これからの製造業
関東学院大学
本間 英夫
戦後、農業から工業へ、地方から都心へと産業構造と雇用形態が大きく変化し、生活も豊かになってきた。
土木建築、食品、繊維、紙パルプ、化学工業、医薬品工業、ゴム、ガラス、セメント、非鉄金属、鉄鋼材料、各種機械製品、電気製品、石油製品、自動車、金融業、各種サービス業、不動産業、航空産業、運輸業、海運業、ガス、電気、通信等株式欄の各ポストから拾い上げると数多く類別されている。これらの中でなんと言っても、大規模な製造工場が安定な雇用を確保してきた。しかしながら、現在製造業を中心に雇用が急速に減少し、大転換期にさらされている。
ちなみに先進諸国の製造業の生産量は、2020年に現在の倍以上になるが、雇用は就業者人口の10から12%に縮小するといわれている。現在、既にヨーロッパ、特にドイツ、フランスでは失業率が二ケタ台に入り、大きな社会不安を抱えている。
先進諸国の中で日本だけが特異で、製造業は全体の就業人口の約25%の最高の水準にある。日本は、1980年代から90年代にかけて、製造業の力によって経済大国の地位を獲得してきた。これからは知識産業と流通産業が主役で、製造業は経済発展の主役にはなれないといわれている。果たして日本は、得意とする製造業、特に高度な技術を要求される分野で、その活路を見出すことができるのだろうか。
特許とブランド
21世紀の日本の産業界の浮沈は、価値の高い特許やブランドの活用にかかっているといわれている。特許に関して見てみると、出願件数は伸びているが海外への出願は極端に少ない。西欧諸国では外国への出願件数が多い。これは外国から特許料収入を得ようとする戦略の現れである。日本では、どちらかと言うとずば抜けて優れた特許は少なく、改良型が8割を占めている。この点からも独創性や創造性に劣っていると見られても致し方ない。バイオ関連の特許競争が熾烈を極めているが、日本に出願されている特許を国籍別に見ると、日本人による特許は45%に過ぎないという。しかもバイオに関する日本の特許はほとんど活用されていない。
又、日本のブランドはというと、トヨタ、ソニーがブランドランキング20位以内に入っているが、百位以内ではあとホンダ、任天堂、キャノン、パナソニックしかない。世界戦略で捉えた場合、特許から多額のライセンス収入を稼ぐ、また強力なブランドから多額のプレミアムを稼ぐという戦略が、日本の企業に欠けているのではないだろうか。今後の日本の企業の浮沈は、研究開発をベースにした特許やブランドなどの知的財産を如何に生み出し、如何に活用するかにかかっている。
特許法について
研究者の給料、研究費、実験器具も装置も全て所属している機関が負担しているのだから、職務上の発明の成果は当然、その機関に属すると思える。しかし、私自身最近まで無関心で知らなかったが、特許法によると成果は基本的には個人に属すると明記されているのである。 いくら沢山の研究者が集まっても、いくら時間を費やしても、いくら研究費を投じても、基本的には個人のひらめきが無い限り、新しい成果は得られないので、このように個人の権利を認めているのであろう。
もっとも日本では、企業の就業規則又はそれに類する規則に、職務発明は企業に譲渡するよう、出願時に権利の譲渡書類を義務付けてきている。一般には、発明者には特許一件に数万円の報奨金が出るようにしてきたようだ。
しかしながら、特許によっては莫大な利益をその企業にもたらすので、90年代に特許報奨制度が拡充されてきた。中には報奨金を最高一億円支払う企業も出てきている。
また、政府系機関の産業技術総合研究所では、特許料収入の四分の一を研究者に還元する動きがある。文科省では、特許が実用化された場合今まで発明者への報酬を一人年間六百万円が上限としてきたがこれを撤廃、年間一億円の実施料収入を得た場合には25%程度を報酬とする案を軸に検討されている。
このように、発明者への還元比率は高まってくるであろう。お金だけが目当てではないが、社会的なステータスとか豊かさが実感できるようにならねばならない。一般大衆を相手にした歌手やスポーツ選手が膨大な収入を得ているのと比較すると、如何に研究者が恵まれていないか。成功者にはもっと報酬を上げるべきであると常々思っていた。
報酬の使途は、当人に任せればいいことで、中には寄付の形で社会に還元する人もいれば、自分の生活をもう少し豊かにする人もいれば、各人各様でいいのではないだろうか。
大学ランク
大学評価で先に文科省が分野ごとに優秀な大学を選び予算を重点配分する「21世紀COEプログラム」を本年度から開始した。応募大学は163大学で、博士課程を持つ私立大学も26%応募したと報道された。応募期間の締め切りが迫った頃は、学会の理事会、委員会等でいつもその話で持ちっきりであった。
小生は大きな焦りを感じて、大学の内部の幾つかの会議で、この件に関して少しでもチャレンジできる体制にしないと、市場から撤退せざるを得ない状況がきますよと、熱く語った。しかし、多くの先生方は真剣にこの問題に立ち向かおうとはしていないように見受けられた。
先ず、教育と研究の環境を整備しなければならない。大学は教育と研究の両面から評価されるのであるが、教育に関しては定量的な評価法が多岐にわたるし、個人の資質よりもむしろ大学全体の環境整備が主になるので、大学間のランク付けにはそれほど大きな開きは無い。
ところが研究に関しては、教員個人の研究論文数や特許の申請数から定量的に判断できるので、厳然とその開きがでてくる。各教員の研究実績に対して、競争原理を導入することには、いささか異論があるのかもしれないが、逆に無競争になると、全く研究をしない教員が出てくる。研究をしなくても、ある年数が来たら昇格するような人事をやっていると、研究能力がどんどん低下する。教員一人一人が、当たり前のことだが教育と研究が表裏一体であることを認識し、地道な努力を積み上げてもらいたいものだ。