今年の陣容

関東学院大学
本間英夫

 新年度に入って、すでに三ヶ月経過した。今年は大学院のドクターコースの在籍者が四人になり、今までより研究の質と量が大幅にアップすると期待している。研究体制を紹介すると、ドクター二年一名、一年三名、マスター二年四名、一年二名、学部四年生(卒研生)十一名のトータルで二十一名の大所帯である。

 研究テーマは現在のところ大別すると、無電解めっきでは銅、ニッケル、銀、金等に関する浴の開発、電気めっきでは銅と金に注力し、基礎から応用研究を網羅している。特に最近は、エレクトロニクスへの応用が多くなっている。

 また、研究生活に入ってから中村先生と今井先生の指導のもとに、環境を意識した廃水処理やリサイクルに関して研究を続けてきたので、一貫して必ずエコテクノロジーに関するテーマも入れている。さらに表面処理のいずれの分野においても、高度な制御が必要になってくるので、センサーの開発も怠たっていない。

 今年のテーマは三十二にも及ぶ。これらのテーマを私とドクター二年が統括役になり、一年はそれぞれのテーマの中で興味や、得意とする領域から均等に選定している。

ドクター志願者の受け入れ体制の確立

 旧帝大の大研究室を除いて、特に私学においては一研究室にドクターが四人もいる研究室はめったに無い。

 先日、ある外資系のエレクトロニクスメーカーの技術者と話す機会があった。アメリカの本社から日本の大学と研究のタイアップをしたい。ついてはどこが良いかと言うことになり選定作業に入ったとの事。

 当然、その道で燦然と輝いている研究室を訪問することになる。ところがその研究室のスタッフ、特に統括役のドクターは、日本人がゼロ、すべて東南アジアや中国からの留学生であったとの事。日本の研究開発力や技術力はどうなるのであろうか。

 外国から日本の大学が評価され、諸外国からどんどんドクター志願者を受け入れるのはよいが、しかしどこの大学でも日本人の志願者は少なくゼロという研究室が非常に多い。

 大学院レベルの研究が、すべて日本人以外で取り組まれている現状、次世代を担わなければならない人材の育成に、おおきな問題を投げかけている。

 なぜ日本人がドクターに進まないのか。大学は単に資格をとるための場所になってしまったのか?マスターまでの資格をもっていれば、かなり使えると産業界がどんどん受け入れる。ドクターになると研究領域が狭まり、融通が効かないと敬遠するのか。

 また、研究心旺盛でドクターコースに進んでも、学位取得までストレートでも二八歳、少し寄り道をすると三〇歳を過ぎてしまう。研究能力、指導力を存分に培ってきたドクター修了者を目先の利益だけを追求している企業はほとんど受け入れてこなかった。

 したがって、大学の教員志望、または公的な研究機関研究員としてしか、道が無かった。しかもその受け入れ人数は極めて少ない。これでは更に研究をしたくても、将来が不安である。したがって当然、マスターまでは進むが、ドクターまでという学生は極端に少なくなってしまう。この現状を改善しなければ、日本は諸外国から遅れをとってしまう。いや、すでにもう完全に何歩も遅れている。

 教育改革は底辺の初等教育から最高学府の研究者養成のドクターコースまで、抜本的に改革しなければならない。それには国公立の教育機関、研究機関は勿論、技術指向の高い企業がどんどん受け入れる体制を構築しなければならない。

 四月号にも書いたが、あのノキアはドクターが全研究者の約十五%、世界にちらばっている。二一世紀、日本の産業界もいち早く研究開発能力を更に強化しなければならない。

魅力あるドクターの養成を

 前述のように私の研究室には企業から派遣されドクター志願者が多い。したがって我々の研究能力も上がるし、数年後は開発力と指導力をつけた研究者が企業に戻ることになる。社会人のドクターを受け入れるためには、大学の教員が産業界の動向を知り、より実務的なテーマを、これまで以上に設定していかねばならない。

 一般的にはドクターといえば、上述のごとくより専門化し、狭い領域しか追求していないので、企業は受け入れを渋ってきた。実際、大学側にも問題があり、研究、教育の自己評価、自己点検が義務付けられ、したがって研究室の業績のアップにばかり目が向いている。TLO、産学協同と毎日のように各種報道機関が報道し、有識者が日本の研究体制を憂えてコメントしているのに、なぜ大学の研究室が体制を変えようとしないのか。このままではドクターを受け入れてくれと懇願しても、魅力が無いから受け入れられないであろう。

 一部の大学では産業界と緊密な連繋を取り、その胎動を感ずるが、我々教員がぬるま湯体質から脱却しなければならない。

研究室の指導体制

 私の研究室では、産業界からきたドクターコースの学生と私とで、指導者的な役割を担っている。したがって専門ばかを養成しているのではなく、高度の研究能力と人間味豊かな指導者を養成しているのである。

 またマスターコースの学生は、すでに卒業研究を通して研究のセンスは備わっており、実質的な実験の担い手になっている。

 卒研生は一年間研究生活の後、二、三人の進学希望者を除いて、すべて就職することになる。したがって、彼らは短期間で研究の内容を理解し、卒業研究をまとめねばならない。三年間遊びほうけてきた彼らに、一年間で基本的な礼儀作法を始めとして、研究をやる以前に人となりを教えねばならない。

 我が大学の建学の精神は、キリスト教に基づく「人となれ奉仕せよ」が基本にある。この考えは、日々の研究生活の中で、ケーススタディ的に問題を取り上げ、私なりの考えを伝えると共に彼らの考えも聞き、お互いに人間として何が大切か学んでいる。

 まずこれがベースとなり、更に彼らが的確に研究の目的と、そのテーマを遂行するためのスキルを迅速に吸収していく。

 企業の場合は研究者の入れ替わりが無いので、良い人材を確保すれば研究の効率は高いと考えがちである。だがここに、ともすれば徐々に活性度が低下するという落とし穴がある。我々は企業のプロ集団ではないから、教育と研究の機関であることを常に認識しながら、事にあたらねばならない。

 こんな大所帯ではなかった教授になる前、しかもほとんど大学院生のいなかった時は、学生と一緒になって人生を語り、夢を語り、また自分が率先して実験をしたものだ。したがって自分の情熱が学生にじかに伝わり、またスキルも皆一様に高まった。

 しかし、最近は大学内の会議、講義、学会関連の委員会等で、自分自身では実験をやる時間が割けなくなってしまった。したがって実験は学生主導でやらざるを得ない。学生主導になると当人の研究に対するセンス、情熱、卒研生に対する指導力によりそのテーマの進捗度が決まってしまう。

 大学の研究では、研究スタッフの入れ替わりは卒研生が一年、マスターは二年、ドクターは一般的に六年と言うことになる。しかしドクターの場合はマスターからストレートに進学するのはまれで、上述のように一度、産業界に出て社会人入学でドクターコースにきているので実質的には三年で入れ替わることになる。

 マスターとドクターの間で意思の疎通がうまく取れないことがこれまで多かった。社会人入試で入ったドクター二年生が、昨年は遠慮していたが、四月に入って新しい陣容になったのを契機に、如何にして効率よく卒研生の能力をアップするか提案してきた。

研究の能力アップ速成法(一年がかりのテーマを一ヶ月で!)

 その方法というのは、次のようなものである。私も大学を卒業してマスターに入ってからは、実験をほとんど任されていたので、若い頃は楽しく、効率よく集団で実験をやることが多かった。手法はほぼ同じである。

 先ず、最上級生が、ほとんどすべてのテーマを掌握する。勿論、自分で一番キーになるところは、きちんと自分自身で実験する。下級生であるドクターの一年生は複数のテーマ、しかも少なくとも五つ以上担当する。個々のテーマには、マスターと学部生を一人つける。マスターの二年生は複数のテーマを、一年生は単独テーマを学部生と兼担する。

 新年度に入る前にマスター以上の学生の意見および産業界からの要請も入れ、テーマの概略は決めている。これらのテーマを学部生に割り当てるにあたっては一、二週間かけて一通り基本的な実験のやり方を引き継ぎ、皆が共通理解をした上で、テーマに対する要望を聞く。要望どおりにテーマを決め、一年間を通して実験をやると、結果がどんどん出るテーマと、一年かけても思った結果が出ないテーマ、実験に対するセンスからくる向き不向き、マンネリ化等、テーマを固定することによる欠点が多く出てくる。

 そこで今年は思い切って最上級生の要請に基づき、研究室のテーマの中で基本のテーマを選び、三ヶ月間だけ大きく二つのグループに分け全員で実験をやることにした。

 新しいめっき液を開発する場合、基本組成をある程度決めたあとは、各種の因子を変えて、条件を決めねばならない。これには莫大な実験量が必要である。一人で計画から予備実験、更には本実験をやると一年以上かかってしまう。それを各因子、条件ごとに新しい学生に振り分け、いっせいに実験する。勿論、予備実験で、ある程度は浴の基本組成、条件を調べた上で更に最適条件、皮膜の各種特性を調べていく。

 研究室に入って間もない卒研生が信頼性のあるデータが出せるのか不安があるが、基礎的な実験だから手順さえ間違えなければ、再現性のあるデータが出るはず。化学天秤の扱いから始まり、試薬の調整法、希釈方法、かくはん、pH調整、前処理法、データの収集法にいたるまで、すべて綿密に全体指導する。

 その後、各人に条件、各因子を振り分け、ほぼ同時期に実験を開始し、同時期に実験を終了する。次いでデータを持ちより、皆でまとめの作業に入る。集まったデータの報告は未だ経験は浅いが一人の卒研生にやらせる。補足説明は残り全員の卒研生が行う。発表と補足説明はローテーションを組む。実験結果の解析および全般的な考察は統括役のドクターが行う。しかも本年から実験の進捗状況の報告会を二週間おきに行うことにした。

 報告会になると、やたらコンピューターグラフィックに凝り、中身より図表を作ることにエネルギーを費やしてしまう。荒削りでいいから中身で勝負しろと、今まで言ってきたが、どうしても凝ってしまう。そこで、この短期の進捗説明会には生データーを提示し、あまり加工しなくても言いといっている。

 従来から行ってきた中間報告会は二ヶ月から三ヶ月ごとに行う。こちらの報告会は外部の人を呼んだりしているので、一応フォーマルな発表会を意識させている。

 五月の連休前に第一回目の進捗説明会を行ったが、集団で実験した成果は、予想以上に大きかった。今から十年以上前、ほぼ同じ実験を一人の東大卒で企業から派遣されていた研究生にやってもらったことがある。当時、一年かけて蓄積した実験結果をまとめ、学会で口頭発表し、その後はそのデータはお蔵入りになっていた。今回、たった一ヶ月で当時蓄積したデータより、更に大量の結果を仕上げてしまった。数多くの因子について検討しなければならない実験の場合は、この種の集団による方法は、きわめて効率がよい。企業の研究開発でも、この種のルーチン的で膨大なデータを蓄積し解析しなければならない場合には、効率のいい方法である。是非採用してみてはいかがだろうか。

 ただし、企業の研究者はどちらかというと一匹狼的になっているので、学生のように素直にチーム全員で一丸となって、やるのは困難を伴うかもしれない。しかし考えようによっては、互助の精神、ルールを決めて一年のうちで何度かテーマ事にやってみるのがよい。

 とりあえず、六月いっぱいまでこのやり方でいく予定である。テーマは三つか四つこなすことになるだろう。三ヶ月で、一人一人がすべてのテーマの基本的な内容をつかみ、スキルも高度化するであろう。

 したがって、その後、各自のテーマに入っても相手の実験の内容がわかり、討論にも深みが出てくると期待している。しかしながらこの種のやり方はトップが信頼されていないとうまく機能しないし、トップダウンなので、研究に必要な観察眼、考える習慣や新しい発想など、研究者として大切なセンスが出せなくなってしまうので、教育機関では、あまり長くやってはならない。

外部からの刺激、大学の研究室に学ぼう

 企業や公的な機関の研究開発について言えば、その集団の価値観はほぼ同じである。また、人の入れ替わりはめったに無く、新しい研究者が入ってくるとしてもその数は非常に少なく、研究は個人の情熱とポテンシャルに依存してしまう。したがって研究の活性度を維持することはきわめて困難となり、徐々に活性度が低下するのが常である。

 大学の研究に関しては、講座制のしっかりしている大学以外はほとんど素人の集団である。しかし、素人集団であっても、目覚しい実績をあげている研究室がある。基礎的で重箱の隅をつついているとの批判もあろうが、必ずしもそうではない。意識的に教員によっては危機感を感じ大学として、いったい何が教育と研究に大切か常日頃考えている。

 幸いにも私の研究室は、この業界に関するテーマを中村先生の時代から一貫して取り上げ、頑固に目移りすることなく徹底して、その領域にこだわり続けて来た。上述したように学生は短期間に入れ替わってしまうので、研究のポテンシャルは当然、年度始めに大幅に落ちることになる。そうならないようにするための努力、新卒研生の教育に膨大なエネルギーを費やすことになる。これを怠ってはならない。

 私は常日頃、学生を研究の道具としてはならないとドクターやマスターの学生に言いつづけてきている。しかもこの種の教育の信念が自己満足に陥ってはならない。今までも研究に関しての指導の方法論を色々変えて、学生の意見をざっくばらんに聞き何度も軌道修正をかけてきた。

 ただし、おそらく新卒研生は、初めから自分の思いを開陳できないであろう。今までは私の考え方を理解し、彼らが本当の意見を出すのには半年はかかっていた。

 それが興味あることに、本年度の卒研生の四分の三がプロバイダーと契約してメールのアドレスを持っている。彼らは気軽に私のところに意見や感想や質問をするようになってきた。メールはこの点便利で、あまり着飾ることなく、その人の考えや意見がストレートに出てくる。口頭では言いにくいことが、四年生の中で今までの三年間と違って、ちょっときついが充実している、感謝していると、すでに数人からメールが届いている。

 大学ではこのように毎年研究体制を維持していくために、今までの経験と常に新しい指導方法を模索努力しているのである。企業に入っての大方の学生の第一声はこれで給料をもらっていいのですか?彼らはもっと刺激を求めているのである。そのような学生を我々は育てているのである。企業の研究者も、もう少し外部の刺激を自ら求める努力をされたい。

 この三月の学会では若い企業の技術者の出席があまりにも少なかった。特に中堅企業の技術屋が少ないように思えた。外部の風、刺激を自ら得られるように経営者はその環境だけは作ってやって欲しいものである。あまり目先のことのみにとらわれず、閉鎖的にならず、外部の風に接してポテンシャルをあげてもらいたい。