関東学院大学材料・表面工学研究所
本間英夫
 
上級表面処理講座半世紀
現在10月から開始される第45回目の上級講座の募集が行われている。小生は初回の講座が始まった当時は大学院の2年生で、中村先生から書記を務めるように伝えられた。毎週木曜日午前10時から3時間の講義、その後一時間の休憩をはさんで、さらに5時まで講義が行われ。今思い起こしてみると初回から表面処理の当時権威の先生方が講義にあたられ一年間で修了する講座としては大学院レベルの充実したカリキュラムであった
中村先生が当時の何人かの先生方やJAMF幹事役を務めておられた企業役員の了解のもと、殆どは中村先生のアイデアでカリキュラムが作成されたのであろう。 しかも初回の講座から現在ではいろんな大学で採用されてきている視聴覚教育が導入され素晴らしい環境の中で講義が行われた。すでにこの講座を受講された方々は1900名を越え経営のトップ、中堅技術者の殆どがこの講座を修了している。
初回の講座では毎週講義終了後、派遣企業の経営者に講義内容を報告するのが小生の役割であった。したがって大学での講義以上に中身が濃く1年間で表面処理関連の技術を習得できた。第2回目の講座から分析化学、特に機器分析を担当するように言われ表面処理に必要な領域を中心に講義をさせていただいた。その後、自分が専門としてきた領域を講義するようにとの要請のもとに無電解めっきやプラめっきの講義をするようになってきた。現在は大学や産業界から多く専門家に講師をお願いし、世代交替が進められ、満足いただけるよう企画されている。
7月の下旬、関西から九州の企業を訪問してきたが、ある企業で、今から40年以上も前に小生がしたためた上級講座のテキストが従業員の社内教育用に今も使っていると聞き、当時自分がどのようなテキストを作成していたか確認させていただいた。プラめっきの前処理に関する基礎的な内容で企業における基礎教育の重要性を再確認させていただいた。
というわけで小生がこの講座には初回からかかわってきたのであるが、本年3月に大学を完全退職になり、これからは少し違った角度から余生を楽しもうと思っていた。しかしながら、なかなか自分の思ったようには進まないものである。大学では研究所を構築してきた責任があるので、本学の産学協同の伝統を守るとともに、大学の知を活用する研究所としての基礎を築かねばならず、もうしばらく注力せねばならない。また完全退職で大学での講義が無くなり学生や研究生、スタッフとの研究だけに注力することになったので時間的に余裕が出てきたと思っていたが、全く逆で毎日忙しく休む暇がない。 そこで今月号ではハイテクノで長きにわたりプリント基板の基礎から応用に関して講義をしていただいている高木さんに寄稿していただくことにした。
プリント配線板よりモノづくり
高木 清
この欄には初めて書かせて頂きます。初めに筆者の自己紹介をさせて頂き、その後、長い間関係しました電子機器の実装、プリント配線板との関わりなどについて、書かせて頂くことにしました。
略歴
筆者は1955年に大学卒業後、富士通信機製造株式会社に入社、ここで、いわゆる電子材料に出会いました、当時は「電子材料」という言葉は無く、電気材料の一つでした、幾つかの材料、処理法などの開発に携わりました。ここで、タンタル電解コンデンサ、アルミニューム電解コンデンサの開発、前者では、溶液型、固体型両者につての開発、次に、静電記録紙の開発、ここでは、複写をしたいということで、実験は4層程度のコピーが出来ましたが、実用化は2層でした。しかし、その後、電子写真の発達で製品化は中止しました。その間に、めっきの開発で、通信機器部品のめっき、メモリー金属にエッチング、プリント配線板用のめっきスルーホールの銅めっきなど、今後の開発の関係するめっきの開発を行いました。
プリント配線板の開発、ゼロよりの出発
めっきを担当項目にめっきスルーホールプリント配線板があり、その関係でコンピュータ用の多層プリント配線板の開発に携わることになりました。1965年当時で、能動部品が真空管、トランジスタよりICに変わる頃で、富士通としては、ICコンピュータの国産化に着手し、当然、多層プリント配線板を必要として時期でした。 1967年頃に、プリント板部となり、多層プリント配線板の製造に乗り出しました。 多層プリント配線板の製造にあたり、社内では装置関連の技術者とプロセスに関し片面プリント配線板の生産技術、積層、めっきの技術はありましたが、全体のプロセス構築は文献に有る程度で、手探りで始めました。当然、マニュアル類は作って進めましたが、当初は不良の山を築いたものです。生産量の急増の中で、歩留まり改善には現場を中心に技術者、技能者一体となり進めたものです。この時感じたことは技術者だけでは不良率は約2%まで、技能者との協力で0.5%とすることが出来るということでした。 この多層プリント配線板の開発の過程で感じた事は、何事もゼロより始めた、マニュアルは書いた時に内容は停止するが、実際には常に進んでいる、現場よりの情報が最も重要である、と言う当たり前の事ですが、今日この当たり前が身に付いていないように思われます。
韓国、台湾、中国と日本のモノづくり
最近の技術の流れを考えてみます。東南アジアの急速な発展を見ていますが、米国で習得した技術者が台湾、中国に多くなりました。 米国の技術者と技能者の関係は融合しておらず、技術者はマニュアルを作り、技能者はそれに従って物づくりをするという関係は現在でも大きな変化はないと思います。したがって、検査仕様書はしっかりとしており、選別が中心となります。この流れが台湾、中国の染みついているように思います。とにかく、大学出身者はエリートで現場に行かないことは定評があります。そこには細かい改善はほとんどないと考えられます。最近の研究論文の発表を見ますと、韓国、台湾、中国よりのものが非常に増えています。しかし、研究が、現場に行かされているとは思えないことが多いように感じます。 半導体デバイス、液晶ディスプレイが大量生産されていますが、これらは、装置が非常によく、自動化され、また、材料も高純度のものが使われています。極端にいえば、装置を並べ、条件を設定すればどこでも同じものが出来る状態になると考えられます。いわゆるターンキービジネスです。 これに較べ、層プリント配線板の製造では装置にそれほど高価なものを使うことが出来ず、材料も日々変化するものです。これを人間の技能により品質を維持しているのが現状です。したがって、装置、材料とともに人の掛かり合いも重要な要因になります。電子機器の実装の中で、プリント配線板は重要なものであり、実装が電子機器の信頼性を決めると言っても過言ではありません。 韓国は少し日本に近いと思われますが、やはり大学卒はエリート意識を出していることはよく聞くことです。 日本では前記のように、技術者のエリート意識はまだ薄く、技能者と一体になって現場を中心に開発を進める事が特長といえます。心配なところもありますが、この関係が崩れないことが日本のモノづくりを発展させる源動力となるものと思います。
ハードとソフト、アップルについての考察
最近、ソフトの重要性ばかり言われていますが、ソフトだけでは電子機器は動きません。身近でなところで、ハードとソフトを一体で行っている会社としてインテルやアップルがあります。マイクロソフト、グーグルなどはソフト一辺倒です。どちらがよいのでしょうか。 昨年、ジョブズが亡くなりましたアップルはソフト、ハードを一体で運営している会社で、今日の成功はジョブズの卓越した商品構成力にありますが、同時に、両者をいったい運営しているためと思っています。アップルについて多くの見方は、ハードは設計のみで、後は、EMSに注文する、ファブレスということです。しかし、これだけの商品を設計だけで作らせられるとは思えません。秘密主義のアップル社の内部は分かりませんが、社内に、少なくても10萬台程度の生産ラインを持っていると推察しています。多分、半導体のCPUの試作ラインも持っていると思います。この製造ラインを持つことにより、製品設計、部品調達、生産技術、品質管理についてのエキスパートを養成し、量産における外注についての指導、監督が出来るというものです
これからの技術者
ソフトハードの両面を理解し、じぶんの狭い専門にこもる事なしに、異分野も含め広い視野で考え、現場を重視し、常に改善、進歩を心がけ、自分で考える力を蓄えることが大切と思います。また、多くの方が賛同する一方的な見方でなく、それを裏空見る、下から逆に見る、発想を変えて検討することが必要になるのではないでしょうか。