「勝ち組」と「負け組」
材料表面工学研究所
研究員 田代 雄彦
「勝ち組」「負け組」という言葉があります。人生や仕事などを「勝ち負け」で表現したものですが、あまり気持ちの良い響きではありません。
営業の世界では、沢山の仕事の契約を決めた成績優秀な人たちが「勝ち組」で、成績の悪い人たちが「負け組」。しかし、その両者が楽しそうに見えません。「勝ち組」は勝ち続けるために、身体を壊すまで必死に頑張り続け、「負け組」は、不甲斐無い自分を責め、自己嫌悪に悩み、自身(自信)を喪失している。どちらも閉塞感に満たされていると思います。
内閣府の資料によると、平成九年まで二万~二万五千人で推移していた自殺者数が、金融ビッグバン後に失業率が初めて4%を超えた平成十年以降、年間三万人を超えています。その自殺者数の急増は、仕事盛りと言われる三五歳以上の男性の自殺者数の増加が主因と分析されています。自殺の原因・動機の約70%を健康問題と経済・生活問題が占めており、自殺者の精神障害は75%にのぼり、その半数がうつ病等が占める状況です。
すなわち、「勝ち組」も「負け組」も閉塞感に苛まれ、精神や健康を害されていると考えられます。
人間の悩みの最大の原因は、他人との比較です。彼はスマートに事を運ぶのに、自分は全然駄目だ。あるいは、自分はこれだけ努力しているのに、誰も評価してくれない、など。色々と比較をはじめたらキリがありません。
仏教で『少欲知足』という言葉があります。『欲を少なくして足るを知る』、という意味です。五体満足に生まれてきた。健康である。ただそれだけで充分に幸せである筈なのに、もっともっとと、人間の欲望は際限がありません。
「あたり前」の反対は「有ること難し」すなわち「ありがとう」です。現状の「あたり前」であることに常に感謝していれば、「勝ち組・負け組」の意識も自殺者も無くなるのではないでしょうか。健康であることや、仕事をさせて頂いていることなどに感謝し、いつも素直な心でいれば、各人各様の『成幸・せいこう』に辿りつけると思います。
それは人間として正しいか
最近、世間を騒がせたニュースがありました。食材の偽装表示です。単価の安い「バナメイエビ」を「芝エビ」とメニュー表示したり、「冷凍ジュース」を「フレッシュジュース」と言ったり…。それも、日本の一流と言われるホテルやデパートやレストランで…。
なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。コスト削減、利益率アップなど会社の上層部から言われ、手っ取り早い方法を選択した。そんなところでしょうか。
「コンプライアンス(法令順守)」の問題が取り沙汰されますが、自分の胸に手を当て、【動機善なりや、私心なかりしか】あるいは、【それは人間として正しいか】ということを自らに問う。稲盛和夫氏は、何かをしようとする場合、自問自答し、自分の動機の善悪を判断すると仰っています。
また、ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュバイツァーは、【人間として生きる上で本当に大切なものは、純粋なままで生きていた子供時代に、すでに心の中に与えられている。】と言っています。
素直であれ、嘘をつかない、挨拶をする、姿勢を正す、靴を揃えるなど、幼少期に誰もが聞き、実践していた人間として基本的なことを、時間や心の余裕が無くなった大人たちは、出来なくなっていると思います。
東日本大震災で、世界から日本人の心のあり様を絶賛され、東京オリンピックでも日本の「おもてなし」が期待されています。しかし、雨の日の誰も居ない、車も通らない赤信号をジッと待つ、そんな人が少なくなったと感じます。最近は元来の日本人としての大切な生き方を、見失っていると感じるのは私だけでしょうか。
幸福とは
瀬戸内寂聴さんの著書「寂庵説法」に以下のことが書いてありました。
【仏教では、「人身(にんしん)は受け難し」として、人間に生まれたことを先ず何より有り難いと考えます。人間として生まれたからには、人間として、この世で十二分に幸福になることを、私たちは約束されているのです。それならば、幸福になろうと努力しないことは怠慢といわなければなりません。でも、人は赤ん坊の時以外は、物心ついてからずっと、自分の今日が心から幸福であったと思って眠る人は少ないのではないでしょうか。人間は口に幸福を言うことは何と易しく、本当に幸福になることは、何と難しいのでしょう。
幸福とは、人のすべてが、自分の心の物指を持って、自分の心をはかり、自由に自分の個性を発揮して、制御の出来る欲望を満たし、他人の幸福の邪魔をせず、他人の幸福にすすんで手を貸すゆとりを持つことではないでしょうか。】
すなわち、心に余裕やゆとりが無いと幸せにはなれないのです。ほんの少しだけ、こころにゆとりを持ち、自分の周りを冷静に見渡してみると良いと思います。
大人の所作
私が小学生の頃、友人と一緒に映画を見に行った際、「二百円(優待席料)払って二階で見よう!」と言われました。私も同意し二階席で観賞しました。帰宅後、父にその話をしたところ、「混んでいて座れなかったのか?」と聞かれました。私は座れたけど、二階で観たことを話しました。すると、父は「満席で座れなかったのならともかく、そういうお金を使うのは自分で稼げるようになってからにしなさい」と言われたのを今でも覚えています。たった二百円でも小学生の私が稼げる訳もなく、至極納得したことを思い出しました。
最近はお金さえ払えば、何でも出来る(許される)という考えの人が多い気がします。
伊集院静氏の著書「大人の流儀 別れる力」にこんな一節があります。
この頃、グリーン車でも若者が一人で乗っているのを見かける。
なぜこんな若い奴がグリーン車に乗っているんだ?
そういう若者は決まって身に付けているものも妙だし、行動もおかしい。第一、顔の相が良くない。稼ぎもないのに、こういうことが平然とできるのは金を渡した親もバカだが、やはり当人が無知なのだろう。オマエ達の座るところじゃないだろうが、分をわきまえんか。
世の中には若者が座ってしかるべき席があることもわからないのだろう。若者は自由席かデッキだろうよ。
若くしてこういうことを平気でできる奴は十中八、九、人生に失敗する。ディズニーランドかどこかの帰りの子供と若い父、母がグリーン車に乗っていた。親もバカなら子もバカである。
金を払えば何でもOKと考える親が育てた子供は、それをしっかり受け止めて、更にバカな人間になる。】
【-銀座、赤坂、神楽坂の鮨屋でオヤジの前に平然と座って、酒を飲めるようになるまで、―俺がどれだけ懸命に働いて来たかが、おまえたちにわかってたまるか。
子供が働くか? それはグリーン車にふんぞり返って座っている若者、子供にも言える。
ひとかどのことを成して、長くきちんと生きてきて、初めて座ることができる場所が世の中にはあるのだ。】
また、論語普及会を設立し、学監として論語精神の高揚に尽力している伊與田覺氏も同様なことをいっております。
【今から八百年余り前に朱子と劉子澄という人が、四書五経をはじめとする古い書物の中から大切な教えを選出した中国の『小学』という古典があります。
江戸時代に主流をなしていた朱子学の教えとも関係が深く、武士の家庭教育、さらには一般家庭の子女教育を通じて日本人の心に深く浸透し、実践されたことで、日本人の質は格段に向上しました。
幕末に日本を訪れた欧米人は、東洋の野蛮国と蔑んでいた日本人が、実際に会ってみると実に礼儀正しく、躾の行き届いていることに感嘆し、「東洋の君子国」と讃えました。
列強の植民地支配から日本が独立を堅持できたのは、この教えを通じて国民が優れた人間性を育んでいたことが大きいと私は思います。
しかしながら戦後、『小学』の説く人間としての基礎教育が疎かになったことで、日本は誠に恥ずかしい国になりました。】
伊集院氏や伊與田氏の言う馬鹿な大人の代表にはなりたくないですが、子供達に恥ずかしくない行動(所作)を大人が示さなければならないと感じます。しかし、ゆとり教育世代が、既に成人に達し、彼女彼女たちが次世代の子供たちの鏡になっていくことに少し不安を感じます。
ニートやひきこもりや不登校は、そんな大人達への不言実行の子供たちからのメッセージかもしれません。
ストレスのコントロール
本来、健康な人の男性ホルモンは、30歳をピークに年1%ずつ、死ぬまで徐々に減少するパターンを示しますが、男性更年期障害の現れる人は、この自然のリズムに反した「急激なテストステロンの低下」が生じます。その主原因が「ストレス」です。
現代社会はストレス社会とも言われますが、ストレスを上手くコントロールする自分なりの方法を見つけなくてはなりません。私の場合は愛犬たちと遊ぶことであり、TVの「お笑い番組」で声を出して大笑いすることです。
笑いは「ナチュラルキラー細胞(NK細胞)」というガン細胞を攻撃してくれるリンパ球の活性を促進することが証明されています。口角を上げるだけでも効果があるようです。皆さんも笑って、ストレスに勝てる『笑者(勝者)』になりましょう。
小泉進次郎氏からのメッセージ
昨年の新入生へ向けた小泉進次郎氏からのメッセージが学報の「告知板」に掲載されました。実に良い受け答えをしているので、本号の最後にその一部を紹介したいと思います。
【政治の世界では周りにいわゆる「一流」大学や学歴の「高い」人ばっかりです。政治家でも官僚でも。でも、よく考えてみて下さい。「一流」とは何か。学歴の「高い」、「低い」とは何か。
私は昨年に受けたあるインタビューで「私の出身校である関東学院大学は一流ではありませんよね?」と聞かれたことがあります。
偏差値というものさしで他の大学と比較すればそういう指摘は当たるのかもしれない。でも、私にとっては関東学院大学で出会った恩師の方々、その方々が作ってくれた海外留学への意識、そして利害抜きで付き合える真の友人との出会いなど、あの四年間がなければ今がないという意味で、関東学院大学は一流大学なんです。】
関東学院大学のOBとしても、今後の小泉進次郎氏のご活躍を応援していきたいと思っています。