雑感シリーズ

関東学院大学材料・表面工学研究所
山田忠昭
日本を再活性すべく自民党政権に代わってからアベノミックスを打ち出し、明るい兆しが見えて来た様に思えます。しかしながら、負の二十年間と揶揄される様に、この間、国際的競争力、技術力、教育力が低下し、格差が広がりつつあるのが現状です。特に、弱電企業を中心に早期退職、若い人達の就職難で現状はこれまでの就職氷河期よりも厳しい状況です。したがって、鬱社会になりつつあります。そこで、本号では研究所のスタッフに声をかけまして、以前、雑感シリーズを執筆いただいた山田さんに自分の人生を振り返ってもらいました。(本間)
悩んでいるあなたへ
我が家から5分程急坂を下ると江ノ電の七里ヶ浜駅があります。踏切を越すとすぐに相模湾が見えます。私は広々とした相模湾を見ているのが好きで、ときどき、稲村ヶ崎に続く遊歩道脇の椅子に腰掛けてぼんやりと海辺に押し寄せる波を見ています。
思えば、半世紀前、浪人生のときにも隣町の逗子浪子不動前の岩場に腰掛けて一日中波を見つめていました。波は、地球に海というものができてからこれまで、一時も休まず、岩に打ちつけては、砕け散り、また、押し寄せているのでしょう。
柔らかな日差しに包まれて、私はぼんやりと海を見ながら「幸せとは何だろう・・時間とは何だろう・・宇宙の果てはあるのかな・・」などを考え一日を過ごしました。
浪人生なのに勉強もしないで、海を見つめていた私が、半世紀後の今日に辿り着くまでのことを思い返すと、人生は本当に偶然の巡り合わせで成り立っていることが判ります。
人生を振り返ると
これまでの人生を振り返るとき、まずはじめに、私を生み育ててくれた父母に対して、こんなにすばらしい人生を与えてくれたことに感謝します。
現代では核家族時代ですのでおじいさんやおばあさんと一緒に生活することが少なくなりましたが、私の育った家には九十五歳まで生きたしっかりものの祖母がおりました。家は貧乏でも三人の息子は全て東大を卒業しました。
そんな祖母から子供の頃よく聞いた話は「お天道様と飯の粒はついてまわる」と言い聞かされて育ったものです。人は生きるだけならどんなことをしてでも生きていけます。その精神さえあれば、どんなに落ち込んでも、「なるようになるさ」と気楽に構えていられます。
また、親父からもらった言葉で思い出すのは「GRASP」です。言い変えれば、小事にこだわらず、大局を見て行動しろということをいいたかったのでしょう。 私の支えになった言葉は「意志あるところに道あり」です。この言葉を支えに三年間浪人生活を過ごしました。自分で何かをしようと思わなければ、何も始まらないことも実感しました。
浪人生時代は精神的にも苦しいことが多かったのですが、特に、受験勉強で無理を重ねて肺炎になりました。そのときはビックリするほどの熱を出し、死の間際まで行き、幽体離脱まで体験しました。そして、治るまで六ヶ月を要しました。
しかし、世の中はうまくできているもので、捨てる神があれば、救う神もあります。三浪後、私を面接してくれた金属工学科を創設された三原教授が、「君は本当に国語ができないね」と言っていたように合格点は取れていなかったのでしょうが、三浪している私を哀れみ大学に入れてくれた人情のある時代だったことが思い出されます。
学校を出た昭和四十四年に神戸のある会社の研究所に入社しましたが、四十七年に無理を言って神戸から逗子に帰ってきました。そのとき、研究所長から頂いた色紙に「誠意と努力」という言葉が書かれておりました。この言葉は現在も大切にしている言葉で、全て、誠意を持って事にあたり、自己研鑽する努力を怠るなという戒めです。
会社人生で遭遇したピンチは幾つもありますが、その中でも、絶望の淵に立ち、会社も捨てて新聞配達でもしようかと悩んだ時期がありました。そんなとき、私に声を掛けていただいた先輩がおりました。その先輩は「山田さん、私はあなたに何もしてあげられません。しかし、話だけは聞きますよ。」といってくれました。本当に、絶望している人間にとってなんと優しい響きだったでしょうか!奇跡的にその場を切り抜けることができましたが、あの一言がなかったなら、私の人生はどうなっていたでしょうか?また、妻の支えがなければ現在の私は存在していないでしょう。
また、出向時代には、たまたま江ノ電で通勤中、出向元の会社の重役と乗り合わせました。その時、「どうかね?」と声を掛けられ、実情をいったところ、「人事に相談しておくよ」と言っていただきました。そして、身も心もボロボロになっていた私を別の会社に移してくれたのです。正に神はこの世にいると思える出来事でした。
最近では、十三年勤めた会社を退職し、ブラブラと十一ヶ月を過ごしました。私は趣味も多く持っておりますので、退社当初は時間の拘束も無く最高と思っていました。しかし、だんだん張り合いのないものになってきました。そんな折、たまたま、友達に会いに行ったことがきっかけで、友達が私を本間先生に会わせてくれました。これもまったくの偶然の出来事です。また、私を拾い上げてくれた先生に感謝いたします。やはり、人は働くことに喜びを感じるものなのです。 そして、去年、弓道仲間の忘年会で話題になったのがサムウエル・ウルマンの詩歌「青春とは、心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たなる活動を続ける限り、青春は永遠に、その人のものである」(松下幸之助訳)です。この言葉は弓道仲間全員が大切にしており、私もこの言葉に励まされたいと思っております。
ほんの一瞬の人生
さて、海を見ていると考えさせられることがあります。それは、人間はいかに小さなものかと言うことです。人は生きても高々百年程度です。それに引き換え地球は四十六億年も経っており、その地球さえも宇宙と比較すれば、ちっぽけなものです。その地球に住む人間は本当に小さな生き物で、ほんの一瞬地球に存在するだけなのです。
ですから、ほんの一瞬命をいただき、そして、瞬く間に消えていく身なのですから、悩む必要なんかないし、悩んでいる時間もないのではないでしょうか? ですから、生きている時にこそ、自分を磨き、少しでも他人の役に立てれば素晴らしい人生を送ったことになると思います。
事がうまく運ばない時
目標を立てて邁進しても、万事がうまく運ばないのが世の常でしょう。 事がうまく運ばなかった時の救いの言葉は「人生万事塞翁が馬」です。たとえ、あなたに不運が襲ってきても、それは次の幸運のための準備と思ってください。経験したことは全て役に立ちます。無駄な経験なんてなに一つないと思います。
幸せになるために
そして、あなたが確実に幸せになれる方法を伝授いたします。
私は半世紀前に座禅に集中し、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石などが参禅した鎌倉円学寺の居士林で座り続け、「人の幸せとはなにか?」を考え続けました。そして、たどり着いたのが、「吾唯足るを知る」という言葉でした。
普段、働いているとき、人は健康であることを当たり前のことと思いがちです。ところが、一旦、健康を害すると、健康になるのであればなんでもしたいと思います。
わたしの先輩であり、釣友達の方が五十五歳で肺がんになり一年の闘病生活後、亡くなりました。小田原の病院にお見舞いに行ったとき、その方は「山田よ!健康だけは注意しろ」といった言葉が今も思い返されます。たとえ、お金がない、会社で充分な待遇を受けていないと感じても、「上を見ればきりが無いし、また、下を見ても切りがない」のです。今、生きていることに感謝しましょう。
一生一度、自分流に
かといって、現状に甘んじていては人間として進歩がありません。人は一生懸命、自分の才能に応じた目標を立て、それに邁進していく過程が、生きるということではないかと思います。
さて、あなたはどのような目標を立てて日々を過ごしていますでしょうか?,br> なにせどんな状況でも怖くないことをこれまでに述べました。すなわち、「お天道様と飯の粒はついてまわる」のですから、自分に忠実に、生きてみてください。そして、自分が幸せであると思うには「吾唯足るを知る」ことを心に浮かべれば、幸せはやってきます。どうか、一生一度の人生ですから、思いのままに生きてみてください。
趣味で友達作り
また、私流に一言付け加えれば、仕事以外にも趣味を持って幅広い人間になって欲しいとも思っております。
特に、定年後の人生を豊かにするのは趣味を持つことです。趣味のない人は、会社の定年を迎えると、暇になり、それから、「では趣味でも持つか?」と囲碁に取組んだりしますが、囲碁で言えば、勝負事ですから負けてばかりいるとつまらなくなって挫折するのをよくみます。ですから、若い時から、人より優れた趣味を持っていると生き生きとした人生が送れる気がいたします。
幸い私は妻にも恵まれ、巡りあった多くの方々に助けられながら、最高の人生を送ってきたと思っております。
あなたも一生一度しか生きられない人生です。悔いのない人生を過ごしてください。