雑感シリーズ(7月号)

関東学院大学  本間 英夫



科学と技術

東京大学名誉教授の増子 曻先生が最近の科学技術の取り組みに関して、半年くらい前に講演をお聞きしました。またその内容が、機材工誌に掲載されていた。きわめて示唆に富んだ内容なので引用させていただきながら解説します。



昨年、科学技術政策の重点課題と題して「科学技術の振興が最大の原動力である。」という書き出しで始まる文書が、総合科学技術会議で発表されている。しかし実際の科学技術の研究の現場では、技術心得の無い科学研究者が増加している一方で、技術の振興を担うべき技術者を育てる仕組みが無くなりつつあるのではないか、と先生は懸念されている。

科学技術の振興には、科学の分かる技術者を育てなくてはならないのに、先端科学を扱う科学者を育てれば、自然に技術が振興すると勘違いしているのではないかと。

更に先生は「科学を技術の召使(Servant)にすることは必要だが、決して主人(Master)にはするべきではない。」と述べられている。そして技術者が常識としている技術心得を、「文学見立て」という形で面白く紹介されています。



マリーアントワネットの解決策

民衆が、もはや今日を生きるパンさえありませんと訴えたところ、「あら、パンがないのならお菓子を食べればいいじゃないの。」と女王であるマリーアントワネットは答えたという。民衆とあまりにもかけ離れて「パンがない」という意味が全くわからないのであろう。

これと似たような話として、先生は太平洋戦争の際に東條英機首相が、「鉄が足りなければテルミット反応で造ればよい。」と言ったとの逸話も紹介されました。すなわち金属アルミニウムを原料にして鉄鉱石を還元することはもちろん可能ですが、大量生産のための製鉄技術にはならないし、上位の材料(価値の高い材料)で下位の材料(価値の低い材料)を作ることは可能ではあるが、技術としてはナンセンスでこの種の解決法をマリーアントワネットの解決策と見立てられたわけです。

更には、石炭の代わりにマグネシウムを使うエネルギーシステムに関して、痛烈に批判されていました。ある国立大学からその内容が提案されており、インターネットに紹介されているとのことで、私も検索してみました。それは「マグネシアをレーザーで加熱して発生したプラズマの中に、金属マグネシウムのスペクトルを認める事が出来た。」という実験事実をもとに、直ちに「燃焼生成物の酸化マグネシウムは太陽光レーザーを使ってマグネシウムを還元できる。」という話でした。太陽エネルギーを貯蔵できる物質の探索という人類が長年挑んできた課題に、マグネシウムが使える、という解決策です。

先端科学技術を使えば、マグネシウムを1mg実験室で製造できるでしょうが、しかしながら1トンのマグネシウムを太陽光レーザーで作ることは絶対に出来ないので、この提案は全く意味が無い。 また、この内容はエコロジー関連の雑誌に「マグネシウムで太陽エネを運ぶ、大規模発電所の構想も描く。」という新情報として紹介されているとのことです。そこで先生は約一年半前に大学当局に「このような「研究」は大学のブランドに傷が付くから、インターネットから即刻削除しては?」と申し入れられたとのこと。しかし依然として取り下げていません。

確かにマグネシウムという上位のエネルギー貯蔵物質(お菓子)が手に入るなら、石炭という下位の貯蔵物質(パン)に頼らなくて済む。先端科学技術の実験設備を使って、科学者が観測した現象から、産業生産設備を製造するまでの道程には、技術心得が必要になる。「量の規模」という技術心得を持たない科学者が、技術を語ることが恐ろしいと糾弾されています。増子先生の言われるマリーアントワネットの解決策はこれまでにも様々な分野で、様々なレベルで、数多くまことしやかに語られてきたし、現在でも多くの例を見受けることができます。

更には、まったくの詐欺行為もあります。中でも特に印象に残っているのは〝背信の科学者たち〟だったかの本にもまとめられていますが、ポンズとフライシュマンによる常温核融合が有名です。私自身ハワイで開催された国際会議でその講演を聞きました。大きな会議場を使っていましたが聴講者であふれていたのを記憶しています。その後、確か1年くらい大ブームになって応用物理関係の学術誌に「常温での核融合が出来た。」とその関連の論文がたくさん掲載されたものです。



表面処理の領域におけるマリーアントワネットの解決策事例

増子先生の述べられている上位の材料で下位の材料を作るということの科学技術者への警鐘は、まさに中村先生が30年以上前に京浜島に表面処理の団地を作られたときに常にそのことを念頭において実践されています。すなわち熱力の第2法則「エントロピー増大の法則」です。中村先生は皆さんにわかりやすく、これは乱雑さの度合いを表す値で例えば塩と砂糖があって、これを混ぜ合わせれば「エントロピーが増大した」ということになる。従ってひとたびエントロピーの増大した塩と砂糖の混合物からそれぞれを分離するには多大のエネルギーを投入しなければならないと。

当時東京都の表面処理の町工場20社を京浜島に集約するときに、中村先生がその企画立案、実施の指導に当たられました。先ず計画立案されたときに大きな難問にぶつかりました。それはめっきを中心とした表面処理では各処理工程間における水洗が重要です。当時おのおの企業で使用していた水の量は一社当たり生活排水もいれて100トンくらいであったようです。従って20社で少なくとも2000トンの水道水が必要になります。ところが東京都は団地化にあたり20社で100トンしか割り当てがなく、これでは絶対に各工場を集約して団地化は出来ないと猛烈に抵抗されたようです。

しかし東京都は、その割り当て量以上使うようであれば、団地化は出来ないと譲らなかったとのことです。このままでは「万事休す」です。先生は何日も考えられ最後にそれでは水を止めるしかないと、今までの水洗の方法(向流多段水洗)からバッチ多段水洗のアイデアに行き着かれました。

その水洗の理論は斉藤先生が当時の大型のコンピューターを用いて解析し、水洗理論として学会誌に紹介されています。ここでは紙面の都合上詳しくは紹介できませんが、水の使用量を極力少なくし、また各工程で有用金属を回収する方法です。

この手法が提案される前は、ほとんどすべての処理工程の水洗水や排水は大型のピットに集められ一括処理されていました。その時点ではエントロピーが大きく増大していることになります。その中から有価物を回収することは、上述したように混ざってしまった砂糖と塩からそれぞれを分離するのと同じで熱力の法則に反します。従って有価物を回収するには多大のエネルギーを必要とするので、沈殿処理する方法がとられていたわけです。

先生が提案されたバッチ多段水洗を有効に活用する方法により、多くの有用金属は工程ごとにイオン交換や電解での回収が容易になり、しかも最終処理の負荷も大きく軽減されることに繋がりました。

私の研究室では主に金属の電解回収、イオン交換樹脂の組み合わせ方法の確立、及び効率的な回収法、廃水の沈殿処理法などを担当しました。

当時は金・銀・銅・ニッケルの電解回収は勿論、そのほかの金属の回収も手がけましたが、回収はいわゆる反エントロピー行動であるから採算が合うのは銅までであろうと、その他の金属回収はインプットするエネルギーのほうが高くなるからと(上位の材料で下位の材料を作る)理屈に合わない手段は中村先生の判断で中止されました。

現在ニッケルや銅が大きく高騰しています。これらの金属の回収を見直す時代になってきました。

当時の団地の企業の経営者及び技術担当者、ケミカルサプライヤー、装置メーカーなどと定期的に技術的な打合せ会を開催しましたが、いわゆる最近よく言われているコンソーシアムの走りであったと思います。当時技術にタッチされていた方々はわくわく楽しい研究が出来て、それが現実に適用され充実したひと時であったと今も思い起こされます。