日本の不況をどう乗り越えて行くか
関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間英夫
梅田 泰
日本の不況をどう乗り越えて行くか
―受注競争に堕しているようでは乗り越えられないー
日本のものづくりの見直しと、最近テレビ東京の和風総本家、朝日テレビのカンブリア宮殿、TBSの夢の扉などで数多くの元気あるメーカーとして中小でも大きく飛躍している会社が紹介されていた。
その特徴としてはどのメーカーも他社とは一味違う事で成功を収めている。
他方相も変わらず、多くの中小メーカーはドックレースのごとく未だに、今迄の下請け的発想から、目先の受注に奔走している。機会損失を減らすためには経営上は仕方のない事なのかもしれないが、ジャパンアズ№1と持て囃された1980年代が今では夢のようである。
当時鉄鋼はアメリカよりも生産が上向きとなり、自動車の輸出も絶好調であった。中小各社は三交代勤務で寝る間も惜しんで休日すらなかった。
下請けメーカーは「寄らば大樹の陰」と、ひたすら客先の要求に答えながら大量に生産する毎日であった。しかしながら、1990年から不動産バブルにより地上げ問題などが浮上し、不動産会社が叩かれるようになり、結局は全ての分野の産業が急激に落ち込んで行った。
バブルがはじけた時点で、産業の構造を大きく見直す必要があったが、「溺れるものは藁を掴む」が如く、仕事量が減ったため自社のラインを充足させようと、どんどん価格を下げコストに見合わない過当競争の時代に入って行った。日日の生産が精一杯で、新規開発の余裕はなくなり、徐々に体力は衰えて行ってしまった。現在このようなメーカーが多くを占めているのではないだろうか。
今、アベノミクスで勢いを増し、実体の経済とは少しかけ離れた部分で景気回復が叫ばれ、雰囲気としては上向きの経済が見えてきた。ここで日本の今迄の産業の形態を見直し、競争だけでなく、各社が協調しながら経済を発展させていく方向を見出し、新たに世界に貢献出来る道を見出す時が来ているのではないだろうか。
株価高騰から勝ち組、負け組の線引きがなされてしまう可能性があるが、特徴ある技術を駆使し、日本復活をしなければならない。
ニューヨーク証券取引所では年間100社以上、多い年には150社を超える企業が上場しているのに比べ、日本では、かつてはアメリカと同じく年間新規上場企業が150社を数えていたが2008年以降50社を切り、2009年19社、2010年22社、2011年36社の状況である。
5月中旬の土曜日、日曜日NHKスペシャルメイドインジャパン(1)、(2)と二夜連続で放映していた。この内容を見ていて近々感じていたことが映像で明確に示されていたので、今回この話題を提供することにした。
この番組によると、大手企業は開発の方向が見いだせないまま、過去の栄光を追いかけることとなり、思い切った転換を計れない状態に陥り、中小企業は固有の技術は持っているが、一つの製品として作り上げることが出来ない。大企業はリストラの連続で新規の技術を評価する体力が無くなり、バラバラになっている技術を積み上げる力さえ残っていない。
この歪んだ状態の日本が飛躍できなくなっている大きな要因ではないだろうか。
番組の中では数例の中小企業の技術を大企業が活用し、大きな成果を上げた話が紹介されていた。細かい内容までは紹介されていなかったが、一例は京都の京都試作産業プラットフォームが紹介されていた。
数十の会社が集まり、電子機器開発、ソフト開発、設計、産業機器、メカトロ、試験、データ計測、金型、治工具、機械金属加工、プラスチック成型、プラスチック加工、技術調査、マーケティング、工業デザイン、繊維加工、表面処理、ガラス加工、設計支援、伝統工芸、修理・修復、オーダーメイドをネットワークでまとめ、テーマが与えられ全ての開発をそのユニットで仕上げ、製品として大企業に製品として提案すると言うものである。
これまで異業種交流というシステムが地方自治体で形成され、活用されている例はあるがユニットとして各会社が協力し合い、開発の仕事をまとめて行くシステムを作り上げていた。商売となると、他社には仕事を取られてなるものかという心理がどこも強い様な気がする。
しかし、これからは「大学の知」を活用しながら、中小企業同士がアイデアを持ち寄り、一つの製品を作り上げて行く方式を数多く立ち上げられないものだろうか。
中小は比較的経営者が細かい技術内容も把握しやすく、対応への決断が大企業に比べて速い。製品としてのマーケティングも含めて作業を進めて行けば将来大きく発展していくはずである。自分たちで将来を見据えることが出来れば、成長にも大きな力となるはずである。
但し、今迄の大企業と下請けと言うシステムを今後もうまく残していくには、高度経済成長の際の関係を続けていたので駄目であろう。
昭和の三十年代からオイルショックまでは大企業が下請けを育てると言う気風があったが、オイルショック以降は下請けの良い技術があれば、言葉は悪いが盗み取るかのようなことが行われていた。新規技術を開発しても特許で優位性を出そうとすると、発注を止めるなどの嫌がらせをし、優位性を出させまいとしたことさえあった。
一部にはこの様な大企業の仕打ちから、下請けの技術力、経済力アップにはつながらず、現在の状況に陥った原因にも繋がっている。
自動車関連や、事務機などはリーマンショックまでは計画生産が行われ、毎月の中で生産調整に一喜一憂することは無かったように感じているが、近年落ち込みが激しい白物家電、映像機器、半導体などはアップダウンが激しく、常に下請けはアクセルとブレーキの掛けどうしで体力の消耗が激しかったと推察する。
この状況を打破する提案
中小企業は大企業が受け入れやすい形まで仕上げ、提案するような環境を作り出す。
また、提案された側の企業は下請けという位置付けでなく、パートナーと考え、提案された内容に付加価値を見出す努力をすることで、次々に新しい提案を引き出す。この様にして、お互いに信頼をベースにした環境が出来ることにより両社が技術、売り上げがともに伸びる。
提案しておいて掠め取られてしまう環境が発生すると、技術内容の開示が十分にされないことで、お互いの理解度が深いところに至らず最終的な製品への展開が出来ない場合も発生してしまう。技術はお互いに秘密にしてしまうと、お互いの理解度が生まれず、最終的に両者が満足することが出来ない。
企業内ですべて開発するのではなく、大学研究機関の知の活用として、原理や基礎技術について情報を得ることも必要である。大学は自由に発想出来るので、新しいアイデアが生まれやすい。
(大学は学生が若い発想で今迄には考え付かなかったような荒削りではあるが斬新なアイデアが出て来ることが多々ある。また、事業と直接繋がっていないことで自由な発想が出てきやすい環境がある。)
失敗を恐れずに新製品の開発をして行く。
イノベーションの源泉としては定性的で主観的に判断し、熱き意欲を持って開発を進めることで成功の可能性が出て来る。現在は定量的、さらに客観的に問題ないと判断できないと先に進めない。これは開発にとっては大きなネックで、良いと分っているものは、既に他社が開発を進めており、新しい技術とならないことが多い。二番煎じとなれば新規開発とはならない。直観的に成功の可能性を見抜く力、成功へ導く継続的な努力を惜しまないことが重要である。我々は材料・表面工学の研究所として活動しているが、今後、中小企業と大企業との技術の橋渡しや、何事にも積極果敢に攻める、かつ周囲とのバランスにも気配りできる人材を輩出する様に心掛けて行かなければならない。
また、これまでの日本は技術への評価が低く、べンチャー企業が育ちにくかったが、この点についても技術の評価が高くなるように各方面に働き掛けていきたい。