過去の雑感シリーズ

2005年

各月をクリックすると開閉します。

年頭に当たって
関東学院大学 
本間 英夫
 
『EVER ONWARD』と一心不乱に走ってきましたが、そろそろギアチェンジの歳になりました。正直、六十数年、光陰矢のごとし、中学生の頃だったと思うがこの標語が目に留まり、これが自分の生き方と、過去に余りこだわらないで常に前を向き、がむしゃらにやってきた。

60を過ぎてからもエネルギッシュですね、若いですね、どこからそのエネルギーが出てくるの?としばしば言われてきたが、そろそろ自重しギアを落とし、違った角度からのアプローチをする時期かもしれない。

大学の研究室と2年半前に設立した研究所は、有機的に連繋し、持続力、創造力、発想力、語学力に自信の持てる学生を育てる環境は整いつつある。

研究所には週のうち2回は出かけるようにしている。学生達には、これらの「力」をつけるようにいろいろ試している。特に語学力に関しては、研究所での輪講で小生は日本語を使わず全て英語でコミュニケーションを行う。学生諸君には数センテンスを読んでもらい、イントネーションやアクセンチュレーションの修正や内容を説明し1時間余りリーディング、小生がいないときは田代主任研究員とドクターコース2年生の角田君が音頭を取り文献の翻訳をやるようにしている。

『継続は力なり』で、最近ではほとんどの学生は英語が華麗に読めるようになってきたし、翻訳をするスピードも上がってきた。

一方、大学の研究室では、文献を輪講するのではなく、時事英語のCDを聞いてもらってヒアリングの力をつけること、および外人向けの日本語雑誌(英語での翻訳つき)を読むようにしてもらった。

これは一種の実験のようなもので、語学能力はいずれの方法が効率的か試すことにもつながっている。

そこで先日、大学の研究室にほぼ常駐しているマスターコース2年生の学生を、研究所の輪講会に出席させた。その学生は研究室の中では、もっとも英語が苦手で読み方の基礎がわかっていない学生である。

研究所では電気化学と有機化学の分野の雑誌からこれはと思うものを選んで読むようにしている。当日は15名近くいたが、順番に先ず読ませてみた。みんなスムースに新しい文献を読みこなす。本人に順番が廻ってきた。多少緊張していたようだが、支えることなく読みこなした。研究室で毎月用いている時事英語には、学生たちにとっては技術用語とは異なるたくさんの単語が出てくるので読み方は自然に上達したのであろう。

これからは研究室も研究所も技術英語と時事英語をうまく組み合わせて彼らの力を向上させたい。

研究に関しては基礎、応用さらには実用化まで検討できる環境は整ってきている。評価ツールとしては、走査電顕、X線マイクロアナライザー、原子間力顕微鏡、フーリエ変換赤外分光、動的粘弾性計、高速液クロ、QCMを含む電気化学計測システムなど、また本年はさらに大型の評価ツールを2,3導入予定である。

さらには、この1月の初めに大型のUV照射装置を導入し、いよいよ本格的にクロム酸や過マンガン酸を使用しない光触媒によるプラめっきおよび微細配線作成の評価に入る。

研究テーマーとしては1,2年先の目先の実用化に関するテーマー(委託研究の比率が高い)、5年先を見据えた実用化の可能性の高いテーマー、さらには表面工学に関して目先にこだわらず、大学でしか出来ないようなテーマーとバランスよく取り上げている。

学生にはあるテーマーにだけに集中するのではなく、少なくとも短期および長期展望にたった2つのテーマーをこなせるようにしむけている。要は、いくらすばらしい評価道具をそろえたとしても、学生自身が興味と目的意識をしっかりと持って熱く燃えなければなんにもならない。また、委託研究先の企業には、短期的なテーマーより中長期の我々が主体となって研究しているテーマーをサポートしていただくようお願いしている。したがって、トップダウンで「やったか?まだか?」と結果だけを出させるやり方は、過去に「イヤ」というほど自分が経験させられ、教育上一番よくないと思っているので、研究テーマーに関してある程度の方向性は指示するが、ドクターコースの学生は勿論のこと、マスターの2年生を中心にして彼らが後輩とともに楽しく、ワクワクしながら積極的に研究に没頭できるようにガイドし刺激するのが自分の役割と確信している。



日本の製造業の気になること

昨年暮れに、唐津 一著「中国は日本を追い抜けない」が目に留まり、早速インターネットで購入した。日本企業が続々と中国に進出し国内が空洞化するのではないか、やがて日本の製造業は中国に負けてしまうのではないかとの意見の多い中で、著者は製造業の部門では中国には日本は追いつかれないし、空洞化の心配もない。日本の製造業は少なくとも、あと2,30年いや100年は大丈夫だと確信していると説いていた。

各章ともなかなか説得力があった。しかしながら、最近の若手無業者とフリーターの増加傾向から果たしてこのような楽観論で良いのだろうかと諸手を上げて賛同しかねた。

学校に行かず、働きもしない「若年無業者」が急増していることが、厚生労働省が総務省の労働力調査を基に平成14、15年の人数を初めて集計して分かってきた。結果、平成15年には52万人にものぼり、前年より4万人も増加したという。

 若手無業者とは「求職活動していない非労働力人口のうち、15―34歳で、学校を卒業した後、進学や職業訓練をせず結婚もしていない人」と定義されている。またこれをニートともパラサイトシングルとも呼ばれている。このような若年無業者は、仕事になじめなかったり、自信をなくしたり、人間関係につまずいたりするなどで、無気力で働く気持ちを喪失しているのである。

卒研生やマスター2年生にとっては就職先を決めることがなにより優先されるが、我々の研究室ではリクルート活動はほとんどやらない。予約の入っている企業や、年度毎の紹介依頼企業から学生が選ぶ。

しかしながら、ごく一部の大学を除いて、いずれの大学においても学生はリクルート活動を3年生の終わり頃から始めている。文科系でも工科系でも数十回挑戦しても決まらず、結局はアルバイト中心のフリーターや契約社員となり、さらには諦めと挫折感から働く意欲をなくし、無職業者になってしまう学生も多いという。そして、働くことの意味や目的を深刻に考え将来の展望がつかめず、一種のノイローゼ症状になり、結果的に親に寄生するいわゆるパラサイトシングルになってしまう。

若年無業者は100万人ともいわれている。これにフリーターを足すと500万人以上になり労働力や企業、経済活動へじわじわと影響が出てきており、製造業は日本がトップだといえる時代が終焉に向うのではないかと危惧する。担当の教員は、彼らの目線に立って彼らの将来を真剣に考えて、本人が自信を持って巣立つようにしてやる責任がある。



景気回復

景気回復で雇用も好転したと言われているが、コストを削減することで国際競争力を維持するため、人件費の削減からパートや派遣社員など非正社員の雇用に力を入れている。労働者全体に占める非正社員の割合は今や三割を超える。非正社員は一般的には正社員に比べ安い賃金で身分も不安定である。正社員の減少で技術やノウハウの伝承がうまくいかず従来のQC活動が機能せず、不良率は高く、近年特に品質の高い物づくりが中心になってきている流れの中で、深刻な問題となっている。

ある企業では製造が追いつかず24時間体制で臨むようになってきているが、夜勤はほとんどがアルバイトや契約社員中心では不良の山だけを作りかねない。

総務省が五年ごとに実施している「就業構造基本調査」では、二〇〇二年十月時点の正社員(役員を除く)は三千四百五十五万人で、五年前に比べリストラで四百万人減少している。それゆえ、昨年度末ではさらに正社員の数が減少しているのは明らかであろう。結果として当然のことながら、労働者一人当たりの給与総額は三年連続で前年度を下回っている。

 若年層中心のフリーターは、これからの10年のスパンで見ると、果たしてこれから安定した生活を送ることが出来るのか、社会的影響は無視できない。

収入はいまやまさに二極化から三極化、すなわち200万円以下の層、700万円から1千数百万円の層、一億円以上の層。これまでは日本全体が中流意識を持ってそれほど不安や不満がなかった生活環境から、この10年くらいで一挙に生活レベルの格差が出てきた。

野球を初めとしたプロスポーツの契約金のニュースを見ていると、エンタテーメントだからその象徴として年間契約何億円でもいいのだろうが、それに対比して技術者の処遇、インパクトのある技術発明に対する対価が少ないといくつか裁判沙汰、年功序列から成果主義への傾斜…なんか欲望が前面に出て、ぎすぎすした体制になってきたように感ずる。

しかも犯罪や自殺者がじわじわ増加し不安定な社会になりつつあるようで、先行きが不安である。日本のように単一民族国家はこれまでの社会主義的資本主義が良かったのかもしれない。

 未納率が四割近くに達した国民年金。平均年収が200万円以下のフリーターにとって、年間約十六万円の保険料負担は重い。負担が増えることで、未納率がさらに高まり国民年金は破綻の道を辿っているように思える。

雇用や収入など生活が安定しなければ当然結婚は困難だし、子どもも持てない。ますます少子高齢化が進行する。また、賃金の低い非正社員が増えれば、個人消費が伸びず、経済成長への影響も避けられない。

このように給料の二極化、生活の二極化、経済の二極化、政治の二極化、都市と地方の二極化、国の借金が700兆円以上、地方財政の借金をあわせると900兆円以上とも言われている。国民一人当たりに換算すると700万円以上の借金を抱えていることになり、これが全て次世代へ先送りという現実を見ると豊かな国家には程遠い。

戦後60年の年、人間で言えば還暦。再出発の年、思い切った改革元年になってもらいたいものである。



表面工学奨学基金

一昨年の暮れから大学に正式な口座を開いていただいた表面工学奨学基金は皆様のご支援の下に、お陰さまで3000万円以上集まり、大学の管理の下に昨年から大学院生の奨学金として運用させていただいております。OBをはじめご協力いただいた経営者の方々には深く感謝申し上げます。

研究室および研究所の活動状況そのほかの情報に関しては本間研究室のHPをご覧ください。アクセスはきわめて簡単でヤフーなどの検索サイトから本間研究室で入れます。

本年もよろしくお願いします。
 

いわゆる中村裁判
関東学院大学 
本間英夫
 
青色発光ダイオードの発明者・中村教授が、元勤務先である日亜化学工業に対して数百億円の発明対価を請求した訴訟で、日亜側が8億4391万円支払うとする和解で決着した。この和解に応じた原告の中村教授は、東京都内で記者会見し、「この和解内容は100%の負け。和解に追い込まれ、怒り心頭だ」また、和解額についても、「裁判官は訳の分からない額を出して『和解しろ』と言う。日本の司法制度は腐っていると思う」と憤った。中村教授はさらに続けて、「力のある人は、アメリカに来ればいいんだ」とはき捨てるように言っていた。

今回のいわゆる中村裁判が始まってから技術者の処遇に関し、日亜化学工業以外の企業においても、相当の対価の支払いをめぐる元従業員との訴訟が頻発し、特許の報奨制度を見直す企業が相次でいる。

多くの技術者は一連の裁判をどのように見ていたのかと、興味があった。実施されたアンケート結果によると、中村裁判に「意味があった」とする意見が89%、発明における技術者の貢献度は「5%~20%の範囲にあるべき」との意見が最も多かった。また、「日本は今後、知的財産(知財)立国になれない」と否定的な意見が52%に上るなど、特許にまつわる課題がまだまだ山積していることも浮き彫りになった。

青色LEDは電気を通すと青く光る半導体で、これまでは赤と緑に関しては発光強度が十分であったが、青に関しては強度を上げることが出来ずフルカラー化が困難であった。

確か20年位前だったが、ハワイで日米合同電気化学の学会に参加した際、自分の専門領域とは異なるがディスプレー関連に興味があり、そのセッションを聴きに行った。そのときに青色は強度が出ていない、強度が上がればフルカラー化が出来ると、当時著名な先生が力説していた。

したがって、この発明でフルカラーの表示が可能になった。青色半導体は携帯電話など小型液晶画面のバックライト、次世代DVD、その他、広く使用されだした。現在の市場規模は年間約3000億円といわれているが、2010年には1兆円に達する見込みである。
 日亜化学工業の社長曰く「青色LEDは中村さん1人だけではなく、多くの人々の努力と工夫により実用化にこぎつけたのである」と、まったく同感である。

手前味噌で恐縮ではあるが、我々もプラめっきを始め、シアンの処理法の確立、各種廃液処理法およびリサイクルシステム、高速無電解銅めっきの開発、プリント配線板製造プロセス、コンポジットめっき、最近ではエレクトロニクス実装関連のいろんな開発と、創造性の高い開発の実績を上げてきている。

多くの新規な発想は、確かに個人的なセンスから湧き出てくるが、これらの考えを核にしてあとは学生諸君との地道な実験、ディスカッションに基づく改善、改良、さらには関連企業との協力関係により完成度を上げ、ほとんどの場合、実用化にいたるまでには5年から10年かかっている。

発明を金銭のみで評価するようになってくると、純粋に開発に関わっていた研究者や技術者が金の亡者となり、豊かな発想が出にくくなるのではと懸念される。確かに、この種の能力に対しては相応の対価は必要であるが、個人に対してだけでなくチームに対しても、それ相応の対価を支払うようになれば企業も個人も心身ともに豊かになるはずである。確かに中村氏の発明に対して、当時2万円しか報奨金が出なかったことは多いに問題がある。

それにしても、中村氏が開発に携わった後も、まだまだ解決しなければならない問題がたくさんあり、多くの技術者が実用化に向けて検討を加えてきたはずである。

ほとんど経緯を知らないのにコメントするのは控えなければならないが、ベンチャーのように自分で会社を興して研究を行った場合と異なり、サラリーマン技術者の場合はその企業に入って始めて開発テーマを知る場合が多く、会社の要請に基づいて個人またはグループで研究が始まったはずである。しかも、多くの発明は積極的に真剣に関わった個人に、神からの啓示のごとく偶然にキラットしたことに遭遇し生まれる確率が高い。

これまでも幾度となく述べてきたが100の大発明のなかで1から2件だけが理論をベースにしており、ほとんどは偶然と模倣が大発明につながっているのである。さらに実用化に至るまでには、たくさんの技術者が関わっている。研究成果は、個人だけの業績ではなく、それに携わった全ての人々の業績であり、チームプレーである。常日頃から、その意識を持って研究に臨めば、研究が結実したとき、それに携わった全ての人々に感謝できるのではないか。

そういえばもう一つの人口甘味料の特許では、一連の裁判で提訴した当事者は全て友人をなくしたという。中村氏も元勤務した企業には誰も理解者はいないのではないだろうか。寂しい限りである…。

知的所有権の保護に関する世界的な潮流の中で、開発型の企業では知財全体に関しての包括的な規定や報奨金などの整備に入っている。確かに日本では研究者や技術者に対する報酬は金融関係のビジネスマンと比較して低い。

この特許が出願された一九九〇年の時点では、ほとんどの企業では特許権の譲渡に関する明確な社内規定がなかった。 特許法で、業務上行った「職務発明」について、特許を受ける権利は発明者自身にあり、企業は社員に「相当対価」を払えば、特許権自体を取得できるとしていたが、 その対価の具体的な基準がなかった。どこの企業でもこの曖昧さが紛争を招く原因となっていた。 

 最近では中村裁判や、その他いくつかの企業での特許裁判から、開発に携わった社員に報いる仕組みが導入され、拡充する方向にある。我々の研究所でも、現在発明に関する規定を作成しつつある。

このように日本も知的財産権を有効に戦略的に活用しようとする動きが高まったのに加え、年功序列から能力主義に傾斜してきた。

日本の産業競争力を高めるために、政府は知的財産基本法案を国会に提出し施行を目指している。今回の中村裁判を契機として、特に開発型の企業においては開発者の権利を尊重し、研究に打ち込める環境整備が急がれる。

小生自身も、このシリーズで記したように、かなりの数の特許を申請してはいるが、これまでは全てデフェンシブな特許で積極的にそれで益を上げようとしていない。

むしろこれまでは特許申請、取得するよりも、学会での講演や、学会誌に開発内容を投稿することによって、それが環境関連、表面処理関連、実装関連で産業界に貢献してきたと自負している。しかしながら、これからは知的財産を守り積極的に展開せねばならない風潮になってきた。

この時代の流れの中で、我々教育の立場にある者としては、研究室と研究所が一体となり先ず産業界から魅力を感じていただける学生を育てることが最も重要な使命であると考える。

各企業は今までのように新入社員を長期に研修する余裕がなくなってきており、より質の高い学生を要求するようになってきている。その期待に応えることを常に意識し、研究内容も各企業と連携して、数年先の実用化に近いテーマを始め、大学の研究機関でしか出来ないような長期的なテーマを設定し、これらの中から学生には必ず複数のテーマを選択してもらう。アメリカ大リーグのバリー・ボンズのようなホームランは飛ばせないが、発想を大切にし、今年もイチローのように何本かのヒットが出るよう邁進する。
 

産学連携に向けて
関東学院大学
本間 英夫
 
日本学術会議は科学技術政策に関する提言で、大学から生み出された科学研究に対し、米国や欧州と比較して日本の研究効率の悪さを指摘している。この調査は科学技術基本計画(2001―2005年度)において重点分野として指定された生命科学、情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料の4分野についてのデーター(2002年度)に基づいている。

研究成果は、論文の出版数、引用回数、特許出願件数などをもとに評価している。それによると、米国は日本の約2倍の資金で日本の3―4倍の成果を得ているし、欧州各国では日本の2―4割の資金導入で8割程度の成果を引き出しているという。また昨年、英科学誌ネイチャーに掲載された分析でも、先進7か国中、英国は投入予算などが少ない割に成果が大きく、日本は投入予算が多いのに、成果は最下位と評価されていた。しかしながら日本においてはこの基本計画が緒に就いたばかりで、5年間の計画で最終年度、もしくは終了後の評価であればともかく、先ごろの発表は、2年度終了時の中間的なデーターに基づいているので酷な評価である。

これまでは多くの場合、企業は独自に開発に当たり大学との連繋は希薄であったことは否めない。しかも一部の大学を除いて企業は大学の研究を大きくは評価してこなかった。しかしながら、この十数年で企業の体力は大きく消耗し、独自開発よりも21世紀型の開発には産学連携が必須と政府も大きく動き出したわけだ。 

これまでは、ほとんどの大学では技術的な発明にたいしても、特許を出願するときは共同研究をした企業が出願費用を肩代わりする形で取得することがしばしばであった。また多くの大学の研究者はこの種の応用研究よりも、基礎的、学術的な研究に注力してきた。したがって、多くの大学の研究者は産学連携や特許に関して、関心を示してこなかった。

以前から、特許に関してこのシリーズで自分の考えや、これまでの特許のとり方に関しても紹介してきたが、大学に特許を評価する仕組みがなかったため、企業に肩代わりしていただく方法を取り入れざるを得なかった。

このように、大学では知的財産に関しての考え方はきわめて希薄であった。ところが、産学連携の要請がにわかに高まり、大学発の技術を産業界で実用化に役立てる時代になってきた。 

本学は50年位前に青化銅めっき、40年前にはプラめっき、その後のプリント基板製造に関わる表面処理技術では、日本の表面処理産業を大きくリードしてきた、いわば産学協同のルーツである。しかしながら、当時はアメリカに追いつけ追い越せの時代であり、特許で知的財産を守ったり、また積極的に収入に結びつけるような形よりも、全ての技術を公にし、産業界の発展に貢献するように努めてきた。

本学のスタンスは、産業界に対して、校訓でもある『人になれ、奉仕せよ』の精神に基づき奉仕し貢献するという、大学としては理想的アプローチであったが、それに対して当時の学生は産学協同路線粉砕と中身を良く理解する前に、全国的な学園紛争の流れの中で学生から理解が得られるべくもなく、事業部から筆頭株主になって関東化成として独立させた。中村先生は当時表面処理関連の産業界に対して大きく貢献されてきていたので、このままでは大学に残っていても何も出来ないと四十歳の後半に大学に見切りをつけられたわけである。時代に先駆け、産学協同の理想的な姿を追求していた本学にとっては誠に不幸な時代背景であった。

東大闘争を頂点として全国的に広上がった学園紛争後は産学連携に関しては積極的に推進する先生はほとんどいなくなり、私自身はかなり白い目で見られてきたものである。したがって、中村先生に「お前は残れと」と言われその後、決してやりやすい研究環境ではなかったが、開発や技術の内容に関しては常にフェアで中立、なるべく産業界全体に貢献できることをことさら意識してきた。

多くの大学では産学の連繋は否定され積極的に推進するムードはその後20年以上も途絶えていた。したがってここ数年前から、産学連携と叫ばれても即座に対応できる先生はそれほど多くはいない。このように、180度転換の中で知的財産に対する意識に関しても温度差があり「論文より特許」と言うスローガンが出てきたことに反発する研究者が多いのは当たり前である。 

しかしながら、大学の知財戦略を初めとして、産学連携は、時代の流れであり、先生方は情報、技術がインターネットを介して世界中に一瞬に駆けめぐるようになったことを理解すべきである。 



産学連携による社会貢献 

産業技術は大きく変貌している。IT革命により生産効率があがり、品質に差がなくなってきた。日本においては、当然高度で専門性の高い技術にシフトしてきている。 したがって大学の研究も産業界へ近づき、大学の社会貢献というか産学連携が大きく叫ばれるようになってきた。 

産業界から見ても、大学の研究室は、国の研究投資やその他の資金で支えられている研究現場であり、基礎研究の成果が応用・実用化につながるという努力も必要になってきた。 

 もちろん大学の研究室は、学園紛争時代から言われてきているように企業の下請けではない。委託研究などを契約すると、大学の研究成果を全て自社のものにするように条件をつけてくる企業が圧倒的に多かった。それには敢然と大学の立場、学生の立場を主張し理解を求めてきている。

企業が委託する研究テーマーの中に学問的な研究価値がなければ、大学の研究者は魅力を感じないので産学連携は難しくなってくる。

また、時代の流れの中で大学に知財本部がスタートし、特許出願件数やベンチャー創業の数値目標を掲げているところもあるが、ある程度のインセンティブはあるだろうが一部の研究者しか、なかなか対応できないのではないだろうか。

たとえば特許に関して、本学ではこれまで何件位だったのであろうか。大学に貢献することを意識したものは、ほんの一握りなのかもしれない。今から30年位前にさかのぼるが、大学のために少しは役立つだろうと、いくつかの特許を企業と大学名をいれて共同出願の事務手続きをとったが、こんな面倒なことは勝手にやってくれと、その後は関東化成を始めいくつかの委託や協力をしてくれている企業と個人名で特許を申請するしか方法がなかった。それでも委託で受けた幾つかの共同研究の成果として大学の名前と企業との共同特許をその後申請してきたが、おそらく自分が関わった数件だけが大学との共同特許になっているのではないだろうか。最近他の学科で国の資金援助を受けているので特許を積極的にとる必要があり大学の事務と話を進めていると聞いたがまだ完全には大学として整備されていないようである。

3年前に研究所を設立できたので、今までの個人名で取ってきた特許は全て研究所に名義を変更した。特許は件数だけでは意味がない。特許は、世の中にどれ位貢献できるか、もしまったく使用されなければ大学で生まれた技術を社会に還元できない。大学の特許出願が実用化には程遠い「イシコロ」ばかりにならないように努力しなければならない。

最近、「論文より特許」というスローガンが掲げられているが、今まではほとんどどこの大学の研究者も特許など意識していなかったとよくコメントが出ているがそれは嘘になる。

実際活躍されている先生方は企業との連繋が強く、特許のプロセスを十分に理解されている。それらの先生を意識していろんなコメントが書かれているのではなく、逆に今まで特許などまったく関心を示してきていなかった先生方の研究に対する姿勢を是正していただく上において、そのようなコメントがいつも経済関連の新聞や雑誌にコメントとして出るのである。工学関連の大学の研究者や先生方にたいして特許の対象になるような論文を書くように、またその場合は論文で発表した後に特許を出願しても国内ではいいが海外では特許にはならない。  

もう10年位前になるが、世界中から注目される基本特許を企業と共同で取得し、実用化されしかもロイヤリティーも一時入ったが、個人の名前で契約をしていたので、それほど多くの要求は出来ずしかもほとんどを大学に寄付したが表立ってその背景も伝えては来なかった。一部会議のときに伝えたことがあるが、当時はなかなか理解が得られず、嫉妬のほうが多いようであった。本来ならばこの種のことは、みんなから理解され賛同されるべきであり、産学連携も大きく理解が深まるはずだが、なかなかうまくいかないものである。

最近は、IT(情報技術)によって産業技術が飛躍的に進歩したため、大学の研究成果がすぐに産業界で実用化されることが多くなってきた。産学連携は歴史の必然である。 

昨年4月から国立大学の独立行政法人がスタートを切り、産学連携はいよいよ本格的に推進されてきているが、産学連携によって理工学を中心とする大学の研究室や研究所での特許発明の技術に関する研究が増えてくるであろう。 法整備やガイドラインの作成が急務である。

 総合科学技術会議・知的財産戦略専門調査会でも議論が始まっているが、トラブルが出る前に日本の国益も視野に入れた方向付けを考慮しながら、ルールが決めていかれるであろう。我々私学では産学連携推進本部などの仕組みを作りそこで同じようにやりやすい環境整備を早急に構築する必要がある。

 しかし、日本人の悪い癖で一人がひとつの方向を向くと、全員が同じ方向だけを向いてしまう。早急に産学連携推進の仕組みを作るのと並行して、以前から行なわれてきた大学でしかできない基礎的、学術的な研究の重要性も忘れず継続していかなければならない。

今後、さらに多様化、グローバル化する社会においては、そのバランス感覚を養う事こそ、もっとも重要なのかもしれない。
 

最近の学生気質
関東学院大学
本間 英夫
 
各企業で入社式が行われてから3週間余り、新入社員は研修に毎日追われているだろう。最近の若者をLEDにたとえて「熱くならず冷たく、指示したことはきちっとやるが味気がない」と1ヶ月くらい前の新聞にコメントされていた。きわめて的確なコメントだ。実際、相対的にこの種の学生が多くなってきているのは確かのようだ。生き生きワクワクして活躍しそうな新入社員はどれ位いるのだろうか。産業界に送り出した側としての責任もあるし、一度受け入れ側の意見を聞きたいと思っている。

有史以前から「最近の若者は…」と年配者が批判するのが常であるといわれてきているので、この種のテーマーはあまり取り上げてこなかった。しかしながら、35年間、研究を通して学生と行動を共にしてきた立場から見ても、明らかに学生の気質は変わってきている。特に、この10年間の変化は大きい。

素直さ謙虚さの欠如、表現力の欠如、集中力の欠如、モラル低下、団体行動での非協力、時間にルーズ、自己中心的などなど。いつの時代も卒業研究に入ってくるまではしょうがないと思い、研究室に入ってから手作り教育と、使命感から一心不乱に彼らに自信と常識を持たせるべく、愛情をベースとして教育に専念してきたつもりである。しかし歳のせいか、最近はこの種の学生の数が多くなってきているように思える。3月の下旬、卒業式の後に化学科全体の卒業生が一堂に会しお別れ会をやっているが年を追うごとに形式的で感慨深さはなくなってきている。またその会の後に、研究室に分かれて2次会をやるのだが、本年は先生方はほとんど参加しなかったという。何故なのか聞いてみると、学生の教員に対する感謝の気持ちが希薄になり、単に飲み食いするだけで、参加する気になれないという。

我々の研究室においても継続してこの会をやってきているが、今まで謝恩会の形式でやったことは一度もない。費用は全てこちらが負担、卒業生も在校生もそれが極、当然と思っている。本来ならば謝恩で自分たちが費用を負担しあい、先生を迎えるのが筋であろうが、その気持ちはさらさらないようである。

かなり前になるが、卒業生への記念として家内がデパートで何か買ってきて、それを配ったことがあるが、最後に喫茶店で別れるときにそのプレゼントを置き忘れる学生が数人いたのでがっかりした。それからその習慣はやめた。今年も研究所の副所長である豊田君が参加できなかったので学生にかなり高価そうなものを私に託した。メッセージが添付されていたのでそれを読み上げ彼らにプレゼントした。しかしながら、本人に有難うとメールしてきたのは5人中二人だけ。別に期待しているわけではないが常識として何らかの方法で感謝の意を伝えるべきであると考えるのは歳のせいであろうか。

自分は学生に親父のような気持ちで付き合っているつもりだが、逆にそれが彼らにとっては負担に感ずるのであろうか。マスター修了生くらいになると3年間研究室にいたので、感謝の念は強いようであるが、それにしても中にはかなりドライに割り切り、終了したら後は知らん顔、自分の都合だけで行動する者が多い。在学中は頻繁にメールしてきたり質問をしたりするが入社とともにほとんど連絡がなくなる。

彼らが充実して仕事に励んでいるのだろうが、それこそインターネット社会でメールもあるのだから一年に2,3度くらいは元気ですよと近況くらいアクセスがあってもいいと思うのだが。特に、彼らが結婚する少し前になると、セルフィッシュさがありありとわかる。結婚式が終わると知らん顔。まーいずれ彼らも常識とか感謝の念とか解ってくると思うのでそーっとしておくのがいいだろうと温かい目で見るようにしている。

でも正直、たまには学生の方から、感謝するような企画があってもいいように思うのだが…。



LED型気質

 このように表現するのはいけないかもしれないが熱くならない、何時も冷めている、味気がない等々、何故現代の若者はこのように揶揄されるのか。それにはコミュニケーションの手段が携帯電話を中心とするインターネット依存がこの種の若者を多くしてきた原因の一つではないかと思う。

インターネット社会では瞬時にして情報が交換されビジネスの形態も大きく変わってきたし、大いに活用すべきである。世界は益々小さくなりこれからはグローバルに物事を考えていかねばならない。そのためにも今までにも増して英語の訓練は怠らないように研究所と大学の研究室で同時に進めていく。

現在はまさにインターネット社会の移行期でありインフラは大きく整備されてきている。インターネット社会に文句を言っているわけではなく、みんなが大いに有効に使いこなせるようにならねばならない。

しかしながら人間の精神活動はお互いのフェーストーフェースの暖かい交流が基本である。とかく我々より若い世代は何でもインターネットで調べようとするし、会議資料としても提出されることが多いが、インターネットによる情報は一次情報ではないし、重要な問題は公に、しかも不特定多数に流すわけがない。インターネットの効用と限界を早く認識しうまく活用してもらいたい。

今の若者の多くは勤務時間中に職場のパソコンを使い、インターネットで遊んでいる姿が目に付くという。我々の研究室でも遊びの頻度が高いようだ。また、実際にトピックス的な情報はほとんどインターネットからで中身は希薄。四六時中首っ丈になるのはよくない。

情報の一部として活用するのは大いに結構。それよりも折角研究できる環境が与えられているのであるから、大学院の学生が積極的に自ら実験をし、結果に基づいてさらに発想を豊かに持ち、追求していくことに喜びを感じてもらいたいと願うのであるが、実験は学部とマスター1年生のようになってしまったようで、この4月からこれまでの反省に立って軌道修正することにした。



研究所および研究室に大きな柱が

 この4月から小岩一郎氏が教授として本学に着任されました。ご存知の方も多いとは思いますが若干本人の研究内容を紹介します。これまでたくさんの研究をされてきましたがその中でも、無電解めっき法による電子材料の研究を中心に進め、その間に種々の成膜法を開発するとともに、組成分析法や構造解析法を習得されています。これが、その後の電子材料やデバイスの開発や商品化につながっています。また、プラズマディスプレイの研究、強誘電体メモリの開発をされてきております。これらの研究により、121編の論文、講演は、国内と海外にて招待講演も含め142題、さらに国内だけでなく、海外(米国、欧州、韓国、台湾)もふくめ33件の特許を取得されています。

ごく最近の研究としては半導体技術の開発があります。着任されてまだ3週間、これまでの企業における研究中心の仕事から教育と研究に専念していただくわけですが、誠実で温厚な人柄と、研究や教育に対する強い熱意をお持ちでありこれから大いに活躍していただきます。
 

代わり映えしない就職活動
関東学院大学
本間 英夫
 
 
厚生労働省の調査によると、1995年以降、大学卒業者の3割以上が最初の就職先を3年以内に辞めているという。この間、日本の経済環境は停滞期に入っており最近では大卒の就職率は70%を切っている。

したがって学卒者が最初に就職した企業に定着しているのは50%くらいになる。残る学生の多くはフリーターや派遣社員、進路変更と専門学校に入りなおす。

このような状況下では価値観は多様化したと言われているが、若者の多くは将来に対する夢はなく、どんどん所得格差は広がり、精神的にも安定した生活が送れないような状況になってきている。

さらには少子化、高齢化、核家族化、これまでの世代間を共有した家庭教育的な伝承もほとんどなくなりつつある。したがって身勝手で、自己保身的で、他人に対する配慮がない若者が増加してきているように思える。

さて、5月下旬、大手企業における本年度の実質的な就職試験もそろそろ終わりとか。学生がやっと卒研に入り、やっとその研究の目的を把握できるとき、また文科系ではゼミが始まったばかりのときに、学生がリクルート活動とHPを開いてエントリー。その後、会社説明会には多くの学生が繰り出し、個々の企業の人事または総務の指示により、いくつかのステップを踏む。その段階で多くの学生はふるい落とされ、最後の人事面接までに残る学生はほんの一握り。

おそらく1ヶ月くらい拘束されるのではないだろうか。学生も必死でいくつかの企業を掛け持ち受験せねばならない。したがって、いわゆる面接受けがよく、成績がよく、一流といわれる大学の学生は、複数の企業からほぼ内定と役員の最終面接まで残ることになる。

そして「本当にわが社に来てくれるのですか」ということになる。例年のように30社も40社もHPを開いてエントリーするという。合格する学生は3から4の複数企業に合格し、合格しない学生は逆に何十社も受験し1年間は受験に明け暮れる者もいるようだ。次代を担う学生の実態がこれでは、大きな教育問題であり社会問題であるがそれほど大きく取り上げられていない。

昨年もこのシリーズで同じことを言ったが、本年も採用方法に改善が認められず、相変わらず学生の取り合い。学生もその間はまったく自分を磨く時間はなく、どんどん彼らのポテンシャルは低下することになる。多くの先生方はお手上げのようだ。

こんなやり方で、しかも採用した学生の3割以上が3年以内に辞めてしまうこの現状を、社会現象とあきらめてしまっているとすれば大きな問題である。

生産現場では血眼になって歩留まりを上げ、工程を改善して生産効率を上げ、また事務の合理化を進めている割には、新入社員を養成し、これからまさに一人前の社員として活躍してもらおうというときに、バタバタ辞められるようでは企業の将来計画に大きな痛手である。経営者および人事関連担当者はこれまでの採用方式を見直す時期に来ていることを認識すべきである。

この種の社会現象をただ現象として捉えるのではなく、国、地方自治体、教育界、経団連や商工会議所などが真剣に考える必要がある。しかし、それには時間もかかり、待ったなしの状況から我々の領域だけでも現状を打破する方策が必要である。



魅力作りの方策は?

リクルート活動に関して上記のように変革期に来ていると述べたが、それでは我々の研究室の就職状況はどうなのか。

そこで労働省の今回の調査に対応して1995年以降、我々の研究室を巣立っていった、約50名の学生について調べてみた。3年以内に最初の就職先を辞めたのは3名で、定着率は極めて高い。これまで中村先生の後を継ぎ、35年以上経過したがその間に公募ではなく、企業と話し合い就職した卒業生は300名くらいになる。これらの卒業生のほとんどは、表面処理を中心とした材料化学関連の領域で活躍している。 

このシリーズでも何度も取り上げているが、近年、産学連携が大きく叫ばれている。産業界と技術的に連繋すれば、学生も自分が手がけている研究の目的、意義を理解し、単位を修得するためだけの受身的な態度から、積極的な研究姿勢へと意識は大きく変わるであろう。

昨今の産業界からの高度技術者の要請から、工科系学科ではいずれの大学においても、学部生4年間、大学院生2年間の6年間一貫教育になりつつある。昨年4月、独立法人化した国立大学を始めとして、いわゆる有名私立大学では、ほとんどが学部から大学院の博士前期課程(マスター課程)に進むようになってきた。

したがって、ここ数年の間に企業の募集条件が大きく大学院修了者に変わってきている。ちなみに、我々の関連業界のケミカルサプライヤー数社の人事担当者の話によると、昨年はほとんどがマスター修了者であり、学卒者はというと教授からの推薦のみという。

また多くの製造工場でもマスター修了者は3割から5割に達しているようだ。大手企業はかなり以前から営業職や事務職以外は、ほとんどがマスター修了者になっている。

したがって、我々の大学でもマスターまで進学させるようにすべきであると、先生方には説いているのであるが、マスターまで進むのは化学関連学科および建築関連学科で25%程度、その他の学科では20%に満たない。これでいいと判断するのであれば、本学の学卒者はほかの大学とは違った魅力(付加価値?) をつける努力をしない限り、工学部として生きていけず淘汰されていくだろう。



卒業生からのコメント

毎回取り上げたテーマーに沿って小生の考えや思いを述べた、このシリーズも長年続けてきたが、ありがたいことに毎回多数の方々が読み、それについての感想のメールを送ってくれる。

そこで今回はその一部を拝借し、卒業生のコメントとして掲載させていただいた。

『ところで、HP上の雑感シリーズ読みました。特に、今月(4月号)のコメントは共感 する事が多々ありました。特に、私がマスターの頃も、既に、3年も浪人していたので、学部生の考えは少し違うな~と思いましたが、最近は特にそれが、加速度的に進行している様に思います。

今年からテクニカルセンター勤務になって、何回か会社見学の学生さんにショールームの説明を行う役が回ってきてしまいました。(でも、これは結構勉強になるのですよ…)

その態度も、聞く態度ができていない学生が多い気がします。入社後も、そのような社員が多い気がします。これは、逆を言えば、我々、入社10年目程度の社員が、そのような後輩をみても、見て見ぬふりになっているのではないかと反省しています。また、先日も少々、ある飲み会で話しがあがりましたが、これはメールの普及(隣の席にいても、メールで連絡する、コミュニュケーションがはかれない人物が増えている感じです。

本間先生のコメントを読ませていただき、私自身、どきっとすることや、反省すべき点が多々あり、有り難うございました。』
 

日独技術移転フォーラム
関東学院大学
小岩一郎
本間英夫

 
本年の2月頃だったか、財団の神奈川科学技術アカデミー(KAST)の産学連携事業担当者から、物づくり分野における産学公連繋に関するシンポジュムを行いたいので是非、講演をお願いしたいと要請があった。

ドイツのザールブルケン大学の教授で、新材料研究所の所長であるSchmidt先生が基調講演を行い、KASTの理事長である光触媒では世界的な権威の藤嶋先生と、小生が産学連携に関して講演をするという計画であった。

技術講演は要請があればお引き受けしているが(但しセミナー業者の講演は受けないことにしている)、内容が産学連携であること、また講師のお二人は世界的な権威、恐れ多くて躊躇した。しかしながら、要請をいただいた時には、あらかじめすでにかなり計画が綿密に練られていたようで、引き受けざるを得ないように仕組まれていた。

しかも、開催場所は我々の大学が一昨年、設立した横浜の中心地、関内のメディアセンターで5月19日にやりたいという。大学に趣旨を説明し、快く場所を借りることが出来た。それからはKASTが中心になって、パンフレットを作成し聴講者を募った。

正直、何人の参加があるか不安であったが、なんと150名以上の聴講希望があり、申し込み期間中に打ち切ったとのことであった。したがって、大講義室だけでは収容できず、もう一つの講義室も使用して、その部屋はテレビ画面で聴講することになった。

ドイツの新材料研究所の講演は、これからの中小企業の研究開発に対して、公的機関や大学の研究所との連携が極めて大切であると説いているので、以下講演の内容をベースにコメントを入れながら紹介する。

なお、新任の小岩先生は先々月の本シリーズにてプロフィールを紹介したように、半導体の企業で研究開発とその事業化を手がけてきた人なので、講演内容を迅速にまとめるセンスは抜群であり、今回はその力を存分に発揮していただいた。



新材料研究所の研究開発

ドイツのザールランド州にある新材料研究所(INM)は、およそ200名の従業員を擁する研究開発センターであり、ナノ粒子の化学合成と加工技術および産業への応用開発に重点をおいています。

INMの研究者は、画期的な商品を世に送り出すことをいつも夢見ていると言われていました。

しかし、ナイロンの発明がDuPont社を10倍にしたような、画期的な新商品が実用化される確立はきわめて低いものです。したがって一般的には、画期的な商品どころか、研究開発が商品化に結びつかない場合の方が多く、実用化に結びつく方が稀であります。

すなわち、野球で言えば、ホームランが打てないどころか、シングルヒットを打つことも難しい状況になってきています。

研究開発と生産の間には、「死の谷」があるとよく言われていますが、この「死の谷」を、効率よく超えることが、現在の最も大きな課題です。

Schmidt教授は、「世の中で使われなければ、何の意味も無い」、と強調しておられました。企業にしても、研究者個人にしても、開発した物が世の中で実際に使用されなければ幸せになる人は、いないことになります。

以上は、皆さんが、分かりきったことであるとで、この目標に意義をとなえる人はいません。では、どうすれば、良いのでしょうか。

全員が、目標は分かっているのに、その目標に到達する手段が分からないで苦しんでいるのが現代です。Schmidt教授は、15年前、現在のようなモデルを提唱されたときには、「砂漠の伝道師」、であったとおっしゃいました。でも、今は、羨望の的です。Schmidt教授の先見性が実証されています。

今回の講演では、Schmidt教授は、その根幹になる思想を、御教授くださいました。以下に、私(小岩)が、理解できた部分について書かせていただきます。

教授が現在、活躍なさっているのはドイツのザールランド州で、第二次世界大戦の後は、しばらくフランス領であったという、めぐまれない環境であったばかりでなく、産業的にも鉄鋼関係の産業が多く、今後のことを考えると新しい産業、新しい雇用の創出を行う必要がありました。

そのような状況下で、Schmidt教授に声がかかりました。しかし、当初、Schmidt教授も、この大きな課題に対して、実現困難と考え、一旦お断りなさったそうです。

種々の経緯の後、Schmidt教授が実際に何を軸としたでしょうか?新しい雇用を生み出すためには、新しい産業が必要です。こんな、難しく、大きな問題を、どのように解決なさったのでしょうか?

Schmidt教授のお答えは、実に、オーソドックスです。奇をてらうことなどありません。

前提は、新しい雇用の創出です。ドイツでは新規に創出される雇用の75%が中小企業によるものなので、中小企業を多く企業化することが必要になります。しかし、中小企業は独自で新しい産業を起こすような研究開発を行うことはできません。さらに、新しい可能性を示しただけでは、死の谷を超えることもできません。

教授は、おっしゃいました。

「知識を開発するだけでは無く、あたらしいテクノロジープロバイダーとならなくてはならない」



「INM研究所が技術を開発し、関連企業とあわせて、全てを企業に提供する。従って、企業から見れば、相手は1つで、全てが手に入ることになる。」



「種々の企業のニーズに合わせるために種々のインターフェースを用意している。」



従って、INMと組むだけで、「死の谷」を容易に超えられます。このモデルであれば、だれでもINMと組みたくなります。

最初、1500万ユーロ(20億円)の公的資金でスタートしましたが、今は公的な資金はゼロで、全て民間からの収入で運営しているそうです。

目的として、新しい雇用を創出することで、その創出するのは中小企業であり、その中小企業は新技術を開発することが困難であるという現状を、INMが技術開発から生産の途中までプロモートすることにより解決しています。

それでは、INMが何故、ナノ材料に注目したのでしょうか?教授はおっしゃいました

「ドイツでは大企業は社内では材料開発を行なっていない。」



「材料は、多岐の分野で使用されるためにマーケットが広いので、開発のリスクが低い。」



「ウエットプロセスを採用することで、大規模な設備投資の必要がなく、中小企業に展開することが可能である。」



以上の観点から、科学技術を利用してナノ粒子を使用した表面加工技術を武器としてウエット技術に展開しています。バリューチェーンを考えると、材料だけでは付加価値は小さく、部品やシステムに展開する必要があり、そのためには、学際的なプロジェクトが必要です。そのプロジェクトをリーダーが引っぱることが必要になってきます。種々のニーズに合うように、組織はプロジェクト毎に組まれ、柔軟な組織構造になっています。

さらに、INMでは、特許の監視や教育事業も行っております。また、ライセンスを積極的に取得して、そのライセンス収入の30%は技術者に還元してインセンティブとしています。

現在、INMの周りには新しい企業ができて、新しい産業が起こり、新しい雇用が生み出されています。その勢いは増すばかりです。

明確な目標を立て、それを達成するための、しっかりとしたビジョンを持ち、それに基づいた体制をつくり、さらに、常に努力を続けて改善していかなければなりません。

以上、書いてきたことを確認しますと、全て、頭では分かっている明白なことです。しかし、明白なことを、確実に実現するのは大変なことです。思うだけなら誰でもできます。しかし、実際に実現できた人はほとんどいません。

表面工学研究所も、INMのように発展していくには、当たり前のことを当たり前に、しっかりと実現することが必要であることを痛感しました。痛感するだけでは駄目で、実行します。



新技術創製モデル

以上、小岩先生に当日のSchmidt教授の講演内容に感想を加えながら述べて頂いた。講演会当日配布された要旨の引用の許可を許可いただいているのでさらに新材料開発とその実用化のプロセスをさらに少し述べてみる。

新材料が市場に投入されるためには、いくつかの課題を乗り越えなければならない。

 一般に、材料メーカーが材料を製造販売し、ユーザーは彼らから材料を買って製品を作る。先ず、新材料のマーケット投入を考えてみると、材料の初期のマーケットというものは一般にきわめて小さい。材料メーカーはその材料が十分な市場規模が見込まれないかぎり材料開発は行なわない。したがって、使用量の少ない表面処理材料はほとんど市場に出るチャンスがない。その結果、個々の製品や表面処理開発に提供されるオーダーメイドの材料の供給はかなり不足するか、ユーザー企業が全く利用できない。

 このような環境の下で市場へのアプローチを実現するために、INMでは、新しいタイプの公共セクターと民間の連携モデルと、材料科学技術と生産技術を融合させるための柔軟性に富んだ戦略基盤を確立してきているわけである。連携モデルが機能するためには、公共セクターは材料に関する「知」を開発するだけでなく、それを製品に適用していくための適切な下流の技術を必要に応じて開発しなければならない。このプロセスをINMでは「垂直的学際性(Vertical Interdisciplinary)」と呼んでいる。すなわち「科学から工学へ」というアプローチである。これは材料の基礎研究に始まり、加工技術そして最終的には製造技術の開発によって完結する。これを達成するために、INMは適切な人材と設備を配置し、これらのインフラを効果的に使うための十分なマネージメント体制を整備している。

 INMの「垂直的学際研究開発」は、化学、物理、材料化学、材料加工技術、化学工学、機械工学、高分子プログラミング、セラミックス及び表面技術に関する設計・製造技術によって構成されている。「知」の生産には、常時20~30人が配置された博士課程の学生たちがあたり、工業化技術については大企業の参画を得るとともにドイツ連邦の資金が補完的に導入されその結果うまれたノウハウが、中小中堅企業(SME)やスタートアップ企業の製品開発プロジェクトに活用される。

INMの技術に基づき、12のスタートアップ企業が設立され、3つの大手企業がINMに基づく新企業を設立している(地域への効果)。一連の製品生産が(およそ40から50)が、ドイツ及びヨーロッパの企業によって行なわれた(ドイツ、ヨーロッパへの効果)。また、海外への多くの企業がINMの研究計画により事業を進める予定であり、例えば日本でも立ち上げが進んでいる。Schmidt教授は触媒化学が専門で1990年までフラウンホーファーの所長を勤められており、その後INMを立ち上げるにあたり、上述のように新素材としてナノ粒子に注目し開発研究が始まった。講演の次の日に研究所に来ていただいて我々の研究所の考え方を説明しまたこれからの産学連携に関してもお話をさせていただいたが初対面にもかかわらずお互い妙に意見が一致した。これからはお互いの領域を生かし共同研究をやろうということにまで話が進展した。
 

環境にやさしい前処理の確立
関東学院大学
本間英夫
 
近年、「環境調和」や「環境に優しい」といったフレーズが、新聞・雑誌などに頻繁に見受けられるようになった。これらは、環境問題に対する取り組みが、WEEE/RoHS指令に代表される様に、欧州(EU)を中心として世界規模で認識が高まってきた証である。

特に、自動車産業における防錆表面処理技術の直面する課題に、欧州ELV指令の環境負荷物質の削減が挙げられる。これにより、 EU域内に市場投入される車・部品などは、原則的に有害物質の六価クロムが使用禁止となる。

我が国でも、PRTR法、家電リサイクル法や自動車リサイクル法などに代表されるような厳しい環境規制が施された。したがって、将来的には前処理工程からも六価クロムなどの有害物質を使用しない環境調和型のメタライジング技術に変更する必要性に迫られている。

これまでABS樹脂を中心としたプラめっきおよびビルドアップ樹脂材料の前処理としてクロム酸や過マンガン酸のような強力な酸化剤が用いられてきた。我々は水だけで密着を得る方法を検討してきたが、研究を始めた頃は水だけを用いてそんなこと出来るはずがないとみんな関心を示さなかった。

我々が意図したのは酸化チタンの光触媒効果を用いれば、水から酸素ラジカルや水酸基ラジカルが生成し樹脂表面を修飾する事によって極めて平滑な樹脂表面に良好な密着性を持った金属の成膜が可能であると確信していたからである。



二酸化チタン 光触媒の特徴

1972年に本多・藤嶋効果の水を分解する反応が見出されて以来、二酸化チタン(以下、酸化チタン)光触媒に関する研究は飛躍的に増加した。その酸化チタンは、化学的に安定で無害な物質であり、化粧品や白色塗料などに広く使用されている。さらに、紫外線(以下、UV)の作用により有機物分解や親水性表面を発現するなどの特性を示す。それにより抗菌、防汚(セルフクリーニング)、防曇、空気浄化など、様々な性能を発揮することから、環境浄化材料として近年注目を集めている。 

もともと、酸化チタンを利用した表面処理技術へ適応できないかと考え始めたのは、藤嶋先生から十数年前に「めっきには錯化剤が使われているが光触媒で分解できるだろうから検討してみないか」と電話を頂いたのが研究の始まりである。

酸化チタンの結晶種にはブルッカイト型、ルチル型およびアナターゼ型の3種類が知られており、前二者のバンドギャップエネルギーが3.0eVであるのに対し、最も光触媒能が高いとされるアナターゼ型のそれは3.2eVである。そのため、波長380nm以下のUVを照射すると光電効果により、電子正孔対が生成する。

それらは酸化チタンの粒子表面に拡散し、電子は吸着酸素に、正孔は吸着水に移行し、活性酸素であるスーパーオキシドアニオン(・O2-)およびヒドロキシルラジカル(・OH)を生成する。さらに、前者は水の存在下ではプロトン(H+)と結合し、ヒドロペルオキシルラジカル(HO2・)を生成する。これらのラジカルは、塩素や過酸化水素にも勝る著しく強い酸化力を有し、有機物を最終的に水と二酸化炭素にまで分解すると言われている。



ABS樹脂へのエッチング代替処理の適用

ABS樹脂は最も身近なプラスチックであり、PCや携帯電話の筐体、自動車のグリルやエンブレムなど広範に使用されている。このABS樹脂にめっきを施す場合には、強酸性で有害な六価クロムを含有するエッチング液を使用している。しかも、本エッチング液を用いた前処理技術は半世紀に渡り継続使用され、しかも代替法に関しても全て酸化剤を使用するものであった。

3年位前から本格的に実験を始めたが、単に水に酸化チタンを懸濁させ上部よりUVを照射する簡便な処理法である。 

まず、酸化チタン濃度をと変化(0~1.0g/dm3)させて密着性を調べたが、酸化チタン濃度がたったの0.01g/dm3の極めて希薄な溶液で効果を発揮し、UV照射時間20分で最大1.2kgf/cm程度の密着強度が得られた。単に水に酸化チタンを懸濁させた溶液で処理をしただけで、クロム酸エッチングを施したものと同程度の密着を得る方法としては画期的な方法である。

その時の基板表面のスペクトルを赤外線吸収スペクトル(FT-IR)のATR法により測定した結果、ヒドロキシル基に基づくピークおよび1700cm-1付近のCOOH基やCHO基に基づくカルボニル基のピークが出現した。このように、改質処理を行うことにより、基板表面に官能基が導入されることがわかった。

改質処理後の基板の電顕像(FE-SEM)を観察してみると、クロム酸での処理では、サブミクロンから数ミクロンの複雑なエッチング痕が、表面だけではなく、深さ方向にも明瞭に観察されたのに対して、本法では、著しく平滑な表面であった。

そこで、改質処理後に触媒付与した基板の断面(TEM)を観察してみると、30~40nmの改質層が出現し、 その層中をエネルギー分散形X線分析(EDX)した結果、PdおよびSnが検出された。したがって、本手法によりABS樹脂の最表面に30~40nmの改質層が形成され、そこに触媒が浸透、吸着し、引き続きNiP微粒子が析出しさらに連続膜となって、ナノレベルのアンカー効果により、良好な密着強度が得られたと考えられる。

ビルドアップ樹脂材料へのエッチング代替処理の適用

現在一般に使用されているビルドアップ用絶縁樹脂を塗布した基板を使用し、この基板を改質処理後、慣用の前処理を施し、無電解銅めっきにて約0.5μmの導電膜を析出させた後、120℃にて1時間の熱処理を行った。引き続き、電気銅めっき浴にて約20μm厚付けし、120℃にて1時間の熱処理後に密着強度を測定した。

その結果、ビルドアップ樹脂材料でも、約1kgf/cm程度の良好な密着強度が得られた。

そこで、基板と銅皮膜間の密着性に関する因子を考察するため、表面形態を電子顕微鏡(SEM)により観察した。ABSと同様、改質処理を施した基板表面には、外観上の変化はほとんど認められず、未処理基板と変わらない平滑な表面を維持していた。

さらに、基板表面が平滑にも関わらず約1kgf/cmの密着強度が得られたので、その密着機構を解明するために、無電解銅めっきまで行った改質処理基板の断面をTEMにより観察したが、ABSの場合と同様、基板最表面に30~40nm程度の改質層が観察された。

さらに、改質処理における樹脂表面の化学状態変化をFT-IRにより測定した結果、1700cm-1および3000cm-1付近にカルボニル基およびヒドロキシル基に起因する吸収ピークを確認した。

したがって、ABS樹脂と同様に、改質処理により基板表面状態が化学的に変化し、改質層内に触媒および金属イオンが入り込み易くなり、樹脂と金属間のナノレベルのアンカー効果により、良好な密着性が得られたと考えられる。



本手法を適用したセミアディティブ法による微細配線形成

従来法および本手法を用い、各々無電解銅めっきを成膜した基板にセミアディティブ法により微細配線形成を行った。従来法により成膜した基板では、ABS樹脂と同様に数マイクロメートルの複雑なエッチング痕が存在し、反射電子像で観察した結果、ラインのエッジ部に銅残渣が確認された。一方、本改質処理により成膜した基板の樹脂表面は、前述の銅残渣も無く、ライン間のスペース部分は極めて平滑であった。

このように、基板表面にはクロム酸でエッチングしたときに見られるマイクロメートルオーダーのエッチング痕が存在しないため、本手法を用いることにより、高精度のファインパターン形成や高周波領域における信号遅延の防止が達成されると考えられる。したがって、本手法は、有害物質を使用しない環境調和型のエッチング代替技術であり、次世代の微細配線形成(L/S=10μm以下)のにも適応可能であると考えられる。現在は装置を大型化してプラめっきに関しては立体形状の様々な部品への本格的な応用、および回路用の基板に関しては電気特性の試験に入っている。また、近年その利用範囲が急速に広がっているフレキシブル材料であるポリイミドフィルムや、液晶ポリマーについても1kgf/cmを超えるような密着強度の結果も得られており、今後の展開に期待の持てる結果となっている。

冒頭にも取り上げたが、近年、環境問題に対する取り組みへの認識が広がっており、自動車、電化製品、食品業界等々…様々な分野において環境に対する影響、保護に対する問題が大きく叫ばれるようになってきている。しかし、我々の表面処理技術という分野ほど、昔から環境問題と真っ向から向かい合い、バランスを取りながら技術を進歩させてきた分野はないと自負している。当研究室も中村先生の時代から、常に環境を意識して研究を進めてきた。そして、これからも先達が行ってきたように、常に環境と向き合いながら、インパクトのある研究を行っていく。
 

学術連携のフロンティアに
関東学院大学
本間 英夫
 
科学技術振興のサイエンスライターが先日、表面工学研究所に来られインタビューを受けた。その記事がJSTニュースに掲載された。内容を見てみるとなかなか的確に表現されているので本号に若干の加筆およびコメントを加えて紹介することにした。



学術連携のフロンティアに

研究と経営は「クルマの両輪」。それを設立の計画段階から強く意識して実践し、初年度から黒字を連続計上。環境管理の国際規格ISO14001の認証も受け、3年目にして委託研究だけでなく入材教育や技術ライセンスの供与にも事業を拡大。順風満帆の船出をした関東学院大学表面工学研究所だが,この成功は一朝一夕で生み出されたものではなかった。その裏には産学連携に関する数十年におよぶ独自のノウハウの蓄積があった。



産学協同のルーツはここに

関東学院大といえば、めっきを中心とする表面処理技術の研究でわが国のリーディング大学として認知されている。現在その核となっている研究者は、表面工学研究所長で同大工業化学科の本間英夫教授である。本間教授は学生時代から独創的なめっき技術の研究開発とその事業化をつぶさに見てきた。「産学協同のルーツは本学にあります」との言葉に、苦楽を共にした先人への尊敬の念も込められている。

「関東学院大学は戦後の設立当初より学内に木工と表面処理の実習工場をもち、自動車のバンパーなどのめっきを手がけていました。1950年代に人って事業部として正式に収益事業が認可され、関東自動車およびトヨタ自動車向けの生産を開始。1962年には世界に先駆けてプラスチックへのめっき(プラめっき)の工業化に成功したことは非常に有名です。私も当時、専攻科生から大学院生となり、研究と工業化のお手伝いをしました」と本間教授。



プラスチック上のめっきについては、そのキーテクノロジーである無電解銅めっきの電気化学的プロセスを解明し、「混成電位論」と呼ぶ理論を提唱したことで同大の技術力は世界的に認められた。(この理論は現ハイテクノの社長である齋藤先生が事業部時代に提唱されたもの)

プラめっき工業化の成功から事業部の規模は拡大。それに伴って利益も出るようになり、一部は「工学部の研究費として還元された。「当時の実験の進め方、新しい技術の現場への適用はすさまじいもので、多くの失敗を繰り返しながら果敢にチャレンジし、最終的にはすべてが成功しました。優れた先生方の強力なリーダーシップのもと、すでに40年も前に産学協同のモデル事業が進められていたわけです」と振り返る。

大学内では手狭になったことから、工場移転を計画。京浜急行沿線の金沢八景・六浦のキャンパスから横須賀をこえて北久里浜に用地を求め、1960年代半ばに久里浜工場が稼働する。そして、折からの大学紛争のあおりを受け、1969年に関東学院から独立する形で関東化成工業株式会社が設立された。現在、トヨタ自動車の一次メーカーとして内外装部品をトヨタグループ各社に供給するなど、幅広い事業を展開している。



小さく産んで大きく育てる

大学の研究成果をもとにベンチャー起業を興す場合、研究者個人と既存の企業が出資するケースが多い。その点、関東学院大学表面工学研究所は、大学と関東化成工業(株)が「21世紀にふさわしい産学協同はいかにあるべきか」を模索して設立にいたった。大学発ベンチャーとしては例外的なケースといえるだろ。経営面での事業設計を任されたのが、副所長の豊田稔氏だ。同氏は関東化成の取締役・開発部部長でもある。

「関東化成の創立30周年の記念式典で当時の社長が関東学院との産学協同の推進を宣言されたのがきっかけです。私が具体案を練る役割を仰せつかったのですが、これは失敗できないぞ、という大きなプレッシャーをまず感じましたね」と笑う。

豊田副所長によると、大学に対しても各方面で活躍しているOB研究者、産業界に対しても、「最も説得力があり、最も成功を収める可能性が高い最適解は何か?」が難しかった。本間教授が研究所を作りたいという気持ちがあるのは分かっていたが、夢とロマンだけでは会社は立ちゆかない。といって他に手本がない。しかし、原点に返れば、自分たちは表面工学に関する研究と教育では国内外をリードする存在。この知的資源を最大限に活用する研究所組織としての経営プランを立て、大学のトップを交えて具体案を煮詰めていったが、それでも準備に1年半かかった。研究所設立にあたってはリスクを回避したいとの声も大きかった。そこで当初は有限会社とし、関東化成の事業所内で300平方メートルの分室から始めることとした。2002年7月に設立。「歴史ある関東学院のCOE(センター・オブ・エクセレンス=卓越した研究拠点)となるように、小さく産んで大きく育てる。その気概は大きかったですね」と豊田副所長。(なお7月25日に増資して株式会社になった)

早速、研究者に加えて、博士課程や学部卒研生を受け入れた、スタッフルーム、ミーティングルーム、クリーンルーム、一般実験室、機器分析室を完備。「各自で整理整頓、床帰除。企業でも通用するマナーも徹底させ、独立採算で初年度から黒字を計上した」という。



強力なリーダーシップと奉仕の精神

豊田副所長の尽力もあって、よりアクティブな研究活動ができるようになり、すでに多くの実績が上がっていると本間教授は語る。最近の成果では光触媒のプラめっきへの応用などが注目されている。「従来のプラスチック上へのめっきは、基材へのめっき被膜の密着性を高めるため、6価クロムや過マンガン酸など環境負荷の高い物質を使っていました。ところがこの技術は、光触媒である二酸化チタンを用いた水溶液中で、基材に紫外線を照射し、被膜の密着性を確保することに成功しました。自動車のエンブレムやラジエーターグリルなどの装飾めっきや、携帯電話などの微細な多層配線プリント基板にも応用できます。有害物質フリーで環境に優しいめっき技術として今後が楽しみですね」と本間教授は期待する。(なお、本技術については先月号で紹介しました)

光触媒といえば、〔財〕神奈川科学技術アカデミー理事長の藤嶋昭博士らによって原理が発見された日本発のオリジナル技術である。同財団は(財)神奈川高度技術支援財団の時代にJSTの地域研究開発促進拠点支援事業に参加しており、同研究所にも研究費を出し支援している。スタートして3年、同研究所は各企業からの委託研究に加えて、表面処理技術のライセンス供与事業、国内外の研究者を受け入れる、人材教育事業、表面処理の基礎および実習講座を開設する教育事業など、事業を拡大し確実に経営の実をあげている。

そこには本間教授と豊田副所長という強力なリーダーシップが「クルマの両輪」として機能している。本間教授は産学協同にはもうひとつ「奉仕の精神」も必要だという。かつて関東学院はプラめっきの研究成果をすべてオープンにした。これは同大学の校訓「人になれ奉仕せよ」を実践したものだ。海外の学会でこの話をすると「あなたの大学はスタンフォード大のミニチュア版だね」といわれるという。産業界と広く連携していくには、「奉仕の哲学」にも学ぶべし。多くの失敗と成功体験から得た本間教授の貴重な教訓だ。



以上はほとんど修正しないで原文を紹介しました。科学技術振興機構からはJST NEWSが数十冊送られてきたのですが部数が少ないので許可を得て転載する形式を取り皆様に紹介いたしました。
 

踊り場を脱した日本経済
関東学院大学
本間 英夫
 
8月上旬、4年ぶりに日経平均株価が高値を更新した。先日、雑感シリーズの読者の一人から「たまには以前のように、ちょっと砕けた内容の読み物も頼みますよ。株に関する雑感面白かったですよ」との感想をいただいたので、株について少し取り上げることにした。

このシリーズで5年位前に、財産管理に関して自分なりの考えを記したことがある。金利が低下しているから銀行に預けても利子がお涙金、それならば自分で直接投資をするのが得策と。

さて、高度成長期(89年12月)につけた3万8千円のダウ平均が、バブルが潰えて7千円台(2001年4月)までに下がったときは、株には手を出すものではないと一般投資家も数が減り、ましてや新規に投資をしようとする人は変わり者扱いされていた。

実際、ダウで5分の一近くに売りたたかれたのだから、株を売買しないで塩漬けにしていた場合は、平均すると資産が5分の一になったことになる。中にはこれからIT時代到来とソフトバンクやNTTを集中して高値で購入していた人にとっては、さらに資産を減らしたことになる。当時はもう株式欄を見るのがイヤになって、気持ちがすさんでいた人も多かった。健康にも良くなかった。しかも、そのような状態が長く続いたから、なかなか株式投資を話題にすることも出来なかった。

ところが、金融機関の不良債権処理を初めとして、多くの企業で思い切ったリストラを始め、整理統合が進められ、血のにじむような努力を重ねた結果、企業の体質も健全になりつつある。日本株は低位に放置されており海外投資家からは魅力があるようだ。

やっと日本経済も踊り場を抜け出したと政府、日銀ともに8月上旬に一致した見解を発表した。しかしゼロ金利は依然として続いており、しかも銀行は何度も再編、銀行がつぶれた場合はペイオフで全額保証から定期貯金の1000万円しか保証されない制度になった。日本では、貯蓄することが美学のように言われてきたので、それでも一般の人は銀行や郵便貯金とせっせと貯蓄している。しかも今後の少子高齢化に伴い、年金に関しても不安材料が多く、老後の不安から貯蓄せざるを得ない。



健全な投資を

個人の貯蓄総額は1500兆とも言われているが、昨年あたりから証券会社が個人投資家を獲得する動きが出てきている。

たまたま、ある会社のSOを行使し新株が郵送されてきたので、何年ぶりかで証券会社の窓口に出かけた。証券会社の窓口のイメージは、主要企業の株価が大きなボードに示されており、そこには数人の年配の男性が食い入るように見つめている。そして、中年から年老いた女性が窓口の若い女性と相談しているような、これまでの証券会社の窓口風景は、だいたいどこも同じで、あの雰囲気にはどうもついていけず、よっぽどのことがない限り窓口には出かけなかった。

しかしながら、雰囲気はまったく一変していた。クライアント用にいくつかのブースが作られて照明、フロアー、そのほか雰囲気がまるで違い、一人一人に綿密に対応しているようであった。サービスを向上させ、高額貯蓄者をターゲットに、個人投資家の獲得に注力する戦略が、主要証券会社で進められているようだ。果たしてこれが成功するか、中高年の資産を持っている人に狙いが定められているようだが。

プッシュホーンが世の中に出て、しばらくして電話回線で注文が出せるようになって、もう20年くらいになるが、そのシステムを利用していた人は限られていた。最近はインターネットを介してのイートレードによる取引が一般的になり、いちいち証券会社を介して注文を出さなくても、パソコンおよび携帯電話からも注文が出せるし、そのほうが手数料も安く煩雑さがなくなり便利になった。

デイトレーダーと称して、退職した人、会社を辞めた人が毎日パソコンの前で首っ丈になり、一日のうちに何度も売買するという。

テレビでもこの種の内容が報道されたこともあるが、ギャンブル的でゲーム感覚。これまで蓄積してきた自分の財産を投じて、没頭している姿を想像すると幻滅を感じてしまう。それでも最近は、そのような人が増えているというから、毎日がお金お金で、それこそ日々の生活には充実感があるのか、守銭奴というか欲望に凝り固まった醜い人間の一面が見えてくる。

若い頃に、数百万円を親からせびるとか、アルバイトで稼いで、それを資金にして投資の訓練が出来ていれば、自分なりの投資のスタンスが出来上がってくるものだ。

株式投資はあくまでも「投資」で「投機」ではなく、経済情勢、技術動向を知りながら長期投資のスタンスで臨み、大きく下げたときに買いを入れ、大きく上がったときに一部を売るようにすれば、ほとんどリスクはないはずであり、これが個人投資家として一番健全な姿ではないのだろうか。



景気は上向く

大企業の3分の2が今年度後半に景気はさらに上向き、過半数の企業が自社の業績も良くなると見込んでいることが、主要企業のアンケートでわかったという。政府は8月9日、景気の「踊り場」脱却を宣言したが、企業も景気の先行きに自信が出てきているようだ。ただし、郵政民営化法案の参院否決で急きょ総選挙が実施され、政治の空白が景気に悪影響を与えることを懸念する声もあるが、一時的には影響するかもしれないが、実態がよけなれば問題はないであろう。
 景気の現状については「緩やかに回復している」との回答が、「横ばいの状況」の2倍に上った。05年度後半の景気見通しについても「今より良くなる」が、「変わらない」を大きく上回っており景気の先行きに対する企業の見方が大きく改善している。
 特に製造業では「良くなる」とした企業が7割近くに達し、設備投資を増やす動きも顕著で、輸出が好調な自動車産業や、需要が急増している鉄鋼などの素材産業で回復感が強まっている。景気を表すのにガイ、トウ、ショウ、コウという言葉がある。すなわち、外需→設備投資→消費→公共事業、このサイクルで景気が循環するという。今まさに踊り場を脱却しその循環のスタートラインについたのか。原油価格の高騰、それに伴う素材価格の上昇が、今後の企業業績を圧迫する懸念材料であるが、衆院解散・総選挙の結果とあいまって景気に与える影響は?



空の不祥事

日航機墜落事故から20年を迎えたまさにその8月12日に、離陸直後のJAL便、エンジンから火が噴きだし、急きょ空港に引き返した。乗員13人、乗客216人にけがはなかったが、空港近くの住宅地に同機の部品とみられる数百個の金属片が落下。国土交通省は対策本部を設置し、調査を開始した。
 日本航空によると、エンジン排気口から、金属片が見つかり、エンジン内にあるコンプレッサーブレードかタービンブレードの破片とみられ、破損して落下したと報告している。離陸前の目視による点検では、異常はなかったというが、テレビの画面に映し出されたエンジンからのズドーンと赤い火が噴出した状態を見ていると、あれでよく大惨事にならなかったものだと胸をなでおろす。相次ぐ空の不祥事。絶対におきてはならないような不祥事が続いている。利益が出る体質を急ぐ余り、効率追求、コスト削減、子会社化、安全対策までが人員削減、コスト削減、効率追求に曝され、細心の整備、点検がなされていなかったのではないだろうか。

愛社精神の欠落、担当業務の無責任、特にエンジニアリング部門において、技能者、技術者の誇りと自信がもてないような状況が根底にあるとすれば、この種の空の事故は勿論のこと、車のメーカーに見られた事故、食品メーカーの改ざんを初めとしてその後に続いた事故、放射性物質取り扱い事故、プラントの爆発事故、その他もろもろの事故は続くだろう。JRの事故も元をただせば効率追求、安全管理体制の不徹底に起因していたのであろう。団塊世代の大量退職時代を迎え、如何に技能、技術を次の世代に伝承していくかまさに大問題である。特に若い世代は責任感が欠落しているし、マニュアルどおりのことしか出来ないとか、応用が利かないとか、中には無気力でいわゆるニートといわれる若者が60万人以上いるとか、若者に対して余りプラスのコメントは聞かない。

ここ数年、時間が許す限り、学生と朝から晩まで付き合うようにし、人間教育に努めている。幸い社会人ドクターからマスター、学部生まで年齢構成は22歳から35,6歳、さらにはスタッフが40過ぎ、小岩先生が40歳後半、小生が60代。いろんな話題、学生の意識付けには教員が一人で当たっているわけではないので、この三十数名からなる小集団は教育と研究の理想的な単位ではないかと自負している。
 

新世紀ドイツ事情
関東学院大学
本間英夫
 
新生ドイツの政治・経済

9月の中旬に新生ドイツの約4分の3強を8日間バスで南北に縦断するという、ハードなスケジュールで企業および研究所視察をした。しかし、バス利用の場合、飛行機の利用に比べると、チェックイン、セキュリティーチェック、トランク待ちなどはまったく無い訳で、それらを考えるとほとんどがバス移動だった今回の旅は、それなりに正解だったともいえる。

ただ、会社訪問後に400㎞も移動するなどは行程的にかなりきつかったことも事実だった。今回ドイツの事情と題して雑感シリーズに紹介することにしたが、吉野電化工業の吉野さんがうまく纏めてくれたのでほとんど原文のまま皆様に紹介することにした。

 さて、ベルリンを訪問するのはこれで4、5回目になるが、ベルリンの壁がなくなる前に、化学薬品メーカーを訪問した時には、最上階の会議室から、その東西分断の壁が大変よく見えたことを思い出す。100m毎に築かれた東ドイツの監視塔にはマシンガンを持った監視兵がおり、コンクリートの壁は2重の有刺鉄線で守られていた。1989年11月9日、あの壁が一夜にして多数の民衆の力により、無血で崩壊してしまったのは、周知のとおりである。

 東西ドイツ統合後しばらくしてドイツを訪れる機会があったが、東側と西側では街の明るさ、交通量などから見ても格段の差があった。その後、経済的にはかなり一体化が進み、道路事情の悪かった東側の整備も進み、最近では東側の方がインフラ整備の面で整ってきているようであった。一方、2006年のサッカーワールドカップを期に、アウトバーンの拡幅工事などの関連事業に力を注いでいたために西側の整備が手薄となり、現在ではむしろ西側のほうの遅れが目立ち、それはバスの車窓からもよく確認できた。

 一方、東西ドイツの統合で人口が増え、また、過去の鉄鋼産業が活況を呈した時代には、トルコを初めとする大量の移民を受け入れたこともあって、複雑な人口問題を生じていた。現在もこのトルコ移民の二代目、三代目の人たちがドイツ人やドイツの社会環境となかなか融合できないという問題を抱えており、人種問題の火種となっている。こうした状況は将来の日本でも移民を受け入れた場合、起こりうることが予想され、ある意味でそのモデルとなっている。

 こうした問題を含め多くの課題を背負ってシュレーダー首相は解散総選挙に打って出たわけだが、我々がドイツを訪問していた9月18日の前倒し総選挙の結果は、現政権の大敗という予想に反して2大政党が大接戦となり、ドイツの政治・経済に大きな混乱をもたらすのではないかと危惧されている。連立政権がどうなるのか、フランス政治の不安定さやイギリス・ブレア政権との関係も含め、EU内の政治力学に影を落としている。

 各政党が掲げた経済政策、特に雇用に絡んだ問題は、今後のドイツの国際競争力と深く結びついていく問題であり、改革がどういう方向に進むのか、日本と同様気になるところである。

従業員にとって充実した社会保障制度が、高い労働コストを生み出しており、人件費は高騰し、単純な比較は出来ないものの、ポーランド、チェコ、ハンガリーなどの後進EU国と比較すれば、人件費が10倍にもなっているとも言われている。すでに現在の社会情勢下では、こうしたグローバリゼーション化の波にはドイツといえども逆らえない。

この傾向は最近さらに激しくなり、最も顕著な事例では、より賃金格差の大きさを求め、ロシアにまで進出をしているようであった。



新世紀の体制作り

こうした中で産業界がどのように対応しているかを、今回の視察では垣間見ることが出来た。

大きく目を引いたことは、

(1)産業の花形が電子機器産業から自動車産業に移行していること。

(2)研究機関と民間企業の連携がうまくいっていることの2点であった。



1.電子機器産業の苦悩と燃料電池車への期待

かつて大変鼻息の荒かった電子部品企業の代表格とも言える、O社を訪問したが、O社はかなり苦境に立たされているように見受けられた。

過去にもO社には数回訪問しているが、いつもこの会社は、溢れんばかりの仕事量と、機械の受注で賑わっており、常に工場中が活気にみちていた。しかし、今回は何か工場がうすら寂しく感じた。

社長の話によると、得意先からの仕事の話と言えば、コスト・コスト・コストとのことで、社長は世界中を飛び駆け巡り、今や中国にもポーランドにも進出しているという。しかしこれは行きたくて行ったのではなくて、行かざるを得なかったと語っていた。

 産業のフォーカスがエレクトロニクスから自動車に移行しつつある中、特に注目を集めているのは燃料電池車関連である。ドイツでも石油系燃料は高騰していて、ディーゼル用軽油が1リットルあたり1.1ユーロ(約150円)、レギュラーガソリンが1.2ユーロ(約163円)、ハイオクガソリンが1.3ユーロ(約177円)となっている。

水素ガス燃料電池車の燃費は、単純な比較は難しいが、エネルギー量換算で、1㎞あたり0.33リットルとのことで、ディーゼル車の0.4~0.5リットルに比べて4割ほど燃費が良いと考えられる。水素ガス燃料電池を積んだ「Nebus」はダイムラークライスラーが製造している燃料電池バスで、かつて欧州10カ国で30台ほどと聞いていたが、今回はいたるところで目にした。

運転手によると、今では数え切れないほどの台数だということだ。

 「Nebus」は、バスの屋根上に設置された7本の150リットルシリンダに貯蔵された、300バールに圧縮された水素を燃料にして走行する。燃料電池スタックには定格各25kwの燃料電池10個が収められており、このスタックが駆動装置に190kwの電力を供給する。

バス車両が1度の燃料補給で250㎞の走行が可能であること、および最高時速が80㎞であることが、必要条件として求められている。全体的エネルギー効率は37%。燃料電池の唯一の副産物は80℃の温水で、これは、バスの暖房装置で再利用できる。ドイツの技術検査協会(TUV)が、公共輸送機関としての「Nebus」使用をライセンス供与している。

日本は今ハイブリッド自動車で世界の先端を走っているが、燃料電池自動車に関してはEUに主導権を握られるのではないかと危惧される。日本では燃料電池自動車の実現性があまり論じられていないように思うが、ドイツでは現実問題として非常に良く論じられていた。

実用化に関する研究として、水素環境下に於ける材料の耐磨耗性、機械強度、耐食性が検討され、触媒としての白金めっきの研究もされていた。

また、ヒュンダイのワンボックス型タクシーを数都市で見かけたのも気になる。かつてホンダのオデッセイがニューヨークのイエローキャブに、一度に1,000台大量採用されたとして、米国で非常に大きなニュースになったが、価格・燃費・耐久性でタクシーに使えると認められるまでに日本の自動車産業が50~60年かかったと思われるのに対し、ヒュンダイはその半分ほどで自動車国ドイツのタクシーに採用されたということは、韓国の技術の進歩がかなり速く、近く日本車を脅かすのではないかと心配である。



2.横断的な産官学の連携

今回の視察を通して日本が学ぶべきことはいろいろあったが、中でも産官学連携のあり方には考えさせられた。

 訪問先の貴金属関連の研究所で、経済問題などを話し合うことが出来たが、「ドイツでは家を直すと、工賃として、時間あたり50~60ユーロを請求されるが誰もそんなに稼いではいない。労働集約型産業はすべてポーランド、チェコ、ハンガリーまたはロシアまで行ってしまうだろう。

ドイツの生き残る道は知的能力、創造能力集約型とでもいう産業しかないだろう」という話しで、まさに日本のこれからの行き方と同じだと感じた。

今回の訪問で、最先端分野に力を注ぎ、巧みに生きている企業を訪問することが出来た。

それは顕微鏡膜厚計や硬度計などを製造している会社では最先端技術を盛り込んだ製品を、内製化率60%以上で生産し高収益をあげていた。驚いたことに一般的には後進国で行うと想像されるアンプの巻き線から、ハーネスのはんだ付けまで全てドイツ国内の工場で内製しており、それものんびり・ゆったり・まったり行っていた。製造ノウハウはブラックボックス化しているので外部に漏れず、秘密防止にも適しているようだ。

続いて、大学の併設研究所および公的研究所を訪問して産官学の連携について実態を見聞できたが「連携は非常にうまくいっている。研究所、大学は学会へ発表するだけでなく企業が要求する現実的ニーズに近い研究を成果主義で行っている。ビーカースケールから1,000~3,000リットルレベルのベンチスケール、あるいは量産レベルまで検証している。」と語っていたが、我々も基礎、応用、実用化にいたる研究を行っており多くの点で意見が一致したし、これから益々日本でもこの種の連携を強める必要を感じた。

研究所の傾向として、"multidisciplinary"、つまり複数の専門分野に関連する一つの研究課題を、横断的な活動によって達成する体制ができていた。たとえば、化学工学、軽金属、表面工学、電気化学、物理、プラズマ工学、環境工学等の研究員達が、一つのチームを作って活動していた。



まとめに替えて

苦悩するドイツにあって、企業は今後どの方向に行こうとしているのか、それらを知ることでこれからの経営をどうするのか、視察を通して考えさせられた問題は多々あった。

また公的な研究機関においては、政府からの膨大な支援と企業からの委託研究で評価ツールは整備され研究を行う環境はうらやましいくらいであった。

しかし、研究所のトップは、基礎研究から応用にいたる研究過程においては、高度な機器分析をはじめとして付帯設備がどんどん増強されアクティビティーは飛躍的に上昇するが工業化のめどがたった段階で、これらはすべて博物館や展示場と化してしまうと嘆いていた。5月の中旬にザール州にある新材料研究所の所長と小生(本間)が講演をしたことがきっかけで今回は産学連携がドイツでどのように行われているか、表面処理以外の研究機関を中心に訪問した。さて、幕末の日本に、欧米の政治や文化、経済、社会などを「西洋事情」という書物で幅広く紹介した福澤諭吉先生にあやかり、「新世紀ドイツ事情」というタイトルで紹介したが、読者の参考になれば幸いである。
 

景気動向
関東学院大学
本間 英夫


 
政府、日銀は引き続き景気が踊り場を脱し緩やかな成長軌道に入ったと先月に続いてコメントしている。すでに景気動向の先行指標であるダウ平均株価はそのあたりは織り込み済みで、昨年までは1万1千円を挟んでこう着状態であったが、今年の6月頃から着実に値を上げ、10月中旬には1万4千円を覗う勢いであった。

さて、われわれの業界はどうだろうか。先ごろ関連企業の所得ランクが業界向けの新聞に発表された。一部で順位の入れ替えはあるものの、利益を出している企業は例年通りほぼ同じであった。またこの2年間の所得は押しなべて大きく上向いているようだ。

そういえば、2年位前までは、表面処理関連業界の経営者の多くは仕事がなくて大変ですよといっていたが、最近はあまりこの種の話題は上らなくなった。むしろ技術力の向上がキーになると技術者の養成に力を入れだした。

ハイテクノの上級講座は開講してすでに40年になるが、10年近く前だったか企業は軒並み収益が上がらず、受講生が大幅に定員割れのような状態に陥ったことがある。当時30年も続けてきた講座だが隔年開講やむなしとの提案もあったが、それを退け、講師の見直し、講師料の削減、カリキュラムの再編成など斉藤先生を中心に大きな努力が払われ、中断することなく講座を進められてきた。それが昨年からは受講生が大幅に増え、本年も募集期間中であるが出足がいいようだ。これこそ景気の先行指標ではないだろうか。

各企業では新規採用を抑制してきたが景気の回復とともに、昨年あたりから多くの企業で新しい人材を確保するようになって来ている。さらには本講座では卒業研究と称して、各自が1年間かけて調査研究を行うことになっており講座の最後の2週間は研究発表会を開催している。

10月中旬から下旬にかけて発表会が行われたが受講生のほかに関係者が集まり例年になく盛況で教室が満杯になった。製造業では技術が命であり経営者も意識が大きく変わってきているように思える。



日本の製造業がトップを維持するためには

戦後の日本経済復興は当時、欧米の技術を取り入れ、創意工夫、改良、改善のもとに大きく成長してきた。しかしながら、情熱を傾けてきた多くの戦後のベビーブーマといわれる世代の技能者、技術者はそろそろ大量に定年を迎えることになる。しかもこれからの日本の製造業は、自らが発想し創造していく高度な技術力が要求される。

これまで何度か技術の伝承の重要性を説いてきたが、果たして各企業でスムースに伝承されてきているのか不安だ。不安の要素は多岐にわたり自分自身も学生の指導に関してそのあたりを意識して表面処理の基礎から指導していかねばならないと来年度から少しやり方を変えていくことにした。



いかに技術力を高めるか

これまでの高度成長期、しかも西欧諸国に追いつけ追い越せの時代は、先進諸国で扱っている同じ装置を導入し同じ薬品を購入すれば何とかなった。しかし成熟した製造技術では、どこでも誰でも同じ品質のものを作ることができるので、もはや品質というよりもコストの勝負になってきている。さらにはグローバル調達、現地生産と日本の物づくりの優位性がなくなるのではと不安になる。 

最近、表面処理に関する基本的な問い合わせがあるが、薬品メーカーも含めて次代を担っていく技術者の再教育がぜひとも必要であると痛感している。

最近の学生を見ているとよく言われるマニュアル人間、まさに的確に最近の若者をあらわしている。情報機器を中心に多機能化した製品が出回り、それらを駆使するためにはマニュアルに頼らざるをえない。

一昔前は一製品に一機能、せいぜい数種の機能が付加されているに過ぎなかった。したがって自分でメカを熟知し、自分なりに愛着をもって直したり、いろんな工夫ができた。しかし最近の傾向として毎年のように、いや数ヶ月毎に新製品が発表になり、それに飛びつき早速マニュアルに首っ丈になる。彼らはあの分厚いマニュアルをこれまでの製品の延長だからとポイントだけをザーッと見て、目的の製品を使いこなすというか使われている。

規格化された物づくりではこのマニュアルが必須のアイテムであるが、コンスタントに良品ができているときはこれで十分である。ところが不良が出だすとこのマニュアルは通用しない。われわれの会社にはちゃんとトラブルシューティングのマニュアルがあるから大丈夫だという人もいるだろうが、ではなぜそれでも不良の山になるのだろうか。

現在の企業における技術研修や技術教育は受験勉強のようなハウツーになっていないか、ちょっと企業の経営者や上司はここで一呼吸入れて考えてもらいたい。

来年度からハイテクノとも連動し実習つきの講座を表面工学研究所で企画立案中である。ハイテクノの講座ではプリント基板を中心とした実装関連のかたがたの受講が少ないようだがこの領域は日本の産業界の中でもサポーティングインダストリーとして大きな役割を担っているので是非成功させたい。また、めっきを中心とした基本的な技術や容量分析、機器分析法についても実習をやる予定である。



理科系大卒の女性

2005年版の経済協力機構(OECD)によると理科系の大卒に占める女性の割合はイタリア35%、英国34%、米国32%、フランス30%、ドイツ23%と続き、日本がなんと加盟30カ国中最低で14、4%。また24歳から35歳の就労者人口に占める女性の理科系大卒者も0,5%で韓国の3,5%フランスの1,9%などに比べてきわめて低い。

このように日本においては高学歴者のうちで女性はあまり活用されていない。しかしながら表面処理の企業において、工程の管理は分析が一番重要であり、この種の業務にはぜひとも女性に活躍してもらいたい。しかも単にルーチンで分析をやるのではなく分析結果あるいは個々の工程の最適な管理やトラブル発生を未然に防ぐシステムを構築したりすることも重要である。

さらには本来の研究職として新技術の開発業務に採用されることを望む。来春博士後期課程を修了する小山田君は、小学生のときからめっきに魅せられ高校時代は自ら化学クラブの長として無電解銅めっきをはじめとして、ニッケルおよびコバルトに関しても研究し、われわれの研究室に志望して卒研、修士課程2年、ドクター課程3年と計6年間研究生活をし、大きく羽ばたこうとしている。これまでは3K産業といわれてきた表面処理関連企業も体質が変わり、このような新進気鋭の女性が活躍できる場を提供されるよう望む。



表面処理における偶然の大発見

これまで本シリーズで何度かセレンディピティーに関して話題を提供してきたが

来月から、これまでの40年以上にわたる経験を中心にした偶然の発見、中には大発見もあるがそれを紹介したい。
 

偶然の発見
関東学院大学
本間 英夫
 
もう既に15年位前になるが、セレンディピティーについてシリーズで紹介したことがある。セレンディピティーという言葉はセレンディップ(セイロン)の3人の王子のおとぎ話に由来しており、王様が王子達に旅をさせ、その旅程中に偶然に、いろいろなものを発見していくことから、思わぬものを偶然に発見する能力や幸運を招き寄せる力を表現するための造語になっている。

始めてこの言葉を知ったのは20年以上前になるが、糸川先生の技術の啓蒙書だった。当時は、まだこの言葉はほとんど日本では使われていなかった。自分自身も研究の過程で多くの偶然に遭遇し、それを元にしてその後大きな技術の展開につながっているので、いずれ機会があればこの言葉を紹介したいと思っていた。それが実現したのは15年前の学会誌の巻頭言の依頼が来たときであった。 

最近では野依先生、白川先生、小柴先生、田中さんの一連のノーベル賞受賞者の研究が偶然による発見から展開されていると紹介されるようになってきてから、セレンディピティーという言葉は有名になった。

すなわち、野依先生の不斉触媒合成の発見、白川先生の導電性ポリマーの発見、小柴先生のニュートリノの発見、田中氏によるたんぱく分子の質量分析手法の発見、これらのノーベル賞に輝く研究は、実験研究の過程でのセレンディピティーがきっかけになっている。

このように、発見には偶然がつき物だが、果たして偶然だけで新しい発見は可能だろうか。これまで私自身、この40年間にいくつかの発見をしてきたが、予想外の実験結果が新しい発見につながっている。偶然との出会いは旺盛な好奇心や深い洞察力がないと、目の前に発見のきっかけとなる現象が起こっても、それを受けとめる心の準備が出来ていないと見えてこない。



アノードバックと光沢剤

表面処理の領域における偶然の発見としてあまりにも有名な硫酸銅めっきの光沢剤から話を始めよう。

硫酸銅めっきの主要成分は硫酸銅と硫酸、それに微量の塩素イオンから構成されている。現在はその中に数種の添加剤が光沢剤、平滑剤として添加されている。

中村先生から何度も聞いたことがあったが、プラめっきの開発当初、いくつかの問題点があった。その中でも特に苦労されたのが光沢硫酸銅めっきであった。当時の苦労話を「なせば成る~めっき馬鹿人生50年~」にお書きになっているので、引用しながら話を進める。

世界に先駆けてプラめっきの工業化が本学の事業部で行われていた42、3年前、光沢のある銅めっきができなければ表面を研磨せねばならず、せっかくのプラめっきもメリットが出てこない。

先生が昭和39年にアメリカに視察に出かけられた際、セントルイスの展示会で光沢酸性銅めっきの光沢剤UBAC(ユージライト社)が紹介されていた。帰国後、荏原ユージライトに問い合わせたところサンプルとして僅かばかりあるとのことであったので、それを分けてほしいと全部強引に買って評価された。

確かにそれを添加してみるとめっき皮膜は、光沢もよく、柔軟性もあり、これで問題解決かと、喜んだのもつかの間、使っているうちに血のような細かい陽極スラッジが出て、それがザラつきの原因になり、ろ過しても取りきれなかった。これには、先生もすっかり困って、あきらめて別の光沢剤を探さねばと思っておられた。

しかし、たまたま文献を読んでいるうちに、さらに10年ほど前のイギリスの文献の中に陽極として燐を0.1%くらい入れた銅板を使用すると、陽極の表面に黒色の膜ができてスラッジを防ぐことが出来ると書いてあり「これだ!」と思ったとのこと。

しかし、含燐銅板を特別に作ってくれるところは日本にない。そのとき「そうだ!」と思いつかれたのが燐青銅の板を使ってみれば、うまくいくかどうか見当がつくだろうとひらめかれた。いかにも中村先生らしく予備実験もせずに、めっき槽全面に燐青銅をつるしてめっきしてみたところ、銅板では赤い血のように液面に浮いてくるはずのスラッジが見事に止まった。このとき「しめた!」と思ったという。もちろん、しばらくしたら銅めっき液が使えなくなった。燐青銅中のスズが溶出したからでめっきは、どす黒くなった。だが、これで燐を入れればよいことはわかった。しかし、何パーセントがいいかわからない。そこで古河電工研究所の所長をしていた後輩に頼んで、燐の含有量の異なる数枚の銅板を作成してもらい、基礎実験をしたところ0.06%が最適であることを突き止められた。

当時は知的所有権など意識せず、銅合金メーカーにこんな物を作ってほしいとお願いしたところまで先生は覚えているという。先生は当時、たまたま英国の文献を見て電極を作っただけで研究開発者ではないからと、学会には発表されなかった。しかし、発案者は先生であり、この開発がなければ、今日のような光沢硫酸銅の隆盛はなかったのである。

ところでUBACという光沢剤であるが、これはユージライト社で50年以上前、偶然に発見された。あるとき、パイロットプラントで硫酸銅めっきの加工をした際、中村先生が経験されたのと同じようにアノードから銅のスラリー状の沈殿が生じたのであろう。そこでそのスラリーが溶液の中に縣濁しないように、古いセーターの袖を切り取り、袖口を結んだ上でアノードバッグの代用にした。すると、今までにみられなかった光沢外観に優れためっきが得られた。セーターから溶出した青色の染料が光沢剤の作用をしたのである。この偶然の発見から、その後は多くの染料の光沢に対する効果を徹底的に調べられ特許出願されたのである。この出来事をきっかけに同社の硫酸銅めっき技術が大きく進歩した。



特許に見る硫酸銅めっき添加剤システムの進歩

硫酸銅めっきの添加剤に中でもブライトナー(brightener)は、めっきの結晶を緻密にして光沢を与える役割を担う、最も重要なものである。初期の硫酸銅めっきでは、ニカワ、ゼラチン、カゼイン、糖蜜をはじめとした糖類、尿素、フェノールスルホンなどがブライトナーとして用いられたが、その効果は十分なものではなかった。

現在では有機硫黄化合物がブライトナーとして広く用いられているが、この化合物の最初の特許出願は1941年3月、米国ゼネラルモーターのPhillipsらによって成された「チオ尿素」に関するもので、1949年に特許となった。その後、チオ尿素を有する化合物に関する特許出願が数多く成されている。

また、有機硫黄化合物の中でも「スルホン基を有する有機硫化物」がブライトナーとして最も優れており、現在でも広く用いられている。このスルホン基を有する有機硫化物の光沢効果に関する特許は、チオ尿素出願の7ヶ月後であった。現在ビアフィルに多く使用されているビス(3スルホプロピル)ジスルフィドに関しては1967年のユージライト社による米国特許を待たねばならなかった。

現在、硫酸銅めっきではレベラー(leveler)としてヤヌスグリーンBをはじめとするフェナジン系染料が広く用いられている。

さらには、現在の硫酸銅めっきではポリエーテル化合物がキャリヤー(carrier)として用いられるが、この効果をはじめて見出したのはユージライト社であり、特許出願は1962年、米国において行われ1966年に成立している。このように1960年代までのユージライト社は酸性硫酸銅の添加剤では多くの実績を持っている。

現行の硫酸銅光沢剤システムは、これらの添加剤の開発でほぼ完成されたと言えるが、その後、日本では奥野製薬、ドイツのシエーリング(現アドテック)そのほかの薬品メーカーで多くの添加剤に関する特許出願がなされている。今回はユージライトの宣伝のようになってしまったがプラめっきとともに成長してきたのは事実である。

このように、技術開発過程で偶然の発見が産業の発展に大きく貢献しているのである。

次回は無電解めっきが偶然に発見された話と、自分のこれまでのこの種の経験談を予定している。