ファックス・ハンコ・紙の書類... 21世紀の三種の神器

関東学院大学
材料・表面工学研究所
盧 柱亨

 日本神話において「3種の神器」という言葉がある。天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)に授けた三種類の宝物、すなわち、八咫鏡・天叢雲剣(草薙剣)・八尺瓊勾玉を称する言葉で、日本の皇室に代々伝わる国の宝を意味する。1950年代末〜1960年代の日本の高度成長期に、この言葉は「必須家電製品」という意味にもなり、どの家庭にも、洗濯機・冷蔵庫・白黒TVが「現代版3種神器」と呼ばれた。
 ところが、最近、あるコラムニストが皮肉って、日本には、「21世紀版3種の神器」があり、「ファックス・ハンコ・紙の書類」であるとのコラムを読んだことがある。
 最初は首をかしげたが、自分の周りを振り向いてからすぐにうなずいてしまった。
コロナが蔓延し始まった時期、去年7月2日の朝日新聞デジタル版では、「紙とファクスで混乱した感染状況、国のデータ戦略どこに」と言う記事を読んだ記憶がある。
 人口2000万人を超える東京都がFAXを2台用いてコロナ新規感染者集計してから確定者の統計情報が台無しにされたのが端的な例だ。医師が患者情報を少ない「発生届」を作成し、管轄保健所にファックスで送ると、保健所は、これを確認して東京都にファックスを送り、東京都庁コロナ対策本部がこれをまとめて発表する方式。陽性判定から公表までなんと3日かかり、それさえも感染者数が不足しているか、重複して集計したというのが明らかになり、啞然とすることだった。 

 今年の9月1日には、菅内閣がデジタル改革を最優先課題に掲げながら、これを推進するデジタル庁を発足した。しかし、公務員社会からの反発が激しい。去る6月、河野太郎行政・規制改革相が「省内ファックス廃止」の方針を発表したところ、1カ月半内に、各省庁から400件を超える反論が提出された。 「電子メールは、サイバー攻撃による情報流出の懸念がある」「国会議員がまだファックスを好んでいて、現実的に難しい」という意見があふれた。
先日、自宅に届いた意味不明のファックスは、電話番号の6を8に間違えた日産自動車部品がダイハツの代理店に送る部品の価格リストだったのに……
電話番号の押し間違いでの情報流出もあるのに……
コロナ禍により全世界が在宅勤務体制に突入したが、日本ではまだ別世界の話しのようだ。
「契約書類に印鑑を押すために、取引先からのファックスを受けて処理するために、一度出勤しなければならない。」という声も多かった。
もちろん少しずつ電子決裁システムの普及が拡大しているようだが、自分の場合でもハンコを押すことが習慣になってしまい、電子決裁システムに切り替える勇気がない。
このように人の習慣はすぐには変えられないが、全世界を襲ったコロナ禍は、多くのことを変えた。
令和2年度版の総務省情報通信白書には、「コロナ禍の前」とコロナと共生する「With Corona」の変化をこのように提示している。 

 コロナ禍の前には、4Gや5Gなどの通信技術、4Kや8Kなどの映像技術などを光ファイバーネットワークによる高速通信によりビッグデータをIoTとAiの技術に有効活用することであった。しかし、コロナ禍は、我々の行動や考え方を大きく変化させ、我々の生命を守るため、リアル空間とサイバー空間が完全に同期する社会で個人や産業、社会が新たな価値の創出を提案している。

◇アナログ日本、なぜ?
 世界の経済規模3位の先進国日本でなぜこのようなことが起きるだろうか。ある専門家は「日本人がこのような状況が問題であると認識できないことが問題」とした。一部の官僚や専門家がデジタル改革の必要性を指摘してきたが、多くの国民はなぜファックスを使うのが問題なのか深刻さを気付かなかったということ。即ち、日本人が閉鎖的で、内需市場に安住してガラパゴス化しているのを見て専門家が指摘しても、受け入れない傾向がある。
 超高齢化社会の硬直性も原因として挙げられる。2か月ほど前に、NHKでは、「先端技術が発達した日本が、なぜファックスに執着するか」という記事を出した。家庭用ファクスを担当するパナソニックの関係者は、「スマートフォンを使わない高齢層が手紙の代わりの連絡手段として利用する場合が多く、ファックスの販売を中止することができない」とし「孫から来たファックスを大切にし、何度も読んでみるという年配の方もいる」と述べた。71歳の西山氏は、この記事で、「スマートフォンとコンピューターを使用していない友人に会議やイベントのご案内を送信するときに、FAXが便利である」とし「年齢を重ねるほど新しいものを使い始めるのは難しい」とした。

◇「最大の原因は、頂点に止まっている経済」
 専門家は、「何よりも、日本経済が停滞していることが根本的な理由」とも言う。
「1990年代のバブル崩壊以降、アナログからデジタルへの移行時期に、日本政府は、景気対策として巨大なトンネルや橋の建設プロジェクトにお金をつぎ込み、デジタル関連インフラには余力も関心がなかった」と指摘している。日本市場は、新会社の参入や規制改革に弱い体質に変わってしまった。

 少し飛躍しすぎる話しかも知れないが、昨年、米国内の日本人留学生の数が国別ランキング10位圏外に押し出されたのも、このような現象を示している。優秀な学生が海外に目を向けず日本国内で安住してしまう。既成世代は、枠にとらわれてしまい、社会全体が硬直され悪循環に陥っているのではないかと思う。
これからは、既成世代から、その枠を取り外し、ゆとり教育や偏差値教育の枠にとらわれている若者たちが、より広い世界に目を向け、失敗や苦難を乗り越えながら新しいことに挑戦できるような環境を築いてあげることが必要ではないかと思う。