日本のより良き未来を創造しよう

材料・表面工学研究所
梅田泰

こんな時こそ元気を出そう
 昨年は国民が楽しみにしていた50年ぶりの日本国内のオリンピックの年であったが、コロナの影響で延期となり本年に行うことになった。思い起こすと1964年の東京オリンピックは日本全体がお祭りムードで、海外からの訪問客についても歓迎の一色であったように思う。当時、日本経済は第二次世界大戦で敗戦後、経済は順調に成長していたが、個人の生活はそれほど裕福な感じはなかった。オリンピック後の国民総生産は当時30兆円から1985年は325兆円で、ほぼ5年間で約2倍になるというとてつもない経済成長を遂げている。大阪万博もその間にあったので、オリンピックだけのお陰で経済成長がなされたわけではないだろうが、人々にはオリンピックは金が儲かるようになるという幻想を抱いてたように思える。オリンピックは政治が介入しないようにしなければいけないと言われながらも、背景は泥臭いものを感じる。今回のオリンピックは海外からの訪問客をもてなそうというよりは、いくら稼げるのかということの方が目的で、スポーツの祭典をみんなでサポートするというムードは全く感じられず、競技場の予算問題がクローズアップされ、お祭りというよりも皮算用の方が中心であるように感じる。はじめのオリンピックは日本というものを世界の人たちに見てもらう良い機会となり、日本製品が世界で人気となり、とくにテレビ、自動車は人気商品となり、さらに半導体製品も加わり日本経済は大きくなっていった。 
 本来であれば今回のオリンピック後も経済活動が活発になることが期待されていたであろう。しかし、今回はコロナ感染の影響で海外からの訪問客は観戦できないため、それらを当て込んで作られた多くのホテルが大きな損失を被ることになり、周辺の飲食業者の方々も期待が大きく外れ落胆していることだろう。しかし、落胆してあきらめている場合ではない。あきらめた瞬間化にそれは大きな損失と決定づけられてしまう。いかにそれらを挽回するかかが国民全体の本来の使命であろう。
 今こそ元気を出して最大限の祭典を盛り上げる必要があると思う。コロナ禍後に国民全体がどう行動できるのかがポイントで、昭和三十年代、四十年代のときより細かい規制が増えた中で力を発揮しなければならない。

コロナの終息が見えない時代に政治はこのままで良いのか
 オリンピック以後の日本は政府の肝いりで、産業が支援され、世界にも太刀打ちでる産業が構築されていったが、当時好調であった鉄鋼、造船、半導体、繊維などは今や世界一から第三位に落ちており、シェアは韓国、中国に水をあけられてきている。これらは海外の安い賃金を求めて組み立て工場を移転していき、そのうちに材料も現地生産しなければコストが下がらないということで機関産業においても移管が進んできている。産業のコメと言われた半導体は1990年に世界のシェアが40%であったものは、現在は10%まで下がってしまっている。このような話を聞かされると寂しい気持ちになってくる。このまま産業が衰退していくと国民の生活は委縮し、一億総貧乏時代がやってきてしまう。
 以前政権が民主党になった際に、一番でなければいけないのかと、理化学研究所のコンピューター京を見学に行った議員が質問したことは有名だが、売り上げ、品質、生産量のどれか一つでも一番を目指していなければ世界の中で認められる製品作りをすることは出来ないのである。それらの頑張りを否定するかのような発言は、当時の政府はあまりにも不勉強で残念なことであったと思う。また、政権は東北地震の影響で原子力発電所の事故を発端とし、影響力がなくなり、政権は変わったが、それ以後の政府も産業の構造改革には大きな成果を出すことが出来ていない。1964年から1974年まで池田隼人、佐藤栄作、田中角栄の3人の総理大臣時代が大きな経済発展を遂げたが、その時代は宰相が捨て身の政治をしていたように思える。何としてもやり遂げたいという精神であり、国民もそれらの方針に沿って大きな力を注ぐことが出来ていた時代であろう。現在は国会の解散時期を議員の派閥の長が総理大臣をさておいて発現する始末で、操られている構図が見え見えである。
 もっと自分の意思を捨て身で表現できないものかと思う。また、国民も変化に臆することなく変化に対応する体力をつけておく必要があると思う。戦後三十年を潜り抜けてきた方々にはどんな方法かが見えているかもしれないが、ゆとり世代にはがむしゃらにやり遂げる今迄の方法は適合しないと思うが、それなりの頑張りが無ければこのまま衰退の一途を辿ることになるだろう。

欧米型の経営は日本向きなのか
 経済が発展してくると、持てる者と持てない者の格差が生まれ、持てない人間の中には頑張れない人が出てきているような気がする。企業のトップが従業員と一丸となって働いていた時代があった。しかし、創業者が老齢となり、あまり苦労なく後継者となると自分の生活を優先させ、会社存続という名のもとに、契約社員を増やしていつでも切り捨てやすい人材を活用し、利益確保を最優先し始めているところも出てきているようである。欧米では平均的な勤続年数は3.5年程度と言われており、人材は企業に定着性はなく、必要な時だけ雇うという文化が根付いている。日本人の感覚では終身雇用が一般的だが、今後このような時代になっていくのだろうか。私は長年開発技術を担当していたので、人材が頻繁に変わることは地道な研究や開発はやりにくいように思えてならない。ダラダラやるという意味ではなく、一致団結してお互いに足りないところを補いながらいち早く開発することが目的である。
 利益確保だけを目標にしていては、企業は良い品質、生産コスト削減、他社にない新製品を作り上げることは出来ないと思われる。心意気が間違っているからだ。目的が自分の儲けだけを考えている会社に積極的に発注を考えてくれる顧客はいない。この点についてはアメリカの経済学者であるドラッカー氏が強く言っている。「企業の最終目標は利益ではなく、顧客の創造である。その中で利益は当然のことである。」
 私たちは子供のころから、二宮金次郎、上杉鷹山の話をよく聞かされていた。
小学校には必ずと言っていいほど二宮金次郎の像があったものであるが、今では本を読みながら歩くのは危ないからと言って、良い例ではないからと、廃棄する小学校が増えており、ほとんどなくなっていると聞いた。銅像がなくなったからではないと思うが、「足るを知る、倹約の精神、上の者だけが利を得るのではなく、頑張った人間皆に分け前を与える精神」までなくなってきている感じがしている。日本では安く仕入れて、高く売ることで儲けを得ている商社が売り上げを伸ばしているが、ものを作っている第二次産業の町工場はどんどん疲弊し、多くの企業が廃業か、細々と事業を続けているところが多い。工場は錆びだらけで生産性の向上どころか将来の生活が不安で、より良いアイデアを出す元気もなくなっているように感じる。政府は利益が上がらない中小企業は統合させるなどの策を打ち出しているが、それらは日本製品の特長がなくなるだけで、根本の解決にならないように思える。それならば、大企業に発注の際に適正価格で発注するように指導することも必要なのではないだろうか。政治献金は大企業の方が沢山くれるので、どうしてもそちら向きになるのは分かるが、このままでは日本特有の優秀な中小企業の製品作りの文化が消してしまい、動きの悪い国になってしまうのではないだろうか。中小企業の規模は小さいがトップダウンし易いことで大企業よりも小回りの利く経営が出来る。
 今般、元材料・表面工学研究所所長の本間英夫先生が「工学教育と産学連携」という本を執筆され、日刊工業から出版されたが、それらの産業を作り上げるのは人材であり、その教育を担ってきた本間先生の集大成の本であるが、その中に「どんな学生でも育てて見せる」というくだりがあるが、本間先生は50年間の教育者生活の中でそれらを実践されてきた。私も43年間先生のサポートを頂き、育て貰ったと思っている。
 人財は大事なもので、お互い信じあうことで皆と新しいことに挑戦し、その良き結果を供に喜ぶことでその輪が大きく広がり、強い絆が生まれると信じている。現在それらの関係が崩れてきているように感じる。雇用者、非雇用者ともにそのような意識が欠けてきている。お互いに信じ会えていない場合が多くなってきたように感じる。お互いの問題点を非難するのではなく、良いところを引き出す工夫をして、落ちこぼれが無い社会をつくらなければ、本当の良い社会にならないと考える。教育は教えている側が一生懸命でも、教えられる側も一生懸命にならないと効果が出てこない。長い時間が掛かるが忍耐強く教育することで突然爆発的に良い結果を生み出す光景を多々見てきた。
 日本人はお互いに助け合いながら一つのものを作り上げることが得意な民族ではないだろうか。各地のお祭りを見ても個人の能力を競うものより皆で力を合わせるものが多いことからも分かると思う。
 お互いが助け合い明るい社会が出来るように、前向きにコロナ禍を乗り越えたいものである。