責任感の欠如が企業の存亡に

関東学院大学
本間 英夫

以前にも苦言を呈したが会議ばかりしている会社は儲からないと。実際、企業によっては何度電話をしても交換業務の女性がいつも「会議中です、いつ終わるかわかりません。」と言い当人には繋がらない。午前中会議が続いている場合や、午後も引き続き会議している場合など、毎日ではないのであろうが、週に一度か二度会議日があるようで、まったく相手と連絡が取れない。

そこで今度はメールで連絡するが、これも何度連絡しても相手は見ていないのか返信がない。そこで又電話して「メールしたのだけれど。」と確認の電話が通じるまでに、2週間もかかってしまう始末である。

その頃には言いたかったことも、なんだか気が抜けてインパクトがなくなってしまう。まったく馬鹿げたことである。また、重要な約束をしていたのに当日になってから申し訳ない、のっぴきならぬ重要会議が入ったのでキャンセルするという。

この様なドタキャンは事情があってのことであろうが、過去にこの種のことを何度もするような人は信用できない。約束を甘く見ているか、プライオリティをそこにおいていないからである。また、小生自身の魅力の欠如や重要性が低位におかれているのであろうと反省もしている。

特に、経営を担っている役員は、すでにこちらが予定しているのに、ドタキャンをするというのは、よほどの理由がない限り許せないことである。

おそらくこの種の人は従業員から信頼されないし、高い評価が得られず企業にとっては大きなマイナス要因だ。

これを自分に置き換え、過去を振り返ってみて、もし同じ事をやっている読者がいたら直ちに改められるように。他の企業の人との約束を守らず代理を出す人、また学会の役員の任に就いているのに定期的に役員会があっても理由をつけて欠席することが多い人、また当日ドタキャンをする人、猛省されるように。

もっとも、この種の人たちは読者の中にはいないと思うが。

役員へのアドバイス

会議の多い会社では会議の進め方に関して、いたって稚拙な会議形式になってはいないかと危惧する。こちらは経営にタッチしているわけではないので、少しでも改善してもらおうと思うのだが、経営にタッチしていないからと断られる。

最近、社外重役という制度があり新しい息吹を入れて成功している場合もあるというのに。

企業規模が中途半端に大きくなると、これまでの会議の形式をそのまま継承していても、うまくいかない場合が多い。企業規模が大きくなり、役員も増えるに連れて、その会社の経営者の意思が通じにくくなる。

「企業は人なり」というように職場を共にしている従業員を如何に育て、如何に楽しくわくわくできる環境を構築するかが、究極的にはもっとも大切である。

しかしながら、製造業を中心とした多くの表面処理関連の企業では、従業員にかなりの閉塞感があり経営者との意識のずれが大きいように思える。

会社を見学した際の職場環境を見ると一目瞭然である。先ず従業員は挨拶をしない、目が輝いていない、作業服がよれよれ、歩く姿もピリッとしていない、後ろ姿は首をうなだれ活気がない、便所が汚い等々。役員は保守的でイエスマンばかり集めている。ノーといえる気骨のある人の意見を聞く度量がないと会社はどんどん衰退していく。

会議の進め方 実りある会議を

毎週開かれる会議で実りのある内容であったと、満足できる会議はどれくらいあるのであろうか。単に報告会で終わってしまう、先週も同じ話をしたっけと時間ばかり費やして結論が出ない、だらだらした会議など実りの少ない会議が多いのではないだろうか。

通常は会議を開く前に、あらかじめアジェンダや参考資料を配布しておけば効率がよく、しかも会議を開く理由が明確化される。

特に議題を明確にしておく、開始時間と終了予定時間を明記しておく必要がある。時間を決めておかないと、だらだら意味のない会議になりがちである。

また、個々のテーマについて何処まで討論し、何を決めるかが設定されていないと無駄な時間ばかりを費やし生産性の低い会議になってしまう。その意味では議長役の手腕が大きく会議の成否を左右する。

我々の研究所の会議は目標や目的が定めやすく、以外にスムースに進められていると自負している。会議に入る前に全員にあらかじめアジェンダがメールで配信されている。会議中はパソコンで論議の内容を即座に打ち込み、プロジェクターに連動させ参加者にはいつも見えるようになっている。

従って、明記された目的が何処まで論議されたか何処まで達成されたか、結論は何かなどその場でわかるようになっている。

また、会議の終了時点で、その議事録をプロジェクターで示し、みんなで確認しあう。必ず次回の会議日をその時点で決める。

日本の学校教育におけるひとつの欠陥であるが、ディベートの習慣がないので、多くの企業では、ごく一部の人しか論議に参加していないのではないだろうか。だんまりを決め込んで、早く会議が終わるのを待っている人が多いようでは、その企業は衰退していくだろう。

話し上手は聞き上手

一対一の話し合いは共通の話題が設定しやすく、お互いの意思は通じやすいが、会議後などに開かれる10人程度の懇親会の場合、数人ずつのグループに分かれてしまい、話題の焦点が定まらず単なる雑談になっているのではないだろうか。

中村先生が元気な頃は、求心力が強く20人くらいになっても先生が話題を提供し、その話題に沿ってお互い話し合う雰囲気があった。

ところが最近の会議後の懇親会などでは、5,6人の少人数の場合であっても2つか3つのグループに分かれてしまい、せっかく面白い話題があっても2,3人しかその話を聞くことが出来ないのが現状である。

その意味でも進行係の必要性と重要性を最近痛感する。

小生はいずれの懇親会でも年長者になってきたので、余りみんなに気づかれないようにスムースに進行するよう配慮している。

その際に話題が豊富でいろんな興味ある話を提供する人がいる。従って若干話が長くなってしまう場合があるが、面白い話であったり、新しい情報の場合は、みんなが集中し、いい雰囲気になる。その際せっかくの集まりだから、みんなの意見を聞いたり、賛同したり、反論したりで会は盛り上がる。

しかしながら、話好きな人というのは、得てして自己顕示欲が強く、一方的に話す場合がある。これは話し上手ではない。その場の雰囲気を掴んで、みんなが楽しく意味のある会になるようにお互いが努める必要がある。

せっかく時間を割いて、みんなで集まっているのだから、共通の話題で話を進めていったほうがいい。多くの人が集うと話題が拡散しやすいが、なるべくみんなに聞いてもらいたい話題を提供し、お互い満足できる懇親会にしたいものである。
 話し上手は聞き上手と言うが、突き詰めれば話し上手は、集っている人がどんなことを聞きたがるか、どんな話しを面白がるかを感じ取る力が必要であるし、また、聞き上手は、相手がどんなことを話したがっているか、どんな面白い一面を持っているのかを感じ取る力が必要である。

この両方のセンスを兼ね備えることが大切である。単にお喋り上手や相槌上手になってはいけない。提供された話題に強い関心を持ち、話し手も聞き手も楽しい雰囲気作りが重要である。