偽装問題
関東学院大学
本間 英夫
新しい年を迎えるにあたり、年賀状を習慣的に書いてきたが、高度な情報化社会の到来と共に一年の締めくくりや年初めの感覚が大きく失われてきた。そこで、年賀状を出す習慣も形骸化してきたので、めったに会うことのない友人や知人にだけはこれまでどおり送ることにして、あとは本年からこの習慣に終止符を打つことにした。
さて年初めから明るくない話題で恐縮だが、昨年暮れ、食品の産地、賞味期限の改ざん、人材派遣会社の杜撰な偽装請負などが相次ぎ、世相を表す漢字に「偽」が選ばれた。
日本漢字能力検定協会が漢字を公募し、応募の9万816票のうち、「偽」が1万6550票でトップ、次に選ばれたのが「食」で「嘘」「疑」と続いたと言う。いずれにしても昨年は偽装、隠蔽、粉飾など、人をだます行為の事例が続出した。
耐震偽装、白い恋人、ミートホープ、比内地鶏、赤福、はたまた馬肉に油を注入しての霜降り肉など「偽」だらけ。
また年金問題、防衛省問題、大学教授のデーター捏造、公的資金の不正流用、公害や事故や危険の隠蔽などが連日暴かれてきたのだが、一向に改まらない。これは人間の性なのだろう。
高度な言語能力も使いようによっては
聖書には「初めに言葉ありき」と、人間には言語能力を始めとして高度な思考能力が備わっている。また、子供は純粋無垢というが、実は人間の本性から自己保身のために隠したり嘘をついたりする。
もう一年以上前になるが、教育テレビだったか、ケーブルテレビの番組のディスカバリーチャンネルで、視覚、聴覚、判断能力がそなわった赤ん坊にいろいろ意地悪な実験をして、物心がつけば、本能的に嘘をつくことが実証されていた。
大人社会になると、言語を使う能力が高度化する。したがって、事実に基づかなくてもイメージし、それを言語化することができるようになるので、正直でない場合は大きな嘘をつくようになる。
これは、事実でなくてもそれをイメージし、言語化し、事実と信じ込ませる行為から嘘がはじまると言える。偽りや嘘は倫理に反する行為だが、動物行動学から見た場合、人間以外の高等動物は嘘をつく能力をもっているといえるのだろうか。
本能だけで活動している動物には善悪という定義はないだろう。動物にも生物にも生きる知恵として、我々人間から見ても到底考えの及ばない驚嘆するような騙しの行動が備わっていることは事実である。
巧妙な擬態などはその最たるものである。
しかしながら、人間は色々な能力が高度に発達し、集団生活で高度なコミュニケーションを営んでいる結果、嘘をつく能力も一番発達したといえる。
コミュニケーションは、主に言語を介して相互に意見を交換し、理解しあうプロセスであるはずだが、相互理解の中で「嘘」や「偽」が入ってくることにより、お互いの信頼関係は喪失し、社会生活を狂わせ、極端な場合は生活が奪われてしまうことや破壊行為にまで繋がる場合もある。
倫理観、道徳観の軽視から
戦後、高度成長期のころから、効率追求、物質的な豊かさが求められ、倫理感や道徳感が軽視されてきた。
その結果、今回のように世相を反映した言葉として「偽」が選ばれるところまで、世の中が乱れてきている。これはいつに、個人と社会の倫理性の問題である。
現代社会は民主化および情報化に伴って、ますます高い倫理性と教養を必要とするようになっているだが。嘘やごまかしが横行するようになると社会の秩序は大いに乱れることになる。
嘘は信頼のあるコミュニケーションを喪失させ、社会生活を狂わせる行為であると、深刻に認識する必要がある。
この点で、学校や家庭での教育が果たす役割は極めて大きい。
我々の年代層は、子供の頃、明治や大正生まれの親、親戚、教師から道徳的な教育を受けてきた。従って、道徳や倫理観は高いと自負している。
幼いときに偽りを正す訓練をしておけば、その後は倫理観、道徳観の高い生活を送れるのである。
最近「3丁目の夕日」という漫画が映画化され、我々の子供の時代がよみがえってくる。みんな貧しかったが、心は豊かであった。
この映画に関しては、当時経験した我々の年代層が、郷愁の思いから劇場に足を運んだのかと思っていたが、かなりの学生もそのマンガを読んだり、映画を見たようで、感激したと感想を述べていた。
このことは、日本人として豊かな心が、今の学生にも受け継がれており、物質的な豊かさよりも人間として心の豊かさを希求していることを物語っている。
リーダーとしての年代層
果たして、50代の年代層の連中はどのような感想を持つのか興味がある。
というのは、彼らの年代層は高校から大学時代、高度成長期に入り、当時の若者は民主化の美名の下に、義務を果たすよりも権利ばかりを主張し、目上の人に対しても、尊敬の念や気遣いや謙虚さが失われ、学園紛争とも連動して、これまでのよき日本の道徳観や倫理観が失われていった年代層である。
その年代層が、現在の社会におけるリーダー層になってきている。
これらリーダー層の自己保身から、所属している団体すなわち公官庁をはじめとする企業の所属部署で、隠蔽や嘘が横行し、それが明るみに出てきているのではないかと危惧する。
情報公開の時代にはいり、隠蔽や偽りは内部告発が基点となり、どんどん白日の下に曝されるようになって来た。
嘘や偽りはいくら隠蔽しようと思っていても、いくらうまく嘘をついたと思っていても、いずれは嘘が嘘を上塗りして最後はにっちもさっちも行かない状況に追い込まれてしまう。
しかも愚かなことに同じ事を繰り返す。全く学習機能が働いていない。大人になってからでは修正が効かないのである。
子供の頃に徹底的に悪さをして、そのときに応じて諌めてもらっていれば、大人になってから現在頻発しているような愚かなことを起こさないはずである。
議員の答弁や参考人としての聴聞で、嘘や偽りの答弁が多いが、これらに対してマスコミが徹底的に執拗に追及するため、彼らは窮地に追い込まれていく。
情報化時代では、ごまかしや嘘、偽りは通用しなくなったのである。非があれば、責任の任にある人は、初期段階で素直にはっきり認めるべきであり、隠蔽や小出しにしていると結局は信頼を徹底的に失うことになる。
企業経営においては経営者および従業員が一体となり危機管理の重要さを再認識し、一体感を持って間違いや不正があった場合は即座に対応すべきである。隠蔽しようとすると結局は大きな問題に発展してしまう。
個人レベルとしては正直に、ざっくばらんに、心豊かに生きましょう。