関東学院大学 材料・表面工学研究所

顧問 佐藤祐一

めっき道場orめっき塾

去る5月22日,関東学院大学材料・表面工学研究所で定例の研究発表会が開催され,私も終日聴講させていただいた.今,同研究所には各企業や他大学からのエースが派遣され,大学院ドクターコース,マスターコースの学生として,あるいは研修生として20数人が滞在中である.なんと80歳を超えた方もドクターコースにいらっしゃる.むろん,本家の関東学院からの学生さんも一緒である.毎月,各人が行ってきた研究成果がここで発表される.一人あたりの持ち時間は発表15分,質問5分の予定であるが,30分くらいになる.各自の発表のあと,本間先生,高井先生からは厳しい質問や彼らを勇気づける激励のコメント,今後の研究の方向性が示される.発表内容のストーリーの作り方,パワーポイントによるデータや図表の表示方法,発表のやり方,言葉遣い,質問に対する答え方etc. の指導がなされるのはもちろんである.学生諸君は新しいデータを出そうと日々真剣に研究に取り組んでおり,また,各人は自分のこともさることながら年齢差や入所後の時間の長短によって個人差があるようであるが,他人の研究内容も理解しようと努力していることが,発表時のメモの取り方等からもうかがわれた.朝10時から,午後4時半ころまで,20名近い人たちの密度の濃い内容の発表が行われた.私はこれらの発表を聞きながら,“めっき道場”という言葉を思いついた.江戸時代から幕末にかけ,江戸には有名な千葉道場をはじめとする多くの剣道の道場があった.そこでは,各藩の若い藩士たちが剣道の腕をあげるべく必死に稽古に励んだ.私の好きな佐伯泰英の小説,“居眠り磐音江戸草紙”シリーズ等にはそのような道場の雰囲気が良く描写されている.また,江戸時代末期の吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾を思い出した.よく知られているように前者からは久坂玄瑞,高杉晋作,伊藤博文,山県有朋,前原一誠等明治維新を起こすべく活躍した,あるいはその後の日本の総理大臣等となった多くの人材が,後者からは大鳥圭介,大村益次郎,高峰譲吉,福沢諭吉等近代日本を作った多くの人材が輩出した.

さて,めっき道場である.道場主あるいは師範が本間先生,副が高井先生,師範代は梅田さん,田代さん,クリスさん, 盧さんという一騎当千の面々である.厳しくも和気あいあいの雰囲気の中で半年,1年と過ごすうちに皆,みるみる実力と自信をつけていくようである.私が何よりも素晴らしいと評価するのはコンピティターである企業間の壁を取り払って,そこで得られた世界最先端の知識が共有されることである.これがわが国のめっき,表面処理技術のレベルアップにどれほど寄与していることか.ここまで持ってくるのに本間先生がどれだけご苦心なされたことだろうと思いやられる.むろん,各企業のトップシークレットは派遣された各人の責任において守られているはずであるが,研究成果内容はほとんどメンバーに開示されている.これを自社の技術として咀嚼し新製品に取り入れていけるかどうかは,各人それぞれの腕であり,所属会社の社長以下上司の器量,判断によるのは言うまでもない.技術の進歩は著しく,極秘と思われた内容もいずれ陳腐化していく.稼ぐに追いつく貧乏なし,競争相手をしのぐ新技術が次々開発されて行けば理想的であろうが,これが困難なため極端な秘密主義に走るのであろう.今,わが国の産業界は機密保持に躍起となり,業績主義と相まって各社間,あるいは社員同士間の壁が作られ閉鎖的な雰囲気が蔓延しているのではあるまいか.私の思い込みでなければ幸いである.私の関連する電池業界について少し述べる.つい,10年ほど前まで,リチウムイオン電池の生産,販売量の我が国のシェアーは100 %だった.しかし,韓国,中国の追い上げにあって,現在のシェアーは30 %前後でないか.その凋落原因は総合的な戦略の欠如であるが,より具体的には
・技術オリエンテッド(ユーザー無視の独りよがり)
・内向き気質(国内市場優先,ガラパゴス化)
・特許の重要性認識の欠如(論文優先,出願,維持資金不足)
・国内企業間の縄張り争いと小さな資本規模
・国際規格の重要性認識の欠如
・技術者を尊重しない企業風土と安易なリストラによる頭脳の海外流出等が考えられる.

数年前,わが国の電池技術の底上げを狙って,NEDOは“技術研究組合リチウムイオン電池材料評価研究センター(LIBTEC)”を設立した.理事長はリチウムイオン電池の発明者として著名な吉野彰氏で,電池関連企業OBの専任の職員数名が技術指導に当たり,各企業から派遣された若手技術者が新材料の開発に励んでいる.専務理事のO氏の悩みは企業の壁が厚くて,技術の共通化を図れる部分が少ないことのようである.また,財団法人日本自動車研究所は今後予想される世界規模の電気自動車の普及に鑑み,電池規格やその安全規格についての日本案の国際規格化をめざして懸命に活動を展開中である.性能規格や安全規格を作成するためには評価のための電気自動車用大型電池の入手が必要不可欠であるが,電池メーカーや自動車メーカーが機密の漏れるのを恐れ,評価用電池を快く提供しないのが悩みである.そのため中国製電池を購入したり,電気自動車を購入後,そこから電池を取り出しデータを採取していた.電池業界,自動車業界は電気自動車を今後の我が国の大きな産業とすべく,自社のみにとらわれず,もう少し大局的な見方で歩み寄れないものであろうか.

ご存知の方も多いと思われるが,上越新幹線ではトランヴェールというフリーパペーパーが各座席に配布されている.帰省の折に見た6月号は鶴岡市の絹キャンペーンだった.そのあるページにこんな文章があった.「工房同士,横のつながりが強いことも他の産地とは違う点だという.お互いに隠すことなく技術の交換をしている.それが, 僅かずつだが,米沢織の進化につながっているのだろう.」 また,あるとき見たテレビでは, 京料理店の店主や板前の組織があって,定期的に互いの厨房を訪問し合ってそこでの料理を作っている様子を見学するのだそうな.お互い,高い矜持を持って, 同じ料理品目を物まねするのは恥であるが, 高い技術や材料に対するセンス等を吸収することが目的であるという.

話は変わる.私事で恐縮であるが,私の郷里,新潟県の主要産業の一つは米菓である.父は米せんべい作りの技術者で,晩年は数百人規模の米菓会社の工場長だった.50-60年前,実家のある小千谷市片貝町という人口わずか4千人の町に米菓会社が4-5社あったが,次々淘汰され今は越後製菓(株)のみである.あるとき,ある会社が工場を新築した.どうもせんべいの乾燥がうまくいかないから見に来てくれと父が呼ばれた.競争会社にのこのこ出かけていき,戻ってきた父は「乾燥室の扇風機(当時はファンなどとは言わなかった)が逆回転していた.あれでは湿気が外に出ていかないわけだ」,そして「人には親切にしておくものだよ」と言っていたのを子供心に覚えている.今も新潟県内JR駅のキオスクで売られている“雪国あられ”は父の作品である.