雑感シリーズ

関東学院大学材料・表面工学研究所
本間英夫
はじめに
カリフォルニアアーバイン校(UCI)との共同研究がスタートして約一年が経過した。研究を進めるにあたり当初から二人の技術者を派遣することにした。一人は、当時大学院博士前期課程二年生の堀内君、もう一人は後期課程を経てドクターを取得し、照明器具や水晶振動子の部品製造メーカに就職した井上君が志願してくれた。 彼らがUCIで研究を始めてほぼ一年になるので、井上君にアメリカでの生活状況を中心にこの一年を振り返ってもらった。原文をほぼ無修正で掲載した。
運命的な選択
私が本間先生の元に配属されたのは2003年の2月のことだったと記憶しております。当時は学生の間では『本間先生の研究室は厳しい上に、成績優秀者しか入れない』との噂がありました。私は学部生時代の成績が非常に優秀?(87人中86位)でしたので、私のようなダメ学生にも非常に丁寧に御指導下さっていた藤波先生の研究室を第一希望にしようと考えておりました。
しかしながら、最後の最後で「最後の一年くらい勉強しよう。駄目で元々」と研究室配属希望用紙を提出する箱の横で、第一希望を本間研究室に書き直しいたしました。結局、ダメで元々が通るわけですが、それがはたして本間先生や後々関わる皆様にとって良いことであったのか?については少々疑問が残る次第ではございます…。が、少なくとも私にとっては、人生の大きな転換点であったと思います。それからちょうど10年を迎える区切りの年に、このように雑感シリーズの原稿を書かせていただくことになるとは当時は思ってもおりませんでした。普段、書き慣れず稚拙な文章かとは思いますが、少々お付き合いいただければと思います。
初めての会社訪問
まず、私と先生の思い出を語る上で、外せないのが私の遅刻癖でしょうか。こちらの癖に関しては、その後も度々、先生にご迷惑をお掛けすることになります。そんな厄介な遅刻癖ですが、先生との初めての会社訪問においても見事に発揮されることになります。 当時、大学院一年生の四月であった私は、先生と博士課程に在籍中の先輩、配属されたばかりの4年生の後輩とで新木場の近くにあっためっき薬品メーカを訪ねる予定でありました。 前日から先輩方にプレッシャーを掛けられ緊張していた私は、待ち合わせの2時間以上前に起き、30分ほどで準備を済ませました。待ち合わせの場所までは30分程度、どうやっても遅刻のしようがありません。しかしながら、その安心が逆にそれが良くなかったのでしょう。コーヒーなど飲みながらゆっくりと新聞を読んでいて、ふと気づくと待ち合わせ時間が迫っており、先輩方の予想のとおり見事に遅刻してしまいました。 さらに、今となれば考えられないことなのですが、当時の私は遅刻した照れ隠しから謝るどころか、何を思ったのか第一声で冗談を言いながら戯けてしまいました。その時、一緒に出掛けた先輩にのちに聞いた話ですと、先生は激怒されていたようです。しかしながら、普段先生は大きな声で学生や他の先生方、会社からいらっしゃった方々に声を掛けるのですが、本当に怒ると逆に怒鳴ることなく静かに怒りを身の中に沈めます。ですが、もちろん当時の私はそんな先生の変化に気付くはずもなく、終日いつもの調子で過ごし、私の先生との初めてのお出掛けは先生に散々な印象を持たせる最悪の形で終わりました。
アメリカ派遣の契機
私の大学院生活は最悪の形でスタートを切った訳ですが、その後は本間先生や諸先輩・後輩方、各企業の方々の助けのお陰で、なんとか卒業することができ、さらには本間先生と弊社社長のお陰で博士号の学位まで取らせていただく機会に恵まれました。ちなみに、私が博士課程に進学するにあたって先生からは「お前をいま社会に出すのは忍びないから、あと3年留年な」と激励(?)の言葉をいただきました(笑)
まあ、とにかく思い返しても出来の悪い学生であったのだと思います。卒業後は会社に戻り、なんとかかんとか業務をこなしておりましたが、帰社後4年目の昨年6月に材料表面工学研究所とカルフォルニア州立大学アーバイン校(以降、UCI)との提携に伴い、現地に派遣する技術スタッフの一人として出向することとなりました。
いざアメリカへ
さて昨年の6月より始まったアメリカ滞在ですが、いかんせん土地勘もなく右も左も分かりません。なによりも英検4級しか持っていない程度の英語力しかありませんから、住宅、UCIへの受け入れ登録などの諸手配が終了し、自分ともう一人の関東学院から同じように派遣された大学院生だけ残して、先生方が帰国してしまった後は非常に不安でしょうがありませんでした。
しかしながら、実際にUCI側の教授、スタッフ、学生達と会話をしてみると、全員が留学生慣れをしているせいか、優しい言葉でゆっくりと何度でも違う表現で分かるまで言い直してくれるので、思っていた以上にコミュニケーションを取ることは可能でした。その点では一緒に派遣されてきた本学の大学院生と胸をなで下ろしました。
アメリカ滞在記:ロケーション
私が滞在ずるUCIはカリフォルニア州アーバイン市にあり、この辺り一帯はオレンジカウンティ郡(OC)と呼ばれ、全米でも非常に治安の良い街として知られております。気温は温暖で、冬も日中はジャケットを羽織る程度で出歩けます。街自体も1970年代から開発の始まった地域であり、非常に計画的に整備された街並みとなっております。自動車で20分ほど走るとビーチに出られ、今の時期はホエールウォッチングを楽しむことも可能です。ロサンゼルスやサンディエゴなどの大都市までも1時間ちょっとの距離にあります。
人口比率に関しては、UCIの生徒は5割弱がアジア系(特に中国・韓国系)が多く、続いて白人系が3割程度、アラブ系、スパニッシュ系と続き、黒人系は1割以下でしょうか。街自体の人口比率もそれに続くように4割程度はアジア系の人々で占められます。したがって、アジア系・日系スーパーも多く、日本人が生活するには非常に良い環境ではないかと思います。
アメリカの人々
こちらに来て色々と不安もありましたが、UCIのスタッフや学生の方たちと出会って、その不安が多少なりとも和らぎました。こちらのスタッフや特に学生たちと会ってみて強く感じたのは、新しい知識への欲求や興味が非常に強いこと。初めて出会った学生やスタッフに対して自己紹介をすると、必ず私の持っている技術に対して質問され、疑問があると必ず質問してきます。それはもしかしたら、自分の仕事に対して何かヒントにならないだろうか、どうやったら応用が出来るのかを常に考えているせいかもしれません。 またUCIや市街の店など問わず、非常に前向きな人が多く、こちらから何か頼み事をした際にも誰一人として否定的なことは言わず「of course」や、こちらが申し訳なさそうにしていると「No problem」と笑い掛けてきます。日本で生活していて頼まれごとをすると、どうしても“面倒くさい”や“意味ない”と言う気持ちが先立つのか、非常に嫌そうな顔をする人々が多い中、こちらのそう言った受け答えはお互いのモチベーションを上げるうえで非常に好ましい雰囲気だと思います。
こちらにきて、現地のアメリカ人と話していると、日本から見たアメリカ像と全く違う印象を受けることが多々あります。日本で考えられているアメリカとまるっきり反対のこともあります。根っこのところは同じ人間で、日本人と変わらないと感じる部分も多々あります。
上述した話と多少齟齬が出ますが、会議をしていても、やはり最初は皆発言して間違うのが怖く誰も手を上げないことが多々あるようです。ただ、それを直して少しずつでも発言していくような教育、練習をする。例えばUCIの院生のTeaching assistantは学部生数人のグループをそれぞれが受け持ち、実験や実技の翌週にグループ内でディスカッションを行うようです。そうした授業を行うことで、学部生は意見を出すこと、大学院生は意見の引き出し方や取りまとめ方を学んで行くのだと思います。
気質の違い
こちらに来て生活をしてみて、まだ一年未満ではありますが、前項のようにアメリカは素晴らしいと感じる反面、日本の方が素晴らしいと感じることも多々あります。仕事に対する考え方も違うようで、それぞれが個人の仕事が決まっていて、その領分以上の仕事は一切興味がないことが多い。仕事のルールで決まっていることは一切融通をきかさない。そのくせ、自分の領分内の仕事では日本以上に気を効かせてくれる。その背景には月並みな表現ですが「個人の仕事の裁量内は、当人が責任をすべて持つ」という考え方があるのかと思います。 例えば、友人のアパートメントには1ヶ月に一度、管理会社の人間が室内の見回りに来るそうです。室内が土足禁止だと伝えても「ルールで決まっているから」と決して靴を脱がない。スリッパもダメ。靴の上から袋を被せるように頼んでもダメ。その代わり、気を使ってゆっくりと静かに室内を歩くそうです。
UCIの学生やスタッフでもその傾向が強く、自分の仕事や研究に対しては一生懸命行うが、他人の仕事や研究に関してはあまり興味がない。前項で書いたような質問も、あくまで自分の研究に対して、自分が知識を得るために、という意味合いが強い気がします。
それに対して、日本の良いところは、横の情報共有をしようとするところ。ある程度、集団ですすめて行こうとするところではないかと思います。一人が抜けても、ある程度周りの人間がフォローできる。裁量の境界線が曖昧で、ある程度融通を効かせられる。逆にそれが悪く働くと、会議するのが仕事。誰も責任を取らない。などと、日本の会社について批判されることになるのですが…。
ある会社では、ワールドスタンダードだ!と、すべて欧米に合わせようと社内の共通語はすべて英語にするなどと頑張っている会社もあるようですが、必ずしも欧米が日本より優れているという図式が成り立つわけではなく、それぞれに良いところがあるのではないかと思います。
古くから日本人は、外から入ってきたモノを全否定せず、日本人用にカスタマイズして自分たちの文化に取り入れ運用してきました。それは言葉に始まり、宗教、芸術、技術、風習に至るまで、ありとあらゆる分野で行われてきました。その寛容さと柔軟性が日本人の良いところであり、強みだと思います。ただ、最近は日本人の悪い癖である「他人の顔の色を伺う。」が出すぎて、海外の顔色を伺いすぎ、変に揃えようとして、本来持っているはずの柔軟性を失っているのでは無いかと思います。日本の携帯電話がガラパゴスと揶揄されていましたが、ガラパゴスでも良いのではないでしょうか?だって、それでも当時の日本の携帯は世界一の性能だったでしょう。
もちろん、欧米の良いところを見習うことは大切なことであるとは思います。しかしながら、だからと言って無条件にすべて欧米に右にならうという事とはイコールでは無いのではないでしょうか。もうちょっと自信を持って、日本の良いところも見てあげる。見落とさないように気を付けていくことも大切なのではないでしょうか。
日本って、思っていたい以上に良い国だと思います。
以上ほとんど原文のまま掲載したが井上君はUCIに行く前は、殆ど英語での会話が出来なかった。しかし、この10カ月位の間で相手の意図していることがなんとなくつかめるようになってきたという。また、英語で相手と話しする際も怖気ないで自分の語彙力の中で答えるようになってきており大きな進歩である。なお本人の学部での成績は極めて劣悪であったようだが、私は成績で学生を選ぶのではなく本人のやる気で選んできている。