雑感シリーズ(8月号)

関東学院大学  本間 英夫

何のために働くのか

米国に端を発した大不況、当初は日本に対する影響は軽微だと政府高官の説明であったが、世界的な大不況と認識されだしたのは、昨年末からで、年が明けてからは多くの中小企業は雇用調整助成金の申請を行ってきている。仕事が半分以下に落ち込み、基本的には金曜日も休み、3休4勤とする企業が多くなってきていた。さらには、4休3勤もやむを得ずとの会社も出てきていた。

こうなってくると働くことに対して各人の意欲が大きく低下し、仕事のない時こそ対応しなければならないような、不良対策、設備や工程の見直しや工夫に対しても集中する気持ちになれず、また社会全体が鬱状態に落ち込んでいるように思える。

そこで今回は京セラの稲盛さんが著されている本やPHPを参考に「何のために働くのか」をまとめてみた。

一般には働くことの意義は生活の糧を得るために必要な報酬を得ることと定義できるだろうが、ただ、私たちが一生懸命に働くのは、そのためだけではないはずである。一生懸命に働くことには、私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる。長い年月の間、一つの仕事をやり通すには多くの困難を伴い、もう辞めたくなるような苦労もある。その苦労を克服しつつ、一生懸命に仕事に励むことで、素晴らしい人格を育み、豊かな生活ができる。さらには、将来を担う若い人達も、仕事で努力し、仕事で苦労することから逃避せず、素直な心で一生懸命に仕事に打ち込むことが肝要である。

しかしながら、現在直面しているような不況の時、多くの企業では、給料カットや遅配、残業の規制、ボーナスの減額などを余儀なくされている。それゆえ、将来が不安になり「いったい何のために働くのか」という自問が湧いてくるかもしれないが、働く事は人間を鍛え、心を磨き、「人生において価値あるもの」をつかみ取るのである。

「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことである。それは、心を高め、人格を磨いてくれる「修行」であるといっても過言ではない。



「労働の意義は、業績の追究にのみ

あるのではなく、個人の内的完成にある」



ひたむきに、目の前の自分のなすべき仕事に打ち込み、精魂込めて働く。そのことで、自らの内面を耕し、深く厚みのある人格をつくり上げることができる。すなわち、日々の仕事に励むことによって、自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。そのような例は、古今東西を問わず枚挙にいとまがない。

「巧成り名を挙げた」成功者は、例外なく、努力を惜しまず、辛苦を重ねながら、自分のなすべき仕事に没頭してきている。働くことはたしかに辛いことも伴うが、それ以上に、喜びや誇り、生きがいを与えてくれる尊厳な行為だと考えられてきた。そのため、かつての日本人は、職業の別を問わず、朝から晩まで惜しみなく働き続けてきた。

しかしながら、近年社会の西洋化に伴い、日本人の労働観も大きく変わってしまった。



生き方、働き方

もちろん、稲盛さん自身も、もともと働くことが好きだった訳ではなかったと言う。子どものころは両親から「若いときの苦労など買ってでもしなさい」と諭されれば、「苦労など、売ってでもしない」と口答えするような、生意気な子供であったという。

大学を卒業し、ある窯業メーカーに入社した。しかし、入社当時は、赤字続きで給料の遅配など当たり前で、いつ潰れてもおかしくない会社だったという。同期入社の者は、入社してすぐに、「こんな会社はイヤだ。もっといい会社があるはずだ」と、そんなことばかり考えるようになり、いつも愚痴をこぼし合っていたという。

不況のさなか、恩師の紹介でやっと入れてもらった会社で本来であれば、感謝の念から、会社の悪口などとても言えないはずである。

しかしながら、若く未熟であったので、紹介してくださった方への恩義を忘れ、また自分たちが、まだ何の成果も上げていないにもかかわらず、不平不満だけは一人前だったという。

入社して一年もたたないうちに、同期入社の者は次々に会社を辞めて行き、最後まで残ったもう一人の同僚と一緒に、自衛隊の幹部候補生学校の試験を受ける。二人とも合格したが、入学するには戸籍抄本が必要ということなので、鹿児島の実家に送付を頼んだところ、待てど暮らせど抄本が送られてこない。

結局、その同僚だけが幹部候補生学校に入学した。実家から戸籍抄本が送られてこなかったのは、「苦労して大学まで進ませ、やっと先生の紹介で京都の会社に入れてもらったというのに、半年も辛抱しないとは情けないやつだ」と兄が怒って、戸籍抄本を送ってこなかったのである。

結果的に、一人だけ会社に取り残されることになる。その時、会社を辞めて転職をしたからと言って、必ずしも新しい職場で成功するとは限らないし、会社を辞めるのが正しいのか、会社に残ることが正しいのか悩んだ末、一つの決断をする。

たった一人、会社に取り残されるまで追い詰められて、目がやっと覚め、「会社を辞めるには、何か大義名分のような確かな理由がなければダメだ。不満だけで辞めたのでは、きっと人生はうまくいかなくなるだろう」ということで、まず「働くこと」に打ち込んでみようと決意したという。

愚痴を口にすることや、不満を抱くことをやめて、ともかく目の前にある自分の仕事に集中し、真正面から本気で取り組んでみることにした。

それからというもの、真剣に働き続ける。その会社では、今で言うところの最先端のファインセラミックスの研究を担当した。

三度の食事もろくに摂らず、昼夜を分かたず実験に打ち込む。その真剣な仕事ぶりは、端から見れば壮絶なものだったようである。

もちろん、最先端の研究だから、ただ単に馬車馬のように働けばいいわけではない。ファインセラミックスに関する、最新の論文が掲載されているアメリカの専門誌を取り寄せ、辞書片手に読み進めていったり、図書館で借りた専門書をひもといたりするなど、仕事が終わった夜や休みの日も勉強を重ねた。

そうするうちに、不思議なことが起こり始める。大学で有機化学を専攻し、就職のため、無機化学をにわか勉強しただけなのに、二十歳代前半で、次第に素晴らしい実験結果が出るようになってきた。

「会社を辞めたい」「自分の人生はどうなっていくのだろう」といった、悩みや迷いがウソのように消えていく。それどころか、「仕事がおもしろくて仕方がない」とまで感じられるようになって、周囲からさらに高い評価されるようになっていた。それまで苦難や挫折続きであった人生に、思いもよらず、好循環が生まれるようになり人生において、最初の大きな「成功」が訪れる。



神様が知恵を授けてくれた成功の瞬間

入社して一年ほどたった、24歳のとき、絶縁抵抗が高く、高周波域での特性に優れていたファインセラミックス材料の研究開発で、まさにチャレンジングなテーマであったという。当時は大した設備もない中、連日連夜、それこそ徹夜続きで開発実験を続けたが、なかなか思うような結果が出ない。自分をギリギリのところまで追い込み、昼夜を問わず実験を続け、どうにか合成を成功させることができる。当時、このセラミックスの合成に成功したのは、稲盛さんのほかには、アメリカのGEだけであった。

この高周波特性に優れた稲盛さんの開発した材料はフォルステライトと呼ばれる材料で、当時は日本の家庭にブラウン管式のテレビが普及し始めた時期で、電子銃の絶縁部品の材料として、うってつけだった。この開発で原料であるフォルステライト粉末をいかに成形するかの問題にぶつかる。さらさらの粉末では、形をつくることできない。

当時は、粘土がバインダーとして使われていたが、それではどうしても不純物が混ざってしまう。来る日も来る日も、この「バインダーの問題」をどうクリアするか、考えあぐねていたある日、思いもかけないことが起きる。

実験室を歩いていたところ、何かにつまずいて転びそうになる。思わず足元を見ると、実験で使うパラフィンワックスが靴にべっとりとついているので「誰だ!こんなところにワックスを置いたのは!」と叫びそうになった。まさにその瞬間、「これだ!」とひらめく。これまでも雑感シリーズで何度も話題にしてきたセレンディピィティだ。

早速、手製の鍋にファインセラミックス原料と、そのパラフィンワックスをいれて、熱を加えながらかき混ぜて原料をつくり、型に入れて成形してみたところ、見事に形をつくることに成功する。さらには、それを高温の炉に入れて焼くと、つなぎのパラフィンワックスはすべて燃え尽き、完成品には、不純物がまったく残らない。悩み抜いた問題が、一気に解決してしまう。今思い返してもても「神の啓示」の瞬間であったという。

もちろん、実際に解決策がひらめいたのは自分自身であるが、それは一生懸命に仕事に打ち込み、苦しみ抜いている姿を見た神様が、憐(あわ)れみ、知恵を授けてくれた、そう表現するしかないと回顧されている。

この「最初の成功体験」によって、苦難の中にあっても、懸命に働くことが、素晴らしい運命をもたらすということを、実感されている。

「あいつは、かわいそうだ」人は、周囲からこう言われるくらい不幸な境遇に、一度は置かれた方がいいのかもしれない。

悩みや苦しみを体験しなければ、人は大きく伸びないし、本当の幸福をつかむことができない。人生において経験してきた、数え切れないくらいの苦労や挫折は、成功の土台となってくれる。今、振り返ると、過去に苦しいと思えたことが、後になっていい結果を招いていることに気づかされる。

そういえば、人生における苦難や挫折、それこそが人生の起点であり、最大の「幸運」であったのかもしれない。この不運、試練こそが、仕事に打ち込むことを教え、そのことを通じ、人生を好転させてくれたという意味では神様が与えてくれた最高の贈り物だった。逆境にあっても、愚直に懸命に働き続けたことが、すべてをつくる基礎となってくれたと語られている。

もし、苦難や挫折をしらず、有名校に入学し、大企業に就職していたら、人生はまったく異なったものになっていたであろう。順境なら「よし」。逆境なら「なおよし」とプラス思考、前向きにとらえ、努力を重ね、懸命に働き続けることが大切である。我々の世代は大なり小なり似たような環境で、お同じような経験をしている。 

同僚の山下先生が昔のことを思い起こし、指導教授が「真剣な気持ちで実験しなければ、良い結果は得られない」とういことを、たびたび学生に言っておられたと、また、十数年前、表協の懇親会で、90歳前後の武井武先生が、「人生には誰にも平等に2~3回のチャンスがあります。手を伸ばせば届く頭の直ぐ上まできていますが、この幸運を手にするには、常に努力をしていなければなりません」と、語られたことを鮮明に記憶しているそうです。読者のみなさん、まさに困難の時、今だからプラス思考で臨みましょう。