過去の雑感シリーズ

2004年

各月をクリックすると開閉します。

年頭所感
関東学院大学 
本間 英夫
 
新年明けましておめでとうございます。本年

も宜しくお願い致します。

昨年後半から、景気回復の兆しを示す指標が上向いてきているようですが、それを実感している人はそれほど多くはないと思います。基本的には人件費の抑制を始めとしたジョブレスからジョブロスによる景気回復とまで揶揄されているのが現実ではないでしょうか。

表面処理関連分野に携わっておられる方々にとっても、なかなか先が予測できない混沌とした状況が続いていると、悲観的にお考えの方が多いと存じます。しかも、これからの少子高齢化、国および地方レベルでの財政の悪化により、社会の構造改革、システムの変革が強く求められてきております。この「変革の時代」の到来に対していずれの分野においても、的確、機敏な変革が求められています。変革のときを反映し、年初めのテレビドラマは勝海舟に代表される明治維新物でした。

変革のときこそ新しいビジネスのチャンスがあります。これまでも事あるごとにピンチをチェンジのチャンスと熱く語ってまいりました。この変革期を乗り越えるために各企業は、時代の先を見据え、高い技術力、情熱と勇気を持って行動されることが望まれます。

エレクトロニクスを始めとしてナノテク、バイオからビル、橋梁のような大型の建造物に至るまでめっきがキーテクノロジーになってきております。最近、一般の方にめっきをわかりやすく説明するために髪の毛(平均100ミクロン)の更に千分の一の極めて細いところにまで電気めっきが使われているのですよと、半導体のダマシンプロセスを説明しています。

また、川柳調に「ハイテックめっきがなければローテック」と、めっきの重要性を訴えてきております。

このようにめっきを中心とした表面技術は、ますます産業界の中で、重要な役割を担ってきていることを我々はもっと認識し、自信を持って表面技術を生かしていかねばなりません。

日本の技術力は、近年アジア諸国に追いつかれ、さらには追い越されるのではないかと危惧されております。

今後はこれまで以上に表面処理関連団体が緊密に連携をとり、技術に取り組んでいかねばなりません。

ぜひとも各企業におかれましては、高い技術力を構築する為に積極的に産学官の連携、さらには各企業間で活性化につなげる競争と協調が肝要かと存じます。

以上が表面技術協会の代表として書いた年頭所感に少し手を加えたものである。



ジョブレスからジョブロス

今年で私は62歳になるが、OB会の住所録の勤務先欄にサンデー毎日??と記入する友人が増えてきた。企業における定年は多くは60歳、一昔前の60歳と違って元気で活気にあふれている。経験も豊富だし発想も豊か。中には会社の役員、子会社の役員、技術嘱託として活躍しているものもいるが、多くの友人は企業のルールで去らざるを得ない。

2、3の友人の話によると、これからは生活にゆとりを持った第2の人生、毎日何の拘束もなく楽しく送れるぞ!と老後の人生設計をしたとの事。しかし、1ヶ月くらいは朝起きるときに今までの習慣で「あーいけねー!会社に遅れる」と一瞬ひゃっとしたことが度々であったとの事。毎日庭いじりをしたり、色んな趣味にとあちこち出かけたが、ところが3ヶ月もするとまったく充実感がなくなり、生活に疲れさえ感ずるようになったとの事。収入が年金だけになり、退職金もあっという間に目減りしていくものだよと、聞いているとわびしくなってくる。

特に我々のように幼児期は何もなかった戦後、ほとんどみんなが貧乏であった戦後、水っぽくまったく甘みのない配給のサツマイモを食べた戦後、麦の入った弁当でお互い恥ずかしくて隠しながら食事した小学校時代、DDTを頭から散布された小学生時代、給食で出てきたコッペパンの硬い耳の部分だけがおいしく感じ、後はこっそり捨てた小学校時代、脱脂粉乳がまずく全て洗面所に廃棄した小学校時代、その後の池田首相による所得倍増計画が出された中学校時代。

話は拡散するのでこれくらいにするが、それからの日本の工業化は目覚しいものがある。オリンピックの年またはその翌年に我々の同期は大学を卒業した。 みんな同じように、何もなかった時代から立ち上がってきているいわゆる第一次ベビーブーマーの走りである。

それから三十数年、ほとんどの同僚は、企業の戦士として各領域でがむしゃらに働いてきた。趣味を持たないというよりも、持てなかった時代である。人生設計などするゆとりがなかった。それが60をすぎて何もすることがなくなった空虚さ、真剣にもう空っぽだよと嘆いている同僚達なのだ。

がむしゃらに生きてきた我々世代にとって、老後の人生を充実して送る人は一部を除いて数少ないのが現状である。彼らの多くは多趣味ではなかったし生きがいが仕事であった。したがって、おのおのの領域でまだまだ、能力があるはずだ。長い経験に基づいて培かわれてきた技術をグローバル化しているからとアジア諸国を初め、外国にもって行くのも致し方ないが、国内で何とかして次の世代に伝承できる体制を、企業においても国レベルでも地方レベルでも真剣に考える時期に来ている。

また、この数年、特にエレクトロニクス産業界をはじめとして、ほとんど全ての産業領域で大幅な人員整理が行われた。大学を卒業するときは大企業の技術職に採用され本人は勿論、先生も親も大喜びであった。

これで自分の一生は安泰と、毎日仕事に精を出し20代後半から30代前半で結婚し、家庭を持ちそろそろアパート暮らしから、一軒家またはマンションと、退職までのローンを組み、思い切って多額の借金をして購入している。

それが10数年前にバブルが潰え、さらには製造業の海外シフトでリストラ。いったい自分の人生はなんだったのだろうかと悲嘆にくれる人も多い。新規の採用に関しても、製造業においては、このようにジョブレス(雇用低下)から明るさは見えてこない。

さらには、きわめて悲観的になってしまうが、コンピューターの急速な発展により、従来必要とされた技能者および技術者の領域は、一部の特殊の領域を除いてコンピューターを駆使したデジタル技術に取って代わってきている。各種の設計を見てわかるように、今ではほとんどがCAD,CAM、バーチャルエンジニアリングに置き換わってきている。

日本が得意としてきた金型や工作機械産業も、最近ではデジタル技術によって韓国、東南アジアで作れるようになってきている。しかも、アメリカ的な経営が導入され、従業員よりも株主のほうに目が向くようになってきており、短期的な視野にたち利益を上げる必要から、手っ取り早く即効性のある人件費の抑制や率先して日本から海外へのシフトを推進してきている。

これは、今までの日本的な経営のよさが大きく失われてきているように思える。

デジタル技術はこれからの産業のキーになり、ますます駆使されるようになるため、コンピューターを駆使したソフト技術がこれからの産業の担い手になると、ハードからソフトに転換した企業が多い。

しかもソフト開発はインターネットを介してどこでもやれるので、アメリカの企業では、もともと数学に強くソフトのセンスがあるインド人に開発を委ね、しかも拠点をインドに移している。

このようにどの領域をとっても、このままでは、日本からはますますジョブロス(雇用喪失)が起こることになる。実際、昨年12月上旬の新聞でも報道されたように、この春卒業する大学生の就職率は60%程度、各大学では90%以上の就職率とパンフには載せているがデーターにはフリーターや無職者などは載せていない場合が多い。

年頭から悲観的な話になってしまったが、まさにこのような社会構造の大きな変革期にあっては、さらに高度な技術者の必要性が高くなってきている。

これからは、大学は入り口よりも出口で評価されるようになるであろう。即戦力になると同時に発想性の豊かな高度な技術者の養成を目指して今年も教育と研究に邁進したい。
 

雇用問題
関東学院大学 
本間英夫
 
大企業を中心とした製造業の多くは生産拠点を海外にシフトし、大幅な人員削減、新規採用の抑制、派遣社員の採用などで人件費の削減が図られてきた。その結果、昨年から企業業績には明るい兆しが見え、さらには、この3月期は大きな増益となる見通しである。しかしながら、雇用が大きく失われ企業の雇用問題が大きくクローズアップされてきている。      

20世紀の工業化社会では、大規模な生産拠点を持ち多くの労働力を安定供給する形で、終身雇用が定着していたが、この雇用体系が大きく変わろうとしている。 

しかしながら、終身雇用、年功序列等による日本型経営が、80年代の日本の躍進につながっていたことを見逃してはいけない。なぜなら、これは従業員が会社に対して忠誠心を持ったことが競争力をもたらしてきた結果である。これまでは従業員を平等に扱うことが前提であったが、会社に対する貢献度から、平等に処遇することは、今の時代の流れには反していると多くの見直しがなされてきている。これからは、待遇の差別化と終身雇用から長期的雇用へと転換が図られる。 終身雇用から長期的雇用へ変わることによって、従業員の会社への忠誠心が損なわれることが危惧される。

 終身雇用は日本に独特なものである。従業員の企業への忠誠心をベースにした長期にわたる関わり方は他の国とかなり異なっている。また、従来は新規の学卒者を一括して採用する方式がとられてきた。それが現在は通年採用、中途採用と新卒者への就職の機会が大きく低下した。
 現在の状況を考えると、入社時から長期雇用と任期制のような短期雇用に分ける企業が増えることが予想され、結果として終身雇用で採用される従業員はこれまでと比べると減少する。



雇用の流動化

ここ10年以上、アメリカの表面処理の専業工場を視察していないが、70年代の後半から80年代の前半まで視察のたびに、必ず表面処理の専業工場を数ヶ所訪れたものである。

当時は工場団地を京浜島に作る前後であったので、公害対策の日米比較として、何でもアメリカの模倣という空気を少しでも払拭し、我々も技術的には対等に意見を交換することを意図して視察を企画していた。この考えは、表面処理の領域では世界に先駆けてプラめっきの工業化を手がけてきていたとの自負もあり、少なくとも小生を初めとして一部の参加者はその意識があったからである。

70年代の後半、視察したいくつかの大手の専業企業やケミカルサプライヤーでは経営者以外に、力がありそうな技術者が定着していた。また、既に単純作業や事務の効率化のために標準化が進められていた。しかし、その頃から大手の企業では終身雇用から雇用の流動化が進んでいったものと考えられる。

80年代に入り、日本を始めとして東南アジアで製造業の力がついてくるに伴い、アメリカは競争力を失い、さらに人員の削減、生産の規模の縮小を余儀なくされてきた。また、当時から知識労働者の価値は高く、常に挑戦的に仕事に取り組んでいたし、この傾向は現在さらに強まっている。したがって、技術者の企業に対する帰属意識は低く、流動性が高い。これまで20年以上を振り返ってみるとケミカルサプライヤーの技術者のうちで、10%も同じ企業に残っていない。

日本は島国で単一民族であるので、こんなに極端にはならないだろうが、今まさに日本はアメリカと同じ道をたどっているのである。海外シフト然り、生産規模の縮小然り、それに伴う人員削減。終身雇用の見直し、年俸制の導入、年功序列から能力給へのシフト等から、次代を担う学生の就職に対する意識も随分変わってきているようだ。



就職に対する学生の意識

経済社会構造の変化によって致し方ないことも多々あるが、大卒の70%程度しか、まともに就職できない。従って、就職に関して初めから希望がかなえられず、あきらめてしまう学生が多い。10社以上リクルート活動をしても、全て受け入れてもらえないとなると、その時点で自分が専攻してきた分野を捨てそれ以外の分野を探すか、またはフリーターにと安易な方向に走らざるをえない。また、就職をしても最近の統計によると大卒の約40%近くが3年間で転職し定着率は低い。

いずれの大学においても、特に文科系では、先生個人が就職の世話をするのには限界があり、就職科の窓口に任せている。したがって、各大学による取り組みにもよるが、学生が満足するような就職口を探すのは大変である。何でも良いから一応格好をつけるために卒業までに決めておこうということになり、実際に入ってから、こんなはずではなかったと失望する。

さらには、一度転職すると癖になり、なかなか自分にあった就職先が見つからない。しかも、企業は生産作業や事務の効率化のためにアウトソーシングやパートタイム社員を採用することが当たり前になってきた。 

年俸制が採用され、定期昇給、年功序列も大きく変わろうとしている。大手の企業では、現在もなお不採算部門を整理し、人員を適正規模にするべく早期退職を導入してきているし、中には給料半分で週2日か3日出勤する制度を公表した企業もあるくらいで従業員の企業に対する忠誠心は大きく低下してきている。学生もそのあたりを敏感に感知し、将来に対する失望感も大きい。



帰属意識の欠落

以上のように日本でも、80年代のアメリカのように製造業を中心としてコスト競争力の低下、生産規模の縮小、人員削減、単純事務や単純作業の効率化とマニュアル化、雇用の流動化の傾向が顕著に出てきている。

 経済や社会の構造が大きく変化したことによって、雇用の流動化や多様化は進んできたわけだが、雇用の流動化や多様化が、決して望ましいはずがない。人員削減のしわ寄せは、既に製造工場では帰属意識の欠落、歩留まりの低下、さらには安全性の低下につながり昨年、工場の爆発事故やその他の事故の原因調査で100件の事故のうち人為的なミスが80%以上である。今年に入ってからもいくつか爆発事故がおきている。

人員削減により安全管理体制が手薄になり、下請けの業者やアウトソーシングの人たちが犠牲になっている。

また、転勤になると、家族と離れ単身赴任を決断せざるを得ない。生活の基盤である家族と離れ、仕事が終わって家に帰っても誰もいない。食生活もいい加減になりコンビニその他で弁当を買ってくるか、または一人で簡単に料理をしている状態はどう考えても充実感に満ちた生活とは程遠い。

その人たちが上司でその下に意識の低い部下がいて、それでまともな仕事が出来るわけがない。超一流の技術立国から並みの国に転落と危機的な状況がじわじわボデーブローのように効いてきている。

ある工場では不良率が4~5%であったのが、最近になって10%近くに上昇し、対策を講じてもなかなか不良率が下がらないという。早期退職を初めとする人員削減により、中高年の技術者や技能者の数は極端に減りノウハウを伴った技術の伝承がスムーズになされていない。

さらには担当者の負担が大きくなったこと、また若手の従業員の能力と責任感は大きく低下し、アウトソーシングの質も都心部では低下しているようだ。仕事が決まって2、3日で辞める人も多いという。

フリーターは5年もやると、もう専門職にはもどれなくなるとも言われている。これでは歩留まりを上げようといくら努力しても埒があかないであろう。さらには開発業務に関してもこの様な環境ではいい発想が浮かぶわけがない。今まさに企業は人なりを再認識しなければならない。

学生に対する意識付けには、今までの高度成長期とは違い、誰でもどこでも自分の希望したところに入社できる時代は終わった。

これからは自分を売り込めるように、実力をきっちりつけていかねばならないと常に意識付けをしている。

l いい経営者の下では企業が発展する。

l いい監督の下ではいい成績が残る。

l いい指導者の下にはいい学生が育つ。

新4年生はすでに2月の初めに各研究室に配属された。自主性、主体性、問題の発見および解決能力を上げることの重要さに気づかせる環境を作ってやりたい。
 

特許論争
関東学院大学
本間 英夫 
 
世界で初めて開発された青色発光ダイオード(LED)に関する中村氏の訴訟で、東京地裁は開発当時勤めていた日亜化学工業に対して、二百億円を支払うよう命じた。この判決に対する技術者や研究者の反応は、おおむね歓迎とその後の新聞は報じた。

一方、技術開発型の企業にとって、このように大幅な特許権の対価を支払うよう命じた判決は、これからの技術者の処遇に大きな問題を投げかけた。

このニュースが報道された翌日、輪講会のときに大学院の学生10人にコメントを求めた。実はケーススタディと称して輪講会を始める前に、話題性のあるテーマについて学生と事あるごとに論議している。学生は、修士論文の仕上げの時期であったので、夜遅くまで研究室で論文をまとめていた。何人かは夜11時過ぎのニュースで内容を知っていた。他の学生にも、事実経過のみ説明し彼らのコメントを聞くことにした。

今の学生はドライだから発明者の権利として当然と受け取る比率が高いのではないか。みんなからのコメントを聞いてから最後に本件に関しては、批判的なコメントをすればいいと思っていた。 

ところが、10人中1人だけ(マスター1年)が発明者の権利として当然ですと答えた。後の9人(マスター1年2名、2年5名、ドクター2名)は行き過ぎではないか。研究者として、もうすこし純粋であるべきだ。みんなの協力で研究は進められているのにと否定的であった。

おそらく毎年、数件の特許を研究室で申請しているし、その際、何故特許をとるのか、これまで研究室で申請したのは、その技術の権利を守るいわば防衛的な手段であること、これまで数十件申請しているが、その中の二件は産業界で大きく利用されロイヤリティーが入ったこと、そのほとんどを大学に寄付したこと、本学は特許に対して積極的に推進する考えがなかったので、委託を受けた企業とタイアップして申請してきた経緯、一昨年研究所を設立したので、今まで個人名で申請してきた特許を全て研究所名義に書き換えを終えたなど、彼らに語っていたので以上のような結果になったのであろう。

今回のニュースが報道される前から、国内の企業や研究機関は、既に知的財産の重要性を認識し、特許使用料の配分をめぐるルール作りが進められてきていた。

しかし、この裁判の結果は大きな波紋を投げかけた。

経済同友会の代表幹事は記者会見で、会社側に二百億円の支払いを命じた訴訟について日本の研究開発の空洞化をもたらすと懸念を表明している。
 発明の対価については給与が保証されて研究しているのであるから、報奨金は通常数百万円、国際競争力を念頭に考えるべきだし、また製品化や販売に至るまで、いろいろな人の努力があって利益が出るのであり今回の判決は問題を多く残す結果となった。

これまでは、特許発明人にはほんのお涙金しか支払われていなかったのは事実だ。しかしながら、企業や研究機関によって異なるが、ここ数年の間に見直され、ライセンスの供与につながれば一千万円程度、中には一億以上の報酬を定めるようになってきた。しかし、今回の判決の二百億円という額はあまりにも巨額であり、報道機関のインタビューで「日本の技術者を力づける、満足している、今回のことで、将来を担う子供に夢を与えた」とコメントしていたが金儲けが、夢を与えることにはつながらない。理工離れの中で純粋にもっと研究の楽しさを伝えてもらいたかった。

 国立大学では、今年四月の独立行政法人化に伴い、発明者と特許使用料収入をどう配分するかなどのルールを作成中であり、特許の帰属先が発明者個人から各大学に移り、あいまいだった大学の知的財産の取り扱いで発明者の権利も明確になる。その際、研究者の意欲をそがないように考慮がなされている。 

 大学の研究成果に関しては、産業界に橋渡しするTLOを介し、特許出願などの経費を除いた収入の配分として大学教官、大学、TLO機構にそれぞれ均等に配分するのが一般的のようだ。

4月の国立大法人化を前に、知的財産の取得や有効活用についての独自規定をつくりつつあるが、京都大学では、教員らが取得する特許にたいして、発明者には収入の最大70%を配分することなどを盛り込んだ法人化後の「知的財産ポリシー」をまとめた。

このように京大では個人の取り分を大幅にアップさせ、これをインセンティブに積極的な出願を期待していると話している。お金だけが技術者のインセンティブになるわけではないし、本来の特許の意味をもうすこし多角的に理解しておかねばない。

先に述べたように、各企業では既に発明者を優遇すべく報奨金制度に関して見直しがなされており、特許の出願、登録時や、開発技術を採用した製品の売り上げに応じて一定額を支払うものが多い。

一例を挙げれば、特許出願で一万円、登録で五万円、売り上げに応じて報奨金を設定し、上限を数百万円から一億円くらいに設定している。我々の研究所でも発明者にどのように処遇するか、議論を始めている。

今回の報道を契機に、今一度技術立国としての日本を見つめ直すべきではないだろうか。そして技術者に対し正当な評価がなされ、待遇改善につながればと願っている。



増加するハイリスク・ハイリターン企業 

 ハイリスク・ハイリターン、それなりのリスクをとらなければ、大きな利益は得られない。

逆にローリスク・ローリターン、リスクを限定的にすれば、利益は大幅に減少する。

2月から3月にかけて各企業の決算報告がなされたが、売上増加よりも経費節減、特に人減らし、いわば、ローリスク・ローリターンで増益となった企業が多い。

 しかし、デジタル景気、中国市場の拡大などから、大型設備投資に踏み切るハイテク企業が目立ち始めた。また海運業界も輸送力増強に動き出した。さらには、大手スーパーの新規出店計画は昨年比50%増と、これまでのローリスク・ローリターンから、積極策・成長路線に転換する企業が増加してきている。

 政府の経済報告で、3年ぶりに「景気回復」という文言が盛り込まれ、景気の回復は今度こそ本物と強気の企業が増えてきている。これまで十数年の間で、景気の回復基調にありながら何度か腰折れている。

たとえば消費税引き上げ時期の判断ミス、ITで活況を呈したと見ての各社の積極設備投資、その後のITバブル、さらにはイラク問題の長期化、SARS、BSE、鳥インフルエンザなど不安定要素があるが、今度こそ本格的な景気回復さらには安定成長になることを願う。

滅私奉公タイプ

先月15日の新聞にメニエール病に関しての記事が出ていた。たまには健康問題にも着目し要約して、さらに自分の体験談も付記する。 

性格や日常生活などについてアンケート調査の結果、他人の期待に沿いたい一心で徹底的に仕事に打ち込み、嫌なことも我慢する滅私奉公タイプの人は、めまいや難聴を起こす「メニエール病」になりやすいことが分かった。「親や上司の期待に沿うよう努める」「嫌なことも我慢する」「他人の自分に対する評価がストレスになっている」「1度に2つのことをしようとする」「仕事その他に熱中しやすい」など物事に徹底的に取り組み、心を休める時間が少ない人にこの病気が多い。

メニエール病の原因は不明だが、自分だけの自由な時間を持つことが大切のようだ。

小生も今から15年位前の40代後半から50台の前半にかけて耳鳴りがひどく、毎晩のようにめまいに悩まされた。病院に通ったがあまり復調の兆しも見られなかった。初め、耳鳴りはニイニイ蝉だったが、その後、油蝉に変わり、車を運転していてもエンジン音がしているのに耳鳴りが聞こえるくらいのときもあった。

めまいのほうは、天井がぐるぐる廻り、何でこんな症状が起きるのか家庭医学書を恐る恐る調べたものだ。一時は睡眠不足でノイローゼ状態であったのであろう、それが学生にも気づかれるほどひどかった。

それがいつの間にか、まったく症状が現れなくなった。おそらく、どちらかというと何事もプラス思考、悪く言えばノー天気なので自然治癒したのであろう。だが、還暦を過ぎシニアの年代に入ったので、これから少しは健康管理をしなければならないと思うが、ついつい忙しさにかまけて不摂生な生活になりがちだ。
 

大学の舵取り
関東学院大学
本間 英夫
 
この4月から国公立大学が独立法人として動き出した。特に科学技術分野では、「技術立国日本危うし!」世界に通用する研究拠点をと各大学にCOEの申請を促し、また、TLO、ハイテクリサーチセンター、学術フロンティア、と体制が整いつつあるようだ。さらには産学連携をベースにして新技術、新産業の創出が期待されるなかで大学と民間との共同研究や大学発ベンチャーは急速に増加している。政府は大学発ベンチャーを1000社育成する方針を打ち出しているが、米国などに比べると数の上でも質的にも見劣りしている。

ここまでは箱物作りであり、極端な言い方をすれば、お金をかけて環境を整えたわけだ。

これからが本番、国公立大学のこれまでの研究体制は基礎研究が中心で、応用を視野に入れる研究は軽視される傾向があった。大学の研究もこれからは研究者自身が応用分野も常に視野に入れて、研究を行うことが望まれている。

全ての研究が応用を意識しなければならないとの風潮にはいささか疑問を感ずるが、基礎研究と応用研究さらには、実用化を視野に入れて全体的にバランスよく研究をしていかねばならない。

40代から学会活動に関わってきたが、当時、企業出身の先生方は大学に入って、かなり戸惑いがあったようである。しかしながら最近、これらの多くの方々は、大学の改革の中で、学会および産業界との連携活動は勿論のこと、大学内においてはキーマンになり、活躍されている。

これまで大学の教員は、卒業するとすぐに大学の研究職につき、産業界で働いた経験のない人がほとんどであった。どちらかというと、産業界とのかかわりに興味のない人たちであった。 

大学内において、研究および教育の中心的な役割を担うのは50代の先生方になってきている。50代は学園紛争世代と言われ、その年代の先生方は、産学協同路線反対との運動に対して傾倒したかどうかは別として、産学連携に関して拒絶反応を持っている人が多い。また、この年代は体制を痛烈に批判し、相手の主張を聞こうとせず、仲間意識は強いようだが、自分達の考えを押し付ける。年長者を敬うより、常に体制を批判する。大学内ではそれが通用したのである。

したがって若干、誇張になるかもしれないが、この年代の人たちが仕切る会議は、冷たい雰囲気が漂う。まさに、その雰囲気を打破すべく企業出身の教員が採用されるようになってきたことにより、自分の研究の殻に閉じこもっていた教員の意識変革につながること期待している。

大学は産業界の下請け機関ではないぞとの批判もあるが、産業界との連携は独りよがりにならず、ニーズを知り如何にオリジナリティーの高いシーズを見つけ出し教育と研究に生かしていく努力を怠ってはならない。



大学発ベンチャーは成功するか?

日本における大学発ベンチャーの数は約260社と、米国の10分の1程度にとどまっているといわれている。 

日本経済が強かった70年代に経営学修士(MBA)講座を大学に設けるべきだったとか、MBAがあれば世界中の学生が日本の大学に集まり、国際化とともに大学間の競争も進んでいたはずだとか、大学に優秀な研究員と学生を呼び込むことができれば、大学の収益が確保され、ベンチャー企業の創出にもつながると新聞や雑誌にコメントされている。さらには、米国の大学では収入の5割をベンチャー投資などの運用益が占め、中国でも大学教授が企業経営者を兼任することで研究費を稼いでいる。さらに、筑波学園都市中国版と称して、ベルリンに匹敵する広大な土地に研究拠点を計画との事。

日本の大学の収入は授業料依存度が高く、国公立大学では平均75%、私立大学では90%を超えている。これまでは、授業料および国の助成金に依存してきたため大学人には研究費の確保との意識は育たなかった。しかしながら、国は借金漬け、それに伴う助成金の大幅削減、また少子高齢化による受験料収入の大幅な低下、さらに数年前から押し寄せてきた受験人口の低下、数年後にはさらに何十万人も受験人口が減り大学が淘汰される時代に入るといわれている。当然、授業料収入は大きく低下するため、これからは特に工学分野の先生は研究費を稼いでこなければならなくなってきた。

大学発の技術ベンチャーに限定した場合、政府目標である1000社創出の達成は容易ではないといわれている。近視眼的に応用研究だけを大学がやっていたら日本は技術大国から並みの国以下に落ち込んでしまう。したがって、基礎研究は大学にとって絶対に必要だが、利益に直接結びつく応用・商品開発研究も進める必要がある。その際、大学は営利活動を追求すべきでないといった意識は変えねばならない。外で稼げる人は稼ぎ、基礎研究に集中している人にも一部の資金を還元するなど、お互いの分野ごとに協力体制で臨む必要がある。その意味では大学発ベンチャーは是非成功させねばならない。



収益源としての仕掛け

収益源として期待されている技術移転機関(TLO)は、運営に多額の費用がかかる。また、大学に帰属する特許が生み出す環境はまだほとんど育っていない。大学での特許取得ランクを何かの雑誌で見たことがあるが、意外と申請の数、取得の数が少ない。これは、特許を申請することは大学人にとってインセンティブにはないためである。

事実、TLOの仕掛けが作られた後も、まだまだ収益面では機能していない。米国でも約250あるTLOの半分が採算に乗っていないとのこと。産学連携の本格的推進には、地域や支援企業とのコラボレーションが必要であり、TLOが構築されたからと、これのみに依存しているようでは、事はうまく運ばないだろう。

多額のリターンが期待できるのはナノテクやバイオテクノロジー分野であると、国は重点的にこれらの分野に注力しているようである。

更には、企業との連携においてこれまでの委託研究の契約やライセンスに関して数百万円程度から、それ相応の金額を大学に支払うなどの意識改革が必要になる。

大学は企業の下請け機関ではないとの認識の上に立ち、対等な立場で大学・企業間で人材の流動化をさらに進める必要がある。 



表面工学研究所の運営状況

さて、こんなコメントをしておきながら関東学院ではどうなのだろうか?本学が日本において産学協同のルーツであり、キャンパス内に木工工場とめっき工場を持っていて、収益の一部を学院に還元していたことを知っているのは、現役の先生の中で小生しかいなくなっていた。

したがって、関東化成の役員および研究所の副所長を兼務してくれている豊田君を含め、一昨年7月下旬、表面工学研究所設立にいたるまで、大学の経営陣に理解を仰ぐのには多大の努力を払ってきた。実質的には設立まで確か3年くらいかかっている。今なら、おそらく即座にゴーのサインが出るだろう。当時は、これからの少子化で大学の経営が大変になるぞと、一部の私学、特に工学系の単科大学では危機感をもち改革の機運が高まってきていた。

しかしながら、我々の大学では当時はまだ危機意識に乏しく、研究所の設立など、なかなか理解してもらえなかった。

関東化成の敷地内、しかも二十五年以上前になるが、小生がドクター論文をまとめていた中に、無電解銅めっきの物性の改善、マイコンによるプロセスコントロール、電解法による新規なリサイクル技術があった。これを実際のプロセスとして応用したのがKAP-8である。関東化成の連中は80年代を制するKANTOKASEI ADDITIVE PROSESSの頭文字をとって命名しているがKは関東化成ではなく関東学院だと今でも連中には冗談を言っている。その技術は当時大いに注目され、アメリカのトップ企業および、いまや韓国のプリント製造業のリーダー企業にもライセンスを供与している。実はそのKAP8のラインがあった工場の2階のフロアーに今回研究所を設立したのである。

従って小生にとって見れば、現役最後の奉仕活動との意識が高く、学内では同僚を始め経営陣にもなかなか理解を得られなかったが、使命感をもってやってきたのである。前号にも記したように、やっと拡張工事も終了し実験室3部屋、クリーンルーム二部屋、機器分析実験室2部屋、スタッフルーム、応接室、50人程度収容できる講義室が出来上がり実際研究の成果も上がってきた。

現在ドクターコースには企業から4名、マスターからの進学者1名の計5名、マスターコースには2年生4名、1年生4名、計8名、卒研生9名、合計22名。この4月からは有機関係および電気化学の研究室の卒研生、マスターも研究所の施設を利用するようになったので学生だけで30名以上になる。あと研究所の専任研究スタッフ2名、兼任スタッフ3名、教員が4名の陣容で着々と成果を上げつつある。



喫煙について
異性の喫煙を「クール」だ、「大人っぽい」とプラスイメージでとらえる人は全体1割にとどまることが大手医薬品メーカーのアンケート調査で明らかになった。調査は20代、30代男女の非喫煙者、喫煙者各50人、計400人を対象にインターネットを使って実施され喫煙する異性の印象では不健康が最多の32%。「たばこ臭い」(21・5%)、「かっこ悪い」(5・3%)、「時代遅れ」(3・8%)と続き、「クール」(4・3%)、「大人っぽい」(3・3%)、「かっこいい」(1・8%)、「自立している」(0・8%)などの好イメージはいずれも下位で、合計しても1割にとどまったとのこと。一方、喫煙派男性の36%、女性の52%は「何も思わない」と回答。喫煙者は他人の喫煙にも関心が薄い様子がうかがわれた。 また、「結婚するなら吸わない相手」と答えたのは男性で70%、女性で50.5%に上った。

30年前は私自身も含め、研究室のほぼ全員がタバコをすっていた。10年前では約半数になり、その後どんどん減り現在25名中喫煙者は3人である。学校内の喫煙場所は大きく制限されるようになり、全館禁煙、喫煙場所は屋外に数ヶ所のみとなっている。先日、関越自動車道のインターで休憩をとったが環境宣言と施設内は禁煙、かろうじて一箇所喫煙室があった。2平方メートルくらいのガラス張りの部屋の中に灰皿が置かれ、動物園の檻か、ショウウインドーのような感じ。灰皿はまったく汚れがなく、誰もそこに入って喫煙していた形跡は見られなかった。禁煙を促すうまい方法だなと感心したが、益々喫煙者は追いやられている。どこかの国では自宅以外全て公共の場所は禁煙になったとか。愛煙家の皆様、百害あって一利なしこの際、思い切ってやめましょう。
 

即戦力の確保
関東学院大学
本間 英夫
 
 
 長引く不況、それに伴う就職難から、資格や技術を持たねばと専門学校へ進む人が増えている。特に介護や医療などの分野は人気が高い。

文部科学省の学校基本調査によると、昨年度の新規高卒者の専門学校への進学率は過去最高の18・9%。5年前に比べ2・5ポイント増で、進学者が減少している短大や横ばい気味の大学に対し、増加傾向にある。 最近は大学を卒業した人たちの学び直す場にもなっている。なぜならば、大卒ではもはや企業は魅力を感じないからである。ほとんどの大学では即戦力となる職業人の養成を目的とせず、幅広い教養と見識を持ち、その上にたった高度技術者を育てるとされてきた。

しかし、現実は3年間遊びほうけて4年生になってはじめて目覚めるようでは、ほとんど基礎力がつかない。さらには最近の就職難から、数ヶ月から、中には丸々1年間リクルート活動のみになる学生が、かなり増えてきているようである。

そろそろ本年度も2ヶ月が経過するが、ある企業の技術面接の担当者に聞いてみると、インターネットを通して応募者が殺到しているとの事。1万人の応募があれば、先ずその時点で上位10%に絞りこむ。それから説明会、人事面接、専門面接を経て、最後に役員面接、それでやっと仮内定にこぎつける。したがって4年生はリクルート活動が中心にならざるを得ない。一般的なこのような傾向の中で、この種の非効率的なリクルート活動をやめても、就職できる環境を構築してきたつもりである。

中村先生の後を継ぎ、実務的な職業人の卵を養成することに私自身は一心不乱に注力してきた。 

これは多くの先生からは批判的に捉えられていたのである。卒業前に実務的なエレクトロニクスや表面技術の学会で発表させることに関しても、学会は卒研の発表の場ではないと誹謗され、研究内容に関しても「のこぎりの目立てをするようなのは研究ではないよ」と釘をさされる。かといって、この種の先生方は高度な研究をしているかと思えばそうでもなく、学生の出来が悪いと嘆く。したがって、研究以外の講義にも熱が入らないのか、入れようにもその策がわからないのか、先生のやる気はどんどん失せる。その結果、学生は講義もろくに聞かず、かなりノイズの多い教室もあるようだ。

私自身は本学の卒業生であり、少しでも彼らの力を伸ばしてやりたい。教室は今までうるさかったことはない。うるさくなるような兆候が見えれば、それはこちらの講義の仕方が悪いのであり、即座に軌道修正をかけるようにする。結論的に言うと、現在卒研生には1年間研究を通して人間教育の場を提供している。

先ず、電話の応対の出来ない学生には、強制的に電話係りにする。字の下手な学生には、連絡用のホワイトボードの記録係になってもらう。これまでの3年間、彼らの自由というか怠けた生活態度を正しいリズムに仕向けていく。大学院の先輩を交えて実験の中身を論議し、月一度の進捗報告会で発表力、表現力を鍛えていく。

また、いつもこのシリーズに書いているように、彼らの英語力は高校時代から大きく低下しているので、毎朝9時半から輪講会を習慣づけている。今年度からは少し照れくさいが、英語で論文を解説し、考えを述べるようにしている。彼らの多くは、ちっともわからないだろうが、そのうちにやる気が出てくるであろう。今年はこの5月に中国、9月にギリシャとハワイで学会があり、中国で3名、ギリシャで5名、ハワイで7名、英語で発表することになっている(小生が強制したわけではなく彼らが自主的に発表したいという。但しドクターコースの学生は強制しているが)。このように研究を中心とした生活を通して、彼らが大きく育つ一歩になってくれればと思っている。この種の研究教育の実践に理解を示してくれている企業が少しずつ増えてきている。したがって、学生が選り好みをしなければ即座にどこかに決まるのだが。しかしながら、世の中に出る一番大切な選択なので、昔のように君はここに行きなさいと命令は出来ない。 

企業のほうは不景気で新卒を自社教育する余裕はなく、即戦力を求めるようになってきている。

他の先生方もこの現実を直視してもらいたい。わが研究室は、色々批判の声もあるようだが、これまで培ってきた職業教育のノウハウが研究室の強みだ。これを生かし、中堅から、高度な職業人を送り出して行けるよう卒研生および大学院生を指導する。



専門学校の台頭

 先にも述べたように、大学は出たけれど、と大卒の就職率が大幅に低下している中で、それならば大学に行かずに専門学校へと最近は進路を決める高校生も多いようだ。

専門学校は学校教育法に定められており、都道府県知事などが設置認可を行う。2003年5月1日現在、全国に国公私立合わせて約2900校。約68万人が学んでいる。

これまで大学は専門学校との違いを意識して、職業教育をおろそかにしてきた。我々の大学でも高度の技術者の養成は大学院にシフトしている。製造業のキーを担う人材の養成には、益々高度の職業教育、専門教育が必要である。現状では本学においては大学院への進学率が低いので、これまでのカリキュラムを大幅に見直し、3年生から高度な職業教育を徹底的に指導したほうが良いのではないだろうか。しかも、卒研を3年のときから携わらせるのも一案である。但し、多少きつい言い方になるが、教育の美名の下に、学生を小間使いのように扱ってきていた先生方の意識の変革が、先ず必要である。学生の将来を考え、また自らも産業界との連携をとるように心がけニーズを知りシースを探求する。

学生を受け入れるインプットだけに注力するのではなく、アウトプットに対してこれまでのような就職科の窓口だけに依存させる体質から抜け出て、自ら営業マンになり、自ら経営者になったつもりで対処しないとジリ貧だ。同じような危機感が法科大学院にも当てはまる。

本年からスタートした法科大学院にも受験者が殺到し、競争率はいずれの大学も十倍以上。これまでの大学の入学試験では、歩留まりを考慮して合格者を出しているので、実質倍率はかなり低下する。しかし、今回の法科大学院の入試では合格者を出した後の手続きが低くて定員を満たさなくても、いずれの大学も追加合格を出さなかったようだ。彼らは2年間または3年間後に司法試験を受験する。したがって、その合格率で大学院の評価が決まる。各大学とも赤字覚悟で学生を厳選したわけだ。

技術系の45%はやる気減退 
 成果主義賃金の導入や人員削減が進む中、技術立国日本を支える技術系社員の45%が、3年前に比べて仕事へのモチベーションが下がったと伝えている。これは昨年12月、全国のメーカーなどに勤務する正社員のエンジニアを対象に実施されたもので、仕事へのやる気は「かなり下がった」が13%、「多少下がった」が32%で、両方で半数近くに上った。一方「かなり上がった」「多少上がった」は合わせて29%にとどまったとのこと。
 やる気低下は、職場の人間関係の悪化、事業戦略の閉塞(へいそく)感、評価・待遇に対する不満などが主な原因。以上ヤフーのHPから引用。技術者の約半数がやる気がないとは嘆かわしい。この10数年間多くの企業ではトップダウンで思い切った改革が進められてきた。これからはまさにボトムアップの改善を始めねばならない。経営者はその環境を構築することが急務である。
 

パレートの法則
関東学院大学
本間英夫

 
パレートの法則は、別名2:8の法則ともいわれる。

たとえば、不良の原因のうち上位の2つを解決すれば全体の不良の80%を抑えることが出来きる、全商品の20%が80%の売上を構成している、顧客の20%が売上の80%を占める、100匹の蟻の内、よく観察してみると働いているのは2割だけせっせと働いている、納税者の上位20%が税金総額の80%を負担しているなどいろいろこの法則が適合する。

特に製造業における品質管理の分野では、改良すべき項目を重要なものから順番に10項目あげると、上位の2項目を改良すれば、全体の80%を改良できる。すなわち重要な因子はそんなに多くあるわけではなくポイントを抑えれば意外と簡単に解決することを示している。このようにパレートの法則は、不良対策のみならず、いろんな事柄に対して改善点を絞込む上に大いに役立つ。

この法則はイタリアの経済学者であるパレートが所得分布から発見した経験則である。すなわち、全体の2割程度の高額所得者が社会全体の所得の約8割を占めるという法則を見出したものであり、現在では前述のようにさまざまな分野に適用されている。

最近企業の技術の方々が研究室や研究所に訪問される頻度が増えてきたが、その中でドタキャンが増えてきた。その理由は現場のラインでトラブルが発生しキャンセルをせざるをえないという。この2ヶ月の間でこの種のキャンセルが5回もあった。また、不良率が高くなると死活問題であり、現場を担当する技術者や開発に携わっている技術者も応援に出かけねばならないという。こちらも気になるのでトラブルの原因を挙げてみるように催促すると、たくさんの因子を取り上げる。パレートの法則に関して、彼らは重々知っているはずだが、うまく生かされていないようだ。また、先生は現場を知らないから、言ってもしょうがないと真剣には取り合ってくれない場合もある。また、一部始終を話すと私のほうから経営者に筒抜けになり自分達の立場が悪くなるといけないと警戒される場合もある。従って、「最近調子はどう」と気軽に聞いても、うまくいっていますとの返事が返ってくることが多い。

ところが実際は何ヶ月も対策に時間を費やし、利益の出ない体質から抜け出せないでいる。一生懸命みんなで、あーでもない、こうでもないと多大なエネルギーをかけているにもかかわらず、なかなか解決されないことが多いようだ。企業に余裕があり技術者を育てるには少しくらい失敗してもその失敗を通してノウハウが蓄積されるので自分達できっちり解決できるに越したことはない。

しかしながら、気軽に部外者かもしれないが相談に乗ってくれればスパーッと解決できる場合もある。過去に私が相談に乗り歩留まりが急に上がった例は枚挙に暇がない。余り最近の生々しい例を上げると問題があるのでここでは過去に経験した例を二つ紹介する。

ひとつは光ディスクに関すること。レコードから光ディスクに代わる頃の話である。レコードの原盤に刻まれているV字の溝は100ミクロン以上であり音の振動を記録している。それが光ディスクになると一挙にサブミクロンからミクロンのデジタル記録になるので初めは不良が多くその対策にものすごく苦労をしたようだ。プロセスを全て話す紙面の余裕はないので簡単に光ディスクが出来るまで説明する。先ずガラスの原盤にデジタル信号をレーザーで書き込む。そうするとガラスの表面に薄く塗布されたレジストの上にミクロンからサブミクロンの1か0の信号が書き込まれたことになる。この微細なピットの1か0の信号を、たとえば光の反射で検出すれば書き込んだ情報を読み取ることができる。

ところがこの原盤は一個しか出来ないのでさらに同じことを繰り返して作成したとしても操作は煩雑だし、出来上がった原盤はガラスに薄い有機膜がついているわけで劣化しやすい。したがって、実際はこのガラスの原盤を複製するために、ガラス原盤に無電解めっきやスパッタで薄い導電膜をつけて、さらにその上に電気ニッケルを200ミクロン程度つける(ニッケルマスター)。そうするとガラスの原盤に入れた情報の丁度反対の情報が、このマスターに記録されたことになる。電気めっきで鋳型を作る操作なので電鋳という。したがってこの鋳型にプラスチックスを流し込み、そのプラスチックをマスターからはずしてやれば、ガラスに刻まれたピットと同じ情報がプラスチックに記録されていることになる。しかしこの場合は、何度もプラスチックを用いて複製するとニッケルのマスターに傷がついてしまい、ピットが徐々に変形していく。したがって実際はこのマスターを用いてこの反転パターンを作り(ニッケルマザー)さらにもう一度このマザーを用いて電鋳する(ニッケルスタンパー)。したがって、このスタンパーにプラスチックを流し込んでやればガラスに記録したのと同じ情報が記録されたことになる。  

さらに、このプラスチックに反射性の高いアルミをスパッタしてやれば、そこに記録された情報を忠実に読み取ることが出来るわけだ。説明が長くなったが、このようにミクロンからサブミクロンの微細なピットを3度もニッケル電鋳により忠実に反転していくわけだから、当然欠陥が出やすい。

当初は歩留まりが20%くらいでほとんど良品が得られなかった。欠陥のほとんどはめっきに基づいており、忠実にピットが形成されていないという。会社としては最高クラスのクリーンルームを作り、万全の体制で生産しようとしていたが、これではどうにもならない。クリーンルームにしても製造プロセスにしても、当時は最高機密であったが良品が出来ないのに、そんなことも言っていられない。

そこで小生に一度会社まで来てくれという。半導体関連では既にクリーンルームが使われていたが、この種の電鋳技術には未だ使われていなかった。しかし、ミクロンからサブミクロンの情報を記録するとなると、作業環境は当然、今までのようなめっきの現場のようなわけにはいかない。防塵服に着替え、マスク、帽子、手袋をつけ、クリーンルームに入った。確かに説明があったように部屋はクリーンである。だが実際はいくら部屋の環境を良くしても、あくまでも、めっきを主体とした製造プロセスなので溶液の環境のほうが大切である。前処理からめっきまでの工程を見せていただき、これは溶液のクリーン度が大きく歩留まりに影響しているぞと直感的に気づいた。

当時はまだ精密ろ過がめっきに採用されていなかったが早速、半導体用のろ過システムを導入するよう提案した。その結果歩留まりは、20%前後から90%以上にあがった。それまでおよそ1年以上原因解析に10人以上の技術者があたっていた事を、なんとちょっとしたアドバイスですんなりと主要原因を見出したことになる。後はもう一つ、二つ原因をつぶせばほとんど不良は出なくなるだろうと踏んでいた。  

パレートの法則も不良の因子をうまく選択できなければ、研究費、人件費など多大な損失を引きずることになる。もうひとつ時効だから例を挙げるが(具体的に説明すると現在もそのプロセスはキーになっているので、ここでは若干ぼかして説明することを許していただきたい)いわゆるロールツーロールめっきに関するものであるとイメージしていただきたい。

ある会社で朝8時に装置を稼動させても実際良品が出てくるまでは半日くらいかかり、何百メートルのロールを犠牲にしていた。全てが電気めっき工程であればそんなことは滅多にないだろうが、その工程は先ず触媒化工程から始まる無電解めっきであった。実際に良品が出てくるまでの現象をつぶさに聞いてこれも直感的に判断できた。

触媒活性と溶存酸素のコントロールだ。彼らは藁をもつかむ気持ちであったので、早速小生の提案を採用したとの事。今まで半日不良を出していたのが、なんと数分後から連続的に良品が上がってきたという。この工程の対策にも確か5名くらいの技術者が担当していたようだ。彼らは、抜本的な解決を見ないまま半日は良品が出てくるまでのダミーだとあきらめていたのである。それを一言で解決できたわけだ。昨年地方の企業に行く機会があり、そのときたまたま十数年ぶりに、当時苦労をしていた技術者にでくわした。小生はいろんな人に会っているのでその技術者はまったく記憶から消えていた。しかし相手はしっかり覚えていた。あのときの一言のアドバイスで問題が全て解決し、今も問題なく稼動しているとのことであった。

以上2つの例を挙げたが、余りにも劇的で余りにも単純なことなので、まったくこれに関しては御礼も何もなかった。

もし小生がこの提案をしていなければ、さらに解決まで時間を費やすことになるので、試算してもおそらく何千万円から億のオーダーの貢献ではないかと思う。要はパレートの法則にあるように最も大きな因子を見つけることが出来なければ徒労に終わることになってしまう。

このほかにもトラブルシューティングの例はたくさんあるが、ここで言いたいのは皆さんが何でも機密にするのではなくザックバランに相談すれば一挙に解決することもあることを認識してもらいたい。



常識知らずの学生達



ある企業から小生が中国の学会に出かけている間に、直接学生に履歴書を郵送するようメールで指示があった。そのメールには、履歴書をこれこれの住所、部署の小職宛に送るよう書かれていたという。本人は早速履歴書を書き、その宛先に送ったという。ここまで書けば感のいい人はもう笑いがこみ上げてくると思うが、なんと本人は何々部の小職御中と書いて書類を送ったのだ。たまたま指示をしたのが、わが研究室のOBであったので事なきを得たが、これじゃ人事に直接郵送されれば即不合格だろう。しかしここで、常識がないとその学生をせめてもいけない。その学生は早速辞書で意味を調べ恥じ入っていた。ひょっとしてみんな常識がないのではと心配になり、その学生の了解の下に他の学生にコレコレとことの経緯を話した。しかし、くすくす笑い出したのはなんと5人中一人だけ。学生には、技術的な能力をつけることも大切だが、これだからこそいつも言っているように社会常識を身につけさせねばと痛感した。
 

ハインリッヒの法則
関東学院大学
本間英夫
 
先月号ではパレートの法則について解説し、さらにこれに付随して、これまでに経験してきた不良対策の中でインパクトのありそうな例を2つ紹介した。折角だから我々が関連している産業経済の世界で、他にどのような法則があるか、学生にハインリッヒの法則を話題として提供した。この数ヶ月、連日のように車の欠陥に関する報道がなされており、研究室の学生の内、何人かはヒヤリ・ハットの法則ですねと、既にこの法則のことを知っていた。

この法則は、米国のハインリッヒ氏が労働災害の発生確率を分析したもので、1件の重大災害の裏には、29件の小さな事故があり、さらには「ひやり」が300件あるというものだ。
 したがって、この法則を製造業にあてはめた場合、ある製品に重大な欠陥があったとすれば、その1件の大欠陥の裏には29件の顧客からのクレーム、さらには300件のクレームまでいかないが、なんとなく不具合があったり、兆しのようなものがあると言うことになる。製造現場における事故の発生の抑制にはこの法則をよく頭に入れ「ひやり」と思う現象があれば、即座に全社で対処できる体制を構築しておく必要がある。製造現場では、ここで言うところの欠陥を不良と置き換えても同じことが言える。とかく現場の作業にあたっている人は、自分なりに工夫して、「ひやり」を解消してしまうので、このヒヤリが共有されず、従って確率的に、いずれは大事故(不良の増大)につながることになる。

この「ひやり」に対する個人の工夫、言い方を変えれば個人の隠蔽から始まり、それが小事故へ、その段階でチームごとの隠蔽活動が横行し、その企業の隠蔽体質につながり、最後は、企業の存亡に関わるところまで行きついてしまう場合がある。その1例が今回の三菱自動車の事件である。

それにしても、この事件が大きく報道されてからは、急に車の炎上事故やタイヤの脱落が新聞に報道されだした。でも考えてみると事件がおきてから、この種の事故が増えるわけではなく、実際には同じ事故が、以前から同じ確率でおきていたはずである。ただ、報道機関がニュース性を重んじるので、急に頻度が上がったと錯覚してしまう。

六本木のビルでの回転ドア事故も同じ。その後の報道によると、あちこちのデパートやビルで、大事故にまでいたらなかったにしても、かなり多くのトラブルが続いていたという。それを誰も深刻な事故とは考えていなかったところに問題があり、死亡事故にまでにつながったわけである。また6月に入ってから、立て続けに殺傷事件が続出しているように報道しているが、これも頻度的にはあまり変わらないはずである。

報道機関に携わる方々は、どうしても社会現象として注目されているところに記事を集中させるのは致し方ないとしても、この種の大事故や大事件につながる前に、この法則のように記者がこれら300の「ひやり」、すなわち、小さな出来事、社会現象、兆しから将来を予測したり、警鐘を鳴らしたり、技術的な展望など、いろいろもっと新聞を魅力的に出来るはずである。

しかしながら、現在の新聞は少し言いすぎかもしれないが、日々の出来事を報道しているに過ぎず、しかも広告も多く特徴がない。インターネット社会と共に新聞離れが起きてもしょうがない。



「ひやり」に関する身近な例

個々人それぞれに、大きな「ひやり」から、小さな「ひやり」まで遭遇しているはずである。   

そういえばこんなことを話題にして話し合ったことはない。実験での「ひやり」、現場での「ひやり」、一度みんなと話してみたいものだ。「ひやり」をテーマとしたセミナーなども良いかもしれない。そこで、折角だから、自分の身の回りで大事件につながる要素のあったものを紹介する。



研究での「ひやり」

これまでの40年以上の研究生活において、大事故一歩手前の「ひやり」はたくさん経験してきている。リアルに書くと、好奇心旺盛な学生などがまねをするといけないので、そのような内容はこの紙面で紹介するのはやめることにした。



酸による大やけど

硫酸の比重は1・86で水の倍くらいの重さだ。昔は、この硫酸が大きなガラスの狸ビンといわれる容器に保管されていた。一瓶が30キロ以上あるので、そのガラス瓶を持ち運ぶために竹網で編んだ、もち手付の入れ物の中にビンがすっぽり入るような形になっていた。ところがその竹網の網目は粗く、雑な編み方で、しかも酸がこぼれると腐食が進行する。したがってだんだんビンが底から抜けるような危険性がある。40年近く前、事業部の研究室と小生が所属していた研究室は同じ部屋で学生用の実験台と事業部用の実験台が区分されていた。事故にあったその先輩は、すでにリタイヤーされたし、当時の事故を知っている人はほとんどおられないので、ここで最近の技術に関わっておられる方々や学生に警鐘の意味で思い起こしてみる。

小生は工業高校出身であったし、化学が好きでその道を選んでいたので、薬品の性状は大体当時わかっていた。また自分が知らない新規の薬品を扱う場合は、必ず前もって便覧やその他で性状を調べて扱ったものである。

その先輩が背丈は小さいが、かなり力持ちでこんな狸ビンくらいと余り気にせずひょいと持ち上げた。その瞬間、何しろ30キロもあるし、その竹網がよりによってきれいに編まれていなかったので、ズドーンと底から抜け、その濃硫酸を体にひっかけてしまった。比重が高く粘度も高いからズドーン、ビチョツという感じだったろう。鼻の先にまでかかったくらいだから、かなり飛び散ったと予測される。本人はすぐに実験室に飛び込んできた。そのとき既に30秒くらい経過していたのか、小生はとっさに処置法が頭に浮かんだ。先ずふき取れと。それから流水で洗うのがいいのだが、何しろ鼻から腕からまたパンツにまで、既に炭化反応が進行してきていた。もし小生が気づかないでいたら大切な局部もと言うことになっていたかもしれない。

すぐに全て脱いでもらって、そのまま防火用水に飛びこんでもらい、その後病院に駆けこんだ。

2、3週間は入院されていたのではないかと思うが、鼻の先に硫酸の流れたケロイド、腕はかなり重症のケロイド、幸いなことに小生が全て脱ぐように言ったから、局部はケロイドにならないですんだ。一昨年まではその先輩とは、よく会社であっていたが、他の人は余り気づかなかっただろうが、ケロイドが残っていたので、一切当時のことは話題にしなかった。

さらに、酸にまつわるもうひとつの事故。40年位前、我々は短靴といって、オールゴム製でまったく通気性ない靴を履いていたものだ。だから汗っかきの人は大変であったと思う。今度は濃硝酸にまつわる事故。これはもっとゾーッとするかもしれないが、敢えてここに紹介しよう。鳥肌立てないように。いやな人はこの項目をスキップ。

硝酸は硫酸と違って皮膚についてもなんか痒いなという感じしかしない。これが命取り。これも当時、事業部の先輩にあたる人の出来事。硝酸がその短靴の中に入った。でも前述のように単に少し痒いなという程度、本人も余り気にせず、仕事についていたという。そのうちに痒さから、痛さが感じられるようになってきたので、靴を脱いで見るとコリャ大変。片足の踵(きびす)全体がまっ黄色(キサントプロテイン反応)。もう完全に手遅れ。結局は歩行のためにバッファーになっているあの厚い踵の皮膚全体が硝酸で酸化され剥離しその再生を待たねばならないことになってしまった。おそらく、元に戻るまでには半年、いや一年以上かかったのではないかと思う。

その意味では硫酸よりも硝酸のほうが、始末が悪い。濃硫酸の場合は、先ずふき取り、その後すぐに流水洗浄がいい。いずれにしても、即座に瞬間的にジェット流くらいの、激しい流水洗浄が一番かもしれない。

当時、なまじ中途半端な知識で実験をしていた後輩がいた。本人はそれでいいと思っているから始末が悪い。プラめっきの前処理としてクロム酸と硫酸の混酸をもちいてエッチングするが、その液を何に保存するか、ガラス容器は割れると危ないし、チタンのバスケットが良いとの提案があった。確かにチタンは酸化膜を作ってやれば、その後ビクともしないはずだ。そこで、その後輩が直接、硫酸とクロム酸を入れて調合しようとしたらしい。ところが、チタンが完全に酸化膜が形成されていなかったのか、ものすごい勢いでチタンとクロム酸との間で酸化反応が起こり、実験室がもうもうとガスで充満してきた。そのときに小生は他の部屋にいたのだが、その後輩はとっさに酸を中和すればいいと水酸化ナトリウムのペレットを直接激しく反応している容器に入れた。今度は中和反応でものすごい反応が起こり、実験室は煙と水蒸気とで充満。そこに小生が帰ってきて、しょうがないから水で希釈するしかないと判断、大量の水で希釈し当時導入したばかりの排水処理機で処理した。

最後にもうひとつ。酸にまつわる「ひやり」。昭和40年代の初め、中村先生からアルミのジンケート処理に関して少し実験してくれと指示があった。当時はほとんど文献など読む機会がなく、プロダクトフィニシングという雑誌と表面処理便覧が頼りであった。実は、そのときに検討したジンケート浴が、現在もあるメーカーから市販されているはずである。ジンケートは酸化亜鉛に水酸化ナトリウムを加えて亜鉛酸イオンを形成させねばならない。それがなかなか溶けない。便覧どおりにやると、水酸化物イオン濃度が高くなってしまい、アルミの溶解反応が優先し密着に寄与するジンケー薄膜を形成することが困難である。

そこで、これは初めから酸化亜鉛を使うのではなく、他に有機酸と亜鉛の化合物がないか探したら、意外と安価に入手できることがわかり、それを導入した。また便覧には、ジンケート浴に少量の鉄イオンが密着に効果を与えると、書かれていた。それではと電位をコントロールすればいいのだろうと、他の重金属に関しても検討し、ニッケルや銅に効果があることを突き止めた。

そこで「ひやり」の事件が登場する。アルミをエッチングする際にフッ酸を使うのであるが、小生の3年後輩の学生に、フッ酸単独、フッ酸に有機酸添加、フッ酸に硝酸添加の大きく3種類のエッチング液を用いて密着にどのように影響するか検討してもらうことにした。本人は余り化学の知識がなかったようなので、一応フッ酸の取り扱いの注意をしたつもりでいた。

ところが、本人はフッ酸をガラスの容器に入れてドラフトに保管していた。次の日だったか、「先輩!ガラス容器がこんなに薄くなりました」と、持ってくる。「お前バカか!」としかりつける。これは大事故にならなかった「ひやり」の典型。

後はアルカリに関しての「ひやり」から小事故。これに関しては既に雑感シリーズに書いたはずなのでそちらを興味ある人は見ていただきたい。酸よりもアルカリは目に入ったら失明間違いなし。特に我々の研究室では、無電解銅めっきを主力テーマとして、この数十年研究を重ねてきたので、いつも口がすっぱくなるまでアルカリの扱いの注意をしている。実験中は必ず保護めがねを着用することは常識。



大先達からの注意

今から25年位前、当時小生は京都で開かれた国際会議や、国内の表面技術の講演会でコンポジットめっきに関して発表した。その講演が終わって「本間さん、君は今発表したことの重大さを理解しているのか?人の命に関わることを余り軽率に発表するのは控えるように。」 実は言葉の全てを記憶しているわけではないが骨子は以上のようであるが、もうすこし愛情のある優しい言葉でアドバイスいただいている。

確か、コンポジットの特徴である耐摩耗性を車両の台座に応用した結果をデーターとして使った。結果はいい事尽くめのような発表であったと思う。 

大学での研究、いや自分自身の研究の姿勢として、いい加減に出来ないぞ、我々の研究結果はそれだけ責任がるのだと自覚させられた。

これは、今回のテーマと大いに関係があり、我々技術に携わるものは、人の命や環境や生活の豊かさや、もろもろのことに関して常に意識してことに当たらねばならない。アドバイスを頂いたその人の名は?知る人ぞ知る、今は亡き小西三郎先生である。
 

環境の変化を振り返って
関東学院大学
本間 英夫
 
戦後60年になろうとしているが、50年位前までは河川の汚染はほとんどなかった。幼稚園に通っていた頃(昭和23年頃)だったか、あるいは小学生1,2年の頃までだったか記憶が薄れてきているが、私の住んでいた近くの(といっても2から3キロ先だが)駅の線路を渡った先に、幅3から4メールくらいの川が流れていた。

そこにはコンクリート作りの共同の洗濯場が作られていた。記憶が薄れているので定かではないが、当時の行動範囲から推測すると、その川の流域1キロ位毎にこの種の洗濯場があったと思う。川沿いを歩くとそこには捺染後の織物が流れにさらされていた。透明度が高く、日曜日になると鮒釣りに、また暑い季節は水泳もした。

このように、50年位前までは、日本中の何処においても自然と調和した生活、現在のように自然や環境を意識することなしに、完全に自然に浸りきった生活ができたのであろう。それからが日本の戦後復興と工業化が一挙に進んだ。

私の住んでいた富山県は立山連峰に抱かれた形態であり、水力を基にした電力が豊富で、工業化にはもってこいの立地である。アルマイトの工場はもとより金属加工、医薬品、化学薬品、食品、パルプ工場など立ち上がっていた。

したがって、原料を加工して製品にする過程で排ガスや廃水、廃棄物が出るので、その頃から急激に環境が悪くなったといえる。

時代考査上思い出したが、10年位前の同窓会で、同級生にジュラ(どのような当て字にしたか定かでないが)という変わった名前の妹がいたという。お父さんは富山大学の教授だったと聞いているので、アルミニュウム合金の研究をされていたのであろう。ジュラルミンは、すでに1906年にドイツ人により開発されていたので、おそらく我々の同級生のお父さんは戦時中に航空機材料の製造方法について検討を進められ、それがやっと完成し、成功を記念してジュラと命名したのだろう。その妹が2つくらい年下なので、終戦間近のことであったと思われる。

また中村先生は大学時代、学徒動員で研究助手のような形で富山県の魚津市の日本カーバイト工業に行かれていた。内容は忘れたが、コニカルビーカーに何十個もの試料を採取し、連日連夜滴定をやらされたという。

だから当時の学生は教育されたというよりも、こき使われたのだといわれていた。

ということになると、富山県は電力が豊富であったので、戦時中あるいは戦前から工業が盛んであったということになる。

しかし当時はまだ製造プロセスが今のように大量生産型ではなく、ある程度自然と調和し自然を破壊するまでは至っていなかったといえる。

以上が私の記憶をたどった戦後の工業化の背景だが、人それぞれに、それぞれの地域での自然環境がどのようであったかを語り合うのも良いのではないだろうか。

折角、記憶がよみがえったから、付け加えるが、大学在学中の数年間は浅草に住んでいた。

墨田川から漂ってくる臭気はすさまじいものであった。いわゆる嫌気性発酵でメタンガス、硫化水素が発生し、学生服の金ボタン(真鍮、黄銅)はすぐに硫化銅になり真っ黒になったものである。

浅草松屋デパートの店員のハンドバックやその他の銀製品は、硫化銀を形成し真っ黒になった。下宿に置かれていたタンスやその他の金具は銅製品が多く全て黒光りであった。

だが、その頃はまだ大学の前の平潟湾(現在は埋め立てられ柳町になっている)は、若干汚染が進んでいたようだったが、泳ごうと思えば泳げた。大学院で毎日研究にいそしんでいた頃(昭和41,2年頃か)大学の表通りは湾内に沿っていたので昼休み、先生がいないときにはハゼを釣ってきては、から揚げにしてみんなで食べたものだ。

時効だから話すが、そのときに使ったなべは、高価な大型の磁性皿で研究用目的ではなく、もっぱらハゼのから揚げ専用に使っていた。

それから数年して、学園紛争が勃発した。その頃から公害問題が全国的に、おおきくクローズアップされ、身近な例では、大学の前の湾が埋め立てられた数年後から、引き潮時の侍従川は、隅田川と同じく硫化水素の臭気が強くなった。

また、近くの湾内で釣れるハゼは、かなりの確率で腫瘍があり、奇形ハゼと騒がれだした。

当時、学生からつきつけられた環境に関する問題提起、それにともない研究室を志望してきた学生の意識は環境浄化研究に大きく展開していった。

もっとも私自身、神奈川県の工業試験所で、シアン化合物の酸化分解について、昭和38年から1年間卒業研究をしていたので、環境に対する意識はあったが。



環境にやさしい物づくり

めっきを中心とした表面処理の分野において、処理プロセスのほとんどが金属イオンを含んだ水溶液がベースである。しかも水洗工程でその処理薬品をきれいに除去しなければならない。

したがって、環境を害する一番大きな原因は、水洗水である。昭和40年くらいまでは環境に対する意識が低く、この水洗水は、ほとんどたれ流し状態であった。

大学の事業部で廃水処理の設備を導入されたのは、私がまだ大学の1,2年生のころだったのであろう。いずれ斎藤先生にはこれを機会に聞いて見なければならない。

神奈川県は、京浜工業地帯を中心とした工業県であるので、昭和40年代に入ってから、川崎を中心に煙もくもくで、長波長側の可視光線しか透過しなかった。

したがって、昼間から夕日といえば大げさになるが、遠くから眺めるとボーっと赤っぽく見えたものだ。

光化学スモッグ、四日市ゼンソク、SOx、NOx、PPMなどの用語をキーワードにした報道が頻繁にされるようになり、それに伴い住民意識も高まり企業の責任体制の確立へと進んでいった。

さらにその後、地球環境レベルではオゾン層の破壊、地球の温暖化(この温暖化は不可逆的で、このままでは2060年頃には北極の温度が0℃くらいになり、シベリア地方に氷結し閉じ込められているメタンガスが、大気に出てくると、もはや地球は絶滅とも言われている)に端を発して資源循環型の社会への移行との機運が高まってきている。

話が拡散するといけないので、ここでは電子部品のメーカーの関心事に絞って進める。電子部品業界でも最近「ゼロエミッション」と言う用語が使われるようになって来た。これは埋め立てや廃棄物ゼロを目標とするものであるという。製造プロセスで排出されたごみを、他の製造分野の原料としてリサイクル率100%で再利用しようというものだ。

これは、1992年地球サミットでサステーナブルデベロップメント(持続可能な開発)が採択されたことに端を発している。

電子部品を初めとして、製品が出来上がるまでには、たくさんの原料が使用され、また工程も複雑で廃棄物の再利用が叫ばれるようになってきたが、はたして100%再利用は可能だろうか。

これは、理想的にはそのようにしたい人間の願望だろうが、自然界の法則からは不可能なことなのである。

また電子機器から環境破壊物質の使用を制限し、環境配慮型部品の開発に注力してきている。

EU(欧州連合)では、鉛など6種類の環境破壊物質を規制するいわゆるRoHS指令(電子機器に対する特定有害物質の使用制限指令)が2006年7月から施行される。

これを受けて、日本の電子部品メーカーは4,5年前から鉛フリー化の検討を積極的に行ってきている。

数年前に欧州を視察した際に、日本の鉛のフリー化はトップレベルであると欧州の研究者は認めていたが、今もトップを走っている。

しかしながら、はんだの主成分はスズと鉛であり、その鉛を他の金属に置き換えるわけだが、特性を低下させないで代替材料となると、まだまだ難問が残る。

ゼロエミッション

資源循環型社会へとの潮流の中で、物づくりも大きく変化しなければならない。「ゼロエミッション」と言う用語が最近新聞にも時々見られるようになってきたが、この用語は「ゼロディスチャージ」とともに大きく取り上げられるようになってきた。

既に30年位前に、中村先生が中心となり、斎藤先生、小生、現在京浜島の団地で生産活動を続けられている企業の技術者、ケミカルサプライヤーが月に一度のペースで勉強会をしたものだ。

当時は、小生の研究室で中村先生の強力な指導力の下に、フットワークよく実験をこなし、その結果をベースに、廃水処理やリサイクルの工程を確立していった。

その中で、既にこのゼロエミッションやゼロディスチャージなる用語がアメリカの環境庁(EPA)から出されており、中村先生はその考えには自然界の法則(熱力学第2法則)から理屈に合わないと異議を唱えられていた。

工業社会においては、エネルギーを使用する以上はエントロピーが増大するわけで、したがって今後のポスト工業化社会においてエントロピーの増大速度を如何に低速化させるかにかかっている。

為政者も、経営者も、技術者も、一般市民も、この自然界の法則を理解していれば、何がポスト工業化社会で大切か、理解できるのではないかと思う。

先月の新聞に核燃料の再利用が出ていたが、再利用の費用が何倍もかかるようなものを推進するのは「おかしいぞ」と気づいてきているようだ。

また、車を軽量化すればエネルギーコストを大幅に削減できるということで、アルミニュウムを大いに利用しようとの動きがある。さらに、マグネシュウムは、アルミよりさらに軽いのでパソコンの筐体を始めとして色々な部分に使われだした。しかしながら、マグネシュウムの加工費はアルミニュウムよりさらに高価である。

上記の鉛レス化に関しても、従来のはんだに勝る特性は出ていない。また、はんだの融解温度も若干高くなるし、2元系および3元系にしても組成のコントロールが微妙である。     

現在使用されているプリント基板材料、搭載部品は共に220~30℃に耐えるように設計されているので、温度が10℃上がるだけでもプリント基板の耐熱性、搭載部品の耐熱性に対して大きな影響を及ぼす。したがって全ての材料を見直さねばならなくなる。

結局は、代替の材料に関して長期にわたって検討が進められてはいるが、コストだけが上昇し、大局的に見るとエントロピーの増大速度が加速されてしまってはまったく意味がない。

先日、ドイツから我々の研究所に招いた教授も、現在の鉛フリー化に疑問を投げかけていた。
 

原発の事故
関東学院大学
本間 英夫
 
パレートの法則、ハインドリッヒの法則と2ヶ月不良対策、事故対策などに関して触れてきたので、この種のテーマから次のテーマと考えをめぐらしていた矢先(8月9日)、今度は美浜原発の事故。

しかも、長崎に原爆が投下されて59年目、まさにその原爆記念日に事故が起きるとは、原子力発電の危険性が新たに問いかけられる結果となった。これは数年前のナトリウム漏れに続く大事故だ。

日本の発電電力量の構成比は、原子力発電は約37%に達しており、原子力発電はエネルギー効率が高いからと日本の各電力会社は原子力発電を積極的に推進してきた。

しかしながら、スマイリーアイランドでの事故、チェルノブイリでの事故、さらには日本各地の発電所や東海村での事故、使用済み燃料の処理等の問題から、さらには最近では定期検査の改ざんなど信頼を失墜させる事件がおきていたので、追い討ちをかける結果になった。    

日本、韓国、チェコの三カ国は計十基の原発が新規稼働させ、原子力依存比率が高まる見通しであった。

1999年実績ではフランスが約75%で最も原子力依存比率が高く、以下ベルギー(58%)、スウェーデン(46%)、韓国(43%)と続き、日本はハンガリーと並び約37%。
 スウェーデンは1980年に原発全廃を国民投票で決めたが、その後、産業競争力への影響などから、当初2010年とした全廃時期の設定は先延ばしになっているようだ。
 ドイツで現在稼働中の原発は19基であり、寿命を30年とすると最も古い原発の一つで、1972年に建設された原発が2002年までに廃止され、1988年に建設された原発も2018年までに廃止となる。このように世界的に見ても原発は消極的になってきている。



ずさんな安全管理体制
 今回の美浜原発事故で4人が死亡、7人が重軽傷を負っている。タービンの蒸気漏れ事故で、配管は炭素鋼製。本来の肉厚は10ミリであったものが、事故後に破損部を測定したところ最小で1・4ミリまで薄くなっていたという。
 配管が冷却水による腐食などで薄くすり減る「減肉」という現象が知られており、9日の事故でも薄くなった配管が圧力によって延ばされ「延性割れ」という破損を起こした可能性が指摘されている。
 配管が肉厚4・7ミリ以下になると交換することになっていたにもかかわらず、1976年12月運転開始後、1度も超音波検査を受けず交換もされていなかったと報道されていた。

それが事実とすれば、これまでにも数多くの改ざんや隠蔽ともとれるような電力会社の対応からして、ますます原子力発電に対して不安がつのる。 

国の安全審査官によると、今回破損した配管は2次冷却水系で放射性物質を含んでいないため、原子炉等規制法などに基づく国の定期検査の対象ではないと説明した。

新聞に出ていた破損部の写真を見ても腐食が激しく、素人目に見ても超音波による検査のほかに、循環している冷却水中の鉄イオン濃度をセンサーでモニタリングしておれば腐食度合いが、かなり精密に測定でき、この種の事故は未然に防ぐことは可能のように思えるのだが。

ハインドリッヒの法則(ヒヤリハットの法則)は言葉で理解していても、改ざんや隠蔽の体質、下請けとの意見対立があるようでは、これからも事故は付きまとうだろう。

原子力発電は原子爆弾の爆発と同じ原理で核分裂反応を制御し、その際出てくる熱で、冷却水が沸騰し蒸気化、その蒸気で発電タービンを回して電気がつくられるという簡単な原理である。

しかし、原理は簡単でも、実際の構造は複雑だろうし、材質に関しても腐食や力学的な耐久性、その他綿密な設計から構成され、多くの技術者の下で作り上げられているはずだ。

したがって、責任体制、危険管理体制が分散し、それが今回のような事故につながったのではないだろうか。
 原発では日常的被曝、放射能漏れの危険、高熱の水蒸気の冷却装置の破損等による炉心溶融や水蒸気爆発などの危険性が極めて高い。一度大きな事故が起こると取り返しがつかない。特に日本は地震国、これからますます論議を巻き起こすであろう。



原発のコスト

原発はCO2の排出量が少ないといわれているが、確かにミクロ的に見ればそうだろうが、マクロで見るとどうだろうか。

ウラン採掘、精練、濃縮、輸送、放射性物質の処理などトータルで考えると、エントロピーを小さくするために膨大なエネルギーを使用している。

したがってCO2の排出だけを取り上げても風力や水力発電を上回るはずだ。
 このように我々の生活を支える原発は、非常にロスの大きい、高価なエネルギーということになる。
 また、原発は、点検や事故が起こったときに備えて、火力や水力などのバックアップ電源が必要である。しかも、常に変化する需要にあった微妙な出力調整が出来ないので、他の電源と合わせて運転しなければならない。

したがって、原発と共に火力発電所も必ず必要なのである。

本年の7月下旬から続いた猛暑、心配されていたピーク電力まで若干の余裕があった。大量エネルギー消費型の製造業が海外にシフトし、またクーラーを初めとした夏向きの商品は省エネルギー対策が講じられてきた結果なのか。

日本は資源がないからと、原子力への依存度を高めなければならないとする有識者の考えが果たしてこのままで良いのか、推進派と反対派の対立はますます激化する。



改ざん、捏造、その他、気になること

原発事故での配管の破裂状況写真が余りにも衝撃的であったので、原発に関して紙面を割いてしまったが、日本の製造業を中心にした産業全体で同じ問題が内包されているのではないかと気になっている。

このところ、いろんな企業でデーターの改ざん、捏造、隠蔽のニュースが目に余るものがある。三菱自動車のリコール隠しや、電力会社のデーターの改ざんや、養鶏場での隠蔽、雪印事件、工場の爆発事故、その他、学生用語で「えー!そりゃーないだろう!」と言うような、信じられないような事件、事故が続いている。

これらの多くは未然に防げるものが多い。しかしながら、技術的な面とモラル的な面、両方ともこの10年以上に渡る不況で低下し、なかなか深刻で根の深い問題である。

隠蔽や捏造が企業ぐるみになってくると、個々人の正義感、モラルは通用しなくなってくるのか。大きな如何ともしがたい流れの中で罪悪感は消えうせ、最後は匿名による内部告発から、まさかと思われるような数々の事件が明るみになっている。

各企業においても、例のハインドリッヒの法則ではないが、これは!と思う兆候が見えた時点で解決に当たるような仕掛けを構築しておかねばならない。

この間、各企業で新規採用を抑制し、派遣請負など非正規社員の数を増やしてきた。また経営の効率化から、これまでの終身雇用制度から任期制や契約制を導入しつつある。その根底には人材は流動化するものであり、従業員が自己責任でスキルアップするものとする考えを、浸透させようとしているようにも思える。

したがって、従業員への教育投資も大幅に削減。「労働費用に占める教育訓練費はバブル前の88年には2・4%であったがそれが2002年には1・5%に低下、逆に、欧米の企業では大幅に教育研修費用を増やしているとの事」(日経産業コラム欄から引用)。

日本は、先進国中もっとも従業員の教育に費用をかけなくなってきているという。また、新規採用の抑制、派遣社員やパートの依存度の増大により、製造現場での品質に大きな影響が見られる。

このシリーズの6月号に「ドタキャン」が多くなったと書いたことがあるが、ほとんどが製造現場での品質トラブルがその理由である。不良率がなかなか低下しない。経営者の多くは何故不良率が低下しないのか、その業務に当たっている技術者を叱咤激励している。

当然ながら、原因追求に当たる技術者が少なくなっている。また、経験豊かな50代後半から60代、日本の製造業をここまで高めてきた連中の大量退職、早期退職。

経営者は近視眼的に人件費が削減できると、短期的な利益追求に、ついつい目が向いてしまっており、技術者にかかる負担が増加している。

私の研究室をでた多くの技術に携わる連中は即戦力になるようであり、またそれを意識して育てているつもりだ。

彼らと会うと、ほとんどみんな学生時代よりも体重が5キロから10キロ減ったといっているし、中にはげっそりやせこけているのもいる。時間と人に余裕がないので、彼らが本来持っている技術に対する鋭い感覚も消えうせ、日々の対策ばかりに追われているようだ。

これでは、不良率を低下させることはなかなか困難であろうし、将来の新しい技術展開などに目を向ける余裕はない。

さらには、従業員の企業に対する忠誠心は大きく低下、また正規社員と非正規社員との間のミスマッチがおきている。したがって、品質を向上させるには、この壁をどのように乗り越えていくかに大きくかかっているように思える。



理系の社長
 国内の主要企業で、理系出身の社長が増えていることが新聞社の調査で分かった。その新聞を購読していないので早速インターネットで調べてみた。

主要企業120社のうち34社が理系社長で、最近5年間で8・5ポイント増加したという。さらには、これらの理系社長にアンケートを実施したところ、回答者の過半数が「理系は社長に 向いている」「どちらかというと向いている」と答え、技術や専門分野に対する理解 力が経営に役立つとの自信が覗える。

一方、向いているとは「思わない」は0人、「どちらかといえば思わない」は1人。残る8人は「一概に言えない」「無回答」だった。

また、「文理にとらわれず個々人の資質によるところが大きい」などの意見も (以上インターネットから)。

これは、主要企業といっても産業分野別とくに開発業務や製造業に限ってデーターを取れば、おそらくもっと理科系の比率は上がるであろう。

国家戦略としてIT,バイオ、環境、ナノテクに注力すべく、日本企業は大きな転換期を迎えた中で、理系のセンスが大いに期待される。

表面処理の業界においては、ほとんどがオーナー経営なので、どちらかというと経営者には文科系が多い。それでも私の知り合いの経営者から比率を出してみると理科系は30%くらいになる。

中村先生から引き継いだ海外研修事業を始めとして、委員会、学会を通して、これまでに多くの表面処理関連企業の経営者と交流があるが、理科系、文科系に関わらず積極的に展開する意気込みのある企業は、大きく伸びている。  

最近の傾向としては、試作を中心とした高度の技術力が要求される分野これまでの生産技術に関してもますます難易度が上がっており、企業間の格差が出てきているように思える。

これまでのように薬品と装置を購入し、手順に従って生産をすればよかった時代から高い技術力の要求される分野の比率が高くなってきている。したがってこれまで以上に従業員の技術教育に力を入れなければならない。

研究所には人材育成事業があるが、昨年に引き続き、本年も地方の企業から受け入れている。また、ハイテクノの教育事業は既に40年以上継続されているが、この講座を終了した諸氏は文科系、理科系に関わらず経営者として技術のトップとして、また中堅幹部として活躍されている。
 

データーの改ざんおよび捏造のルーツは?
関東学院大学
本間英夫
 
工科系の大学では実験科目の比率が極めて高い。ほとんどの工科系の大学では中堅から上級技術者を養成することを目的として1年生、2年生でそれぞれ数科目の実験を履修、さらに3年生では専門に入るための分野別の実験を履修することになる。最後の4年生になると卒業研究、この科目は全員必修で年間を通して研究中心の生活になり、学生諸君もその時点ではじめて学生としての充実感が芽生え、自主的に研究に励むようになる。

ところが、大学によってはこの卒研を必修からはずしているようで、日本のこれからの担い手をしっかり育てなければならないのに、逆行することになり老婆心ながら心配である。私の経験では4、50人学生がいるとすれば、レポートのまとめの発信地の違いから、4タイプから5タイプのグループに分けることが出来る。学生は巧みに丸写しを避け、あたかも実験を繰り返し行い再現性や考察に工夫を加えているようであるが、こちらはプロとして即座にデーターの捏造を見抜き、みんなの前でそれを指摘する。また、稚拙な文章でもよいから自らが考え、工夫するように仕向けるようにしてきた。そうすることによって、彼らはモラルも向上し実験に対する態度も変わってくるはずである。 

先生方は基礎実験だからと目をつぶっているようだが、下級年次にその癖がついてしまうと、後々までそれで調子よく通せるとモラルが大きく低下し、工学に進むものとして許せない行動を助長することになりかねない。最近では私自身、大学の中では最年長の部類に入り、卒研に入る前までの基礎実験を直接担当することがほとんどなくなり、若手の先生方が実験の指導に当たるようになってきている。

工科系の実験科目について触れた理由としては、最近の原発や車、食料品の販売などに関わるデーターの改ざん、捏造に関係するからである。卒研に入るまでの基礎実験では、実験を終えた一週間後に、その結果に関するレポートを提出することになっている。いつの時代も変わらないが、必ず何人かはまじめに実験をやり、きちっとレポートをまとめている学生が標的になる。一人がそのレポートを丸写し、それが即座に広がっていく。特に最近では情報機器および情報メディアの発達に伴って安易に行われているようである。また、標的にされたいわゆるまじめな学生も一昔前と違い、インターネットの普及に伴って、検索用語を入力すればかなりの確率で自分が望んでいる情報を入手できるので、必然的に出来上がったレポートは、内容がちぐはぐ、しかもその出所(発信地)となった学生は数人で、それが全員にいきわたる。なかには、一瞬なかなか工夫したすばらしい考察だと感心していると、なんてことはない全て情報源を介した丸写し。それも情報を検索する力がついてきているので、参考書以外にこの種の情報収集の力は大きく評価してやらねばならないが、余りに頼りすぎると考察する力が落ちてしまう。

教員側は、よく注意して彼らの意識を変えるように仕向けねば大変なことになる。なんだか、捏造の始まりのようで、モラル教育を平行して実施するというか常に教員は頭の片隅に置き、学生に自信を持って全人教育を意識しておかねばならない。最近は学生に対して例の歌手のうたい文句ではないが「お客様は神様です」と迎合しすぎて、いずれの大学でも学生に対するサービスの充実と相談室を拡充する動きがある。

従来はこの相談室というのは経済的に困ったり、精神的に病んでいる学生を指導したりするいわゆるカウンセリングセンター的なもので、利用者もそれほど多くはなかった。また担当の先生方も親身に学生の指導にあたれた。ところが最近の傾向としては上述のように大学が大衆化し、学生の意識も低くなり、学生は何でも与えられるものと安易に相談をするような傾向があるようだ。

大学側も実績とばかりに相談者が何名あったと、中身の論議はそっちのけで、数値で評価している。中には利用者が少ないからもっと利用実績を上げたいと、何でも良いから学生に相談に来させるようにと、担当の先生がアナウンスするにいたっては、本末転倒もはなはだしい。いったい本来の教育を捨ててこれで良いのか、各大学ともこのあたりで考え直すべきであろう。

教員は一人一人がそれぞれのキャラクターで、日常の学生とのふれあいの中で愛情を持って教育にあたれば、こんなバカなことにはならないはずだ。ただどこの大学でも入試科目の関係から基礎力がない学生が増え、どうしても導入教育を先ずやらねばならなくなったことは、確かである。

そのための相談室であれば補正導入教育として理解できるが、利用者が少ないからもっと利用させようとするのは本末転倒。

教員のほうも本来の教育とは何かをよく考えねばならない。残念ながら大学の教員全てが教育力の面で高いわけではない。最近ではいずれの大学でも講座性が大きく崩れ、いい意味での教育のノウハウの伝授がなくなってきている。教員になるには、資格は専門の業績が中心で、教育のプロは極めて少ないのである。したがって個々の先生が長い時間をかけて自分なりの教育方法を身につけてきているのである。

最近は何でもセクハラだ、パワハラだ、アカデミックハラースメントだと教員がビクビクしている。このような理由で、日本の将来が大変なことになりつつあるようなので早い段階で軌道修正が必要である。



学ぶ姿勢の欠落

 共通1次が導入されてから久しいが、受験科目の少ない私立大学を受ける傾向が高まり、さらには、国公立大の授業料の値上げとともに、私大人気に拍車がかかった。
 特に、私大の文系学部では数学を受験科目から外しているところが多い。したがって文系志望の受験生のほとんどは、理系科目に興味を示さないように仕向けてきたことになる。さらには、その文科系の卒業者がこれまでは銀行をはめとした金融業や商社に入り工科系の卒業生よりも給料が1・5倍から2倍くらいの違いになり、生涯賃金ではさらに大きな差が出てきている。しかもほとんど現在どの領域でも文科系の指導者は異口同音に「私は数字に弱いから」と豪語する。現在の経済界を見ても先月号に工科系の経営者が増加傾向にあると記したが、それでもまだまだ、ほとんどの領域で文科系が支配している。小学校で算数や理科が好きで工科系に進みたいと思っていても、親や教員が文科系の道を子供に押し付けているとすれば、これは大きな問題である。

実際、小中学校の教員の多くは、理科系よりも文科系が多いようで、これからを担う少年の方向を誤っているのではないか。教育改革はこれからの日本の将来を展望する上で一番重要課題である。これまでの、ゆとり教育は完全に間違っていたと思う。鉄は熱いうちに打たねばならない。ゆとり教育の名の下にサラリーマン教員がますますサラリーマン化し、情熱を持って教育にあたる教員が少なくなっていったのではないだろうか。理科系科目が受験科目ではないという理由で初めから授業に熱が入らず、しかも、文科系では大学が受験科目から除外しているので大学で、理系科目の学力は身につけられなくなってしまう。
 こうして共通1次という受験制度は幅広い基礎的な学習をせねばならない時期に、受験のための勉強だけになり、さらには私学の受験においても3科目受験とか一芸入試とか基礎学力は大きく落ち込む結果になっている。この悪癖を解消しなければ、日本は世界から取り残されてしまう。



三週連続の国際会議

9月の19日から10月9日まで3週間連続の国際会議に出席しなければならなかった。ならなかったというのは、全て招待講演、シンポジュームのオーガナイザーとしての要請が半年以上前からあったからで、大学の中では3年前から大学院の委員長を務めているが大学の業務を主にしなければならないと、これまで2年間、この種の要請は全て断ってきた。しかしながら余り断りすぎると信用がなくなってしまう。

サーズの影響で延び延びになっていた中国で本年5月に開かれた国際会議でも招待講演を依頼されていたが、規模がそれほど大きな会議でなかったのでこちらの要望を入れてくれて土、日に会議日を設定してもらったので、大学の業務には支障がなかった。

本年の2月だったか3月だったか委員長選挙の際には、もう2年間もお勤めしたし、いろいろな要請に応えたかったこともあり、若い先生方にバトンタッチすべきだと委員会の席上で暗に示すようにしてきたが、残念ながらかなわず、僅差で再選されてしまった。その際に工学部の役職についている教授に、これまでの2年間は行動を自分なりに制約してきたが、これからは国際化している中で自分なりに行動したいと進言した。その後に満を持したように招待講演が続いて要請されたわけだ。

9月下旬のギリシャでの電気化学国際会議、その会議に臨む3週間前だったか委員会の席上で次回は、工学部の大学院専攻主任が集まる会議が丁度帰国する日、9月27日(月)にぶつかっていることに気づいた。そこで、代理を立てるようにその会議の席上で提案した。

定例の工学部の教員が集まる大学院の会議であれば、委員長名で会議の招集を行うので考慮しなければならないと思うが、上記の会議は専攻別の主任が集まるだけで総勢5名の会議。しかし、代理は今まで前例がないからだめだという。事務も教員も余りいい顔をしない。思い切って先鞭をつけるように、いろいろこれから、この種のことが誰にでも起こることだからお願いしたいと要請した。初めは最悪の場合は代理を立ててもいいと了承してくれそうな気配があったが、どうも雰囲気がよくない。仕方がないから一日前の便で帰るように旅行業者に交渉した。かろうじてビジネスは可能性があるという。実は9月の19日から一週間の中に旗日が2日ある。したがって実質的には企業に勤めている人にとってはその週は3日間だけ出勤日であるので海外に行きやすい。ということは、当然ながらみんな、土曜日か日曜日に帰って来たいので満席でキャンセル待ちとなった。幸いにキャンセル待ちで事なきを得たが、会議の席上で他の大学先生に様子を聞いてみた。「先生、なに言ってるんですか!そんなもの代理を立てるのが当たり前ですよ!」国際化しているので他大学から来ている先生方は簡単に代理を要請し会議に出席しているという。
 

国際競争力ランキング
関東学院大学
本間 英夫

 
世界の大手企業トップが集まる世界経済フォーラム(WEF、本部・ジュネーブ)は2004年版の国際競争力ランキングを発表、日本は前年の11位から9位と順位を上げた。
 1位はフィンランド、2位アメリカ、3位スウェーデンで、前年の順位と同じ。アジアでは台湾が4位、シンガポールが7位に入った。
 中国は、近年経済発展が著しいが、銀行制度の不透明さや官僚機構の非能率などが影響し、昨年の44位から46位に順位を下げている。
 WEFの調査によると、80年代後半から90年代前半にかけては、日本は1位を独占していた。しかしながら、バブル崩壊とともに低迷し、何年か前にこのシリーズで紹介したが一時は21位まで転落し、その後日本も並みの国になったかに見えた。
 今回のWEFの発表では、日本は「景気回復が持続し企業マインドが向上したこと、公的部門の透明性が著しく改善した」ことが評価された。しかしながら財政赤字や銀行経営の不健全さ、法人税の高さなどがなお順位を下げる要因になっているとのこと。技術力に絞って評価すれば日本は、バブル後もエレクトロニクス関連や自動車関連では群を抜いている。



物づくりの優位性

特に、物づくりに関する研究開発力、技術ノウハウは世界的に高い評価を受けている。我々の研究所には、最近海外からの問い合わせや技術者の訪問が多くなってきた。彼らといろいろ議論するが、日本の技術力を一様に高く評価している。私自身も、今までのようになんでもオープンに技術ノウハウを無償で提供するやり方から、きちっと権利を守り対価を研究所に入れる仕組みを構築している。どうも教員は、この種のことには疎いので、こと契約や費用の発生する問題には小生が前面に出るのではなく、副所長をしている豊田君にほとんど任せるようにしている。その中でこれだけは守りたい事、すなわち大学をベースにしている研究所であるので、学生が研究の一翼を担っていることを忘れてはならない。

したがって研究の成果は必ず学会での発表や学会誌への投稿は認めてもらうようにしている。今までも委託で受けていたテーマーの中で我々が手がけることによって大きく開発が進み、したがって企業側としては秘密にしたいとか、ここは発表しないようにとの要望がたくさん出てきていた。しかし、我々が優先して研究し、その結果として出てきた成果を拘束しようとするので、理屈が通らないと、敢然とこちらの要求を通すようにしてきている。

我々が英知を絞り、学生が昼夜別なく研究に没頭した成果が、何も公表できないとなると何のための研究なのかわからなくなる。当然、プロパテントの時代になってきたので、パテントを申請後発表するようにしている。



パテントの考え方

ところがそのパテントとなるとあれもこれも何でもパテントと、今までのやり方を主張する技術者が意外と多い。企業では実績をパテントの取得で判断してきたからなのか、玉石混交ならまだしもパテントの中身は、これでパテントなの?と思う石ころみたいなくだらない主張が多いのにはうんざりする。

だからパテントは申請するようにはしているが、まったく検索しないし、参考にしたことはない。

パテントに関して信用しなくなったのはかなり前に、このシリーズで書いたが40年位前に混合触媒の研究をしていたとき、ある先輩からこれを見てやりなさいと当時青焼きの字がかすんだようなパテントのコピーを渡され、それを参考にして研究したことがある。

ヒントになることはあったように記憶しているが、そのままトレースしてもまったくうまく行かない。キーになるところは伏せてあるわけだ。それ以来パテントなんかを参考にするのがばかばかしくなり、自分が率先してオリジナリティーの高いことをやっていれば、その方がやりがいもあるし、充実感がある。その癖が抜けず実は文献もほとんど読まないという悪い癖がついてしまっている。

元来、先達のやられた論文を参考にして研究をやったことがないので、参考文献となると既往の一般的な開発状況を示したりするくらいで、変な癖がついてしまったものだ。

中にはこのような研究者がいてもいいと思っているので、敢えて今までのやり方を変えようとは思っていない。学生にはよく話すが、世界に同じことを同時に発想する人が3人はいるぞと、文献を見るのは学生に英語の力をつけさせねばならないので、そのときになるべく最近の論文で興味の持てそうなものを引っ張り出す。

したがっていつも小生の机の上には新しい論文が包装されたまま置いてある。しかも海外の論文はけちをするわけではないが全て船便で入手しているので3ヶ月くらい遅れてくる。新情報、最新のニーズそれに伴うシーズ作りはもっとフロントでつかまねばならず技術者との交流は積極的にやっている。



国際語としての英語力

自分で言うのもおこがましいが、海外で名刺を交換するとほとんどの方々が、あなたが本間先生ですかお名前だけは存じ上げておりましたと、中には(若い研究者)恐縮して振るえて握手してくる人もいる。

本年は、前号でも少し触れたが都合5回海外に出かけた。もう小生も老年期に入り(?)英語の会話力も低下するばかりでストレスがたまるが、何とかして学生にだけは卒研一年では無理だが、マスターを終了するまでには英語で口頭発表が出来、質問にもある程度答えられるようにしてやりたい。またポスターの場合はface to faceで自分の考えがある程度相手に伝わるようになるまで伸ばしてやりたいと思っている。

今年は、その意味では海外に5人から6人くらいの学生と出かけたので、延べにすると20人くらい学生を連れて行ったことになる。その経験のもとに、学生は自覚し最近では英会話学校に通う学生が増えてきた。必ずしも英会話学校に通うことで、会話力が伸びることは期待できないが、要は自分がどれ位真剣に捉えるかであり、事あるごとに英語に触れるようにすればいい。CNNもあればABCもありライブでニュースが流されている。

また会話の教育番組も我々の時代と比べると格段に充実している。

敢えて研究室でこの人は成長したと誇っていえるのは、現在ドクターコース2年生に在籍している小山田君、彼女は4年生で小生の研究室に配属されたときは単位数も不足気味、英語は大の苦手で発音もイントネーションもあったものではない。「おい!おい!今までなにやってきたの!!」とあきれてものも言えない状態であった。 

特に学部生の時は、外部での研究だったため輪講会にほとんど出席できず、能力は伸びなかった。

ところが大学院に入り、自分で自覚し英語くらいはやらねばとの意識が芽生え、特に一昨年ソルトレークの学会において、ポスターで発表してから、大きく意識が変化してきた。

本年、中国での発表の際に多くの他大学の学生の発表を聞き、「先生、今度はオーラルで発表したいです」それからエンジンがかかった。

10月の中旬に日米の合同電気化学講演大会がハワイで開催されたが、それに向けてかなり努力した。本人は女子高出身であり大学の一年から男子学生の圧倒的に多い中で学生生活を送ってきたので、かなり負けん気が強い。何をやらせても最初はテンポが遅いが、掉尾の一振のごとく、最後の追込みは目を見張る。

今回は口頭発表、最初のチャレンジ!したがって、華麗にやりたいと思う気持ちは勿論、本人も小生も同じである。指導教授としてサポートしてやらねばならない。今回はギリシャでのポスター発表、早稲田大学でのシンポジュウムでのポスター発表前のショートトークそれに続く口頭発表であったので、準備不足になりがちであることは当然予想された。

本人が自信を持て発表できるようにと、ハワイ出発前に「おーい原稿できたか?」ところが、まだ出来ていないという。機内で最後の仕上げをやるという。ハワイのホテルに到着後、最終的に小生が表現や発音、イントネーションをチェックすればいいと他の学生の前で本番と同じムードさながらに練習をしてもらった。

初めは原稿を見ていたが、最終的には諳んじて発表したいと真剣である。他の学生を交えて確か3回くらい練習をしたが本人は自分の部屋で真剣に練習を重ねたのであろう。本番ではこちらが指摘した発音、イントネーション、ほとんど諳んじてパーフェクト。かなり緊張したのであろうが本番に強いところを今回も実証してくれた。日常会話の力もこの1、2年で大きく伸びヒアリングの力はついてきた。但し今回発表後の質疑応答では発表そのものが華麗にやったので、逆に質問そのものがかなり早口でまくし立てられてしまい、何を言われているのか掴みきれず、しばらく時間を置いて小生が共同研究者の立場として、その質問に答えた。

初回の口頭発表としては上出来であったと思う。来年は韓国で国際会議があるが、そのときまでには本人の真剣で真摯なチャレンジ精神で華麗に質問にも答えられるようにはなるであろうと期待している。

彼女のように、学生自身が目覚め熱く燃えて、成長していく姿を見ることができることは、教育者としてもっとも充実感を覚える瞬間である。

来年度は研究室にドクターが6名、マスター10名、学部はおそらく8名くらいの大所帯になるので9月から10月にかけての一連の国際会議は学生諸君にとっては大きな刺激になりこれまで以上に朝の輪講会が充実するようになって来た。



インターネット依存症?

1ヶ月くらい前の新聞に、会社員のインターネットユーザー300名(男性228名・女性72名)に対して調査結果がでていた。それによると、「長期休暇時」のインターネット利用状況は「平日と同じようにビジネス以外のメールの確認を行う」が25・5%、「平日と同じように趣味や娯楽などのサイトをチェックする」が25・4%で上位2位につけ、以下「ビジネスメールの送受信などを行う」(11・6%)、「平日とは違った趣味や娯楽などのサイトをチェックする」(10・9%)、「平日と同じようにビジネス系サイトをチェックする」(9・1%)などが続いた。(複数回答)
 長期休暇で旅行などに出かける場合、可能であればノートPCなどインターネットに接続して作業できる機器を「持っていきたいと思う」と答えたのは全体の58・3%で、2003年より約3ポイント増加したそうだ。その理由としては、「メールチェックだけは、こまめにしたい」というユーザーが半数以上、その他「現地の情報を入手するのに便利」「電車や飛行機の待ち時間の暇つぶしに」といった声が挙がっていたが、中には「持っていないと不安」「仕事上、いつメールで連絡が入るかわからないから」といった意見も挙げられたという。
 一方、「持っていきたいと思わない」とした41・7%は、ほとんどが「オフの時に仕事の事は考えたくない」「旅行時に普段使っているPCを触るのはいや」など、面倒・煩わしいといった意見。これらの理由は昨年とほぼ同様でPCや PDA 等のモバイル機器を「持って行く派」と「持って行かない派」がはっきりしてきたとみている。

この調査は会社員に対してアンケート調査されたものでありこれを職業別、年齢別に分けて調査するとかなり違った結果が出ると予測される。アンケート調査は調査対象、調査の意図、質問事項によって意図的にストーリーを構築できる場合が多いので注意せねばならない。

その結果が現時点での代表的な流れだと勘違いするようなことがあるのでアンケート調査は実施する側も、その結果を判断する側も注意が必要である。特に教員に限ってみると、国内も海外でも忙しく責任のある教員になればなるほど少なくとも一日に2回は必ずメールのチェックはしている。

学生に対しても緊急の要件、アーっと思いついたとき、すぐにメールで配信するが現在20名以上の学生がいる中で1時間以内に返信してくる学生は5人くらいいる。また24時間いないになると90%近くの学生、あとは先生見ていませんでした、遅れて申し訳ないと数日後に返信がある。

小生はことさら故意にメールで必要事項を配信するようにして学生には必ずメールを一日に一度はチェックするような癖をつけるように仕向けている。また学生には連絡係を設けその学生がメールで全ての学生に連絡事項を配信するようにしているので研究室の学生にとっては、パソコンは必須アイテムになってきている。

当然これからの世の中、当たり前の道具として使用されるので学生時代にその癖をつけるように仕向けているわけだ。
 

研究発表会の定例化
関東学院大学
本間 英夫
 
 例年十一月下旬、本学工学部主催の研究発表会が開催される。本学においては、この種の発表会は学生向けが主で、産業界にはそれほど宣伝はしてこなかったようである。しかし数年前から産学連携の重要性が大学、産業界、学会で論議されるようになり、新聞には連日のようにその関連記事が出るようになってきた。したがって実行委員の先生方は如何に地元産業界にアッピールするか腐心されていたようだ。

そこで、表面工学研究所の設立を契機に、この研究会に表面工学部門を特別に設けてもらうように要請したのが3年前である。実行委員の先生方の中で論議され、表面工学部門は協力という形で始まった。共催のほうが聞こえは良いが中身が充実していれば別に形式的などにはこだわらず、広く産業界の方々、OB諸君らが参加してくれればいいと思っていた。

結果は、初回および2回目も100名くらい収容できる教室が満席になり、産業界の方々の関心の深さを実感した。この発表会は、産業界の技術関連の方々と先生方、および学生と語り合ってもらうのには最適な場である。

これまでは要旨の作成費用、懇親会費用などは経理上の問題もあるようで、まったく表面工学部門として費用は負担してこなかった。それ故、懇親会に出るのには遠慮があった。そこで今回は事務方とも打ち合わせ、我々の部門から費用の一部を負担することにした。

したがって、講演終了時に皆さんに懇親会に参加するよう促した。その結果、懇親会場に出かけてみると八割くらいは表面工学部門の参加者になってしまい、これではやはり違和感があり、来年の発表会は形式をかなり変えなければならないと痛感した。

魅力的な運営方法

ともかく、本学の歴史と伝統、また本学の特徴のひとつである表面工学部門の研究と教育の発表の場としてさらに今後、充実した企画を考えていかねばならない。

この種の発表会は、公的な学術研究の場とは違い、産業界の方々およびOB諸君に参加いただいて、学生が主体として研究した内容を発表し、大いに論議することは何にもまして意義深い。

座長を決めてプログラムどおりには講演を進めるが、開会から閉会まで気配りし、的確なアドバイスを産業界の方々から頂けるよう誘導した。また研究のインテンションを理解してもらい、本学の表面工学の歴史的背景に関しても触れた。

今回は中村先生が他界されて7年になるので、そのことにも触れ、研究所のスタッフである山下先生にも、依頼講演者の人選には大いに協力いただいた。さらにはプログラム作り、発表会での的確なコメント、閉会に当たっての挨拶など、みんなで協力してすばらしい講演会が行えた。

特にプログラム運営に関してはザックバランで形式にとらわれないで…(とは言っても、きちっとプログラムにしたがって進めるのであるが、要は雰囲気を第一に考えている)スムーズに進めることが出来たと自負している。これもスタッフである山下先生、香西先生、豊田副研究所長、田代および杉本研究員のお陰である。

また、実質的には学生が研究し、その研究内容をいかに参加していただいた方々にアッピールするかが肝要であり、研究室のHPをご覧になってわかるように(ヤフーから「本間研究室」で検索できます)学生は海外を含めていくつかの学会で研究成果をあげてきている。

進捗報告会を初めとして、これらの過程で小生はかなり綿密に彼らと打ち合わせし、アドバイスしている。したがって、今回の発表や大学での最終発表の際は、ほとんどチェックする必要はない。このようにして、自分達で如何に魅力ある発表が出来るか考えさせるように仕向けている。

また実質的には当日の発表会に至るまでのプログラム編成、産業界の方々やOBへの連絡、当日の受付など、彼らが自ら積極的に参加し成功させるように、ほとんどは任せるようにした。



学生に対する意識付け

学生の中には、このような運営を雑用とか仕事と判断し、しぶしぶ協力する者もいるようだが、自らの過去の経験談を話し(中村先生からはいつも「やったか? まだか?」と急き立てられた)ハードルが高すぎ出来ないと思っていたことでも、出来るようになるとそれが自信につながるぞと。学生時代は何でも自分から積極的に買って出るようにと、彼らの意識を変えるように仕向けている。

小生が毎年彼らに語らなくても脈々と引き継がれていく体制が望ましいが、最近は学生数も多くなり、今まで以上に彼らと同じ目線に立って話すように努力している。これが研究室の伝統になり、これからも発表会の成功につながればいい。

実は一番大切なことは、なんといっても発表内容。中身が陳腐であったり、魅力がなければ、いくら外に向って声をかけても参加してもらえないであろう。今現在は注目されているからよいが、これからもこの歴史と伝統、本学のひとつの特徴を守り、さらに積極的に魅力作りに精を出さねばならない。



参加者からのコメント

閉会にあたって、参加された方々に、今回の発表に関して短くて良いからコメントをメールで送ってもらうように要請した。たくさんの方々からコメントが入った。その中で産業界と学会でも活躍されている方のコメントを紹介する。

本日は、ありがとうございました。とても勉強になりました。特に、感激した点について書かせていただきます。

1.電気銅めっき

 電気銅めっきの添加剤は、私の学生時代から盛んに研究されていたのを覚えております。しかし、その殆どが、「こうやったら、こうなった」と言うものであり、今回の報告のように、添加剤を自分で合成して、論理的に研究するというものは、無かったと思います。

もっと研究が進めば、いろいろ系統的な研究が可能になり、試行錯誤でなく、論理的に最も優れた添加剤を提案することができると思います。まさに、記憶力は限界がありますが、想像力は限界がないと感じました。

 最初の報告で、びっくりしました。作製した薄膜に固体物理的なアプローチをもっと加えると更に面白いと思いました。



2.一次電池用正極活物質NiOOHの新しい電解合成法

 これも、HOTなテーマであり、かつ、無駄の無い素晴らしい方法だと思います。聞けば、もっともだと思いますが、全然、発想しませんでした。

3.トレンチ内における無電解めっき反応の解析

 とても大学的で、興味深いと思いました。研究の進め方が論理的で、電気化学に馴染みの少ない方でも、分かりやすいと思いました。

4.近接場光学顕微鏡用プローブの作製

 これも、とても面白い研究だと思います。2種類のプローブを作る、作り方がとても興味深かったです。説明を受ければ、なるほどと思いますが、発想するのは難しいと思いました。

5.光触媒とUV照射

 完全に、愕然としました。お話は、伺っていましたが、改めてびっくりしました。私が、学生のときから、硫酸酸性のクロム酸液でエッチングするのが当たり前と思っていました。まさか、水でエッチング出来るなんて、思いもつきませんでした。この方法を使えば、いろいろなものに使えると思います。

他にも、招待講演はもちろんのこと、十分に楽しませていただきました。

ちなみに招待講演の一つはトレンディー十一月号に翻訳で掲載されているクエン酸をホウ酸の代わりに用いたニッケルめっきに関する研究成果を土井さんご本人に講演していただいた。解説調に研究内容を語られ参加者は一様に感心していたようである。

次のコメントも産業界の重鎮から

『先生のご指導で学生の発表内容は大変濃いもので、また、発表も堂々としたもので、若い方の精進には感心しました。小生にとりまして大変勉強になりました。各所に先生のアイデアがでていたように感じ、エレクトロニクスのめっきでは先端を行っていると思いました。途中、拙い質問をさせて頂きましたが、このような見方を入れて頂くと有り難いという気持ちで、させて頂きました。質問は苦手で表現に失礼の有ったことかと思いますがお許し下さい。(途中本件には関係のない箇所省略)』

これらのコメントに代表されるように、参加された方々が、本学のあの発表会は、毎年参加した方が良いぞと、定着することを願っている。そのためにも常に前進、発想、着眼、創造性豊かな積極的な技術者になれるように学生を育てるように努力する。

また、前者のコメントの中にまさに、記憶力は限界がありますが、想像力は限界がないと感じました。とあるが、これは小生が閉会の挨拶だったか、または講演中のコメントの際に言ったか失念したが、これまでの知的能力は記憶力で評価されてきており、本学の学生(本学出身の小生も含めて)は、その意味では評価されてこなかった。しかし、これからの21世紀は、むしろ創造性が大切であり、創造力(ご本人は想像力と書かれていますが小生としては創造力のつもり)には限界がないのだよと授業で言っていることを今回、記憶力には限界があるが創造力には限界がないと挨拶の中で述べたことが琴線にふれたのでしょう。



学生に対する質問

発表会ではたくさんのコメントや質問を頂いたが、中にはのっけから、かなり厳しい質問やコメントをする人もいた。学生は必死で何とか答えようとするが、まだまだ全てを理解するには時間がかかり、的確な答えが出来ない場合が圧倒的に多い。

質問する側は、かなりその領域に関しての関心が高く、また経験も豊富の方々である。しかし、学生はまだ1年か2年の経験しかなく、しかも懸命に実験を行い、データーを積み重ねてきて、自分なりに考察しているのである。

しかしながら、その質問者から見ると自分の知りたいところだけを短時間の中に集約しようとするから、とかく厳しい質問になるのは了解できる。しかしながら、多くの学生にとっては経験が乏しいから、この種の質問では学生を落ちこませるだけである。したがって、今回は会場で質問をするときに、まず彼らのやった実験をいろんな角度から、まず誉めてやってほしいとお願いした。こんなことをやったら良いとのアドバイスをいただきたいとお願いした。

通常の学会の発表でも同じである。学生の発表には、もうすこし彼らを鼓舞してやるような配慮が必要である。あらかじめ恥をかかないように質問対策をしている学生もいるが、そんなことはしなくとも、自分のやったことを理解しておけば、どのような質問が出ても何も問題はない、怖気づくことはない。解らなければ解らないと正直に答えれば良い。真剣にその道を極めた人は、必ずわからないことは解らないという。自分達は、まだ技術者の卵であり素直な気持ちでやればいいのである。学生には、常に素直で正直であり、実験には絶大な信頼の持てる結果を提供できるようになればいい。

質問をする人も、相手の立場になれば(自分が実験をやれば)その苦労がわかるから、どちらかというとアドバイス的な発言は学生もすんなり聞けるし、そのアドバイスによっては、次の日からでも実験に取り掛かり、究明をしたい衝動に駆られるであろう。その意味では学生が発表をした翌日からでも燃えて実験がしたくなる、またさらにその成果を発表したくなるような気持ちにさせてやれば良い。だが、どうも相手をけなすことに快感を感ずる人もいるようで困ってしまう。

その意味では最近取り入れられてきたポスターによる発表は、フェーストゥフェースで論議できる点ですばらしい。但し、知的所有権が最近かなり大学でも厳しく取り扱われるようになり、ノウハウ的な要素は隠さねばならないとする傾向になってきているのは残念である。

最近の学会で気づくことだが、学生が発表し、フロアーから質問が出ても「その点については、申し訳ございませんがお答えを控えさせていただきます」とか「現在特許申請中なので、それにはちょっとお答えできかねます」とか、学生らしからぬ答え方で、これでいいのかと落胆してしまう。

これでは何のための学会なのか、自由闊達に討論し、お互いの研究を活性化していくことに学会の本当の意義があるのに残念でならない。おそらく指導教授やスタッフからきつく口止めするように言われているのであろう。

以前の雑感にも書いたが企業によっては、機密事項が大学から洩れるので学生にも機密契約を結ぶようにしているようだ。小生はこの種の契約はしないし、もし企業がそのように要請した場合は、大学としての立場を理解してもらうように努力し、それでも埒が明かない場合はきっぱりお断りするようにしている。

学生と企業の技術者が真剣に研究について話合える環境を作りたい。