年頭所感
関東学院大学
本間 英夫
年の初めの新聞、雑誌等には例年必ず未来予測が記事になる。未来は予測するものでなく自ら創るものであると説いた人がいるが、技術の世界では全く同感である。
特にエレクトロニクスではロードマップが学会の委員会やリーディング企業で作成されており、ムアーの法則よろしくほとんど計画通りに進んでいる。
ところが、ある時点で突然新しい技術が出現すると計画が大きくかわる。時にはリーディング企業が倒産にまで追い込まれることだってあり得る。
そこで、リスクを回避し、開発や研究の投資効率を上げるために、企業の連携、コンソーシアムが推し進められるようになってきた。アメリカ、ヨーロッパでは、この種の連携システムは研究機関や大学を中心に既に構築されている。
日本では政府が音頭を取り、筑波の産業総合技術研究所を初めとして全国で幾つかの拠点作りがなされている。さらには国立大学の独立法人化とともに大学の持っている基礎技術を活用すべきであるとの考えや、世界に通用する研究能力の高い大学に、重点的に研究費を配分する二十一世紀COEが具体的に進められている。
大学間に競争原理を取り入れ、また教員にも研究能力を競わせるようになってきている。一部ぬるま湯のような状況があるようであれば、刺激をする意味でお互い競い合うことはいいのだが、それがあまりにも前面に出すぎて自由な研究が出来なくなると、発想の豊かな独創性に富んだ研究者を育てたいとの考えに逆行することになる。
荒唐無稽と思われる研究は実はロードマップでは予測できない不連続な飛躍を社会や学会、特に産業界に大きなインパクトを与えるのである。その意味では、ゆとりというかアイドリングを研究者は常に忘れてはならない。
あるスパンの中できちっとタイムテーブルが出来ている中では窮屈で、不連続な研究や開発ができるわけがない。教育に携わる国の関係者をはじめ、教育界、大学の経営者はそのあたりを認識すべきである。また企業のトップも、ある程度のアイドリングを研究者に与えないと、キラっと輝く発見や発明は出てこないであろう。
昨年十月上旬ノーベル賞を受賞された小柴先生は、受賞対象の研究は、直接は何の役にもたたないと言っておられた。また、マスコミのインタビューの際提示された成績表には、優が2つしかなく、しかもその2つとも実験科目であり、実験屋であると自称されていた。勉強は自分からの能動的な働きかけが大切だとも言っておられ、従来の受動的な『教わる』という教育から、自ら能動的に『学び取る』教育の大切さを示唆されていたのだろうと思う。
一方、島津製作所の田中さんは会社で研究に没頭され、実績と業績を世界に向けて発信されていた典型的な秀才型会社人間である。
田中さんのインタビューの戸惑いにしても、小柴先生が自ら東大の物理学科でビリだったと成績表を提示されたことにしても、人間味豊かで暖かさが感じられるお二人に、祝福の喜びと同時に、ほのぼのとした近親感をもたれたのではないかと思う。
運を掴む人、掴んだ人
このお二人の受賞者は至福の時を迎えられた。これを幸運であると表現するのは適切ではないかもしれないが、受賞のきっかけになった発見は偶然からである。その偶然を掴める人と掴めない人がいるのである。偶然と言っても、それはそんなに簡単に遭遇できるものではない。連日連夜研究に没頭し、その中であるとき偶然に遭遇するものなのである。ひらめきも日ごろ研究に精を出すことで、あるときふっと沸いてくるのである。
幸運を掴める人は幸運を意識して追い求めてはいない。先生、同僚、教え子など素晴らしい人にめぐり合えてきたことの幸運であると、小柴先生は感謝されておられた。田中さんも同じだと思う。田中さんもまた、実験屋であると自称されていた。
小柴先生の場合、超新星の爆発は一世紀に一度くらいの確率だといわれている中で、カミオカンデの完成により、なんと一ヵ月後に超新星の爆発によるニュートリノの観測を偶然に捉えられ、確率的にきわめて低い自然現象を偶然に掴まれたわけだ。
一方、田中さんは連日連夜、たんぱく質センサーの研究に没頭されていた。
たんぱく質の質量測定法のひとつである、イオン化法の開発にかかわる技術革新が、今回ノーベル化学賞を受けた田中耕一さんが考案した「ソフトレーザー脱離法」である。レーザーを生体高分子物質に直接当てると、熱で壊れてしまう。そこで田中さんは、生体高分子を、レーザーを吸収しやすい金属などに混ぜ合わせ、レーザーによる直接的な破壊を防ぐことにより効果的にイオン化させることを見出されたのである。
田中さんが開発したソフトレーザー脱離法を改良した質量分析器は、たんぱく質やアミノ酸の分子量を測定するのになくてはならない装置として各国の研究室で盛んに使われており、数多くある質量分析器の中でも一番使いやすく、分子量10万程度のものまで分析できる。
田中さんらは、細胞の中にどのようなたんぱく質がどれだけ含まれているかを容易に解析できるようにした。異常なたんぱく質の素早い検出で、がんの早期診断が可能になるほか、製薬会社では新薬の候補となる化合物を、1日で数百種類も分析できるようになった。その成果を論文にされてきたのである。地道な努力である。99%の努力と1%のひらめきである。全くご本人は受賞を事前に知らされておらず、自分がこの最高の栄誉にあずかるとは夢にも思っておられなかったという。また、その後連日連夜報道機関に追われ、会社でも大幅な待遇改善、役員なみの待遇と、驚きの連続であったようだ。
本人はこれからも研究を続けたいとの意向を示し、実験屋に徹したいとおっしゃられた。我々も実験屋の端くれとして嬉しくなってくる。
小泉首相は日本の研究も捨てたものではないとコメントしていたが、これまでの海外の模倣からオリジナルな発見や発明を評価するようになってくれば、これからはますます二十一世紀にふさわしい、多くの独創的な発明や発見がどんどん出てくるであろう。
偶然の発見
もう既に10年位前になるが、セレンディピティーについてシリーズで紹介したことがある。当時2つの学会の巻頭言にも、同じ内容のことを執筆した。
いずれまとめてセレンディピティーに関してもう一度シリーズで書いてみたいと思っている。昨年まで表面処理の領域と表現してきたが、表面工学研究所の設立を契機に、これからは少し大きく捉えて表面工学の領域と少々範囲を広げて表現したい。
小柴先生が受動的な教育からは自分の能力は発揮できない、むしろ自分から能動的な働きかけにより能力が発揮できるとおっしゃられていた。また田中さんが偶然に薬品の調合を間違ったこと、それがきっかけで大発見につながり、大きな成果を上げられたことからも、『ゆとり教育』には自分で発想できる人材を育成することが根底に流れているはずである。