世界を震撼させたテロ事件

関東学院大学
本間英夫

9月の9日から2週間の予定で、ヨーロッパ各地の企業、大学および公的な研究機関の視察に出掛けた。まず、最初にドイツから視察を開始したが、あの忌まわしい世界を恐怖に陥れた事件が11日に勃発した。

 事件そのものに関しては世界同時、時々刻々とその状況が流されていたので、ここで敢えて語るまでもない。                              

 毎朝毎晩、視察からホテルに帰るとテレビにかじりついていたが、ヨーロッパ諸国の全面的な支援や、協力体制が即座に取られ、その状況が刻々とニュースで流されていた。それとは対照的に日本の支援体制や行動に関しては、全くと言って良いくらいCNNをはじめとするニュースには、取り上げられなかった。

 単に、株式に関する東京市場の状況や、さらには真珠湾攻撃や神風との関連としてのみ、日本が紹介されただけで、何か気恥ずかしい感じさえ抱いた。自衛隊の後方支援に至っては、帰りの飛行機の中で二週間振りに接した日本語の新聞からの情報のみであった。

日本の危機管理体制、他国との協力体制、特に戦争を想起させる事件に関しては、慎重に論議しなければならないのだろうが、遅滞したアクションは何の意味も持たない。いつも言われているように、お金だけでの協力では、信頼できる協力体制は組めないことは、これまで痛いほど経験しているはずである。

 また、この種の事件に対するヨーロッパの一般市民の痛みが随所で感じ取れた。我々が訪れた企業では、まず視察をする前に皆で黙祷し、犠牲者の冥福を祈った。事件勃発から3、4日くらいだったか、社旗や国旗は半旗で喪に服し痛みを分かち合っていた。

我々一行はまず、ドイツから視察を始め、スペインから英国をまわり、またドイツのハイテク工場や研究機関を視察した。入出国に際してのチェックインが、普段より2時間くらい早くするとの要請が航空会社からなされ、また手荷物のチェックも厳しく、普段の3倍以上の時間を要し、フライトは全て定刻から大幅に遅れた。従って、当初予定していた企業の訪問も一社、取りやめざるをえなかった。視察の主立った内容、特に環境対策や研究機関の産学との協同の内容に関して、次号で触れることにする。

国際共通語としての英語

小泉首相が24日に訪米し、早速ニューヨークの攻撃を受けた貿易センター跡地を訪れた後、記者会見。日本の首相が原稿を見ないで英語で哀悼の意を現すと共に、日本も断固テロと戦うとコメントした。80ヶ国にも上る人達が犠牲者になっている中で、もう少し早く日本の首相が対応すべきであるとのある日本のテレビ局のコメントもあったが、とにかく日本が資金援助だけではなく、目に見える対応をすることは、国際化社会の中で当然の行動である。

 今回の事件も間もないのに不謹慎かも知れないが、読者の方々も今後経験するかも知れない珍事を紹介する。まず入出国に当たって一人一人が係官に入国の目的や荷物のことに関して色々聞かれる。これくらいのことの内容を理解し、英語で答えられるようになりたいものだ。

旅行者の添乗員は英語の出来ない人のために、入国に際して目的を聞かれたら、観光と答えるように言えば良いという。英語の分からない人にとっては致し方ないのだろうが、自分達は観光できているのではなく、視察で来ているのだから、ちゃんと自分の目的くらいは答えるようにならねばならない。

滞在期間、どこに宿泊するかくらいしか聞かれないのだから、これくらいは受け答えが出来ないと、ビジネスマンとして失格だ。これだけグローバル化している中で英語を道具として使えねば、日本は益々世界の先進国から取り残されていってしまう。

ちなみに、今回の行き帰りの飛行機は日本の航空会社であったので、フライトアテンダントに失礼かも知れないが、トーイックの点数を聞いてみた。一人は610点で、一人は580点だという。年間4回試験が義務づけられているという。また今回参加した団員の3分の一は英語が堪能であった。問題なのはいくら英語が話せても、技術の話になるとちんぷんかんぷんという人がほとんど。

表面処理関連業界で技術に関して、パーフェクトに対応出来るのは、小生の知る限りでは吉野電化の社長しかいない。現在、表面技術協会の国際委員長をやっているが産業界では彼以上の適任者はいないと思う。

 日本の表面処理の業界にとって、次代を担う技術に長けた英語がフルに出来るコーディネーターや、リーダーの養成が急務である。英語に関してのコメントはこれくらいにして次の話題。

セキュリティ

 今回はセキュリティが厳しかったので、我々の持ち物でエックス線で少しでも凶器に見える物は、中を開けて説明をしなければならなかった。

 一番傑作だったのは携帯用のウォシュレットを持参していた団員が、これは何だと聞かれた。本人はウォシュレットを英語だと思っていたようだが判るはずが無い。説明が面倒なのでジェスチュアで使用方法を係官の前で演技して、無事通過?また、お土産に持ち込んだクロイゾネの花瓶の形態が兵器の弾頭のように見えたらしい。せっかくの包装が全て開封されてしまった。

 エックス線像をチェックしている係官は、小さなナイフまで見落とさなかった。今回訪問したドイツの企業でお土産に頂いた、長さ4センチくらいの万能ナイフ、チェックインカウンターに戻って手続きをするか、または放棄するか尋ねられた。せっかく、お土産にもらったのにとも思ったが、またカウンターまで行くのも面倒なので、そこでサインし、放棄することにした。団員の中で3人引っかかった。25人中何人が機内持ち込みの手荷物の中に入れていたか分からないが、かなりの確率で疑わしい物品を見つけている。

 今回は、金属探知器の感度を最大にしているようであり、いつもは時計をはずしたり、コインや万年筆などはあまり気にしないで通過できたが、今回は上着は全部脱ぎ、ズボンの中に入っている金属は、全てトレイに入れ検査。一番厳しい体制であったのは、ドイツからスペインに行く便で、搭乗する直前に手荷物を全部開き、中身をチェックされた。また、そこまで徹底していない場合でも、団員の中で日本人離れしている人や挙動不審?の人は呼び止められ、中身をチェックされた空港もあった。

成田でトランクがでない

 大失敗が最後の最後に起こってしまった。成田に到着、入国手続きを済ませ皆、我先にと荷物のでる場所に移動。自分の荷物がでた人から、一人去り、また一人と税関を済ませ帰っていく。

 小生は、今回、関東化成の社長が車で行くというので同行させてもらっていた。社長と共に技術の現在トップをやっている、後輩の豊田君も視察に参加していたので、彼が小生の荷物が出てきたら、一緒にキャリアーに乗せてあげるという。

 たまたま前方を見ると、大学の同僚が同じ飛行機で帰ってきているのを発見。そこで、まさかこんな所で、しかも同じ飛行機に乗っていたなど夢にも思っていなかったので、声を掛けに行く。ほんの4,5分してから元の場所に戻ってみると、豊田君も社長もそこにはいない。小生の荷物が出てこないのに、なぜ先に出ていってしまったのか。

 まだトランクがでてこない。一人去り、また一人去り。そこで団員の一人に、もう豊田君が、おそらく出口で待っていると思うが、もう少し待つよう伝えた。それからさらに10分くらい経過した。全て機内の荷物はでたという。しかしながら、小生のトランク、それともう一人団員のトランク、学会からから帰ってきた同僚のトランクがでてこない。

 悪い予感、フランクフルトで出国する際に小生は滅多にお土産を買わないが、持っていたトランクを他の団員にあげ、頑丈なトランクを購入した。少し値が張るので、他のお土産と一緒にすると1万円以上税金分が戻って来るという。

 小生は手続きが面倒だから良いよと、何度も言ったが皆がもったいないという。あまりそこで我を張るのもいけないし、色々経験するのも良いだろうと現地の旅行業者と、沢山土産を購入しトランクに詰めてしまった4人と、税金の払い戻しの手続きをしに行く。その場合は荷物を出すところが、カウンターではなく地下の他の場所から出すことになる。そこからトランクを出した団員のうち、小生ともう一人の団員の荷物だけがでてこなかったことになる。

 確率5分の2だ。何故か色々考えた。我々の前後に同じように地下からトランクを出した外国人が数人にいた。ひょっとして、その人達の便に間違って配送されたのか?同僚の先生はフランクフルトから乗り込んだのではなく、他から乗り継いで来たので本人は積み残しだろうと、あまり気にしていないようであった。

 早速、荷物事故処理のブースに向かう。同じ便で帰ってきた人の中で、トランクがでてこなかった人が10人以上いた。少し安心する。自分だけであれば、不安が増幅するが、これだけ多くの人のトランクが出てこなかったということになると、おそらくパケットに入れて機内に入れるので遅れたのかも知れないと。

 それにしても、関東化成の社長や豊田君を出口で待たせるのは申し訳ないと気になった。もう40分以上経過している。ところが、小生の前に手続きしている40代のビジネスマンが、憤懣やるかたなしで、何でトランクがでてこないのか、トランクの中には土産が何十万円分も入っているという。どうしてくれるんだと怒っている。そんなこと係りの人に言っても、何にもならないのに感情的になっている。見苦しい。身体が疲れているので感情的になるのも分からないわけでもないが、少し見識を疑う。

 小生としては早く手続きをして、表で待っているであろう2人に会わねばならない。やっと自分の番が回ってきた。今までにトランクが届かなかったことはあるか係員に聞いたところ、滅多にそのようなことはないと言う。少し安心する。

大切な物は全て機内持ち込みに!

 小生のトランクには高価な物は入っていなが、唯一コンピューターが入っている。この視察中に大学への通信や原稿の作成に有効に使おうと持参したのだが、電池の容量が少なく、また通信が思うようにいかず、無用の長物であった。

 帰りの飛行時間は11時間近くで、機内での原稿作成には絶好の条件であるはずだったが、たったの30分もしないうちに電池切れになってしまうので、トランクに入れたのが運の尽き。

 機内で分かったことだが、5時間位使用出来るバッテリーを貸してくれるという。今度からは絶対に機内に持ち込むことにする。実はヨーロッパの各ホテルでメールのやり取りをしようと思ったが、五つ星のホテルは通信の整備が出来ているようだが、三つ星くらいになるともうダメ。団員の一人に国際用の携帯電話を借り大学にアクセスするという、何のための通信網か分からない、ばかげたことをやらねばならなかった。しかも50通以上メールがたまっていて、コンピューターのメッセージでもう取り出せませんとの表示がでる。

 この様なわけで2週間分のメールがたまったままなので、自宅に帰って、早速返信しなければと思っていた。それが出来なくなったので、機内に持ち込んでおけば良かったのにと後悔するし焦ってしまう。

 ドイツから電話で連絡した際に、緊急連絡も入っていると学生が言うし、研究論文の原稿やハイテクノの原稿も入っているのに悔やまれる。トランクなんかどうでも良い。荷物が届かない場合は、保証はしてくれるだろうが、今までの過去の知識や論文やスケジュールが入っている小生のように、コンピューター無しでは仕事にならない者にとっては、何者にも代え難い痛手である。

 早速、自宅に帰ってまず取りかかったことは、娘のコンピューターを借りて自宅に入ってきているメールだけは、読みとれるように息子に設定させた。ところが大学に入ってきているメールに関しては、パスワードが分からず読めない。

 今回は帰国後早々、大学に行かずにすぐに九州で学会に出席。従って、それまで大学でメールを開くのもお預け。手帳とコンピューターは小生にとっては、お金よりも大切な物である。夜になって寝ながら考えたがひょっとしたらセキュリティが厳しく、トランクが今までよりも綿密に検査されているのだろうと。

 新しく購入したトランクに詰め替える際、無造作に積めたので、コンピューターと変圧器のコードが付けっぱなし、しかもトランクの中でコードが蛇行して変圧器がひょっとしたら時限爆弾のように見えたのかも知れないと。従って、今回はセキュリティがきついので調べられて荷物が遅くなったのではないかと。何しろコンピューターだけが必要なのだ。航空会社からの見つかりましたとの返事を心待ちにしている。

 取りあえずいずれにしても、もう一台バッテリーの容量が大きい、しかも軽量なパソコンをこの機会に買おうと思う。クリスマスをねらった新製品にするか、その時になれば、旧型のパソコンの値段が一挙に下がるので、本当はもう少し待ってから購入するのが時期として良いのだが、そこまでは待てない。

 今までも、積み残しや目的地以外に、トランクが運ばれ、苦い思いを何度もしているので、いつも必ず機内持ち込みようの手荷物には、最低必要な衣類は用心のために入れているのだが、今回のように、最後の最後で出てこなかったのは初めての経験であった。いつ連絡があるやら。まだ時差の関係で身体が昼、夜逆転しているので帰る早々、一気に10月号を仕上げた。

先にも触れたが、今回の視察で得た環境事情や大学や研究機関の産学協同の内容を中心に、次号で紹介する。