栗田製作所の西村芳美社長より

関東学院大学材料・表面工学研究所
所長 本間 英夫

5月に高井先生を中心にしてドライのセミナーを開催した。栗田製作所の西村芳美社長にソルーションプラズマについて開発状況を説明いただいたが、技術的な内容は勿論のこと、企業を立ち上げるにあたっての苦労話、発想の仕方など興味ある話であったので雑感シリーズにまとめていただいた。以下その内容を紹介する。
 イノベーションにはイノベーションで答えたいと、常に自分に言い聞かせている。ところが、新しい発想(発創)をすると、世間は認めたがらない風潮がある。特に中小企業が発明した技術を売り込む場合は顕著である。大歓迎されることなく、ほんまに使えるの?実績はあるの?品質保証はできるの?即時対応のメンテナンス力はあるの?と重箱の隅を爪楊枝で根掘り葉掘り詰めてくる。その上、アプリケーション開発を要求し、挙句はターンキーシステムにまで熟成しなければ採用はされない。技術開発志向の小企業の最大の弱点であり、経営資源の重荷である。大手のモノづくり企業の実力維持が必要な時代なのに、次の技術を自らの汗で開発しなくなり、オープンイノベーションと称して、中小企業のもつ特異技術の発掘に走りすぎて、今日の現状に陥っているのは明らかだ。
大手企業や国公立研究機関の、商品開発や技術開発に取り組むシステムと組織とスタンスを再考すべきではなかろうか?それらの多数の研究者・技術者に会ってきて、みな優秀で賢いのではあるが事業を創りだすエネルギッシュさを感じることは少ない。そのシステムと組織に去勢されてしまっているのだろう。いないのではない、中小企業のエンジニア達には、やんちゃで向こう意気が強くて気を吐く輩が散見される。
少し前になるが、起業せよ・起業せよ・ベンチャーを立ち上げろと大号令がかかった過去の経緯がある。一つ発明した技術者が会社経営を夢見て企業しても、簡単に成功するものではない。技術や商品には寿命が有って、数年後に苦境に陥ることは常である。数年ピッチで新技術・新製品を投入していかなければ、継続した事業経営は成り立たないのである。当時に、私は「数年後に借金まみれになった人を量産するのか!と、くってかかったことを覚えている。モノづくり技術に長けた人を、不得手なお金回し作業に追い込まないで、本来の才能をスポイルすることなく育てあげる仕掛けがいる。
 モノづくりの初歩は、不思議がり好奇心を持って、まねることだろう。自分の手で、工具を持ち壊すのが手始めであろう。不要になった物品を捨てる前に、解体するのである。様々な物品が目に入る。バラすのは、簡単だ。再び動作させる必要はない。次に、分解である。今度は再び動作させなくてはならない。再動作させるために、各部品がどのような機能を果たしているのかを知る必要がある。今度は修理である。修理は機能を果たさなくなった部品の代替を考えなくてはならない。
往々にして、もう修理部品はない場合が多いので、自分の手で作り上げる場面が多くでてくる。この辺りから技術者の力量差や本領が出てくるのである。しかし、最近の機器はこじ開けても、全く陳分感奮のデバイスがでてくるだけである。ここで諦めると、なにも進まないので、次の言葉を贈る。一日10回「なんでやねん」を発することである。眼に入るもの、耳に聞こえるもの、鼻に匂うもの、舌や躰や肌に触れて感じるもの、仲間が発する言葉の意を汲みとろうと、真剣にすべてを不思議がることである。,br>  不思議の種を見つける方法は、五感に入る情報量を多くして、色や景色の変化を感受し、可聴音を聞き分け、香りや臭い味覚をかぎ分け、触れて温度・振動・滑らかさを実感してみることだ。自分の未知の案件を見つければ、何なの?なぜだ?の疑いを持ち、超便利になったネット検索を利用して調べて、ロジカルに自分のメモリーに知識を積分していくと、自分の専門分野と本業以外のデータベースが出来上がる。
このようにして蓄積した豊富な積分知識(雑学も博学のうち)から、ぶち当たった課題解決に必要な断片情報類を、自由な発想で自在に組み合わせ、微分的にアイデアとして出力するのである。
 不思議がる一つのトレーニング法として、絵画を鑑賞するこが挙げられる。絵画は、写真のように事実の一瞬を切り出して感動を与えるものではなく、画家の思想が反映されるのである。したがって、見る者の感受性で評価が相反することが多々ある。特に印象派の画家に多く見られるのが、視点が異なるパーツを一枚のキャンバスに収めている。顕著な例が、セザンヌの「台所のテーブル(籠のある静物)」(1888-1890年頃)であろう。花瓶は上方から見た視点で描かれ、籐の籠は下方からの視点で描かれている。見る側の者にとって何の違和感も無いが、その事実に気づいた(発見)瞬間から、この作者の作品群からも仕掛けを発見することに夢中になるのである。ヤン・ブリュ-ゲル(Jan Brueghel the Elder 1568-1625)、Flowers in Wan-Li Vase もそうである。細口の青磁の花瓶にたくさんの花が活けられている。しかし、花の茎を束ねたら、細口のネックには到底入りきらないのである。画家の虚が平然とたたずんでいる。絵画は思想が潜んでいるのである。だから美術館通いは止められない。
 一方、エンジニアは自然界の事実と向き合っているから、騙されることは無い。そのため自分の感性を磨かないと、感じることや・見えないものだ。たとえば、日々に扱う計測器の、その指し示す結果を読み切れるかが研究進展の鍵になる。オシロスコープ等の観測結果がなにを意味するのか、無機的な測定器と会話(交信)出来るようになるまで自身の力量を高めることで、問題解決の糸口を見つけることができる。改めて、人は優秀なセンサーであり、計測器であり、メモリーであることを自覚すべきである。常に不思議がることで感受性を鍛え、自分自身を超優秀な情報処理装置に仕上げることである。真剣に自分の感性を高め、感受性を研ぎ澄ますことにより、相手の思い(想い)を理解できるようになる。イノベーションの志を共有するパートナー達と意気投合出来れば、新しい機能を有するモノ作りのテーマを発見し、具現化するための糸口を見出すことが可能になる。三人寄れば文殊の知恵とは、含蓄ある教えである。
感受性を鍛える手法は自然を観察するのが一番。百姓(兼業農家)をして米作りをしていた経験がある。先祖から引き継いだ田んぼで、父の老齢化に伴い稲作を引き継いだ。10年を経過したころから、稲穂と会話ができるようになった。葉の色・茎のしなり・穂先の擦れあう音・田んぼ全体の色合い、天候や気温の対自然の観察眼を養うことにより会話が可能になり、施肥のタイミング・補水・施薬・収穫日などが、半日単位で「今や!」が判るようになった。さもないと、収穫期の台風で倒れたり病害虫に蝕まれ、おいしい商品米にはならない。僧侶の修行にも一致する。
翻って、メッキやドライプロセスのタイミングも同じだ。観察眼を研ぎ澄まし、色・彩度・濃淡・臭い・音・温度・等を感じることで、工程の進捗様子や出来不出来までも判断できる。プラズマ種にあっては、発光色でアルゴン・ネオン・窒素・酸素・水系・アルコール系・ケトン系などの種類が判別できるようになれば、研究の進捗が早くなるのは明らかだ。モノ作りは、自分の感受力を高めないと一人前にはなれない。
毎日や毎年のルーティン・ワークのもの作りから、モノ造りについて考えてみたい。造の漢字が入る単語に、建造・造園・造作・造幣・などたくさん出てきて、物をこしらえるとある。目に入る先祖・先達の知の蓄積の造り物を、注意深く観察すると不思議さが見てきて、当時の技術に思いを馳せることができる。伝統ある寺社仏閣の創建の苦労、姿や意匠、躯体の工夫、飾り金具から、当時の仕掛け人や作者や職人の想いが感じ取られ、人の技術の真髄が見えてくる。特に飾り金具は、神社仏閣の建造物に多用され、その意匠や表面処理法を観察すると、参詣の機会の一つの視点として楽しいものだ。このように温故知新、古くて新しい発見につながる言葉として有名である。この言葉を変形した、温故知真・温故創新などもある。モノ造りには、人の思いや思想が入っている。
話を反れて、人の営みの継承や相続についてである。残念なことに、人に蓄積された腕前や技や知識や能力の継承が、すべてなされるわけではない。脈々とした人の営みにおいて、最大の宿命である。故に、親方が弟子に、親が子に、先生が生徒に、必死になって教育相続をするのはここにある。動物の本能である生き残る術を伝承しているのである。
日本ではモノづくり技術の相続問題が浮き彫りになっている。定年の制度で団塊の世代人が会社を去り始め、技術の伝承や口伝がままならぬ事態に面している。知識が詰まった先達たちが白骨化する前に、脳のリハビリと知のリサイクルと称して再活性化をしてもらい、知の相続をする仕組みと仕掛けが必要だと焦っているのは、私だけではない。
個人的に少しでもお役に立とうと、農作業小屋を趣味作品展示場・職人技伝承教室・発創力道場と称した“あとりえy&y”を手作り、交流の場つくりを手探りで始めている。一念発起して、私の生涯スポーツであるバドミントン仲間の大工さんとの共同作業である。兼業していた稲作が赤字脱出できないので、筑後100年余の朽ちかかった農小屋の再生を試みたのである。農作業道具を廃棄し・壁を壊し・柱を間引きし、今で言う1ルーム化をして2~3十人が集まれる空間作りを目ざした。その設計と作業の過程で、より深く世界の造形作品を観察するようになり、先達の作品を真似ながら、自分流に工夫とアイデアを組み合わせ、さらに大勢の仲間からのヒントや協力を得て、オリジナルな造作物へと進化させていった。
中でも世界各地の建造物を調べるにあたり、グーグルマップのストリートビューを大いに活用させてもらった。超便利になったものだ。彼らの知恵にほとほと感心しながら、人の知恵の集積は凄いと改めて思い知らされた。斬新な造形物は否定されると壊され見直されて改造され、これで満足となるまで執念で進化させる。味が出るまでには、年月がかかり、手入れを施し、可愛がり、変化を感じながら育て上げるのである。育くむことを忘れたら、朽ち落ちるか枯れる。当たり前であろう。庭もしかり、木々を思い切って剪定して新面を出してやることで、その周りから新芽がでてくる。数年先またその先を目論んだ想いによる、人や木々の入れ替えや剪定と布石が必要だ。布石は創造の原点であり、夢の要だ。要とは扇子(扇)のヒンジ部分を指すのが、拡げる中心部である。少し、拡大解釈かも知れないが、扇子は指揮棒になる。武将たちは好んで多用し、閃いた時には扇子を折りたたみ指し示しては、何某を動かしていたに違いない。
話を戻して創を考えて見よう。近年、スポーツ界では10台後半~20歳代の日本の若者の世界進出が相次いでいて心強い。各分野で一人二人のチャレンジャーが活躍すると不思議と活性化される。私の時代は、力道山・王貞治・長嶋茂雄・大鵬・柏戸の時代である。表面技術の分野でもヒーローが現れて欲しいと望むところである。ヒーロー個人の努力が注目されるのは当然だが、いく年もの前の発願時点から、長い年月の時間とお金を費やして、育くむ仕掛けと仕組みをつくり、育て上げる強い意思をもった両親や家族やコーチ、仕掛け人や裏方の献身に敬意を表する。
そういう意味で、今こそ、中小企業の出番である。ヒーローになれるチャンスはある。大企業のサブルーチン化された仕事、マニュアル化され拘束がかかった研究からはブレークスルーやイノベーションは起こりにくい。自ら組織の壁を乗り越えて手と額に汗して創り出すことは不得手である。都合、血眼になって中小企業の技術探索に労を費やしている。したがって、今こそ大小の垣根を取り払った、上下のピラミッド組織では無く水平にネットワーク化された小回りの利くエンジニア集団をゆるやかに拘束する仕組みを設け、寄って集って・交わって・創造の天岩戸をこじあけるチャンスじゃなかろうか。
自分の専門外の知識をまでも身に付けることで、イメージの空間が拡がり、寝ている枕元に閃きが降臨すると考える。化学屋がプラズマ反応場を理解し、電源屋がプラズマを深く理解することで、相互に共通した問題・課題を共有すれば、これまで出来なかった“夢”に近づけるハズだ。
高井先生(当時・名古屋大学)の「創の想い」によって、私が液中プラズマ電源を開発したのは2005年である。当初見向きもされなかった水中プラズマが、高井先生によってソリューションプラスマと名を変え、今日に至ったのは周知の事実である。思い返せば10年の年月が経ってしまった。新しい技術分野のアイデア出しから、魔の川・死の谷・ダーウインの海を渡り切り、世の中に貢献できそうなアプリケーションを形として作りあげ、育てて花を咲かせ・さらに世の中に受け入れられる実を結実させて事業化に至るまでは、世間からはお叱りを受けるがこれ位の年月はかかる。つい2か月前にようやく、水流中にもソリューションプラズマ連続反応場が安定に維持させることに初めて成功した。この時も、自分を追い込んで・追い込んで寝ていた時に降りてきた。「創の想い」に応えるには“閃き”で答える必要がある。
プロジェクトを成功させる秘訣は、お金もしかりだが最後は「人の執念・牽引力・人脈・運・根気に足して発創(想ではない)力だ!」ということで、結びとしたい。
謝辞
 このような述懐の機会を与えて頂いた関東学院大学 材料・表面工学研究所 本間英夫所長、高井 治 副所長に深謝します。