ブラック企業
関東学院大学
梅田泰
本間英夫
最近ブラック企業云々という記事や報道を良く目にするし、研究所と関係のある企業でも経営者と技術者との間で微妙な感覚のずれが生じているように思えるのでこのテーマーを取り上げることにした。
ウィキペディアによると「ブラック企業とは狭義には、新興産業において若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業を指す。英語圏でのスウェットショップ(英: Sweatshop)や中国語圏での血汗工場の問題とはまた異なり、正社員に採用されても、将来設計が立たない賃金で私生活が崩壊するような長時間労働を強い、なおかつ若者を「使い捨てる」ところに「ブラック」といわれる所以がある。」と記されている。
これはまさしくホテルやデパート高級食材の偽装が良く取りざたされているが、形だけを繕い、結果として他人を犠牲にし、一部の限られた人間たちだけが利益を享受してしまう行為に繋がっている。
人間には他人に親切にしてあげたいと言う気持ちと、親切にしてほしいという気持ちの両面がいつも混在し、バランスが大きく崩れてしまうと、感謝の気持ちを失い、自分の徳だけを考えてしまうようになってしまう。
自分が親切にしてもらいたいと言う気持ちを持ってはいけないと言うことではなく、自分だけが得をしなければ気が済まなくなると、道理が通らないことでも外見がなんとか整っていれば良しとして、事を先に進めてしまう。このようなことが昨年暮れに噴出していた偽装事件の本質ではないかと感じた。
警察における誤捜査隠蔽や、行政における間違いの隠蔽なども根底には自分さえよければということが始まりなのではないだろうか。
自分の会社の従業員であれば会社の利益のために協力することは当たり前と考えている経営者もいると思うが、相手が損をしていると思いながら労働していることがあれば、極端な例であるが今回の契約社員によると言われている農薬混入問題のような事件にまで発展し、その会社の将来にとって致命的なダメージを与えてしまう。
産業界の変化
書き出しがあまりにも強烈なのでちょっと読むのに嫌な感じを持たれたかもしれないが、食品偽装だけでなく、他の産業界にも同じようなことが始まっているのではないだろうか。
半導体産業において、日の出の勢いであったのが元気を無くなってしまい、ウエハの大型化が450mmになると言われている中で、日本の半導体メーカーは一社を除き可能性すらなくなってしまっている。
建設業界ではオリンピックが開かれると言うのに鉄筋工、型枠工の人材不足で工事が完了するかどうか不明であると言うような話がある。
自動車においてはトヨタが生産台数世界一となり、年間一千万台の大台を昨年超えた。それとても今後の成長には優秀な人材が無くては継続できないと言う危機感を持っているという。
ではなぜこのような事態が発生しているのか考えてみよう。
日本は技術に対する評価があまり高くなく、製造会社の中でも役員になるのは経営や法律的な仕事に携わっている人が多く、社歴が長くなればなるほど、格式や体裁がとても重要なことになってくる。
自動車のホンダやエレクトロニクスのソニーなどは、町工場からスタートしているが、当初は経営者が先なのではなく、世の中に役立つ面白い物を作りたいと言う信念から会社をスタートさせ、会社を維持するために経営を学び、潰れない会社にしようとしていったはずである。
しかし、ともすると近年の多くの社歴の長い会社は経営が先で物づくりが後、社員のモチべーションよりも利益優先になっていることは否めないのではないだろうか。60年代に本学を訪れていたドラッカー曰く「企業の最大の目標はその会社の利益ではなく、顧客の創造である。」とあるが自分の利益が優先では誰もその人に寄ってこないと言う事なのだ。この頃この点に気が付いていない人が多い様に感じるのは我々だけだろうか。
未来は全て新しい方向へ向かっている
未来は常に新しい方向に進んでおり、過去に向かうことはなく、新製品に客は集まる。そして価格が以前のものよりも少しぐらい髙くても、どうにかして手に入れたいと言う事になる。そこには新製品を生み出すことが出来るデザイナーや技術者が非常に重要な資源であることをはっきりと認識しておくべきであろう。 当然、クリエーターも必要なのだが、今後はお互いの融合を図ることで、もっと素晴らしい状況を国内に作れるのではないだろうか。
近頃の日本は業績が悪くなった部門を閉鎖してしまう。結果的に実力ありながら職を失い、生活の活路を見出すために海外企業と短期契約し日本で積み上げた技術を放出しているのである。こんなことが起きないようにして行かなければならない。
昨年12月に中国の従業員18万人という会社にお邪魔したが、日本製と全く同じような製品が作られていたので確認したところ、「まずは真似から」とおっしゃって、さらに「日本から多くのエンジニアが働きに来ている。」と聞かされた。
また先日、シンガポールの病院経営の番組をやっていたが、日本の病院経営とは全く違うもので、実力ある医者が集まり、大病院は手術室や入院部屋を貸すという事業スタイルで、実力ある医者が高額な設備をすべて購入しなくても、最先端医療が出来設備をすべて借れるのだ。医学の新規研究開発には東大や日本の有名大を定年になった大物研究者がスタッフごと連れて移住してしまっていた。
海外で活躍することは悪い事ではないが、国内で積み重ねられた技術が海外に流失してしまうことは日本にとって大きな痛手になることは間違いない。
我々は技術をどのように考えるべきであるか今ここで問われているのではないだろうか。
利益偏重の落とし穴
国内で工業製品を作る。農業を盛り上げる。医療技術を確立する。建設技術者を育成する。開発技術者に対し、応分の対価を支払うことが出来るような開発プランを立て行かなくてはならないのではないか。中国、東南アジアで作れば、開発すれば安く作れる。
それに負けたくなければ対抗できる価格でなければならない。大企業だけが利益を上げるために中小企業の人材をすり減らしてしまうようなことはすべきではない。
そんなことが続けば、コストを下げる為に製品規格を外れた検査データを改ざんさせたり、作物であれば農薬を使っているのに無農薬と表示してしまったり、医療で言えばやってもいない治療をやったことにして健康保険余分に請求してしまったりするようなことが起きかねないのでないか。
本来であれば客の利益が最初で次に社員、会社の利益とならなければいけないが、その順番の考え方が間違えて来るとおかしなことになってくる。
明日に向って一歩前に踏み出そう。しかし周りを踏みつぶさないように。
中小企業の弱い立場ばかりを主張していても未来はないので、新聞でも良く取り上げられている産官学連携を取り入れて、活力を見出す努力もして行かなければならないのではないだろうか。
40年前は製品の形があれば商売になっていたが、現在では価格は安く、品質は高く、納期は早い品物でなければ見向きもされない時代である。
それだけの先進技術を日本は生み出し、努力を続けてきたが、後進国の追い上げはスピードを上げて一部では追い抜かれている分野も出て来ていることは否めない。
だからと言って資源の無い日本はただ手を拱いている訳にはいかない。
もし、自分達だけで考えても新製品開発が先に進んでいかない場合は、産総研や地域の産業振興課などの力を借りたり、積極的に関連学会に参加し、これだと思う技術を開発している大学や研究機関に協力を求めると言う事も考えていくべきではないだろうか。
その際に気を付けてほしいのは先方から自分に必要な技術だけを取っていくのではなく、自分たちがその後、知り得た技術を公開し、もともと技術を持っていた機関も、そのことでさらに発展できるようになれば大きな開発の輪が広がり、さらにさらに大きな輪になっていくはずである。
今の日本にはその部分の配慮が欠けているために、産業が活性化されていないように感じられてならない。
下請け会社もすべてを親会社に報告するとその技術が盗まれる。大会社は製品内容を細かく説明すると下請けが他社に情報を漏らしてしまうかもしれないので、細かい説明はしたくない。また、製品価格は常に値下げ要求しておかないと、自分たちの利益が得られない。このような事ではお互いが常に疑心暗鬼になりながらお付き合いしなければならない。 商売はそのようなものと言われればそうなのかもしれないが、あまり行き過ぎてお互いに足の引っ張り合いで最終的に皆がウインウインのならない状態になるのだけは避けたいものだ。
めっき技術は地味な技術ながら、ものづくりの要素技術として欠かせない技術であり、最近ではバイオ、エレクトロニクス、センサー等機能付与技術として重要な役割を担うようになってきている。我々の研究所では研究所設立以来特許は単独出願にしているし、コンソーシアムが有効に運営されている。初めはこの考えに賛同する方は少なかったが最近では大学の知の活用と公平性、中立性から皆さんの理解が得られるようになってきている。これまで何度か述べてきているが、いずれ産学協同の我々の進め方について解説予定である。