自己紹介

材料・表面工学研究所
田代 雄彦

 今回、研究所の雑感シリーズの担当に任ぜられ、何を書こうかと思案した結果、やはり自己紹介からが良いかな?と思い、過去にハイテクノに掲載された内容を大幅に加筆修正しました。

 私は静岡県東部の沼津市で生まれ育ちました。私の通った小学校と中学校は、道路一つ隔て隣接した学校で、周りは全て田んぼという立地でした。そんな自然のある中、子供の頃は学校の宿題はそっちのけで、川に海に山に遊びまわっており、廊下に立たされたり、正座させられたりと、今でいう問題児だった様な気がします。現在と違い当時は、鉄拳制裁は当たり前で、先生に物差しでビンタをされた友達も居ましたが、校内暴力は一切なく、伸び伸びと育ったと思います。

 そんな私が一大決心をした出来事がありました。それは中学入学直後の実力テストでした。一学年三クラスと少ない生徒数(約120名)でしたが、その順位は下から十番くらいの三桁だったと記憶しています。「このままでは駄目だ!」と思った私は、宿題の時間を除いて、毎日七時から十二時の五時間勉強することに決めました。当時は家内の父の権限は絶大で、小さい頃からテレビは夜七時までしか見せて貰えませんでした。
 しかし、勉強自体ほとんどしたことが無かったので、何をどうしていいのか分からない。取り敢えず、教科書を読むことにしたのですが、知らないことだらけで、当時流行の蛍光マーカーでチェックすると、各ページ全てに多彩な色が付く有り様でした。
 そんな当時の座右の銘は、「ローマは一日にしてならず」、「努力に勝る天才なし」という言葉でした。自分は馬鹿だから努力するしかない!そう自分に言い聞かせて日々勉強を続けました。その甲斐あってか、一学期末の成績は学年の上位三十名に手が届くところまでになりました。また、勉強を習慣付けることで、自然に集中力が養われ、授業を良く聞く様にもなりました。面白いことに、運動能力も養われたようで、小学6年時のスポーツテストの走り幅跳びの記録が4mに満たなかったのに、中一で4m60cm、中二で5mは優に超え、集中力と運動能力のアップを実感した頃でした。中学時代は機械体操部に入っていたので、全身の筋力が付いたことも要因と思います。
 この毎日五時間勉強法を一年続けたのですが、二学年になると授業中にある程度理解でき、集中力も増した分、勉強時間は二時間程度に減り、成績も一桁と二桁程度に安定しました。この頃、各授業の宿題は休み時間中に終わらせることを習慣付け、より家での勉強を効率的に行う様になりました。元読売巨人軍の王貞治氏の言葉に「努力が報われないことなどあるのだろうか。報われない努力があるとすれば、それはまだ努力と呼べない」と世界の本塁打王が語った様に、やはり努力は必ず報われるのです。

 私の朝は、四時半に起き、洗顔後、タンクリーナーで舌の掃除をします。その後、無調整の牛乳と豆乳をコップに一杯ずつ飲みます。胃に水分が入って大腸を刺激し、この刺激が腸を動かすので、副交感神経を活性化し、自律神経のバランスが良くなり、一日を快適に過ごせるそうで、毎日実践しています。その後、様々なサプリメントを白湯で取り、冷えたお腹を温めます。基本的に水分は財宝温泉水で一日に2リッター程度飲みます。
 次に、カーテンを開け、愛犬用のお水を交換し、仏壇に新しい飲み物とお線香をあげ、コップ等の洗い物を済ませたら、階下で歯磨きや髭を剃り、出掛ける準備をします。
 自宅から小田原の研究所まではドアドアで約2時間弱です。電車とバスで移動し、乗車中は趣味の読書をしています。だいたい週に1冊、年間約60冊読破しています。
 朝食は具が梅干しの玄米おにぎり1個、茹で玉子2個とチーズ一片、無糖のコーヒーを研究所に着いてから頂きます。玄米は一日に必要なミネラルが摂取でき、コーヒーのカフェインはアルツハイマー予防に効果的です。但し、朝および昼は体内の免疫力が上がる時間帯であるため、カフェインの摂取タイミングには注意が必要です。私は起床から8時半まで、昼の12時から13時にコーヒーは飲まない様に気を付けています。
 そして、週末は半日ファスティングを時々行います。近年、長寿に体内のミトコンドリアの量が関係していることが解明され、この量を増やすのにもファスティングは有効です。この様な生活を習慣化した結果、若い頃は重度の便秘症で、冬は膝から下の感覚が無くなる程の冷え症だったのですが、現在それらの症状は全くありません。また、高コレステロールの体質だったのですが、毎日玉子を3個以上食べる様になってから、数値が激変し、今では正常値になっています。

 当時の私の家庭は裕福とは言えず、姉が私立高校に入学したこともあり、私立高校進学は絶対駄目だと両親に言われていました。そこで、国立高専と公立高校を受験したのですが、国立高専は見事不合格、公立高校に通うことになりました。高校受験での挫折、努力が未だ足りなったのです。次の挫折は大学受験、国立大学をまたも不合格、浪人することになりました。翌年、希望の大学を受験も失敗、滑り止めで受けた関東学院大学の特待生試験の一般で引っ掛りました。私立は金銭面で苦しかった筈ですが、それでも両親と姉のお蔭で、大学を無事に卒業することができ、とても感謝しています。今考えると、これらの挫折が無ければ、私は本間先生や高井先生と出会っていなかったのですから、人生は「七転び八起き」、不思議な縁を感じます。その後、本間先生のご紹介でメルテックスという表面処理薬品メーカーに入社し、研究部に配属され、私の「めっき」とのご縁が始まりました。
 入社当時の直属の上司は、与えられた仕事の他、アンダーザテーブルでの研究を承認して頂けたので、無電解ニッケルめっきの基礎研究を始めました。数年後、技術顧問として福田豊氏が研究部に配属され、氏の紹介で金材研の分析装置を使用できる機会に恵まれました。また、当時、都立大学の渡辺徹先生をご紹介頂き、その研究室に一年間研究生として通えたのも貴重な体験でした。メルテックス在籍時に研究論文をファーストで二報、北海道大学の安住和久先生の研究論文三報の連名に入れて頂けたお蔭で、関東学院大学大学院工学研究科博士後期課程工業化学専攻に社会人として飛び級で入学出来ました。人間とは「人」の「間」と書きますが、私は様々な方々と出逢い、良い人間関係に恵まれたと思います。
 入学後二年間は、社会人と二足の草鞋を履いていましたが、諸事情により十三年勤めた会社を辞め、会社から授業料を七割負担して頂いていたので、大学も辞めるつもりでした。しかし、当時の下郡社長は「そのまま続けて学位をとりなさい」と仰って下さいました。私はそのお言葉に感激したことを今でも覚えています。そして、本間先生や当時の学生達に多大なご迷惑をお掛けしながら、無事三年で学位を取得出来ました。これも本間先生はじめ当時の学生達、社長や上司、同僚のご理解とご指導の賜物と感謝しています。

 産学協同で新しい研究所を設立するとの事から、関東化成工業に入社し、関東学院大学表面工学研究所に出向することになりました。ここでは、前職と異なり、常に学生達と一緒に研究をしなければなりません。学生の生活面や研究の指導など不慣れなことばかりでとても大変でした。中には素直でない学生もおり、人間関係の難しさを痛感したものでした。ちょうどこの時期に家を購入、結婚し、妻と愛犬との生活が始まり、私の生活環境は大きく変わりました。

 周りを変えることが出来なくても、自分は変わることが出来る。そんな出来事がありました。それは母親の死です。そして、その直後の父親の癌発症です。それまで親はいつまでも居ると勝手に妄想していたのですが、現実を突き付けられました。私も親も年をとるのです。私は50前にして、両親を亡くし、親孝行をする事無く、両親を見送ることになりました。親孝行出来なかった事が、私の最大の後悔です。その時、「命」とは何だろうか?と真剣に考えました。私の結論は、「命とはエネルギーの盛衰」ではないかと考えました。赤ちゃんは何もしゃべらなくても、周りの人に幸福感を与える正のエネルギーを持っています。それが次第に、少年、青年、壮年、老年という様にエネルギーの色が赤色、青色、灰色、白色と変わっていきます。私も灰色掛かった歳になりましたが(今年55歳)、もうひと踏ん張りします!
 人の感情を表す「喜怒哀楽」という言葉がありますが、この中で一番エネルギーを使うのが「怒」です。一生涯のエネルギー量が決まっているのであれば、「怒ること」は命を縮めることに繋がると思います。そこで、私はなるべく怒らない様に、汚い言葉も使わないように気を付けています。また、「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。ですから、極力この言葉も使わない様に気を付けています。言葉には力があります。昔から「言霊」と言われている所以です。

 当研究所の契約企業に「学びに引退なし」というスローガンを掲げている会社があります。この言葉を目にした時、私は衝撃を受けました。戦前、戦後を通して日本教育界の最大の人物と云われた森信三氏の「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず一瞬遅すぎない時に。」という言葉を思い出しました。人間だけでなく言葉も同じではないかと思います。ちょうど個人的に色々と悩んでいた時に、この言葉に出逢ったので、精神的に救われた思いでした。
 人は生涯学び続けるべきで、時々休んでも、前に進むべきであると気付いたのです。そこで、約九年勤めた関東化成工業を辞め、本間先生のご指導を仰ぐことを決心しました。当初は自己都合で退職届を提出したのですが、当時の福原会長、田中社長のお計らいにより、会社都合で退職出来ることになりました。私はつくづく周りの人達に恵まれていると感じました。その後、本間先生と高井先生のご尽力のお蔭様で、本学に採用され、今の私があります。

 表面工学とは、非常に広範な分野であり、私も未だ未だ分からないことばかりですが、本間先生や高井先生はじめ、スタッフや学協会や契約企業の方々、学生達のご指導を仰ぎながら、日々成長して行けたらと思います。最後に私の敬愛する福沢諭吉翁の「心訓」という言葉を紹介したいと思います。当たり前の事ですが、人間として常に意識し、決して忘れてはならない大事なことだと思います。そして、この七つの心訓には順番がありません。この全てを優先させることが重要です。

一、世の中で一番楽しく立派な事は
  一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は
  人間としての教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は
  する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は
  他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は
  人の為に奉仕し決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は
  すべての者に愛情を持つという事です。
一、世の中で一番悲しい事はうそをつく事です。

(了)