雑感シリーズ (2月号)

関東学院大学 材料・表面工学研究センター 

山 下 嗣人

                   

表面技術協会第123回講演大会



表面技術協会第123回講演大会が2011年3月17~18日に関東学院大学金沢八景キャンパスで開催されることになりました。発表件数は過去の最高数に近い217件に達し、最先端の表面技術に関する5件のシンポジウム、テクノプレゼンティション1件、本学大学院生による最新の研究発表20件が含まれています。基礎から応用に至る最先端の情報を得ることができますので、ハイテクノ会員の方々には、ぜひともご参加下さいますようお願いいたします。本間先生と私(山下)が現役として、本学で開催できる最後の大会でもあります。実行委員の方々のご協力を得て、魅力ある大会になるよう委員長としての責務を果たす所存です。

本学での講演大会は第63回(1981年3月)、第99回(1999年3月:本間実行委員長)に続いて3回目となります。春の講演大会会場は機械振興会館などの公共施設を使用していましたが、大会収支がマイナスになったことから、会場として大学を使用することになり、最初の試みとして、第63回大会の会場に関東学院大学が選ばれました。大学紛争前のキャンパス内には「関東学院事業部」と称する実習工場が併設されており、「青化銅めっきの工業化(中村・斉藤先生)」、無電解めっきの「混成電位論(斉藤先生)」、「プラスチック上へのめっき(中村・斉藤・本間先生)」が世界に先駆けて提案・開発された歴史ある場所です。これらの実績と伝統から関東学院大学で行われたものと理解しています。技術講演セッションが設けられたことも初めてであり、「八景の夕べ」とネーミングした若手ミキサーも盛会でありました。

本学の存在は学会誌を通して全国的に知られることとなり、また、多数の研究者や技術者が来校したことで、大学にとって絶好のPRとなりました。本間先生と私はともに30代で雑務係りを担当しました。懇親会は海の見える磯子のプリンスホテルを会場とすること、大学から貸し切りバスを出すことなど、長老先生の無理難題に困惑しながらも誠実に対応したものです。

同一大学で3回も開催することは異例ですが、本学表面工学分野の研究が活発に行われ、その成果が高く評価されていることに他なりません。最近では、紫外線を用いて樹脂の最表面のみ改質して、めっき皮膜との密着性を高める画期的な前処理法を開発しています。この伝統を継続すべき、材料・表面工学研究センターを拠点として、新たな展開を図っていきたいと思います。



表面技術協会との関わり

 金属表面技術協会(現表面技術協会)第37回講演大会が私(山下)の学会デビューであり、初めて掲載された論文はVol.21で、40年も前のことである。「ニッケルめっき浴におけるハロゲンイオンの影響」と題した論文で、臭化物イオンのニッケルアノード溶出促進効果が塩化物イオンのそれと同等でありながら、電析ニッケルの内部応力を低下させることを見出した。これにより、電鋳用ニッケルめっき浴の成分として、臭化ニッケルが用いられるようになった。

 学会では先輩方の発表を聴講して、プレゼン方法、構成(ストーリー)、図表の効果的な説明などを学ぶことができた。研究論文の書き方は2~3報投稿することで習得できた。何回書いても、その経験を活かすことができない昨今の学生気質は理解し難い。意識の欠如、向上心や責任感が足りないのである。「本を読まない」ことも一因と思われる。  

最近の若者は「外に目を向けない」と言われて久しいが、私の助手時代は、「他流試合(学会で発表)」を積極的に実践したものです。公務員として、研究成果を公表して批判を受けることは当然のことでした。

 金属表面技術誌の編集委員になったのは、関東学院大学に勤務し始めた1979年である。投稿者の論文を査読することにより、起承転結、論旨、表現方法などを改めて勉強したものです。何よりも委員の方々と出会い、特集号の企画や編集業務を対等の立場で論議できたことは極めて有意義で、月一回の会議が待ち遠しかった。その後、編集主査として、編集の調整、原稿の最終チェツク、却下論文に対する取り扱いなどの経験を積んで、編集委員長となった。本誌は協会の顔であり、会員の方々との情報交換や重要な接点の場でもある。各委員の貴重な意見をお聞ききした上で、総合的に判断することの大切さを学ばせていただいた。

 事業委員長、セミナー企画委員長、会計理事、部会代表幹事などを務め、現在は関東支部長をお引き受けし、本年二月で二年間の任期を終えようとしている。第123回大会実行委員長を全うすることにより、長年お世話になった表面技術協会に少しでもご恩返しができるものと思っている。

関東学院大学 材料・表面工学研究センター

本間 英夫

昨年は、人生の中で一番精神的な苦難と試練の年であった。そのとき「サーバント・リーダーシップ」という言葉に遭遇した。これは、68歳になって初めて接した言葉であるが、本学の校訓である「人になれ奉仕せよ」の実践版であった。まさに、このコンセプトこそ閉塞感にさいなまれている日本の産業界のパラダイムシフトであり、大げさな言い方になるかもしれないが、社会貢献をベースにした豊かに生きる『解』だと、晴れやかな気持ちになった。                これまで大学の校訓を意識してきたが、このサーバント・リーダーシップについて、インターネットで検索していくうちに、これこそ21世紀の新しい時代のリーダーシップのアプローチだと、皆様に紹介したくなった。

最近多くの企業ではリーダーが目的を達成するために、上からの強圧的なパワハラに近い命令で、中には現代版蟹工船とまで揶揄されるような生産性のみを追求し、従業員は単に生活の糧を得るための仕事で、日々の仕事に充実感はなく閉塞状態に陥っている状態が多く見受けられるようになってきている。               この「サーバント・リーダーシップ」は、これまでの大量生産、大量消費型で通用してきた支配型のリーダーシップスタイルとは異なり、21世紀の新しいリーダーシップへの転換である。「サーバント・リーダーシップ」の提唱者であるロバート・K・グリーンリーフをインターネットで検索してみたので、簡単に紹介してみたい。       父親は、地域社会でさまざまな貢献をし、謙虚でとても正直な人であり、本人にとってサーバント・リーダーのモデルでもあった。

ロバート・グリーンリーフはその後、当時世界で最大規模の通信会社AT&Tに就職し、マネジメントの研究や開発、教育の任にあたっている。退職前にはマサチューセッツ工科大学やハーバード・ビジネス・スクールを初め、そのほか幾つかの大学の講義を担当し、AT&Tを早期退職後、教育コンサルタントとして第2の人生を歩み始め、応用倫理研究センターを1964年に創設している。

リーダーシップの研究を通して『サーバント・リーダー』という言葉を生み出し、66歳の1970年には『リーダーとしてのサーバント』というタイトルでエッセイを発表し、米国におけるサーバント・リーダーシップの認知度を上げ、1990年に亡くなるまで執筆活動を続けた。

サーバント・リーダーシップの著書のなかで、真のリーダーは皆に信頼され、まず人々に奉仕することが先決であると述べている。今日サーバント・リーダーシップを推進するグリーンリーフセンターの本部はインディアナポリスにあり、現在11ヶ国で活動するロバート・グリーンリーフの書籍は数十ヶ国語に翻訳されており、マネジメントと組織、道徳的権限、ビジネスの直感、意思決定一致、他のトピックなどへのアイデアは、今でも世界的に高い評価を受けている。ロバート・グリーンリーフの考え方はピーター・ドラッカーからも「私が出逢った中で最も賢い人」と称賛されている。

サーバント・リーダーはまずサーバントである。それは生まれながらに持つ奉仕したい感情であり、奉仕が第一である。 人は仕事のために存在すると同様に、仕事は人のために存在する。夢を持たなければ何も起こらない。何か偉大なことがおきるには、そこに夢がなければならない。偉大なことの背景には、偉大な夢をもった夢見る人がいる。夢見る人より、それを夢に終わらせず実際に起こすことも必要だが、まず夢ありきであると説いている。

以上の引用のように、サーバントとは、召使いという意味ではなく「仕える者、奉仕する者」という意味で、利他(自分を犠牲にしても他人の利益を図る)の心が根底にあり、相手に奉仕する。このコンセプトがまさに、21世紀のリーダーの資質になる。皆が明確なビジョンと奉仕の心を持ち、お互いの知恵が最大限に引き出すことができたなら、その企業はおおきく発展するであろう。

これまでの上からの命令によるリーダーシップより、はるかに生産性は向上してくるであろうし、技術開発では自由な発想のもとに、ゆとりと充実感から、仕事が楽しく、いつも言っている幸運な発見にも遭遇しやすくなるであろう。
 米国では、スターバックス、サウスウエスト航空、フェデラルエクスプレス、ウォルマート、TDIなど優れた企業がサーバント・リーダーシップを企業活動の基本理念とし、サーバント・リーダーシップを社員が実践して成果をあげていると言う。社員は真にリーダーと思える人についていこうとし、そのリーダーの元では目標の実現に向けて本気で頑張るものだ。 近年の成功企業の多くはサーバントリーダーに率いられているのは、当然のことであろう。