雑感シリーズ (5月号)

関東学院大学  本間 英夫



本年度の就職活動はすでに終盤か?

本学の学生が暢気なのか大学の就職部が他大学に比較して積極的でないのか定かでないが、産業界の人事担当の方々や経営者によると、3月頃から就職活動が進んでおり第一次選考のピークは過ぎたという。

いつも新学期になると、我々の研究室の学生は別だが、ほとんどの学生は「シュウカツ」と称して就職活動に奔走し、卒業研究は後回しになっている。先生方も、学生の就職に関しては就職課に大きく依存しているので、諦めが半分のようだ。

前から何度も言い続けてきたが、大学院生はともかく、学部学生が自分の能力や適性など判断できないうちに就職活動に入るのは、企業側にとっても学生側にとってもプラスになることは何もない。経営資源として重要なのは人材だと経営者はわかっているはずだ。

以前雑感シリーズで述べたことがあるが、例の2‐8の法則。青田買いで、人事部や経営者のセンスだけで選ぶのもいいが、折角だから2の学生は勿論、8の学生のポテンシャルをあげてから採用試験を行うべきである。

これまで採用方式の大きな変化が認められず、人材育成をしている大学にとっても産業界にとっても大きな損失に繋がっていることを認識すべきである。  

最近、ゆとり教育の反省から、文科省が主要科目の内容の充実及び時間数も増やすことを決定している。また道徳教育にも力を入れるという。なんとそれが40年ぶりという。一度決めたゆとり教育から方向を転換するのは至難なことであり、しかもその間に日本の平均的な学力は大きく低下してしまった。      

就職に関しての方式もそろそろ変えないと日本全体の大きな損失である。就職に関しては国の関与はそれほどあるわけではなく、産業界主導で変革できるのだから、先ずは青田買いをやめることからはじめるのも簡単なはずだ。

現在の採用方式では、偏差値の高い大学の学生、要領のいい面接ズレした学生のみがいい評価を得て就職している。

大学はすでに完全に偏差値で序列化されている。確かに、偏差値の高い大学の学生を採用することで、人材確保のリスクは大きく軽減されるだろう。しかし、果たして偏差値の高い大学の学生が企業側にとってほしい人材なのだろうか。まさしく記憶力中心の詰め込み教育で成績がいいとされてきた学生は、果たして企業における様々な問題に対して忍耐強く解決していく能力、発想の豊かさを兼ね備えているだろうか。大学の成績とこの種のセンスとは別物である。小生は敗者復活戦よろしく、遊びほうけてきた学生を意識付け、大化けさせてきた。

少子高齢化に伴い大学が完全に二極化し、偏差値が高いとされた大学では相変わらず入試における倍率は高い。一方偏差値の低い大学では全く無競争で、ほとんどの入学希望者が入れるようになってきている。

したがって、偏差値の低い大学では危機感が高まってきており、教員の教育力、指導力、研究力などの評価を導入した改革が進んでいる。

大学受験の偏差値はあくまでもインプットのランク付けであるが、すでに序列化されたランクを変えていくのは至難の技であり、各々の教員が意識変革をしていかねばならない。

受験生や高校の進学指導の先生、父兄にとって、その大学が魅力的であるかアピールするには、単なる上面の広告や宣伝では功を奏さない。地道な活動だが、大学本来の姿はアウトプットでの学生の満足度、及び産業界からの評価であり、ボディーブローのように大学の評価も変わっていく。ようやく先生方も自覚し、学生の指導方法も変わりつつある。

表面処理を中心とした企業では、かなりこの主張を理解していただいており、青田買いをやめ、じっくり育てて、お互いの合意の下で採用をしていただいている。



ほしい人材を的確に選定

新入社員の採用にあたっては、その企業にとって必要とする人材を確保する明確な採用戦略を持つべきである。現在の方式では適性やその企業で必要とする基礎的能力を持っているかを完全には判断できないのではないか。したがって、上述のように産学連携などを通して学部全体や研究室との関係を保つような方式をとれば、お互いの信頼関係の下に、より的確な人材を確保できる。

ところで、最近の学生はストレスの耐性が低いといわれているが、実は日本全体がストレス社会になってきているように思える。現在サラリーマンの7人に1人がうつ病になるといわれており、多くの企業の経営者及び人事担当者は頭を抱えている。新入社員が高学歴になればなるほど、入社時の抱負や夢と現実の乖離が大きく「もっとやりがいのある仕事をしたかったのに」と、休職をしたり辞めてしまうという。

多くの学生は、大事にわがままし放題に育ってきている。これまで困難にぶつかったことがないので、社会に出て思い通りにならなくなるとその対処法がわからず鬱状態になる。医者に診断してもらうと精神不安定、神経衰弱、ストレス障害、抑うつ状態などいろんな病名がついてくるようだ。

しかも、医者も少し精神的に不安定であればそれだけで病名をつけてしまい、診断を受けた側も病気だと暗示にかかってしまう。人間は考える能力を持っているから悩み解決するのであるから、ちょっとのことで病気扱いされ、それが元で長期休暇をとったりしてもなんら解決にはならない。

これまでもわがままで気弱で精神的に弱く活力がない若者は存在していたが、ほとんどは自分で解決するか、大げさな問題にはならなかった。弱さは表に出てこなかったのである。ところが最近では何でも大げさに表沙汰にする傾向が強い。

この種の精神的に弱い若者に自信をつけて社会に送り出すように努めるのが、教員の新しい仕事になってきていることを、多くの先生方が認識せねばならない。先生方によく言うのだが「もう少し早く研究室に来て、もう少し遅くまで研究室にいて、もう少し学生と愛をベースにふれあうように」と。



夫婦喧嘩の奨励

3月の終わりごろであったか、インターネットを検索していたら、夫婦の間でお互いに文句を言われても反論せずに我慢しストレスをため込んでしまう夫婦は、口論し解決しようとする夫婦より死亡率が2倍も高いことが分かったという。
 夫婦げんかの勧めとも受け取れるが、研究チームは、この調査は攻撃される側が不当だと思っている場合だけに注目していると説明。また、ただ反撃するのではなく、トラブルを解決しようとする姿勢があることを強調している。
 双方とも我慢してしまう夫婦では17年間で死亡率25%だったのに対し、片方または双方が我慢しない夫婦では12.3%だった。

夫婦間に限らず職場においても、信頼関係があれば我慢せずに大いに口論し、誤解やトラブルを解決しようとのスタンスで皆さん臨みましょう。



健康に留意 メタボの過信

歳を取ってくると健康に関する記事が目に付くようになる。この記事も3月下旬紹介された。それは血中の総コレステロール値があまりに低いと、かえって死亡リスクが高いことが研究で分かったという。
 なんと、「悪玉」とされるコレステロールでも同様の傾向がみられたとのこと。一般に、総コレステロール値が高いのは良くないことだとして、下げるための治療が広く行われてきた。しかしながら、総コレステロール値は栄養状態の指標であり、心筋梗塞や家族性高コレステロール血症以外の人は、無理にコレステロール値を下げる治療をしなくてもいいのではないかとの提言である。この研究結果は日本人延べ約17万人のデータを含む複数の大規模研究を分析しており信頼性が高い。

男女とも最も数が多かった血中総コレステロール値(160-199)を基準に死亡の危険を比較したところ、男性は160未満だと死亡の危険が1・6倍高く、200以上では0・8倍程度と、コレステロール値が高いほど危険が低くなるという。

女性も160未満は1・4倍と死亡の危険が高かったが、160以上は、240を超えても差はなかった。
 この研究を発表した教授は、コレステロールを悪者にする説はもともと米国から来たものであり、米国は心臓疾患や肥満が多く体質が違う。日本人に対しては、これまで不必要な人まで薬物治療の対象になっていたとコメントしていた。