広がる貧富の格差
関東学院大学
本間英夫
10年ほど前までは、一億総中流と言われていたが最近、貧富の格差が広がっている。年功序列制度が崩壊し、フリーター、ニート、失業者が増え、平均的には収入が減少した人が多くなり、無貯蓄層がこの10年で十人に一人から四人に一人に上昇したといわれている。
ゼロ金利政策を続ける中で企業の体質が強化され、景気は踊り場から脱して上向いたといわれても、働く人々にとっては実感が伴わない。
ホリエモンや村上ファンドに見られるように虚業といえば言い過ぎかもしれないが、お金を動かすだけでしかもフェアーな運用ならまだしも、巧妙な方法で巨万の富を得ている連中、日本の経済政策のキーになる金利政策を担っている日銀総裁のうかつな資金運用、大学教授による公的資金の運用不正事件など、うんざりする事件の多発、さらには富裕層を狙った誘拐事件など最近は金にまつわる事件が多発している。
誰しもお金に余裕があることに越したことはないが、それにしても人間の欲望があらわになる事件の連続である。
雑感シリーズで株の運用方法に関して私見を述べてきたが、この種の事件が多発すると話題を提供することがいけないように思えてきて残念である。
格差が拡大化する中で、富裕層をターゲットにした銀行や証券会社、さらには乗用車の販売。その一方で100円ショップをはじめとした大型量販店の台頭。貧富の差は確実に増大している。
その富裕層をターゲットにしている乗用車を購入しようと思っていたのだが、販売会社が相手をくすぐるような形で何度もダイレクトメールを出したり、電話をかけてきたり、うんざりしている。
こちらとしては、この車種の前のバージョンの車に乗っていたので、性能がよく、乗り心地がいいし、遠出をしても疲れないし、ハイブリッドにすれば燃費もいいと考えているのに、これでは買う気になれない。
いいものは放っておいても自然に売れるし、じわじわと人気が出てくるものなので、販売の戦略は間違っていると思う。実際、新聞などの記事によると、当初の予測の半分くらいしか売れていないという。
貧富の指数
本論に戻ろう。貧富の差を数字で表すのには、従来から収入に対する食費の割合を示すいわゆるエンゲル係数が使われてきた。しかしながら、生活様式や生活習慣の違い、諸外国との比較が難しくなったということで、最近イタリアの統計学者がジニ係数という指標を提案し、新聞などによく紹介されている。これはすべての世帯の所得が完全に平等な場合を0、1人だけが富を独占する場合を1として、その間の数字を格差として示す指標である。
内閣府によると、1979年には0.271であったが、2002年には0.308と、格差が広がっているとしている。また、経済協力開発機構(OECD)が2004年に発表した統計によると、欧州諸国では0.3以下であるのに対し、日本は0.314で、貧富の格差は確実に広がっている。この係数が限りなく0に近くなると、完全に平等になることになり、働く意欲や向上心が低下するが、逆にこの係数が大きくなると、格差が広がりすぎて、不平や不満が強まり社会不安の原因になる。0.3を超えた日本では格差が顕著に現れてきて、税金対策や福祉政策が大きな課題である。しかし、この係数はエンゲル係数のように個人では算出できないので、あまりピンとこないし説得力がない。最近ではこの種の係数で表さなくても年収で生活がほぼ決まってしまう。
就学援助
このように、格差が広がる中で子供たちへの就学にも影響が及んでいる。
先ごろ、就学援助35万人増と大きな見出しで報道されたが、2004年度に経済的理由で国や市町村から給食費、学用品代、修学旅行費などの就学援助を受けた小中学生は、全体の一割を超える133万7000人で、2000年度と比較すると約36%も増加している。企業の倒産やリストラ、更には両親の離婚などが原因という。
調査によると就学援助を受けた児童生徒数の内訳は、生活保護世帯の子供が13万1000人、生活保護世帯に準ずると判断した子供が120万6000人で受給率は全国平均で12.8%にものぼる。
また、大阪府の受給率が27.9%、東京都が24.8%である。我々が子供の頃は給食費だったのであろうが、毎月封筒袋に入れたものを持っていったと記憶している。お金を払えなかった生徒は、確かクラス五十人中一人くらいで、生徒の中にはうすうす知っているものもいたが、誰も差別はしないし、本人も僻むことはなく、クラス全体は暖かい雰囲気であった。
ところが、生徒の四人中一人が受けているとなると、純粋で無垢な子供たちの中で貧富を意識させることになるだろうし、差別やいじめの原因になるだろう。
さらには将来、少子高齢化と共に、現状のままで対策を打たない状態が続くと確実に格差社会は増幅されるだろう。
5月中旬の新聞記事に「教育」に関する全国世論調査(面接方式)が発表されていたが、親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じている人が75%に上っている。
格差社会の拡大が指摘されている中で、所得の格差が教育環境を左右し、子供の学力格差につながっていると意識している人が多くなっていることを示している。また、最近の子供の学力が以前に比べ低下していると思う人は6割以上に上り、小学校からの英語教育必修化に賛成する人は67%である。
「家庭の経済力によって子供の学力の格差が広がっている」との指摘について、「そう思う」が「どちらかといえば」を含め計75%で、「そうは思わない」21%を大きく上回った。
教育環境整備
一番ベースにあるのは次代を担う児童に対する真の教育であり、これまでの点数だけで評価する偏差値教育から人間性豊かで、きらきら輝く児童の育成に力を入れてもらいたい。それには教員の地位を上げねばならないし、児童や父兄からもすばらしい先生だと評価されるようになる必要がある。将来を担う児童の育成にと、志を高く持ち小中高の先生になろうとしている人はどれくらいいるのであろうか。
サラリーマン化した先生から、尊敬される教育者のプロとしての先生へと変わるためには思い切って給料を上げ、生活が安定し専念できる環境づくりが急務である。
子供ながらに自分の将来を考えると、なかには親の助言がかなりある子供もいるだろうが、誰もが安定した生活をしたいと望み、それではたくさんお金が稼げる医者や、弁護士にということになる。
したがって、現時点では、はじめから教員志望の数は少ないだろう。もし教員の給与が2倍、いや3倍になれば児童の教育のために自分は貢献すると志望者が大幅に増えるだろう。
さらには、児童の理科離れに端を発して工業立国としての日本の将来が危ぶまれているが、団塊の世代で教育に自信の持てる人がボランティアで将来を担う児童生徒、学生の指導に当たるのも大切である。大学の教育研究においても産業界と連携し力のある人には特別講師として指導してもらうのは極めて効果がある。
それにしても国も借金漬けでなかなか対策が取れないであろうが、その中でも将来の日本の技術力を上げることを前面に出して、これからの重点分野とIT、バイオ、ナノテク、環境、福祉を掲げ、大学に対して競争型の研究資金の配分を何兆円もおこなってきた。
果たしてこのやり方がどれだけ効果を発揮してきたのか大きな疑問である。不正問題を契機にスーパーCOEやCOEをはじめとした競争型プロジェクトの経理および業績のチェックが厳しくなり今後3年目の中間審査を厳しくして三分の一から半分のプロジェクトをストップさせるという。厳しくするのはいいがこの間研究を推進するに当たり多くのポスドクを各大学が採用してきた。
現在ポスドクの数は12000人、しかも彼等は5年程度の契約になっており、生活を保障するために30代の後半で給料が600万円以上も支払うようになっているようだ。この給料はプロジェクトのリーダーの教授が決めることが出来るので、どんどん実績を上げるために給料も上げてきたらしい。
したがって、なかには30代後半で、800万円の給料をもらっている人もいるという。これらの人はプロジェクトが終了したらどうなるのだろうか。民間企業は30代後半では500万円以下だろうし、一度自分の生活が600万円以上の生活をしたら、果たして500万円以下の生活が出来るのだろうか。我々のように戦中派および戦後派はどんな生活でも出来るが最近の若い人達は難しいだろう。これらの12000人のポスドクは将来どうなるのであろうか。彼等は研究活動で実績を上げているというが、科学のほんの狭い領域の研究を深く追求しているので、民間企業ではかなり専門性が近い場合は別だが大きな社会問題になるのではと危惧する。
国にはこれまでの資金流用問題の起こる体質を解析し、資金を集中させる競争型を減らし、むしろ、申請方式から厳正な評価機関を作って実績の上がった大学の研究者をノミネートして配分する方法に切り替えてもらいたい。
我々は民間ベースでほとんど大型の資金援助なしにここまでやってきた。これからもこのスタンスを保ちながら、地道だが着実に研究活動を続けていく。