日本総鬱状態
関東学院大学
本間英夫
抑うつなどの症状が続くうつ病の患者数(躁(そう)うつ病を含む)が、初めて100万人を超えたと昨年末話題になった。
患者調査によると、うつ病が大半を占める「気分障害」の患者数が、1996年から99年にかけては43万人台で、ほぼ横ばいだったが、2002年調査では71万1000人と急増し、08年調査では、104万1000人に達したという。
この様に、10年足らずで倍増している。これは景気停滞が大きな要因であるが、精神科医が安易にうつ病の診断を出すことも影響しているし、さらには新しいタイプの抗うつ薬の発売の時期と重なるという。
人間だれでも、時には気持が滅入って鬱の状態になる。特に一昨年の大不況下では、仕事が好況時の半分以下で、企業によっては稼働率が70%以上低下した企業もある。したがって、多くの企業で、一時は金曜日から月曜日まで休みになり、ブルーマンデイどころか毎日鬱状態でその状況が数カ月間続いた。
ほとんどの企業は、その後、仕事は回復し7割から8割の稼働率になってきたが、給料、ボーナスは大きく低下し、派遣社員は整理され、生産の効率追求、不良対策に注力せざるを得ない状態である。したがって、従業員に対する負荷は大幅に高まり、生産に追われるだけで、仕事に対する充実感が薄れ、ほとんどが鬱状態になっている。
私自身も一昨年の9月頃から鬱状態が半年くらい続いた。それは生を受けて半世紀以上経過する中で初めて人間関係でのトラブルが原因であった。内容はあまりにも深刻なので、この種の紙面では紹介できないが、大学時代までは上下関係や利害関係は全くなかったし、人に利用されるとか騙されるとか、裏切られるとか、その種のことは全くない、今思い起こしても、楽しい青春時代であった。
その後、産業界を全く経験せずに、大学院修了後、大学の教員の道を歩むことになった。当時から、社会に出れば7人の敵がいると表現されていたが、競争心、闘争心などとは関係がなく、また人から裏切られるとか、騙されるということは、60代中頃まで、全くなかったと言っていい。
ストレスといえば中村先生から実験に関して「やったか!まだか!」と毎日のように言われてきたことぐらいだ。この種の激励は今になって思えば如何に実験を効率よくしかも的確にやるかを自分なりに工夫するようになっていったのでよかったと思っている。このように鬱など経験しない、純粋培養のような人生を送ってきた。しかし、人生の終局で初めて騙されたり、裏切られたりすると、おそらく誰でも鬱の状態になるだろう。
その感情が現れてからは睡眠も浅くなり、いつも睡眠不足で食欲はなくなり、いつも気分がすぐれなかった。その体の変調の原因は自分ではよくよくわかっているので、如何にその状況から脱するか考えてきた。
だが、自分自身の問題で鬱状態になるのであれば、自分を変えれば比較的簡単に直すことができるだろうが、相手から信頼を裏切られるようなことや、騙されることが起こると、それを解決するにはかなり困難を伴う。
現在は、やっとその問題を克服したが、人生の終局でこの種の経験をしたこと、またこの試練に立ち向かい、自分なりに克服する手段を見出したことを何らかの形で、一般論化して産業界の方々や学生には伝えていこうと思っている。そのようなわけで軽度の鬱は自分が努力すれば自然に治るのだろう。
しかしながら、最近の傾向としては、企業では早めに精神的に問題のある人には診断を促し、鬱を早く発見し、薬を飲めば治るという流れが続いており、アンケートや問診の結果から安易に判断し薬物治療を受けている面がある。だが薬物療法では精神的な面は完全に治癒しないだろう。
精神科医をやっている友達は薬を使わないし、禅の道場をひらき、ハリ治療や漢方を使うと言っていた。心の癒しや克服力を養うようなアドバイスをしている。この様に医師の中には安易な診断や処方を見直す動きも出つつあるようだ。
どこの企業でも従業員の中で、心の病による年間の休職者の数が増加し、2か月以上の長期休職者がふえている。これらの多くは、うつ病と診断されているという。
産業医は、ほとんど、「うつ病は無理に励まさず、休ませるのが良い」との見解で一致しているようであり、この種の啓発キャンペーンがうつ病患者を増加させている原因である。戦後、追いつけ追い越せの時代は、この種の精神的不安定な状態はあまり意識されていなかったし、この種のことを気にせず、がむしゃらにやってきたように思える。当時は上司や同僚が励ますことによって、復職させてきていたが、最近では軽症の患者にまで、医師が安易に鬱と診断し、その診断書を持ってきた本人が、自分は鬱なのだとの完全に暗示にかかり、しかも会社の中では上司も同僚も「腫れもの」を触るように、何も言えなくなってきていることで、本人は休み癖がついてしまい、怠惰になり、なかなか職場に復帰できないようになっている。
果たしてこの現状でいいのだろうか。うつ病など気分障害の患者は、2000年代に入り急激に増加してきた背景には繰り返しになるが新規の抗うつ薬だと言う。抗うつ薬の年間販売高が170億円台だったが、1999年にSSRIが登場してから急伸して2007年では900億円を超え、このような急激な増加は欧米でも、この薬が発売された80年代後半から90年代初めにかけ、患者の増加がみられた。SSRIが発売に伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになり、精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えている。ある調査によると、学生にテレビCMを見せた研究では、当然であるが、見なかった学生より「気分の落ち込みが続いたら積極的な治療が必要」と答え、CMの影響をうかがわせていると言う。うつ病は一般的に、きまじめで責任感が強い人が陥りやすいとされる。自殺に結びつくこともあり、早期発見・治療は自殺対策の柱のひとつにもなっている。ところが近年は、「自分より他人を責める」「職場以外では元気」など、様々なタイプもうつ病に含まれるようになった。そういえば企業内で、景気の停滞感からパワハラが横行しているようだが、まさに自分を責めるのではなく特に部下に対してかなりきついことをいう上司が増えていると言う。心当たりのある人は猛省されたい。またうつ病は検査数値で測れる身体疾患と違い、診断は難しい。このため、「抑うつ気分」などの症状が一定数以上あれば要件を満たす診断基準が普及した。「なぜそうなったか」は問われず、性格や日常的な悩みによる落ち込みでも診断され、かえって混乱を招いた面がある。
最近、医者の中には安易な投薬を懸念する声も出てきている。先に触れたように薬なしでも私のように自分なりに、鬱状態から脱却できるはずだ。私の友達はかなり前から薬物療法ではなく精神療法を行ってきたが、海外では軽症には、カウンセリングや運動などをすすめる治療指針も多くなってきている。企業の経営者はこの問題に対して消極的に対応するのではなく会社で働くそれぞれの立場の人たちが仕事に対して夢と、わくわく感、充実感が持てるようにしていけば鬱状態から脱却できると確信している。