雑感シリーズ (2010年5月号)

             関東学院大学 本間英夫
 
就職浪人
 昨年度大学新卒者の5人に1人は就職浪人となり、彼らはその後、どのような生活をしているのか、決して明るくはないはずである。我々の研究室の卒業生は幸いにもすべて100%就職が決まり巣立っていったが、ほかの研究室では決まらなかった学生がかなり多いようだ。
 ほとんどの大学では、先生方が学生に就職を世話するのではなく、学生自身がインターネットからエントリーしたり、大学の就職科の窓口で探すのが一般的である。情報化社会へのインフラが整ってきているので、いずれの企業もまずはパソコンを使ってインターネットを介してエントリーさせるようになってきている。リクナビと称するサイトにほとんどの企業が登録しているが、学生は企業の知名度から選んだり、また、実力以上の企業にエントリーする。
従って、有名企業には数千人の学生が殺到するという。また、これらの企業では第一関門として、エントリーした大学名で選出し、その後、インターネットを介して第1次試験の常識問題で、更に篩にかけられる。その後、やっと人事面接、次いで技術面接、役員面接と少なくとも2ヶ月くらい学生は拘束される事になる。
という事は、学生側に立つと、リスク回避から何社も同時に受験することになる。まず一次試験として、一般常識や性格テストが合否判定に大きく関わってくる。従って、一般常識が欠落している(私自身もそうだが)学生は、どこを受けても合格の判定は出ない。また性格テストでは、おそらく常識人が一番良い評価になると思うが、若い時は意外と性格が強く出るし、社会経験が少ない学生にとっては良い評価は得られないだろう。それ故、この種の試験で合格の判定を受ける学生は、どこを受験しても合格の判定になり、不合格の判定を受ける学生はどこを受けても不の判定が下ることになる。
 企業はその後、8月くらいから内内定の通知を出す事になるが、10月の就職解禁日に何れの企業も内定式を行うようだ。その時になって、大学と同じく歩留まりという表現が出てくる。一部の名の通った企業以外の多くの企業では、歩留まりが50%を大きく下回るらしい。そこで更に2次募集をするので就職試験時期は春と秋との2回の山、中には1月から3月ころまで持ち越され3つの山があるという。それゆえ内定すると学生を拘束するために企業は入社前の準備教育と称してレポートを提出させたり宿題を課している。それ故、その間は研究よりも此方を優先するので、これまた彼らの技術的な能力向上の大きな障害となる。
 先日、東京のビッグサイト近くのホテルで会合があるため出かけたが、何百人というリクルートスタイルの学生が、同じ手提げ袋を携えて、駅に向かっていた。手提げ袋に記された企業名から、ある証券会社の就職説明会があったのだろう。実際は、多くても百名足らずの採用枠のところに何千人もの学生が群がる事になる。有名企業は独自にこの種の説明会を数回開催し、多くの学生を集める。
 また中小の企業は合同説明会と称して、同じように数回開催している。従って、このようなリクルート活動に、連日学生は身を置く事になる。以前から何度も述べているが、4年生や大学院の修士二年生は、一番力をつけなければならない時期である。卒業研究、修士論文の作成のための研究や、自分の専門領域の勉学はそっちのけで、就職活動を続けている。これでは一番吸収力と技術力を上げる事の出来る大切な時期に、こんなばかげた時間を費やすのは国家的にも、各企業から見ても大きな損失である。
 何度も述べているが、企業の人事はこれまでの欠点だらけの採用方式を是正せねばならないことに早く気づいてもらいたいものだ。幸いなことにすでにいくつかの企業では、採用試験のこの種のITを駆使した方法から見直しがなされ、専門性のある領域では大学の偏差値ではなく研究室の力で評価する採用方式を取り入れるようになってきている。この手法はリスクが低く、いい人材を確保することができると気づき始めている。我々のように、学生に対して熱心に研究と教育を行ってきているものとしては、この種の見直しが企業で行われている事は大歓迎である。また、最近ではこんな言い方は嫌いなのだが社会の常識になっているので、あえてその言を借りれば、技術系特に理工学部では、一流大学はほぼ100%、2流では50%、3流では20%が大学院に進学している。企業側も能力の高い学生を採用と、大企業では大学院の修士課程修了者の採用が主になり、学卒は採用しなくなってきている。親にしてみると大学の4年間面倒を見てきたのに、さらに大学院までは面倒が見られないと、ほとんどの学生は貸与の奨学金、さらにはアルバイトで授業料や生活費を工面しているようであるが、それでは研究には集中できず中途半端になってしまう。今から10年以上前に自分の所属する化学科に奨学金の足しにと寄付したが先生方はそれを有効に使用する仕掛けを構築しようとはしてくれなかった。そこで6年前になるが神奈川文化賞を授賞した。その際に多くの企業からお祝いとの話があったがすべてお断りし大学に寄付していただくようにお願いした。副賞とあわせて3千万円近くになり、また我々の研究室の卒業生からも多額の寄付をいただき、トータルで5千万円近くになりそれを下に表面工学奨学金制度を大学に作っていただいた。この制度が出来てからは、毎年表面工学分野に進む大学院生4名に授業料相当額を負担できるので、少しでもアルバイトから解放され、研究に専念できる体制が構築されたのではと自負している。
基礎、応用、実用化
 学生と一緒に、これまで40年以上にわたって基礎、応用、実用化の研究を行ってきた。その成功例をいくつか紹介したいが、まず象徴的な例を次に紹介する。
 製品を生むためには、まずシーズをつかみ、その基礎的な研究、更にはその目的の性能を持ったものをつくる「応用」、そして大量生産体制をつくる「実用化」というステップを経る。応用から実用化の間には、資金調達や生産効率の改善など多くの課題がある。そこを乗り越えるのは非常に困難であり、デスバレー(死の谷)といわれる所以である。
 我々の大学は、50年以上前から自ら大学に工場を持ち、研究から実用化までを一貫して行ってきた。40年以上前から始まった代表的な技術が、プラスチックめっきで世界をリードしてきた。その後多くの経験と知識とあくなき情熱の下に、学生とともに研究が活発に行われ、実用化にいたる研究に着手してきた。これまでたくさんの例があるが、あらゆる研究を実用化する力の源には、若い頃の寝食を忘れて実験にある。
 30年前、中村先生が私のまとめた博士論文を見て「おい、これいけるぞ」と、即座に新しい工場を建てることになった。ビーカーでしか実験していなかったので、先生の思い切った判断にはひやひやしたが、その工場は一時70億円も稼ぐ製品を生み出した。その論文の中には現在研究所で進めているテーマのルーツが沢山あり、その後多くの実用化に繋がっている。エンジニアリングプラスチック上のめっき、セラミックス上のめっき、ガラス上のめっき、これらから派生した微細パターン形成、無電解複合めっき、など。
 また、ここでは15年前にある学生が出した失敗データから大きな成果につながった話を紹介したい。プラスチックめっきは、金属イオンが溶けた薬剤にプラスチックを沈めて行う。薬剤の働きで表面と金属イオンとの間で電子の受け渡しが起こり、金属が析出する。当時この薬剤に含まれていたホルマリンは人体に有害なため、その学生はホルマリンを使わないめっき技術を開発したいという。研究を始めて1年、「どうしても出来ませんテーマを変えたい」と進言してきた。そのときに持参したデータのなかに、細かい棘状になった銅がプラスチック表面に析出していた写真があった。
 その写真を見た瞬間「彼が目的としている研究には使えないが、金属と有機材料の密着性を上げるのには有効だ!」とひらめいた。
 パソコンの中に入っているCPUなど、超微細回路をつくるためには、当時のプラスチックめっき技術では密着性が不足していたため、そこに使えると考えた。すぐに特許を取り、実用化を進めたこの技術は、世界のCPU素材をセラミックスからプラスチックに変えるきっかけになった。このように産業を発展させる人材を育てる「コツ」を、学生にしばしば話すのだが「実験には失敗はない」「Do and see do not think too much」実験が思い切ってやれる環境を用意し、自由にやってもらうように仕向けている。得られた結果の中にはキラッと輝く現象が含まれており、これを見逃さないように、見つけ出すコツを伝授している。
 このように実用化のための技術と知恵を持つ人を育て続けてきた研究室として、すでに400名近くの学生が巣立っていった。本年は化学科創立50周年になる。我々の元で学んだ技術者たちの多くは、デスバレーを飛び越えて産業を発展させていると自負している。