雑感シリーズ(10月号)

関東学院大学  本間 英夫



日本の技術の弱体化

日本における産業の中で製造業は25%、しかもそのうちの99%が中小企業で物づくり大国としての地位を確立してきた。しかし最近国内から、量産型技術は中国を中心に海外展開している。成熟産業は東南アジアを中心とした海外展開が当然としても、最近ではかなりハイテク産業も日本の頭を通り越してアジアに展開されており、これまでの強みとされてきた技術力そのものも低落している。

徹底的な生産効率の追求、省力化やそれに伴う人件費削減を中心とした雇用体系の変質、開発要員の削減が技術力の低下に拍車をかけている。今回、日本の製造業を中心とした技術の低下に対する焦燥感を抱きながら9月中旬に2年ぶりにドイツを訪れた。

日本人の体質として一貫してアメリカやヨーロッパ崇拝主義が根底にあり、これらの先進諸国から新しい技術の発信が行われるものとの盲信が根強い。確かに我々の関連する表面処理産業ではこれまでアメリカやドイツを中心としたヨーロッパの薬品や装置に依存している場合が多い。日本はこれまで物まね・模倣が得意とのレッテルを貼られ一般の人々の中ですらそのような認識が浸透している。

小生はこれまで、事あるごとに借り物からオリジナリティーを持った薬品の開発、プロセスを構築することで日本発のすぐれた技術の重要性を強調してきたつもりである。



現場技術の経験

今から45年ほど前にさかのぼるが、中村先生および斉藤先生の下で日本発の技術として世界に先駆けて、プラめっきの工業化を目指した開発に関わってきたことがその後の研究開発の自信に繋がっている。

若いときの成功体験はその人の生き方に大きく影響を与えるものである。更に当時は神奈川県が技術立県として国内で指導的な立場にあり、いち早く県および市レベルで技術指導員制度が導入され、中村先生とはプラめっきおよび一般めっき関係、今井先生とはシアン処理をはじめとした公害対策の技術指導に県内の工場を訪問した。

当時の表面処理関連の工場には技術担当者はほとんどいなく、装置および薬品をメーカーから導入し、技術的なフォローはすべてメーカーに頼っていた。従って対策は遅れがちで不良は多かったのであろう。いずれの企業でもいろいろ工程上の問題点を上げられ、その解決策を指導したものである。技術指導に当って、はじめの数回は緊張したがどの企業に訪問しても、抱えている問題点はほぼ共通で、しかもどの問題もちょっとイメージすれば的確な解決策が得られ両先生から喜んでいただいたし、又自分にとってもめっき全般が理解できるようになり貴重な経験であった。

また、大学の実験室では常に複数のテーマーを持ち「やったか」「まだか」の激励の下で朝から夜遅くまで実験にまい進したものである。これらの経験が物をいい、30代前半ですでに表面技術の便覧の共同執筆者としてかかわることが出来たし、表面技術協会の分科会の役員としても参画させていただき、その後の学会活動に繋がっている。

当時は前述のように、アメリカやヨーロッパから学び、模倣する時代にあって、我々はすでに世界に通用する技術開発を手がけていたことになるし、技術指導を通してトラブルシューティングや技術開発のヒントになり、現場主義の重要性が自然に培われていった。


海外視察の考え方

JAMF の海外研修は半世紀前、関東学院大学の事業部でプラめっきの完成時期とあいまって、中村先生が視察団を結成されアメリカの工場視察が始まった。アメリカからも1960年代から70年代にかけて3度くらい視察団が日本に来ている。

先生は視察を通して、視察という形はテイクアンドテイクで情報交換になっていないこと、フェアーでないことを認識されていた。数回の視察の後、斉藤先生にバトンタッチされたが、当時1ヶ月も事務所を空けることは出来ず、小生は大学に勤務しているから、時間的な制約があまりないだろうからと、視察を任されるようになった。

もうひとつの理由は視察の全日程を通して、アメリカでプロの通訳を雇う形をとっていたが、その費用が視察団としては大きな負担になっていたようで、「君自身の勉強になるから、積極的に技術的なところは通訳できるようになれ。」と、小生にバトンタッチされた訳である。

はじめからそのような大役は負担だし、こちらは通訳に関して全くの素人なのでバトンタッチされてから2度はプロの通訳がついていた。中村先生は数度にわたってアメリカで通訳を介して技術内容を相手の技術者と討論されたのだが、通訳された内容がおかしいと感ずることが多く、我々の専門領域の通訳を養成しなければいけないと考えられたようである。

しかも視察を単に視察で終わらせるのでなく、お互いの技術内容を対等の立場で討議することが大切であるとの考えを先生がお持ちになっていた。それには先生は半世紀前に日本で初めて光沢青化銅を開発され、その後プラめっきを世界に先駆けて工業化し、更には排水処理やリサイクルシステムを積極的に推進されてこられたからであり、いつも単に海外の情報を取ってくるだけでは、真の関係を構築できないと考えられていたからである。

東京都に散在していた20社のめっき工場を羽田近くの京浜島に集約して、リサイクルをベースにした団地化に成功したのは、あまりにも有名で日本の各地から視察団が訪れ、又海外からの視察も多い。しかも今回訪問したドイツでは、今から20年以上前に京浜島を視察されたベルリン工科大学のカンメル教授が中村先生のリサイクルシステムに共鳴され、いち早くドイツで紹介しそのシステムがドイツでも採用されている。

小生は中村先生の下で技術開発に専念してきていたので、我々日本の専業者のレベルを向上させること、それと大学を中心として先生とコラボレートしてきた内容を海外の技術者にも知っていただいて、互いの信頼関係を更に強固なものにすることがベースにあった。

従って小生が初回のアメリカ視察に入る前に、一人でアメリカに出かけロスの飛行場の近くの表面処理工場で2週間にわたりめっき全般の前処理から、すべてのめっき及び後工程に関しての用語をマスターするように先生から指示された。

その工場はアメリカにおいては専業工場としては最大のクラスであったが、技術担当者はいないようであり、社長から簡単に工程内容を説明され、あとは自分で勝手に工程をつぶさに観察していいということになった。その後日本から来た視察のチームと合流し、3週間から1ヶ月の視察を通して専門用語を中心にマスターしていったものだ。

視察を終えて羽田に帰国した時は先生が迎えにでておられ、ねぎらいの言葉を参加者にかけられ、そのあと小生と二人だけになってから、お寿司をご馳走になりながらホットな視察や論議した内容の報告をしたことを今でもはっきり思い起こすことができる。

当初はJAMFの本部機関であるNAMFからの紹介企業を視察し、そこで論議するように企画されていた。しかし、専業の工場では全く日本と同じく下請けで、技術はすべて薬品や装置メーカーに依存しており、あまりこのままのスタイルでの視察は意味がないと、小生が担当するようになってから数回の視察の後、単刀直入に先生に伝えた。先生は即断で、それではこのやり方をやめて薬品メーカーや学会で知り合った技術者を通して、アレンジするようにとの指示を出されて、その後JAMFはNAMFから脱退することになった。

特に薬品メーカーの技術の方々とは、アメリカでの学会や日本においでになったときに、いろいろ話をさせていただき信頼されるようになり、それからは薬品メーカーを中心にアレンジするようになった。それ以降、ヱビナ電化と吉野電化の現社長である海老名さんや吉野さんが視察に参加するようになり、すでに20年くらいになる。

小生はその間、常々中村先生の熱い思いである対等の立場での意見交換をベースにしたいと願ってきたが、20人くらいの視察チームではなかなか深いところまで論議できないのが現状である。表面処理の領域では引けを取らないとの自負があり、これからはお互いの技術内容を討論し合えるところまで高めるように願っている。

又若手の次期経営者や次代を担う技術者が技術の重要性を認識し、物まねからオリジナルな技術、世界に通用する技術力、常に前進するポジティブな考えを持って公平・公正な立場でお互いの技術を語り合えるようになる事を願っている。



ドイツの技能者・技術者の養成

これまで10回くらいになるドイツの視察や学会の参加発表を通して、ドイツの教育制度に触れてみたい。

日本と根本的に違うところは、小学校が4年制で、10歳で進路が決まる。
 日本のように、とりあえず高校へ行ってそれから大学に行くかどうか考えるのではなく、10歳(小学校4年生)で、進路を決めなければならない。大学へ行くためには、9年制のギムナジウムへ行くことになる。大学へ行かない場合は5年制の中学へ行って義務教育を受ける。その後は専門技術を学ぶ6年制の専門学校へ行くことになる。
 進路の決定に当っては、基本的には小学校での成績で決まる。一定の学力がないと、大学のコースにはいけない。しかしながら、ドイツは日本のような学歴偏重社会ではないので、学歴だけで将来が決まるのではなく、職業に繋がる技術を習得する学校が充実しており、大学へ行かずにマイスターを目指す人も多い。また、職業養成訓練生の制度が、学校から職業生活への移行支援制度として若年者対策がなされている。

この制度はドイツ語圏を中心に発展してきた制度で、企業で実施する職業養成訓練と、職業学校等の教育機関での学習とを同時に行う(デュアルシステムといわれている)、若年技能労働者の養成のベースとなっている。近年は経済のグローバル化の影響等もあり、職業養成訓練ポストが不足するなど、デュアルシステムを取り巻く状況も変化が生じてきているが、ドイツ連邦・州政府は、職業養成訓練ポストの確保の対策をとりながら、デュアルシステムの維持に努めている。

また、職業養成訓練を受けた労働者全体の80%が、自ら受けた職業養成訓練で得た技能取得なしには、現在の業務が果たせないと考えているというアンケート結果があるとされており、職業養成訓練生制度を中心とする職業訓練が評価されている。

今回訪問したすべての企業においても養成工・訓練生が活躍しているようであった。また大学への進学を選んだ場合は最終的には大学の研究室単位で学ぶことになる。基本単位が講座であり一つの講座に一人の教授で、ドイツの大学教授の権威は高い。教授の業務は研究費の獲得であり、どの教授も平均して10程度の数の研究プロジェクト、研究費の獲得をしているようである。インターンシップ制をコースの必修としているためか、企業からの研究助成がかなり多いようだ。獲得した研究費の半分以上は博士向け研究者、ポスドクの給料に当てられているという。特定の研究費・プロジェクト毎に雇用されて研究体制はしっかりしており、企業とのコラボレーションの絆も強いようだ。

日本でも最近ようやくインターシップが工科系の大学を中心として推進されるようになってきたが、どちらかというと就職先を決定する前の短期間の研修が主で、あまり意味を成していない。

産学協同が盛んに叫ばれている中で、日本版デュアルシステムを各工科系大学で構築すれば学生の意識は大きく変わるだろうし、大学の研究も実学に近い領域をカバーでき、大いに大学の研究も活性化されるであろう。

小生の研究室では、大学に表面処理部門の事業部を併設していた関係で、すでにドイツの職業教育システムとは異なるが類似の方法で学生に対して実学教育を実施してきている。

現在ドクターコース5名、マスターコース10名、学部の4年生の卒研生10名程度が表面工学研究所を中心に基礎力をつけることを怠ることなく、先ず国際語としての英語の輪講会を毎日実施し、基礎研究と実学に近い研究を行っている。

また中村先生の2期生であった大朏さんが会長に昨年就任された際の寄付金をもとに、本年度から表面工学関連の寄附講座を開くことも出来るようになった。他大学の先生や産業界からは技術および経営のトップに講師になっていただき、学生からの評判は絶大である。

さらには、5年前に神奈川文化賞の副賞、産業界とOBからの寄付金をもとに表面工学奨学金制度を大学で認知していただき、大学院に進学する学生に対する奨学制度も3年前からスタートし充実してきている。

これからの時代、特色ある大学作りをと叫ばれており、小さな一歩かもしれないが、表面工学研究所の活動、寄附講座、奨学金制度の充実などを通して学生の力をつける環境が整備されてきており、大学内および産業界からも評価されてくることが期待される。