これは君の橋だ!その橋を越えて夢を掴め!This is your bridge. Capture your dream beyond the bridge!

株式会社北未来技研 顧問、認定NPO法人ポロクル
安江 哲(YASUE SATOSHI)

エンジニアへの一冊
 一冊の書籍がその後の人生を決める。「エンジニアの話 (1968年刊/現在は廃刊)」が、私のそれだ。学生時代、青函トンネルでの工事実習を終え、その帰路、書店に立ち寄って手に取った一冊。表紙には、ニューヨーク市に架橋される吊橋の塔頂からケーブルを張るエンジニアの姿が掲載されていた。さらに衝撃的だったのが、マサチューセッツ工科大学(MIT)の卒業試験風景の写真だった。大講堂にびっしりと並んだ学生が一心不乱に机に向かう光景。世界基準のエンジニアを目指す姿勢に驚かされ、自身の学ぶ心の弱さを思い知らされた瞬間であった。まさにその衝撃的瞬間から自身の「学ぶ」思いが強くなり橋梁技術者を志すことになった。
 振り返ってみると人生のターニングポイントに偶然出会った、啓示とも呼ばれる出来事であった。本稿では私の夢とエンジニア人生の転機を、「学び」の視点で振り返りたい。

憧れの職業、土木技術者
 ついにその日が来た。周りに遮るものがない誰よりも高い位置で、海峡の風を感じている。小学校時代に遠巻きに眺め憧れたヘルメットの技術者、その姿で明石海峡大橋の主塔に立っている。入社してすぐ橋梁の設計には携わることができた。休む暇もなく働いていたが、吊橋の設計にはなかなか巡り合うことができなかった。ところが上司からの急な出向命令が発令され、世界一となる明石海峡大橋のケーブル設計に従事することになり願いが叶うこととなる。学生時代に見たあの本の表紙の光景が重なった。苦しかった若い頃の設計業務を思い出した。「あのとき、辞めなくてよかった」と。
 ヘルメット姿のエンジニア。当たり前の生活を当たり前にできるように我々土木技術者が技術を高め、支えてきた誇りのシンボルがヘルメットだ。今でもあの高さ300mの主塔頂部から見た風景を思い出し、心を奮い立たせる。

市民とともに
 仕事の姿勢が大きくパラダイムシフトした出会いがある。命の尊さと土木、インフラ整備の結びつきを模索し様々な業務に関わってきた。任される仕事の規模も重要性も増し、プロジェクトも増えていった。当然のことながらプロジェクトごとの地域住民とのかかわりも増えた。大きな仕事、業界初のプロジェクト。うぬぼれもあったのかもしれない。阪神淡路大震災後10年を節目とした取り組みのテーマは、「学会が市民とともに考える東京の地震防災」。これが市民からの厳しい指摘をうけ、「市民が学会とともに考える東京の地震防災」へと変わる。「学会が」ではなく、「市民が」主人公だ。
 エンジニアは技術をつい追いかける。最先端であればあるほど、そのプロジェクトの規模が大きければ大きいほど、自分の技術力が向上する。それ故にうぬぼれる。土木技術の歴史は、市民の命を守ってきた歴史でもある。なのに、その主人公である市民を忘れてしまいがちだ。
 そんな自分が原点回帰できたのは市民との出会い、取り組み、そして歯に衣着せぬ言葉の指摘だった。子どもたち、市民、地域をまたいだ活動に向き合うことで21世紀の土木エンジニアの果たすべき役割、可能性を強く意識することになった。年齢を重ね、最前線に行くことは減るだろう。だが、土木エンジニアの活躍の場はヘルメットを被り過酷な現場に臨む場所だけではない。市民が日々、生活する場と共にあるのだ。

これは君の橋だ!その橋を越えて夢を掴め!
 橋梁のスペシャリストになる事も出来たし、一方で航空会社の経営にも携わる事が出来た。現在は、民間で日本初のシェアサイクル「ポロクル」へのチャレンジに加えて、内閣府の取り組みである「TEAM防災ジャパン」として地域での防災計画にも取り組んでいる。その結果、日々新しいことに出会い刺激と学びの毎日を送っている。
 夢への橋を越えてみると、その先に、想像を超えた世界、超えたものにしか見えない世界があるからだと思う。
 最後に、土木分野で活躍を夢見る学生の皆さん、今まさに、日々現場と向き合っている皆さん。一人一人の未来は無限に広がっている。どこにでもある学びのヒントをどん欲に掴み、夢への懸け橋を越えて、もっと大きな夢を、ぜひ掴み取って実現してほしい。

略歴
1952年生まれ、関東学院大学卒、
㈱ドーコンを経て㈱北未来技研 技術士(建設部門)、北見工業大学非常勤講師、
元北海道エアシステム、NPOポロクル常務理事、(公財)ツール・ド・北海道理事、
NPO電線のない街づくり支援ネットワーク顧問