過去の雑感シリーズ

2000年

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企業の変革
関東学院大学 
本間 英夫
 
 基幹産業として日本をリードしてきた大手の自動車や電機メーカーは、収益力が落ち込み、今や傘下の企業群を束ねていく力を失ってきている。一方、技術力の高い部品メーカーは系列を越えて顧客を確保し、グローバル化の中で高い収益をあげている。生産性の向上の追求のみに注力し、開発に力を入れてこなかった企業はどうだろうか。
 大手企業に限って言及すると、企業名をあげるまでもなく株価がその企業体質を反映している。例えば、エレクトロニクス部品メーカーの中でも、つい十年くらい前までは同じように高収益をあげていたが、新技術の開発に乗り遅れたメーカーのその後の凋落ぶりが激しい。
 今まで何らかの形でコンタクトのあったエレクトロニクス部品メーカーはかなりの数になるが、現在も関係を持ち続けている企業は躍進している。これらの企業は当然開発に積極的で、研究の支援をしてくれている。これらの企業は業界全体が苦しい時期においても研究の手をゆるめることはなかった。一度手をゆるめてしまうと、研究に携わっている技術者のレベル低下は著しい。また、産業界をリードしている企業群は、当然の事ながら学会活動への参加も積極的である。
 一方、学会活動に無関心、非協力的で、受け身的にしか参加しない企業も多いのには驚く。オンリーワンの企業を目指すとか、であらねばならないとする経営者が意外に多いようだが、一時期オンリーワンであったとしても、永続は望めない。製造業から見ると、国際的な統一基準の中で、一部を除いてその条件に沿った製造を余儀なくされている。ごく先端的なところでは、若干のタイムラグはあるが、ほぼ同じ技術が同じテンポで進展していく。したがって、同じレベルでの競争と協調がうまくマッチングし、国際レベルでの学会発表も活発である。国際会議は一部の研究者や技術者に任せるとしても、我々の業界においても、とにかく、関連学会の学術講演大会くらいは意識のある技術者が積極的に参加、または、発表する雰囲気を醸成すべきである。
 産業構造の変化は急峻である。単にものを大量に作る時代から、質の高い技術を駆使した物作りや、そのプロセスのノウハウを提供する時代になってきた。本誌購読者のほとんどは、表面技術を専門にする企業の方々であるが、企業の規模よりも質的向上が肝要であり、着々と技術者を養成し、これを推進させねばならない。これからの時代を予測し、研究に力を入れてきた企業は、大きく発展するだろう。それにしても、キラッと輝く技術者が意外と少ないのは、なぜなのだろうか。

技術環境の整備

 生産に直結する設備投資を積極的に行うことは、企業を発展させ、存続させるためにはごく当然である。しかし、研究開発費となると、本業界の中で果たして、何社がきちっと年間計画の中で予算を組み込んでいるだろうか。今までは、技術の環境など考えなくても、何とか持ちこたえてきた。したがって、技術、研究の環境は、一部の企業を除けば劣悪である。この状況は本業界に限ったことではなく、急成長を遂げた一部や二部上場企業の中にも見受けられる。
 設備と薬品さえ導入すれば仕事が出来た装置産業型生産は、どんどん海外に展開していく。したがって、これからは高い技術力も持っていないと完全に取り残され、じり貧になってしまう。従来は、技術者というと便利屋で、工程の改善やトラブルの解決を行う人と認識されていたようである。
 技術に携わっている人にとっては、開発や研究を円滑に遂行できる環境整備を望んでいる。それにはまず、最低限の評価道具を自社内に持つことが必要である。めっきを中心としているので、取り扱っている前処理から後処理までの湿式分析、ビーカー、フラスコ、シリンダー、ピペット、ビュレット等はマクロ分析道具として不可欠である。しかしながら、これらの一番基本的な道具を完全に常備している企業はどれくらいあるだろうか。しかも、それを使いこなす技能者、技術者がどれくらいいるだろうか。日々のルーチンワークとして不可欠な分析作業がなおざりになっているのではないだろうか。
 基本的な分析を忘れて、機器分析だけに頼り、高価な機器を駆使していれば、品質が安定すると思ったら大間違いである。先日、サブミクロンのきわめて細かい配線をめっきで作成する実験をするにあたり、組成が少し複雑なめっき液が緊急に必要となった。研究室内でこの液を調製するよりも、実際の現場で使われている液を持ってきたほうが、不純物レベルも少なく精密濾過さえ行えば、当初の目的は達成できると考えた。
 早速、ある会社から液をもらい実験を行うと、予期した以上に良好な結果が得られたので、すぐに論文を投稿する準備に取りかかった。いくら短い速報であったとしても論文を出すまでは何度も実験を繰り返し、その結果を吟味する。その後、もう少しデーターを取る必要が生じ、もう一度同じメッキ液をもらって実験を進めた。
 学生が即座に「前の液とどうも違うようです。今度は全くうまくいきません。」と言う。早速、その会社に連絡し、液の状態について尋ねた。案の定、液の分析がなおざりになっていた。めっきにおいては如何に処理液を定常状態に保つかが、最も基本的で大切なことである。プロセスウインドーが広いので、最近は分析の頻度を少なくしていたとのことであった。
 しかしながら、不良が出てからあたふたするのではなく、日頃からきちっとやるべき事をやっておく必要がある。
 表面処理の分野で必要な機器分析としては、分光光度計、原子吸光、イオンクロマト、最近威力を発揮している細管式電気泳動などがある。これらは日常の分析に使用する以外に、開発や研究を進める上に必要な道具である。これらの機器を導入している企業は、技術に対してその必要性を理解し、これからも業界の中でリーダー的な立場を維持するだろう。 経営者は従来の考えを変え、利益の一部を積極的に研究開発費に投入すべきである。成果がすぐに現れてこないので、今まではなおざりになっていたのではないだろうか。
 また、機器を導入しても、今まで技術者が便利屋になっていたので、彼ら自身がその道具を使えず、さらにそれらの道具を駆使して開発をする手法にも長けていない。折角、技術者を採用しておきながら、前述したようなルーチンワークや便利屋になっていることに対して、技術者は無抵抗に受け入れ、年を取れば取るほど感激もなくなり、情熱を持って新しい仕事にチャレンジする気持ちが薄れてしまっている。技術者を本来の意味での技術者として、生かしてもらいたい。
 そのほか、この業界で是非とも導入しなければならない評価道具として電子顕微鏡や、微視的領域における表面分析計、X線回折計等をあげることが出来る。いずれにしても、この種の評価道具は利益が出たら、少しずつ揃える必要がある。
 大手の加工組立型の企業は、個々の要素技術に弱く、部品メーカーにしても、めっきの領域は余り強くない。だから、これは出来ないか、こんな事はめっきで可能かなど、多くの要求が皆様の企業にきているはずである。しかも、相手はリスクを回避するため、成果を早く出すために、複数の企業に同じ内容の仕事を委託している場合が多いようである。
 これらの要求を整理してみると、難めっき材料(マグネシュウム、フェライト等)へのめっき、プラスチックス、セラミックス、ガラスへのめっき、ドライでは採算の合わない超大物への成膜から、逆に超微細な領域への選択めっき、電気、磁気、機械、光学その他の特性をめっきによって創生する技術等。これらのめっきは、今後益々重要になってくるだろう。
 日常のルーチン、研究開発すべてに汎用性のある道具を準備することは、なかなか困難だが、設備投資を積極的にやってきたと同じように、研究投資にも今後は力を入れねばならない。

プラめっきに関連の深い実装技術

 ICは処理速度が益々高速化する中で、パッケージは多ピン化せざるを得ない。特定用途向けIC(ASIC)は千から二千ピンが現在主流である。ロードマップによると、二年後には四千から五千ピンになると予測されている。したがって、ピン数の増大により当然同じ大きさのパッケージを作るとすれば、ピンの間隔を狭くしなければならない。千ピン以上になってくると、ピンから出てくる導線を一枚のプリント板のパッケージでは配線が出来なくなる。そこで配線層と絶縁層を何層か積み上げて出来たのが、ビルドアップ多層パッケージである。このパッケージの作成にはプラめっきの技術が駆使されている。(例えば、密着形成のためのエッチング、触媒化、無電解めっき、電気めっき、層間導通のためのめっき工程、パターン形成のためのめっき工程、BGAのめっきバンプなど。)プラスチックスパッケージを作成する際のキーになる工程に、絶縁層を介して配線層同士の接続のための導通路(ヴィア)の形成がある。
 ヴィアを形成する方法としては、感光性の材料を絶縁材料に混ぜ合わせ、絶縁層を形成した後に露光、現像するフォト法が一般的であった。しかしながら、配線密度の増大に伴って、ヴィアの直径を小さくしなければならなくなった。現在は未だ一〇〇ミクロン位が主流だが、四千ピンにもなると直径が三〇ミクロン位になり、当然、配線幅も二〇ミクロン程度になる。こうなるとフォト法では限界であり、レーザーでヴィアホールを形成するのが主流になる。未だレーザー法が主流ではなかった今から四、五年前に、あるメーカーの技術のトップが研究室を訪れ、どちらが良いか尋ねた。私は即座にレーザーでしょうと、根拠は、一連のメッキ工程を考えると、フォト法では処理によっては絶縁層にダメージを与える事、および密着層の形成に困難を伴う事を指摘した。
 レーザー法では材料に制限がないので、あとは材料に対していかにめっきを行うかを考えれば良い、と私の考えを伝えた。その技術者は私の目の前で、ぱーんと手を大きく打った。本人はどちらにしようか、当時はフォト主流であったので、多いに悩んでいたのである。私は単にちょっと本人の背中を押しただけであり、現在その企業は外販も積極的に行い、事業部自体は大きく伸びている。
 恐らくつぎに、それではレーザーで炭酸ガスかYAGかということになってくると思われる。現在は主流が炭酸ガスだが、これも私の経験から何れはYAGになると予想している。その根拠は、ヴィア径が三〇ミクロンまで小さくなってくると、穴の中に残留する樹脂が問題になってくるはずである。YAGを用いると、ショットによってプラズマ状態になり樹脂が完全に除去できる。現在はコストが高いのでそれほど普及していないが、ロードマップから見ても、まもなく主流はYAGになると思われる。これらのパッケージやそれを担うプリント基板の製造には、今後益々めっき技術が重要になってくる。

早起きは三文の損?

 早起きの人は、朝寝坊の人よりもはるかにストレスがたまると、英科学誌に発表された。
午前五時二十二分から十時三十七分までに起きる被験者四十二人を選別し、午前七時二十一分を境に「早起きタイプ」と「朝寝坊タイプ」に分け、だ液中に含まれるストレスを引き起こすホルモンの量を調べた結果、早起きタイプのだ液には、朝寝坊タイプより多量のストレスホルモンが含まれることが判明した。さらに、高濃度の同ホルモンが終日、体内に残ることも分かった。
その後も十週間にわたり被験者を追跡調査し、早起きの人は筋肉痛や頭痛などの症状が、朝寝坊タイプの人よりも顕著である事をみいだしている。また、睡眠時間の長さとストレスホルモンとの間に相関関係はみられなかったそうである。
ストレスは癌の元、皆さん朝寝坊しましょう。
 

財産管理について
関東学院大学 
本間英夫
 
日本の一般の家庭では誰が財産の管理をしているのか。
一般的、平均的な家庭では奥さんが管理している。統計結果は知らないが、おそらく七割以上が奥さんの管理下におかれていると思う。主人は全く無頓着という家庭もある。
サラリーマンであれば当然、ウィークディは会社、給料も銀行振り込みであるから、自ずから奥さんが管理することになる。
 ただし、多くの家庭では、夫が財産の大枠をつかんでおり、あとは奥さんに任せているのであろう。
 男として、守銭奴になりたくないし、家内を信頼して任せればよい。
 他にも色々理由や事情があると思うが、いずれにしても、財産管理は女房と相場が決まっている。
数年前、証券会社に手続き上の理由で、渋々で出かけねばならなかった。
 なんとそこには、中年から老年のおばさん連中ばかり、主に投資信託のコーナーに何人もいる。株価の動きには、ほとんど関心が無いようであり、ボードをにらんでいるのはおじいちゃん。これがおそらく、つい最近までの証券会社の店頭の代表的な姿だったのであろう。
 また、振込み等で銀行に出かけることがあるが、昼間はほとんど奥さん連中である。このようにウィークディの真っ昼間、サラリーマンは動けるわけが無い。
 したがって当然ながら、財産は奥様の管理下に置かれることになってしまう。
 これは、あくまでも一般的なサラリーマンについての話であり、経営者、特に中小の企業では会社の財産は勿論、個人財産も経営者自身が管理していると思われる。
 もし奥さんが管理しているとすれば、それは奥さんが、その会社の役員になって会計業務を担当している。
 ところが、企業の規模が大きくなってくると、そんなわけにはいかない。たとえば、小生の本家も昔から製造業をやっているが、今では従業員が数百名になったので、奥さんは家庭に入っている。
 これが上場している大企業になってくると、事情は一変する。財務管理はプロが集団でやるようになるのが一般的である。 
 ヤクルトに代表されるように財産の運用を一個人でやると、大変な問題が起こってしまう。いつの世にも必ず不正が起こってしまう。
 人間の弱みである。その立場になり、そのような状況が起これば、ほとんどの人は、この誘惑から逃れられないのであろう。キリスト教で言うところの原罪である。
 金融機関や、多くの不良債権を抱えてしまった企業の体質を強化するために、一般のサラリーマンが犠牲となって(ちょっと言いすぎか)、低金利政策がとられるようになってきた。したがって、現在の金利はゼロに等しく、郵便局や銀行に預けていてもほとんど増えない。
 個人の預貯金が一千二百兆円、赤ちゃんまで含めて、一人一千万円貯金している勘定になる。
 また、今春から高金利時代の郵便貯金が大量償還される。今年の四月から二年間で百六兆円になる。
 これらのお金は行き場を探している。ペイオフが一年延期になったが、いずれにしても、これからは自分で財産を管理しなければならなくなってきた。低金利時代、これからは財産の運用をどのようにすればよいのか。

投資について

 財産三分法は皆様もご承知のように、財産を預貯金、株式、不動産に三等分して管理運用する方法である。アメリカではこれがあたりまえのように運用されている。
 最近、アメリカの異常な株高で、この三分法も若干歪になっているかもしれないが。日本と違い、財産は夫がしっかり管理している。もっとも夫婦平等でお互いに管理している場合も多いと思われる。
そう言うおまえはどうなのか。これまでの雑感シリーズを読んでお分かりと思うが、自分で管理している。と言うよりも、そのように仕向けられてきた。
 物心がついたころから日経新聞を読んでいた。地元紙以外は読売新聞と日経と決めていたようなのでしょうがない。
 今から約四〇年以上も前のことになるが、電話がすでに普及していたが、電話で取引するのではなく、証券会社の人が週に一度位、自宅に上がりこんで話し込んでいた。
 それも現在のように成績を上げねばならないからと、必死になってセールスしているわけでもないようであった。遊びにきている感じであった。おまえも運用してみろと、当時の金で数十万円預かった。
 池田首相が所得倍増論を提唱したのは、それよりも数年前であったと記憶している。タイミングがよかったのである。
 購入した株はどれも上がった。大学の入学金はそれで払ったはずである。株を運用させてもらった副次的な効果はたくさんある。
 まず、新聞をよく読むようになった。新聞の経済面や企業の動きに敏感になった。当時から四季報があったと記憶しているが、たくさんの企業の業務内容を知ることができた。
 大学生のころ、テレビで「てっぺんやろう」と言う面白いドラマがあった。確か投資、むしろ投機で成功し、てっぺんまで登ろうと、毎週楽しくそのドラマを見たものだ。
 おそらく、一般の人も徐々に投信や、株に投資する気運のときだったのであろう。大学に入ってからも、どこで聞いてきたのか、証券研究会を作ろうと誘いを受けた。経済学部でもないので即座に断った。
 株を手掛けて迷惑をかけ、自分もゾーッとしたこと。それは企業の倒産である。
 山一證券が、二年前につぶれたが、四〇年位前、日興證券がおかしくなった記憶がある。第一次の投資ブームの萌芽期であったのであろう。
 大学に入ってから小生は、観光事業研究部を作った。これからは、日本が豊かになり発展すれば、観光事業が絶対伸びると思ったからである。当時は鎌倉や横浜の観光局を訪ね、課長以上のクラスと対等にいろいろ交渉をしたものである。
 また、観光事業の中で将来は外国からの観光客が増加するだろうと、特に外人向けのアンケート調査を主体にした。
 と言うわけで、親戚連中には、もし株に投資するなら、その部門の株を購入したらいいぞと富士観光をすすめた。勿論、小生はすでに何株か持っていた。それが購入して五、六年くらいしてからだったか倒産してしまった。
 自分はともかくとして、今まで経験の無かった親戚に迷惑をかけてしまった。それも一人ではなく複数に。
それ以来、人にはめったに勧めないようにしている。その後上場企業の倒産は、あまり無かったと思う。
 最近になって、国土開発の倒産は少しショックであった。関連のコクドと国土開発は同じであると、思っていたことも迂闊であった。
 うわさは色々聞いていたが、手放したほうがいいぞと、しかしながら、大手ゼネコンはいずれも膨大な不良債権をかかえており、まさか大蔵省がこの一社だけをつぶすとは思わなかった。
 減資にあったのは現在の企業名で言うと、吉冨製薬、パスコ、チノンの三銘柄くらい。また、十年以上前の株の絶頂期は、五百円を切る銘柄が無かったが、現在半値からもっと安くたたかれたものでは、十分の一以下になっている銘柄も多い。なんてことは無い。これでは減資と同じこと。そのような株はしょうがないからナンピンを入れる。
 山一の倒産のときは、株そのものは保護されているから問題は無かったが、株券をすぐ他に移すことができなかった。増資の際の新株や裏書されている本人名義の株券は、各支店が閉鎖される直前まで、引き出すことができなかったのである。その間高騰した株もあったが。
 上述した証券会社に足を運んだというのは、株券を移し替えた証券会社の店頭の様子である。そのとき一部の裏書された証券を見たが、個人名義になっているものが意外と少なかった。
 と言うことは、個人で直接株の取引をしている人は、ごく一部の人に限られているということになる。
 つい最近ではヤクルトの事件。五、六年前までは高値で三千二百円、その後二千円台で推移していたと思うが、なんとあの事件が発覚して、一挙に六百円くらいまで下がった。
 本業が健全であるからいずれは戻るだろうと、また、株主優待で内野スタンドの指定席、それと年一度、化粧品が送付されてくるので塩漬けにしておいた。昨年十月ころ半値まで戻していたが、最近またジリ安であった。
 年末、証券会社から電話があり、「はじめまして、担当の何々ともうします。こんなときに初めて電話して申し分けございません」「ヤクルトが監理ポストに入りました。このままでは上場廃止になりますが」
過去の経験で営業の言いなりになっていると大変なことになる。ホームトレードが導入されてから、一切営業とは話さないようにしてきた。だからこんな時しか電話がかかってこない。 国土のときの経験もあるので、もし上場廃止になったとしても、慌てふためいてもしょうがない。ただ、今回は個人の不正で本業のほうは健全のはず。
 「どうせ売りが殺到し値がつかないだろうから、売りに出さなくてもいいですよ」 
 それから連日、ストップ安の売り注文で買いが入らない。若干不安になる。しかしながら乳酸菌飲料や医薬品に関しては何の問題も無い。もし買いが入りだしたらどーんと買い増してやろうかとも思ったくらいである。
一月五日に元のポストに復帰した。いずれは、監理ポストに入る前の値段に戻るのではないだろうか。このように、自分で投資するとなるとリスクは伴う。 
 この十年間は、バブル後の修正で倒産、合併、減資、持ち合い解消、企業がサーバイブするための苦渋の時期であった。もうしばらくリストラ対策が続くと思われるが、体質が強化され生き残った企業は、大きく進展することが期待される。
 今まで投資など考えていなかった人も今が買いどき。特に、情報通信以外は安値で放置されたままである。
 平均株価が年末から上昇し、大発会では一万九千円台の高値をつけたと、一般紙の一面にまで報道しているが、実情は情報通信と一部の電子部品株のみが、異常なまでに買われているだけである。
 ここにも株価の健全さが見られない。店頭上場のいわゆるドットコム、IT関連、さらには、マザーズにいたっては何をか言わんや。
 今回、マザーズに二社上場されたが一社は本年六月期の予想売上高が一二億、これに対して時価総額約九千億円(PRS七百五十倍)、もう一社は予想売上高六千万円に対して、時価総額約八百億円(PRS千三百倍)である。
PRSとはプライス・セールス・レシオのことで日本語では株価売上高倍率のことで株価を正当化する苦肉の策として米国であみ出された。本家本元でさえ、高くても百倍程度。と言う事は日本では、いかに割高で買われていることか。もう少し頭を冷やすべきである。
人間の、いや資本主義社会の醜さを露呈しているような感じである。資本主義のお手本であるアメリカが、いまバブルの真っ直中(米国政府や多くの投資アドバイザーは、依然として健全であると主張しているが)にある。
 上がるから買う、買うから上がる。そこには株価に対するめちゃくちゃな理屈がある。マネーゲーム化している市場は、いつになったら健全になるのか。
 人間の欲が絡むから、これが健全?なのかもしれない。リスクが増幅される信用取引、ヘッジファンドにいたっては完全にゲームと化している。株式投資がギャンブル視されるのも、この辺りのことに起因しているのであろう。
 しかしながら、好むと好まざるにかかわらず自己責任で財産を運用する時代に入ってきた。もし直接、株に投資するのであれば、短期に一喜一憂するのではなく、長期保有で臨まれたい。
 余裕資金があれば、経済や産業界の動きに敏感になるし老化防止にもよい。企業業績回復、株式手数料自由化、インターネット取引、個人の資金が投資信託や直接株式投資と市場に流入しだした。株価は先行指標、今買うなら低位株が絶好のチャンス!!
ゆっくり仕込んで値上がりを待つ。欲をかいて深追いしない。現物投資でやけどをしない程度に投資をしてみてはいかがでしょうか。
 

教育改革に一言
関東学院大学
本間 英夫 
 
教育の一端を担っているものとして、今月は教育問題について、考えを述べることにした。
昨年あたりから、大学生の学力低下に関する報道が多くなり、このままでは日本の将来が危ないとまで言われている。実際、受け入れ側の企業から見ると、新卒者の多くは主体性がなく、どことなく頼りにならないと感じられるのだろう。
 知識詰め込みや偏差値教育の反省から、創造性豊かな人材を育成しなければと、教育改革がなされてきた結果が、これでは不安になる。
 一九九二年、小学校に生活科が導入され、中学では選択学習が広がった。高校では科目の選択の自由度が大幅に拡大し、さらには、卒業単位の削減がなされてきた。このように「ゆとり」をキーワードに改革が始まった。
 大学でも週五日制と称して、基本的には土曜日は閉講とするカリキュラム編成が浸透してきている。文部省の基準で、大学卒業の習得単位数は一二四単位と決められているが、多くの大学では一四〇単位程度を習得させるようなカリキュラムが組まれていた。最近ではこの卒業単位数が限りなく一二四単位に近づいている。
 さらには、二〇〇二年度からゆとり路線を拡大する新指導要領が実施され、毎週土曜日が休みとなり、小中学校の教育内容が三割削減される。また、教師の工夫に任せる総合学習も始まる。
 「知識詰め込み」から「問題発見・解決能力」「生きる力」「考える力」を備えねばならない。それには「ゆとり」が必要と、教育改革が実行されつつある。
 果たして、このゆとりの教育はうまく機能するのか?確かに、高校までの生徒の生活を見ると、ゆとりの部分は塾や予備校通いに使われ、自分で物を考える時間や、熟考して問題を解決する喜びを感じる時間には使われていない。
 このままでは、創造性豊かな人間が輩出される環境にはない。また、教育現場では果たして創造性豊かな青少年を、どのように養成するのか? 戸惑う教員が多いのではないだろうか。
 偏差値至上主義の中で育成された教員、その教育システムの中で、カリキュラムだけをいじっても意味がない。いくら創造性の高い人材を作らねばならないと強調したところで、教育する側にそのセンスがなければ、うまく機能しない。
 学力の判断基準を、従来の物差しで測っている以上は、改革ができないであろう。教える側、教わる側、父兄、個々人すべての意識が変革されない限り、企業、社会全体の受け入れ態勢が変わらない限り、大きな教育改革は不可能であろう。
 また、偏差値教育を是正すると言っておきながら、高等学校におけるクラス分けはいったい何を意味しているのか。文科系、理工系、体育系など、なぜ文科系と理科系に分けねばならないのか。数学や理科ができないから文科系だとか、英語や国語が得意だから文科系に進むとか。偏差値教育が徹底するようになってからは、進路決定は自分自身の興味からではなく偏差値であった。
 将来に夢を持たねばならない年齢層が、偏差値で輪切りにされ、成績のみで自己の進路が決められてしまう。
 昨年暮れの国際数学・理科教育調査によれば、数学・理科が好きな中学生の比率は、日本が最低ラインだったそうだ。
 理工離れの中で、特に化学を嫌う傾向は一段と激しさを増している。現在、化学が好きで化学を専攻した学生は、おそらく一割もいないだろう。
 数年前から、日本化学会と化学工学会が音頭をとって、高校生が化学に興味を持つようにと、各大学で実習講座をやるようになっている。最近は、かなりエントリーする大学が増えてきている。我々の大学でも過去三年講座を開いた。
 地道な活動であるが、この講座に参加した高校生の中で、かなりの数の生徒が、わが大学の化学科を志望してくれるようになってきた。
 各高等学校で、実験や自習にもう少し熱を入れてやってくれれば、こんなことを大学でやる必要は無いのにと、当初は不満もあった。
 たった一日か二日の実習講座であるが、実験を始めると彼らの目は生き生きとしてくる。以前、化学科の学生に高校時代に実験の経験は?と尋ねたが、ほとんど経験がないようだ。実験をしたとしても、ごくありきたりの感動を伴わない実験か、または先生がデモンストレーションする位のものである。
 自分で操作し観察して、初めて感動が直接伝わってくるのに、先生方は事故が心配なのか、それよりも、受験のための暗記詰め込み授業に比重を置かねばならないからなのか。ひょっとして、先生方自身が自分の学生時代に、あまり実験をやらなかったのか。したがって実験、実習の面白さを理解していないし、教育方法もわからないのか。確かに従来の教育ではその傾向が強い。
 小学校の先生の希望者にピアノやオルガンを弾かせるのと同じように、理科を志望する先生にはテストで実験をやらせる必要があるのではないか。
 高等学校までの理科教育を実験、実習中心にすれば、理工系離れは一挙に改善されるであろう。今の教育の手法では人間が本来持っている、好奇心、探究心、感動を呼び起こす心を、一番大切な時期に奪い去ってしまっている。

英語教育の充実

 文部省は先に中学、高校、大学の英語教育を抜本的に見直す方針を固めたようだ。中学から大学まで一〇年間、英語を学ぶ環境が整っているにもかかわらず、現在の学校英語だけでは、ほとんどの人は英語での会話ができない。
 すでに二〇〇二年から実施される新学習指導要領には、英語教育に実践的なコミュニケーション能力の育成が盛り込まれている。そこで文部大臣の下に私的懇談会として「英語指導方法改善推進会議」が設置され具体的な検討に入った。同会議のテーマは①英語教員の採用方法の改善、②具体的な授業の進め方、③高校・大学入試の改善、④国際交流機会の拡充方法等である。
 この会議には大学教授、英語に堪能な財界人、英語教員で構成されるとのこと。文部省の指導要領に従わなければならないのであろうが、以前からこれまでの英語教育が実践的ではないと指摘されていたわけで、現場の先生方は何をこれからなさねばならないか、分っているはずである。
 私は英語の教員ではないので、あまり大きなことは言えないが、大学の試験問題を今まで以上に実践的な問題にすれば、自ずから教育方法や、どこに注力するかが決まってくる。
 たとえば、現在行われているパズルのような語句の当てはめや並べ替え、発音やイントネーションに関する出題はやめる。現在はこの種の問題が全問題の三分の一くらいの比率である。そして現在採用されている長文の読解力に関しては、やたらと文学的に高尚な長文を出すのではなく、若者の興味をそそるような歴史、経済政治、自然科学の話題、(どうしても難易度の高い単語を使わねばならない場合は脚注をつけて説明する)あとはコミュニケーション能力を増強する上で会話能力を評価する問題を多くする等。さらに大切なことは作文能力、実はこの点が現在の試験(マークシート)では評価できないので、なおざりにされている。試験のために勉強しているのではないのであるが、高校までの英語教育を実学的にするには、残念ながらこのような方法に即効性があると思われる。
 これだけ国際化し、道具としての英語を使わざるを得なくなっているのに、現在の教育体制では、大学まで九年から一〇年英語を習っても日常会話はもとより、文献を読みこなす力はほとんど無い。少なくともこれからの世の中、日常の英会話ぐらいは、使いこなす必要がある。
 現在、国際的に活躍している多くのビジネスマンは、ほとんどが学校教育以外に、何らかの経験と努力(海外生活、会話教室、テープその他の教材による学習、ラジオやテレビ講座)してきた方々である。
 誰も、はじめから完璧に会話ができるわけが無い。皆、努力しているのである。自分のことで恐縮だが、中学から大学まで学生時代を振り返ってみると、ちっとも実学的には力がついてこなかったと思う。むしろ小学生のときに、おそらくローマ字を学習するようになった五年生のときか?親から教わった「Everybody goes to Hakone avoiding summer heat」なぜか、すぐに口から出てくる。
 語学、特に会話力は小さいときの刷り込みが大切なのである。もうひとつ、これは確か小学生の二年生頃であったと思う。「オモニハッキョカッタオガスミダ」同級生の女の子から教えてもらった、唯一の韓国語である。
 何を言いたいのか。文部省が、いや社会全体が国際語として、コミュニケーションの道具として是非必要であると、英語教育を見直すのであれば、もっと抜本的な改革を進めてもらいたい。
 より実践的な英語教育を目指すとすれば、小学校から英語教育を始めるのが、より効果的ではないか。しかも英語圏の教員志望者を、各小学校に一〇人くらいずつ採用すればよい。現在はティーチングアシスタントとして中学校に一人位いるようであるが、それだけでも、ある程度の効果はあるそうだ。小さいときから、ネーティブスピーカーに接する機会が増えれば、実学を旨とする英語教育は解決の方向に一挙に向かうだろう。
 私学は、あまり、お上の言う事は聞かなくてもいいので、この際、思い切ってやってみてはどうか。少子化傾向とともに潰れそうな私学は、これからサーバイブするためには、魅力ある教育が迫られている。
 

日本のベンチャー
関東学院大学
本間 英夫
 
 昭和二四年、人事院勧告の制度が発足して以来、昨年の暮れ初めてボーナスの〇.三パーセント切り下げが勧告された。民間ではすでに人員削減、ワークシェアリング、早期退職、希望退職等待った無しの対策が講じられてきているのに、対策が手ぬるいとの批判は否めない。国家および多くの地方自治体レベルで財政赤字、人件費カットは当然の手段である。将来に対する不安は益々増幅され、個人消費(若者は例外か)は冷え込んだままである。八九年から始まったハイテク量産の終焉か?例えば、乗用車の生産台数を見てみると八九年くらいまでは着実に生産台数が伸び年間約三百万台が生産されていた。それが数年で著しい伸びを示し、年間五百万台を越えるに至った。その後のバブルがはじけ生産台数は大幅に低下してしまった。
同じ様な現象が、日本の多くの製造関連産業に当てはまるのではないだろうか。大増産に伴う設備投資、バブル終焉に伴う過剰設備の整理、価格破壊、その間に推進されてきたISOシリーズ、物作りの国際統一規格化にともなう更なる効率化と価格低下、低コストの労働市場を求めた海外展開等。

 九四、九五年からブームになったインターネットを中心とする情報産業に関しては、二一世紀の基幹になる。日本では情報機器関連の部品や製品の製造だけがバブルのはじけた後も生産が拡大している。しかし、この領域にしてもハード面だけに注力してきたのでソフト面で米国に利益の大半を吸い取られる結果になっている。二〇世紀の工業化社会型技術から情報社会型技術にシフトしなければならない。しかし、日本はソフトが不得手、ベンチャーが育ちにくい、規制が多い、これらの諸点が指摘されてからか最近は、ソフトや新産業を中心としたベンチャー育成に力を入れようと話題になってきているが、果たして日本の今までの風土、習慣、気質等からうまく育つだろうか。育ちにくいとするのが大方の意見である。

しかし、戦後まもなく工業化社会の発展の下地となったソニーの井深、オムロンの立石、ホンダの本田の諸氏は勿論、表面処理に携わるほとんどの企業の先代または現役の経営者はすべて、今で云うところのベンチャーを立ち上げた人達だ。工業化技術に関してはこのようにうまくベンチャーが育ってきたわけであるが、果たしてソフトに関してはどうだろうか。いつの時代も必ず時代の要請に伴って育つであろうと楽観したいが。



急がれる雇用と構造改革
大手企業では何千人から何万人の従業員の削減が余儀なくされ、再建計画が発表されている。労働組合を中心として雇用維持を求める声が盛り上がるのも当然である。しかしながら企業の中で雇用を維持するための具体的な手段はどうも余り論議されていないようである。雇用の削減を最小限にとどめるには、企業内部に新規事業を育てる人員と種を持っていれば可能なはずだ。従来は雇用維持と云うよりも、積極的に新しいビジネス展開しようと多くの事業展開が試みられた。しかし、ほとんど失敗に終わり、元のさやに収まっている例が多い。物まね、人まね、一斉に同じ方向を向いて競争乱立、従業員の能力、技能転換がうまくいかなかったのか。最近うまく事が運んだ例として、NECの栃木工場があげられる。その工場では制御機器から全く異なる領域の電池の生産拠点と変わって再生している。企業および従業員の努力次第では人員のリストラではなく、このように雇用確保が推進できるのである。
それにしても、今まで制御機器、医療機器を、月当たり十台程度生産していた工場が、月何十万個の量産工場にシフトすることに成功したNECの栃木工場では並々ならぬ従業員と経営者の努力があったことと思われる。百数十名の従業員が富山県の入善にある工場に単身赴任し、一年間再教育を受けたとのことである。しかも制御関係の電気工学系の技術から、全く畑違いの電池、科学材料、しかもその量産技術を学んだわけである。企業側も富山工場での訓練期間中の一年分の給与、賞与、住宅費、年末年始の帰省費用を負担した。事業の構造改革と雇用確保には、このように経営者と従業員の相互の努力が、成功につながるわけである。
最近、日産の村山工場の閉鎖にあたって、カルロスゴーンが、再建計画のアナウンスで配置転換の用意を表明した。このように、これからは人を切るのではなく、雇用の維持に配慮した計画が実行されることを期待したい。それには従業員が能力開発できるような対応力が求められる。能力のない人はこれから去らねばならない時代が来てしまったのである。

とどまることを知らない携帯電話
 いつも話題に出して恐縮だが、日本の携帯電話の拡大はどこで飽和状態になるのだろうか。昨年度は純増台数が一千万台以上になった模様である。したがって四年連続の一千万台純増と云うことになる。日本の人口に対する普及率はそろそろ四〇%に達するのではないか。世界的に見ても九〇年世界全体で一千万台であった加入数が、現在四億台から五億台に達しているのではないかと云われている。
携帯電話の普及率は、昨年訪問したフィンランドが最も高く、九八年末で約五八%、九九年、第一四半期で六〇%、(我々が訪問した昨年九月時点で六五%に達したとはNOKIAの弁)、次いで昨年、第一四半期で比較するとスウェーデン五〇%、ノルウェー四八%、イスラエル四〇%、日本三二%、イタリア、シンガポール、オーストラリア、デンマークの四ヶ国は日本とほぼ同じ普及率、これらの国に続いて二〇%台にポルトガル、韓国、米国、イギリスがそしてカナダでもそろそろ二〇%に達するところに来ている。加入数では人口比率になるので米国で七千万台、日本四千万台、中国三千万台、イタリア二千万台と続く。北欧における特にフィンランドでの普及率はこのように極めて高いが、これには地理的条件、すなわち、国土面積に対する人口密度が低い、寒冷地であること、固定網よりも無線網の方が、効率的なインフラ整備が出来ることに大きく起因している。

したがって、固定網の整備がされていない国においては携帯電話が主要な通信手段になる。これからは中国が、猛烈な勢いで伸びるであろう。すでに日本からも携帯電話の関連事業、例えばビルドアップ工法を主体としたプリント基板製造メーカーが進出している。当面、世界全体での生産台数、加入台数は衰えることを知らないであろう。参考までに、九九年の携帯電話生産台数は二億七千二百万台、企業毎の生産台数を比較すると、NOKIA七千万台(二六%)、モトローラ四千二百万台(十五%)、エリクソン二千五百万台(九%)、パナソニック二千二百万台(八%)、サムソン一千百万台(七%)となっている。このようにNOKIAは携帯電話ではナンバーワンの企業を目指している。ここで少しNOKIAの歴史を見てみよう。一九八七年当時は、化学薬品、家電製品、機械、床材、ゴム、紙、ケーブル、電話機、通信機とありとあらゆる事業をやっていた。一九九一年に世界最初のデジタルネットワークの設置に端を発し、九八年に移動通信に完全特化するようになった。
NOKIAは独立した研究センター(NRC)を持っており、一九九一年時点で八五一人の研究者を擁していた。七〇%が修士修了者、十六%がプレドクターとドクターで二十九ヶ国の国籍を有する研究者から構成されていた。一九九九年末には一千百名に増員され、全世界の開発部門を統括している。携帯電話、ワイヤレスシステムでナンバーワンを目指し、インターネット分野でもリーディングカンパニーを目指している。現在十二ヶ国に四十四の研究所を持ち全体で一万五千人の研究者が研究開発に従事している。
マルチメディアは第三世代に入ったが、これからカメラとワイヤレスイメージ、ヒューマンユーザーインターフェース機能を付加した商品がどんどん市場に現れて来るであろう。その兆しがすでにパソコン、携帯機器に付加され、いつ買い換えるか判断に迷うこのごろである。


インターネット市場
日本のインターネット産業は米国と比較すると二年から三年遅れていると云われている。インターネットの商用サービスが九〇年に米国で解禁となり、日本に導入されたのが九十三年であったことに起因していると云われている。もう一つ大事な要素はインターネットの通信費が日本ではかなり割高であり、データーの転送速度が遅いことも原因である。インターネットを利用するにあたっては、インターネットサービスプロバイダー(IPS)への基幹網接続料金と、接続ポイントまでの市内電話料金(アクセス回線料金)の費用がかかる。ⅠPSへの料金はすでに米国並の価格になった。したがって残るは、ユーザとIPS間のアクセス料金である。三分十円、これではあまりにも米国と比較して高すぎる。米国では月約二〇ドル(二千円)の定額制である。NTTは、昨年の十一月からようやく試験的に定額制の導入を決めたが、まだ八千円前後で日米格差は縮まっていない。しかも電送速度が遅く、今後動画や大容量のコンテンツのデーター通信には不向きである。「ラスト ワン マイル」(加入者と接続する回線の末端部分)と、呼称されるアクセス回線高速で、しかも定額の低料金で提供する方策を多くの企業が取り組み始めた。ISDN(総合デジタル通信網)、CATV(ケーブルテレビ)、FTTH(光ファイバー回線)無線LAN、ADSL(非対称型デジタル加入者線)、FWA(加入者系無線アクセス)、デジタル衛星回線などがあげられる。加入者系無線アクセスは現在、ソニーと日本テレコムが実用化に向けて研究中である。

通信速度が速いために、大容量のコンテンツの利用に有望視されている。二一世紀に入り、いずれ近いうちに公共のインフラとして整備されるであろう。電子取引はしたがって急拡大するであろう。
 

IT革命
関東学院大学
本間 英夫
 
 二〇〇〇年に入ってから銀行、証券等の金融業、スーパーやコンビニなどの流通業、サービス業、製造業、すべての産業が何らかの形で、IT(情報技術)を活用したビジネス展開と、連日のように新聞紙上を賑わしている。

 IT(Information Technology)とは何を意味し、どこまでの領域をさすのか、ほとんど解説が無いまま、用語だけが先行しているように思える。全ての産業でインターネットを介したソフト主導型への移行のためのインフラ整備と解釈すれば分かりやすい。

 たとえば、ネット販売事業進出、e-トレード、グローバル調達、高付加価値生産体制の確立など、金融、サービス、製造、福祉、医療、趣味、スポーツ、芸術、教育にいたる、すべての分野で何らかのかかわりをもちデジタル革命が起こっているといえる。

 ITをアメリカのヤフーで検索してみたが、一三八のカテゴリー四七四六のサイトが見つかった。その中身は、ほとんどがITを駆使するビジネス支援である。この傾向は日本でも、米国のあと追いで、ITを活用するためのコンサルティング、人材育成、人材支援と今まさにインフラの整備がなされている。

 技術革新が速く、その中で競争力を高めていく手段としてITを活用した開発からメンテナンスにいたるまでのスタッフをどうするか。自前ではほとんど不可能である。

 ITを強力に推し進めていくコンサルティングからソフト構築まで、今まさにこれらの関連企業は破竹の勢い。冷静に考えると、大型コンピューターが導入された当初ソフト技術者の不足でプログラマーとして大量に雇用されたときと類似している。

 二一世紀社会はインターネットを駆使した電子商取引が当然の世の中になる。半年くらい前から、音楽の配信がインターネットで行われるようになった。この業界は現在大手二社が競っているが、関連のホームページが構築されてから一ヶ月のヒット数は一番手が五千万、二番手が三千万ヒットとのこと。ほとんど若者がアクセスしていると思われる。

 それにしても、当事者はこんなに多くのアクセスがあるとは予測していなかったようである。先ごろプロ野球のメッカ、米国のシアトルのドーム球場が取り壊された二四年間で観覧者数が七千五百万人、上述のインターネットではたったの一ヶ月でほぼ同じ人数が動員されたに等しい。比較にならない威力である。したがってe-コマースが米国でごくあたりまえになってきたし、日本でも着々と進んでいる。また、e-トレードもかなり利用されているようである。

 個人投資家が市場に戻り、最近少しずつ活況を呈してきている。一日の取引高が一兆円を超える日が十日間以上続いた。もっとも、これは個人が戻ったからではなく間接的に戻ったことになるが、投信の大量設定であろう。

 セキュリティーを心配する個人が、まだこの新しいトレードに躊躇しているようであるが、使ってみると、いつでも、どこでも即座に注文が出来る。いちいち証券会社の営業を通す必要が無い、自分の判断で思い切ってやれる。

 面白いことに、今まではどこの証券会社と取引を行っても、一般的な取引では、サービス内容は、ほぼ同じであった。金融機関の横並び姿勢そのものであった。

 ところが、e-トレードになると全く様子が異なってきた。使い勝手やコンテンツが各社各様、これはIT革命の典型である。

 やはり、ホームトレードに対して投資額の大きい最大手は、投資をする側の要望を満足させるだけのコンテンツを用意している。

 たとえば資産管理、投資額、現在の評価額はいくらとか、過去の投資履歴、持ち株リスト、売り注文は持ち株リストからすぐに出せる。買い注文の容易さ、企業情報、など使い勝手がいい。

 証券会社によっては、セキュリティーばかり意識しすぎていて、全くアクセスも遅いし情報を入手したり、売買するにも何度も確認させるものまで色々である。また中には画面がフリーズしてしまうものまである。こうなってくると全くトライする気にならない。

 そのような会社の場合は受付番号がいつも一桁か二桁、各支店ごとに分割しているのだろうが、それにしてもあまりにも利用者が少ない。

 一方、最大手はいつも数万件あるときは十万件を越していた。おそらく本社扱いですべてトータルの数値だと思うが、その日の市場が予測できる。しかも出来高の多い銘柄ではほんの数秒で売買が成立する。

 e-トレードを専門に扱っている新しい企業群はどのような魅力作りをしているかは知らないが、いずれにしてもこの例から分かるように、すべての業界において、いかに情報技術を生かしていくかで勝負が決まるような気がする。ITの取り込みで勝ち組と負け組がはっきりしてくるであろう。

 ところで、製造業に限ってIT革命とは何かと問うた場合の解答は、デジタル技術を駆使して低コスト、高効率で生産、調達、決済することであろうか。三月末までは製造業に関するITの話題はそれほど経済面には出てこなかった。もっぱら流通業、金融業、等に関係するコンサルティング、ソフトの開発が話題にされてきた。三月の決算で不良債権の前倒しやリストラのための思い切った転換が終わった企業群はいよいよこれから本腰を入れて変革に着手するであろう。すでに大手の何社かは三月期末を前に数百億のIT投資を発表していた。四月の下旬には部品メーカーが系列を超えて専用ネット回線を構築する計画が発表された。

 表面処理業界においてもすでに何社かは積極的にこの情報技術に投資している。ビデオによる会社紹介、技術紹介をITとはいえないが、かなり前から宣伝用に作成されてきた。CD-ROMの容量が大幅に向上しているのでインターネットを介して配信してはどうだろうか。また、ホームページを作成し商品群をインターネットで紹介したり、技術相談に応じたり商取引も出来る完成度の高いものもある。

しかしながら、このホームページだけを取り上げてもプロに依頼するとかなりのコストになるであろう。しばらくの間はこの種の需要が優っているので、自前で作成しない限りは多額の投資を余儀なくされる。

 これからは自前で作成できる人材を養成することが望まれる。タイムリーに迅速に、柔軟な対応が出来る。

 我々の研究室でもホームページを昨年作成した。いわゆる“コンピューターお宅”と称する朝起きると洗面所に行く前に、コンピューターの電源を入れる学生がいる。この学生はまだホームページを作成した経験は無かったが、本人は興味があるというので、早速ソフトを買い、今まで使っていたいくつかのデーターをもとにあまり手数をかけないで、とりあえず小生の要望を入れて作成にかかった。

 数日間の後、一応ホームページが出来上がった。現在一般には公開していないのでほんの一部の人だけがアクセスしている。したがって、三ヶ月で六〇〇件くらいのヒット数である。この四月から大学で正式に個々の研究室でのホームページの開設が出来るようになったので、大幅に見直し、魅力あるホームページにするよう努力するつもりである。

 その魅力とは一度ヒットしたらそれで終わりでなく、毎月ヒットしたくなるように工夫する。それには、毎月新しい研究室の技術情報をビジュアルに紹介するなど、その他いろいろ、案を練っている。

 コンピューターお宅と呼ばれないようにセミプロとして通用する人材を作り上げるのもこれからの我々の使命かもしれない。この業界に明るく、ITをある程度駆使できる学生を育てる試みに対して研究室のホームページに是非コメントお願いします。

 ホームページをこれから作成しようか、またはすでに開設されている企業も、一度アクセスしたら又アクセスしたくなるような魅力あるページにしないと意味が無い。単に“はやり”だからと作成するのでは全く無駄である。少なくとも大手企業はこれから色々ITを駆使するであろう。どうしても同じ程度のレベルに到達していないと負け組に組み込まれる可能性が高い。成熟技術が主力の場合は特にこれからが苦しい。

 IT、ITと翻弄されないように、これからは高付加価値生産のプロセス、管理技術(特に溶液を扱っているのでその液管理)、環境に対する負荷を考慮したプロセスの確立こそが最重要である。それには人を育てるしかない。


I Love You


 五月連休中に日頃懇意にしている知人から、いつもは日本語でメールが入るのに、初めて英語のメールが届いた。確か添付資料を開ける様に英語で書かれていたと思う。当日の朝にニュースでこの連休中にコンピューターウィルスが全世界に蔓延しそうだと注意を促していた。なんとそのウィルスそのものが自宅のメールを開けると配信されていた。しかも、知人のアドレスからの配信。もしそのニュースを知らなかったら、冗談で面白い内容が送られてきたのではないかと恐らくすぐにその添付資料をクリックしたであろう。

 幸いにも間一髪!開けないでそれこそそっと”ゴミ箱“に捨てるという感覚であった。この事件はその日、全世界で五千万人程度の被害が出たと報道されていた。恐らく企業を狙ったものであろう。コンピューターお宅の学生がたくさん私の周りにはいるのだが、誰もその種のメールは配信されていなかった。またこの事件が起こる二週間前、これも知人からメールが送られてきて、そこにはかなり重いが添付資料を開けてほしいとあった。電話回線を自宅で使用しているので十五分間位かけてやっと開けたと思ったら解凍されるや否やウィルスを掴んでいる画像が現れ(ウィルスバスターというらしいが)初めての経験でびっくりしたものだ。これからこの種のウィルスを撒き散らす愉快犯が多くなってくるのか。

 皆様も変だなと思ったら、添付資料は開けないように。例え、知人からでも注意のこと。
 

今年の陣容
関東学院大学
本間英夫

 
 新年度に入って、すでに三ヶ月経過した。今年は大学院のドクターコースの在籍者が四人になり、今までより研究の質と量が大幅にアップすると期待している。研究体制を紹介すると、ドクター二年一名、一年三名、マスター二年四名、一年二名、学部四年生(卒研生)十一名のトータルで二十一名の大所帯である。

 研究テーマは現在のところ大別すると、無電解めっきでは銅、ニッケル、銀、金等に関する浴の開発、電気めっきでは銅と金に注力し、基礎から応用研究を網羅している。特に最近は、エレクトロニクスへの応用が多くなっている。

 また、研究生活に入ってから中村先生と今井先生の指導のもとに、環境を意識した廃水処理やリサイクルに関して研究を続けてきたので、一貫して必ずエコテクノロジーに関するテーマも入れている。さらに表面処理のいずれの分野においても、高度な制御が必要になってくるので、センサーの開発も怠たっていない。

 今年のテーマは三十二にも及ぶ。これらのテーマを私とドクター二年が統括役になり、一年はそれぞれのテーマの中で興味や、得意とする領域から均等に選定している。



ドクター志願者の受け入れ体制の確立



 旧帝大の大研究室を除いて、特に私学においては一研究室にドクターが四人もいる研究室はめったに無い。

 先日、ある外資系のエレクトロニクスメーカーの技術者と話す機会があった。アメリカの本社から日本の大学と研究のタイアップをしたい。ついてはどこが良いかと言うことになり選定作業に入ったとの事。

 当然、その道で燦然と輝いている研究室を訪問することになる。ところがその研究室のスタッフ、特に統括役のドクターは、日本人がゼロ、すべて東南アジアや中国からの留学生であったとの事。日本の研究開発力や技術力はどうなるのであろうか。

 外国から日本の大学が評価され、諸外国からどんどんドクター志願者を受け入れるのはよいが、しかしどこの大学でも日本人の志願者は少なくゼロという研究室が非常に多い。

 大学院レベルの研究が、すべて日本人以外で取り組まれている現状、次世代を担わなければならない人材の育成に、おおきな問題を投げかけている。

 なぜ日本人がドクターに進まないのか。大学は単に資格をとるための場所になってしまったのか?マスターまでの資格をもっていれば、かなり使えると産業界がどんどん受け入れる。ドクターになると研究領域が狭まり、融通が効かないと敬遠するのか。

 また、研究心旺盛でドクターコースに進んでも、学位取得までストレートでも二八歳、少し寄り道をすると三〇歳を過ぎてしまう。研究能力、指導力を存分に培ってきたドクター修了者を目先の利益だけを追求している企業はほとんど受け入れてこなかった。

 したがって、大学の教員志望、または公的な研究機関研究員としてしか、道が無かった。しかもその受け入れ人数は極めて少ない。これでは更に研究をしたくても、将来が不安である。したがって当然、マスターまでは進むが、ドクターまでという学生は極端に少なくなってしまう。この現状を改善しなければ、日本は諸外国から遅れをとってしまう。いや、すでにもう完全に何歩も遅れている。

 教育改革は底辺の初等教育から最高学府の研究者養成のドクターコースまで、抜本的に改革しなければならない。それには国公立の教育機関、研究機関は勿論、技術指向の高い企業がどんどん受け入れる体制を構築しなければならない。

 四月号にも書いたが、あのノキアはドクターが全研究者の約十五%、世界にちらばっている。二一世紀、日本の産業界もいち早く研究開発能力を更に強化しなければならない。



魅力あるドクターの養成を



 前述のように私の研究室には企業から派遣されドクター志願者が多い。したがって我々の研究能力も上がるし、数年後は開発力と指導力をつけた研究者が企業に戻ることになる。社会人のドクターを受け入れるためには、大学の教員が産業界の動向を知り、より実務的なテーマを、これまで以上に設定していかねばならない。

 一般的にはドクターといえば、上述のごとくより専門化し、狭い領域しか追求していないので、企業は受け入れを渋ってきた。実際、大学側にも問題があり、研究、教育の自己評価、自己点検が義務付けられ、したがって研究室の業績のアップにばかり目が向いている。TLO、産学協同と毎日のように各種報道機関が報道し、有識者が日本の研究体制を憂えてコメントしているのに、なぜ大学の研究室が体制を変えようとしないのか。このままではドクターを受け入れてくれと懇願しても、魅力が無いから受け入れられないであろう。

 一部の大学では産業界と緊密な連繋を取り、その胎動を感ずるが、我々教員がぬるま湯体質から脱却しなければならない。



研究室の指導体制



 私の研究室では、産業界からきたドクターコースの学生と私とで、指導者的な役割を担っている。したがって専門ばかを養成しているのではなく、高度の研究能力と人間味豊かな指導者を養成しているのである。

 またマスターコースの学生は、すでに卒業研究を通して研究のセンスは備わっており、実質的な実験の担い手になっている。

 卒研生は一年間研究生活の後、二、三人の進学希望者を除いて、すべて就職することになる。したがって、彼らは短期間で研究の内容を理解し、卒業研究をまとめねばならない。三年間遊びほうけてきた彼らに、一年間で基本的な礼儀作法を始めとして、研究をやる以前に人となりを教えねばならない。

 我が大学の建学の精神は、キリスト教に基づく「人となれ奉仕せよ」が基本にある。この考えは、日々の研究生活の中で、ケーススタディ的に問題を取り上げ、私なりの考えを伝えると共に彼らの考えも聞き、お互いに人間として何が大切か学んでいる。

 まずこれがベースとなり、更に彼らが的確に研究の目的と、そのテーマを遂行するためのスキルを迅速に吸収していく。

 企業の場合は研究者の入れ替わりが無いので、良い人材を確保すれば研究の効率は高いと考えがちである。だがここに、ともすれば徐々に活性度が低下するという落とし穴がある。我々は企業のプロ集団ではないから、教育と研究の機関であることを常に認識しながら、事にあたらねばならない。

 こんな大所帯ではなかった教授になる前、しかもほとんど大学院生のいなかった時は、学生と一緒になって人生を語り、夢を語り、また自分が率先して実験をしたものだ。したがって自分の情熱が学生にじかに伝わり、またスキルも皆一様に高まった。

 しかし、最近は大学内の会議、講義、学会関連の委員会等で、自分自身では実験をやる時間が割けなくなってしまった。したがって実験は学生主導でやらざるを得ない。学生主導になると当人の研究に対するセンス、情熱、卒研生に対する指導力によりそのテーマの進捗度が決まってしまう。

 大学の研究では、研究スタッフの入れ替わりは卒研生が一年、マスターは二年、ドクターは一般的に六年と言うことになる。しかしドクターの場合はマスターからストレートに進学するのはまれで、上述のように一度、産業界に出て社会人入学でドクターコースにきているので実質的には三年で入れ替わることになる。

 マスターとドクターの間で意思の疎通がうまく取れないことがこれまで多かった。社会人入試で入ったドクター二年生が、昨年は遠慮していたが、四月に入って新しい陣容になったのを契機に、如何にして効率よく卒研生の能力をアップするか提案してきた。

研究の能力アップ速成法(一年がかりのテーマを一ヶ月で!)



 その方法というのは、次のようなものである。私も大学を卒業してマスターに入ってからは、実験をほとんど任されていたので、若い頃は楽しく、効率よく集団で実験をやることが多かった。手法はほぼ同じである。

 先ず、最上級生が、ほとんどすべてのテーマを掌握する。勿論、自分で一番キーになるところは、きちんと自分自身で実験する。下級生であるドクターの一年生は複数のテーマ、しかも少なくとも五つ以上担当する。個々のテーマには、マスターと学部生を一人つける。マスターの二年生は複数のテーマを、一年生は単独テーマを学部生と兼担する。

 新年度に入る前にマスター以上の学生の意見および産業界からの要請も入れ、テーマの概略は決めている。これらのテーマを学部生に割り当てるにあたっては一、二週間かけて一通り基本的な実験のやり方を引き継ぎ、皆が共通理解をした上で、テーマに対する要望を聞く。要望どおりにテーマを決め、一年間を通して実験をやると、結果がどんどん出るテーマと、一年かけても思った結果が出ないテーマ、実験に対するセンスからくる向き不向き、マンネリ化等、テーマを固定することによる欠点が多く出てくる。

 そこで今年は思い切って最上級生の要請に基づき、研究室のテーマの中で基本のテーマを選び、三ヶ月間だけ大きく二つのグループに分け全員で実験をやることにした。

 新しいめっき液を開発する場合、基本組成をある程度決めたあとは、各種の因子を変えて、条件を決めねばならない。これには莫大な実験量が必要である。一人で計画から予備実験、更には本実験をやると一年以上かかってしまう。それを各因子、条件ごとに新しい学生に振り分け、いっせいに実験する。勿論、予備実験で、ある程度は浴の基本組成、条件を調べた上で更に最適条件、皮膜の各種特性を調べていく。

 研究室に入って間もない卒研生が信頼性のあるデータが出せるのか不安があるが、基礎的な実験だから手順さえ間違えなければ、再現性のあるデータが出るはず。化学天秤の扱いから始まり、試薬の調整法、希釈方法、かくはん、pH調整、前処理法、データの収集法にいたるまで、すべて綿密に全体指導する。

 その後、各人に条件、各因子を振り分け、ほぼ同時期に実験を開始し、同時期に実験を終了する。次いでデータを持ちより、皆でまとめの作業に入る。集まったデータの報告は未だ経験は浅いが一人の卒研生にやらせる。補足説明は残り全員の卒研生が行う。発表と補足説明はローテーションを組む。実験結果の解析および全般的な考察は統括役のドクターが行う。しかも本年から実験の進捗状況の報告会を二週間おきに行うことにした。

 報告会になると、やたらコンピューターグラフィックに凝り、中身より図表を作ることにエネルギーを費やしてしまう。荒削りでいいから中身で勝負しろと、今まで言ってきたが、どうしても凝ってしまう。そこで、この短期の進捗説明会には生データーを提示し、あまり加工しなくても言いといっている。

 従来から行ってきた中間報告会は二ヶ月から三ヶ月ごとに行う。こちらの報告会は外部の人を呼んだりしているので、一応フォーマルな発表会を意識させている。

 五月の連休前に第一回目の進捗説明会を行ったが、集団で実験した成果は、予想以上に大きかった。今から十年以上前、ほぼ同じ実験を一人の東大卒で企業から派遣されていた研究生にやってもらったことがある。当時、一年かけて蓄積した実験結果をまとめ、学会で口頭発表し、その後はそのデータはお蔵入りになっていた。今回、たった一ヶ月で当時蓄積したデータより、更に大量の結果を仕上げてしまった。数多くの因子について検討しなければならない実験の場合は、この種の集団による方法は、きわめて効率がよい。企業の研究開発でも、この種のルーチン的で膨大なデータを蓄積し解析しなければならない場合には、効率のいい方法である。是非採用してみてはいかがだろうか。

 ただし、企業の研究者はどちらかというと一匹狼的になっているので、学生のように素直にチーム全員で一丸となって、やるのは困難を伴うかもしれない。しかし考えようによっては、互助の精神、ルールを決めて一年のうちで何度かテーマ事にやってみるのがよい。

 とりあえず、六月いっぱいまでこのやり方でいく予定である。テーマは三つか四つこなすことになるだろう。三ヶ月で、一人一人がすべてのテーマの基本的な内容をつかみ、スキルも高度化するであろう。

 したがって、その後、各自のテーマに入っても相手の実験の内容がわかり、討論にも深みが出てくると期待している。しかしながらこの種のやり方はトップが信頼されていないとうまく機能しないし、トップダウンなので、研究に必要な観察眼、考える習慣や新しい発想など、研究者として大切なセンスが出せなくなってしまうので、教育機関では、あまり長くやってはならない。



外部からの刺激、大学の研究室に学ぼう



 企業や公的な機関の研究開発について言えば、その集団の価値観はほぼ同じである。また、人の入れ替わりはめったに無く、新しい研究者が入ってくるとしてもその数は非常に少なく、研究は個人の情熱とポテンシャルに依存してしまう。したがって研究の活性度を維持することはきわめて困難となり、徐々に活性度が低下するのが常である。

 大学の研究に関しては、講座制のしっかりしている大学以外はほとんど素人の集団である。しかし、素人集団であっても、目覚しい実績をあげている研究室がある。基礎的で重箱の隅をつついているとの批判もあろうが、必ずしもそうではない。意識的に教員によっては危機感を感じ大学として、いったい何が教育と研究に大切か常日頃考えている。

 幸いにも私の研究室は、この業界に関するテーマを中村先生の時代から一貫して取り上げ、頑固に目移りすることなく徹底して、その領域にこだわり続けて来た。上述したように学生は短期間に入れ替わってしまうので、研究のポテンシャルは当然、年度始めに大幅に落ちることになる。そうならないようにするための努力、新卒研生の教育に膨大なエネルギーを費やすことになる。これを怠ってはならない。

 私は常日頃、学生を研究の道具としてはならないとドクターやマスターの学生に言いつづけてきている。しかもこの種の教育の信念が自己満足に陥ってはならない。今までも研究に関しての指導の方法論を色々変えて、学生の意見をざっくばらんに聞き何度も軌道修正をかけてきた。

 ただし、おそらく新卒研生は、初めから自分の思いを開陳できないであろう。今までは私の考え方を理解し、彼らが本当の意見を出すのには半年はかかっていた。

 それが興味あることに、本年度の卒研生の四分の三がプロバイダーと契約してメールのアドレスを持っている。彼らは気軽に私のところに意見や感想や質問をするようになってきた。メールはこの点便利で、あまり着飾ることなく、その人の考えや意見がストレートに出てくる。口頭では言いにくいことが、四年生の中で今までの三年間と違って、ちょっときついが充実している、感謝していると、すでに数人からメールが届いている。

 大学ではこのように毎年研究体制を維持していくために、今までの経験と常に新しい指導方法を模索努力しているのである。企業に入っての大方の学生の第一声はこれで給料をもらっていいのですか?彼らはもっと刺激を求めているのである。そのような学生を我々は育てているのである。企業の研究者も、もう少し外部の刺激を自ら求める努力をされたい。

 この三月の学会では若い企業の技術者の出席があまりにも少なかった。特に中堅企業の技術屋が少ないように思えた。外部の風、刺激を自ら得られるように経営者はその環境だけは作ってやって欲しいものである。あまり目先のことのみにとらわれず、閉鎖的にならず、外部の風に接してポテンシャルをあげてもらいたい。
 

魅力ある工学教育を
関東学院大学
本間英夫
 
 二つの工学系の国立大学で、表面処理の講義を依頼されている。ひとつの大学では大学院の学生向け半期科目である。一四、五週も足を運ぶのは大変であるし、先ずは自分の大学の学生に対する研究と教育が大切なので、ほかの大学の先生と分担し、しかも集中講義にしてもらっている。ぶっ続けで八時間講義する。と言っても、対話形式や、充分に休憩を取って、質問時間を設定するので、それほど苦にはならない。

 もうひとつの大学では、特別講義のようなもので初日は、その大学の地域活性化事業の一環として、企業向けの開講科目、二日目はその大学の三年生向けの講義である。

 両大学とも、茶髪やヒカリモノ?を身に付けていない。学生はおとなしい。受講態度がよい。概して高校までは、偏差値教育で言うところの上位者たちである。

 私は講義を進めていく中で、いつもどれくらい理解したか、興味を持って聞いているかチェックするために学生に、必ず問いかけるようにしている。我々の学生時代の経験から、絶対に基礎知識として知っておかねばならないような内容を問いかける。ところが残念ながら期待に反してほとんど解答できない。

 例をあげれば限が無いが、たとえば、唯一常温で液体の金属は?これは誰でもわかる。そこに金を入れると金が溶けてしまう。滅金、メツキン、これがめっきの語源の由来であるとの説があるのだよと。それではこの現象のことをなんと言うのですか?誰もアマルガムのことはわからない。そこでアマルガムを説明し、奈良時代の大仏像に金が被覆されているが、あれはアマルガムをコーティングしてから炭火で加熱し、水銀を飛ばして金をつけたのだよと。だから当時の作業に携わった人々が、水銀中毒で亡くなったり、麻痺したりしたはずだ。大仏が畏敬の念(尊敬と恐れの交錯した感情)で見られたのはこんなことも関係していたのだと。

 ちなみに昭和四〇年代くらいまでだと思うが、虫歯の詰め物はアマルガムであった。その当時、歯医者が看護婦にアマルガム頂戴と言っているのを聞いて、こんなもの詰めていいのかなと、漠然と思ったものだ。当時、体の調子が優れなかったのはそのためだろうか。現在はすべてパラジュウム合金、レジンやアパタイトになっているのであろうが。

 ところが、ロシアでは依然としてこのアマルガムが使用されている。理由はコスト。健康をある程度犠牲にしても、痛みから開放されたほうがいいとの判断か。話がすぐに拡散してしまい、顰蹙を買う。(ヒンシュク こんなに難しい漢字だとは)本論に戻ろう。

 淡々と講義を進めては、学生も面白くは無いだろう。そのときのムード、理解度を見ながら、講義を続けるようにしている。

 一ファラデーは何クーロン、すぐに答えが出る。それでは、一ファラデーでどれだけの金属が放電(析出)するのか?今度は誰も答えられない。

 要するに、今の学生は断片的な知識をもっているが、総合力が無い。これは本学の学生も国立大学の学生も変わらない。大学受験を学力維持装置だと言う人もいるが、受験勉強の大きな欠陥が、露呈されているのである。彼らは試験ができたから、それでいいと思っている。ところが、総合的に考える力が備わっていない。また大学でも一点刻みで成績をつけている先生もいる。これでは学生が育たない。

 数年前から、アメリカの教育に習ってシラバス(Syllabus)を取り入れ、授業の概要を今までよりも詳しく説明するようになってきた。これは、かつては授業が魅力的であろうが無かろうが、すべて教員の思い通りに進められてきた講義方法を、是正しようとの気運が盛り上がってきたからである。一部の大学では学生に先生を評価させたりもしている。しかしながら、依然としてその効果は出ていない。

 学生の授業に対する意識を変える前に、教員側の意識や価値観を変えねばならない。私自身は、学生にここだけは暗記しておくようにとか、ここが重要だとかは講義で言わない。工学全般を学ぶ上において、いろいろな領域が相互に関連しており、断片的な知識では何の役にも立たないことを実感させるようにしている。

 したがって、試験は細かいことを問うのではなく論述式にしている。それ故、いろんな切り口から解答してくる。こちらも答案をチェックして勉強になる。



考える力の養成を



 我々の時代は、ほんの一部の人を除いて自宅で勉強はしなかった。勉強するやつは「がり勉」と嫌われたものである。親も勉強しろとは言わなかった。学校で集中して先生の言うことを聞いていれば、解るはずだと。

 唯一、五年生だったかローマ字を習う科目が当時採用され出したときだったのだろうが、朝起きてみると、ひらがなで教科書の内容を書き写したノートが机の上においてあった。それでも、いらぬおせっかいとばかりに、ローマ字には興味が無かった。

 高校生の当時は、トラの巻が書店に出だした。そんなものを参考にするようでは本物ではないぞと、長考の末、代数や幾何の問題が解けたときの喜びはひとしおであった。

 高校時代の友人のほとんどは、大学に進学したが(当時の進学率は一二%前後)、自宅ではあまり勉強はしなかったと思う。ただし集中力は皆、抜群であった。特にマージャンのときはよく徹夜をしたものだ。どこの親も、教育者の親も、しかりつけることは無かった。その連中がいろいろな領域で活躍している。

 また、いわゆる優等生と言われていた友人で、官僚コースを歩んでいるのもいる。先日ニュースを見ていたら外国の要人と対談していた。

 何をいいたいのか。中にはそれほど勉強をしなくても理解する子もいれば、ついていけない子もいる。現在、一割はできる子、三割はできない子といわれている。

 できる子に比重を置けば九割が犠牲に、できない子に比重を置けば七割が犠牲になる。したがって、平均的な教育がなされているわけである。それでは、そのできる一割の子が将来的に社会でリーダーとして活躍するのか。三割のできない子は落伍者なのか。決してそんなことにはならない。

 学業を終えてからの個々人による意識の問題である。高度情報社会においては、主体的に学び、研究、調査ができないといけない。そのための基礎力、応用展開力を身につけるような教育をすればいいのではなかろうか。

 むしろ、もっと大切な問題は倫理に関する教育だと思う。若者の常識の無さだけが、いつも問題にされている。しかし、この一〇年の間に色々な企業倫理にもとる問題や、官僚や民間人の賄賂や、その他の不正は目に余る。道徳教育に対して戦後、日教組がナショナリズムの台頭につながると反対してきたが、基本的な倫理観は子供の頃から植え付けねばならない。

 学校での勉学は一般には二〇歳の前半でほとんど終了する。あとはそれぞれの個人の問題である。如何に主体的に捉えていけるか、自分自身で切り開いていけるか。今までも、これからもここがポイントである。



デジタルデバイド



 米国では情報機器を使いこなせるかで、サラリーやステータスに大きな格差がつくようになってきた。これをデジタルデバイドといっている。

 先ず、個人にとって情報機器の一番基本形態はパソコンである。パソコンを駆使するようになるためには、なんと言ってもキーボードをブラインドタッチすることから始まる。キーボードの配列は、英語を文章化する上でアルファベッドの頻度からうまく配列されているのである。したがって、自己流でいつもタイピングしていると、キーイン速度は上がらない。中年以降の人でかなり情報機器を駆使する人であっても、律速はキータッチである。今まで英語嫌いであった人、パソコンを毛嫌いしてきた人は、デジタル社会での落ちこぼれとレッテルを貼られても仕方が無い。

 しかしながら、あきらめてはいけない。企業内で責任の地位についているほど、これからは絶対にキーボード操作が出来るようにならねばならない。最近ではブラインドタッチを速習させるプログラムも出ている。まずはその第一関門を突破しなければならない。

 私は今から三七、八年前にタイプ教室に通っていたことが幸いした。目的は英文タイプを習うという名目で、実はほかの目的?があったわけである。当時、英会話教室に通ったのも然り。そのような若い頃の邪心はあったが、一応はタイプをブラインドタッチで打てるまでになっていた。しかし、その後タイプを使うのは学会で使うスライドつくり位で、あまり必要性は感じなかった。英語で論文を書くときには集中的にタイプを使ったが、それでもその頻度は極めて少なかった。

 それがワープロを個人で購入できるようになった。特に二年前から中村先生の遺志をついで、この雑感シリーズを毎月書くようになってからは、使わざるを得なくなった。自転車に乗ることを覚えてしまったら絶対に忘れないと同じように、四〇年近く前に覚えていた手の感触は忘れていなかった。

 今では文章を書くときにも下書きをしない。パソコンに向かって考えながら、あるときはハイスピードで、あるときは長考しながら書いている。

 e-メールも一日におよそ二〇件くらい入ってくる。最近の習慣は朝起きたらまずは、パソコンを起動させメールを確認する。大学に入ってくるメールも自宅に転送するようにしているので、返事を出す必要のあるものはその場で出してしまう。それから大学に向かうが、研究室につくと早々に又メールを確認する。大学ではパソコンはつけっぱなしで、サーバーの中身を一五分おきに呼んでくる設定にしている。したがって、メールが入ったらすぐに返事を書くようにしている。電話で対応していたかなりの部分がメールに置き換えることが出来るので、学生との論議や研究の打ち合わせに十分時間を割けるようになってきた。

 二〇件のメールの中で個人的に必ず返事を書かねばならないものはおよそ一五、六件である。今までこの件数分、電話をしていたことになる。電話では用件だけで済ますことは出来ない。どうしてもほかの話をしてしまい、一〇分から一五分は話すことになる。したがって、メールでやり取りをしていなかった一年前までは、一日に二時間以上電話をしていたことになる。

 一度にマルチに電話を受けることが出来ないので話中でお互い何度も電話をかける必要があった。その点メールは効率が良く、しかも失念することが無く確実である。どうしても肉声で話さねばならないときだけ、電話で話せばよいし、会って話せばよい。

 現在、大手の企業ではほとんどイントラネット、インターネットの構築がなされたようであるが、セキュリティの問題から全従業員が必ずしも使えるようにはなっていない。エレクトロニクス関連の企業や商社は別として、今まで秘書に任せていた役員の多くは、自らキーインするのが億劫で依然として電話で対応しているのではないだろうか。

 若手の技術者の中でもメールの有効性を認識した人は、会社内で使えない場合は自分でプロバイダーと契約している。彼らは職場で使えないのでいつも帰宅してから、しかもテレ放題とかの時間帯(午後十一時半から)にインターネットサーフィンとかで、あちこちのホームページを覗いたり、チャットしているようである。

 したがって、次の日は寝不足で仕事に注力できない。職場で彼らが有効に使うことが出来るようになれば、仕事の効率は向上するであろう。

 デジタルデバイドの話題がほんの入り口の話になってしまったが、コンピューターアレルギーなどとはもう言っていられない。今まで理屈をこねて否定していた人たち、特に中年以降の人たちは、もうそろそろ取り残され負け組になるであろう。

 若者たちはデジタル化の中で育ってきたので、使える人と使えない人との格差が大きくなってきている。例えば、コンピューターのソフトのインストールを見ていると面白い。自分からいとも簡単にマニュアルも見ないでインストールする若者、いつも聞き役に回って自分でソフトを入れる自信の無い若者、全く関心を示さない若者と完全に一種のデジタルデバイドが進んでいる。彼らが世の中に出たら、情報機器を駆使できるのは結局、一部の人間だけなのか。

 小学校のときから、ごくあたりまえの道具としてキータッチ、インストール、各種ソフトを用いた遊びやプログラム学習をやる環境を整えねばならない。現状では先生方がパソコンも使えないので、遅々として進んでいないようだが、教育界もデジタル人間を意識して採用する必要がある。

 英語教育もやっと小学校から始めるとか、第二外国語にするとか論議されてきているが速く取り組まないと、日本だけが英語を駆使できない、一部の人しかデジタル機器を使えない民族として負け組になってしまう。

 表面処理の業界の中で執拗にコンピューターを拒みつづけている役員が多いが、何をなすにも最初は厄介で効率が悪い。そこであきらめてしまっては何にもならない。時間と忍耐が必要である。そのバリヤを飛び越える努力をしなければならない。
 

組み合わせ技術とすり合わせ技術
関東学院大学
本間 英夫
 
世界的な規模での製品の規格統一、それに伴うグローバル調達、成熟産業はどんどん海外(特に東南アジア)にシフトし、このままでは日本は危ないとよく話題に挙げられている。

低コストでの物作り展開の中で、工場の閉鎖、または縮小、東南アジアへの展開を余儀なくされている企業は多くなってきた。この流れをくい止めようと必死になっても無駄な努力で、経済原理から当然の成り行きである。

 繊維を初めとして、家電製品いわゆる白物その他、成熟産業は海外にシフトしてきた。確かに東南アジアでは既存の完成された技術を組み合わせ、低賃金で物作りが出来る。

これは組み合わせ技術と言うことが出来る。

 世界的なコスト競争の中で、最近では高度なエレクトロニクス産業も東南アジアを中心に海外に展開している。

コアになる技術に関して日本国内で試作から始まり完成度を上げ、組み立てを中心とした技術が海外にシフトしているのである。

高度な技術がこれらの国々で可能になるためには、電気、ガス、上下水道、通信網、交通網等のインフラの整備、同時並行的に教育レベルやモラルの向上を推進していかねばならないであろう。

特に教育のレベルアップは生活水準の向上とともに、国民全体に浸透するまでに少なくとも十数年はかかるであろう。現状では、東南アジア諸国では組み立て技術を中心とした産業の展開が当分続くことになる。

 では、コアとなる高度な技術とは何か。

日本には外国が真似の出来ない『すり合わせ技術』が脈々と伝統として、また風土として培われてきている。これには、いわゆるハイテク関連の技術だけではなく、多くの基幹を担う要素技術のすり合わせであり、これが日本の強みである。

 よく引き合いに出されるのが大田区の中小企業である。精密機械にもできないようなミクロの世界をコントロールする芸術的な職人技、これは『すり合わせ技術』の典型である。すり合わせるということは、如何にしてその技術を極限までチューニング(微調整)し、最適化するかということになる。

 技術全般に対して日本人はすり合わせが得意であり、まさにこのすり合わせ技術や技能が中小企業を中心として醸成されてきたのである。

 当面はこれが強みで、分野によっては優位に展開できるだろう。

しかし、熟練を必要とした領域は規格化され、マニュアル通りに物作りをする傾向が広まってきた。今迄「すり合わせ」が必要とされたプロセス上のノウハウ、物作りにおけるこの種のこだわりや勘に頼ってきた体質から、ITの導入により物作りは大きく変わる可能性がある。

現在は未だ物流システムが中心であるが、最近では仮想実験での反応予測も可能であるし、近い将来ITによるリモートセンシング、各種の化学組成の精緻なコントロール、物作りはより正確、迅速、高効率で行われるようになるであろう。

 しかしながら、IT化が進むといっても、そのアイデアや活用法を考えるのは、人間であり、今まで以上に脳力(能力)の増強がきわめて重要になる。

 それにしても最近の若者は率先して、物作りや製造業に入ってこない。これからは今迄以上に観察眼、洞察力が要求されるのに、これでは真面目に真剣に技術に取り組んでいる東南アジア諸国に追い越されてしまうのではないだろうか。



日本の技術の強みと弱み



 日本人はオリジナリティーが無く、西洋やアメリカの技術を取り入れてるだけではないか、とよく非難されたものである。確かに戦後の復興期はそうであった。

しかしながら、技術を導入した後の改良に対する能力は、抜群に優れている。日本に入ってきた技術の多くは、改良が重ねられ、完成度の高い技術にまで高められているのである。

 この改良に対するセンスは上述の『すり合わせ技術』を得意としていることに由来する。この日本の技術者の特徴が余りにも前面に出すぎて、独創性が表に現れてこなかったのだろうか。

しかし、色々な技術関連の啓蒙書を読むと解るように、日本で考えられ、実際に工業化された独創的な開発技術は枚挙にいとまがない。

 表面処理関連の独創や発想に関しては中村先生も色々お書きになっていた。私も以前にセレンディピィティー物語と題して数回のシリーズを書かせてもらった。

 日本人は独創性が無いといわれてきた背景には、環境を整備してこなかったこともあるが、環境がよければいい発想が出るわけでもない。それよりも、日本発の独創研究の成果が、海外に発信されてこなかった事に起因している事が多い。

 すなわち、論文や、特許を英語で書くのが苦手であった。いや書く能力が低かった。外国の学会での発表も活発でなく発表する能力も低かった。

 能力が無かったと決め付けるのは、少し言いすぎであるが、実際、一部の人を除いて学者、研究者、技術者の中で、英語を日頃から何の抵抗も無く、第二外国語として話せる人はどれ位いるだろうか。また、研究論文をどれくらいの人が書けるのだろうか。

 グローバル化、規格化、規制緩和化のなかで、今までの一部の人にゆだねられてきた英語力を、ビジネスおよび技術の世界で、対等に論議し発表し、論文や特許を書くレベルに上げねばならない。第二外国語として『使える英語』教育の推進が急務である。

 今迄も、日本で多くの独創的な開発がなされてきたが、日本の技術は評価されず、アメリカや西洋の技術を過信し、日本で開発されてきた新しい目を摘んでしまっていた。

 自由に、時には荒唐無稽と思われる研究に対しても、時間と研究費がでるような、オリジナリティーの出せるような環境を整備することも大切である。日本のように四季を持った温帯ゾーンの中ではこの種の発想が生まれやすいはずである。

科学技術の発達に伴う課題



 日本人の勤勉さは労働を善とし、休むことを悪とする考えにもとづいて、戦後の廃墟から工業先進国としてのステータスが確立されるまでに至った。

 しかしながら、最近の若者は危機意識が全くない。かなりの割合で、カッコ良さ、物質的な豊かさしか追求していない様に見える。就職に関しても大卒の20%以上がフリーターになっている。または科学技術の進歩が早すぎて、ついていけないと思っている学生がどんどん増えている。

技術史を調べれば明らかであろうが、原理の発見から実用にいたるまでには長い時間を要するのが常であった。少なくとも19世紀まではそうであった。

 ところが20世紀になると実用化までのスピードが、グーンと加速される。

 たとえば我々が手掛けてきた表面処理の分野に限定して時系列的に研究レベルから実用化レベルに至るまでの期間を思い起こしてみると、およそ5年で実用化にこぎつけている。

中村先生が大学の事業部に来られる少し前(今から40年以上前)から始まった光沢青化銅めっき、先生の当時の学位論文を見る限りでは5年くらいで仕上がっている。

光沢を得るためのアプローチは、現在、我々が実験している方法と何ら変わらない。変わったのは機器の進歩くらいで考え方は同じである。

当時、電気化学測定は真空管で出来た計測器であり、一つのデータを取るのにも、かなりの時間が費されていた。

 顕微鏡の観察は、現在のように電子顕微鏡が無いので、光学顕微鏡を最大限に使い、電子線スペクトルも綿密に取られていた。

 せっかちな先生だったので、研究から実用化までに5年、当時としては超スピードであった。当時、実験に携わった人達の熱心さ、情熱が開発スピードを上げていたのである。今の若者と比較すると格段の相違がある。

次の開発がプラスチックス上のめっきである。アメリカでプラめっきが開発されだしたのが、1950年代でその頃は無電解銅やニッケルは未だ開発されていなかった。

 先ずは不導体の導体化法としては銀鏡反応を利用するものであった。またプラスチックスも今のように色々なエンジニアリングプラスチックスが未だ開発されておらず、ベークライトのような熱硬化性の材料では金属との密着が取れないので、そーっと銀の皮膜をつけ、後は強引に電気めっきでその表面を金属の殻で覆ってしまうやり方であった。

 したがって初めは、ボタンや女性用の小物の装飾品を作るぐらいであった。

しかしながら、ひとたび技術に火がつくと関連技術は大きく進歩するものであり、アメリカでは、いかに密着をあげるか、銀鏡に変わる導電化法はないか、研究が進められ無電解銅めっきの下地が出来てきた。

 しかし、この銀鏡も無電解銅めっきも、実はヨーロッパで中世の錬金術師達がすでに見出した技術である。したがって原理が見出されてから100年以上経過して応用にこぎつけたことになる。

 本格的なプラめっきの研究が始まるのはアメリカでABS樹脂が開発されてからである。

日本にこの樹脂が紹介されるや否や、中村先生を中心として当時大学内にあった事業部の技術スタッフが、いち早くテストピースを金型で作成し、まず、いかにしてプラスチックスとめっき膜の密着性をあげるかの検討が始まった。

 無電解銅めっきの研究を最初に手掛けたのが斉藤先生である。私も研究の初期段階からお手伝いしたので間違いないが、実用化にはやはり5年くらいはかかっている。その後キャタリスト、選択めっき、クロム酸の再生と一連のプラめっきの研究が続いた。

次いで、めっき廃水や環境問題に着手し、シアン電解酸化、クローズドシステムが確立された。さらにその後、無電解めっきの新工法、と研究が進むがいずれも5年位で実用化レベルにこぎつけてきた。しかも、プらめっき以後の研究は、ほとんど我々の研究室の学生が中心となって進められてきた。

指導者が先見性、研究に対する鋭い洞察力、情熱を持っていれば、学生も自然と研究に取り組む姿勢が異なってくる。これまで学生からの不平や不満は余りなく、皆充実して一年間の卒業研究生活や数年間の研究生活を送れたのではないかと自負している。

 ここで我々の研究の話から一般的な話に戻そう。

 最近では、コンピューターを中心とした情報通信技術は開発速度が極めて速く、犬の年齢に例えて、ドッグイヤー(7年が1年)で進化しているといわれている。したがって、最近の技術にはもうついていけないと、不安に感じる人が多くなるのも当然である。

 95年「科学技術の進歩が早すぎてついていけない。」、と不安に思っている人が53.7%であった、これが98年には80.5%に増えたとの事である。本年の調査はないようだが、殆どの人が不安に感じていることになる。

しかし余り心配することは無い。新しい原理が発見されてから応用に至るまでは、いずれも初期は誘導時間が必要でかなりの時間がかかる。ひとたび誘導期を過ぎれば指数関数的に開発速度が上がるものである。人間の飽くなき欲望が開発スピードを上げるのである。

 今から7~8年前だったか慶応大学で表面技術協会の学会の折にご健在であった武井武先生が『君たち働いているのではなく、動いているだけではないのか』との警鐘が今も印象深く私の脳裏に刻まれている。

 ドッグイヤーに少しでも抵抗して、誘導期にあたる研究に注力し学生を育てていきたいものである。

時にはゆったり考えたり、散歩したり、語り合ったり、まどろんでいるとき、(REM睡眠時か?)面白いくらい色々発想が出てくるものである。



サードウエア産業



通産省構造審議会で21世紀ビジョンの取りまとめの中で、これからの発展性が高い産業分野はサードウエア産業であると新語を使ってビジョンをまとめている。すなわち、日本が得意としてきた、ハードウエア(物作り)と、情報技術(IT)とを融合させて、第三の産業(サードウエア)を作ろうとの提案である。

 製造プロセスにITがすでに導入され、自動化が進み、正確、迅速、高効率で製造が進むようになりつつある。

例によってヤフーで『サードウエア産業』で検索してみた。この用語で引っかかってきたのはたったの2件であった。未だ一般的な用語として認知されていないらしい。

 試算によると、情報家電製品は、現行の約3兆円から年平均5%程度伸び、2025年には約9兆円。サービスは現行の約3兆円から、年平均7%伸び2025年には約19兆円規模になるとしている。

 情報家電について、①AV(オーディオビジュアル)機器発展系、②コンピューター発展系、③通信機器発展系、④車載機器発展系、⑤周辺機器発展系、に大別している。通産省は、日本の産業が比較的優位を保つ方向性としていわゆる『サードウエア産業』分野の創出を強調している。さて、この『サードウエア産業』という言葉、果たしてどれくらい認知されるだろうか。

 『どしゃぶり』から『小雨』、『うす曇り』分野によっては『晴天』と景気に明るさが出てきているようである。

 負の十年間、産業界においては多大の痛みを伴うリストラ、これまでの成長神話から着実な安定成長、豊かな精神生活を送りたいものである。
 

研究のセンスと成果
関東学院大学
本間 英夫
 
以前に今年の研究室の陣容や研究の進め方を紹介したが、半年を経過した今も、実験の進捗発表会は2週間ごとに進めている。このペースは守ることにした。

その報告会では、実験結果と考察に関して一人十分から十五分程度説明し、その後に皆と議論に入る。ほとんどの4年生は自分のテーマを理解し積極的にデーターを出し考察も出来るようになってきた。

3年間、ともすればやすきに流れるがごとき怠惰な生活から、4年生になって初めて、研究室という環境の中で実験を通して研究する心を学ぶのである。彼らにとって先ず、挨拶の仕方、電話の応対や言葉使い等の日常生活の常識を身に付けることから始まる。

使用前、使用後ではないが、彼らは4月の時点と比較すると見違えるように良くなってきている。少し大げさな言い方になるが、社会に出る前のマナー教育に始まり、日々の研究生活を通して技術者としての倫理や道徳も勉強することになる。

研究室によっては単に研究の実績をあげるために、全力投球しているところもあるようだ。全ての余裕を切り捨て、我々教員やドクターの研究実績をあげる補助実験をやらせていたら、彼らは実験に対しての関心や情熱は薄れ、単に与えられたテーマをこなすことだけになってしまう。これでは教育機関としては失格である。

私に出来ることは、技術を中心とした人材育成であるとの信念で教育にあたっている。

 昨年まではドクターが未だ少なかったので、私とドクターの2人で研究の進め方を打ち合わせ、大体その線に沿って進めてきた。今年は前報でも触れたがドクターの数が一挙に増えて、それぞれのドクターにかなりの権限を委譲する形を取ってみた。

 面白い現象が出てきた。研究を進めていく上で研究者のセンスによりどんどん新しい発想が出て、それが成果となって現れるリーダー、なかなか成果が出ないリーダー、したがってマスターおよび学部の学生も、どのチームについているかによって伸び方が大きく違ってくる。これではいけないと少し彼らとのふれあいの機会を増やすことにした。

 今までは、昼食時に大学院生全員が研究室に集まり、雑談をしたり、今後の実験の方針を話したりしていたが、6月頃から4年生との昼食ミーティングを週に2度くらい入れることにした。

 また、朝の輪講会は人数が多いことや、学部生と大学院生では理解度が異なるので、今のところ二つに分けて平行して進めている。

 内容としては、英語の論文に限らず日本語の論文も参考にし論議したり、また、過去の研究室で行ってきた研究について、なぜその研究に着手したか、特にどのような発想に基づいて研究を展開してきたか、に重点をおいて解説をしている。これが彼らの知識となって、また自分でも積極的に文献を調べる様になり、一つのテーマで議論して色々意見やアイデアが出るようになってきた。

 中には寡黙な学生もいるが、どちらかというとその種の学生は頑固で自分で心に秘めて実験を行い、進捗報告会でアット驚かせる。いずれにしても研究室の雰囲気は大人数の割には上手くまとまってきた。


ハイテク日本危うし


 ITを中心として製造業にもまさに世界的な規模での変革が起こっている。先月号には日本の技能や技術水準は高いからと、少し楽観的な見解を述べたが、高度な製造技術もすでに東南アジア諸国にシフトしている。人件費が日本と比較して十分の一くらいのところが未だ多く、利益を上げねばならない企業としては当然、海外へ展開している。日本がこれまで製造技術として培ってきたいろいろなノウハウや、コツ、センスなど、遅れをとってきた東南アジアに止むを得ず移転しているのである。

 台湾では日本よりもハイテク領域の製造工場を立ち上げ、日本のお株を奪った格好である。そして、台湾はITのハードウエア製品の主力生産国になってきた。

 パソコンやその周辺機器の委託生産件(ファウンドリー)、世界のシェアの50%を越える製品としては、電源装置、キーボード、スキャナーやマザーボードなどで99年には前年比10%増の210億ドルとのこと。しかもそのうちの40%以上は台湾で生産するのではなく中国本土や海外に生産を委託している。

 更には、世界一、二位を争うICのファウンドリーの拠点も台湾であり、日本の企業は価格競争力を維持するために競って台湾の企業との契約をしている。日本はソフトに弱く、ハイテクのハードの生産拠点にとのもくろみはこのようにして潰え去っていく。

危うし日本。



日本における技術者、技能者は


 韓国や台湾の若者と日本の若者を比較してみると、どちらが熱心か?どちらに基礎的能力があるか?韓国や台湾に軍配が上がる。かなり不安になってきた。日本の若者には情熱、粘り強さ、工夫しようとする心意気等が、かなり低下してきている。

 技術や技能の伝承がなおざりになり、ベテランの技能者はどんどん消えていく。また若い技術者を養成する教育システムが崩れてきている。物質的な豊かさの中で、果たして我々が多くの若者に、日本はこれからも技術中心で行かねばならないと説いてきたのだろうか。技術の面白さ、充実感、生きがいを説いてきたのだろうか。

 我々の時代とは異なり大学進学率が大幅に上がり、親も、教員も、当の高校生も有名大学に進学出来れば人生ばら色と、高等学校は予備校化し、落ちこぼれた連中が偏差値の低い(そのようなレッテルを皆で貼ってしまった)普通高校か工業高校に進学する。

我々の時代は工業高校のほうが、普通高校よりも実力のある学生が入っていたものである。また敗者復活戦が出来ないシステムが出来上がってしまっている。社会における個人の貢献度やステータスは、偏差値の高い大学を出たかどうかで決めてきた。この偏差値教育の典型な欠陥は、次のやり取りに代表される。

なぜ医学部に入学したのか?偏差値が一番高かったから。なぜこの大学を選んだのか?なぜこの学部学科を専攻したのか?偏差値が自分とマッチしていたから。もうこの大学には合格したから自分の一生が決まったようなもの。とか・・・・。

バブルの後始末で日本の各企業は待ったなしの体質改善が計られている。偏差値の高い大学出身の有能といわれたサラリーマンが、容赦なしにリストラにあっている。この現状を見て、少しは偏差値教育が変わってくれればいいのであるが、確立された価値観が変わるには長い月日を必要とするであろう。

 今年に入ってから大学のFランクという用語が出てきた。Fは大学の成績で不可のことである。すなわち大学として不可と認定されたことになる。ここで使われたFはフリーパスのFである。誰が認定しているのか。文部省ではない。

大手の予備校が一般入試で「ほぼ全員入学」と、従来の偏差値の設定が不能になった大学をFランクと認定したのである。

 今年の春、入学者が定員に達しなかった私立大学は百三十三校、学部ベースで見ると千二百二十二学部中二百五十一学部が定員割れとなった。短大はもっと激減で50%以上の学校がすでに定員割れになっている。

 少子高齢化の中で受験人口は激減し、我々の大学でも、あと数年でFランクの仲間入りをするのではないか、と現在必死になって対策がなされている。

 しかし、所詮これも無駄な努力なのかもしれない。上位の何十大学だけが残り、後は生き残りをかけて偏差値教育から、更に魅力のある大学作りをしていかねばならないのである。

これからが真の意味での個々に特徴のある大学、魅力のある大学、偏差値に関係しない大学作りをすることは、考えようによってはやる気が出てチャレンジしたくなる。しかし現実は無責任かもしれないがこれからの十年間で多くの大学の淘汰が起こるであろう。

 社会にとって必要な人材を受け入れる容量はロードマップよろしく人口の推移、これからの日本の進む方向が決まれば自ら決まってしまう。


私の構想


それではFランクで生き残る方策は?

偏差値教育の信奉者はともかく、我々のような弱小の大学が生き残るためには、実務に強い人材をこれまで以上に意識して輩出しなければならない。実務に強いということで、それでは専門学校ではないかとの批判があるが、そんなレベルではない。

英語はみっちり実学的に海外の技術者と渡り合えるレベルにし、デジタルデバイトなんのその、最新の知識を植え付けるだけではなく、その根底にある基礎的な考え方、ソフトもハードも原理に至るまで理解させる。

現在多くの学生は、単にいろんなソフトやデジタル機器に振り回されているだけである。

これまでのような大人数のマスプロ教育に決別し、たとえば、我々の化学であれば120名から30名程度にする。

単純計算で授業料を4倍にすれば採算が合う。そんな甘いものではない。それこそジリ貧で廃科になってしまう。本来、旧帝大はエリートの養成機関として始まったのであるから、天下国家を担うその種の人材はそちらに任せるとして、日本の真の担い手である中小企業向けの人材作りに専念する。

たとえば、我々の表面処理の領域では現在、日本全国に何千社、その中のトップ数十社でさえも技術者の確保には苦労をしてきた。名前の知れた大企業と比較して、学生が自ら俺はこの会社に入社することが夢であったと言うのは皆無であろう。

トップ十数社以下になると一般の工学系を専攻している学生は見向きもしなかっただろう。三十数年前、中村先生は、「君たち大企業へ行きたいと思っても無理だぞ。」「どうしても行きたいのなら高卒の資格で行きなさい。」と、また「大企業はこれからも永遠に大企業でありえないんだよ。」と、確かに、新設された学科の学生を企業に紹介するのは大変なことであったと思う。

今と比較して全ての産業規模はまだ大きくは無かった。しかも表面処理の業界はほんの駆け出しであった。

先生は学生を当時の大学の事業部や、知り合いの会社に入れていた。その後、私が先生の後を引き継ぐことになるが、すでに卒業生が300人を超えた。一部の卒業生を除いて、ほとんどが表面処理に関連する企業で活躍している。

私は学生とはほとんど毎日兄貴のように付き合ってきた。今では親父か、いや、おじいさんかな。めっきを中心とする産業の規模はそれほど大きくは無いが、それにしても大学の一分野で特徴を出すとしたら、その領域の人材育成は安心して任せておいてくださいと断言できる。また本業界はそれを認めてくれるであろう。

このように色々な産業界と直結した取り組みを、先生方得意な領域でやれば一躍有名大学になるであろう。

また、この種の伝統を潰えないようにするには、次を担う教員スタッフを確保できる体制が無ければならない。しかし、今の教員並列では不可能である。これからは本来の講座制の復活がぜひとも必要であり、大学は極端な言い方をすれば、アメリカ的に入れ物と人件費の一部だけを提供し、研究費は自分で稼ぐ。こんな時代がもうすぐやってくるかもしれない。積極的に展開してもいいと思っている。

 ある大学では、一研究室で研究所と名乗ってもいいことになり、現在、かなりの数の教授が何々研究所、所長という名刺を作り、対外的にステータスをあげている。

また5年間の冠講座も積極的に進めている。これも大学をいかにサーバイブさせていくかの手法なのである。しかも、絶対淘汰されそうもないような大学が積極的に、これからの大学の経営を考えている。いくつかの大学で色々な新しい試みがなされている。
 

2000年表面技術世界大会に出席して
関東学院大学
本間英夫
 
ドイツのガルミッシュ市国際会議場で、9月14日から17日の日程で、エレクトロニクスの実装をメインテーマとした、第15回表面処理世界大会が開催された。今回は、34カ国、約1000名の参加者があり、4つの部門に分かれ、並列に研究発表が行われた。
一年程前に、この大会でエレクトロニクスに対するめっき技術の最近の動向と題して、講演の要請があった。以前にも似たようなテーマで、北欧やアメリカで講演していたので、初めは断ろうかと思ったが、本学が35年以上も前に、世界に先駆けプラスチックス上のめっきを工業化した実績を持ち、今まで地道に検討してきた技術が評価されての依頼と理解し引き受けることにした。
 これまでも、この種の世界大会やヨーロッパ、アメリカでの講演大会で、大学の校訓と大学の事業部時代からの表面処理の歴史を必ず枕に紹介してきた。かなり前になるが、アメリカで講演した際に『スタンフォードのミニチュア版』との声援も飛んだことがあった。最近は、コンピュターグラフィクスで簡単に大学のロゴをOHPに入れることが出来る。外国での講演では、必ずロゴをOHPのコーナーに入れることにしている。
しかしながら、未だ、ロゴの説明をしたことが無いので、いずれ燦葉の意味をそれとなく伝えたいと思っているが、招待講演と言えども余りイントロが長くなってはいけないと、その機会を逸している。
 講演時間は30分間なので、上手く時間をコントロールしなければならない。日本語での発表であれば、アドリブで臨機応変にぴったり時間内に講演を終えることが出来るが、英語となると少し戸惑う。
 また、講演の中で、必ず幾度か、ジョークを入れる余裕はあるが、どうしても時間が長くなってしまう。一応は原稿を作成して臨むが、原稿の棒読みではインパクトが無い。したがって原稿は見ないであらかじめ考えておいたストリーに従って話すが、どうも時間をコントロールすることができない。もう少しOHPを工夫して、キーワードをその中に入れ込み、話すような努力をする必要がある。
 この大会は4年毎オリンピックイヤーに開催され、表面処理での研究に貢献のあった人を表彰してきている。大会の始まる1ヶ月くらい前、E‐メールで、世界表面処理連合の提唱者の名にちなんでつくられた、ワーニック賞受賞おめでとう、クロージングセレモニーには必ず出席のこと、これはコンフィデンシャルである旨、委員会から連絡を受けていた。
受賞のためだけに、はるばるドイツまで出かけるとなると億劫だが、一年前に依頼のあった講演を受けておいてよかった。
 したがって、講演とは別というものの、講演の中にジョークを交えるにしても、余り品格を落としてはいけないと、今回は少し、慎重にならざるを得なかった。この種の受賞は意識したことは無かったが、金メダルと、大きな額に入った表彰状、それと賞金がついてきた。
また、賞は続くものらしく10月には、アメリカのアリゾナで開催される電気化学会電析部門研究賞も受賞が決定している。
 ホームページで歴代の受賞者を見ると、いずれも世界に名だたる研究者ばかりで、なぜ選ばれたのか、受賞に値する業績を出しているのか疑問であったが、あくまでも本大学の事業部時代から引き継がれてきた、表面技術の伝統と、近年におけるエレクトロニクス向けの研究成果が認められたのであろうと、理解することにした。
 10月の研究賞の受賞にあたっては、講演が30分間と義務付けられている。この機会に今まで枕に触れてきた、本大学の産学協同の歴史、校訓などについて、少し詳しく話すつもりである。
 自分から言うのもおこがましいが、このように権威のある、大会や学会から評価された背景を考えてみると、国内は勿論のこと、世界に向けて、研究の成果を常に発信してきたからであろう。
いくら国内で評価されていたとしても、海外に向け、何らかの形で発信しないと、よほどインパクトがない限り、ほとんど国際的に認知されないで終わってしまう。
 実は40年近く前、大学の事業部で世界に先駆けて、プラスチックス上のめっきの開発が行われていた。当時、今は亡き中村実先生の指導のもとで、斉藤囲先生が無電解めっきの基本的な理論『混成電位論』を日本の学会誌に投稿した。
 しかし、日本では評価されなかったが、数年後、アメリカの研究者によって、その理論が今回10月に受賞が決まった学会の論文誌に引用され、一躍有名になりドイツ語、フランス語、ロシア語の学会誌にまで引用紹介された。
 無電解めっきの論文には、必ずこの理論が出てくる。最近は余りにも認知度が高くなりすぎて斎藤先生の名前が引用されなくなってきているので、事あるごとに、この理論は私の兄弟子が提唱したものであるとうったえている。
 斉藤先生からは、そのようなわけで「英語で論文を書きなさい。」と、いつもアドバイスを受けていた。しかし、一番研究で貴重な時期である助手時代は、学園紛争の最中で、毎日学生と対話し、研究は全くの手付かずであった。
 世界に発信しだしたのは、それから10年も後の1980年になってからである。しかも、今回出席した国際会議が、京都で開催されたときからであり、当時は英語を道具として、駆使できる日本の研究者は、今と比較すると未だと少なかった。今では、日本での国際会議は当たり前になったが、20年前は、まだ日本での開催経験が少なく、国内からの一般の参加者が理解できるように同時通訳をつけていた。
 関連学会の文献抄録委員会の委員長をおおせつかっていた関係で、同時通訳者にテクニカルタームを教えるよう、学会から要請があった。
 その当時、同時通訳業務は私企業として始まって日も浅く、確か、サイマルとインタープレスという2つの会社があったと思う。インタープレスが関西に拠点を置いていたようであり、大阪から2人の同時通訳者が発表論文のプロシーディングを持参し、またズラーッとテクニカルタームを列挙してきた。それぞれの意味を的確に訳すには、これはこうしたほうがいいと、丸2日かけてティーチインしたものであった。
 あの当時と比較すると、今の同時通訳者の能力は、大幅にアップしている。また、最近では英語が、完全に国際的な会議の公用語になっているので、同時通訳をつけることは少なくなってきている。同時通訳をつけると、運営費がどーんと上がってしまう。したがって、産業界寄り以外での、学会が主催する会議では、もう英語のみが公用語になっている。


学生の一般講演


 いつも外国の講演には、やる気のある学生を連れて行くことにしている。今回は、ドクターコースに在籍中の学生と、この春、ドクターを修了したOBに発表の機会を与えた。
アメリカの西海岸やハワイでの大会であれば、費用も余りかからないので、大勢の学生を連れて行くが、今回は2人に留めた。これまで、かなりの数の学生を海外に連れていっているが、彼らが自信を持って発表できるよう、何度も練習を重ねている。
 私もそんなに英語は得意ではないが、文章を練り、発表の原稿を読ませ、イントネーションやアクセンチュレーションを徹底的に直す。
日本から同行された先生方からは、いつも「先生のところの学生はよくやっているね。」と、お褒めの言葉を頂くが、残念ながら発表が終わって質疑応答になると、全く直立不動で、片言で答えようとしているのだろうが、ヒアリング能力がかなり乏しいため、相手の質問の意味が理解できない。したがって、少し待ってから、どうしても私が助けねばならない。
 そのことを参加している大先生などに話すと、「そこまで学生に要求するのは無理でしょう。」、「君も若い頃そこまでできたかと。」と、確かに今では心臓が強く、下手な英語でも、全く臆することなく答えたり、コメントしているが、そういえばそうかもしれない。
 それにしても向上心を持たねば、いつまで経っても能力は上がらない。彼らが壇上で歯がゆい思いをして、それが刺激となって、勉強してくれればと思っている。また、学生に海外で発表する機会を与えることは、彼らにとっては貴重な経験になり、その後、社会に巣立ってからの大きな自信となる。
 今のところ、この種のやる気のある学生に対して、大学からの海外発表の助成制度は無い。
したがって、各先生はかなりの費用の負担を強いられているのではないかと思う。何らかの形で、彼らがチャレンジしやすい環境を作っていけば、大学全体の研究の活性化につながるのであろう。
 

就職戦線終盤で思うこと
関東学院大学
本間 英夫

 
資格試験の功罪

昨年よりも各企業の採用人数が多くなり、超氷河期といわれた就職戦線に、若干の明るさが出てきたようである。我々の研究室では、6月末でほとんどの学生の就職が内定した。会社によっては人事面接に始まり専門面接、役員面接と2ヶ月くらいかけて吟味?する会社もあるので、完全に全員の内定は7月末であった。

 6月決算で、来年の採用枠が決まった企業は、学生を紹介して欲しいと何社もお願いがあったが、全てお断りせざるを得なかった。企業は今まで以上に実際の仕事に役立つ人材を求めるようになってきた。優秀な人材を確保するために、人事担当者は躍起にならざるを得ない。 

現在、大方の企業では就職を希望する学生の基礎的能力を見るために、業者が作成したテストに頼っている。その道のプロが問題を作成しているので基礎学力、性格等がほぼ間違いなく評価に現れる。第一段階のスクリーニングとしては的確な方法であろう。

更に最近、特にエレクトロニクス関連の大手の企業は、かなり高いレベルの英語力を求めるようになってきた。ビジネスの国際化で当然であり、学生時代に将来に向けて実学的には何をなすべきか、自覚を促すのにいいことである。その評価法として代表的なのはTOEIC試験である。

ほとんどの学生は意識して英語の勉強をしてきていないので、この試験を受けると平均的な学生で、おおよそ400点から450点くらいになる。日本の大学生の平均点は、世界の中で一番低いグループになるそうだ。勿論、日本は台湾、香港、韓国や中国などのアジア諸国の中で最下位。

企業は500点から550点を要求してきている。これくらいの点数を取れば、日常の簡単な会話が出来るレベルになっていると言われている。もう一つの評価法で、英語検定というのがあるが、TOEICの500点から550点が英語検定の2級に匹敵するとのこと。ベースとしてこれくらいの英語力を持っていないと、門前払いになるわけである。こうなってくると、学生もうかうかしていられない。

 自分が企業に入ろうと思っても、英語力が無ければ叶わない。となると、彼らは極めて現実的に動き出し、低学年次からビジネス英語の力をつけるように努力するであろう。

大学の就職課、就職担当の先生、また最近では全学的に対策が講じられるようになってきた。その一つが、一般の講義以外に特別講座と称して、TOEIC受験セミナーや模擬試験などが全学的に行われるようになってきた事にも見られる。このように、大学にとって外圧?により、好むと好まざるとにかかわらず、実学志向に教育を持っていかなければならないのである。

 実際、研究室に入ってくる学生の英語力はかなり劣悪であり、年に数回ほど外国から技術者や研究者が研究室を訪れるが、実験室で何を研究しているか、学生にちょっと説明するように促すが、今までまともにできた学生は皆無である。

 このような状態であるから、学生のモチベーションを高める意味で、私が先頭を切って、大学院生全員とTOEICの試験を受けることにした。私の受験会場は横浜の中心街にある予備校であった。

 夏の暑い日曜日、昼の1時から4時まで缶詰になり、大学院の試験以来、30年間以上この種の試験を受けたことが無かったので、かなり疲労困憊であった。

この試験は初めの45分間はヒアリング、しかも繰り返しが無く一回限り、問題の傾向がわからないので戸惑ってしまう。その後1時間半くらいかけてリーディングの問題となる。今度は長文を読み大意をつかまないとわからない問題がズラリ。冷房ががんがん効いた部屋で、トイレにも行くことが許されず、拷問にあっているようなものであった。

また、会場の近くでライブをやっているらしく、うるさいからとヒアリングの時に、スピーカーのボリュームを最大にしているため、耳ががんがんする。時間を上手くコントロールできず、焦りが出てくる。大学での定期試験を受ける学生の気持ちが少しわかったような気がした。

 さて、試験結果はこの雑文が皆様に届いているときにはすでに出ている。おそらく学生は450点も取れないであろう。私は果たして600点はいくか。学生時代、試験のときの時間に追われながら解答したあの緊張感をもう60に届く老体が?経験するとは。〔結果は、学生の最高点430点、言い出しっぺの私が700点近くであった。〕

 いずれにしても、彼らのインセンティブをあげるため、今回は何の準備もせず強引にトライした。私がチャレンジせず彼らに受験させ、自分のレベルを確認するようにアドバイスだけであったら、果たして何人受験しただろうか。

 助手時代から、常に学生には語学力をつけるように言ってきた。外圧によって、彼らは渋々ながらでもやらざるを得ないところに追い込まれてきた。これからの学生にとってはいいことだ。ただしこの試験はあくまでも、語学能力がどのレベルにあるのかを判断する手段であり、得点を上げるための攻略本が書店にズラリと並んでいる。したがって少し点数が上ったからといって、本当に会話が出来るのか疑問である。

 企業は学生に対して語学力以外に、どんな資格をもっているかを評価対象にしようとの動きもある。工学技術力評価法として、国際的な認定機関である、JABEEやFEなどの資格試験があり、この種の資格を取得するための支援講義を正規のカリキュラムに入れる動きが、あちこちの大学で検討され、また、すでに実行されている。

これらの資格試験は、どちらかというと大学のほうが先取りした格好で、企業に対してはそれほど認知度が高くない。

 学生が正規の科目を真剣に学習し、また自分でこれから何が大事であるか、自覚しておればこの種の支援講座を設定する必要は無いのである。そこまで大学がサービスしなければならなくなったとは嘆かわしい現状である。しかしながら、今の学生で自ら切り開いていく気概のある者は少ない。何でも与えてくれるものと勘違いしている。

これは今に始まったことではなく、日本の社会が豊かさを追求していく過程で、精神的な部分と物質的な部分でのバランスが崩れてきたからである。最近の学生で、精神的に強いやつはどこを探してもほとんどいない。

 指示待ち型の学生から、自分で考えられるような学生になるように社会全体で切り替えていかねばならない。それにしても企業は、即戦力型の学生を、優先的に採用する傾向が強くなってきたことは、間違った人づくりを社会全体で容認していることに結果的なるのではないか心配である。

本来ならば潜在能力、発想力、豊かな心を持った若者を、社会に送り出していかねばならないのに。大器晩成型の能力を秘めた、学生を取りこぼすことになる。企業側では取りこぼしが無いようにと基礎試験、人事面接、技術者面接、役員面接を取り入れて吟味するようにしているようだ。しかし、大学の授業をさぼり、受験対策に基礎力を増強するための勉強をしていれば、当然いい点数が取れるであろう。また、何度も面接していれば、受け答えは上手くなるであろう。プロはそこを見ぬかねばならない。基礎力申し分なし、明るく元気だからと採用した結果どうだったか?本当に優秀な学生が採用できたのか?

 最近、この種の採用方法を見直す企業が出てきている。いや、すでに以前から、この状況を解っていた企業は、少々基礎力が無くても、訥弁でも、大学で、あるいは大学院で何を本当に学んだかで採用しだしている。


即戦力型人材の採用


 各企業は即戦力型の人員確保の手っ取り早い方法として、経験者の中途採用を積極的に取り入れるようになってきた。企業は人材を育成する余力が低下しているので致し方ない面もある。

 研究室に就職依頼で訪ねてきた技術関係の人たちは、「誰か会社を辞めた人いませんか?めっきの技術がよくわかる人を採用したいのですが。」

 特に、大手のエレクトロニクス関連の企業にこの種の要求が多い。なぜならば、ドライプロセスからめっきを中心とした、いわゆるウエットプロセスが、半導体の成膜から周辺の電子機器に至るまで、要素技術として必須技術となってきたからである。大手の企業には、めっきを中心とした技術者は極めて少ない。

 あちこちの大手企業からこの種の要求があっても、我々の研究室を出て業界に入った後輩は、それぞれの企業で活躍しており定着率はよく、他の会社に移る例は少ない。

これまでは、企業規模が大きければ、定年までその会社に奉仕できると安定と安心を保証されていた。しかしながら、最近の状況を見ていると、かなり鈍感な人でも、従来の大企業信奉はもはや通用しないことがわかったはずである。

 むしろ、能力のある人も単なる歯車として、いつお払い箱になるか、肥大化した企業のリストラという荒波の中で実感したはずである。私は、学生とこれから社会で何を生きがいとするか、自分なりの考えを語ったり、彼らの考えを聞く。

 これからは就社ではなく、就職であるとよく言われるようになってきた。しかし、日本でこのアメリカ的な考えが本当に通用するのであろうか。

 日本人の気質、単一民族国家では馴染めないのではないだろうか?会社型人間、会社のために尽くす人間、我々は生きがいを何かに求めて生活している。

会社型人間それでいいじゃないか。

いわゆる会社人間がこれまで企業を支えてきた。報酬に対しても強くは要求してこなかった。

 それが、これからは年俸制、実績給、能力給と成果によって給料を変えるシステムを導入する会社が増えてきた。これまでの日本流の給料体系、人事査定が大きく崩れ、チームプレーがギクシャクしてきているのではないだろうか。

 実際、最近どこの会社でも、研究や技術スタッフが手薄になっている。たとえば、研究チームが10名から構成されていれば、極端な場合、実際に実験をするのは4、5名であり、後は全て管理者のようなもので、自ら実験にタッチしない。現在の企業の年齢構成から、ある程度は致し方ない場合もあるが、年を取ると管理職に必ずしもなる必要は無い。しかしながら、よっぽど実験が好きでない限りは、年齢に応じて一般には管理職の道を選ぶようである。管理職ばかり増えても船頭多くして…。

したがって、完全に研究、開発能力は低下する。しかも、最近の傾向として、能力査定や実績査定のために、報告書の提出頻度が増加し、中身は希薄となり覇気も失ってきている。

 機密保持や、いつ担当者が他の企業に転職するか不安なため、横の連絡もほとんど無く、単に与えられたことを、こなしているだけ。給料が大幅に逆転したり、能力別に格差が大きくなると、やる気が失せるであろう。アメリカの場合は、一部のエリート集団がアイデアを出し、実際にルーチンで実験をやるのは、その道の職能的な専門集団である。そのエリートが結果を見て判断を下す。このアメリカのシステムを日本に導入しても、上手く機能しないだろう。

 グローバルスタンダードと、何でも国際的に同一基準にする風潮が今、日本にはびこっているが、今まで培われてきたものを残しながら国際化に対応していかねばならない。


技術力の低下


 高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故、ジェーシーオーの臨界爆発事故、半導体用の剥離液製造ラインでの爆発事故、タンクローリーの爆発事故等爆発事故、プレス工場での爆雷の爆発事故と、最近多発している。

 経験やノウハウを沢山持っている熟練工は、高年齢化とプロセスの標準化という名のもとに、製造現場から消え、技術力は大きく低下してきている。大企業では今、いわゆる熟練工という部類の人たちは、もうほとんどいないのではないだろうか。製造現場は単に理屈だけで、事は進まない。

 もんじゅの事故は、液体ナトリウムの温度計を入れるサヤが、応力集中する形状であったとのことである。これは応力を集中しない形状にするのは常識で、経験と判断力があれば、そのようなミスは起こらないはずであるといわれている。

 しかしながら、製造現場からノウハウを蓄積したベテランを排除し、頭でっかちで経験の無い現場を知らない連中ばかりでは、危険が大幅に増幅されてしまう。また、知識や経験豊かな技術者は、自ら手を汚さず、現場作業者に任せた結果が臨界爆発事故となった。

作業者は操作している薬剤の性状も知らされずに、バケツでウラン溶液を移送するなどの、よくも恐ろしい操作を作業者にやらせていたものだ。作業者にとっては全くのブラックボックス。上に立つ技術者のモラルは全く無い。

 今、日本の技術は危ないと警鐘を鳴らしている人たちが増えてきている。しかし、現実に企業の規模にかかわらず、ベテランはそろそろ定年に近づき、特に小さな企業では、次の世代に引き継ごうと思っても、子供は継ごうとしない。また、若い技能者や技術者を集めよとしても、なかなか集まらないのが現状である。

 大学を卒業しても、すぐには定職に就こうとしない学生が20%を越えようとしている。製造業よりも第三次産業に安易に従事する傾向が強い。

工場は海外にどんどん移転するし、学生の理工離れも著しい。これでは、日本の技術力は急速に低下し、経済は停滞し、いろんなタイプの事故が多発するのも当然だ。雪印然り、これからは大事故が激増するのではないかと不安である。
 

3年ぶりのOB会
関東学院大学
本間 英夫
 
11月の中旬に中村先生を偲び、また研究室OBの交流を図るために3年ぶりにOB会が開催された。

 中村先生が本学に奉職された経緯は、ご自身でお書きになった随想禄に詳細にかかれているが、産学協同のルーツともいえる大学事業部の研究開発総責任者、および機械科の助教授として就任され、それから5年後、化学科の設立に尽力された。

有機化学、無機化学、化学工学、電気化学を4本の柱とし、特に電気化学に関しては、当時の実力者を招聘するにあたり多大の努力をされたのである。おそらくその話を知っているのはもう私だけなのかもしれない。当時の実力者は今と違って、三歩下がって師の影を踏まず。明治生まれの教授は権威があった。

 お迎えするにあたり居室は一番、日当たりがよく南向きの部屋であることとの条件が提示された。したがって、大正生まれの中村先生は、北向きの日当たりの悪い部屋に甘んじることになったのである。そういえば、当時先生の居室には、ガスクロ、赤外分光、紫外可視分光の機器が所狭しと置かれていたが、一年を通じて全く直射日光があたらなかった。機器のためには良かったのかもしれないが?

工業化学科の唯一の建物であった三階建ての化学館(5号館)は、現役として、今も教員の居室兼実験室、学生実験用に使用されている。キャンパスの地盤が軟弱なこと、また当時は未だ基礎工事がしっかりしていなかったので、館そのものが沈下し、また外壁のコンクリートの亀裂、はがれが顕著で、補修工事をしながら使用されている。

私も、うかつであったが、本年が工業化学化創立40周年、記念式典を来年の3月に開催する運びになったようだ。もし、このことを夏休み前に知っていれば、我々の研究室のOB会を式典の日に合わせ、時間をずらして開催すれば、化学科全体の式典参加と研究室のOB会に参加でき、さらに思い出の多い一日を作り出すことが出来たのにと残念である。

 ともかく、化学科が設立されてもう40年、研究室を巣立ていったOBも、一期生は60歳の還暦を迎える人もいる。化学館も老朽化してそろそろ立て直さねばならない時期にきている。研究室を巣立っていた卒業生は総勢で250名。


OB会の準備過程


 4期生のOBが自ら買って出て日程、開催場所、会費の支払いに関する文章を作成し、各期の取りまとめ役のOBに、その文章を郵送し第一段階の準備が終わったかに見えたのは、夏も終わり頃であった。

 それから1ヵ月しても、一部のOBからしか連絡が入らない。どうも、各期に郵送したOB会の文面が若干要領を得ていなかったのか、かなり誤解があって、いずれまた研究室から連絡があるだろうと思っていたようである。

今回は小生が外国に行ったり多忙であったので、自分が音頭をとって指示するのでなく、OBと現役の大学院の学生で、ことを上手く運んでくれることを期待していた。

 OBに対する連絡を初め、もろもろのことを代表幹事の4期生と話をさせ、現役学生に全て任せてみることにした。

 ところが前回の開催から3年経過していたので、彼らは何も先輩から受けついでおらず、3年前の名簿と会計報告があるのみ。全くノウハウが無い、さらにはOB会のイメージがつかめない。

やはりこの種の会は、小生がOBに対する文章の作成、ホテルとの交渉、特に会費との絡みで料理に対する注文、式のプログラムなどある程度ポイントを抑えておく必要がある。

 そこで今回は、学生と一緒にホテルに出かけ、値段、料理、プログラム、受け付け、その他の打ち合わせをした。小生はいつもせっかちでテンポが速いのでホテルの係りの人も、少しは戸惑ったと思うが、理屈のとおらないところは値切り、その交渉の一端を学生が垣間見て、彼らも勉強になったはずである。

 小生は自分個人のことであれば、このような交渉を滅多にしないが、OBから集めた会費で運営するのであるから、こういうときは吟味する。

 後は、現役の大学院学生の負担が大きくなるが、皆で手分けして準備を進めればよい。もう一度OB会の開催に関する文を、4期生の作成した文章を生かしながら作り直し、卒業生全員に郵送した。

 アンケート調査ではないが回収率は90%以上、小生が直接指導したOBに関してはそれこそ100%に近い。出席者は160名、一般にこの種のOB会の参加人数はこんなに多くはならないようだ。

 同期会であれば出席率は高いが、普通は同窓会の出席率はせいぜい2~3割どまりであろう。毎年8割以上の卒業生が表面処理の関連業界に就職しているので先輩、同僚、後輩との絆が極めて強い。


研究室を運営する我々の責任


 日本中どこの大学を探しても、1研究室で表面処理の関連業界に、これだけ輩出している研究室は無いであろう。伝統と歴史の重みを、参加した卒業生全員が感じたと思う。また電気化学担当の山下教授の研究室では、電気化学計測を中心としてめっきの機構に関して研究が積極的になされている。山下先生も最近は、我々のやっている領域に興味をもたれ、昨年から共同で、実装関連のめっきに関して研究を始めた。その成果はすでに関連の学会誌に投稿し、本年の7月号にその論文が掲載された。「関東の表面処理」はこのように広がりを見せており、波及効果で他の研究室でも、卒業生のかなりの割合が、表面処理の業界で活躍している。おそらく、化学科の全研究室を合わせると、400名を越えるであろう。これはOBとしての大きなパワーである。

国立大学の独立法人化、少子化による18歳人口の激減に伴う、大学冬の時代への突入。9月号に書いたが、もう数年すると我々の大学もFランクに入るといわれている。

 いわゆる今までの評価(偏差値)で、全くFランク入りする危険の無い大学が、すでに如何に大学をサーバイブさせるかいろいろな対策を講じている。

 さて、我々の大学ではどうだろうか?

 もはや他大学がすでに対策しているのと同じことをやるようでは、今までの価値観や評価から完全に立ち遅れてしまう。

 この現実をOBの諸君が知ったらどうだろう?自分の母校がどんどん衰退していくとしたら、こんなに寂しいことは無い。皆誇りを持って母校を愛する気持ちを持って、充実した毎日を送りたいと願っているはずである。

 今回のOB会で、この現実問題を余りリアルに伝えるのはひかえたが、本学の特徴は何かと問われたときに、紛争前は即座に産学協同で事業部を大学内に持っているといえた。しかし、今はどうだろうか、どこに特徴があるのだろうか?

表面処理関連の業界への人材をこれだけ多く輩出してきたのは、大きな特徴ではないだろうか。学会への論文もすでに、100報を越えている。口頭発表はカウントしたことが無いがすでに600報をこえているであろう。「表面処理の関東」と言われる所以は、事業部時代からの伝統と、その技術の研究を産業界に、または学会に公表してきたからである。

 少なくとも今回OB会に出席した連中は、そのことを実感したと思う。小生は今が絶好のときであり、行動に移すときがきたと判断している。今しかない。これからはどんどん化学科に入学する学生が減り、ジリ貧になることは目に見えている。

 決して表面処理の業界は小さくは無い。エレクトロニクスの大手の企業が最近表面処理の重要性を今まで以上に認識してきている。アメリカではジョージア工科大学だけで実装関連の教授が50人以上いると聞く。

実装工学という領域を国家プロジェクトとして構築し、各地にコンソーシアムも設立されている。北欧のヘルシンキ工科大学も然り、ドイツのベルリン工科大学然り。日本にもその拠点を構築せねばならない。この数年の間で、特に昨年はイギリス、フィンランドの両大使館を通じて、是非小生の研究室を訪問したい、実装に関連する技術を知りたい、と総勢で20名以上の研究者、大学教授が研究室を訪れた。会議室を借りて日本における実装のトレンドに関しては、おそらく満足されたと思うが、狭隘な実験室を見てどう思ったのであろうか。


生き抜くための構想


我々の大学の工業化学科の中に、この実装や表面処理を中心としたコース、または研究所を作ってはとの要請を、産業界から受けたことがたびたびある。

 中村先生の指導のもとにプラめっきに始まり、環境問題にいち早く着手し、続いてコンピューターを用いた化学制御を研究し、さらにはプリント基板の一連の化学プロセスから実装領域に展開し、今では半導体の成膜プロセスまで研究するようになって来た。

 上記のような関東学院大学の伝統と他の大学に無い特徴を守り、さらに発展させねばと、必死になって産業界からの協同研究、委託研究や公的研究機関他大学との連繋を実施してきた。

 しかし、もう一人の教員と大学院の学生からなる1研究室では限界に達している。これだけ産業界から,学会から、他大学から、公的機関から注目してくれている。今しかないのである。行動に移さねばならない。

 今回の加藤議員の行動を、小生はものすごく注目していた。腰砕けである。勇猛果敢に国民をバックにつけ、行動すれば大きな政変の契機となったはずである。

 年を取ると私を含めて、どうしても現状維持で、余り急激な変化を好まないのであるが、それにしても今回は絶好のチャンスであった。結局は党利党略、派利派略、コップの中の単なる争いだったのかと、あれでは評価ががた落ちである。自分の信念で行動に移すであろうと、皆が望んでいたのに。

 話を戻すが、もし研究所組織を設立すとしたら賛同者をOBやOB企業、産業界から募りある程度きちっとした趣意書を作成して、OB先輩諸氏の意見、関連企業の役員の意見、先生方の意見を聞いて、行動に移さねばならない。

化学科のコースを作るとすれば、この場合は特に先生方との協議になるであろう。どちらが大学の将来にとっていいか?当然両方とも平行して実行に移すことが出来ればベストである。

ここに記したことがただの夢に終わらないようにしなければならない。

 実はこの種の構想は、今から30数年前に着々と進められ、当時の理事長坂田佑先生が了解済みで、白山源三郎学長との間に、第2工業化学館の設立の確約書まで出来ていたのである。このことに関しては、現在の本学のトップは誰も知らない。

 おそらく小生以外には、唯一、化学工学を担当している香川教授だけが生き証人である。

 事業部での利益を一部還元し、めっき学会の本部を本学に置き、表面処理工学科を作る準備が実は進んでいたのである。

 そのとき本学に招聘する教授も、どこの大学の誰に来ていただくかまで、中村先生は決めておられた。それは小生が確か未だ助手のときで、この話は誰にも言うなと、先生から強く口止めされていた。この構想はあの学園紛争で、全て立ち消えになってしまったのである。

 先生は学園紛争が収束に向かっているときに、敢えて大学を去られた。

表面処理の業界のために、自分はコンピューターを導入しなければならないと・・・・・。


実現に向けての具体的な行動


 中村先生が30数年前に表面処理学科を作る構想をもたれ、実際に大学上層部と化学館を作る確約を取り、具体的に行動しようとしていた矢先に、学園紛争が激しさを増してきたのである。特に、当時はすでに事業部でプラめっきは量産に入り、世界に先駆けてこの技術を立ち上げていたので、国内は勿論のことアメリカからも見学者が殺到していたものだ。

 また、その技術の延長線上として、現在はエレクトロニクス製品の全てに使われている、プリント基板の製造プロセスも確立されようとしていた。

 大学の「人になれ奉仕せよ」の校訓を着実に守り、実行し、特許は取らず、全国から訪ねてこられた技術の方々に、詳細にわたってお教えしたものだ。

 また、その事業部はキャンパスの中に500名を越える従業員を抱えていた。製造や技術に携わっている若い人たちの多くは、昼働き、夜は工業化学科、機械工学科、電気科などで学んでいた。産学協同の最も理想的なシステムが本学にあったのである。

 しかし、残念ながら、この理想的な大学の運営方式は、当時の世界的に吹き荒れた学園紛争、学問とはなんだに始まり、特に本学では日本唯一の工場を持つ大学であったので、産学協同路線反対の狼煙が巻き起り、実現寸前の構想を断念せざるを得なかったのである。

 中村先生の心中はいかばかりか。先生が自信を持って、この構想を実行に移すところまで来た背景には、昭和30年後半から40年代の工業界の成長期と呼応していた。

 先生は、アメリカの表面処理工業会のブランチを日本に作られ、会員企業は全て、主だった表面処理企業から構成されていた。定かではないが100社くらい会員企業になっていたと思う。その方々から、表面処理の学科を作って欲しいとの要請が強く、またその際は全面的にサポートするとの確約を頂いていたと。これも後日、先生が直接小生に語ったことである。

しかしながら、本間おまえは大学に残れ、俺は中小企業のために他の方法で働くと、大学を去られたのである。その後は小生が、たまには大学に足を運んで、後輩に檄を飛ばしてください。実際の実験の様子を見て、コメントくださいと何度も要請したが、先生は大学を去ってからは、一度としてキャンパスを訪れなかった。ものすごい思い入れがあり、自分の考えが社会情勢の中で実現できなかったことが、悔しかったのであろう。

 今こそ規模は小さいが、その何分の一でもいいから、実現しなければならない。

 繰り返すがその時期は今しかない。今まで東大、東北大、静岡大、群馬大、早稲田、日大、都立大等を卒業した企業からの研究者を研究生として受け入れてきた。外国からは韓国、アメリカ、イギリスからも受け入れてきた。

現在も企業から、研究生を受け入れてもらえないかとの要請、またドイツ、インド、韓国、中国などからポスドクとして、数年研究したいとの要請、カナダの国立研究機関から協同研究の要請もあるが、全てお断りをせざるを得ない。

現状は40平方メートルの小さい実験室に、学部の卒研生12名、博士前期課程5名、博士後期課程4名がひしめいているのである。

 本学に表面処理関連の研究所を設立することは、今までの伝統から、是非実現しなければならない。ただのオフィスのフロアーがあるだけでは意味が無く、実際に協同研究、委託研究、客員研究員や客員教授を受け入れ、冠講座を開くとか、シンクタンク的な要素も入れた研究所組織は作らねば意味が無い。

 また工業化学科に表面工学コースを設け、数名の学生を毎年受け入れる。表面処理の業界は現在日本に3000社近くある。規模は中小がほとんどである。現在学部の1年生に2人、3年生に1人、大学院の博士前期課程に1人、後期課程に1人、経営者の子息が勉学に励んでいる。実際にコース制を導入し、きちっと養成すれば規模は小さいだろうが、全国に知れ渡り経営者の子弟のみならず、役員や従業員の子弟を初めとして、表面処理の領域で活躍したいと高校の先生、一般の高校生の中からも表面処理の領域で活躍したいと、応募者がでてくるであろう。本学にとって、一つの特徴になるであろう。

 これらの構想を実行に移すにあたっては、色々な意見を皆様からお聞きしたい。

小生の研究室へメールで、是非ご意見をお願い致します。