最終講義 KT君のコメント
関東学院大学材料・表面工学研究
本間英夫
お疲れ様でした。そして、さらにこれからも、本間節を聞かせて下さい。エピソードということですが,,,大分昔の話しなので、多少事実と違いがあるかもしれませんが、ご容赦ください。
●始めての車
先生の始めての車は、私と買いにいきました。なぜ、当時学生だった私が抜擢されたかは覚えていませんが、二人で、ご自宅のそばの中古車屋さんに行きました。
「先生、新車を買わないんですか?」
最初はぶつけたりするから、なんだっていいんだ!とのこと。白のコロナマーク2 値段は34万円それを、即決、即金で買いました。本当に、なんでもよかったみたいに,,,あっさりとした買い物でした。先生の初車は私と購入,,,これが、私の密かな自慢です。しかし、数カ月後には、宣言通りに?ぶつけて、2台目のお買い物となったようです。誰と一緒に買いに行ったのかな?
●始めての仲人
先生に初めて結婚式の媒酌人をしてもらったのは私です。今の嫁さんと先生宅にお願いに行ったときに、言われました。「いままで、頼まれても、断ってきたんだ,,,と」奥様が人前に出るのが苦手との事でしたが、無理にお願いしました。周りの先輩方には、「何を言われるかわかんないぞ~」とおどされましたが、心配など全く必要のない下ネタなしのスピーチをいただきました。(奥様ありがとうございました)
先生の始めての仲人は私の結婚式。これが私の密かな自慢です。私の次は誰だったのかな?
●愛のムチ?
私は先生に頭を叩かれます。(注釈自分の手を間に入れてパチンと自分の手を叩いているので別に暴力ではありませんので念のため)はっきり言って、私の人生の中で頭を叩いた人の順位付をしたら、ダントツトップで金メダルです。しかし、先日の最終講義の懇親会時に、頭を叩かれませんでした。なにか、物足りなさを感じる自分がいました.。多分、私だけではないとおもいますが、叩かれることで先生の愛をかんじるのは,,,Mではありません。
次は卒研に専念できないほど単位を落としていた人からのエピソード
(1) PC修理で資産判明
先生のラップトップの調子が悪いから見て欲しいといわました。いざ画面を開いたら証券会社にログインしたままだったため画面に「今のあなたの総資産は○○円」の文字。見てはいけないものを見てしまった!と思いうろたえつつ「先生、すみません~」と画面を向けたら「おお!そのままだったか。他にもあるよ」と別会社の口座や額も見せられました。
(2) スキー場でマスクマン
1月の先生の誕生日に私達の期(38期)は毛糸の帽子を二つプレゼントしました。1つはお遊びで大きなボンボンとパンダのアップリケが付いたものでした。卒業発表終了後、先生の別荘にお邪魔してスキーに行ったとき、何人かでボードの準備をしていると「大丈夫か?」との声。そちらを見ると、大きなボンボンとパンダの帽子を首まで伸ばしその上からメガネを懸けた先生が・・・。「こうすると顔が寒くなくていいな!」といいつつ颯爽と滑っていかれました。
(3) ガイドブックの人が目の前に
視察旅行に同行した際、ポーランドに行きました。初めの予定にはありませんでしたが、折角来たのだからと、急遽アウシュビッツも見学することに。バスに乗っている間、ガイドブックを確認すると日本人ガイドさんが唯一いると顔写真付で載っていました。 到着後、真っ先にバスを降りた先生が通りがかった男性を呼び止める。まさにそのガイドさんでビックリ!しかもその人にガイドしてもらえることになりました。普通は予約でいっぱいで飛び込みでは無理とのことです。とっさに呼び止めた先生の運のよさを実感しました。
(4) 無電解めっき液の泡
無電解銅めっきでは発生した水素がサンプルに残りピットなどができてしまった。考えながらお風呂に入り、湯船の中で身体から離れる泡を見て思いついた。界面活性剤だ!
(5)
ある朝、先生が「思いついたぞ!」と笑顔で研究室へ。「昔、銀触媒の研究の時サンプルが樹脂だったがデスミアをしなかったのにパターニングの時、光があたったところは結構密着よくついて水洗で振るくらいでは剥離しなかった。それとマスターの2年生がやっていた光触媒を思い出したんだ。樹脂を光触媒で処理すれば、きっと荒らさずにめっきがつくぞ!」その後、さっそく実験を始めますが全然うまくいきません。 しかし先生は「きっとうまくいくはずだ!やってみろ!」ちなみに初めは光触媒の量が分からずに大量にいれてしまい光を遮断して反応して欲しいところまで届いていなかったが判明。量を減らしたらしっかりめっきがつきました。その後の展開はみなさんご存知の通り。
実はこの光触媒はある学生のテーマが行き詰まったため先生がなんとかしなければと捻り出したアイデアでした。「やっぱり良いアイデアってのは、めっきに関して四六時中考えていないと出ないのですね」
ある技術者から
思い起こせば25年前にシリコン上のめっき技術の件で、電話で先生に技術教えてほしい話を厚かましくしてしまった際に技術はタダではないと注意され、会社から十万円をとにかくもらい、後日十万円分だけ教えてくださいと、お願いしたのが深くお付き合いさせて頂く機会となり、その後多くの技術を先生から授けて頂き、私の新しいめっき技術の開発に欠かせないものとなりました。(注釈 この種のお金はすべてストックマネーにして有効に学生が活用したのであり私腹を肥やしたわけではありません)
シリコン上のめっき、アルミ上めっき、無電解ニッケルの抑制効果(かじりの悩みを解決)、ボロンニッケルピン自動めっきの安定化、低濃度めっきめくらピン内部へのめっき技術(温冷法)、粒子めっき(パテントにまで踏み込んで調整頂きました)、ガラス上めっき、銀ろう上の無電解ニッケル、硫酸銅の基礎技術、ウエハレベル補助金、まだまだありますが、どれも苦しんで、苦しんで困っているときに助けて頂きました。
また、多くの人材を私に託してくださったことも大きな技術力アップになり、盤石な技術集団を結集出来、私の部署で年間利益十八パーセントを達成したこともありました。 ウエハの開発では多大なお力添えを頂いていたにも関わらず、私の無理な開発が祟り、退社することとなりなんのお返しも出来ないままとなってしまいました。初めてJAMFで出会った以来三十三年、あの頃と全く変わらないエネルギシュな先生が明日最終講義の記念の日であるのは少しさみしい感じもしますが、明日が新たな先生の飛躍の日と考え心よりお祝いを申し上げたいと思います。
今回はこの記念すべき時にご心配をお掛けし、本当に申し訳なく思っております。 また、常に暖かい言葉をかけて頂き感謝しております。今後は若い人材を育てる手助けが出来るように健康にも、精神的にも精進したいと思います。
劣等性を自称するI君から
現在カリフォルニア大学のアーバイン校で本学との共同研究を行っている卒業生が、小生に宛てたメールである。
私が本間研究室に配属が決まってから、ちょうど6年が経ったと思います。自分で言うのもなんですが、よくもまあ、あんな成績で本間研究室に入れたなと、偶然恐ろしいというか、たまたま成績優秀な方々が牽制している中でタイミング良く研究室に飛び込めたのだと思います。そのせいで先生には、それから6年間御迷惑お掛けすることになるのですが。しかしながら、いつも昔を振り返ると思うのですが、もし他の大学に行っていたら。もし他の研究室に行っていたら。今の自分はありませんでした。もしかしたら、今頃派遣村に居たかもしれません。本間先生に出会えたこと、本間研究室に配属されたこと、関東学院大学に入学したことは、本当に良かったですし、私の人生にとって非常に大切なことでした。本間先生には、いくら感謝しても足りません。本当にありがとうございました。これから社会に出ていくにあたって『ダメなヤツでも育ててみせる』という、先生の教育理念の賜物であるという自覚を持って、先生に恥をかかせないように頑張っていきたいと思います。彼に関しては最終講義の際、可が山のようにあり優が三つしかない(加山雄三君)と紹介した。小生は学生の成績は見ないほうだが、ある先生からその後連絡があり、本人の大学時代の成績は87名中86位であったとのこと。まさに『ダメなヤツでも育ててみせる』の典型例である。