就職戦線終盤で思うこと
関東学院大学
本間 英夫
資格試験の功罪
昨年よりも各企業の採用人数が多くなり、超氷河期といわれた就職戦線に、若干の明るさが出てきたようである。我々の研究室では、6月末でほとんどの学生の就職が内定した。会社によっては人事面接に始まり専門面接、役員面接と2ヶ月くらいかけて吟味?する会社もあるので、完全に全員の内定は7月末であった。
6月決算で、来年の採用枠が決まった企業は、学生を紹介して欲しいと何社もお願いがあったが、全てお断りせざるを得なかった。企業は今まで以上に実際の仕事に役立つ人材を求めるようになってきた。優秀な人材を確保するために、人事担当者は躍起にならざるを得ない。
現在、大方の企業では就職を希望する学生の基礎的能力を見るために、業者が作成したテストに頼っている。その道のプロが問題を作成しているので基礎学力、性格等がほぼ間違いなく評価に現れる。第一段階のスクリーニングとしては的確な方法であろう。
更に最近、特にエレクトロニクス関連の大手の企業は、かなり高いレベルの英語力を求めるようになってきた。ビジネスの国際化で当然であり、学生時代に将来に向けて実学的には何をなすべきか、自覚を促すのにいいことである。その評価法として代表的なのはTOEIC試験である。
ほとんどの学生は意識して英語の勉強をしてきていないので、この試験を受けると平均的な学生で、おおよそ400点から450点くらいになる。日本の大学生の平均点は、世界の中で一番低いグループになるそうだ。勿論、日本は台湾、香港、韓国や中国などのアジア諸国の中で最下位。
企業は500点から550点を要求してきている。これくらいの点数を取れば、日常の簡単な会話が出来るレベルになっていると言われている。もう一つの評価法で、英語検定というのがあるが、TOEICの500点から550点が英語検定の2級に匹敵するとのこと。ベースとしてこれくらいの英語力を持っていないと、門前払いになるわけである。こうなってくると、学生もうかうかしていられない。
自分が企業に入ろうと思っても、英語力が無ければ叶わない。となると、彼らは極めて現実的に動き出し、低学年次からビジネス英語の力をつけるように努力するであろう。
大学の就職課、就職担当の先生、また最近では全学的に対策が講じられるようになってきた。その一つが、一般の講義以外に特別講座と称して、TOEIC受験セミナーや模擬試験などが全学的に行われるようになってきた事にも見られる。このように、大学にとって外圧?により、好むと好まざるとにかかわらず、実学志向に教育を持っていかなければならないのである。
実際、研究室に入ってくる学生の英語力はかなり劣悪であり、年に数回ほど外国から技術者や研究者が研究室を訪れるが、実験室で何を研究しているか、学生にちょっと説明するように促すが、今までまともにできた学生は皆無である。
このような状態であるから、学生のモチベーションを高める意味で、私が先頭を切って、大学院生全員とTOEICの試験を受けることにした。私の受験会場は横浜の中心街にある予備校であった。
夏の暑い日曜日、昼の1時から4時まで缶詰になり、大学院の試験以来、30年間以上この種の試験を受けたことが無かったので、かなり疲労困憊であった。
この試験は初めの45分間はヒアリング、しかも繰り返しが無く一回限り、問題の傾向がわからないので戸惑ってしまう。その後1時間半くらいかけてリーディングの問題となる。今度は長文を読み大意をつかまないとわからない問題がズラリ。冷房ががんがん効いた部屋で、トイレにも行くことが許されず、拷問にあっているようなものであった。
また、会場の近くでライブをやっているらしく、うるさいからとヒアリングの時に、スピーカーのボリュームを最大にしているため、耳ががんがんする。時間を上手くコントロールできず、焦りが出てくる。大学での定期試験を受ける学生の気持ちが少しわかったような気がした。
さて、試験結果はこの雑文が皆様に届いているときにはすでに出ている。おそらく学生は450点も取れないであろう。私は果たして600点はいくか。学生時代、試験のときの時間に追われながら解答したあの緊張感をもう60に届く老体が?経験するとは。〔結果は、学生の最高点430点、言い出しっぺの私が700点近くであった。〕
いずれにしても、彼らのインセンティブをあげるため、今回は何の準備もせず強引にトライした。私がチャレンジせず彼らに受験させ、自分のレベルを確認するようにアドバイスだけであったら、果たして何人受験しただろうか。
助手時代から、常に学生には語学力をつけるように言ってきた。外圧によって、彼らは渋々ながらでもやらざるを得ないところに追い込まれてきた。これからの学生にとってはいいことだ。ただしこの試験はあくまでも、語学能力がどのレベルにあるのかを判断する手段であり、得点を上げるための攻略本が書店にズラリと並んでいる。したがって少し点数が上ったからといって、本当に会話が出来るのか疑問である。
企業は学生に対して語学力以外に、どんな資格をもっているかを評価対象にしようとの動きもある。工学技術力評価法として、国際的な認定機関である、JABEEやFEなどの資格試験があり、この種の資格を取得するための支援講義を正規のカリキュラムに入れる動きが、あちこちの大学で検討され、また、すでに実行されている。
これらの資格試験は、どちらかというと大学のほうが先取りした格好で、企業に対してはそれほど認知度が高くない。
学生が正規の科目を真剣に学習し、また自分でこれから何が大事であるか、自覚しておればこの種の支援講座を設定する必要は無いのである。そこまで大学がサービスしなければならなくなったとは嘆かわしい現状である。しかしながら、今の学生で自ら切り開いていく気概のある者は少ない。何でも与えてくれるものと勘違いしている。
これは今に始まったことではなく、日本の社会が豊かさを追求していく過程で、精神的な部分と物質的な部分でのバランスが崩れてきたからである。最近の学生で、精神的に強いやつはどこを探してもほとんどいない。
指示待ち型の学生から、自分で考えられるような学生になるように社会全体で切り替えていかねばならない。それにしても企業は、即戦力型の学生を、優先的に採用する傾向が強くなってきたことは、間違った人づくりを社会全体で容認していることに結果的なるのではないか心配である。
本来ならば潜在能力、発想力、豊かな心を持った若者を、社会に送り出していかねばならないのに。大器晩成型の能力を秘めた、学生を取りこぼすことになる。企業側では取りこぼしが無いようにと基礎試験、人事面接、技術者面接、役員面接を取り入れて吟味するようにしているようだ。しかし、大学の授業をさぼり、受験対策に基礎力を増強するための勉強をしていれば、当然いい点数が取れるであろう。また、何度も面接していれば、受け答えは上手くなるであろう。プロはそこを見ぬかねばならない。基礎力申し分なし、明るく元気だからと採用した結果どうだったか?本当に優秀な学生が採用できたのか?
最近、この種の採用方法を見直す企業が出てきている。いや、すでに以前から、この状況を解っていた企業は、少々基礎力が無くても、訥弁でも、大学で、あるいは大学院で何を本当に学んだかで採用しだしている。
即戦力型人材の採用
各企業は即戦力型の人員確保の手っ取り早い方法として、経験者の中途採用を積極的に取り入れるようになってきた。企業は人材を育成する余力が低下しているので致し方ない面もある。
研究室に就職依頼で訪ねてきた技術関係の人たちは、「誰か会社を辞めた人いませんか?めっきの技術がよくわかる人を採用したいのですが。」
特に、大手のエレクトロニクス関連の企業にこの種の要求が多い。なぜならば、ドライプロセスからめっきを中心とした、いわゆるウエットプロセスが、半導体の成膜から周辺の電子機器に至るまで、要素技術として必須技術となってきたからである。大手の企業には、めっきを中心とした技術者は極めて少ない。
あちこちの大手企業からこの種の要求があっても、我々の研究室を出て業界に入った後輩は、それぞれの企業で活躍しており定着率はよく、他の会社に移る例は少ない。
これまでは、企業規模が大きければ、定年までその会社に奉仕できると安定と安心を保証されていた。しかしながら、最近の状況を見ていると、かなり鈍感な人でも、従来の大企業信奉はもはや通用しないことがわかったはずである。
むしろ、能力のある人も単なる歯車として、いつお払い箱になるか、肥大化した企業のリストラという荒波の中で実感したはずである。私は、学生とこれから社会で何を生きがいとするか、自分なりの考えを語ったり、彼らの考えを聞く。
これからは就社ではなく、就職であるとよく言われるようになってきた。しかし、日本でこのアメリカ的な考えが本当に通用するのであろうか。
日本人の気質、単一民族国家では馴染めないのではないだろうか?会社型人間、会社のために尽くす人間、我々は生きがいを何かに求めて生活している。
会社型人間それでいいじゃないか。
いわゆる会社人間がこれまで企業を支えてきた。報酬に対しても強くは要求してこなかった。
それが、これからは年俸制、実績給、能力給と成果によって給料を変えるシステムを導入する会社が増えてきた。これまでの日本流の給料体系、人事査定が大きく崩れ、チームプレーがギクシャクしてきているのではないだろうか。
実際、最近どこの会社でも、研究や技術スタッフが手薄になっている。たとえば、研究チームが10名から構成されていれば、極端な場合、実際に実験をするのは4、5名であり、後は全て管理者のようなもので、自ら実験にタッチしない。現在の企業の年齢構成から、ある程度は致し方ない場合もあるが、年を取ると管理職に必ずしもなる必要は無い。しかしながら、よっぽど実験が好きでない限りは、年齢に応じて一般には管理職の道を選ぶようである。管理職ばかり増えても船頭多くして…。
したがって、完全に研究、開発能力は低下する。しかも、最近の傾向として、能力査定や実績査定のために、報告書の提出頻度が増加し、中身は希薄となり覇気も失ってきている。
機密保持や、いつ担当者が他の企業に転職するか不安なため、横の連絡もほとんど無く、単に与えられたことを、こなしているだけ。給料が大幅に逆転したり、能力別に格差が大きくなると、やる気が失せるであろう。アメリカの場合は、一部のエリート集団がアイデアを出し、実際にルーチンで実験をやるのは、その道の職能的な専門集団である。そのエリートが結果を見て判断を下す。このアメリカのシステムを日本に導入しても、上手く機能しないだろう。
グローバルスタンダードと、何でも国際的に同一基準にする風潮が今、日本にはびこっているが、今まで培われてきたものを残しながら国際化に対応していかねばならない。
技術力の低下
高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故、ジェーシーオーの臨界爆発事故、半導体用の剥離液製造ラインでの爆発事故、タンクローリーの爆発事故等爆発事故、プレス工場での爆雷の爆発事故と、最近多発している。
経験やノウハウを沢山持っている熟練工は、高年齢化とプロセスの標準化という名のもとに、製造現場から消え、技術力は大きく低下してきている。大企業では今、いわゆる熟練工という部類の人たちは、もうほとんどいないのではないだろうか。製造現場は単に理屈だけで、事は進まない。
もんじゅの事故は、液体ナトリウムの温度計を入れるサヤが、応力集中する形状であったとのことである。これは応力を集中しない形状にするのは常識で、経験と判断力があれば、そのようなミスは起こらないはずであるといわれている。
しかしながら、製造現場からノウハウを蓄積したベテランを排除し、頭でっかちで経験の無い現場を知らない連中ばかりでは、危険が大幅に増幅されてしまう。また、知識や経験豊かな技術者は、自ら手を汚さず、現場作業者に任せた結果が臨界爆発事故となった。
作業者は操作している薬剤の性状も知らされずに、バケツでウラン溶液を移送するなどの、よくも恐ろしい操作を作業者にやらせていたものだ。作業者にとっては全くのブラックボックス。上に立つ技術者のモラルは全く無い。
今、日本の技術は危ないと警鐘を鳴らしている人たちが増えてきている。しかし、現実に企業の規模にかかわらず、ベテランはそろそろ定年に近づき、特に小さな企業では、次の世代に引き継ごうと思っても、子供は継ごうとしない。また、若い技能者や技術者を集めよとしても、なかなか集まらないのが現状である。
大学を卒業しても、すぐには定職に就こうとしない学生が20%を越えようとしている。製造業よりも第三次産業に安易に従事する傾向が強い。
工場は海外にどんどん移転するし、学生の理工離れも著しい。これでは、日本の技術力は急速に低下し、経済は停滞し、いろんなタイプの事故が多発するのも当然だ。雪印然り、これからは大事故が激増するのではないかと不安である。