雑感シリーズ
関東学院大学  本間 英夫

事業仕分け 
 「2位じゃだめなのですか」日本が優位であったはずの技術力が、今や大きくそのポジションが低下しているのにもかかわらず、あまりにも不用意な発言である。新聞やその他の報道では、日本の技術は衰退する一方だとか、もはやものづくりの国じゃないとか、無責任なコメントが経済学者や有識者と言われる連中がマスコミでコメントし、多くの若者は、日本の未来に希望が持てず鬱状態になっている。
実際、大学卒の多くはものづくりの製造業への就職よりも、サービス業への就職が圧倒的に多い。10年以上前までは大学進学者の中で工学部への志願者は50万人位であったが、現在では20万人に減少している。理科離れがすさまじい勢いで進行し、多くの学生はサービス産業への志向が強くなってきている。
 日本の産業構造の変化で、サービス業の比率が8割にも達しようとしているようなので、全体としては製造業の割合は下がり、日本の基幹を担ってきたモノ作りの将来は決して明るくない。
 これまで培われてきた日本の技術水準は極めて高いはずだが、最近は、まずはコストありきで、如何にものを安く作るかが至上命令となっている。したがって、技術者は日夜不良対策や、歩留まりの向上のみに明け暮れ、有能な技術者は育たず、閉塞感が蔓延している。
さらには、バブル期以降、研究開発がおろそかになってきており、革新的な製品の開発が遅れ、その影響がかなり出てきている。精密機械、半導体、エレクトロニクス、造船技術、ロボットなどは世界一の技術力であり、車に関してはハイブリッド技術に追いつける外国企業はないとまで言われている。また、日本企業は変換率最高レベルの太陽光発電装置を作り画期的な進歩をとげてきた。
 しかしながら、政府の行政刷新会議の事業仕分けで科学技術・学術関係予算も縮減とかという耳慣れない言葉が飛び交い、ノーベル受賞者や工科系大学教員からも激しい批判が出た。批判は当然だが、あえて言うならば、科学技術の発明、発見は、必ずしも予算が潤沢であったところから生まれてくるわけではないことは確かである。その例に関しては「雑感シリーズ」でこれまでいく度となく、セレンディピティーからの大発明と説明してきている。しかしながら、仕分けと称して科学技術に素人の政治家がリーダーシップをとって一方的に、恣意的に決定するのはいかがなものか。科学技術の進歩には、まずは若い研究者がわくわく、情熱を持って研究に取り組めるような環境の整備は絶対に必要であろう。

創造力はいかにして
繰り返しになるが、アインシュタインがノーベル賞を受賞した光電効果の研究や、人類史上最も重要な発見の1つである相対性理論の研究では、ほとんど費用はかかっていない。特殊相対性理論を発表したときは、特許庁の局員であった。同じく、インテル社の8ビットCPUである8080用のBASIC言語は、ビル・ゲイツの大学時代の友人ポール・アレンが、コンピュータにロードするプログラムを作っていないことに気が付き、ポール・アレンが飛行機の中で作成している。
 また、Web上のサービスシステムである「はてな」は、大企業なら製作に数億円かかるだろうが、若い技術者が片手間に作ったもので、費用はほとんどかかっていない。はてなブックマークはオンラインでブックマークを保存・管理・共有できるオンラインブックマークサービスである。自宅のブラウザに保存するだけだったブックマークを、インターネット上に保存して管理・公開することができる。
この「はてなブックマーク」を活用すると、いつも見ているサイトや、自宅でみつけた面白い記事のブックマークを会社や学校、または、携帯からでも利用出来るようになる。このようにアイディアを中心とした大きな発見や発明は一番効率的で人間に与えられた天賦である。
したがって、費用のかかる分野には思い切って金をかけるようにして、画一的に予算を減らすのではなく、上述のように若い研究者が夢と希望を持てるような環境はぜひとも整備すべきである。
 また、公的予算とはほとんど関係のない研究者や技術者が懸命に、それぞれの分野で努力を重ねている。世界を変える発明、発見、製品は、そんな中からも数多く生まれるはずであり評価すべきである。
 
トップランナーの生き方
 表面処理業界の中でトップを走っていたエビナ電化の社長、海老名君が昨年暮れに急逝した。まさにこれからの日本の表面処理業界の担い手と期待していたのに誠に残念である。
海老名君はハイテクノの講師、表面技術協会の理事として、日本の表面処理業界のリーダーとなり活躍し、彼の経営方針や学会、産業界への貢献は極めて大きかった。
彼が亡くなる一週間前の昨年12月7日(月曜日)、昼過ぎから夕方の7時頃まで技術に対して大いに語り合った。彼は健康、特に食事に関してはストイックなまでに留意し、いつも元気に日々情熱を持って業務に、研究に邁進し、すばらしい成果を着実に上げていた。表面処理業界や学会にとってこれから益々貢献していただく矢先であったので大きな損失である。
 思い起こせば、もう35年前になるが、彼は現在ハイテクノが受け継いでいるJAMF上級表面処理講座の第8回生として一年間講座を積極的に受講していた。小生は講師、彼は受講生というスタンスであった。当時、この上級講座とは別にアメリカのめっき業界(NAMF)視察が行われていた。初めの2、3回は中村先生が団長として視察され、その後斎藤先生が数回その任に当たられていたが、一カ月の長期の視察旅行なので5回目くらいから小生がコーディネーターとして、梅雨時に視察旅行を行っていた。
 33年前にその視察旅行に彼が参加したことで、急速に親しくなった。その後この視察旅行は数回続いたがアメリカとの交流がマンネリ化し、しかもアメリカの企業はケミカルサプライヤーにほとんど依存するような体質であったので、中村先生の判断でNAMFから脱会することになり、その後は海老名君と10回以上になるが主に、ヨーロッパを中心として研究所やケミカルサプライヤーとの情報交換を企画してきた。
 彼は33年前、初めて視察に参加したあと、我々の研究室を訪れ、研究室にあった電子顕微鏡、等速電気泳動装置、紫外、可視分光装置などを全て自社で購入し、めっきは「カン」に頼るのではなく、分析や解析が大切であると悟った。それからは利益の一部を機器の整備にどんどんつぎ込み、現在では大学の研究室が持っていないような高性能なツールを揃え、この数年間は民間テレビ局をはじめNHKにも紹介され、さらに昨年の10月から12月にかけて2つの放送局から30分と45分のプログラムで技術や経営方針について紹介された。
 また、ドイツのベルリン工科大学の教授が、会社を訪れた時「大学よりもすばらしい機器を持っている」と感心していかれたことを思い起こす。また30年前、確か彼との2回目のアメリカ視察の折、吉野電化の吉野社長と日東社の安達さんとの3人が、プラめっき技術の成熟とともに、どんどん東南アジアに出ていくことに危機感を持ち、これからは電磁波シールドだと判断し、果敢に攻めの経営を展開した。我々の研究室では40年くらい前から、エンジニアリングプラスチックス、セラミックス、ガラスなどの材料へのめっき技術に着目し、応用研究をしていたので、彼が中心となり各企業のトップや技術の中核を担う人を10名くらい集めて、1年に2度くらいの頻度で研究室の進捗発表会を開いてきた。
 学生には産業界のトップから直接サジェッションしてもらうことになるし、集まったトップの企業の方々には、ホットな生のデーターに触れることになりこの研究会は8年前に表面工学研究所を構築する核になったのである。しかも彼は我々の行った基礎的な実験結果を参考にし、ほとんどの我々の実験をトレースし、自社内の工程に採用していった。
 また、このトレンディーには斎藤先生が表面処理の関連論文から主だった技術内容を抄録され、また特許も紹介されている。これらにも、毎月目を通し、それらの技術内容もトレースし、ケミカルサプライヤーから薬品を調達し、自社の工程内に積極的に採用していき、エレクトロニクス関連技術を「ハイテックめっきがなければローテック」と言わせるまでに地位を高めた。
 今から17年前、増子先生が表面技術協会の会長、小生が庶務理事の任に当たっていた折、増子先生が、これからは表面技術の担い手である若手の経営者の会を作る必要があると提案され、彼と吉野君が中心となって、早速準備委員会を開き、青年経営技術懇話会を立ち上げた。
 この会は当初、業界の重鎮や大学の先生方からも、2年もすれば潰れるよと揶揄されたものだったが、それを発展させた立役者はほかならぬ彼であった。
 以上のように学会にとっても、めっき業界にとっても、会社にとっても、多くの貢献をスピードプラスの標語のもとに、ダイナミックに展開してきた。21世紀のものづくり、下請け型から提案型産業への展開、新しいビジネスモデルとして、まさにこれからという時に真に残念ではあるが遺志は十分に受け継いでいかねばならない。