過去の雑感シリーズ

2014年

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めっき不良の80%は装置から
松下技術士事務所
技術士(機械設計講座講師) 松下哲夫
 
 私がめっきの業界に携わったのは、今から37年まえでした。大学では機械工学を専攻し、卒業後、会社ディーラーの修理部門で自動車の修理、いわゆる自動車修理工をしていました。
 その後縁があり、制御盤を製造する会社に就職し、制御設計をすることになりました。
 当時の制御盤は、リレー制御と言ってリレーを多数配列した制御盤でしたが、いまは、シーケンサと呼ばれる便利な道具があり、制御設計も楽になりました。射出成型機やダイキャストマシン等の制御盤の設計をし、鍛造プレスの数値制御を設計したときにこれで制御は極めたと思いました。 
 当時、機械も制御も分かるエンジニアは、貴重な存在で、両方の技術を生かして仕事ができる産業設備の会社に再就職できました。
 たまたまその会社が金属の表面処理装置のメーカーで私がめっきの業界に一歩足を踏み出した瞬間でした。 
 機械技術者は一般に化学が苦手で私も例外ではなく、どうも化学は見えないし、1+1=2が成立しないことがあるなど、機械技術者には理解できないことが多い分野でした。
 ところが、こともあろうことか機械、制御がわかる技術社として最初の仕事は、バレルめっき装置のクレーム処理でした。
 北陸のめっき会社へ納入したバレルめっき装置の「整流器容量が足りない」というクレームでしたが、めっきのことは何も分からなかったので、上野駅の近くで、メッキに関する書物を三冊買いこみ、7時間もかかる電車の中でこれを読みながら乗り込みました。
 私はめっきに関しては、本に書いてあることしかわかりませんが、本に書いてあることは当然のように正しいことだけでしたから、相手と話をしていても、私は正しいことしか発言しなかったのです。
 めっきの本には、金属イオン濃度を高くすれば、陰極電流効率が高くなり、めっきは速くなるとありますから、その通りのことを先方に話し、しぶしぶながら金属イオン濃度を増やしていただきました。
 なんということでしょう、めっきは装置の仕様通りの薄膜が着き、無事、クレーム対応任務を果たしたのです。
 このときから私は化学、特に電気化学が計算通りにめっきが着くことに大変興味を持ち、電気化学を信じるようになり、まず不良がでた場合、電気化学を疑うより、装置を疑って不良の原因を追究するようになりました。装置を疑ってめっき不良対策をして行くうち、装置(メンテナンスも含め)が原因のめっき不良が多いことに驚きました。
 「めっき不良の80%は装置から」を実例を挙げてお話いたします。

1.めっき工程でラックに掛けた製品が落下しめっき液に溶けめっき不良発生
現象:キャリア装置で、キャリアのスタート/ストップ時の衝撃でラックから製品が落下し、めっき液に溶け込んでめっき不良が発生した。
対策:現場では、製品の落下現象のみを解消するためラックのスプリングを強くし、落下を何とか防いでいました。しかしこの対策ではいずれまた、スプリングが変形し製品が落下するようになりました。落下の原因はキャリアの工藤チェインの伸びで、スタート/ストップ動作時衝撃を発生し、衝撃時にラックから製品がはずれ落下したのですから、キャリアの動作をかいぜんしなければ落下は防ぐことができません。駆動チェインは伸びるものなので、機械的には、チェインを緊張する部品が必ずついていますから、これを調整すれば動作時衝撃はなくなり、製品落下が原因のめっき不良は解消できます。
 

2.めっき完了の製品に「しみ」が発生。
現象:めっき完了の製品を完成品置き場にストックしておいたら、めっき表面に「しみが発生、原因が分からず困っていた。
対策:原因を特定するため、「しみ」の分析をしたところ、ナトリウムが検出された。見渡したが、近傍には、ナトリウムに関係する薬品はなことが判明。さらに近傍を詳細に調査するとめっき工程の電解脱脂では、苛性ソーダを使用しており、ナトリウムは脱脂のミスとがひさんして完成品エリアに飛んできたことが分かり、脱脂工程の排気を調べたら、排気が十分機能していなかった。さわに工場の空調の流れがf、脱脂工程から完成品置き場方向に流れていることも分かり、排気の調整と空調の流れを、ビニールカーテンで仕切るなど対策し、「しみ」の発生をなくすことが出来た。
 

3.異物付着
現象:LED銀めっき装置の銀めっき工程で異物付着の不具合発生。分析したところ、Agが検出された。めっき表面に異物のようにAgが付着していた。
対策:液分析など調査の結果、銀めっき管理槽の液中にAg極微細粒が浮遊していることが分かった。装置の構成を確認したところ、管理槽ろ過システムが管理槽部で、常時循環ろ過をしていたが、このシステムは運転終了後も常時ろ過できる利点はあるものの管理槽内に駅の滞留部分ができることもあるので、吸引・吐出の配管位置に注意が必要です。めっき液吹き上げポンプの吐出側にフィルタを配置し、めっき処理部にはろ過後の液が循環するようにフィルタシステム変更したところ、Ag微細粒の付着はなくなった。
 

 この三例、不良発生の本の一部ですが、明らかに、装置が原因の不良発生でした。不良発生時現場ではいろいろ手当てをしても解決しないので、私の出番になるわけで、現場に行き担当者とどんな対策をしていたのか確認するとそのほとんどは処理条件の確認をして異常は認められなかったと回答をします。例1のように、キャリアの動作がめっき不良に関係しているという発想がなければ、装置の点検はしません。例2では、まさか排気の不具合が「しみ」発生に、例3ではフィルタシステムが不良の発生に関係しているなんてめっき現場では考えられないことだったのです。
 この三例は、もう少し機械・装置のことを知っていれば容易に見つけられる装置の不具合です。なぜこのようなことが起こるのか考えてみました。
 めっき現場では、装置メーカーに設計・製作を依頼して、装置が設置された後は、不具合があれば、メーカーに連絡し修理をしてもらうのが通常でした。ところが装置メーカーは私がクレーム処理に出かけた時もそうでしたが、まずめっき処理の薬品に不具合がないか探します。
 めっきを技能から、技術に変えていった先輩たちは数値でめっきを管理することを考え私たちに残してくれました。また、機械・装置は使えば必ず摩耗そ消耗し痛んでいきますが、化学は途中で消耗薬品を加えることで、機能をもとに戻すという、われわれ機械屋には到底考えられないような管理方法を作ってきました。これは、処理の薬品では、もともとの機能を保持することができていることになります。
 前述した三つの例でも分かるようにめっき不良もよくよくげんばで現象を観察すると装置が原因で、薬品が変化しめっき不良につながる例数多く見つかります。紙面の関係で三例しかお伝え出来ませんでしたが私の経験ではめっき不良の70~80%は装置が原因で、機械・装置の不具合を修復することで、めっき不良を解消することができています。
 めっき装置と一言で言っても、キャリア式には門型、天井走行型、片持型、連続式には、リードフレームのようなローラーコンベア式、外装めっきの金属ベルトコンベア式、PCBで見らえる、ジグ連続搬送式、リールトゥリームではICリードフレーム、コネクタ、LEDリードフレーム、FPCBのロールトゥロールなど連続した製品のめっき装置と本当に種類が多く、めっき現場ではこれらを使いこなしてゆかなければなりません。めっき装置に限らず、良い装置というのは、現場で使う人たちが決めるものです。現場では、使い易い、故障が少ない、仕様通りに稼働するなどが基準になりますが、もうひとつ、メンテナンスのし易さが重要な判断の基準になります。しかし、いくらメンテナンスのし易い装置でも、前述の例のように、チェインが伸びてもメンテナンスをしなければめっき不良の要因になります。
 また、メンテナンスをするための、工具類が錆びていて使えなかったりしていたら、その現場では機械・装置の機構・構造を知り、機械・装置の基本を理解していたらめっき現場での不良対策はもっと適切に行われるようになると考えています。

ブラック企業
関東学院大学
梅田泰
本間英夫

 
最近ブラック企業云々という記事や報道を良く目にするし、研究所と関係のある企業でも経営者と技術者との間で微妙な感覚のずれが生じているように思えるのでこのテーマーを取り上げることにした。
ウィキペディアによると「ブラック企業とは狭義には、新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業を指す。英語圏でのスウェットショップ(英: Sweatshop)や中国語圏での血汗工場の問題とはまた異なり、正社員に採用されても、将来設計が立たない賃金で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨てる」ところに「ブラック」といわれる所以がある。」と記されている。
これはまさしくホテルやデパート高級食材の偽装が良く取りざたされているが、形だけを繕い、結果として他人を犠牲にし、一部の限られた人間たちだけが利益を享受してしまう行為に繋がっている。
人間には他人に親切にしてあげたいと言う気持ちと、親切にしてほしいという気持ちの両面がいつも混在し、バランスが大きく崩れてしまうと、感謝の気持ちを失い、自分の徳だけを考えてしまうようになってしまう。
自分が親切にしてもらいたいと言う気持ちを持ってはいけないと言うことではなく、自分だけが得をしなければ気が済まなくなると、道理が通らないことでも外見がなんとか整っていれば良しとして、事を先に進めてしまう。このようなことが昨年暮れに噴出していた偽装事件の本質ではないかと感じた。
警察における誤捜査隠蔽や、行政における間違いの隠蔽なども根底には自分さえよければということが始まりなのではないだろうか。
自分の会社の従業員であれば会社の利益のために協力することは当たり前と考えている経営者もいると思うが、相手が損をしていると思いながら労働していることがあれば、極端な例であるが今回の契約社員によると言われている農薬混入問題のような事件にまで発展し、その会社の将来にとって致命的なダメージを与えてしまう。
産業界の変化
書き出しがあまりにも強烈なのでちょっと読むのに嫌な感じを持たれたかもしれないが、食品偽装だけでなく、他の産業界にも同じようなことが始まっているのではないだろうか。
半導体産業において、日の出の勢いであったのが元気を無くなってしまい、ウエハの大型化が450mmになると言われている中で、日本の半導体メーカーは一社を除き可能性すらなくなってしまっている。
建設業界ではオリンピックが開かれると言うのに鉄筋工、型枠工の人材不足で工事が完了するかどうか不明であると言うような話がある。
自動車においてはトヨタが生産台数世界一となり、年間一千万台の大台を昨年超えた。それとても今後の成長には優秀な人材が無くては継続できないと言う危機感を持っているという。
ではなぜこのような事態が発生しているのか考えてみよう。
日本は技術に対する評価があまり高くなく、製造会社の中でも役員になるのは経営や法律的な仕事に携わっている人が多く、社歴が長くなればなるほど、格式や体裁がとても重要なことになってくる。
自動車のホンダやエレクトロニクスのソニーなどは、町工場からスタートしているが、当初は経営者が先なのではなく、世の中に役立つ面白い物を作りたいと言う信念から会社をスタートさせ、会社を維持するために経営を学び、潰れない会社にしようとしていったはずである。
しかし、ともすると近年の多くの社歴の長い会社は経営が先で物づくりが後、社員のモチべーションよりも利益優先になっていることは否めないのではないだろうか。60年代に本学を訪れていたドラッカー曰く「企業の最大の目標はその会社の利益ではなく、顧客の創造である。」とあるが自分の利益が優先では誰もその人に寄ってこないと言う事なのだ。この頃この点に気が付いていない人が多い様に感じるのは我々だけだろうか。
未来は全て新しい方向へ向かっている
未来は常に新しい方向に進んでおり、過去に向かうことはなく、新製品に客は集まる。そして価格が以前のものよりも少しぐらい髙くても、どうにかして手に入れたいと言う事になる。そこには新製品を生み出すことが出来るデザイナーや技術者が非常に重要な資源であることをはっきりと認識しておくべきであろう。 当然、クリエーターも必要なのだが、今後はお互いの融合を図ることで、もっと素晴らしい状況を国内に作れるのではないだろうか。
近頃の日本は業績が悪くなった部門を閉鎖してしまう。結果的に実力ありながら職を失い、生活の活路を見出すために海外企業と短期契約し日本で積み上げた技術を放出しているのである。こんなことが起きないようにして行かなければならない。
昨年12月に中国の従業員18万人という会社にお邪魔したが、日本製と全く同じような製品が作られていたので確認したところ、「まずは真似から」とおっしゃって、さらに「日本から多くのエンジニアが働きに来ている。」と聞かされた。
また先日、シンガポールの病院経営の番組をやっていたが、日本の病院経営とは全く違うもので、実力ある医者が集まり、大病院は手術室や入院部屋を貸すという事業スタイルで、実力ある医者が高額な設備をすべて購入しなくても、最先端医療が出来設備をすべて借れるのだ。医学の新規研究開発には東大や日本の有名大を定年になった大物研究者がスタッフごと連れて移住してしまっていた。
海外で活躍することは悪い事ではないが、国内で積み重ねられた技術が海外に流失してしまうことは日本にとって大きな痛手になることは間違いない。
我々は技術をどのように考えるべきであるか今ここで問われているのではないだろうか。
利益偏重の落とし穴
国内で工業製品を作る。農業を盛り上げる。医療技術を確立する。建設技術者を育成する。開発技術者に対し、応分の対価を支払うことが出来るような開発プランを立て行かなくてはならないのではないか。中国、東南アジアで作れば、開発すれば安く作れる。
それに負けたくなければ対抗できる価格でなければならない。大企業だけが利益を上げるために中小企業の人材をすり減らしてしまうようなことはすべきではない。
そんなことが続けば、コストを下げる為に製品規格を外れた検査データを改ざんさせたり、作物であれば農薬を使っているのに無農薬と表示してしまったり、医療で言えばやってもいない治療をやったことにして健康保険余分に請求してしまったりするようなことが起きかねないのでないか。
本来であれば客の利益が最初で次に社員、会社の利益とならなければいけないが、その順番の考え方が間違えて来るとおかしなことになってくる。
明日に向って一歩前に踏み出そう。しかし周りを踏みつぶさないように。
中小企業の弱い立場ばかりを主張していても未来はないので、新聞でも良く取り上げられている産官学連携を取り入れて、活力を見出す努力もして行かなければならないのではないだろうか。
 40年前は製品の形があれば商売になっていたが、現在では価格は安く、品質は高く、納期は早い品物でなければ見向きもされない時代である。
それだけの先進技術を日本は生み出し、努力を続けてきたが、後進国の追い上げはスピードを上げて一部では追い抜かれている分野も出て来ていることは否めない。
 だからと言って資源の無い日本はただ手を拱いている訳にはいかない。

もし、自分達だけで考えても新製品開発が先に進んでいかない場合は、産総研や地域の産業振興課などの力を借りたり、積極的に関連学会に参加し、これだと思う技術を開発している大学や研究機関に協力を求めると言う事も考えていくべきではないだろうか。
その際に気を付けてほしいのは先方から自分に必要な技術だけを取っていくのではなく、自分たちがその後、知り得た技術を公開し、もともと技術を持っていた機関も、そのことでさらに発展できるようになれば大きな開発の輪が広がり、さらにさらに大きな輪になっていくはずである。
 今の日本にはその部分の配慮が欠けているために、産業が活性化されていないように感じられてならない。 
下請け会社もすべてを親会社に報告するとその技術が盗まれる。大会社は製品内容を細かく説明すると下請けが他社に情報を漏らしてしまうかもしれないので、細かい説明はしたくない。また、製品価格は常に値下げ要求しておかないと、自分たちの利益が得られない。このような事ではお互いが常に疑心暗鬼になりながらお付き合いしなければならない。  商売はそのようなものと言われればそうなのかもしれないが、あまり行き過ぎてお互いに足の引っ張り合いで最終的に皆がウインウインのならない状態になるのだけは避けたいものだ。
めっき技術は地味な技術ながら、ものづくりの要素技術として欠かせない技術であり、最近ではバイオ、エレクトロニクス、センサー等機能付与技術として重要な役割を担うようになってきている。我々の研究所では研究所設立以来特許は単独出願にしているし、コンソーシアムが有効に運営されている。初めはこの考えに賛同する方は少なかったが最近では大学の知の活用と公平性、中立性から皆さんの理解が得られるようになってきている。これまで何度か述べてきているが、いずれ産学協同の我々の進め方について解説予定である。

踏まれて伸びる麦
材料表面工学研究所顧問
佐藤祐一
 
 ♪山懐の段々畑 麦踏ながら見た雲は あれは浮雲 流れ雲 一畝踏んで振り向けば 風にちぎれて 空ばかり♪.子供のころ聞いたNHKのラジオ歌謡の一つ「麦踏みながら」で懐かしい歌である.麦踏は1,2月に行われる農作業で,青々とした麦を足で踏みつけることによって強く根が張り良い麦が育つのだそうである。
先月末世界中を駆け巡った小保方さんの「刺激だけで新万能細胞」のニュースを聞いたとき,なぜか私はこの歌を思い出した.近年にないスカッとした鮮やかな大発見,大発明である.
iPS細胞発明の時もニュースを聞いてうれしかったが,このときは少し内容が込み入っていて記事内容をよく読めば理解できたが,今その内容を正確に空で言えと言われても記憶力の鈍った頭では到底無理である.
それに比べて今回の快挙はマウスの脾臓から取り出した白血球の一種のリンパ球を弱酸性液に25分間浸し,その後培養すると,数日後に万能細胞に特有のたんぱく質を持った細胞(STAP細胞と命名された)ができたというあっけないくらい簡単な説明である.
万能細胞とは筋肉や内臓,脳など体を作るすべての種類の細胞に変化できる細胞のことである.このSTAP細胞をマウスの皮膚下に移植すると,神経や筋肉,腸の細胞になった.そのままでは胎児になれないように操作した受精卵にSTAP細胞を注入して子宮に戻すと,全身がSTAP細胞から育った胎児になったという.
紅茶程度の酸と言われても,温度,濃度,溶液の種類等々,この条件をみいだすまでには膨大な実験が行われたことであろう.私は特にこの発見のきっかけとなった実験結果の解釈とそこからのとんでもない発想につながったことを特に高く評価したい.
小保方さんはハーバード大学に留学中,再生医療につながる幹細胞の研究をしていた.いろいろな細胞になれる幹細胞は,普通の細胞より小さいという特徴がある.マウスの体からとってきた細胞の中から小さい細胞だけを選り分ければ,幹細胞を集められるのではないか.彼女は指導教授のアイデアに従い,細いガラス管を通して小さい細胞を選別する実験をしていた.内径0.03〜0.05㎜のガラス管を通すと,確かに幹細胞のような細胞が出てきた.
ところが,ガラス管を通す前の細胞の中には,幹細胞は全く見つからなかった.普通なら,あるはずなのに見つけられないだけ,あるいは私なら受け皿に幹細胞が付着し汚れて始めから汚れていたか,あるいはあとから空気中かどこからかの混入により汚染されたのかもしれないと考えるだろう.
しかし,彼女は違った.幹細胞が選り分けられるのではなく,細いガラス管の中に押し込められるという刺激によって,幹細胞のような細胞が“作られている”のではないかと考えたのである.以下,私の推定である.
彼女には運がついていた.もし,小さい細胞を選り分けるだけならば,ガラス細管の口径だけが重要であり,その長さは短くてもよいはずである.しかし,それでは刺激を受ける時間が短すぎる.また,ある程度以上長ければ,細胞の管内を通過する時間,すなわち,刺激を受ける時間が長すぎ細胞が死んでしまったかもしれない.
運よくちょうど幹細胞に変身できるくらいの長さ,通過時間だったのだろうか.あるいはガラス管の管径や長さをいろいろ変えて,幹細胞のできる数との間に相関性があるかなど検討し,最適の長さをみつけたのだろうか.
このような実験結果を細胞に対する刺激と考えたところがまず素晴らしい.そして,刺激ならば他の手段でも良いはずであると考えを飛躍させたとところも素晴らしい. その刺激を与える他の手段として,細胞に毒を与えたり,熱したり,飢餓状態にしたという.その中で最も効率よく作れたのが,弱酸性の液体に浸す方法,浸す時間は25分,細胞が死に瀕すると変身するのではと考えた.
常人には思いつかない素晴らしい発想の飛躍である.だが,当初,ネイチャーに投稿してもレフェリーに信じてもらうことは難しかった.いったん様々な組織になった細胞が,環境を変えるだけで幹細胞などに戻る(初期化)現象は人参などの植物では見られるが動物では絶対ありえない.何百年にもわたる胞生物学の歴史を愚弄しているとのレフェリーの厳しい意見もあったという.
常人ならここであきらめるのが普通であろうが,彼女は違った.自分の実験データに絶対の自信があったのだろう.1年にもわたって,レフェレリーの反論を補足実験で補い,ついに説得,あの1月30日のネイチャー誌の発表になった.その具体的なやり取りが知りたいものであるが,いずれ何年かあとで公表されるかもしれない.まだ,今回の発見はネズミの細胞についてである.たぶん,ヒト細胞での可能性を示す実験が彼女のグループを含めて世界中で猛烈な勢いで始まっていることであろう.
もしヒト細胞の初期化が成功すれば,再生医学分野に大きな可能性が開けてくることであろう.興味本位の心無いジャーナリズムが彼女のプライバシーを侵すようなしつこい取材を続け,その研究時間,研究環境を妨害するようなことは絶対あってはならない.
 私のこれまでのささやかな経験でも,ある程度評価された論文は多かれ少なかれ,雑誌に公表されるまで難産だった.たとえば,使い込んだニッケルカドミウム二次電池に現れる電圧降下,したがって,使用時間が短くなり,ついには使えなくなる「メモリー効果」原因究明の時がそうだった.
当初,アメリカのNASAが人工衛星に使用していたこの電池のメモリー効果の原因は負極のカドミウムが充放電により溶解,析出を繰り返すとカドミウム金属からひげ(デンドライト)が成長し,セパレータを突き破って,正極のニッケル極とセミショート(短絡)するためとの論文を出していた.したがって,その後現れた負極に水素吸蔵金属を使用するニッケル水素二次電池ではメモリー効果が表れないとする論文も現れたが,やはりこの電池にもメモリー効果が表れた.
メモリー効果の原因はニッケル極,または別のところにあると考えられたが定かでなかった.われわれもこの原因究明に注力し,メモリー効果の原因は充放電を繰り返すとニッケル極が過充電され,ニッケルの平均原子価が3.6位のγ-オキシ水酸化ニッケル(γ- NiOOH) (正常時は2価の水酸化ニッケル(β-Ni(OH)2)と3価のオキシ水酸化ニッケル(β-NiOOH) 間の往復) が生成するためであることを見出した.
この化合物は電位が低く電気抵抗が大きいため放電電圧が低下すると解釈した.ある年の電池分野の討論会で発表したら,当時の日本電池(株)や湯浅電池(株)の第一線の研究者たちから自分たちも永年研究しているが,X線回折でもγ- NiOOHは見いだされない.実験データは信用できないとコテンパーに批判された.
それから2年間くらいかかって,やはり原因はγ- NiOOHである.この化合物は集電体に近い表面から離れた深い部分から生成するのでその生成量が少ないと表面からのX線回折ではγ層までX線が到達できないため検出できないこと,表面から少しずつ電極を削って薄くしていくと電極の深い部分,つまり集電体に近い部分に生成したγ- NiOOHが検出できることを検証した.そして,メモリー効果が起こっても浅い(時間の短い) 充電と深い放電を繰り返すことによってγ- NiOOHが消滅し,電池性能が回復することも証明,いまでは電池分野で受け入れられている.
また,別の話,今から40年くらい前,東芝に勤務していたころ,クーロスタット法という電気化学的な迅速腐食速度測定装置を発明した.特許を申請したところ容易に類推される技術であると特許庁から却下された.
何回か特許庁に通い,審査官と面接,そのもととなったアメリカ電気化学会投稿時のレフェリーのExcellentというコメント付き手紙を提示して審査官を説得し,ようやく特許は成立した.しかし,東芝には半期100億円以上の売り上げが見込めないと製品化しないという不文律があった.
我々は何とか製品化したいといろんな展示会でPRしたところ,北斗電工(株)という電気計測機器メーカーが製品化してくれることになった.ローヤリテイは10%,ただし,技術的対応は東芝が行うという破格の好条件で数十台売れたころ,本社のトップから腐食防食研究などという利益にならない開発部隊は解散せよという指示のもと,数人のメンバーは別のグループに組み込まれてしまった. そのため,技術的援助を受けられなくなった北斗電工はこの製品の製造を中止した.東芝の主要事業である発電プラントの冷却系統には多量の水が使用され,金属の腐食防食技術は非常に重要な基礎技術であるにもかかわらず,トップの短絡的思考で腐食研究部隊が解散させられたのは非常に残念であった.
話がそれてしまったが,小保方さんの快挙はいずれノーベル賞であろう.その時まで長生きしようと勇気が湧いてきた.

「後記」

以上今月号には、神奈川大学名誉教授で我々の研究所の研究顧問をお願いしている佐藤祐一先生に執筆していただいた。小保方さんのSTAP細胞の発見に至るまでのパイオニア的な研究者の姿勢をご自身の体験とも重ねて書かれているが、研究に携わってきた人には大なり小なりおなじ経験をしている。
ハイテクノの社長である斎藤先生は今から50年以上前になるが、ホルマリンを還元剤とした無電解銅めっきの反応の局部アノード反応で水素が出ることを発見された。当初は指導教授からそんなバカなことがあるかと一喝されたのは有名な話である。私自身もどちらかと言うとパイオニア的に色々アイデアが思いつき研究に着手してきているので何度も同じ経験をしている。
本間
 

続・踏まれて伸びる麦
材料表面工学研究所 顧問
佐藤祐一

 
先月の雑感シリーズで「踏まれて伸びる麦」と題して小保方さんを称賛する文章を書かせていただいた。ところが、ご存知のようにネイチャー誌の論文に多くの疑義があり、まだ決着がついていないものの(3月17日現在),小保方さんの所属先の理化学研究所では論文の撤回を検討しているという。
その疑義の内容は新聞等に詳しく報道されているので、ここでは繰り返さないが、非常に残念である。不正すなわち、データの捏造だけはなかったと信じたい。そもそも今回の騒ぎの発端は、彼女の博士論文作製過程にあったと考えざるを得ない。新聞報道によれば、108頁ある博士論文のうち、約20頁分はNIH(米国立保健研究所)が幹細胞の基礎知識を一般向けにネット上に掲載している文章と酷似しているという。
また、論文の3章には引用箇所の印がないのに38件分の著者名、題名、雑誌名、ページが列挙されており、かつ、それは10年に台湾の病院の研究者らが医学誌で発表した論文の文献リスト53件のうち、38件とほぼ一致したという。コピー・アンド・ペーストの可能性がある。学位論文審査員が数名いるはずであるが、彼らはこの学位論文を読んでいなかったのだろうか。
もし、読んでいれば,専門家なら20頁分の文章の内容はどこかで読んだ内容によく似ていると気づくはずであるし、引用箇所が示されていないのにリストアップされている文献の方は、読めばすぐ気付くはずである。超一流企業が重大な欠陥のある製品を出荷したことに相当しよう。彼女は学部時代の卒論、修士時代の修士論文作製時、あるいは研究過程でどんな指導を受けてきたのであろうか。
一連の報道から類推すると、彼女にはコピー・アンド・ペーストが悪であるという意識が希薄であるように思われる。残るところは、データの捏造があったか否か、なかったとしても第三者によるSTAP細胞の再現がどうしても必要である。このような実験は非常に高度の技術を要するようで、どこで読んだか忘れたが、iPS細胞でも成功率は20%位という。彼女だけが実現可能な神のような手を持っているのだろうか。
話は変わるが私のお世話になった神奈川大学では、毎年、全国科学・理科論文大賞コンクールを行っている。私は昨年から最終審査を務める6人の審査員の一人になった。第12回を迎えた今年度は全国から約60編の論文が集まり、さる3月16日その表彰式があった。席上審査員の講評が行われるのが常であるが、数人の審査員から論文の書き方等について細かい注意があった。
高校生もさることながら、同席されている指導教員にぜひ指導してほしい内容であった。たとえば、論文内容にかかわり、その研究の開始時点までにどこまで事実が判明していたか、それらの引用文献の明記、実験手法その他での引用があればその明記も無論であることなど強調された。私は昨年、初めて委員として審査委員会に臨んだとき、論文の二重投稿は認めるべきではないと強く主張した。大いにもめたが、結局、投稿票に直近の別の機関への投稿と入賞歴の有無等を記入してもらい、入賞歴があれば審査時に審査員が考慮するという無難なところに落ち着いた。入賞論文と審査員の講評などは日刊工業新聞社から「未来の科学者との対話」と題して5月末刊行される。
なお、先月号の内容と関連し、私のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/ysatou_kanagawa) 
2月分にまだこんな大騒ぎなる前に「追試験の重要性」と題する文章を載せた。ご参照いただければ幸いである。
以上、佐藤先生には本号で述べられたように、センセーションを巻き起こしたSTAP細胞の研究には、いろいろ疑義が噴出してきている。バイオ関係の研究は国家的プロジェクトの下、先進諸国では熾烈な競争が続いている。今回の事件は、功を急ぐあまりデータのねつ造、コピーアンドペースト、博士論文の審査におけるチェックの杜撰さ、共同研究者の無責任さなど複合的なもので、研究者のモラルの欠落にまで発展し残念である。
このような事件が起きたとしても、今後バイオをはじめとした次世代の成長産業として、医療機器分野に注力していかねばならない。世界的にみると、人口の増加や高齢化、新興国の経済発展に伴い、市場規模は4000億ドルを超えてきており、さらに今後は医療施設整備、機器の高度化などにより、大きな市場になる。表面処理のわれわれの領域がこれらの機器への要素技術として重要になってきている。
昨年の雑感シリーズで少し紹介させていただいたようにカリフォルニア州立大学アーバイン校と3年前から共同研究を行ってきており成果が出つつある。
すでに、日本では、国際競争力の高い領域としては医用内視鏡の多くは国産品であるが、人口心臓弁や心臓ペースメーカーなどは、ほとんどが輸入品に頼っており、人工関節、人工骨についても輸入品がほとんどのようであり、市場規模の大きい治療系医療機器も輸入比率が高い。
このように医療機器は輸入が多く、さらに円安と相まって大きな貿易赤字となっており、国際競争力は低い。
米国の競争力
世界の医療機器メーカーの売上高ランキング上位の中で、日本企業はテルモ、オリンパスメディカルシステムズ、東芝メディカルシステムズなどで、3社を合計しても世界市場のシェアは数パーセントであるという。米国企業は、首位のジョンソン・エンド・ジョンソンをはじめとして合計の売上高は世界市場規模の5割を超えている。このように米国企業は、医療機器分野では競争力が高い。また、米国の医療機器企業の特徴として、ベンチャー企業など従業員数9人以下の企業が過半数を占めており、特許保有件数も従業員数50人未満の企業が保有する割合が4分の1を超えている。一方、日本では、ベンチャー企業が育ちにくく、従業員数10人以下のベンチャーは10%未満である。米国ではベンチャー企業が開発の拠点としての役割を担っており競争力を支えている。日本でもベンチャーが育つ環境を整備していかねばならない。
 

「勝ち組」と「負け組」
材料表面工学研究所
研究員 田代 雄彦
 
「勝ち組」「負け組」という言葉があります。人生や仕事などを「勝ち負け」で表現したものですが、あまり気持ちの良い響きではありません。
営業の世界では、沢山の仕事の契約を決めた成績優秀な人たちが「勝ち組」で、成績の悪い人たちが「負け組」。しかし、その両者が楽しそうに見えません。「勝ち組」は勝ち続けるために、身体を壊すまで必死に頑張り続け、「負け組」は、不甲斐無い自分を責め、自己嫌悪に悩み、自身(自信)を喪失している。どちらも閉塞感に満たされていると思います。
内閣府の資料によると、平成九年まで二万~二万五千人で推移していた自殺者数が、金融ビッグバン後に失業率が初めて4%を超えた平成十年以降、年間三万人を超えています。その自殺者数の急増は、仕事盛りと言われる三五歳以上の男性の自殺者数の増加が主因と分析されています。自殺の原因・動機の約70%を健康問題と経済・生活問題が占めており、自殺者の精神障害は75%にのぼり、その半数がうつ病等が占める状況です。
すなわち、「勝ち組」も「負け組」も閉塞感に苛まれ、精神や健康を害されていると考えられます。
人間の悩みの最大の原因は、他人との比較です。彼はスマートに事を運ぶのに、自分は全然駄目だ。あるいは、自分はこれだけ努力しているのに、誰も評価してくれない、など。色々と比較をはじめたらキリがありません。
仏教で『少欲知足』という言葉があります。『欲を少なくして足るを知る』、という意味です。五体満足に生まれてきた。健康である。ただそれだけで充分に幸せである筈なのに、もっともっとと、人間の欲望は際限がありません。
「あたり前」の反対は「有ること難し」すなわち「ありがとう」です。現状の「あたり前」であることに常に感謝していれば、「勝ち組・負け組」の意識も自殺者も無くなるのではないでしょうか。健康であることや、仕事をさせて頂いていることなどに感謝し、いつも素直な心でいれば、各人各様の『成幸・せいこう』に辿りつけると思います。

それは人間として正しいか

最近、世間を騒がせたニュースがありました。食材の偽装表示です。単価の安い「バナメイエビ」を「芝エビ」とメニュー表示したり、「冷凍ジュース」を「フレッシュジュース」と言ったり…。それも、日本の一流と言われるホテルやデパートやレストランで…。
なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。コスト削減、利益率アップなど会社の上層部から言われ、手っ取り早い方法を選択した。そんなところでしょうか。
「コンプライアンス(法令順守)」の問題が取り沙汰されますが、自分の胸に手を当て、【動機善なりや、私心なかりしか】あるいは、【それは人間として正しいか】ということを自らに問う。稲盛和夫氏は、何かをしようとする場合、自問自答し、自分の動機の善悪を判断すると仰っています。
また、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツァーは、【人間として生きる上で本当に大切なものは、純粋なままで生きていた子供時代に、すでに心の中に与えられている。】と言っています。
素直であれ、嘘をつかない、挨拶をする、姿勢を正す、靴を揃えるなど、幼少期に誰もが聞き、実践していた人間として基本的なことを、時間や心の余裕が無くなった大人たちは、出来なくなっていると思います。
東日本大震災で、世界から日本人の心のあり様を絶賛され、東京オリンピックでも日本の「おもてなし」が期待されています。しかし、雨の日の誰も居ない、車も通らない赤信号をジッと待つ、そんな人が少なくなったと感じます。最近は元来の日本人としての大切な生き方を、見失っていると感じるのは私だけでしょうか。

幸福とは

瀬戸内寂聴さんの著書「寂庵説法」に以下のことが書いてありました。
【仏教では、「人身(にんしん)は受け難し」として、人間に生まれたことを先ず何より有り難いと考えます。人間として生まれたからには、人間として、この世で十二分に幸福になることを、私たちは約束されているのです。それならば、幸福になろうと努力しないことは怠慢といわなければなりません。でも、人は赤ん坊の時以外は、物心ついてからずっと、自分の今日が心から幸福であったと思って眠る人は少ないのではないでしょうか。人間は口に幸福を言うことは何と易しく、本当に幸福になることは、何と難しいのでしょう。
幸福とは、人のすべてが、自分の心の物指を持って、自分の心をはかり、自由に自分の個性を発揮して、制御の出来る欲望を満たし、他人の幸福の邪魔をせず、他人の幸福にすすんで手を貸すゆとりを持つことではないでしょうか。】
すなわち、心に余裕やゆとりが無いと幸せにはなれないのです。ほんの少しだけ、こころにゆとりを持ち、自分の周りを冷静に見渡してみると良いと思います。

大人の所作

私が小学生の頃、友人と一緒に映画を見に行った際、「二百円(優待席料)払って二階で見よう!」と言われました。私も同意し二階席で観賞しました。帰宅後、父にその話をしたところ、「混んでいて座れなかったのか?」と聞かれました。私は座れたけど、二階で観たことを話しました。すると、父は「満席で座れなかったのならともかく、そういうお金を使うのは自分で稼げるようになってからにしなさい」と言われたのを今でも覚えています。たった二百円でも小学生の私が稼げる訳もなく、至極納得したことを思い出しました。
最近はお金さえ払えば、何でも出来る(許される)という考えの人が多い気がします。
伊集院静氏の著書「大人の流儀 別れる力」にこんな一節があります。
この頃、グリーン車でも若者が一人で乗っているのを見かける。
なぜこんな若い奴がグリーン車に乗っているんだ? 
そういう若者は決まって身に付けているものも妙だし、行動もおかしい。第一、顔の相が良くない。稼ぎもないのに、こういうことが平然とできるのは金を渡した親もバカだが、やはり当人が無知なのだろう。オマエ達の座るところじゃないだろうが、分をわきまえんか。
世の中には若者が座ってしかるべき席があることもわからないのだろう。若者は自由席かデッキだろうよ。
若くしてこういうことを平気でできる奴は十中八、九、人生に失敗する。ディズニーランドかどこかの帰りの子供と若い父、母がグリーン車に乗っていた。親もバカなら子もバカである。
金を払えば何でもOKと考える親が育てた子供は、それをしっかり受け止めて、更にバカな人間になる。】
【-銀座、赤坂、神楽坂の鮨屋でオヤジの前に平然と座って、酒を飲めるようになるまで、―俺がどれだけ懸命に働いて来たかが、おまえたちにわかってたまるか。
子供が働くか? それはグリーン車にふんぞり返って座っている若者、子供にも言える。
ひとかどのことを成して、長くきちんと生きてきて、初めて座ることができる場所が世の中にはあるのだ。】
また、論語普及会を設立し、学監として論語精神の高揚に尽力している伊與田覺氏も同様なことをいっております。
【今から八百年余り前に朱子と劉子澄という人が、四書五経をはじめとする古い書物の中から大切な教えを選出した中国の『小学』という古典があります。
 江戸時代に主流をなしていた朱子学の教えとも関係が深く、武士の家庭教育、さらには一般家庭の子女教育を通じて日本人の心に深く浸透し、実践されたことで、日本人の質は格段に向上しました。
 幕末に日本を訪れた欧米人は、東洋の野蛮国と蔑んでいた日本人が、実際に会ってみると実に礼儀正しく、躾の行き届いていることに感嘆し、「東洋の君子国」と讃えました。
 列強の植民地支配から日本が独立を堅持できたのは、この教えを通じて国民が優れた人間性を育んでいたことが大きいと私は思います。
しかしながら戦後、『小学』の説く人間としての基礎教育が疎かになったことで、日本は誠に恥ずかしい国になりました。】
 伊集院氏や伊與田氏の言う馬鹿な大人の代表にはなりたくないですが、子供達に恥ずかしくない行動(所作)を大人が示さなければならないと感じます。しかし、ゆとり教育世代が、既に成人に達し、彼女彼女たちが次世代の子供たちの鏡になっていくことに少し不安を感じます。
ニートやひきこもりや不登校は、そんな大人達への不言実行の子供たちからのメッセージかもしれません。
ストレスのコントロール

本来、健康な人の男性ホルモンは、30歳をピークに年1%ずつ、死ぬまで徐々に減少するパターンを示しますが、男性更年期障害の現れる人は、この自然のリズムに反した「急激なテストステロンの低下」が生じます。その主原因が「ストレス」です。
現代社会はストレス社会とも言われますが、ストレスを上手くコントロールする自分なりの方法を見つけなくてはなりません。私の場合は愛犬たちと遊ぶことであり、TVの「お笑い番組」で声を出して大笑いすることです。
笑いは「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」というガン細胞を攻撃してくれるリンパ球の活性を促進することが証明されています。口角を上げるだけでも効果があるようです。皆さんも笑って、ストレスに勝てる『笑者(勝者)』になりましょう。

小泉進次郎氏からのメッセージ

昨年の新入生へ向けた小泉進次郎氏からのメッセージが学報の「告知板」に掲載されました。実に良い受け答えをしているので、本号の最後にその一部を紹介したいと思います。
【政治の世界では周りにいわゆる「一流」大学や学歴の「高い」人ばっかりです。政治家でも官僚でも。でも、よく考えてみて下さい。「一流」とは何か。学歴の「高い」、「低い」とは何か。
私は昨年に受けたあるインタビューで「私の出身校である関東学院大学は一流ではありませんよね?」と聞かれたことがあります。
偏差値というものさしで他の大学と比較すればそういう指摘は当たるのかもしれない。でも、私にとっては関東学院大学で出会った恩師の方々、その方々が作ってくれた海外留学への意識、そして利害抜きで付き合える真の友人との出会いなど、あの四年間がなければ今がないという意味で、関東学院大学は一流大学なんです。】

関東学院大学のOBとしても、今後の小泉進次郎氏のご活躍を応援していきたいと思っています。
 

情報収集の変化
関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間英夫

 
幼い頃から新聞は地元紙、読売新聞、日経紙または産経新聞の環境にあった。したがって親のもとを離れ、大学院生の頃から日経を購読していた。最近は新聞社の勧誘が少なくなったようだが、数十年前はトイレットペーパーなどの景品つきで新聞の勧誘が盛んであったようだ。家内の話では日経を購読していると伝えると、しつこい勧誘はなかったようだ。
 さらに40過ぎから読売新聞と日経産業新聞のあわせて3紙を購読し現在に至っている。一般紙である読売は家族が優先的に読んでいる。自分自身は40代のころまでは、親から引き継いだ多少の株があったので、日経の経済欄と株価欄に目を通していた。従って当時はまだ記憶力にも優れていたようでほとんどの企業の株価を把握していた。
また50を過ぎてからはほとんど株に興味がなくなったというより売買に精を出すと研究に没頭できないので、すべて塩漬けにして全く売買しなかった。しかし企業がつぶれるときや激変が起こったときは証券会社から電話がありそれに対応するだけであった。そのようなわけで50代からは、まずは日経産業を手に取り、見出しを見てから興味のある記事に目を通し、技術的にホットな話題があるときは早速「新聞見た」と自分にとっては弟のような付き合いをしていたE君に電話するのが習慣であった。
新聞からITを中心とした情報収集へ
最近ではITを中心とした情報の取得環境がすさまじい勢いで発展してきており、また私自身も歳の所為か、今までのような集中力と気力にかけてきており真剣には新聞を読まなくなってきているが、3紙とも継続購読している。
 以上のように新聞に目を通さないようになってきて、テレビでのニュースや報道番組、さらにはパソコンや携帯で情報をつかむようになってきた。新聞を読まなくなってきているので情報に疎くなったり、的確な最新情報が取りにくくなったのではとの焦りがあったが、新聞を読まなくても、情報収集量は変わらないように思えてきた。
 実際、新聞の購読部数も情報社会では大幅に低下しているようであり、最近では新聞がインターネットから配信され購読できるし、朝のテレビの番組で新聞記事が紹介されるようになり、ますます講読者の減少がおきている。
 さらには、学術関連の雑誌は自宅と研究所で読めるし、ほしい本があれば、アマゾンから翌日配達でその本を購入できる。以前からIT 社会では情報過多で正確な情報を得るには情報の取捨選択が大切と言われてきたが、自分なりに使い方を工夫すれば、的確な情報を即座に入手できる。便利になったものである。あとは一次情報の収得、交換である。
 我々研究所での実験を伴う一次情報については、いかに管理し、いかにサポートしていただいている企業に迅速に公開するか、最終的には学会を通して広く社会に公開することが大学の研究機関としてのおおきな使命であるが。
 我々の研究所の魅力は一時情報として伝える前の学生と研修生による生の研究結果である。企業の方々は、年間数回開催する研究発表会に参加いただいているが、感覚の鋭い方々は、我々の研究所の実験に取り組む姿勢、オリジナルなアイデア、テンポの早さを理解していただいている。
 そういえば先月、大学で国際会議を開催し、評価委員として東大名誉教授の増子先生と神奈川技術アカデミー専務理事の馬飼野さんにご出席いただいた。我々の研究に対するコメントのなかで本学の産学協同の取り組みや、表面工学の関連の産業界への貢献は素晴らしいと絶大な評価であった。その際にダイナミックレガシーという自分にとっては初耳のフレーズを使って増子先生が説明された。動的遺産と訳すようであり、早速インターネットで検索した。アマゾンを通して関連の解説をカッコ付きでそのまま引用する。「デル、HP、ZARA、トヨタ、松下電器、ソニーなど、世界の主要企業500社を面接調査して徹底解析する。世界的ベストセラー『Made in America』から16年、MITのチームが新たに挑んだグローバル経済における企業競争力の独創的な分析である。グローバル化の急激な進展によって、世界の企業環境は大きく変化した。生産の外部委託や生産拠点の海外移転が頻繁に行われ、企業活動はもはや一国の領域に留まらず全世界を舞台にきわめて多様かつ複雑に展開されつつある。このようなグローバル環境において、成功する企業と失敗する企業との命運を分かつものとは何か『Made in America』の主要メンバーであったバーガー教授とMIT産業生産性センターは、5年の歳月をかけて米・日・欧・アジア諸国の主要企業約500社を訪問し綿密な面接調査を行った。そのデータをボトムアップの手法で積み上げて解析し、グローバル経済における企業活動の実態と問題とその解決法を考察する。本書は、きわめて高い評価と信頼性をもつ研究レポートの全訳である。」以上この本の書評であり、最近コピーアンドペーストが問題となっているので、ここではそのまま引用させていただいたことを再度強調しておきます。アマゾンで購入すると、翌日配達があり注文の翌日、本が届いた。早速読んでみたが実際は2006年に出版された本で少し古いように思えたが、内容は今でも通ずるものであるが、正直、私にとっては翻訳本であり、経営に関する長文で具体的な聞き取り調査を主体にしている解説本であまりピンと来なかったが、経営者の方々に一読を薦めたい。「グローバル企業の成功戦略」定価2376円、出版社草思社
2018年問題
大学関係者の間では2018年は18歳人口がさらに減り始め、大学が運営していけるか大きな問題で、これを2018年問題と言っている。これまでも少子高齢化といわれてきて久しいが、団塊の世代と言われた250万人以上の受験人口が減り始め、2009年には120万程度にまで減少しその年を底にして、18歳人口はほぼ安定していたのであるが、2018年から再び減り始め、多くの大学は定員割れになり経営が立ち行かなくなってくる。
 18歳人口の減少問題はこのように、一時の200万人以上のピークから現在は120万人程度へと、大幅に減少している。しかしながら、我々の時代は大学進学率が一けた台であったが、1990年代では大学進学率が大きく伸びて現在は、18歳人口の半数が大学に入るようになってきている。すなわち18歳人口の減少を進学率の増加でカバーしてきている。従って学生のレベルも低下していることが大きな問題となってきている。
 しかしながら、2018年以降大学進学率は、今後も50%程度で推移するだろうが18歳人口の大幅な減少により、現時点でも、私立大学の約4割程度が定員割れの状況にあるといわれており、さらに2018年以降、定員割れの大学が現実となり経営が破たんするであろう。大学進学者数20万人程度減少するということは本学のような一万人規模の大学が20校も経営破たんになる。また学部を廃止するとか縮小するにしても私学ではこれからは特色のある教育をしていかねば、誰も入学しなくなるであろう。このまま多くの大学が特色のある大学づくりに消極的であれば、ますます偏差値偏重の教育が残り、発想力豊かな学生が育つ環境にはない状況の可能性を示している。  そのような状況の中、現在、本学を始め全大学が「生き残り」を掛けて「大学改革」を推進しなければならないが、経営者人は真剣だが個々の教授陣はそれほど危機感を持っていないようだ。
 大学改革に当たっては奇をてらわないように、真の教育、工学分野では発想力に優れた学生の養成が大切である。それには研究を通した人材の育成が大切であり、短期的な実績に汲々としている先生方が学生に何を教えるのか、どのような学生を育てるかに思いをはせるべきである。また経営者はフットワークよくトップダウンで、組織や経営基盤作りの再構築を今すぐ実行せねばならない。
通常、教学の領域は教授会が、経営の領域を理事会が担っているがある主要大学では経営陣が猛スピードで改革を進めている。本学も迅速に特色ある大学づくりに今すぐ着手せねばならない。
 

めっき道場orめっき塾
関東学院大学材料・表面工学研究所
顧問 佐藤祐一 
 
去る5月22日,関東学院大学材料・表面工学研究所で定例の研究発表会が開催され,私も終日聴講させていただいた.今,同研究所には各企業や他大学からのエースが派遣され,大学院ドクターコース,マスターコースの学生として,あるいは研修生として20数人が滞在中である.なんと80歳を超えた方もドクターコースにいらっしゃる.むろん,本家の関東学院からの学生さんも一緒である.毎月,各人が行ってきた研究成果がここで発表される.一人あたりの持ち時間は発表15分,質問5分の予定であるが,30分くらいになる.各自の発表のあと,本間先生,高井先生からは厳しい質問や彼らを勇気づける激励のコメント,今後の研究の方向性が示される.発表内容のストーリーの作り方,パワーポイントによるデータや図表の表示方法,発表のやり方,言葉遣い,質問に対する答え方etc. の指導がなされるのはもちろんである.学生諸君は新しいデータを出そうと日々真剣に研究に取り組んでおり,また,各人は自分のこともさることながら年齢差や入所後の時間の長短によって個人差があるようであるが,他人の研究内容も理解しようと努力していることが,発表時のメモの取り方等からもうかがわれた.朝10時から,午後4時半ころまで,20名近い人たちの密度の濃い内容の発表が行われた.私はこれらの発表を聞きながら,“めっき道場”という言葉を思いついた.江戸時代から幕末にかけ,江戸には有名な千葉道場をはじめとする多くの剣道の道場があった.そこでは,各藩の若い藩士たちが剣道の腕をあげるべく必死に稽古に励んだ.私の好きな佐伯泰英の小説,“居眠り磐音江戸草紙”シリーズ等にはそのような道場の雰囲気が良く描写されている.また,江戸時代末期の吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾を思い出した.よく知られているように前者からは久坂玄瑞,高杉晋作,伊藤博文,山県有朋,前原一誠等明治維新を起こすべく活躍した,あるいはその後の日本の総理大臣等となった多くの人材が,後者からは大鳥圭介,大村益次郎,高峰譲吉,福沢諭吉等近代日本を作った多くの人材が輩出した. 

さて,めっき道場である.道場主あるいは師範が本間先生,副が高井先生,師範代は梅田さん,田代さん,クリスさん, 盧さんという一騎当千の面々である.厳しくも和気あいあいの雰囲気の中で半年,1年と過ごすうちに皆,みるみる実力と自信をつけていくようである.私が何よりも素晴らしいと評価するのはコンピティターである企業間の壁を取り払って,そこで得られた世界最先端の知識が共有されることである.これがわが国のめっき,表面処理技術のレベルアップにどれほど寄与していることか.ここまで持ってくるのに本間先生がどれだけご苦心なされたことだろうと思いやられる.むろん,各企業のトップシークレットは派遣された各人の責任において守られているはずであるが,研究成果内容はほとんどメンバーに開示されている.これを自社の技術として咀嚼し新製品に取り入れていけるかどうかは,各人それぞれの腕であり,所属会社の社長以下上司の器量,判断によるのは言うまでもない.技術の進歩は著しく,極秘と思われた内容もいずれ陳腐化していく.稼ぐに追いつく貧乏なし,競争相手をしのぐ新技術が次々開発されて行けば理想的であろうが,これが困難なため極端な秘密主義に走るのであろう.今,わが国の産業界は機密保持に躍起となり,業績主義と相まって各社間,あるいは社員同士間の壁が作られ閉鎖的な雰囲気が蔓延しているのではあるまいか.私の思い込みでなければ幸いである.私の関連する電池業界について少し述べる.つい,10年ほど前まで,リチウムイオン電池の生産,販売量の我が国のシェアーは100 %だった.しかし,韓国,中国の追い上げにあって,現在のシェアーは30 %前後でないか.その凋落原因は総合的な戦略の欠如であるが,より具体的には 
・技術オリエンテッド(ユーザー無視の独りよがり) 
・内向き気質(国内市場優先,ガラパゴス化) 
・特許の重要性認識の欠如(論文優先,出願,維持資金不足) 
・国内企業間の縄張り争いと小さな資本規模 
・国際規格の重要性認識の欠如 
・技術者を尊重しない企業風土と安易なリストラによる頭脳の海外流出等が考えられる. 

数年前,わが国の電池技術の底上げを狙って,NEDOは“技術研究組合リチウムイオン電池材料評価研究センター(LIBTEC)”を設立した.理事長はリチウムイオン電池の発明者として著名な吉野彰氏で,電池関連企業OBの専任の職員数名が技術指導に当たり,各企業から派遣された若手技術者が新材料の開発に励んでいる.専務理事のO氏の悩みは企業の壁が厚くて,技術の共通化を図れる部分が少ないことのようである.また,財団法人日本自動車研究所は今後予想される世界規模の電気自動車の普及に鑑み,電池規格やその安全規格についての日本案の国際規格化をめざして懸命に活動を展開中である.性能規格や安全規格を作成するためには評価のための電気自動車用大型電池の入手が必要不可欠であるが,電池メーカーや自動車メーカーが機密の漏れるのを恐れ,評価用電池を快く提供しないのが悩みである.そのため中国製電池を購入したり,電気自動車を購入後,そこから電池を取り出しデータを採取していた.電池業界,自動車業界は電気自動車を今後の我が国の大きな産業とすべく,自社のみにとらわれず,もう少し大局的な見方で歩み寄れないものであろうか. 

ご存知の方も多いと思われるが,上越新幹線ではトランヴェールというフリーパペーパーが各座席に配布されている.帰省の折に見た6月号は鶴岡市の絹キャンペーンだった.そのあるページにこんな文章があった.「工房同士,横のつながりが強いことも他の産地とは違う点だという.お互いに隠すことなく技術の交換をしている.それが, 僅かずつだが,米沢織の進化につながっているのだろう.」 また,あるとき見たテレビでは, 京料理店の店主や板前の組織があって,定期的に互いの厨房を訪問し合ってそこでの料理を作っている様子を見学するのだそうな.お互い,高い矜持を持って, 同じ料理品目を物まねするのは恥であるが, 高い技術や材料に対するセンス等を吸収することが目的であるという. 

話は変わる.私事で恐縮であるが,私の郷里,新潟県の主要産業の一つは米菓である.父は米せんべい作りの技術者で,晩年は数百人規模の米菓会社の工場長だった.50-60年前,実家のある小千谷市片貝町という人口わずか4千人の町に米菓会社が4-5社あったが,次々淘汰され今は越後製菓(株)のみである.あるとき,ある会社が工場を新築した.どうもせんべいの乾燥がうまくいかないから見に来てくれと父が呼ばれた.競争会社にのこのこ出かけていき,戻ってきた父は「乾燥室の扇風機(当時はファンなどとは言わなかった)が逆回転していた.あれでは湿気が外に出ていかないわけだ」,そして「人には親切にしておくものだよ」と言っていたのを子供心に覚えている.今も新潟県内JR駅のキオスクで売られている“雪国あられ”は父の作品である. 

ヒトのヒトによるヒトのためのICT
関東学院大学材料・表面工学研究所
盧(ノ) 柱亨(ジュヒョン)
 
《 ヒトのヒトによるヒトのためのICT 》
Government of the people, by the people, for the people は、1863年、アメリカ南北戦争の激戦地となったゲティスバーグで戦没者を祀った国立墓地の開所式でリンカーン大統領が272語、3分足らずの演説の中で民主主義の本質を語った有名な言葉である。
この言葉を借りると、近年、急激に変化していくICT(情報通信技術:Information and Communication Technology)の活用から期待される未来を描くことが出来るのではないかと思う。即ち、ICTを積極的に活用することによって、ヒトのヒトによるヒトのための医療、介護・福祉、教育などの公共分野のみならず、ヒトの生活をより豊かに出来る「ものづくり技術」への貢献が期待される。
《 ヒトの五感を凌ぐICTの発展 Ⅰ 》
最近、ウェアラブル機器という言葉をよく耳にするようになった。しかし、その始まりは、万歩計からではないかと思う。運動不足になりがちの現代人の日常において、万歩計を身に着けて一日中の歩数を測り、健康管理をするのも「ヒトのため」のことである。最近、急激に普及が始まったスマートフォンは、持ち運べるモバイル電話機に小さいパソコンが付いているものと考えれば良い。その付加機能として「スマートバンド」や「スマートウォッチ」など、万歩計の機能はもちろんのこと、内蔵された様々なセンサーにより、心拍数、血圧、睡眠管理などが出来るものが続々登場するようになった。このように簡便に身に着けることをウェアラブル機器と称している。
しかし、現在のスマートフォンに次ぐ新市場として、注目しなければならないのが「ウェアラブルコンピュータ」の分野であり、その火付け役となっているのは、グーグルが開発した「Google Glass(グーグル・グラス)」と言うハイテク・メガネである。
その仕様は、メガネに、超小型のディスプレイ、カメラ、骨伝導方式の音声装置、データ保存用メモリー、無線機能などが組み込まれたモジュールが装着されている。ユーザーは、このメガネに音で指示をすると、自分が見ている風景をビデオで撮影したり、メガネのディスプレイ上に様々な情報を映し出したりすることができる。
このようなことは、007やスターウォーズなどの映画の世界だけで可能なことと考えていたが、「ヒトによる」熱心な研究開発の成果で徐々に現実化されている。しかし、いま発売されている製品は、ウェアラブル・コンピュータが実現できることの序章に過ぎず、将来的には、人間とコンピュータとが深く融合することで、身体の障害を克服したり、脳の働きをアシストしたりするようなことまで実現出来るのであろう。
《 ヒトの五感を凌ぐICTの発展 Ⅱ 》
日経エレクトロニクス・2014年5月12日号の特集は「ヒトより見える眼、クルマから広がる」であり、今日のICTがヒトのためにどのように発展してきたのかとこれから追及するべき道を垣間見ることができた。
簡易な人感センサーや軍事用カメラなどに用途が限られていた赤外線センサーは、社会インフラや民生機器などへ応用範囲が広がっているが、これから大きく変わり、車載向けのナイトビジョン(Night Vision)が牽引する「第2幕」に入ると予想されている。赤外線は赤色よりも波長が長く、人間の目では見ることができない光であり、波長によって、「近赤外線」「中赤外線」「遠赤外線」の3種類に大別される。それぞれの赤外線が持つ特性を利用して目的とする機能を引き出し、更にこれらの機能を融合させることによって、ヒトより見える眼を持たせる。その眼で暗闇にいる歩行者や動物を映し出し運転者の視覚を補助するナイトビジョンは、現在、一部の高級車に限られるが、2016年欧州のクルマの安全評価機関であるEuro NCAPの評価項目として追加され、アメリカのNCAPや日本のJNCAPも導入を急ぐなど、横滑り防止装置やブレーキアシストなどのように急激に標準装備化が進むようになると予想される。
また、暗闇の中、前方にあるヒトや動物を赤外線カメラが映像として認識することだけではなくセンサーとの融合により、より高性能、高信頼性のナイトビジョン・システム開発に繋がり、将来的にはクルマの自律走行(自動運転)システムの進化にも拍車をかけると思う。即ち、ナイトビジョンから得られた信号は、クルマの神経網であるCAN (Controller Area Network) バスを通して、ECU (Electronic Control Unit)送られると、他のセンサーなどから送られた信号を総合・判断し、車の安全や自動運転も可能とする。
しかし、このように素晴らしいものが開発されたとしても普及を促すためには、規格の標準化とコストを下げるとともに省エネ性能までにもICTの応用範囲を広げなければならない。
 さらに、ICT応用機器が増えることにより、ヒトの五感を代わるセンサーやウェアラブル・コンピュータから収集・蓄積できる情報は、膨大な量のデータ(ビッグデータ)として綿密に分析することで、ヒトの行動予測やマーケティングにも応用し、ヒトのためのICT機器が普及した近未来がどうなるのかを考えていくことも大事であろう。

栗田製作所の西村芳美社長より
関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間 英夫
 
5月に高井先生を中心にしてドライのセミナーを開催した。栗田製作所の西村芳美社長にソルーションプラズマについて開発状況を説明いただいたが、技術的な内容は勿論のこと、企業を立ち上げるにあたっての苦労話、発想の仕方など興味ある話であったので雑感シリーズにまとめていただいた。以下その内容を紹介する。
 イノベーションにはイノベーションで答えたいと、常に自分に言い聞かせている。ところが、新しい発想(発創)をすると、世間は認めたがらない風潮がある。特に中小企業が発明した技術を売り込む場合は顕著である。大歓迎されることなく、ほんまに使えるの?実績はあるの?品質保証はできるの?即時対応のメンテナンス力はあるの?と重箱の隅を爪楊枝で根掘り葉掘り詰めてくる。その上、アプリケーション開発を要求し、挙句はターンキーシステムにまで熟成しなければ採用はされない。技術開発志向の小企業の最大の弱点であり、経営資源の重荷である。大手のモノづくり企業の実力維持が必要な時代なのに、次の技術を自らの汗で開発しなくなり、オープンイノベーションと称して、中小企業のもつ特異技術の発掘に走りすぎて、今日の現状に陥っているのは明らかだ。
大手企業や国公立研究機関の、商品開発や技術開発に取り組むシステムと組織とスタンスを再考すべきではなかろうか?それらの多数の研究者・技術者に会ってきて、みな優秀で賢いのではあるが事業を創りだすエネルギッシュさを感じることは少ない。そのシステムと組織に去勢されてしまっているのだろう。いないのではない、中小企業のエンジニア達には、やんちゃで向こう意気が強くて気を吐く輩が散見される。
少し前になるが、起業せよ・起業せよ・ベンチャーを立ち上げろと大号令がかかった過去の経緯がある。一つ発明した技術者が会社経営を夢見て企業しても、簡単に成功するものではない。技術や商品には寿命が有って、数年後に苦境に陥ることは常である。数年ピッチで新技術・新製品を投入していかなければ、継続した事業経営は成り立たないのである。当時に、私は「数年後に借金まみれになった人を量産するのか!と、くってかかったことを覚えている。モノづくり技術に長けた人を、不得手なお金回し作業に追い込まないで、本来の才能をスポイルすることなく育てあげる仕掛けがいる。
 モノづくりの初歩は、不思議がり好奇心を持って、まねることだろう。自分の手で、工具を持ち壊すのが手始めであろう。不要になった物品を捨てる前に、解体するのである。様々な物品が目に入る。バラすのは、簡単だ。再び動作させる必要はない。次に、分解である。今度は再び動作させなくてはならない。再動作させるために、各部品がどのような機能を果たしているのかを知る必要がある。今度は修理である。修理は機能を果たさなくなった部品の代替を考えなくてはならない。
往々にして、もう修理部品はない場合が多いので、自分の手で作り上げる場面が多くでてくる。この辺りから技術者の力量差や本領が出てくるのである。しかし、最近の機器はこじ開けても、全く陳分感奮のデバイスがでてくるだけである。ここで諦めると、なにも進まないので、次の言葉を贈る。一日10回「なんでやねん」を発することである。眼に入るもの、耳に聞こえるもの、鼻に匂うもの、舌や躰や肌に触れて感じるもの、仲間が発する言葉の意を汲みとろうと、真剣にすべてを不思議がることである。,br>  不思議の種を見つける方法は、五感に入る情報量を多くして、色や景色の変化を感受し、可聴音を聞き分け、香りや臭い味覚をかぎ分け、触れて温度・振動・滑らかさを実感してみることだ。自分の未知の案件を見つければ、何なの?なぜだ?の疑いを持ち、超便利になったネット検索を利用して調べて、ロジカルに自分のメモリーに知識を積分していくと、自分の専門分野と本業以外のデータベースが出来上がる。
このようにして蓄積した豊富な積分知識(雑学も博学のうち)から、ぶち当たった課題解決に必要な断片情報類を、自由な発想で自在に組み合わせ、微分的にアイデアとして出力するのである。
 不思議がる一つのトレーニング法として、絵画を鑑賞するこが挙げられる。絵画は、写真のように事実の一瞬を切り出して感動を与えるものではなく、画家の思想が反映されるのである。したがって、見る者の感受性で評価が相反することが多々ある。特に印象派の画家に多く見られるのが、視点が異なるパーツを一枚のキャンバスに収めている。顕著な例が、セザンヌの「台所のテーブル(籠のある静物)」(1888-1890年頃)であろう。花瓶は上方から見た視点で描かれ、籐の籠は下方からの視点で描かれている。見る側の者にとって何の違和感も無いが、その事実に気づいた(発見)瞬間から、この作者の作品群からも仕掛けを発見することに夢中になるのである。ヤン・ブリュ-ゲル(Jan Brueghel the Elder 1568-1625)、Flowers in Wan-Li Vase もそうである。細口の青磁の花瓶にたくさんの花が活けられている。しかし、花の茎を束ねたら、細口のネックには到底入りきらないのである。画家の虚が平然とたたずんでいる。絵画は思想が潜んでいるのである。だから美術館通いは止められない。

 一方、エンジニアは自然界の事実と向き合っているから、騙されることは無い。そのため自分の感性を磨かないと、感じることや・見えないものだ。たとえば、日々に扱う計測器の、その指し示す結果を読み切れるかが研究進展の鍵になる。オシロスコープ等の観測結果がなにを意味するのか、無機的な測定器と会話(交信)出来るようになるまで自身の力量を高めることで、問題解決の糸口を見つけることができる。改めて、人は優秀なセンサーであり、計測器であり、メモリーであることを自覚すべきである。常に不思議がることで感受性を鍛え、自分自身を超優秀な情報処理装置に仕上げることである。真剣に自分の感性を高め、感受性を研ぎ澄ますことにより、相手の思い(想い)を理解できるようになる。イノベーションの志を共有するパートナー達と意気投合出来れば、新しい機能を有するモノ作りのテーマを発見し、具現化するための糸口を見出すことが可能になる。三人寄れば文殊の知恵とは、含蓄ある教えである。
感受性を鍛える手法は自然を観察するのが一番。百姓(兼業農家)をして米作りをしていた経験がある。先祖から引き継いだ田んぼで、父の老齢化に伴い稲作を引き継いだ。10年を経過したころから、稲穂と会話ができるようになった。葉の色・茎のしなり・穂先の擦れあう音・田んぼ全体の色合い、天候や気温の対自然の観察眼を養うことにより会話が可能になり、施肥のタイミング・補水・施薬・収穫日などが、半日単位で「今や!」が判るようになった。さもないと、収穫期の台風で倒れたり病害虫に蝕まれ、おいしい商品米にはならない。僧侶の修行にも一致する。
翻って、メッキやドライプロセスのタイミングも同じだ。観察眼を研ぎ澄まし、色・彩度・濃淡・臭い・音・温度・等を感じることで、工程の進捗様子や出来不出来までも判断できる。プラズマ種にあっては、発光色でアルゴン・ネオン・窒素・酸素・水系・アルコール系・ケトン系などの種類が判別できるようになれば、研究の進捗が早くなるのは明らかだ。モノ作りは、自分の感受力を高めないと一人前にはなれない。
毎日や毎年のルーティン・ワークのもの作りから、モノ造りについて考えてみたい。造の漢字が入る単語に、建造・造園・造作・造幣・などたくさん出てきて、物をこしらえるとある。目に入る先祖・先達の知の蓄積の造り物を、注意深く観察すると不思議さが見てきて、当時の技術に思いを馳せることができる。伝統ある寺社仏閣の創建の苦労、姿や意匠、躯体の工夫、飾り金具から、当時の仕掛け人や作者や職人の想いが感じ取られ、人の技術の真髄が見えてくる。特に飾り金具は、神社仏閣の建造物に多用され、その意匠や表面処理法を観察すると、参詣の機会の一つの視点として楽しいものだ。このように温故知新、古くて新しい発見につながる言葉として有名である。この言葉を変形した、温故知真・温故創新などもある。モノ造りには、人の思いや思想が入っている。
話を反れて、人の営みの継承や相続についてである。残念なことに、人に蓄積された腕前や技や知識や能力の継承が、すべてなされるわけではない。脈々とした人の営みにおいて、最大の宿命である。故に、親方が弟子に、親が子に、先生が生徒に、必死になって教育相続をするのはここにある。動物の本能である生き残る術を伝承しているのである。
日本ではモノづくり技術の相続問題が浮き彫りになっている。定年の制度で団塊の世代人が会社を去り始め、技術の伝承や口伝がままならぬ事態に面している。知識が詰まった先達たちが白骨化する前に、脳のリハビリと知のリサイクルと称して再活性化をしてもらい、知の相続をする仕組みと仕掛けが必要だと焦っているのは、私だけではない。
個人的に少しでもお役に立とうと、農作業小屋を趣味作品展示場・職人技伝承教室・発創力道場と称した“あとりえy&y”を手作り、交流の場つくりを手探りで始めている。一念発起して、私の生涯スポーツであるバドミントン仲間の大工さんとの共同作業である。兼業していた稲作が赤字脱出できないので、筑後100年余の朽ちかかった農小屋の再生を試みたのである。農作業道具を廃棄し・壁を壊し・柱を間引きし、今で言う1ルーム化をして2~3十人が集まれる空間作りを目ざした。その設計と作業の過程で、より深く世界の造形作品を観察するようになり、先達の作品を真似ながら、自分流に工夫とアイデアを組み合わせ、さらに大勢の仲間からのヒントや協力を得て、オリジナルな造作物へと進化させていった。
中でも世界各地の建造物を調べるにあたり、グーグルマップのストリートビューを大いに活用させてもらった。超便利になったものだ。彼らの知恵にほとほと感心しながら、人の知恵の集積は凄いと改めて思い知らされた。斬新な造形物は否定されると壊され見直されて改造され、これで満足となるまで執念で進化させる。味が出るまでには、年月がかかり、手入れを施し、可愛がり、変化を感じながら育て上げるのである。育くむことを忘れたら、朽ち落ちるか枯れる。当たり前であろう。庭もしかり、木々を思い切って剪定して新面を出してやることで、その周りから新芽がでてくる。数年先またその先を目論んだ想いによる、人や木々の入れ替えや剪定と布石が必要だ。布石は創造の原点であり、夢の要だ。要とは扇子(扇)のヒンジ部分を指すのが、拡げる中心部である。少し、拡大解釈かも知れないが、扇子は指揮棒になる。武将たちは好んで多用し、閃いた時には扇子を折りたたみ指し示しては、何某を動かしていたに違いない。
話を戻して創を考えて見よう。近年、スポーツ界では10台後半~20歳代の日本の若者の世界進出が相次いでいて心強い。各分野で一人二人のチャレンジャーが活躍すると不思議と活性化される。私の時代は、力道山・王貞治・長嶋茂雄・大鵬・柏戸の時代である。表面技術の分野でもヒーローが現れて欲しいと望むところである。ヒーロー個人の努力が注目されるのは当然だが、いく年もの前の発願時点から、長い年月の時間とお金を費やして、育くむ仕掛けと仕組みをつくり、育て上げる強い意思をもった両親や家族やコーチ、仕掛け人や裏方の献身に敬意を表する。
そういう意味で、今こそ、中小企業の出番である。ヒーローになれるチャンスはある。大企業のサブルーチン化された仕事、マニュアル化され拘束がかかった研究からはブレークスルーやイノベーションは起こりにくい。自ら組織の壁を乗り越えて手と額に汗して創り出すことは不得手である。都合、血眼になって中小企業の技術探索に労を費やしている。したがって、今こそ大小の垣根を取り払った、上下のピラミッド組織では無く水平にネットワーク化された小回りの利くエンジニア集団をゆるやかに拘束する仕組みを設け、寄って集って・交わって・創造の天岩戸をこじあけるチャンスじゃなかろうか。
自分の専門外の知識をまでも身に付けることで、イメージの空間が拡がり、寝ている枕元に閃きが降臨すると考える。化学屋がプラズマ反応場を理解し、電源屋がプラズマを深く理解することで、相互に共通した問題・課題を共有すれば、これまで出来なかった“夢”に近づけるハズだ。
高井先生(当時・名古屋大学)の「創の想い」によって、私が液中プラズマ電源を開発したのは2005年である。当初見向きもされなかった水中プラズマが、高井先生によってソリューションプラスマと名を変え、今日に至ったのは周知の事実である。思い返せば10年の年月が経ってしまった。新しい技術分野のアイデア出しから、魔の川・死の谷・ダーウインの海を渡り切り、世の中に貢献できそうなアプリケーションを形として作りあげ、育てて花を咲かせ・さらに世の中に受け入れられる実を結実させて事業化に至るまでは、世間からはお叱りを受けるがこれ位の年月はかかる。つい2か月前にようやく、水流中にもソリューションプラズマ連続反応場が安定に維持させることに初めて成功した。この時も、自分を追い込んで・追い込んで寝ていた時に降りてきた。「創の想い」に応えるには“閃き”で答える必要がある。
プロジェクトを成功させる秘訣は、お金もしかりだが最後は「人の執念・牽引力・人脈・運・根気に足して発創(想ではない)力だ!」ということで、結びとしたい。
謝辞
 このような述懐の機会を与えて頂いた関東学院大学 材料・表面工学研究所 本間英夫所長、高井 治 副所長に深謝します。

開発案件
関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間 英夫
研究員 梅田 泰
 
関東学院大学 材料・表面工学研究所では7名の教授、4名の研究員、16名の大学院後期課程、1名の前期課程、6名の学部生、そして常に10名以上の企業からの研修生が湿式プロセスにこだわり、開発を続けている。
開発はともすると優秀な頭脳だけでなく、プロセスや素材に対し、直向きに挑戦することで良き結果を得られることが多いように日々感じている。なかなか良い結果が出ない研究でも、続けているうちに思わぬ解決策を思いつく。この場面に遭遇するたびに心が躍り、体が熱くなり、さらなる新しい開発へと意欲が燃えてくる。
そんな日々の中で開発されている内容を紹介したい。

開発案件①

AFMによるガラス上めっきの表面分析

 ガラス上への新規めっき法として、ゾルゲル法を用いた触媒層形成プロセスについて検討を進めている。これまでの実験結果では、ホウ珪酸ガラスに対して0.3 kN/m程度の密着強度が得られることが判明した。そこで、本実験では、密着メカニズム解明の一端として、AFMによる表面分析を行った。
 ガラス基板には、ホウ珪酸ガラス(Shoot製Tempaxフロート50mm×50 mm×0.7 mmt)を用いた。コーティング液をスピンコーターでコーティング後、乾燥、焼成を行い、触媒層を形成した。
サンプルへのめっき工程は、水素化ホウ素ナトリウム溶液(2 g/L 50℃ pH 10.5)により2分間還元処理を行い、水洗後、無電解銅めっき浴に10分間浸漬し、0.1 um程度めっきした。無電解めっき後、120℃で10分間乾燥後、電気銅めっきにより15 umまで厚膜化し、乾燥、350℃1時間の熱処理後、ピール試験を行った。
AFMによる表面分析

未処理ガラスおよびゾルゲル法により、コーティングを行ったガラス基板、電気銅めっきピール試験後の3サンプルの表面状態をAFMにより観察を行い、表面形態観察と平均面粗さ(Ra)測定を行った。
 未処理ガラス基板に対して、コーティング後の表面は、粗さが増し、微小な孔が確認できる。
ピール試験を行ったサンプルの表面形態は、斑になっており表面粗さはもっとも大きくなった。ピール試験後の、サンプル面内の高低差の測定を行った結果、高低差は約13nmの値を示した。この値は、TEMにより観察したコーティング膜の膜厚と近い値であることから、コーティング膜はピール後、ガラス基板から剥離していると考えられる。

開発案件②

湿式法による微細金属パターンの形成

近年、タッチパネルディスプレイやソーラーパネルなどには、透明導電膜としてITOが用いられている。しかし、ITOは電気抵抗や作製コストが高いなどの問題があるため,代替材料として電気伝導性の高い金属パターンを、目に違和感がない程度に微細形成する研究が行われている。
そこで、経済的に効率の良いめっき法を用い、微細金属パターンを ガラス上に作製する方法、樹脂に転写する方法、樹脂上に形成する方法の三手法の検討を行った。

ガラス上の微細金属パターン作製

チタンを含む感光性金属錯体溶液をガラス上にスピンコーティングし乾燥後、フォトマスク(線幅:5 um,ピッチ:100 um)を用いてフォトリソ法により微細パターン形成を行った。パターニングした感光性金属錯体膜を焼成し,酸化チタンセラミックスへ変化させ,選択的に銅めっきを施した。

微細金属パターンの樹脂への転写

微細金属パターンを作製したガラス上に、液状の樹脂(COP、PI、PMMA、PDMS)を塗布・硬化し、ガラスから引き剥がすことで、ガラス上の微細金属パターンを樹脂上へ転写した。

樹脂上の微細金属パターン

UV照射装置により生じたUV光を、フォトマスクを通して樹脂(PET、PEN)へ照射することで、樹脂表面を選択的に改質した。さらに、異常析出を抑制する前処理を併用し選択的に銅めっきを施すことで、微細金属パターンを形成した。 チタンを含む感光性錯体溶液を用い。ガラス上に微細金属パターンを形成可能であり、さらに、各種樹脂上へ微細金属パターンを転写できる事を確認した。また、UV照射により樹脂を改質する事で、選択めっきにより直接微細銅パターンを形成した。これらの手法により、基板の透明性を有したまま、ITO膜に比べ著しく低い電気抵抗度を示す透明導電膜を作製した。 本手法を用いたガラスおよび各種樹脂材料上へのめっき法による微細金属パターンの形成により、高透明度・低電気抵抗度を示す材料の作製が可能であることを明らかとした。

開発案件③

UV改質法を用いたアルミニウムとポリイミド混在基板への選択めっき

回路基板上に半導体を実装する方法として、電極パッドと基板を電気的に接続するワイヤーボンディング法が利用されている。しかし、近年の小型軽量化を進める上でワイヤーのスペースが障害となっている。そのため、新たな実装方法としてワイヤーを使わずにダイレクトに実装するフリップチップ法が注目されている。
フリップチップ法を採用するにあたり、チップ回路形成を行うための処理として、電極および有機絶縁膜上にスパッタを用いたドライプロセスが用いられているが、コスト面での課題が上げられている。
電極材料の多くはアルミニウムが使われている。一般的にアルミニウム上へのめっきにはダブル亜鉛置換法が用いられている。しかし、亜鉛置換浴は強アルカリ性・強酸性であるため、アルミニウムのエッチングロスや有機絶縁膜へのダメージが問題になっている。
そこで本研究では、アルミニウムに対してジンケートレスでめっきを行い、有機絶縁膜に対してはUV光を部分照射することで部分改質し、選択的にめっきを行う技術を組み合わせた湿式法によるめっき工程の検討を行った。
本実験で使用したサンプルは、12インチのシリコンウェハ上にアルミニウムをスパッタし、有機絶縁膜としてポリイミドを塗布後、電極としてアルミニウムをパット状に開口したものを10×10mm2のサイズにカットして使用した。まず、ジンケートレスでアルミニウム電極部に無電解ニッケルめっきを行った。
その後、散乱光で処理を行う主波長184.9nm,253.7nmの小型紫外線表面処理装置および疑似平行光で処理を行う主波長310nm,365nmのUV照射装置を使用して、素材とUV光の間に石英マスクパターンを介し、選択的に表面改質を行い、改質部へ選択的に触媒を付与しめっきを行うことで絶縁層への再配線加工を行った。
ジンケートプロセスを使用せずに、パット部分に密着性の高い無電解ニッケルめっき加工を行うことができた。UV照射によるパターン改質をすることでレジストを使用せず、再配線部に無電解ニッケルめっき2um厚に加工することができた。
また、UV照射による部分改質を行う際、散乱光で処理を行った場合では約50umのパターンまでしか形成できなかったが、平行光で処理を行った場合では約10umのパターンを作製することが可能であり、平行光を用いることでより微細なパターンを形成できることが分かった。
密着強度は散乱光で処理した場合では約0.7kN/mに対し、平行光で処理した場合では約0.3kN/mの低い密着強度となった。この原因としてはUV光の強度が平行光の方が低いため、改質に差があるのが原因だと考えられる。
ジンケートを使用しないことで絶縁膜へのダメージを抑制、且つ、レジストを使用せず10umパターンに2um厚の再配線を形成出来たことは、今後の半導体パッケージにおけるインフラコスト及びプロセスコストの削減に大きく貢献できると考えられる。
以上の三件について紹介をさせて頂いたが、どの技術もこれからの半導体開発に欠かせないもので、ガラスインターポウザーや超低コストのフリップチップの製造に寄与するものと期待している。これからも常に新しい技術に直向きに、飽きずに挑戦を続けて行きたい。

本年締めくくり
関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間 英夫
 
歳をとると一年間が非常に短く感じます。本年もあっと言う間に過ぎ去ろうとしています。 12月号は山下先生に雑感を書いていただきます。従いまして、多少早いですが本年の締めくくりとして、これまでの研究や教育を振り返るべく、卒業生と研究室に相談に来られた技術者に、私の教育法や研究がどのように生かされてきたかコメントいただきました。 まずは、産業界の技術のトップからのメールを紹介します。

ある企業の技術トップからのメール

本日は電話させて頂きたかったのですが、躊躇していたところに電話頂いたので大変うれしかったです。お忙しい週なので、只々先生の健康が気になっておりました。お元気そうで、声がリラックスされていたので安堵しました。
 思い起こせば27、8年前にシリコン上のめっき技術の件で、電話で先生に技術を教えてほしいと厚かましくお願いしたのが深くお付き合いさせて頂く機会となり、その後多くの技術を先生から授けて頂き、私の新しいめっき技術の開発に欠かせないものとなりました。
シリコン上めっき、アルミ上めっき、無電解ニッケルの抑制効果(かじりの悩み解決)、ボロンニッケルリン自動めっきの安定化、低濃度めっき、めくらピン内部へのめっき技術(温冷法)、粒子めっき(パテントにまで踏み込んで調整頂きました)、ガラス上めっき、銀ろう上の無電解ニッケル、硫酸銅の基礎技術、ウエハレベル補助金、まだまだありますが、どれも苦しんで、苦しんで困っているときに助けて頂きました。
また、多くの人材を私に託してくださったことも、大きな技術力アップになりました。盤石な技術集団を結集出来きたことで、私の部署では、年間利益18%を達成したこともありました。ウエハの開発では多大なお力添えを頂きました。初めてJAMF(現在のハイテクノの前身)で出会った以来35年、あの頃と全く変わらないエネルギシュな先生の今後のさらなる後進の指導を願っております。


「ダメなやつでも育てて見せる」その一

次は「ダメなやつでも育てて見せる」の代表的人物のコメントを紹介します。私が最近講演で枕によくこのことを述べていますので、重複しているかもしれませんがお許しください。
本間先生に出会たこと、本間研究室に配属されたこと、関東学院大学に入学したことは本当に良かったですし、私の人生にとって非常に大切なことでした。本間先生には、いくら感謝しても足りません。本当にありがとうございました。これから社会に出ていくにあたって「ダメなやつでも育てて見せる」という先生の教育理念の賜物であるという自覚をもって先生に恥をかかさないように頑張っていきたいと思います。
彼は学部生時代、先生方に挑戦的な発言をしばしばしたようで評価が悪かったようだが、私の研究室を志願してきた。発想が豊かなので先生方には生意気に映ったのであろう。私は、本人の将来性を考え、また、本人自身も学部で卒業しても社会に通用しないと思っていたので、大学院修士課程に進学するよう提案し、本人もやる気になった。
だが入学試験は難関である。英語力は低いし、専門の基礎学力もない。彼は進学を決めてから真剣に受験の勉強をしていたようだ。
私自身は、この種の受験勉強にはあまり賛成ではない。学生が進学を希望すれば、担当教授が受け入れ、育てればいいと思っているのだが、なかなかその考えは先生方には受け入れてもらえない。
私自身は、大学院に入るのに受験勉強など無駄であると思っている。エデュケーション「教育」はエデュース「引き出す」が語源である。勉学意欲さえあれば少し背中を押してやれば、必ず伸びるのである。
とにかく彼は受験勉強をし、見事合格点に達して修士課程に入ることになる。その後、研究に励んで多くの成果を出したとき、先生方は「えーあいつが!」と驚いたものである。さらに、企業からのサポートの下、博士課程に進学し、学位習得後、UCI(カリフォルニア州立大学アーバイン校)で研究開発に勤しんでいる。

「ダメなやつでも育てて見せる」その二

次は大学院入学当初実験がうまくいかず、うつ状態になったのであろう一週間以上研究所には来ないし、家出し両親はもとより私も大いに心配した学生の話。


本間先生との出会いは、関東学院でのオープンキャンパスでした。私は、当時工業高校の3年生で、高校での専攻学科は電気電子科でした。なので、オープンキャンパスでは、電気電子科を見る予定でいました。ところが、ここで、出会ったのが本間先生でした。
当時から少し、化学に興味があったので、化学科のブースで展示を眺めていると、勢いよく声を掛けてきたのが本間先生でした。
「化学に興味はあるが、工業高校出身で、しかも電気科専攻、今さら化学は難しいのでは」と言うと、本間先生生は「そんなことはない、今からでもやればいい」そんな風に言われました。
そして、その時の雰囲気は、今までに出会ったどんな先生とも違い、フランクで明るく、大学教授は威厳があり、話をするのも恐れ多いものという当時の考えを一変させられました。これが、本間先生の教育に触れた最初です。
そんな事から化学科に入学して、3年間、いろいろな先生の授業を受けて、やっぱり本間先生は、他の先生と何か違います。本間先生と接した事のある方は、少なからず感じているのでないかと思います。
前置きが長くなりましたが、本間先生の教育は、「まずやってみろ、理論は後付」、「バカやろう!と小突くこと」、「優しく厳しい」この3つだと思います。

「まずやってみろ、理論は後付」
これは、先生の実験に対するスタンスです。考えるよりもまずは実験し、その事象をよく観察するということです。
反応を見ていると本当に色々なことが起こります。同じ実験でも良く観察していれば、いつもと違うことが起こった時にすぐに気づけるようになりますし、「理論は後付」という考え方は、事象に合わせて柔軟な発想をさせます。 
「バカやろう!と小突くこと」
この言葉だけ聞くと、悪いことに聞こえますが、決してそうではないのです。親子以上に歳が離れていても、本当に距離を近いものに感じさせてくれます。         大学生にまでなると、人から小突かれるなんてことは滅多にないですし、何だか小気味よいのです。決して悪意なくコミュニケーションとして、小突く事が出来るのは、本間先生が、個々の学生の性質をしっかり把握しているからこそできることです。
「優しく厳しい」
私は、本間先生は優しすぎると感じています。私は、研究室に入ってから、とても実験が嫌になった時期がありました。
実験が嫌で、また学会が近く、気持ちに余裕がなくなって、つい逃げ出してしまいました。一週間くらい自宅を留守にしていると、大騒動になっていて、気が進まないものの、本間先生と話をすることになりました。(注、これまで本人は、連絡せず外泊することがなかったので、母親が心配になり大学の学生生活課に問い合わせをされたのです)
怒られるのだろうとドキドキしていました。けれども、そのとき、本間先生から何一つ厳しいことを言われませんでした。そして、このこと以外でも、本間先生から厳しく怒られたという記憶は今までありません。私にとっては、それが少しプレッシャーになるくらいに本間先生は優しいんです。「優しく厳しい」は、優しさが厳しさになり得るということです。本間先生はそれを知っているのだと思います。これが、私の思う先生の教育です。
彼もマスターを修了しさらに企業からの支援の下ドクターコースに進学していくつかのイノベーティブなテーマーに取り組んでいる。以上、教育研究に対する私の基本的な姿勢に対する率直なコメントを紹介させていただきました。

現在研究所には卒研生5名、マスターコース2名、ドクターコース16名、研修生15名、スタッフ6名の陣容で材料と表面工学の研究に勤しんでいる。
 

関東学院大学との出会い
関東学院大学材料・表面工学研究所
山下嗣人
 
関東学院大学との出会い
 
 中学三年生の修学旅行で神奈川・東京を訪れた。江の島をバックに記念撮影し、「七里ガ浜の磯つたい、稲村ガ崎名勝の」と、バスの中で歌いながら鎌倉へ移動して、大仏、八幡宮、頼朝の墓、建長寺、いすゞ自動車の組み立てライン、羽田空港、プラネタリウム、翌日は皇居、国会議事堂、上野動物園、白木屋デパート、浅草SKD春の踊りなどを見聞したが、田舎の中学生には新鮮に映った。横浜・鎌倉・江の島への憧れと夢、景勝の地、ミッションスクール、物理教員の勧めなどが本学へ進学する理由であった。
私の出身地である長野県南佐久郡臼田町(現佐久市)は海抜700m以上の高地で、冬は寒いが夏は涼しい。空気が綺麗で雨が少なく、電波障害レベルが低いことから1500mの山腹に惑星探査機との通信を行う「臼田宇宙空間観測所」が設置されている。町には農村医学で国際的にも有名な佐久総合病院、函館と同じ五稜郭(龍岡城)がある。北に浅間山、南に八ヶ岳の名峰を望み、市の真ん中を信濃川の源流である千曲川が流れている。一月下旬には寒中休み、六月初旬には田植え休み、十月初旬には稲刈り休みがあり、四季折々の豊かな自然環境で育ったことが理系への道に進ませたのであろう。
小学校低学年の頃、生物学者の義理従兄弟から昆虫採集と標本つくりを習った。トンボの尾が折れないように松の葉を入れること、バッタの内臓を出して、ホルマリンに浸した脱脂綿を詰めることを学び、トンボの研究で受賞したことがある。理解はできなかったが、学芸会で「火山の爆発」を再現したこと、明治~大正時代の実家が薬種問屋であったことなど、化学との縁があったのかもしれない。
関東学院大学での横山盛彰教授との出会いが、私の人生を決めたことになり、来年三月の定年まで大学に勤めることになる。二年生の物理化学演習のある日、「君の出身は何処かね」と尋ねられたことに始まる。横山先生は横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)助教授時代にドイツ、スイス、フランス、アメリカに二年半留学され、本邦に「電気化学」を紹介した人であった。文科省の意向により金沢高等工業学校長にご栄転、数年後の昭和二十二年、天皇陛下の行幸で金沢高専が選ばれたのは横山先生の手腕といわれている。横山先生は新制大学となる山形大学、山梨大学、静岡大学の学長を要請されたそうですが、お断りして金沢大学初代の工学部長を務められてご退官後、中村先生のご尽力により昭和三十六年四月に新設二年目の工業化学科教授として赴任されました。
 横山先生は長野県松本市のご出身である。長野県人は、「信濃の国」で知られているように県民意識が強く、横山先生は格別でした。父が教員であったことから、教員免許を取得していれば帰郷後に役立つと考えて、春休みと夏休みの夜間に開講していた教職課程を受講した。「人が人を教育する」教育の偉大さ、教育者の使命感に感銘を受けた。一級の免許があれば校長に昇格できる時代であったので、工学専攻科へ進学したが、工業の免許では採用の機会がなかった。同時期に横浜国立大学工学部の研究生となり、横山先生お弟子の鶴岡教授の下で、ニッケルのアノード溶解特性を研究した。この成果を発表した金属表面技術協会第三十七回講演大会が、私の学会デビューであり、表面技術誌の1970年1月号に初めて論文が掲載された。
その後、幸運にも技官を経て、文部教官助手となった。その頃の研究テーマは、銅の不動態化防止、カーボンと金属の接触腐食、亜鉛溶液中の微量カドミウムの優先分離、亜鉛負極の充放電特性などであったが、二十代の様々な体験は貴重な財産となった。
 昭和四十年代の後半には大気汚染が社会問題となり、電気自動車用電池の開発が急務で、亜鉛を負極とする二次電池が注目された。しかし、充放電時の樹枝状析出と不動態化現象を防止するという難題があった。これらの挙動を精査し、抑制すべき研究を行ったが、この亜鉛に関する研究が学位論文へと発展することになった。

亜鉛電池の研究‐学位論文への挑戦

 関東学院大学工学部工業化学科専任講師に着任した昭和五十四年頃、日本化学会秋季大会で発表したことがご縁となり、また、横山先生のお力添えもあって、東北大学工学部応用化学科で学位論文を指導していただくことになった。将来は学位を与える立場になるので、審査は厳しいと言われた。
外国誌に論文が掲載されていたので、英語の試験は免除された。ドイツ語のそれは最後まで分からなかったが、文献を引用していたことが幸いしてなかった。学位論文審査会への出席は化学系の教授のみであり、重苦しい雰囲気であったことを覚えている。学位を早く欲しいのなら、東工大の○○教授、九州大学の○○教授を紹介します。しかし、本当に勉強したいのなら、東北大学には幅広い分野の専門家がいるので良いですよ、とも言われたが、私の選択は正解であった。
過電圧が大きい領域での亜鉛に関する実績は横浜国立大学時代の研究で十分にあったが、電池は休止期間が長いので、電極/電解液界面での挙動と、休止電位近傍(3~4mV)における析出(充電)・溶出(放電)特性を調べることになった。運よく1mV単位で電位走査できるポテンシャルスイーパーが発売されたので、正確な電位‐電流曲線を解析することができた。次に交流インピーダンス法を用いて、電極反応を解析することになったが、国産の装置はなく、横浜国立大学院生が学会誌の解説を参照して作製したアドミッタンス装置を用いて、研究することができた。周波数を変化させて、その応答成分を表に記録する。その数値を基にインピーダンス軌跡を描き反応過程を解析するには多大な時間を要したが、「電気化学反応の安定性」という基礎電気化学分野の課題を解決し、休止電位近傍から、広範囲な電位域における電極反応過程を解明することができた。
二つの装置と学生の協力によって、「亜鉛の電極反応に関する工学的研究」の論文が完成して、工学博士の称号を得ることができた。これにより、研究者として認められるようになり、以下に述べる亜鉛に関する国のプロジェクト研究へと展開した。

国のプロジェクト研究への参画

 昭和五十五年新エネルギー総合開発機構により、新型電池電力貯蔵システムの研究が始まった。大容量の蓄電池システムにより、電力需要の少ない夜間(オフピーク)の電力を電気化学反応によって貯蔵し、電力不足が懸念される昼間に放出する電力需要平準化(ロードレベリング)機能を有するシステムのことである。五種類の電池が研究されることになった。
私は某社から再委託された亜鉛‐臭素電池の基礎研究を担当した。八時間の充放電を行うと、電解液の濃度は0.7~3.5モルに変化する。錯化剤や添加剤が含まれてはいるが、充電終期の亜鉛濃度が1モル以下になると、デンドライト析出になりやすい。亜鉛イオン濃度の変化に対応して、電流を制御する方法を提案した。1000kw級電池の実証試験が九州電力で実施され高い評価を得た。夏の電力不足が心配されると、この電池が話題に取り上げられる。自然エネルギーの蓄電用としても期待されている。
 昭和五十七年、本四連絡橋児島‐坂出ルート内の斜張橋ケーブルの防食を担当した。鋼線をコンクリートで固め、塩化ビニール樹脂で覆う工法が計画されていたが、コンクリート内では、鉄と亜鉛のどちらが適切か判断することになった。セメント模擬溶液中では、洗剤に類似した安価な界面活性剤の防食効果を見出したが、砂利や砂が混在したコンクリート内では亜鉛めっき鋼線に直接インヒビターを付与する防食法が有効であり、この工法が採用されている。
 亜鉛を負極とする一次電池には自己放電を防止するために水素過電圧の大きな水銀(亜鉛アマルガム)が使用されていた。しかし、公害問題から、水銀未使用亜鉛負極が求められた。Zn-Pb-In-Al合金の自己放電特性を交流インピーダンス法による水素電極反応の電荷移動抵抗から評価を行った。

文部科学省私立大学学術研究高度化事業・戦略的研究基盤形勢支援事業

「次世代高密度電子回路技術を視野に入れたナノスケール構造体の創製技術の開発の研究」が平成十七年度文部科学省私立大学学術研究高度化事業に採択され、「電気化学的手法によるマイクロからナノスケールの構造体の作製と超高密度配線への応用」を担当した。微小凹凸部への添加剤作用機構の解明、平滑な銅箔と樹脂基材との接着機構、電気化学的手法によるニッケル-リン結晶質/非晶質系多層膜および傾斜組成皮膜の作製と特性、機能発現機構の解明、皮膜の物理・化学的特性評価を行った。
平成二十四年度からは、私立大学戦略的研究基盤形成支援事業がスタートした。最新の分析機器を屈指して、「有機系添加剤複合効果の電気化学・結晶構造学的解析、環境調和型高機能化薄膜作製技術の開発」の研究に取り組んでいる、高度な分析装置が導入されたことにより研究は著しく進展している。
文科省の研究事業に二回採択されたことは、本学表面工学分野のポテンシャルが高いことを物語っている。

名前の由来

父の教え子さんに付けていただいた私の名前には、名字の「山下」がイメージされている。「山の下には水があり、林があり、大小の生命が誕生する聖地であり、次から次へと嗣(つ)がれている自然の美しい大地の場所であり、遠くは里あり」
と。長男である私には「あとつぎ」を意味する「嗣」の一文字をとって命名されている。
 実印を作ったときのコメントには、「生年月日から、長男の方であり、多少神経質な面もありますが、物事に熱中し、一つのことを成し遂げる方です。欲を出さない遠慮深い面もあります」と書かれている。五十一歳以降は「大成する頭領運」。外格数五は「福寿運」、繁栄成功の大吉数であり、「諸事中庸を得て、社会的にも信用され、多くの人を率いる指導者として、力量・風格も充分で、たとえ不運の生まれであっても一代で家を興す人です」とある。子供と孫の名前も外格数を五としている。
本学との出会いと運の良さ、これまでの歩みを顧みたとき、名前に因るところが大きかったものと、今は亡き名付け親に感謝している。
与えられた課題には誠心誠意をもって対応し、より優れた成果を挙げるよう常に努力してきた。退職後も新たな夢と希望をもって、社会に貢献しようと考えている。