人生と相対性理論

材料・表面工学研究所
副所長 渡邊 充広

 2月中旬、出勤途中いつものようにラジオを流していると、面白そうな本が紹介された。書籍は、百田尚樹の「新・相対性理論」、物理学の専門書のように思えるが、解説者曰く、時間の本質を知れば、人生が一変する...という。なんともキャッチーなフレーズに迷わずジャングルのような名前が付いた有名サイトで即購入した。
 自身、昨秋に還暦を迎え、これからの人生について考えるようになった矢先にこの本に出合ったわけです。内容はこれから読まれる方もいるかもしれませんので伏せておきます。自身の書評としては、読者レビューにも似たような内容がありましたが、なんとなく日常を過ごしている人にとっては、時間の大切さ、時間の使い方について考え直すきっかけになる一冊になるかなっと思います。人生は墓場までの片道切符、残された乗車時間は有意義に使いたいなぁ~と思うようになるかと、そういったところが感想です。
 相対性理論はアインシュタインが唱えた理論であることは誰もが知るところです。小学生のころからの趣味の一つに天体観察があり、この理論に興味を持ったのは中学~高校生の頃。愛読書であった月刊天文ガイドに重力レンズやら時空の湾曲、赤方偏移などなどアカデミックに解説された記事を分かったような気分で読んでいるうちに、相対性理論、特殊相対性理論とは何ぞやと思い、学校や市の図書館で幾冊かの本を読み漁った。絵本的に簡単に説明した書物からアカデミックな書物まで数冊読んだのを覚えているが、わかったような気がしているだけで結局は理解できていなかったというのが正直なところ。大学入試の際の面接試験で、物理化学の杉田先生から、あなたはどのような本を読まれましたか?と質問され、とっさに相対性理論と特殊相対性理論を読みましたと答え、理解出来ましたかという問いに、理解できませんでしたが面白かったです、と答えたのを43年も過ぎた今もはっきり覚えている。実は、面接試験には諸事情から大幅に遅刻しており、また容姿も面接には不適な学ランで参上してしまったこともあり、質疑応答のやりとりも含め、当然,試験には落ちたなっと思い新たな道への切り返しを考えていた矢先、合格通知が届いた。結果的に、その通知によって今につながる線路が敷かれたような気がしています。その線路も漸く終着駅に近づいてきたような、まだ続いているような…。
 人生は時間軸であり、早く全うしたいと本気で思う人は少ないと思います。大抵の人は健康で少しでも長生きをしたいと思っているのではと。人生は時間軸上にあるわけだが、「相対性理論」をこじつけ、“充実した長い人生を送る方法を探ろう”だったかのような広告記事を電車内の週刊誌の宣伝で見たことがある。理論に基づき人生を送るのはつまらないと思ったことを覚えている。自身、そこまで理系人ではない。そもそも相対性理論って何?と改めて考えると、自身もきちんと解説できない(過去に読んだ本の知識はふっ飛んでます)。そこでWeb上で紹介されている内容を要約すると、①光よりも速いものは存在しない、②光の速さは常に一定、③速く動く物体は縮んで見える、④重い物の近くでは時間が遅く進む…中でも有名なのが「高速で動く物体では時間がゆっくりと流れる」というもの。①②は学校で学んだことから素直に受け止め、③もなんとなくイメージは付き、④はなんかピンとこないというのが正直なところ。わかりやすい事例にならえば、この意味は、「時間は全ての人や物体に同じように流れるのではなく、静止している物体よりも動いている物体の方がゆっくりと流れる」ということを意味しているらしい。なんとなくわかったような気がするが、まだ釈然としない。更にかみ砕くと、「椅子に座って本を読んでいる人よりも、飛んでいる飛行機の中で映画を見ている人の方が時間はゆっくりと流れている」というように例えられたりもしている。さて、なぜこのような事象が起きるのか? その理由としては、「光の速度は一定である」というところに着地する…らしい。どういったシナリオで着地するのか自問自答しても解が定まらないのでスキップしますが、シンプルにみれば、相対性理論は「時間や長さというものは絶対的ではなく、相対的である」ということです。このような解にたどり着くアインシュタインはやはり凄い!? 余談ですが、十数年前くらいに、趣味的な発想から、オーロラと極地に設置した多重コイルで電磁誘導起電ができないかを考えていた頃、アインシュタインが夢に出てきたことがあります。共同検討中に、アインシュタインが倒れ、博士は私に“後は頼む…”といってグッタリした夢でした。忘れられない夢の一つです。残念ながら期待に全く沿えていないのが実情です。ただ、その話を取引先であった(株)IHIの方に冗談半分で話をしたら、会社でプレゼンをしてほしいということになり、お馬鹿な講演をするに至りました。大半の聴講者は呆れていたと思いますが、質問も多くなぜか盛り上がり、自身も高揚感に満ちていたことを覚えています。余談でしたので、前記の話に戻すと、動く物体の時間がゆっくりと流れるからといって、飛行機ばかりに乗っている人の方が長生きするのか?というと決してそうではないと思います。すなわち、ここでの時間差は認識できないほどの時間で、ゆっくり流れていることを体感するまでには至らないと思います。思うに、生きていく上では無視していいのではと。では、なぜ人生と相対性理論のマッチングなのか…。ここで自身が老いてきたことと重ねて考えてみました。年配者誰もが口にする「歳を取ると時間が早く感じる、一年があっという間に過ぎる、子供のころは一年が長かったよな~」などなど。どこか相対性理論に当てはまりそうな感じがします。事実、年を追うごとに時間が過ぎるのがどんどん速くなってきたと感じる。この時期、ついこの前、確定申告したばかりなのにもうその時期かよ~なんて愚痴もでる。歳を重ねるごとに時間軸もどんどん短くなっていくように感じている人がほとんどだと思う。では何故そう感じるのか…若いころのように”動いていないから”なのではと唱える人も。言い換えれば、動けていない、動けないからなんでしょうね。このことを研究している先生に、James Cook Universityの心理学と時間の研究をしている、イファ・マクローリン博士という方がいます。氏曰く、歳を取り時間が流れるのを速く感じる理由としては「同じことを繰り返す毎日」、そして“感動”が減るからという事らしい。確かにそうかもしれない。そうとなると改善策はどうすればいいか…、“同じことを繰り返さない”“感動すればいい”ということになるのではと。すなわち、新たなことに挑戦したり、見たことのない景色を見たり、異国の文化に触れたり、音楽やスポーツを始めてみたり、心に新鮮さを与えてやることで時間はゆっくり流れるようになるのではとの考えに着地です。ここでもう一つ余談を。私は入浴中にみかんを食べる習慣があります。入浴時は妻には内緒ですが、かけ流し状態でないと気が済まず、水道をチョロ流ししてみかんを湯に浮かべて入浴です。勿論、みかんはいただきます。チョロ流し量は波紋が目立たない程度の相応の量です。水の落下点にはわずかに凹みが認められます。このような状態のとき、凪状態の湯面に浮かべたみかんは外側には移動せず、水の落点に向かって緩やかに移動していき、やがて、落点の近郊で円を描くように周回しはじめ、最終的に流れ落ちる水の落点とみかんの重心が重なり安定します。複数個浮かべた場合は最初に到着したみかんより大きい(重い)みかんが接触すると入れ替わります。何度やっても再現します。この現象を見たとき閃きました。この現象を空間に置き換えれば、重力レンズや空間の湾曲、惑星の軌道の成り立ちや、そして最後はどうなるかが紐解かれたような感覚になりました。間違っているかもしれませんが、なんかわかったような自己満足的な感動でした。ちなみにこの現象は浴槽から湯があふれ出す前に起きます。あふれ出すと流れに沿ってみかんは移動しますので再現はできません。というわけで、これからも気軽にいろんなことを思考したり、始めたり、そして感動をしていきたいと思います。常に新しいことに触れ、心を“動”の状態にしてやることで「相対性理論」で説かれる相対的な時間のながれを感じられるようになる? すなわち、ゆっくりと流れるんだ!?というこじつけ的な内容で今回はまとめさせて頂きます。たわいもない長文を拝読いただき有難うございました。“ですます調”と“である調”を混在させましたがご容赦ください。
今、辛いなっと思う皆さん、新しいことを一つ始める,見つけると幸せになるかもしれませんよ…(^^;