過去の雑感シリーズ

2007年

各月をクリックすると開閉します。

節目の年
関東学院大学 
本間 英夫
 
新年おめでとうございます。この3月で教員としての現役を退き、来期からは特約教授として大学院生を中心に指導育成することになります。

大学院を修了し、研究助手になった昭和43年頃は、学園紛争がくすぶりだしていました。助手になって半年後からだったと記憶していますが、紛争は全国的にも激しさを増し、事業部が大学のキャンパスにあった関係上、産学協同反対または粉砕と、私は学生から激しく攻撃されました。

初めの頃は「助手の陰険な策動に断固抗議する」と化学館の階段に大きく赤いペンキで落書きされたものです。私はいつも矢面に立ち彼らと真剣に話しました。結局、論議は平行線でしたが、化学科の学生を中心とした活動家?とは、まったく考え方は違うにしても、私の言うことには、納得してくれていました。彼らの行動はともかく、彼らは純粋で社会の矛盾を真剣に考えていたことは確かです。

この時の経験が私自身の研究のテーマ設定を含め、その後の生き方に影響をあたえています。また、この種の運動に積極的に関わっていた学生の多くは卒研生として私の研究室を志望してきました。 

学園紛争の一番激しかった2年間、授業らしい授業は無く、キャンパス内にバリケードが張られ、すべての授業が休講という時期が半年も続きました。その間、毎日のように先生方は会議や学生との団体交渉に明け暮れていました。

中村先生は表面処理分野では指導的な立場におられましたので、このままでは中途半端になると、俺は中小企業の育成のために尽力するが、お前は大学に残れと指示され、その後は一度も学校にはおいでにならず、もっぱら私が先生のオフィスに出かけるようになったわけです。従って、先生が退かれたあと、本学の伝統である表面工学の分野を絶やすことなく受け継いできて、本年で38年になるわけです。この間、すでに研究室を卒業した学生の数は350名を超えています。

このように昨年は、現役の教員(大学の教授会の出席や役職はすべて免除される)としての最後の年でしたので、節目として、いくつか積極的に展開してきました。



研究成果は環境づくり

先ず研究の成果ですが、これまでどおり研究環境を整備すれば自然に実績が積み上がってきます。

本年はこれまでの研究生活の中で投稿研究論文数が最多となりました。これは、現在ドクターコースの学生が5名、マスターコースの学生が10名在籍していることに大きく関係します。

何も私が一人で業績を出しているわけではありません。学生諸君が研究の意義を十分理解して積極的に研究に励んだからです。

また、小岩先生は本学にこられて2年が経過しました。これからは実装を中心として、ご自身の領域を構築されるようにお願いいたしました。これまで我々が築いてきた領域に更に幅と深みが出ることを期待しています。



工学博士の思考法の執筆

次に本の執筆です。一昨年10月ごろでしたか、出版社から雑感シリーズが一般の方々にも受けるのではと、おだてられ出版を決断しました。我々教員は研究と教育が本務ですので、あまり時間を注がなくても出来るように、これまでに書いたものをアレンジすればいいと、編集の方に選択してもらって200ページ以上の小冊子にまとめました。
 自費出版でなく、書店から販売するとのことで、売れるはずはないと躊躇したのですが、本学が産学協同のルーツであり、その内容もかなり含んでいますし、教育に関してこれまでの経験、更には日本の強みである物づくりの原点に関しても網羅しました。タイトルは「工学博士の思考法」と編集を担当された方が、一般受けを狙ったようです。工学系の先生方から、本間個人のことなのに、なぜこのようなタイトルにしたんだと、かなり批判されましたし、若干忸怩たるものがありましたが昨年の8月31日に日刊工業から発刊の運びとなったわけです。

すでに多くの方々にご一読いただき感謝しております。

図解・最先端表面処理技術の編纂

又、この本を執筆していた昨年6月の中旬、表面処理分野の展示会で研究所のブースを出していましたが、出版社の役員がこの分野に魅力を感じられたのでしょう、展示会終了後に電話があり一度是非面談したいとのことでした。

話の内容は、めっきの本を書いていただけないかとの要請でした。私は即座に、現在めっきを専業とする企業はどんどん淘汰されており、企業数は最高時の4千数百社から現在では転廃業された企業が多く、2000社を切っているので出版しても売れませんよとお断りしました。

しかし、その役員はこれまでいろいろな工学書を出版してこられ、感覚的に売れ筋は何かつかんでおられたようで「最近、実装とかめっきという用語が入っていると、売れ行きがいいんですよ」との話でした。

そこで参考にと見せられたのが、図解入りのナノテク関連の解説書でした。執筆者は80名以上で一人当たり2ページから4ページくらい分担執筆され、しかもすべてに図が挿入されており、わかりやすくこれなら売れるだろうと納得しました。

この図解入りシリーズで、実装や表面処理で最先端のトピックスを集め、編纂してほしいとの要請でした。



本の執筆のこれまでのスタンス

更にはもう一本、めっきの初級者向けの本の執筆をお願いしたいとの要請でした。これまでに私は、共同執筆で10本くらい執筆してきましたが、編集の責任者としてではなかったので、比較的気楽でしたが、今回は我々が主体とならねばなりません。

講師だった頃、すでに中村先生は大学を去られていましたが、当時化学科の教授の中で一番影響力があった先生から、工学部の若手の教員は本を執筆するものではない。若いときは研究に専念しなさい、執筆するのは歳をとってからにしなさいと言われていました。

私もその歳になりましたので、早速、山下先生に話し、斉藤先生に電話をしました。小岩先生は本学にこられて一年ちょっとでしたし、これから研究と教育に専念していただかねばならないのにと躊躇したのですが、実装関連の分野を入れる場合は、是非協力願わねばとお誘いしました。

図解入りのほうは、その道の第一人者にお願いせねばならないので、候補者を先ず4人で選定し、あとは編集者のほうで、執筆依頼から原稿の整理までやっていただいているものと思っておりました。ところが、小岩先生は執筆依頼から原稿の整理まで多くの時間を費やしていたようです。

やはり若い頃に大先生から忠告されたことが現実に起こっていたのです。小岩先生が研究や教育に専念しなければならない時間を、本の編纂に割いていたことを知り、それからは山下先生と協力するようにしました。そして、とにもかくにも、昨年の12月の19日に発刊する運びとなりました。本件に関しては小岩先生には深く感謝しております。また、最後のゲラを山下先生と出版社に出向きチェックしたのですが、その時点でこれはなかなかいい本になるぞと予感したのですが、確かに売れ行きはいいようです。



新めっき技術の共同執筆

またもう片方の、初級のめっきの本に関しては、斉藤先生は前々から上級講座向けにテキストをまとめておられましたし、又もう40年位前になりますが表面技術協会で出版された表面処理シリーズの中の一冊で「電気めっき」があります。斉藤先生はその中の一章を担当されており、それは初級者及び中級者にとってはわかりやすく、奥の深い内容でした。 

すでにその本は絶版になっていたので、斉藤先生と山下先生と私の間で、機会があれば執筆をと思っておりました。今回、小岩先生が我々の大学の教員の仲間になりましたので4人で担当分野を手分けし、執筆に取り掛かったのは7月頃からでした。夏休みが終わる9月中旬にはそれぞれ分担し、責任を持って脱稿することになっていました。

斉藤先生は好きなゴルフもやらずに、土日も会社に詰められ締切日までにはきちっとまとめられていました。ところが、あとの我々3人は、若干遅く脱稿した形で斉藤先生にはご迷惑をかける結果になりましたが、年末にはすべてのチェックが終わり1月17日発刊(予定)の運びとなりました。

ゲラの段階で斉藤先生は原稿を綿密にチェックされ、誤字脱字に始まり、図表の表題と本文中の不整合、本文と引用文献との不整合など多くの修正を加えていただきました。  

特に私の担当分は、大学院の委員長をやっていた関係上、集中できず学生に引用文献や図表の整理を手伝ってもらっていたのですが、厳密さに欠けていたようで斉藤先生にはご迷惑をおかけいたしました。

いずれ斉藤先生からこの本に関してのコメントが本誌に紹介されると思いますが「名は体をあらわす」でタイトルは斉藤先生が熟考され「初級・新めっき技術」としました。出版社はこれまで人気のある「はじめてシリーズ」の一環として200ページ程度の初級者向けを意図されていたのですが、350ページを超える力作になりました。

我々の業界は中小企業がほとんどです。これまでは装置産業的な要素が強く技術はどちらかというと、一部の意識の高い企業を除いておざなりでした。ところが多くの成熟した技術は海外に展開されるようになり、国内では高度な技術と高い品質の仕事しか残っていません。この技術についていけないと市場から去らねばならないような状況になってきました。

結局のところ「物づくりは人づくり」です。めっきに関する技術を高めるにあたり、今回斉藤先生が中心に著された「新めっき技術」は優れた指導書になると確信しております。是非、会社で一括購入されて技術関連の方はもちろん、営業・役員の方々にもお勧めいたします。一括購入される場合は著者割引で正価の20%割引になります。なお、売れ行きによりますが「工学博士の思考法」、「新めっき技術」の印税は、すべて大学で公式に認めていただいている表面工学奨学金にすべて寄付することにしております。
 

入試シーズン
関東学院大学 
本間英夫
 
2月は入試シーズンで私学のほとんどはすでに入試を終えている。本年はいわゆる2007年問題といわれ受験生と大学の定員はほぼ同数となった。

現在は完全に偏差値輪切りで教員、受験生、父兄は勿論のこと、社会全体がこの数値に左右されている。高校生は模擬試験などの結果を元に、担任や進路指導の先生との間で自分が受験できる大学、学部、学科を少なくても3つくらいは選んでいるようだ。複数の大学から合格通知が来ると、偏差値のランクの高い大学に入学手続きをするのがごく当たり前になっている。このように自分がやってみたい興味のある領域や自分の適性から学部、学科を選ぶのではなく、偏差値が自分の将来を大きく左右している。

したがって、偏差値の低い大学は定員割れを起こし、経営に行き詰まる。昨年は確か数校が廃校に追い込まれた。本年はもっとたくさんの大学が、廃校および学部・学科での大幅な定員割れを来たすことになり社会問題になるだろう。

特に最近の傾向として、工学離れが著しいので各大学の工学部はかなり厳しい状況になってきている。12月号にもコメントしたように、数年前から各大学では高校生を惹きつけるように学科名称を変更してきたが中身が同じであれば、結局は「入り口3年、出口2年」といずれは人気が持続せず、志願者数は元の状態かそれより下がってしまうのが現状である。

こんなことをやっていても、付焼刃的で抜本的な解決にはならない。しかも全入時代が来ているにもかかわらず毎年文科省が新学部、新学科の新設、増設を認可している。当然、魅力の無いところは市場原理から去れということである。



偏差値教育の弊害

偏差値は単に座学の試験成績だけで決めているわけで、高校生が自分の進路を決めるにあたり、この指標だけで進路を決めることの弊害は大きい。記憶力や短期的な暗記力に抜きんでている生徒が、成績優秀者と評価されているが実生活で求められるのは、問題解決能力、発想や着想をベースにした創造性、持続力、忍耐力、更には社会生活を送っていくための高い倫理観、道徳観であるはずだが、これらはまったく評価の対象にはなっていない。

先ずは、これまでのこのような偏差値一辺倒の評価システムを抜本的に見直すべきである。この偏差値に日本の社会全体が洗脳されている現状を改善していかねばならないことは多くの人は気づいているはずだが。



偏差値教育の是正は産業界から

この偏差値のみによる評価の是正は、教育界での論議を待つよりは、産業界から始まるように思える。産業界では団塊世代の大量退職が始まり、技術の伝承が大きな問題になっているし、倫理観の欠如が蔓延しており、いろんな不正が起きている。

企業では優秀な人材を確保するために、成績優秀といわれてきた学生を採用してきたが、そのような学生が企業に入って力が発揮できるかというと、意外と期待はずれが多いのが現状のようだ。特に最近の傾向として、職業意識が希薄で、飽きっぽく、短期に会社を辞めてしまう学生が多くなってきているという。

企業では偏差値の高い大学の成績優秀者から順番に選ぶより、実学に力を入れてきた学生や、人間性豊かな学生の採用が大切だと気づき始めている。

本学の低学年の学生に自分の将来に関しての考えを聞いてみたが、ほとんどの学生は将来計画がない。夢を持つ学生は少なく、将来に対して不安を持っている。

従って、これらの学生の意識を変えるのにはかなりの時間が必要であり、現状では自分の研究室に配属された学生には本当の意味での実力をつけて実社会に送り出すように努力している。



学生の就職

一般的に大学の就職支援はキャリア支援と称して面接の仕方、就職模擬試験、履歴書の書き方など就職テクニックの支援であった。私の研究室の学生はまったくこの種の大学での支援プログラムを受けていないので、企業によっては特別採用枠を取っていただいていても、他の学生と一緒に就職試験や面接を受けなければならない。一般常識といわれる問題集は解いたことはないし、面接の訓練も受けていない。従ってこの種の試験の成績はあまりよくないし、面接でも受け答えがどちらかというとぎこちなくなるようだ。

しかしながら、各大学で行っている就職支援は弊害のほうが大きい。本来は就職活動の期間は、卒業研究で自分の力を磨く大切な時期のはずであるが、毎日のように就職課に出向き、更にはリクルートスタイルで連日会社訪問、これでは彼らの実力はまったく向上しない。

結局は企業も間違って、饒舌で、身のこなしにそつが無く、就職問題のよく解ける学生を採用している。採用してみると、無気力で指示待ち型で、問題解決能力に欠如し、その分野に関してはまったく知識や能力の欠如した学生が多いようだ。

しかし最近、一部の企業の経営者や人事部がこれまでの採用方法の間違いを是正してきているし、我々の学生への指導方法を理解してくれるようになってきた。 これからは学生が企業で活躍するには、各大学でその大学に応じた特色のあるキャリア教育が必要になってきている。



企業と大学の連携の時代が

産学連携と声高々に叫ばれ工学系を中心とした大学では、最近包括的な企業との連携が行われ、より多くの技術革新や具体的な成果を生み出されると期待されているが、このプログラムはスムーズに進まないように思える。

学園紛争が終結してすでに40年近くになるが、先生方の多くは、これまではどちらかというと産学連携に関しては冷ややかな目で見ていて、産業界と連携して研究と教育に反映させようと努力している教員は批判的に捉えられてきた。

確かに法人化した国立や公立大学では学長の権限が強化され、また国や地方自治体からの助成が少なくなるので、かなり改善がすすんでいる。

しかし多くの私学では未だこの期に及んでも、一般社会の常識は通用しない生ぬるい体質である。また、積極的に産学連携を推進している大学では、これまで量の拡大に力を注いできたが、これからは質の向上へと転換を図る必要があり、日本の産学連携の真価が問われ始めている。

文部科学省が先ごろ大学と企業との共同研究数をまとめたが、約一万件の共同研究で比率では大企業は70%、中小企業は30%である。私は神奈川県および経産省の中小企業の育成に関する委員をしているが、中小の企業への助成は未だ数の上では少ないようだ。全国で製造業だけでも30万に近い中小企業の数と比べると低水準にとどまっているのが現状である。

すそ野が広がらないのは、共同研究に求めるものが大企業と異なるためと分析されている。また研究開発部門をもつ大企業は、長い時間をかけて産学連携の成果を出す余裕があるが、経営資源に乏しい中小企業は、短期間で成果を求めがちだと一般的にコメントされている。

しかし、私どもが関係している表面処理の分野に限っては、この考え方は間違っている。私はこれまで産学連携で短期的な成果を求めるよりも、研究開発は長期的なマラソンレースのようなものだから、出来れば長くお付き合いをしてほしいとお願いしてきた。大企業のほうが、どちらかというと短期的な契約になる。しかもその多くは当然、短期でそれなりの成果を期待しようとするのが常であるので、我々の考えに賛同された企業とだけ連携するようにしている。

実際これまでに短期の契約の場合は契約が終了してから大きな成果に繋がることが多く、従って信頼関係にのっとった長期的な連携が大切である。

90年代以降の製造業の海外移転に伴い、下請け型の企業は市場から去らねばならなくなってきている。

表面処理業界でも4千数百社から2千社を切るところまで企業数が減っているが、表面処理分野をはじめとして専門分野では高い技術力の中小企業が現れている。日本は得意分野としてこれからも物づくりを前面に押し出していく必要がある。

ドイツをはじめとして北欧では産学連携が積極的に進められている。これからは各大学で物づくりを担っている中小企業と更に連携を深めていく必要がある。
 

新たな気持ちで
関東学院大学
本間 英夫 
 
約40年間の研究と教育を中心とした生活の中で、いわゆるイノベーションといわれる技術の革新的な域にまでは達していないまでも、技術開発に携わった一教育者、研究者としてそれぞれの開発内容を後世に伝える義務があると思う。 その手法としてこれまで学会発表や、学会誌への投稿、セミナーの講師をはじめとして積極的に関わってきたつもりである。大学内では学生と共に日夜研究中心の生活に没頭してきた。 昨年の春頃に「創造の軌跡」と題して毎週、研究室の学生に講演するつもりでいたが、一部の学生を除いて有難迷惑だったようだし、更には大学院の委員長職にあったので会議が多く、時間をうまく調整できなかったこともあり、結局は2回くらいでこの計画は頓挫してしまった。 この4月からは教授会への出席を始め役職もすべて免除され、時間に余裕が出てくるのでこれからは、研究所を中心に学生と接触する機会を大幅に増やし、実験に関してのディスカッションや、頓挫してしまっていた「創造の軌跡」と題するこれまで40年間の発表論文を中心にあせらず月一度のペースで発想の大切さ、研究の楽しさを学生諸君に伝えていこうと思っている。 研究のスタンス 日本の産業界の技術力が低下し、トップ集団から転落したとの危機感から「大学の知の活用」と産学の連携が強く叫ばれるようになってきた。大学や研究所で培った技術力を産業界につなげなければただの自己満足であり、大学における研究は産業界への貢献が無い限りは無駄であるとの考えが浸透してきている。 また、外部評価機関が教育力や研究力をチェックする。しかもその評価項目は画一的でどこの大学でも同じ対策に必死である。「各大学の特徴を出してもらうように指導している」と文科省や大学基準協会などはコメントするだろうが、現状は足元の対応に汲々とし、いずれの大学も大変な状況である。 世の中すべてが実績中心になり競争原理が働き心に余裕がなく殺伐としてきている。従って研究の内容は短期的な実現の可能性の高いテーマだけに集中するようになってきている。果たしてこのような傾向は本来の大学の使命なのか。 「大学の知の活用」が、このようにトレンドとか先端技術とかばかりに集中し、短期的な成果と実用化に重点が置かれすぎると、基礎力が大きく低下し、延いては技術力が大きく低下していくのではと危惧する。  更には、21世紀はIT社会と、携帯電話やパソコンなどを介した対話が増え、直接対話の機会が減り、感情の豊かさが欠落し、なんでもデジタルに判断しようとする傾向が強くなってきている。これは人と人とのふれあいの中で極めて大きな問題が潜んでいる。今、正に問われているのは精神的な豊かさではないのだろうか。 先日教員間で話しているときに情報化、情報化というが情報とは読んで字のごとく「情けに報いる」なのに、最近、特に若い先生方は冷たいと退職寸前の先生がこぼしていた。  そんな時代だからこそ、真の「教育」が喫緊の課題であり、豊かな人間性、きちっとした倫理観を持ち、これまでの記憶中心の評価から創造性豊かな人材を養成していく必要がある。これがこれからの大学の重要な使命だと確信している。  これまでも何度か取り上げたが、偏差値ですべてランク付けされ、その人の人生が決められている。真の教育が極端に捻じ曲げられ、評価が一元的に決められている。早い段階で矯正すべきである。 偏差値での評価よりも実社会では、精神力が強く、豊かな人間性が望まれているはずだが、今の教育評価制度の下ではますますひ弱な人間を育てることになるだろう。人を育てるには、愛をベースとして厳しさと継続した努力を強いる必要もある。   毎年週刊誌や月刊誌に大学の評価と題して教育力・就職力・研究力などでランク付けされている。しかしながら、これまでは本来の教育である「人を育てる」ことに関しての評価はまったく無い。評価項目としてぜひとも採用してもらいたいものだ。更にはこれまでの大学全体に対する評価に加えて研究室単位の評価も大切であろう。 今、正に建学の精神の内実化をアピールすべき時である。その意味では本学の建学の精神「人になれ奉仕せよ」を前面に押し出し、我々は次代を担う豊かな心と高い技術力を持った若者を育てているのであると強くアピールしていかねばならない。 新4年生がスタート台に立って 2月の中旬は入試、卒研の発表会、修士の発表会、博士の公聴会など学生の卒業や修了に当たり一番多忙な時期である。更には新年度に向けて新4年生が配属されてくる。卒業目前の大学院生や4年生が協力して新4年生に引継ぎ実験と称して実験の進め方の基本を教える期間でもある。今3月の原稿を書いているまさにそのときに新4年生の一人からメールが届いた。その内容を紹介する。 「引継ぎが始まってから今までの経過を報告させていただきます。 2月14日から4年生とともに朝9時半から夕方5時まで研究室の規則やしきたり、歴史などいろいろ教わっています。  14日は4年生からめっきのメカニズムを学び、簡単なテストも行いました。テストをやっている時わからないところを4年生の方々に聞き丁寧に教えていただきました。  最初、先輩方は厳しそうで怖いイメージがあったのですが接していくうちにそうではないという事に気が付きました。  15日も続いてめっきの事について学びました。この日は明日の実験の準備としてガラスを固定する治具の作り方を教わりました。そして実験の方法と、実験の注意点を教えていただきました。  16日は午前中にこの日の実験のための薬品の量を自分達で計算し、求めました。14日に行なったテストの内容と照らし合わせながら何とか求めることができました。午後からは実験で自分はガラスにニッケルめっきをしました。その時実験の基礎的なことをいろいろ注意していただきました。やはり、実際に実験をしていろいろおろそかだったところを指摘していただいたので、ものすごく勉強になりました。これからも自分の至らないところを補正していきたいと思います。  実験で出来たニッケルめっきを見て、ただただ感動しました。人生で初の無電解めっきだったので、不思議で興奮しました。ここまで綺麗にピカピカになるとは思ってもいませんでした。こういう実験を中学の時とか高校のときとかにやっていたらなぁ~と思いました。今までの実験でここまで興奮したのは無かったと思います。それゆえにもっと早く出会っておきたかったと思いました。」   このように引継ぎを通して、新4年生が実験に対する感動と興奮を語っているが、自分も40年以上も前に始めてプラめっきのフィルムを手にしたときに大きな感動を覚えたものである。教育問題が国家的に大きなテーマとして掲げられており、なかでも工学離れは深刻な状況である。また、工学離れは日本の製造業の衰退に繋がる。この学生が言っているように中学や高等学校時代から実験科目を増やして工学の興味が持てるようなカリキュラムを是非実行してもらいたい。
 

モラル低下とその対処法
関東学院大学
本間 英夫
 
先に自民党の中川秀直幹事長は現閣僚に対して苦言を呈した。新聞報道の一部を抜粋させていただくと

「安倍晋三首相が(閣議で)入室したときに起立できない、私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない。」と異例の厳しい表現で政権内の緊張感欠如に苦言を呈した。

多くの企業や組織体の会議で類似のことが散見されるようになってきているのではないだろうか。先ず会議が始まる前、お互いあまり挨拶をしない。会議の導入部は大切で会議内容によっては儀式的で意図的に会議に重厚さを出す場合、また気楽にみんなの意見を出し合う会議などいろいろだ。その際の会議責任者の役割は重要であり、その場にあった雰囲気を作るセンスを磨いてもらいたい。がみがみ苦言を呈するのではなく自然体でその場にふさわしい舞台が出来上がるようにもっていければスマートでクールだ。

しかしながら、最近のモラル低下にはいささか私自身も閉口している。自分の講義で学生ががやがや騒いだことは無いのだが、多くの講義では私語はもう当たり前のようになっているようで、先生方はあきらめているようだ。もちろん、これは学生だけが責められるのではなく講義自体に魅力が無いからであろう。ファカルティー・デベロップメント(FD)と称して先生方の教育力を向上させるための方策も各大学で検討しているようだ。先生方には嫌味になるようだが、そんな方策を練らなくても研究成果を外部にむけて積極的に発表するように訴えてきた。そうすれば、自然にあちこちから講演依頼や講師依頼が来るようになり、いつの間にか魅了ある講義が出来るようになるものである。 

要は企業においても大学においても、すべてのことにおいて相手の非を責めるのではなく、自らを磨き魅力作りをすれば自然に解決することが多いのである。



新入社員

社会経済生産性本部の牛尾治朗会長は先月26日、2007年度の新入社員のタイプを「デイトレーダー型」と命名した。自己主張型で、常に良い待遇・仕事を求めて転職する傾向を、一日に何度も取引をして細かく利益を確定する個人投資家になぞらえたものだ。
 最近の新入社員は、愛社精神に乏しく、短期間に会社を辞めるという。終身雇用制時代の社員のように、一度就職したら定年までというのではなく、友達同士が連絡を取り合い安易に転職する。私はこれまで研究室の学生には3年間は会社を辞めないように、3年間は給料をもらって勉強させていただいているようなものだと一貫して言い続けてきた。

3年間が経過して自分に適していないと判断したら、それからアクションをとるようにと。これまでの学生はその考え方を受け入れてくれていた。しかしながら一昨年くらいから年に一人くらいだが3年どころか1年以内に辞めるという。しかも後ろめたいのか、私には何の連絡もせずにやめていく人もいる。また、理由が希薄で忍耐力や持久力が無く辞めていくように思える。我々の知り合いの企業では、新入社員の3分の1が1年以内に辞めてしまうと聞き愕然とする。

確か最近のデータによると3年以内に転職する人が3分の1だったと思う。これでは企業が新入社員を教育し実際に戦力になるには3年くらいかかるのに大きな社会問題である。特に製造業においてはバブル崩壊後の十数年にわたる人員の削減、派遣社員への依存、企業に対する忠誠心、求心力が大きく低下し品質も安定しない。「企業は人なり」というがまさに崩壊寸前の様相を呈している。更に追い討ちをかけるように2007年問題といわれる団塊の世代の大量定年退職を迎える。世界的な規格の統一、高品質の物づくりへの転換などで企業は余裕が無く利益の出にくい体質になってきている。

従って最近特に大学の「知の活用」が大きくクローズアップされてきているが、果たしてこれまでの大学の体質が即座に変わるだろうか。また、短期的な成果ばかりを追うと、これまでの大学としての長期にわたる基礎的な研究がおざなりになり、本末転倒である。このあたりは先生方がバランスよくテーマを選定すべきである。ところで我々の表面工学研究所でこれまで検討してきた一部の成果を示す。



PET素材へのめっき

各種電子部品、電子機器においてPET素材を用いたフィルムアンテナやフレキシブルプリント配線板(FPC基板) が実用化され、その数量は増加傾向にある。

PET素材への導体形成には大きく分けて以下の手法があるが、これまでの方法はいずれも長所、短所を有している。



①導電性ペーストを印刷する手法

安価ではあるが、導体抵抗が大きくなるうえ、

ペースト導体がフレキシビリティーに欠ける。



②接着剤を介し銅箔を接着する手法

接着剤部分の特性が回路信頼性に影響を及ぼす事もあり、且つ、素材作成にコストがかかる。



③PET表面にドライプロセスでメタライズする手法

導体密着性、コスト面が懸念される。



④PET表面を粗化しウェットプロセスでメタライズする手法

素材を粗化する事で透明性に欠ける。



 今回、我々が開発した技術はPETのもつ電気的特性、透明性を損なうことなくPET上に密着の良い導体膜をウェットプロセスにより形成することを目的とした。開発された手法は、PET表面に密着に優れ、且つ絶縁信頼性の高い親水化膜をサブミクロン領域の厚さで形成し、独自のめっき技術により導体形成を行うものである。得られた析出界面はミラーライクで極めて平滑な状態で、且つ良好な密着のめっき皮膜である為、一般的な回路形成プロセスでの回路加工が可能である。ミラーライクな析出界面を持つ利点は、導体損失を低減できるなど高周波通信用途や高速伝送用途において大きなメリットになる。また、導電性ペースト導体にくらべ、導体抵抗の低減、フレキシビリティーの向上において改善効果をもたらす。今後、フィルムアンテナ、FPC基板はじめ様々な用途への展開が期待される。



シクロオレフィンへのめっき

近年、電子機器の高性能化、多機能化に伴い信号処理速度の高速化は重要な課題であり、また通信分野においては多くの情報を伝達するため、より高周波帯域の周波数が利用される傾向にある。

 高速化、高周波化に対応するため素材は低誘電率、低誘電損失(低tanδ)を有するものが利用されており、PTFE(フッ素)素材はその代表例である。

しかしながら、フッ素基材は加工が困難な上、高価な素材でもあり、また廃棄処分の際、焼却時にフッ化水素ガスが発生する事などから焼却できず産廃扱いとなっている。そのため、これらの問題点に対応する為、各種の代替材料が検討されてきた。

 そこで、我々は光学レンズや筐体などに使用されているシクロオレフィン系素材に注目した。本素材の電気特性はPTFEに匹敵するものがあり、加工性においてもPTFEに比較し優位性がる。 

 信号の高速化、高周波化対応においては表皮効果の影響を軽減させるために、凹凸のない回路が理想であり平滑回路の形成が切望されている。我々は、独自のUV改質技術により、誘電特性に優れたシクロオレフィン系素材表面へ低粗度な表面改質を施した後、改質面へ導体めっきを施すことで、樹脂上に鏡面に近い常態で且つ良好な密着を有するめっき皮膜を得ることに成功した。

この手法により、平滑性に優れた導体が得られるので、今後、高周波用アンテナ、高速伝送回路基板への展開が期待される。
 

ナノテクノロジー
関東学院大学
本間英夫
 
リチャード・ファインマン教授がアメリカ物理学会で「ナノスケール領域にはたくさんの興味深いことがある」と題された講演で、原子数個というナノスケール領域では、マクロな世界とは全く違う性質が現れるだろう。将来は原子を1つずつ配置して思い通りの物質を作れるようになるだろうと予言したのは、今から半世紀くらい前の1959年のことである。これがナノテクノロジーの始まりと考えられている。

ファインマン教授に関しては過去の雑感シリーズにも紹介したことがあるが、現在も学生に「ご冗談でしょう!ファインマン先生」を読ませて発想が豊かで好奇心が強くダイナミックな生き方を紹介している。

さて、本格的にナノテクノロジーがクローズアップされたのは、7年前アメリカの大統領が科学技術の研究開発として「ナノテクノロジー」を主力とする国家戦略を発表してからである。日本もナノテクを始めとしてバイオ、IT、環境、福祉を5大重点領域と位置づけた。従ってほとんどの工学系の大学ではナノテク領域を研究の柱にするようになってきた。

ナノテクノロジーとは、ナノメートル(nm:1メートルの10億分の1)の大きさの物質を創製またはそのサイズの物質を組み合わせて、コンピューターや通信装置、微小機械などを創製する技術と定義されている。半導体産業が出現すると、装置や部品の精度としてマイクロメートルのオーダーが要求されるようになり、高度情報化社会が構築されてきた。更にこれが最近ではナノメートルオーダーになってきたわけである。
 1nmとは原子3個を並べたほどの大きさで、ウィルス1個の大きさは数十nmである。すなわち、ナノテクノロジーとは原子や分子を操作して、人工的にウィルス程度の大きさの構造の物質を作製し、その構造を組立てて、あらたな部品や装置を創出する技術である。

実際にはナノテクノロジーのアプローチには3つの手法がある。大きい物をナノ寸法まで微細化するトップダウンのナノテクノロジー。原子・分子を積み重ねてナノ構造体を作成するボトムアップのナノテクノロジー。ナノの世界で工学と生物学との融合を図るバイオナノテクノロジーである。   

現在は研究者がこぞって原子・分子を操作してナノの構造体を創製する手法に注力しているようだが、果たして原子や分子を操作して構造体を作成するとなると純粋な研究レベルでは重要な課題だろうが、実際にこの手法で大量の構造物を作るとなると煩雑で時間のかかる方法で現実性があるか疑問である。

一方、トップダウンからのアプローチは、これまでの技術を如何にナノオーダーまで追い込むかにかかっており、意外と簡単に大量に作れるであろう。従って微細加工技術において、電析法とリソグラフィー技術を組み合わせて微細な機能性デバイスを作製するMEMS(Micro Electro Mechanical System)などナノテクノロジーとしてめっき技術は大きな注目を集めるようになってきた。

半導体へのナノオーダーのめっきを皮切りに現在の電子機器を初めとしてあらゆる分野でめっき技術が採用されるようになってきているが、中村先生が言っておられた「ハイテック、めっきが無ければローテック」正にその時代に突入した訳である。

ナノ構造までは行かないが先月号で我々の研究所で現在進めている技術の一部を紹介したが本号でも紹介する。



放熱基板の作製

電子機器の発達に伴い電子部品からの発熱が大きな問題となっており、プリント回路基板においても同様な熱問題を抱えている。

放熱板付きプリント回路基板においては、一般的にアルミニウム板が多く利用されている。基板構造としては①放熱板上に絶縁樹脂層を介し導体形成するタイプ、②プリント回路基板と放熱板を絶縁樹脂で接合するタイプ、③プリント回路基板内に放熱板を入れるタイプなどに大別できる。  

ここで熱伝導の障害となるのは絶縁樹脂である。絶縁層の熱伝導率を高める為に樹脂内に熱伝導性の高いフィラーを入れたりもするが、フィラーの量が増加するにつれ熱伝導は向上する反面、脆さが増し加工し難くなる。また、樹脂層部分の熱伝導を高める策として層間を薄くする方策もあるが、耐電圧との兼ね合いから限界がある。非常に高い放熱を要求される製品では、アルミナセラミックスなどの素材上に回路形成するものもあるが、高価になってしまうという問題点がある。

そこでアルマイトと樹脂を複合利用した放熱構造をもつ製品を開発した。アルマイトの熱伝導率はアルミの約1/3であるが、樹脂と比較し約60W/mKという高い熱伝導を有し、耐電圧は30V/μmといった性能を有している。

本来、アルマイトを絶縁層として用いた際、素材との熱膨張率の差からクラックが入り絶縁信頼性の低下に繋がることなどから、排除する事が望まれていた。

しかしながら、我々はアルミニウム表面にクラックの発生しにくい特殊アルマイトを施した後、そのアルマイトに故意にクラックを入れ、更に、このクラック底部のアルミニウム部分に再アルマイト処理を施すことで絶縁信頼性を向上させる事に成功した。

以降は従来工程と同様にアルマイト上に必要最低限厚みの絶縁樹脂形成を行うことで絶縁信頼性を確保した。今後、放熱性により優れた高熱伝導プリント配線基板への展開が期待される



常温金属結合を用いた高放熱大電流基板

電子機器の高機能化に伴い、電子部品から発生する熱が機器の動作や開発の障害となっている。多くの電子部品を搭載するプリント配線板においては、高い放熱効果を有する製品が求められ開発が進められている。

素子の高密度化が熱との戦いであるといわれるように、機器の小型化高密度化において鍵を握るのがプリント回路板を核とした放熱技術である。

具体的には ①放熱効果の高いプリント配線板基材の採用(メタルコア) ②放熱効果の高い導体パターンの設計 ③放熱効果の高い部品の配置 ④放熱効果の高いプリント回路基板の配置などが重要なポイントになる。

そこで我々が開発したユニークな構造を有する高放熱、大電流プリント配線基板を紹介する。

開発した製品の特長は異なる厚さの導体金属を金属結合により一体化した構造を有している点である。

例えば厚銅部側は銅金属の高い熱伝導率を利用し部品からの熱を効率よく吸収し、部品の温度上昇に歯止めをかける事ができる。また、大電流を流す事も可能である。一方、薄銅部は動作回路として利用できる。双方は直接接合の形態がとれるのでスルーホールを介する必要がない。

今後、高放熱プリント配線基板、大電流回路配線基板などへの展開が期待される。



樹脂との接着性に優れた新規アルミニウム表面改質

昨今、電子機器の高機能・高性能化に伴い、部品からの発熱が大きな問題となってきており、プリント配線基板においては、搭載される電子部品から発生する熱を逃がすために、金属板をプリント回路基板に絶縁樹脂を介し接着し、放熱効果を向上させる手法が多く用いられている。

放熱板として用いられる金属板は、軽量・高熱伝導性の点からアルミニウムが多く用いられているが、アルミニウムは離形性を有する金属である為、樹脂と接着するにはアルミニウムの表面を改質処理する必要があり、機械的処理(ブラシ研磨やバフ研磨など)、物理的処理(サンドブラストなど)、化学的処理(アルマイト処理やエッチング処理など)などが一般的に行われている。

しかしながら、機械加工時や熱処理工程時にアルミニウム板と絶縁樹脂との接着界面で層間剥離が発生する。これは樹脂とアルミニウムとの間で十分な接着強度が得られていない事に起因している。 

そこで、樹脂とアルミニウムとの接着性改善を目的とし、エッチングによるアルミニウム表面の改質方法を検討したところ、アルミニウム表面に異種金属を置換析出させ、その置換金属を選択エッチングする事で理想的なアンカー効果が得られる粗化表面を得ることが出来た。

得られた改質面と樹脂との接着性は従来処理に比較し数倍の高さを示し、耐熱性向上も大幅に改善され、また、機械的衝撃、耐熱評価においても剥離発生は皆無となった。

本手法によるアルミニウム表面改質は今後、放熱プリント配線板はじめアルミニウムと樹脂との接着が必要なアイテムへの展開が期待される。また、アルミニウム上へのめっき下地処理としても有効である事を確認している。
 

内定辞退は当たり前
関東学院大学
本間英夫

 
4月号の雑感でも触れたが、2007年4月に入社する新入社員の採用状況を振り返ると、「超売り手市場」であった。2、3年前までは採用が「超買い手市場」であったのが昨年あたりからバブル絶頂期に見られた「超売り手市場」にガラッと変わったのである。

学生は複数の企業から内定をとり、内定辞退が当たり前となり、多くの企業、特に中小企業では採用計画に支障をきたした。大学の教員が卒業研究やゼミを通して指導や助言をしていれば、こんな事にはならないはずだ。就職に関して就職課と学生に任せっきりになっているからである。 

「指導教授がもう少し学生の将来を考えてガイドする必要がある」と6月号の雑感シリーズを書いている最中にインターネット上に、大手企業の約3割が今年4月に入社した新入社員の初任給を引き上げたとの調査結果が出た。
 その記事によると、「超売り手市場」とも言われる新卒採用の活発化を背景に、若手社員の待遇改善が進んでいる。初任給を引き上げた企業は29.5%で、前年より9.3ポイント上昇。初任給を据え置く企業は2002年度以降、4年連続で9割を超えていたが景気の回復と共に今後ますます初任給が引き上げられると。

本年度はかなりの数の大企業で、新入社員の採用人数を3割くらい増やすとすでに報道され、さらには初任給の引き上げと相俟って、リクルート活動も例年より更に早くなっている。

バブルがはじけてから十数年、多くの企業では大幅に人員を抑制し、派遣社員やパートの比率を上げ経費を削減してきた。また従業員は実績中心の能力主義で短期間での成果を求められてきた。従ってこの間、生産性の向上ばかりに注力し技術開発力は低下した。
 このような時代背景の下に、新入社員に大きな期待が向けられているのであるが、これまでの訓練方法をそのまま適用しようとしても、なかなか通用しないようだ。

集団研修の担当者は会社が厳しいときに入社してきた人たちであり、自分の学んできたやり方を現在のひ弱な新入社員にそのまま適用しようとしても通用しない。

年齢が数年しか離れていないのに価値観が乖離し、違和感から新入社員の退職が続出するという事態に陥っている。

多くの学生は、最終学年をリクルート活動に奔走し一番能力をつけねばならない時機を逸している。この事態は、青田買いに走る企業に大きな責任がある。

しかも、トータルの待遇面から、ほとんどの学生も指導教授も大企業を選ぶ傾向に変化が見られない。

技術立国としての日本全体の産業構造から、特に中小企業では学生を受け入れるための待遇面をはじめとして魅力ある体制作りが必要である。

また、我々学生を育てる側も、良い学生を育てるとの気概を持ち、研究重視から教育と研究のバランスを持つような評価軸に切り替えねばならないだろう。

学生に自信と能力を

卒業までに学生の能力をつけて社会に送り出すのが、我々教員の責務である。大学にとっては教育と研究は最大の使命であるが、教師としての評価は、相変わらず研究重視に偏っている。

社会に通用する能力と自信を持たせるように学生を育てることは、教育者の使命であるが、大学ではほとんど評価されない。我々の研究室では、卒研や修士の研究指導を通して、専門知識を植えつけることは勿論、挨拶や礼儀作法、更には倫理観や道徳観などを高めるような指導をしている。

これからは大学名の看板ではなく、真に学生を育てている実績のある研究室から採用する企業が増えることを期待している。そうすれば当然、青田買いもなくなってくるだろうし、学生の意欲も向上し大学、企業、延いては産業界全体のレベルアップに繋がっていると確信している。



准教授と助教

この3月末まで大学院の工学研究科委員長の職にあったが、確か一月下旬だったか中央教育審議会から「我が国の高等教育の将来像」と題する答申が出された。2004年の国立大学の法人化に端を発し、競争的資金配分、専門職大学院をはじめとする大学院教育の充実その他、大学には改革の波が押し寄せている。

法人化後も国立大学の運営費用の多くは国費から支出されている。しかし独立法人化と共に運営費用が年1%の削減がなされ、これが5年続けば総額で規模の小さな大学が20校分なくなる勘定になる。従って、東京では都立大学をはじめ4つの大学を束ねて「首都大学東京」という、今までになかった全く新しい形の大学になっているし、地方の大学も合併が進んでいる。

いまや同じ世代の半数以上が大学に進学し、2007年問題といわれた大学全入時代、学力低下など特に技術立国としての要である教育の改革が急務であり、この答申にはこれらの背景と高等教育の将来像に関して示されていた。

大学の改革は関係者以外にはなじみが無いが、大学の教員の呼び方がこの4月から変わったことだけは紹介しておきたい。 

これまではほとんどの大学で教員組織として教授、助教授、講師、助手から構成されていた。これが教育研究を主たる職務とする職としては、教授は変わらないが、これまでの助教授の呼称が「准教授」となった。

また新しい職としてこれまでの助手に代えて「助教」を設けて3種類とするとともに、助手は、「教育、研究の補助を主たる職務とする職とする」と定められ、この4月から教授、准教授、(講師)、助教、助手と職務としての呼称が変更になった。
 これはアメリカの教員組織であるProfessor、Associate Professor、Assistant Professor、Teaching Assistant(Research Assistant)の訳として教授、准教授、助教、助手としたのであろう。助教授に代えて「准教授」と呼ぶようになったが、これはAssociate Professorの日本語訳であるが、自分自身、今から30年以上前に助教授になった際、表は日本語、裏は英語の名刺を作るにあたりAssociate なのかAssistantなのか迷ったものである。
 なお「講師」については「教授、助教授に準ずる職務」を遂行すると規程になっており本学ではそのまま残すことにしたようだ。

また、これまで研究中心の助手と実験を手伝う助手との2種類があったがいわゆる研究助手は助教という職務名になり実験の補助業務の人はこれまでどおり助手に位置づけられた。

元々これまでの職務名は、明治時代に作られたものである。40年前の学園紛争以前は教授だけから構成された正教授会が人事権をはじめとして教育研究に絶対的な権限を持っていた。従って助教授以下は教授の下で仕事をしていたが、現在では、助教授も、独自に研究をしたり論文を書いたりしており、いわゆる講座制は薄れてきている。

しかしながら、多くの大学ではまだ徒弟制度的な色合いが強いとして今回の高等教育の将来像の答申が出されたわけで、教員の職務上の呼称も国際的に通用するように変えられたのである。
 

科学と技術
関東学院大学
本間英夫
 
東京大学名誉教授の増子 曻先生が最近の科学技術の取り組みに関して、半年くらい前に講演をお聞きしました。またその内容が、機材工誌に掲載されていた。きわめて示唆に富んだ内容なので引用させていただきながら解説します。



昨年、科学技術政策の重点課題と題して「科学技術の振興が最大の原動力である。」という書き出しで始まる文書が、総合科学技術会議で発表されている。しかし実際の科学技術の研究の現場では、技術心得の無い科学研究者が増加している一方で、技術の振興を担うべき技術者を育てる仕組みが無くなりつつあるのではないか、と先生は懸念されている。

科学技術の振興には、科学の分かる技術者を育てなくてはならないのに、先端科学を扱う科学者を育てれば、自然に技術が振興すると勘違いしているのではないかと。

更に先生は「科学を技術の召使(Servant)にすることは必要だが、決して主人(Master)にはするべきではない。」と述べられている。そして技術者が常識としている技術心得を、「文学見立て」という形で面白く紹介されています。



マリーアントワネットの解決策

民衆が、もはや今日を生きるパンさえありませんと訴えたところ、「あら、パンがないのならお菓子を食べればいいじゃないの。」と女王であるマリーアントワネットは答えたという。民衆とあまりにもかけ離れて「パンがない」という意味が全くわからないのであろう。

これと似たような話として、先生は太平洋戦争の際に東條英機首相が、「鉄が足りなければテルミット反応で造ればよい。」と言ったとの逸話も紹介されました。すなわち金属アルミニウムを原料にして鉄鉱石を還元することはもちろん可能ですが、大量生産のための製鉄技術にはならないし、上位の材料(価値の高い材料)で下位の材料(価値の低い材料)を作ることは可能ではあるが、技術としてはナンセンスでこの種の解決法をマリーアントワネットの解決策と見立てられたわけです。

更には、石炭の代わりにマグネシウムを使うエネルギーシステムに関して、痛烈に批判されていました。ある国立大学からその内容が提案されており、インターネットに紹介されているとのことで、私も検索してみました。それは「マグネシアをレーザーで加熱して発生したプラズマの中に、金属マグネシウムのスペクトルを認める事が出来た。」という実験事実をもとに、直ちに「燃焼生成物の酸化マグネシウムは太陽光レーザーを使ってマグネシウムを還元できる。」という話でした。太陽エネルギーを貯蔵できる物質の探索という人類が長年挑んできた課題に、マグネシウムが使える、という解決策です。

先端科学技術を使えば、マグネシウムを1mg実験室で製造できるでしょうが、しかしながら1トンのマグネシウムを太陽光レーザーで作ることは絶対に出来ないので、この提案は全く意味が無い。 また、この内容はエコロジー関連の雑誌に「マグネシウムで太陽エネを運ぶ、大規模発電所の構想も描く。」という新情報として紹介されているとのことです。そこで先生は約一年半前に大学当局に「このような「研究」は大学のブランドに傷が付くから、インターネットから即刻削除しては?」と申し入れられたとのこと。しかし依然として取り下げていません。

確かにマグネシウムという上位のエネルギー貯蔵物質(お菓子)が手に入るなら、石炭という下位の貯蔵物質(パン)に頼らなくて済む。先端科学技術の実験設備を使って、科学者が観測した現象から、産業生産設備を製造するまでの道程には、技術心得が必要になる。「量の規模」という技術心得を持たない科学者が、技術を語ることが恐ろしいと糾弾されています。増子先生の言われるマリーアントワネットの解決策はこれまでにも様々な分野で、様々なレベルで、数多くまことしやかに語られてきたし、現在でも多くの例を見受けることができます。

更には、まったくの詐欺行為もあります。中でも特に印象に残っているのは〝背信の科学者たち〟だったかの本にもまとめられていますが、ポンズとフライシュマンによる常温核融合が有名です。私自身ハワイで開催された国際会議でその講演を聞きました。大きな会議場を使っていましたが聴講者であふれていたのを記憶しています。その後、確か1年くらい大ブームになって応用物理関係の学術誌に「常温での核融合が出来た。」とその関連の論文がたくさん掲載されたものです。



表面処理の領域におけるマリーアントワネットの解決策事例

増子先生の述べられている上位の材料で下位の材料を作るということの科学技術者への警鐘は、まさに中村先生が30年以上前に京浜島に表面処理の団地を作られたときに常にそのことを念頭において実践されています。すなわち熱力の第2法則「エントロピー増大の法則」です。中村先生は皆さんにわかりやすく、これは乱雑さの度合いを表す値で例えば塩と砂糖があって、これを混ぜ合わせれば「エントロピーが増大した」ということになる。従ってひとたびエントロピーの増大した塩と砂糖の混合物からそれぞれを分離するには多大のエネルギーを投入しなければならないと。

当時東京都の表面処理の町工場20社を京浜島に集約するときに、中村先生がその企画立案、実施の指導に当たられました。先ず計画立案されたときに大きな難問にぶつかりました。それはめっきを中心とした表面処理では各処理工程間における水洗が重要です。当時おのおの企業で使用していた水の量は一社当たり生活排水もいれて100トンくらいであったようです。従って20社で少なくとも2000トンの水道水が必要になります。ところが東京都は団地化にあたり20社で100トンしか割り当てがなく、これでは絶対に各工場を集約して団地化は出来ないと猛烈に抵抗されたようです。

しかし東京都は、その割り当て量以上使うようであれば、団地化は出来ないと譲らなかったとのことです。このままでは「万事休す」です。先生は何日も考えられ最後にそれでは水を止めるしかないと、今までの水洗の方法(向流多段水洗)からバッチ多段水洗のアイデアに行き着かれました。

その水洗の理論は斉藤先生が当時の大型のコンピューターを用いて解析し、水洗理論として学会誌に紹介されています。ここでは紙面の都合上詳しくは紹介できませんが、水の使用量を極力少なくし、また各工程で有用金属を回収する方法です。

この手法が提案される前は、ほとんどすべての処理工程の水洗水や排水は大型のピットに集められ一括処理されていました。その時点ではエントロピーが大きく増大していることになります。その中から有価物を回収することは、上述したように混ざってしまった砂糖と塩からそれぞれを分離するのと同じで熱力の法則に反します。従って有価物を回収するには多大のエネルギーを必要とするので、沈殿処理する方法がとられていたわけです。

先生が提案されたバッチ多段水洗を有効に活用する方法により、多くの有用金属は工程ごとにイオン交換や電解での回収が容易になり、しかも最終処理の負荷も大きく軽減されることに繋がりました。

私の研究室では主に金属の電解回収、イオン交換樹脂の組み合わせ方法の確立、及び効率的な回収法、廃水の沈殿処理法などを担当しました。

当時は金・銀・銅・ニッケルの電解回収は勿論、そのほかの金属の回収も手がけましたが、回収はいわゆる反エントロピー行動であるから採算が合うのは銅までであろうと、その他の金属回収はインプットするエネルギーのほうが高くなるからと(上位の材料で下位の材料を作る)理屈に合わない手段は中村先生の判断で中止されました。

現在ニッケルや銅が大きく高騰しています。これらの金属の回収を見直す時代になってきました。

当時の団地の企業の経営者及び技術担当者、ケミカルサプライヤー、装置メーカーなどと定期的に技術的な打合せ会を開催しましたが、いわゆる最近よく言われているコンソーシアムの走りであったと思います。当時技術にタッチされていた方々はわくわく楽しい研究が出来て、それが現実に適用され充実したひと時であったと今も思い起こされます。
 

ジーキル・ハイド現象
関東学院大学
本間 英夫
 
7月号のマリーアントワネットの解決策に続いて増子先生は文学見立てとしてジーキル・ハイド現象を紹介されている。その小説の骨子を紹介すると次のようである。

ジーキル博士とは、フィクションの世界の人物で、19世紀後半に莫大な資産の相続人としてロンドンに生まれ、才能あふれる勤勉な紳士であるが、博士の精神の裏側には熾烈な享楽性を持った人物として描かれている。すなわち、昼間のジーキル博士は尊敬される高名な医者として振舞い、夜は自分の身分と地位を隠して別人格になることを願う。

そこで、ジーキル博士は、科学者としての立場を利用して、特殊な薬品を調合することに成功する。夜になるとジーキル博士は自宅の実験室でその薬品を調合する。フラスコの中で調合薬品は泡立ち、煙を上げ、沸騰する。その間の化学反応で2段階、色が変化し沸騰が止んだとき、これを飲み干す。すると今までより若く、愉快で、精神的な開放感を味わうのだが、醜いハイド氏に変身してしまうのである。

しかし、最初の実験以来、新たに薬品を購入していなかったので、薬品が欠乏しはじめる。そこで新しい薬品を購入し調合するが、最初の色の変化は生じるが、第二の色の変化が起こらず、それを飲んでも効力が現れないのである。なぜなのか、ジーキル博士は最初に購入した塩が不純物を含有し、その何物とも知れぬ不純物が薬液に効力を与えたのであると云うことを知る。 そこで、博士は最初の実験で使った塩と同じロットの塩を求めて、ロンドン中をくまなく探すが徒労におわる。薬品が無ければ彼はハイド氏からジーキル博士に戻ることはできなくなる。ジーキル博士でいられる最後の時間を使って、遺書を書き自殺する。 この「何物とも知れぬ不純物の効果」を増子先生はジーキル・ハイド現象と見立てられたわけである。

先生はこのフレーズを作って20年ぐらい、折に触れて使われたが、あまり認知されなかったといわれている。この言葉が有名にならなかったのは、材料科学の分野においては、あまりにもこの種の現象が多く、従って別の言い方をすれば「科学は技術の召使としては有用であるが、主人にはなれない。」ということの実例を与えてくれていると仰っている。

私はこれまで何度もこの種の現象に遭遇してきていたので、先生の科学は召使たれとするお考えがあること知り、なにか自分達がやってきたことに自信がわいてきた。

これまでは一般には、科学は技術より一段上と評価されている。しかし、私はいつも科学技術の新展開の多くは、偶然を中心としたセレンディピティーがベースになっていることを強調してきた。一般には科学者はどちらかというと高邁な理論をベースにしたのだと、それを隠そうとする。私はいつも理論からよりも、むしろ実験を通して注意深く観察していると、面白い偶然に遭遇するし新しい発想も出てくると常々思っている。従って、先生の講演を拝聴して自信と誇りが沸いてきた。

実際これまでの40年間近くの実験を通してたくさんのジーキル・ハイド現象に遭遇している。おそらく同じような現象に遭遇した技術関係の人は多いと思う。表面処理に関するジーキル・ハイド現象は、技術の伝承に大いに役立つと思うので、一度この種の講演会を企画したい。



無電解銅めっきの研究でのジーキル・ハイド現象

この40年間、無電解めっき、中でも銅めっきに関する研究が中心であった。私が同志社の大学院を中退して、本学の専攻科に入り直そうとしていた頃、現ハイテクノの社長である斉藤先生は、社会人マスターとして、横浜国大の電気化学教室で無電解めっきをテーマに研究されていた。

中村先生は「本間君、君は斉藤君の手伝いをしなさい。」と、斉藤先生とどれくらい当時打合せをしたかはあまり記憶にない。なにしろ当時の斉藤先生の評判は「怖い・切れ者・ニヒルで無口である」との周りからの情報に左右され、おそらく緊張してほんの少ししか話さなかったのであろう。斉藤先生にとっては論文をそろそろ纏め上げる時期で、当時事業部で使われていた錯化剤であるロッシェル塩と銅とはどれくらいの比率で錯体を形成しているか、また錯体の安定度定数も調べてほしいというものであった。

当時の研究というのは、おそらく我々くらいの年齢の人たちはみんな経験があると思うが、テーマだけを出され、後はすべて自分がやらねばならなかった。手法に関しては全くサジェッションがなく、自分なりに論文を調べねばならない。

錯体の配位数と安定性を求めるには、分光光度計を用いるモル比法と連続変化法という方法であった。何も教えられていなくても、幸いなことに前年度の卒業研究のテーマがシアン処理における金属イオンの妨害作用で、当時大学には何も機器が無かったので大学よりも工業試験所で研究が出来るぞと7,8名の学生と志願して出かけた。

他の学生は、一年間試験所に定着して研究をやることになったが、私の場合は測定機器が壊れてしまい、2,3ヶ月後に環境関連の会社に行くように指示された。そこで連日、朝から晩までシアンの分析をやったものだ。 その際に分光光度計の操作法をマスターできたこと、又シアンの重金属の妨害作用というのは、結局は金属とシアンとの間の錯体形成に関することであったので、斉藤先生から与えられたテーマにはそれほど抵抗感は無かった。

ただし、銅とロッシェル塩の間のコンプレックスの吸収スペクトルを測定するのは、かなり時間がかかり忍耐のいる実験であった。

今では1分以内で可視、紫外領域の全スペクトルを測定できるが、当時はマニュアルでひとつの吸収曲線を作成するには2時間以上かかったものである。従ってジーキル・ハイド現象のように錯体の安定性の低いものの場合は時間と共に錯体状態が時時刻刻と変化していくので測定をやるたびに値が一定せず、データの再現性は乏しくなってくる。従って、完全に安定になった錯体に関してのデータを取ることになる。それゆえ安定度定数も完全に安定化した状態でしか測定できないことになるので、実際は計測して得られた安定度定数の信頼性が乏しいと、斉藤先生は判断され論文には銅とロッセル塩の錯体の配位数だけを示すことになった。

この手伝いの実験のあと、無電解銅の安定性に関しての研究が本格的に始まったわけだが、丁度その頃、不幸なことに学園紛争が日に日に激しさを増してきていた。毎日夜遅くまで又は徹夜の会議、ロックアウトで授業ボイコット、ついには学生が16号線を封鎖、日本で唯一産学協同という理想的な形で大学内に工場を持ち、大きく大学に貢献していたのに、学生の突きつけたテーマは産学協同路線粉砕、従って本学が一番のターゲットになり、ついには大学から事業部を分離し中村先生は大学を去ることになる。

「無電解めっきはビーカーと洗面器とバーナーと温度計があれば研究が出来るから。」と、この実験を続けることになった。斉藤先生の研究の手伝いをした40年以上前の無電解銅めっきは安定性に乏しく、すぐに分解したものだ。自分でこの安定性の低い無電解銅を如何に安定化するかに焦点を当てて、研究を先ず始めた。

当時は未だ世界的にもこのテーマの研究発表はほとんど無く、唯一、中村先生がアメリカにABSにめっきしたサンプルをお持ちになり、そのときに知り合いになられたハラルドナーカス氏の論文、その後にサベスター博士の論文だけであった。サベスター博士の論文には、空気が無電解銅めっきの安定性を大きく向上させることと、その理屈が出ていたと思う。なぜ空気で無電解銅の安定性が高まるのか、それは銅が放電する過程において第一銅が遊離する。第一銅は不安定で溶液の中で第二銅と金属銅になる、いわゆる不均化反応が起こり、溶液中で微細な銅の金属が生ずることになりこれが分解の主因である。

従って第一銅と選択的に錯体を形成する錯形成剤を探せばいいことになる。薬品の便覧から第一銅と錯体を形成する試薬を探しそれをことごとく評価した。それらの試薬の中で結論的にはジピリジルが安定性に大きく効いているとがわかり学会で発表した。

もう時効だから経緯を詳細に述べてもいいのだが、ある薬品メーカーの社長が講演が終わると即座に、私のところにおいでになって「あのような直接的な発表は困ります。」ピンと来た、その薬品メーカーはジピリジルを使っているのか、こちらは自分達が安定性を高めるのにいろんな添加剤を調べ、行き着いたのがその試薬であったわけでメーカーがその試薬を使っていると知らなかったのである。

未だ研究を始めたばかりであったので、自信はそれほどあったわけではなかったのだが、当時はそのことが契機となり、自分達でもメーカーと同じくらいのことが出来るぞとの自信をつけた。しかしながら、メーカーと同じことをやっていては、そのメーカーや他のメーカーに対しても、せっかくノウハウを蓄積して商品にされているのに、その領域を侵すことになりかねないと反省もした。

従って、その後の研究ではメーカーと同じことをやることは控えるようにしてきたつもりである。それ以来、研究のスタンスとしては未だ検討されていないチャレンジングなことに対して少しでも産業界に貢献できるよう将来技術のポテンシャルのアップや活性化を念頭において研究をすることにしている。

ジーキル・ハイド現象についてだが、実はこの40年間無電解銅めっきの添加剤としては一貫してベースに使っている添加剤はジピリジルであるが、これが薬品のメーカーによって、更にはロットによって安定剤としての効果が異なってくる。これまで、すなわちアンチパテント時代はほとんど何も隠さずに、いろんなレシピを紹介してきたが、我々の論文を見て同じように建浴したが、まったくうまくいかないではないかとのクレームをいただいたことが何度かあった。結論から言うと薬品の純度や合成プロセスの違いが大きく性能に効いてくる。



EU化学物質新規制「リーチ」

電気・電子製品を対象に鉛など6物質の使用を原則的に禁じたEU規制(RoHs指令)はよく知られているがREACHはご存知だろうか。正式名称は「化学物質の登録、評価、認可に関する規制」。EU域内では年間1トン以上製造・輸入する化学物質に関して欧州化学物質庁に登録と安全性評価が義務付けられるものである。有害性の高い物質の使用に当っては認可が必要になる。未登録の化学物質が製品に含まれていた場合は使用禁止や出庫停止などの処分を受ける可能性がある。

このREACHに神経質になるのはノウハウの流失にある。特にめっきの前処理やめっき液に使われている化学物質の名称や配合量は企業秘密である。生産技術にノウハウがあったとしても組成がわかってしまえば、その道のプロは簡単に模倣が可能になる。世界規模で広がる化学物質の規制強化、生き残りをかけて、これからケミカルサプライヤーの試練のときである。
 

責任感の欠如が企業の存亡に
関東学院大学
本間 英夫
 
以前にも苦言を呈したが会議ばかりしている会社は儲からないと。実際、企業によっては何度電話をしても交換業務の女性がいつも「会議中です、いつ終わるかわかりません。」と言い当人には繋がらない。午前中会議が続いている場合や、午後も引き続き会議している場合など、毎日ではないのであろうが、週に一度か二度会議日があるようで、まったく相手と連絡が取れない。

そこで今度はメールで連絡するが、これも何度連絡しても相手は見ていないのか返信がない。そこで又電話して「メールしたのだけれど。」と確認の電話が通じるまでに、2週間もかかってしまう始末である。

その頃には言いたかったことも、なんだか気が抜けてインパクトがなくなってしまう。まったく馬鹿げたことである。また、重要な約束をしていたのに当日になってから申し訳ない、のっぴきならぬ重要会議が入ったのでキャンセルするという。

この様なドタキャンは事情があってのことであろうが、過去にこの種のことを何度もするような人は信用できない。約束を甘く見ているか、プライオリティをそこにおいていないからである。また、小生自身の魅力の欠如や重要性が低位におかれているのであろうと反省もしている。

特に、経営を担っている役員は、すでにこちらが予定しているのに、ドタキャンをするというのは、よほどの理由がない限り許せないことである。

おそらくこの種の人は従業員から信頼されないし、高い評価が得られず企業にとっては大きなマイナス要因だ。

これを自分に置き換え、過去を振り返ってみて、もし同じ事をやっている読者がいたら直ちに改められるように。他の企業の人との約束を守らず代理を出す人、また学会の役員の任に就いているのに定期的に役員会があっても理由をつけて欠席することが多い人、また当日ドタキャンをする人、猛省されるように。

もっとも、この種の人たちは読者の中にはいないと思うが。



役員へのアドバイス

会議の多い会社では会議の進め方に関して、いたって稚拙な会議形式になってはいないかと危惧する。こちらは経営にタッチしているわけではないので、少しでも改善してもらおうと思うのだが、経営にタッチしていないからと断られる。

最近、社外重役という制度があり新しい息吹を入れて成功している場合もあるというのに。

企業規模が中途半端に大きくなると、これまでの会議の形式をそのまま継承していても、うまくいかない場合が多い。企業規模が大きくなり、役員も増えるに連れて、その会社の経営者の意思が通じにくくなる。

「企業は人なり」というように職場を共にしている従業員を如何に育て、如何に楽しくわくわくできる環境を構築するかが、究極的にはもっとも大切である。

しかしながら、製造業を中心とした多くの表面処理関連の企業では、従業員にかなりの閉塞感があり経営者との意識のずれが大きいように思える。

会社を見学した際の職場環境を見ると一目瞭然である。先ず従業員は挨拶をしない、目が輝いていない、作業服がよれよれ、歩く姿もピリッとしていない、後ろ姿は首をうなだれ活気がない、便所が汚い等々。役員は保守的でイエスマンばかり集めている。ノーといえる気骨のある人の意見を聞く度量がないと会社はどんどん衰退していく。



会議の進め方 実りある会議を

毎週開かれる会議で実りのある内容であったと、満足できる会議はどれくらいあるのであろうか。単に報告会で終わってしまう、先週も同じ話をしたっけと時間ばかり費やして結論が出ない、だらだらした会議など実りの少ない会議が多いのではないだろうか。

通常は会議を開く前に、あらかじめアジェンダや参考資料を配布しておけば効率がよく、しかも会議を開く理由が明確化される。

特に議題を明確にしておく、開始時間と終了予定時間を明記しておく必要がある。時間を決めておかないと、だらだら意味のない会議になりがちである。

また、個々のテーマについて何処まで討論し、何を決めるかが設定されていないと無駄な時間ばかりを費やし生産性の低い会議になってしまう。その意味では議長役の手腕が大きく会議の成否を左右する。

我々の研究所の会議は目標や目的が定めやすく、以外にスムースに進められていると自負している。会議に入る前に全員にあらかじめアジェンダがメールで配信されている。会議中はパソコンで論議の内容を即座に打ち込み、プロジェクターに連動させ参加者にはいつも見えるようになっている。

従って、明記された目的が何処まで論議されたか何処まで達成されたか、結論は何かなどその場でわかるようになっている。

また、会議の終了時点で、その議事録をプロジェクターで示し、みんなで確認しあう。必ず次回の会議日をその時点で決める。

日本の学校教育におけるひとつの欠陥であるが、ディベートの習慣がないので、多くの企業では、ごく一部の人しか論議に参加していないのではないだろうか。だんまりを決め込んで、早く会議が終わるのを待っている人が多いようでは、その企業は衰退していくだろう。



話し上手は聞き上手

一対一の話し合いは共通の話題が設定しやすく、お互いの意思は通じやすいが、会議後などに開かれる10人程度の懇親会の場合、数人ずつのグループに分かれてしまい、話題の焦点が定まらず単なる雑談になっているのではないだろうか。

中村先生が元気な頃は、求心力が強く20人くらいになっても先生が話題を提供し、その話題に沿ってお互い話し合う雰囲気があった。

ところが最近の会議後の懇親会などでは、5,6人の少人数の場合であっても2つか3つのグループに分かれてしまい、せっかく面白い話題があっても2,3人しかその話を聞くことが出来ないのが現状である。

その意味でも進行係の必要性と重要性を最近痛感する。

小生はいずれの懇親会でも年長者になってきたので、余りみんなに気づかれないようにスムースに進行するよう配慮している。

その際に話題が豊富でいろんな興味ある話を提供する人がいる。従って若干話が長くなってしまう場合があるが、面白い話であったり、新しい情報の場合は、みんなが集中し、いい雰囲気になる。その際せっかくの集まりだから、みんなの意見を聞いたり、賛同したり、反論したりで会は盛り上がる。

しかしながら、話好きな人というのは、得てして自己顕示欲が強く、一方的に話す場合がある。これは話し上手ではない。その場の雰囲気を掴んで、みんなが楽しく意味のある会になるようにお互いが努める必要がある。

せっかく時間を割いて、みんなで集まっているのだから、共通の話題で話を進めていったほうがいい。多くの人が集うと話題が拡散しやすいが、なるべくみんなに聞いてもらいたい話題を提供し、お互い満足できる懇親会にしたいものである。
 話し上手は聞き上手と言うが、突き詰めれば話し上手は、集っている人がどんなことを聞きたがるか、どんな話しを面白がるかを感じ取る力が必要であるし、また、聞き上手は、相手がどんなことを話したがっているか、どんな面白い一面を持っているのかを感じ取る力が必要である。

この両方のセンスを兼ね備えることが大切である。単にお喋り上手や相槌上手になってはいけない。提供された話題に強い関心を持ち、話し手も聞き手も楽しい雰囲気作りが重要である。
 

日本の技術の弱体化
関東学院大学
本間英夫
 
日本における産業の中で製造業は25%、しかもそのうちの99%が中小企業で物づくり大国としての地位を確立してきた。しかし最近国内から、量産型技術は中国を中心に海外展開している。成熟産業は東南アジアを中心とした海外展開が当然としても、最近ではかなりハイテク産業も日本の頭を通り越してアジアに展開されており、これまでの強みとされてきた技術力そのものも低落している。

徹底的な生産効率の追求、省力化やそれに伴う人件費削減を中心とした雇用体系の変質、開発要員の削減が技術力の低下に拍車をかけている。今回、日本の製造業を中心とした技術の低下に対する焦燥感を抱きながら9月中旬に2年ぶりにドイツを訪れた。

日本人の体質として一貫してアメリカやヨーロッパ崇拝主義が根底にあり、これらの先進諸国から新しい技術の発信が行われるものとの盲信が根強い。確かに我々の関連する表面処理産業ではこれまでアメリカやドイツを中心としたヨーロッパの薬品や装置に依存している場合が多い。日本はこれまで物まね・模倣が得意とのレッテルを貼られ一般の人々の中ですらそのような認識が浸透している。

小生はこれまで、事あるごとに借り物からオリジナリティーを持った薬品の開発、プロセスを構築することで日本発のすぐれた技術の重要性を強調してきたつもりである。



現場技術の経験

今から45年ほど前にさかのぼるが、中村先生および斉藤先生の下で日本発の技術として世界に先駆けて、プラめっきの工業化を目指した開発に関わってきたことがその後の研究開発の自信に繋がっている。

若いときの成功体験はその人の生き方に大きく影響を与えるものである。更に当時は神奈川県が技術立県として国内で指導的な立場にあり、いち早く県および市レベルで技術指導員制度が導入され、中村先生とはプラめっきおよび一般めっき関係、今井先生とはシアン処理をはじめとした公害対策の技術指導に県内の工場を訪問した。

当時の表面処理関連の工場には技術担当者はほとんどいなく、装置および薬品をメーカーから導入し、技術的なフォローはすべてメーカーに頼っていた。従って対策は遅れがちで不良は多かったのであろう。いずれの企業でもいろいろ工程上の問題点を上げられ、その解決策を指導したものである。技術指導に当って、はじめの数回は緊張したがどの企業に訪問しても、抱えている問題点はほぼ共通で、しかもどの問題もちょっとイメージすれば的確な解決策が得られ両先生から喜んでいただいたし、又自分にとってもめっき全般が理解できるようになり貴重な経験であった。

また、大学の実験室では常に複数のテーマーを持ち「やったか」「まだか」の激励の下で朝から夜遅くまで実験にまい進したものである。これらの経験が物をいい、30代前半ですでに表面技術の便覧の共同執筆者としてかかわることが出来たし、表面技術協会の分科会の役員としても参画させていただき、その後の学会活動に繋がっている。

当時は前述のように、アメリカやヨーロッパから学び、模倣する時代にあって、我々はすでに世界に通用する技術開発を手がけていたことになるし、技術指導を通してトラブルシューティングや技術開発のヒントになり、現場主義の重要性が自然に培われていった。


海外視察の考え方

JAMF の海外研修は半世紀前、関東学院大学の事業部でプラめっきの完成時期とあいまって、中村先生が視察団を結成されアメリカの工場視察が始まった。アメリカからも1960年代から70年代にかけて3度くらい視察団が日本に来ている。

先生は視察を通して、視察という形はテイクアンドテイクで情報交換になっていないこと、フェアーでないことを認識されていた。数回の視察の後、斉藤先生にバトンタッチされたが、当時1ヶ月も事務所を空けることは出来ず、小生は大学に勤務しているから、時間的な制約があまりないだろうからと、視察を任されるようになった。

もうひとつの理由は視察の全日程を通して、アメリカでプロの通訳を雇う形をとっていたが、その費用が視察団としては大きな負担になっていたようで、「君自身の勉強になるから、積極的に技術的なところは通訳できるようになれ。」と、小生にバトンタッチされた訳である。

はじめからそのような大役は負担だし、こちらは通訳に関して全くの素人なのでバトンタッチされてから2度はプロの通訳がついていた。中村先生は数度にわたってアメリカで通訳を介して技術内容を相手の技術者と討論されたのだが、通訳された内容がおかしいと感ずることが多く、我々の専門領域の通訳を養成しなければいけないと考えられたようである。

しかも視察を単に視察で終わらせるのでなく、お互いの技術内容を対等の立場で討議することが大切であるとの考えを先生がお持ちになっていた。それには先生は半世紀前に日本で初めて光沢青化銅を開発され、その後プラめっきを世界に先駆けて工業化し、更には排水処理やリサイクルシステムを積極的に推進されてこられたからであり、いつも単に海外の情報を取ってくるだけでは、真の関係を構築できないと考えられていたからである。

東京都に散在していた20社のめっき工場を羽田近くの京浜島に集約して、リサイクルをベースにした団地化に成功したのは、あまりにも有名で日本の各地から視察団が訪れ、又海外からの視察も多い。しかも今回訪問したドイツでは、今から20年以上前に京浜島を視察されたベルリン工科大学のカンメル教授が中村先生のリサイクルシステムに共鳴され、いち早くドイツで紹介しそのシステムがドイツでも採用されている。

小生は中村先生の下で技術開発に専念してきていたので、我々日本の専業者のレベルを向上させること、それと大学を中心として先生とコラボレートしてきた内容を海外の技術者にも知っていただいて、互いの信頼関係を更に強固なものにすることがベースにあった。

従って小生が初回のアメリカ視察に入る前に、一人でアメリカに出かけロスの飛行場の近くの表面処理工場で2週間にわたりめっき全般の前処理から、すべてのめっき及び後工程に関しての用語をマスターするように先生から指示された。

その工場はアメリカにおいては専業工場としては最大のクラスであったが、技術担当者はいないようであり、社長から簡単に工程内容を説明され、あとは自分で勝手に工程をつぶさに観察していいということになった。その後日本から来た視察のチームと合流し、3週間から1ヶ月の視察を通して専門用語を中心にマスターしていったものだ。

視察を終えて羽田に帰国した時は先生が迎えにでておられ、ねぎらいの言葉を参加者にかけられ、そのあと小生と二人だけになってから、お寿司をご馳走になりながらホットな視察や論議した内容の報告をしたことを今でもはっきり思い起こすことができる。

当初はJAMFの本部機関であるNAMFからの紹介企業を視察し、そこで論議するように企画されていた。しかし、専業の工場では全く日本と同じく下請けで、技術はすべて薬品や装置メーカーに依存しており、あまりこのままのスタイルでの視察は意味がないと、小生が担当するようになってから数回の視察の後、単刀直入に先生に伝えた。先生は即断で、それではこのやり方をやめて薬品メーカーや学会で知り合った技術者を通して、アレンジするようにとの指示を出されて、その後JAMFはNAMFから脱退することになった。

特に薬品メーカーの技術の方々とは、アメリカでの学会や日本においでになったときに、いろいろ話をさせていただき信頼されるようになり、それからは薬品メーカーを中心にアレンジするようになった。それ以降、ヱビナ電化と吉野電化の現社長である海老名さんや吉野さんが視察に参加するようになり、すでに20年くらいになる。

小生はその間、常々中村先生の熱い思いである対等の立場での意見交換をベースにしたいと願ってきたが、20人くらいの視察チームではなかなか深いところまで論議できないのが現状である。表面処理の領域では引けを取らないとの自負があり、これからはお互いの技術内容を討論し合えるところまで高めるように願っている。

又若手の次期経営者や次代を担う技術者が技術の重要性を認識し、物まねからオリジナルな技術、世界に通用する技術力、常に前進するポジティブな考えを持って公平・公正な立場でお互いの技術を語り合えるようになる事を願っている。



ドイツの技能者・技術者の養成

これまで10回くらいになるドイツの視察や学会の参加発表を通して、ドイツの教育制度に触れてみたい。

日本と根本的に違うところは、小学校が4年制で、10歳で進路が決まる。
 日本のように、とりあえず高校へ行ってそれから大学に行くかどうか考えるのではなく、10歳(小学校4年生)で、進路を決めなければならない。大学へ行くためには、9年制のギムナジウムへ行くことになる。大学へ行かない場合は5年制の中学へ行って義務教育を受ける。その後は専門技術を学ぶ6年制の専門学校へ行くことになる。
 進路の決定に当っては、基本的には小学校での成績で決まる。一定の学力がないと、大学のコースにはいけない。しかしながら、ドイツは日本のような学歴偏重社会ではないので、学歴だけで将来が決まるのではなく、職業に繋がる技術を習得する学校が充実しており、大学へ行かずにマイスターを目指す人も多い。また、職業養成訓練生の制度が、学校から職業生活への移行支援制度として若年者対策がなされている。

この制度はドイツ語圏を中心に発展してきた制度で、企業で実施する職業養成訓練と、職業学校等の教育機関での学習とを同時に行う(デュアルシステムといわれている)、若年技能労働者の養成のベースとなっている。近年は経済のグローバル化の影響等もあり、職業養成訓練ポストが不足するなど、デュアルシステムを取り巻く状況も変化が生じてきているが、ドイツ連邦・州政府は、職業養成訓練ポストの確保の対策をとりながら、デュアルシステムの維持に努めている。

また、職業養成訓練を受けた労働者全体の80%が、自ら受けた職業養成訓練で得た技能取得なしには、現在の業務が果たせないと考えているというアンケート結果があるとされており、職業養成訓練生制度を中心とする職業訓練が評価されている。

今回訪問したすべての企業においても養成工・訓練生が活躍しているようであった。また大学への進学を選んだ場合は最終的には大学の研究室単位で学ぶことになる。基本単位が講座であり一つの講座に一人の教授で、ドイツの大学教授の権威は高い。教授の業務は研究費の獲得であり、どの教授も平均して10程度の数の研究プロジェクト、研究費の獲得をしているようである。インターンシップ制をコースの必修としているためか、企業からの研究助成がかなり多いようだ。獲得した研究費の半分以上は博士向け研究者、ポスドクの給料に当てられているという。特定の研究費・プロジェクト毎に雇用されて研究体制はしっかりしており、企業とのコラボレーションの絆も強いようだ。

日本でも最近ようやくインターシップが工科系の大学を中心として推進されるようになってきたが、どちらかというと就職先を決定する前の短期間の研修が主で、あまり意味を成していない。

産学協同が盛んに叫ばれている中で、日本版デュアルシステムを各工科系大学で構築すれば学生の意識は大きく変わるだろうし、大学の研究も実学に近い領域をカバーでき、大いに大学の研究も活性化されるであろう。

小生の研究室では、大学に表面処理部門の事業部を併設していた関係で、すでにドイツの職業教育システムとは異なるが類似の方法で学生に対して実学教育を実施してきている。

現在ドクターコース5名、マスターコース10名、学部の4年生の卒研生10名程度が表面工学研究所を中心に基礎力をつけることを怠ることなく、先ず国際語としての英語の輪講会を毎日実施し、基礎研究と実学に近い研究を行っている。

また中村先生の2期生であった大朏さんが会長に昨年就任された際の寄付金をもとに、本年度から表面工学関連の寄附講座を開くことも出来るようになった。他大学の先生や産業界からは技術および経営のトップに講師になっていただき、学生からの評判は絶大である。

さらには、5年前に神奈川文化賞の副賞、産業界とOBからの寄付金をもとに表面工学奨学金制度を大学で認知していただき、大学院に進学する学生に対する奨学制度も3年前からスタートし充実してきている。

これからの時代、特色ある大学作りをと叫ばれており、小さな一歩かもしれないが、表面工学研究所の活動、寄附講座、奨学金制度の充実などを通して学生の力をつける環境が整備されてきており、大学内および産業界からも評価されてくることが期待される。
 

教育問題
関東学院大学
本間 英夫

 
教育は「国家百年の大計」といわれる中で、如何に改善すべきか、今まさに大きく揺れ動いている。現在、教育に問われているのは、失われつつある倫理観やモラルの欠如である。また、天然資源に乏しい日本がこれからも技術立国として先進諸国の一翼を担っていくとすれば、頭脳を資源として、如何に貢献していけるか。

我々の関連する製造業を中心とした産業界の発展には、よき人材が集まらねばならない。従って、教育は直接的に将来を大きく左右するので読者すべてが無関心でいられない問題である。内容が少し硬いが教育の現状と将来に関して述べてみたい。



ゆとり教育の反省

中央教育審議会は、「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」に転換し、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成していく方針を固め、今年度中に学習指導要領の改定を予定している。2003年に行われた国際学習到達度調査(PISA)では、文章表現力や思考力を測る「読解力」の順位が、日本は8位から14位に下落している。1980年代だったかの調査では学力は日本がトップレベルであったと記憶しているが、ゆとり教育の名の下で中学や高等学校での教育科目が3割も削減されれば当然学力は低下するであろう。

実際に大学の教育現場を担当していて学生の基礎学力低下には愕然とする。

学力低下の背景には、学校5日制の完全実施など、学習内容を大幅に削減した「ゆとり教育」が、小中学校では2002年度から、高校では03年度から施行されたことに基づいている。

先の国際学力調査の結果を見るまでもなく、「ゆとり教育」からの脱却を図らなければならないことは明白である。

中教審や教育委員会、現場を担当する教育者が推進してきた「ゆとり」とは一体何だったのか。

確かに詰め込み教育の反省からの教育改革は了解できるが、詰め込み教育が良くないから、それではゆとり教育へというのでは論理が飛躍的、短絡的である。

教育の本来的な問題と、将来を担う青少年の教育には何が必要であるのかといった論議は勿論であるが、実際現場で指導に当たっている先生方が情熱を燃やせる制度の確立のほうこそ大切なはずである。

中教審では「言葉は学力向上のために欠かせない手段」と位置づけ、小学校低学年から、国語だけでなくすべての教育活動を通じて言語力を育成する必要があると判断した。小学校低学年では、体験学習で感じたことを作文にまとめるなど、発表などの学習を重視。中学の理科では、予想や仮説を立てた上で実験や観察を行い、結果を論述させる。体育の授業でも、筋道を立てて練習計画や作戦を考え、状況に応じて修正させる訓練を積むことを想定している。

この様にゆとり教育の見直しが喫緊の課題として指摘されたが、ゆとり教育推進の背景には団塊世代から始まった受験戦争に端を発している。厳しい受験体制の中で中高生はストレスを蓄積させ、非行やいじめの原因にもなっているといわれてきた。
 しかし現実は、高校全入運動の結果、高等学校を選ばなければ、全員どこかの高校には入学できるようになってきた。

従って、受験勉強に追われているのは、一部の生徒だけで、全体としては熾烈な競争とか受験地獄というほどではない。現に公立高校にも推薦入試が導入され、学科試験のない推薦を狙う生徒が増えたことから、ほとんど受験勉強をしない生徒が大量に入学し、中学生が熱心に勉強しなくなったとも言われている。
 また、高校生が大学受験に追われているという世間的な常識も若干修正を要する。一般入試に挑戦するのは全体の3割程度にすぎない。しかも、少子化時代を迎えて、募集人員と受験生の数はほぼ同じ、しかも受験科目の削減、一芸入試、推薦入学、OA入試などのあの手この手の応募方法を導入した結果、ごく一部の大学だけが一般入試の競争倍率が高いだけで、かつてのような激しい受験戦争は収束しつつある。

さらには大学を受験しない5割の高校生にとって、出席さえすれば単位が取れる科目が多くなってきている。このように大切な基礎固めの時期に、「ゆとり」という名の下に、切磋琢磨する気概がなく怠惰な生活に堕して、高校生からすでに充実感や将来の夢を失う体質になっている。

今こそ学びが将来どのように役立っていくのか、人生の大切な青少年期に、何をやっておかねばならないかを先生方は熱く生徒に語らねばならない。しかし、これまでの教育制度下では、青少年に本来の教育の意味を理解させ、納得させることが出来る能力を持っている先生が、どれくらいいるのだろうか。教育委員会の規制が厳しく画一的で、昔のようにいろんなキャラクターの名物先生というのが少なくなっているように思える。

学習に関する他国との比較調査でも、日本の子供が家庭で学習する時間は少なくなってきている。十数年前、日本の子供の学習時間が世界一であったのに、驚くほど勉強しなくなっている。
 また、中高生の6割以上が月に1冊の本も読んでいないという。これは国際的に見ても最低レベルであり、知識が少ないと思考も広がらず、中教審の言う「生きる力」はまったく育たないのが現状である。

先生方もこの事態を打開するには、受験だけに焦点を絞った教育ではなく、中高時代に絶対に必要な基礎、教養を身につけるよう生徒に自覚させ、教育に反映させる意気込みが必要である。それにしても、厳しい受験戦争を経験し、真の教育とは何かを認識できないまま、大学や大学院を修了し、ほとんど社会経験のないまま、すぐに教員になった人たちに、そこまでの要求は難しい。

思い切ってこれまでの教員採用試験を修正し、教員はいろんな社会経験、指導実績を持った極端に言えば40代以上、更には、すでにリタイアし、青少年の教育に情熱を燃やしたいと考えている人たちが教育現場に立てるようになれば教育現場が活性化されてくるであろう。


道徳教育の重要性

初等教育から高等教育まで、次代を担う生徒や学生に対して、これまでの知識詰め込み方の方法から、本来的に基礎、教養として必要な科目を通して豊かな人間性、高い発想性を養うには何が大切か、評価法を含めて見直す必要がある。また、道徳教育は初等、中等教育において絶対に導入されねばならない。

 これまでは、教育に対する道徳教育は低く扱われ、また道徳に関しては何を持って優秀とするか判定できないという。何もすべての科目をテストで判定する必要はないはずである。

人間誰でも必要に感じたもの、また興味があるものには序列化を意識しないはずである。これまでの基幹になる科目に関しての知識詰め込み方、極端な言い方をすれば暗記能力に優れた生徒が優秀とされてきた評価法や価値観を変えていかねばならない。
 これまでは点数に表れない能力に関しては評価されず、どれだけがんばっても達成感が無く、無気力になる青少年が増えた。実は点数に表れない能力が将来的には最も必要な能力であるのに、先生方にはその認識がない。これまでの暗記中心の点数至上主義から豊かな人間性と考える力を養成する教育方法に切り替えていく必要がある。

道徳や倫理をベースにした教育をと唱えれば、戦前の教育勅語を連想し、全体主義とか帝国主義、思想教育に繋がるとの過度のアレルギー症状や反発があり、この種の教育はなされてこなかった。

逆に個性を尊重する教育が推進されてきたが、それは理想かもしれないが学校教育では、問題が多い。個性の尊重と自主性から高校の履修で必修科目を削減し、選択制が導入されているようだが、多くの問題を抱えている。

特に選択教科を増やすと生徒間の信頼関係、帰属意識、学習意欲が失われていく。単位制を導入した高校では中退率が高いという現実があり、個性化という美名の下で学校の崩壊を導いている。
 中教審は選択制の意義として、個性化のほかにカリキュラムの選択は主体的に学ぶ姿勢や意欲を身につけさせるとしているが、この様な提案は、これまでの知識詰め込み方教育で優秀者とされてきた有識者の提案であり、ほとんどの生徒は主体性といってもその判断能力がない。

知識だけを詰め込む教育の下では、何を学びたいかという判断は出来ない。その意味では高等学校までは選択科目は極力少なくし、ほとんどの基礎科目は必修にすべきである。選択性になると多くの生徒は苦手の科目は避け、得意な科目や単位が容易に取れる科目に集中することになってしまう。
 この様に個性を尊重する教育は集団の中ではうまく事が運ばないし、逆に反教育的な結果となる。
 自主性尊重の教育を行うという理想のもと、多くの学校で受験指導や生活指導の撤廃、制服の自由化、校則の大幅な緩和等が行われた結果、生徒の生活態度は大きく乱れた。これは戦後民主教育の大きな間違いである。

冒頭にも述べたように教育は「国家百年の大計」といわれるように、今後の教育を如何に改善していくかは極めて重要な問題である。
 

仕事やる気なし
関東学院大学
本間 英夫
 
上場企業の20~30代の正社員の4分の3が、現在の仕事に無気力を感じているとの調査結果が出ている。仕事に社会的な意義を感じない若手社員は3割以上、転職希望者も4割以上に達しているという。

ネットサーフィンをしていたら次のような調査結果が出ていた。仕事に対する無気力を「よく感じる」のは16.1%、「ときどき感じる」が58.9%で、計75.0%が仕事に無気力を感じていた。転職や独立については、「機会があればすぐにでも」が18.7%、「3年以内」が13.0%、「あと5年ぐらい勤めたい」が12.3%を合わせると、44.0%が転職を希望している。「現在の仕事に社会的な使命感を感じない」と答える人も31.7%。一方、やりがいを感じる仕事については「報酬が高い」ことが29.0%でトップ。お金以外では、「仕事自体の面白さや刺激」が44.5%、「同僚や後輩から信頼されること、感謝されること」が35.0%となっている。

これらの調査は、確か野村総研の結果だったと思うが、フリーターやニートは2010年までますます増加すると予測しており、仕事の動機付けにつながる使命感の確立や、若手社員が自分を試せる機会の準備など、企業側の対策が必要だと提言していた。



企業は誰のもの

株式を公開している企業では、「企業は株主のもの」と配当性向が高まり、従業員にしわ寄せが来ているとのコメントが多い。

東証一部上場企業の今年の冬のボーナスは74万程度、一方で中小企業(従業員1000人未満)を含めた冬のボーナスは、原油の高騰などによる原材料価格の上昇により収益改善が困難で、前年比マイナス1.9%、平均金額で33万2000円(パートタイマーも含む)になると予測されていた。

企業規模別の経常利益の推移を見ると、1993年から2005年ごろまでは大企業と中小企業の収益はほぼ連動していたが、2年ほど前から、大企業が経常利益を順調に伸ばしているのに対し、中小企業は頭打ちとなっている。さらに、大企業は今年度に入ってからパートタイマーが前年比マイナス16.8%減少し、フルタイムは4.2%増加している。一方の中小企業は、パートタイマーが4.6%増え、フルタイムは0.7%の増加にとどまっている。

このように、大企業はフルタイムの就業者が増えたことでボーナスが伸び、中小企業はパートタイマーの増加によって、見かけ上ボーナスを押し下げている。中小企業では、フルタイム雇用を増やせるだけの成長見通しが立たないし、必要な人材が確保できていない。就業者の多くを占める、中小企業の低賃金及び賞与低迷が続く限り、消費活動の明るさは見えてこない。

製造業を中心とした多くの企業では、人件費の削減から派遣社員やパートタイマーの比率が高くなっている。これにより、正社員特に中堅の技術者は過剰の負荷を強いられており、肉体的、精神的に追い詰められている。この現状を、経営者は深刻に受け止め、いかに打破するか熟考すべきである。



来春の新卒採用は

来春、4月早々から新卒の争奪戦が始まる。採用の早期化で、学生の理解が不十分なまま内定しているため、雇用のミスマッチから入社後の離職率は最近大きく上昇している。それを防ぐため、企業側が採用法を工夫する動きも目立ってきた。

人員削減で不況を乗り切った企業が、昨年あたりから採用拡大を始めた。電機業界も、研究開発や設備投資の強化でしのぎを削っている。電機業界では、これまでの採用抑制の影響で技術者が不足しているため、大卒技術系の採用を大幅に増やす。また、工場の国内回帰や新技術に着手し、新工場が稼働し始めている企業もある。大企業は、適正な年齢構成の維持や技術継承の必要から、新卒の採用に躍起である。

このように各社が採用増を打ち出す中、優秀な学生を獲得しようと、多くの業種で4月上旬から一斉に内定を出す動きが強まりそうだ。

しかし、各社が4月に一斉に選考を開始するため学生は面接などが重なり、受けたい会社を受けられない状況だといわれている。企業や業種について、意思が固まる前に内定が出ると、辞退者が増える、職業のミスマッチの原因になるなどの指摘もある。
 そこで、学生の確保にあたって、これまで以上に採用方法の工夫をしている。内定段階で学生に配属部署を伝える「配属予約採用制」、入社時期を最大2年先まで選べる「入社時期のフレックス化」、大学院進学も検討する学生層にもアピールしている。

このように、企業の採用意欲は高まってきたが、少しでもレベルの高い人材を採用する傾向は強い。優秀な学生は複数の内定を取る一方で、なかなか就職先が決まらない学生も存在する二極化が進んでいる。



進学も所得格差

家庭の所得によって、子どもの進学への期待や習い事にかける費用に格差が出ていることはすでに明らかになっている。

所得が1000万円以上の家庭では89%が子どもに大学・大学院進学を希望しているのに対し、200万~400万円未満は44%、400万~600万円未満は60%。200万円未満の家庭では30%が、特に希望はないと答えた。

第一子に習い事をさせる割合や、平均月謝額も所得に比例している。1000万円以上の家庭の79%が習い事をさせ、約2万7000円の月謝を払っているのに対し、400万~600万円未満の家庭の52%が、200万~400万円未満の家庭においては38%の家族が、それぞれ約1万2000円および約9600円の月謝を払っていた。子どもの教育費は「かかる」というよりも「かける」ということが明確に表れ、所得差が教育格差につながりかねない。したがって、子育て世帯への教育費の支援が今後の課題になる。



2007年の国際競争力ランキング

世界の政財界人らが集う「ダボス会議」を主宰する世界経済フォーラム(WEF)は。11月末に2007年の国際競争力ランキングを発表した。米国は、財政の健全性について懸念があるが、有力な大学や革新的な企業が集まっている点が評価され、131の国・地域で昨年に続き米国が1位だった。
 WEFは、米国は生産性と革新性における潜在力が世界で最も高いと評価した。
 しかしながら、米国は巨額の財政・貿易赤字を抱えているうえ、ドルが下落していることから、経済大国としての地位をインドや中国などの新興国に奪われるのではないかとの危惧もある。
 国際競争力ランキングの2位以下は、スイス、デンマーク、スウェーデン、ドイツ。アジア諸国では、シンガポールが7位、日本が8位、中国が34位、インドが48位だった。中南米ではチリの26位が最高だった。
 日本は06年版の5位から3ランク落ちた。アジアからは、シンガポールが日本を抜いて7位に入った。この種のニュースは日本がトップに躍り出たとかになると大きく報道するが、今回は各紙とも小さな記事として紹介されていた。