技術指導の経験

関東学院大学
本間 英夫

神奈川県には先ごろまで技術アドバイザーという制度があり、中小企業の指導育成の一端を担ってきていた。この制度は、定かでないが、すでに5、6年位前から取りやめになっていると思う。

すでに30年以上前になるが、当時神奈川県工業試験所の部長であった今井雄一先生が「本間君、俺はプラめっきを知らないから一緒に来てくれよ」と神奈川県内のめっき工場をあちこち巡回指導させられた。それとは別に、横浜市にも工業技術センターがあり、中村先生の命令で、市の職員と一緒に市内の工場を巡回指導した。はじめは、巡回指導の際に工場の担当者や経営者が社内で技術的に困っている問題を投げかけるだろうと緊張したが、すぐにその緊張は消えた。というのは、指導内容に、これは大変だなと悩む問題はほとんど無かったからだ。

今井先生は「俺は水商売が専門だ」といつも大学での授業で学生に冗談を飛ばしておられたように、先生は日本の廃水処理、特にシアンの処理では第一人者であった。

したがって、私は今井先生と指導に回るときは、プラめっきよりも廃水処理に関する質問が多かったが、難解なものは無かったし、プラめっきに関しては、われわれの大学で世界に先駆けて工業化したのだとの自負と、その技術に関しては自信があったので、まったく怖気づくことは無かった。

この種の指導のお手伝いが、その後の研究に対していい肥しになった。さらには、表面処理関連企業では技術者が不足していることの認識を持つようになり、大企業に学生を送り出すのも良いが、鶏頭牛尾で中小のほうが活躍できるぞと、学生には半ば強制、半ば説得して送り出してきた。

現在では、表面技術に関わる産業界に輩出してきた学生数は、中村先生の代から数えるとすでに300名以上、本学の出身者は500名以上にのぼり、一大勢力を築いている。

技術の伝承

30代の前半から50代の前半までこの種の技術指導を担当してきた。しかし、10年以上前「先生のやられているような先端の技術を手がけている会社は、指導しなくても自助努力でやっているし、指導を仰ぎたい会社は低次元なことしかやっていないので先生には申し訳ないから」との理由で、その後技術指導の声がかからなくなった。したがって、それ以来国内の工場を視察することはほとんどなくなり、むしろ海外の工場を毎年のように視察していた。

ところが先日、ある企業からぜひ一度会社に来てほしいといわれ、10年以上ぶりに中小の会社を見学させていただくこととなった。会社に入る前、今までのめっき工場のイメージから訪問する会社は、雑然として管理も行き届いていないのではと予想していた。そのつもりで現場に入ったら、確かにかなり古い工場であったが、現在大学の関連会社である関東化成と比較してもまったく遜色無く、きれいに整理されていたのには驚いてしまった。

さて、その会社に着くや否や、先ず仕事内容を聞いた。今まで訪れた町工場と呼ばれるめっき工場は、大体ほとんどが亜鉛のバレルめっきや装飾めっき、クロメート、クロムめっきなどであった。ところがその工場ではこれらの仕事は無く、すでに廃棄したのか、またはラインが休眠中であった。

この1社だけで判断してはいけないが、活発に仕事がなされていたのは、かなりハイテクで、社長が長年手がけてきたノウハウの塊のようなプロセスだけであった。

おそらく、そのプロセスのノウハウは社長一人しか知らないのであろう。この企業のように、せっかく自社内で確立してきたノウハウも新規の採用が出来ない、また採用しようと思っても誰も来てくれないという。

工場面積もかなり大きいし、技術力とアイデアを持ったシニアをむかえ、さらに若いスタッフを数人そろえ、積極的に展開すれば飛躍の可能性十分なのに残念だ。

もし私がその企業を前から知っていたら、学生に紹介していただろう。この種の匠の技のような技能は、残念ながらどんどん忘れ去られていくように思えてならない。

技術の伝承はかなり大きな企業でもうまくなされていない。如何にこれまで蓄積してきた技術を次の世代に伝えていくか、先を急ぐあまり、うわべのルーチン業務だけを教え、肝心な技術の根幹が伝わっていないように思えてならない。

しかも、これからグローバル調達、少子高齢化が進む中で、新技術を創製しないと、業界全体では10年以上前のあの成長速度を期待することは出来ないであろう。

学生の育て方、企業の技術者の育て方

学生に、様々な技術を教える時、どのようにしてこの技術が確立されてきたか、過去の苦労話から初めると、学生も生き生きしてくる。卒研生には先ず薬品の取り扱い、器具の使い方、評価方法などをOJTで教える。

新学期にはいると、先ず大雑把に私が学生に研究の内容を説明し、その後は大学院の学生が中心となり、4年生を指導する。進捗報告会は一ヶ月に一度のペースは守られているが、毎週金曜日には実験の経過をメールで簡単に知らせてもらっている。また、時間があれば毎日のように実験室に行って、それほど時間はとらないが学生と話すように心がけている。

昼休み時間は、大学院の学生が私の部屋に集合し、昼食をとりながら実験の進捗を初めとしていろいろ話し合う。この4月から企業からドクターコースに来ている人の提案で、仕出し弁当を注文するようになったが、400円程度で意外と評判が良い。昼休み時間も今までよりも、有効に使えるようになった。

学生には技術の伝承を忘れないように、いろいろな角度から、私が蓄積してきた内容を解説していくように心がけている。またいろいろ話をしている中で学生が自ら考え、いいアイデアが出てくるような環境を作る。先ずアイデアが出てきたら、それを実行してみることが肝心である。絶対にそんなことやっても意味ないよ!とか、それよりも俺の言ったことを早くやれとか命令するやり方はうまくいかないだろう。次号では、この数年間研究室で行われてきた学生主導型の研究内容を簡単に紹介する。

また、連日のように、産学連携の記事が新聞に掲載されるようになってきた。本学が産学協同や連携の草分けであるとの自覚をもって、研究所を昨年設立したが、8月下旬には研究所の拡張工事が始まる。