを偶然に発見する能力や幸運を招き寄せる力を表現するための造語になっている。

始めてこの言葉を知ったのは20年以上前になるが、糸川先生の技術の啓蒙書だった。当時は、まだこの言葉はほとんど日本では使われていなかった。自分自身も研究の過程で多くの偶然に遭遇し、それを元にしてその後大きな技術の展開につながっているので、いずれ機会があればこの言葉を紹介したいと思っていた。それが実現したのは15年前の学会誌の巻頭言の依頼が来たときであった。

最近では野依先生、白川先生、小柴先生、田中さんの一連のノーベル賞受賞者の研究が偶然による発見から展開されていると紹介されるようになってきてから、セレンディピティーという言葉は有名になった。

すなわち、野依先生の不斉触媒合成の発見、白川先生の導電性ポリマーの発見、小柴先生のニュートリノの発見、田中氏によるたんぱく分子の質量分析手法の発見、これらのノーベル賞に輝く研究は、実験研究の過程でのセレンディピティーがきっかけになっている。

このように、発見には偶然がつき物だが、果たして偶然だけで新しい発見は可能だろうか。これまで私自身、この40年間にいくつかの発見をしてきたが、予想外の実験結果が新しい発見につながっている。偶然との出会いは旺盛な好奇心や深い洞察力がないと、目の前に発見のきっかけとなる現象が起こっても、それを受けとめる心の準備が出来ていないと見えてこない。



アノードバックと光沢剤

表面処理の領域における偶然の発見としてあまりにも有名な硫酸銅めっきの光沢剤から話を始めよう。

硫酸銅めっきの主要成分は硫酸銅と硫酸、それに微量の塩素イオンから構成されている。現在はその中に数種の添加剤が光沢剤、平滑剤として添加されている。

中村先生から何度も聞いたことがあったが、プラめっきの開発当初、いくつかの問題点があった。その中でも特に苦労されたのが光沢硫酸銅めっきであった。当時の苦労話を「なせば成る~めっき馬鹿人生50年~」にお書きになっているので、引用しながら話を進める。

世界に先駆けてプラめっきの工業化が本学の事業部で行われていた42、3年前、光沢のある銅めっきができなければ表面を研磨せねばならず、せっかくのプラめっきもメリットが出てこない。

先生が昭和39年にアメリカに視察に出かけられた際、セントルイスの展示会で光沢酸性銅めっきの光沢剤UBAC(ユージライト社)が紹介されていた。帰国後、荏原ユージライトに問い合わせたところサンプルとして僅かばかりあるとのことであったので、それを分けてほしいと全部強引に買って評価された。

確かにそれを添加してみるとめっき皮膜は、光沢もよく、柔軟性もあり、これで問題解決かと、喜んだのもつかの間、使っているうちに血のような細かい陽極スラッジが出て、それがザラつきの原因になり、ろ過しても取りきれなかった。これには、先生もすっかり困って、あきらめて別の光沢剤を探さねばと思っておられた。

しかし、たまたま文献を読んでいるうちに、さらに10年ほど前のイギリスの文献の中に陽極として燐を0.1%くらい入れた銅板を使用すると、陽極の表面に黒色の膜ができてスラッジを防ぐことが出来ると書いてあり「これだ!」と思ったとのこと。

しかし、含燐銅板を特別に作ってくれるところは日本にない。そのとき「そうだ!」と思いつかれたのが燐青銅の板を使ってみれば、うまくいくかどうか見当がつくだろうとひらめかれた。いかにも中村先生らしく予備実験もせずに、めっき槽全面に燐青銅をつるしてめっきしてみたところ、銅板では赤い血のように液面に浮いてくるはずのスラッジが見事に止まった。このとき「しめた!」と思ったという。もちろん、しばらくしたら銅めっき液が使えなくなった。燐青銅中のスズが溶出したからでめっきは、どす黒くなった。だが、これで燐を入れればよいことはわかった。しかし、何パーセントがいいかわからない。そこで古河電工研究所の所長をしていた後輩に頼んで、燐の含有量の異なる数枚の銅板を作成してもらい、基礎実験をしたところ0.06%が最適であることを突き止められた。

当時は知的所有権など意識せず、銅合金メーカーにこんな物を作ってほしいとお願いしたところまで先生は覚えているという。先生は当時、たまたま英国の文献を見て電極を作っただけで研究開発者ではないからと、学会には発表されなかった。しかし、発案者は先生であり、この開発がなければ、今日のような光沢硫酸銅の隆盛はなかったのである。

ところでUBACという光沢剤であるが、これはユージライト社で50年以上前、偶然に発見された。あるとき、パイロットプラントで硫酸銅めっきの加工をした際、中村先生が経験されたのと同じようにアノードから銅のスラリー状の沈殿が生じたのであろう。そこでそのスラリーが溶液の中に縣濁しないように、古いセーターの袖を切り取り、袖口を結んだ上でアノードバッグの代用にした。すると、今までにみられなかった光沢外観に優れためっきが得られた。セーターから溶出した青色の染料が光沢剤の作用をしたのである。この偶然の発見から、その後は多くの染料の光沢に対する効果を徹底的に調べられ特許出願されたのである。この出来事をきっかけに同社の硫酸銅めっき技術が大きく進歩した。



特許に見る硫酸銅めっき添加剤システムの進歩

硫酸銅めっきの添加剤に中でもブライトナー(brightener)は、めっきの結晶を緻密にして光沢を与える役割を担う、最も重要なものである。初期の硫酸銅めっきでは、ニカワ、ゼラチン、カゼイン、糖蜜をはじめとした糖類、尿素、フェノールスルホンなどがブライトナーとして用いられたが、その効果は十分なものではなかった。

現在では有機硫黄化合物がブライトナーとして広く用いられているが、この化合物の最初の特許出願は1941年3月、米国ゼネラルモーターのPhillipsらによって成された「チオ尿素」に関するもので、1949年に特許となった。その後、チオ尿素を有する化合物に関する特許出願が数多く成されている。

また、有機硫黄化合物の中でも「スルホン基を有する有機硫化物」がブライトナーとして最も優れており、現在でも広く用いられている。このスルホン基を有する有機硫化物の光沢効果に関する特許は、チオ尿素出願の7ヶ月後であった。現在ビアフィルに多く使用されているビス(3スルホプロピル)ジスルフィドに関しては1967年のユージライト社による米国特許を待たねばならなかった。

現在、硫酸銅めっきではレベラー(leveler)としてヤヌスグリーンBをはじめとするフェナジン系染料が広く用いられている。

さらには、現在の硫酸銅めっきではポリエーテル化合物がキャリヤー(carrier)として用いられるが、この効果をはじめて見出したのはユージライト社であり、特許出願は1962年、米国において行われ1966年に成立している。このように1960年代までのユージライト社は酸性硫酸銅の添加剤では多くの実績を持っている。

現行の硫酸銅光沢剤システムは、これらの添加剤の開発でほぼ完成されたと言えるが、その後、日本では奥野製薬、ドイツのシエーリング(現アドテック)そのほかの薬品メーカーで多くの添加剤に関する特許出願がなされている。今回はユージライトの宣伝のようになってしまったがプラめっきとともに成長してきたのは事実である。

このように、技術開発過程で偶然の発見が産業の発展に大きく貢献しているのである。

次回は無電解めっきが偶然に発見された話と、自分のこれまでのこの種の経験談を予定している。