受賞顛末

関東学院大学
本間 英夫

9月中旬、初めての東欧視察。最初の目的地ポーランドのワルシャワに着いて2日目。若い時とは違い、時差ぼけを早めに解消しなければと、11時過ぎにベッドに入った。11時40分頃、けたたましく電話が鳴る。熟睡して明日に備えねばならぬのに何でこんな時間に!!。「先生、神奈川の文化賞が内定したとのメールが入っています」同行したドクターコースの小山田君からの電話であった。

前回の北欧視察の際に持参したパソコンでは、うまくメールのチェックが出来なかった。さらには、そのパソコンのバッテリーやコードが爆発物に見えたのか、あの忌まわしい九月十一日の事件の丁度一週間後であったことも災いし、小生のトランクだけが2日遅れで自宅に届いた。したがって、今回はゲンを担いでパソコンは持っていくのを止めた。

小山田君がパソコンを持っていくというので、それなら大学や自宅に入ってくるメールをチェックしてもらい、食事のときや視察の合間に内容を聞けば良いと思っていた。本人は小生がすでに床に就いたことは知っていたようだが、いい知らせなのでいち早くと思ったのであろう。

実は、このような賞は内定するまで当然であるが、本人には内密で進められる。選から漏れる場合もあるとの配慮からであろう。こんな理由で、最後のぎりぎりの段階になるまで当人にはわからないのであるが兆候はあるものだ。

たとえば「国際的な賞を取っておられますが、その団体は?本部はどこですか?」とか。何故そのような問いかけをされるのですか「実はこうこうしかじかで――」というやり取りをしたのは6月頃であった。自分はそのような資格はないし、あまり気にしていなかった。しかし、届いたメールの内容によると、県からの知らせで、本件は知り合いには言っても良いが、まだ公にしないでくれとのこと。無論このようなことは自分から吹聴するものではないし、翌朝小山田君に先ず学生に知らせないこと、今回の視察に参加している企業の方々にも言わないこと。二人だけの秘密だと念を押した。

それから10日間程度の視察が本格的に始まり、ほとんどこのことは忘れていた。  

ところが視察も終わりに近づいた頃、今度は県の担当者から面接したいとメールが入った。今までとは違って権威がありそうだ。とにかくメールで、帰国して数日後に県の方とお会いする約束を交わした。

帰路につく機内で教育委員会の役員を初めとして、県や市の各種委員を歴任している吉野電化の吉野社長に、まだ公にしてはいけないのだがと断り、このような賞に関して彼からコメントをもらったが「これは重みがあるんだな」と徐々に実感がわいてきた。

帰国後、早速HPで調べてみたが、横浜文化賞は昭和26年から始まり、今年で52回目を迎えるという。芸術、文学、産業、保健、体育、科学技術など何分野か失念したが、要するに文化に関わる領域で毎年4名が受賞される。科学技術分野ではこれまで、菊池誠、斉藤進六、林主税の御三方しか受賞されていない。しかも受賞されたこれらの方々は、知る人ぞ知る大変に有名な方々であり、何故小生ごとき者が受賞されたのか思いめぐらした。

産学協同の地道な推進

受賞にあたっての推薦理由書を拝見したがそれによると以下のようである。

 自動車に使われている車種のマークや冷却器外装のグリル(格子板)、コンピュータや携帯電話の電磁シールド、プリント配線板など、めっきを中心とした金属表面処理の研究・指導を長年にわたり行い、自動車製造分野及び電子部品製造分野における金属表面処理技術、エレクトロニクス実装技術の発展に大きく貢献した。

これまでの中村先生、斎藤先生、今井先生の研究に対する実績の後を受け継いで、今でこそ産学協同は当たり前のように新聞・その他の報道で叫ばれているが、過去の誹謗中傷(特に学内では大学紛争後)にも怯まず、本学が産学協同のルーツだと事あるごとに言い続けてきた。また関東化成(元大学の事業部)を初めとして産業界との連携の下にそれを実践してきたことが評価されたのであろう。

表面のことを扱っているが表にはあまり現れない、縁の下の力持ちの役割をしている表面処理。しかし、中村先生が生前よく言われていた「ハイッテックめっきがなければローテック」最近になってエレクトロニクスの要素技術として評価は絶大であり、その貢献が受賞の対象になったのであろう。

学生にとっての文化的経験

したがって、これは小生に与えられたものではなく、小生があくまでも代表して受賞に与ろうという気持ちになってきた。地元新聞に公表されたのは受賞日の3週間くらい前であった。さらに受賞の2週間くらい前だったか、「先生の部屋に現在何人の学生がいますか?式典と祝賀音楽会の招待状を送ります」と連絡が入る。

式は十一月三日(月)の祝日で、学生諸君はいろいろ約束もあるだろうが、式典は別として祝賀音楽会はクラシックの生演奏である。ほとんどの学生は自ら進んでクラシックの鑑賞を経験していないだろうと、大学院の学生との輪講会の際にこんな聞き方をした。

「十一月三日、君たちは休日だがクラシックの音楽会があるので、出来れば一緒に聞きに行こう」

やはり、中には休暇は自分のものとの意見を主張する大学院生もいた。

それからしばらく日がたって、地元の新聞に大きく受賞者が発表された。もちろん発表前に、かなり長い取材を受けている。小生は日経、日経産業、読売の3紙しか購読していないので、発表当日はそのことを知らずに学校に向った。事務員の方々は、皆暖かく祝福の声をかけてくれる。照れくさいのですぐに研究室に行く。

学生にそれまで内緒にしておいたことなので、気持ちが軽くなった。そこで、今度は学生に正式に今回の受賞に関すること、また招待券が来ているので小生の授賞式はともかく、クラシックの生演奏は経験ないだろうから行きたい人はと募った。大学院の学生はほとんど行くというが卒研生は半分くらいであった。ちょっと寂しい気持ちもしたが三日は祝日、強制は出来ない。

祝福の経験

これまでもドクターの取得を初めとして、いくつかの研究に関する受賞が決定され、それが公表された際にうれしいという気持ちよりも寂しくなった経験のほうが多い。

敢えてここに記すが、一部の先生を除いて現役の先生の多くは、この種の内容を知っていてもほとんどお祝いの言葉をかけないものである。ひょっとすると、小生の側に祝福されない何か大きな人間的な欠陥があるのかもしれないが・・・。

だが、リタイヤーした先生はまったく態度が違う。まさに抱き合うような勢いで祝福していただける。うれしさがこみ上げてくる。

そのようなわけで、自分からは「こんなものを受賞しました」とはいえないが、なんか寂しさがこみ上げてきて数日後、田舎の親友のところに電話したものだ。その親友とは年に一度くらいは会っているが、いつも電話で声を聞くだけで、熱いものがこみ上げてくる。歳を重ねるにしたがって、本当に信頼できる友達はありがたいものだと実感する。

また学外のOBを初め、知り合いの先生方、産業界の各位、祝電をたくさん頂き、お祝いのお言葉も頂いた。ただただ恐縮している。学内では、自分の性格の強さ故に、みんなから信頼されていないだろうと深く反省している。

祝賀当日、学生が20名近く来てくれ、さらに自宅に帰ってみるとメールで祝賀会、演奏会の感激を伝えてくれていた。素直に感謝の気持ちでいっぱいである。当日の祝賀会での小生のコメントがその次に日の新聞に載った。

世界で初めてプラスチックスへのめっきを可能にした金属表面処理研究の本間英夫さん(六一)は「人間の髪の毛の千分の一とも言われるミクロの世界にめっきを施すことはハイテク。めっきがなければローテック。電子機器や携帯電話も生まれなかった」と研究者らしい口ぶりで説明。さらに「今選挙戦真っ最中ですが、政治家の皆さんには表面処理の加工はしてほしくない」と会場の笑いを誘っていた。

このような訳で、お世話になっている産業界の方々から、またOBからも祝賀会をしようということになった。今回は、いつものOB会とは違い小生が音頭をとるわけにはいかない。でも、いつものOB会では必ず自分が前面に出ないと上手くことが運ばないが、今回は研究所の副所長である後輩の豊田君が中心になり音頭を取ってくれた。そこで、いくつかは注文をつけさせてもらった。

先ず産業界の方々にわざわざ集まっていただくのは失礼だから、丁度十一月の二十一日に本学で工学部の研究発表会が開催されるので表面工学部門の講演を聞いていただいて、その後、懇親会形式でやればいいのではと提案した。

委託研究などでお世話になっている十数社の企業の役員の方々に限定するようにとも注文をつけた。

ありがたいことに、研究発表会は会場が満員となり、又はその後の祝賀会には、ほとんどの役員に出席いただいた。大先輩のアズマの大朏社長は、今まで中村先生がお元気な頃、一度OB会に出席いただいたが、今度は講演会にも参加いただき嬉しい限りである。

その他の多くの企業の役員の方々も講演会からご出席いただいたので、今われわれがやろうとしている研究をご理解いただけたものと思っている。

OBおよび産業界へのアピール

OBが集まっての祝賀会では祝賀会というよりも、小生としてはこれを機会に現在の大学の現状を理解してもらいたいと考えていた。昨年七月に立ち上げた表面工学研究所を拡張すべく、工事が十月下旬からはじまり十一月いっぱいに完成の予定であった。

こけら落としに神奈川県との産学連携事業として十二月の四日、五日の両日実習つきセミナーをやることにしていたので2日目の5日にOB会をやることに決めた。

OBには研究所の活動に関しても知らせたかったからである。来春から国立大学は独立法人となり、また少子高齢化も進むため、大学は今後ますます競争が激化し魅力がなければ淘汰されていく運命にある。

したがって、いかにして受験生や父兄や高校の先生にアピールできるか、今まさに問われている。その現状をOB諸君に知ってもらい、さらに小生なりにやれることは何か考えた。

研究所を初めとして、すぐれた研究環境を構築することは勿論であるが、そのほかに奨学金制度を確立したかった。

3、4年前に工業化学科の大学院を目指す学生のためにと小額だが寄付をしている。今回は、表面工学を志望する大学院の学生向けに表面工学奨学基金と銘打って、今回の副賞と皆様から預かった祝いを含めて寄付することにした。OBがこの趣旨に賛同してくれ、呼び水になることを期待している。