Can Do

関東学院大学
材料・表面工学研究所 副所長
渡邊 充広

 先日、ラジオ代わりにテレビをつけていた際、熱血タレントキャラの松岡修造さんがバラエティ番組のなかで言われたコメントが耳につきました。“「できる」を英語でCan Doというが、カンドウとも読む。百均のキャンドゥ店の宣伝ではないですよ…”“行動した後には感動がある、だから行動しなさい”ということを彼らしく語っていました。こじつけのようでもありますが、なかなかいいフレーズだなっと感じました。
 私自身、“千里の道も一歩から”という言葉が好きで何かにチャレンジ(ほとんどの場合、趣味でのことが多いが)するとき、この言葉と自己暗示的に「できる」「負けねー」を頭の中で唱えつつ行動を開始しています。いわゆる失敗に対する不安、ビビリを排除するためのルーティンのようなもので、不思議と一歩踏み出す勇気が湧いてきます。動き出したら中途半端はなしと心得ています。松岡さんが言われるように、行動を成した結果、満足な成果が得られた時の達成感は何事にも代えられません。勿論、そうでないときもありますが…、ただ、やらずしての後悔はしたくないというのが常に思うところです。
 私の趣味の一つに登山があります。しかしながら両膝の怪我の後遺症や酷使による慢性的な軽度の痛みがあり、ここ数年登山らしい登山をしてきませんでした。近年では山に行かない言い訳にもなっていました。要するに不調を理由に趣味の順位が落ちたわけです。ところが、今夏、急に山の匂いと山の水の味が懐かしくなり、数年ぶりにちゃんとした?登山を試みました。妻からは“歩けなくなっても介護はしない”と釘を打たれましたが、動き出したハートは止まりません。ダメ元で行ってみよう..「できる」と呪文を唱え7月中旬の金曜夜に出陣。群馬県と新潟県の県境にある谷川連峰を一泊二日のテント泊でチャレンジです。深夜に登山口に到着し2時間ほど仮眠後、夜明け前に登山開始。若いころに経験のある山域でしたので、懐かしくもあり、高揚した気分を維持したまま無事に完歩できました。下山後に湯沢の温泉で味わった達成感は大きいもので、“歩ける”という自身が得られたことが何よりもうれしかったです。勿論、膝への負担を軽減する為の策を講じたうえでの行動です。これにより、後遺症を言い訳にしてきた過去にピリオドが打てたわけです。
 これまで、やりたいことが出来た際は自宅PCの“やりたいことリスト”に加えていくのですが、お金がない、時間がない、忙しいなどの言い訳で溜まる一方でした。そこで、この復活山歩きをきっかけに少々思うことがあり、“やりたいこと”を“やること”に書き換えました。これもいわゆる自己暗示のようなものです。“やりたい”ではやらないな..と自己分析したからです。そして、内容も整理し次への行動に。
 バイク歴45年になりながら、いつか“やりたい“と考えていた北海道一周バイクツーリングを今夏(8月のお盆休み期間)に全泊テント泊で実行しました。北海道ヘは仕事、プライベートで幾度か訪れていますが、ライダーの聖地?「宗谷岬」は未訪問でしたので目的地の一つに。そしてもう一つ、名物の最北丼を食すこと。加えて、長年の望みでもあった最北の山/利尻山登山、知床半島の羅臼岳登山も計画に入れました。計画上、限られた期間のため、ハードな旅であることは周知のうえでしたので体力的な迷いもありましたが、心境的にはCan Doでした。出発前日、台風の進路から天候が悪化することがみえていたため一旦は諦め荷物を撤収しましたが、やはり、天候を”行かない“言い訳にするのはやめよう…と雨天決行を決意、急いで荷物を再パッキングし、自宅のある横須賀を午前11時に出発。青森港まで夜間自走(仙台~青森間は雨天、ちなみに帰路も青森港~自宅まで雨天)し、青森港深夜2:30発のフェリーに乗り早朝6時半に函館に上陸。運よく雨は上がっていました。雨雲レーダーを見ながら、利尻山登山が晴天となりそうなタイミングを図り西回りとすることに。予想通り天気は回復し、結果、思い出に残るツーリング旅と登山を楽しむことが出来ました。残念ながら、利尻山の下山時に登山靴のソールを痛めてしまい、もう一つ計画していた羅臼岳は断念せざるを得ませんでしたが、また行く機会が出来たとみればそれも吉かと。そのようなわけで知床半島は観光船での知床岬遠望や五湖、カムイワッカ滝などお決まりコースでの見学となりました。しかしながら、ここでまたやることが増えてしまいました。船から眺めた知床岬に上陸したいという念が沸いてきて、”やることリスト“に追加です。このバイク旅ではこれまで“ふるさと納税”をしてきた地域も訪れてみました(収めた税は地域の自然保護に役立てて頂いているんだろうな…と期待しつつ)。結果的に走行距離は7日間で4200kmにもなり、この年にして自身の過去最高となりました。

 昨年、還暦を迎え人生も残り少くなってきたと思うようになってから、健康なうちに“やりたいこと”を“やること”に変え、一つずつ消していこうと決めたわけです。が…増えていくのが実情です(笑)。
 昔、長女に言われたことで記憶に残るフレーズがあります。「本当にやりたいのなら会社を辞めてでもやるべきだよ。それができないなら本気になっていない証拠」と。その通りだなって思いました。それ以後、娘の前ではやりたいことを口にするのはやめました。ちなみに3人の子供達は仕事も趣味もやりたいことをやり続けているように思えます。
 「明日やろうは馬鹿野郎」という言葉がありますが、この言葉をつい最近、若い女性シンガーソングライターが述べていました。私もまったくの同感です。性格的に少々せっかちな面があり、やれることはすぐにやるというのが良くも悪くも私の性格です。それゆえ、勢いでやってしまいちょっとした後悔があるときもありますが、前記したようにやらないよりはマシと割り切って流します。この言葉のもつ意図として、今日出来ることを明日に引き伸ばすなというようにとれますが、ちょっと違う視点で、「いまやりたいことを明日に回すなっ」として捉えてみてもいいかなって思います。
 先日、訪問したプリント配線板関連の会社の応接室の本棚に、故中村先生が執筆された「為せば成る」を見かけました。社長さんに読まれたのですか?と尋ねたら、いい本でしたのでここに置いてありますと笑顔で返されました。私も拝読しましたが、内容も素晴らしいのですが、タイトルの「為せば成る」の語句が好きで、私も自宅の本棚に入れてあります。上杉鷹山の言葉ですが、上杉家の家訓として伝承されているらしいです。米沢の上杉神社をはじめて訪問した際、上杉像とこの語句の石碑を見たときの感動は今も覚えています。
 以上、偶然耳にした松岡修造さんのCan Doからたわいもない内容につながってしまいましたが、何事も勇気をもって一歩踏み出せばカンドウ(感動)もあるという事です。
 しかしながら、上記した“やること”を実行するにおいては、家族を含め周囲の理解がないと行動できないのも事実で、“わがままな”な行動は控えるべきと自覚はしています。

 最後に、業務上でのCan Doについて、思い出話をまじえ一つ記述させて頂きます。
 30年程前の事ですが、半導体関連のT社より、とんでもない仕様のバンプ回路基板の話が来ました。協力頂けそうな方々にも相談し“できる”となり、受注しました。ところがいざ着工となると外部協力先はGive up。自社内だけでは創り上げるのは不可でしたので、T社へお断りの謝罪に…すると役員級の技術担当から“できるといったではないか! それでも技術者か!”と叱責され追い返されました。他の業務もあるなか、試行錯誤の連続です。既存工法のブラシュアップでは堂々巡りになるだけでしたので、新たな手法での試みを行いました。回路を作ってからバンプをめっき形成するのではなく、バンプと回路を一体で、電気めっきでつくりあげるという工法です。しかしながら、そこでも自社設備では乗り越えられない壁が。そんな時、商社から別件でJM社のA氏を紹介頂き、なんとその会社に当時としては珍しい大判の平行光露光機があったのです。しかも精密めっきラインも保有。相談したところ、土日なら自由に使っていいよ~ということになり、受注から4か月後(だったか)無事に納品出来ました。いわゆる転写法の応用によるものですが、1㎠に19600個のバンプを同一高さで形成し、特定箇所のバンプから回路を同一面に引き出すといった仕様です。バンプ高さは30μm±1μmという仕様です。ポリッシングを用いずに作成したこの基板は、1枚だけですが、技術屋としてのプライドをかけた宝物として今でも大切に保有しています。忘れられないCan Doです。