「読書はこころのお風呂」

関東学院大学
材料・表面工学研究所
田代 雄彦

読書とは
 私は大学のある授業で毎年履修した学生たちに幾つかのアンケートをしています。読書の頻度を尋ねると、ゲーム産業の発展が要因かもしれませんが、近年では読書をしない、年1冊程度という学生が増えています。
 タイトルの「読書はこころのお風呂」のようなものと言われたのは、私の大好きな作家の一人である喜多川泰先生です。毎年卒業・修了する学生には喜多川先生の本をサイン付きで贈らせて頂いています。おそらく、日本人であれば毎日入浴をする習慣があると思います。私も入らないと落ち着かなかったり、気分転換が出来なかったりします。読書をしなければ同様のことが心にも起こります。盛和塾で稲盛和夫氏も“繰り返し学ぶことによってつくられる「第二の人格」”の中で以下のことを話されています。
 「人格」とはどういうものでしょうか。
人格とは、人間が生まれながらに持っている先天的な性格が、その後の人生を歩む過程で後天的に築きあげられるものだと思っています。もし、生まれつきの性格が至らないものであったとしても、人生ですばらしい聖賢の教えに触れ、人間としての正しい生き方を学んでいくなら、後天的にすばらしい人格者になることができるはずです。誰しも持って生まれた性格が完全なわけではありません。だからこそ、素晴らしい哲学や宗教を繰り返し学び、自らの血肉とすることを通じて人格を高めようと努力する必要があるのです。
 スポーツマンが毎日肉体を鍛練しなければ、そのすばらしい肉体を維持できないように、心の手入れを少しでも怠ると、人間はあっという間に堕落してしまいます。人格を磨き、人格を維持しようと思えば、自分の心の手入れを怠ってはなりません。常に学び、常にそれを身につける努力を続けていなければ、それは人格にまで高まってはこないのです。
 リーダーにとって必要なことは、その様な人間としての正しい生き方を繰り返し学び、それを常に理性の中に押し留めておけるように努力することです。また、自分の行いを日々振り返り、反省することも大切です。
 学んできた人間としての正しい生き方に反したことを行っていないかどうか、厳しく自分に問い、日々反省をしていくことが大切なのです。このように絶え間なく努力を重ねていくことで、はじめて自分が元々持っていた性格の歪みや欠点を修正し、新しい人格、いうならば「第二の人格」を作り上げることができるはずです。
 つまり、人間としての正しい生き方を繰り返し学び、自らの血肉としていくことにより人格を高め、それを維持することができるのです。
 また、安岡正篤氏は、以下のように朝の書物はより厳選すべきと仰っています。
 われわれが日々の生活、日用心法の上で心掛けるべきは、朝の大事な時に愛読書をもつこと、読書ということであります。しかもこの大事な時に、つまらない小説とか雑書とか、ないしは機械的な事務所類などを見るのは心がない、心掛けが悪い、もったいない。この時に、本当に自分の心を清め、自分の悟りを導いてくれるような精神的な、それこそ格、品格の高い書物、道の書物、心の書物、魂の書物、古人の名著、聖賢の書というものを、たとえ一ページでも二ページでもよろしい、すなわち古人の短い文章でも手紙でも、あるいは詩でも答案でも語録でも読むことだ。(中略)「書」とは、それを読むことによって、われわれの呼吸・血液・体液を清くし、精神の鼓動を昂(たか)めたり、沈着(おちつ)かせたり、霊魂を神仏に近づけたりする書物のことであります。
 私も週一冊程度の読書はしますが、安岡氏の推奨する読書は出来ていません。これからはそんな一冊に出逢えることを期待しています。先の喜多川先生は「一冊の本との出会いで人生は変わる」とサインと一緒に添えられますが、私も良い言葉集めを趣味とし、授業内で様々な言葉を紹介しています。身体は食べたもので作られる。心は今までに聞いてきた「言葉」で作られる。私たちは「言葉」で育ち、「言葉」で出来ている。そんな「言葉」と出逢うために私は読書をしている気がします。


投げかけたものが返ってくる宇宙の法則
 小林正観さんをご存知でしょうか。私の大好きな著者の一人で、心友から薦められた「究極の損得勘定」は一気に読破し、とても衝撃的だったことを今でも覚えています。氏は中央大学法学部卒の自他ともに認める唯物論(すべての現象を物理的観点から規定していく理論)者で、学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、“社会”や“宇宙の仕組み”を見つめてきたそうです。そんな氏の有名なお話しを以下にご紹介します。

40年以上の研究の結果、わかったことは「神」が存在するみたいだ。
 そして、さらに“わかった”こと。

面白がる人には、どんどん面白いこと
楽しがる人には、どんどん楽しいこと
幸せがる人には、どんどん幸せなこと

を、神さまはくださるみたいなのです。
さらに、さらに、重要なこと。

感謝する人には、感謝したくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。
愚痴を言う人には、愚痴を言いたくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。

その人が“好きで言い続けている言葉”をもっともっと言いたくなるように、現象をセットしてくださるようなのです。


究極の「損得勘定」
 宇宙の法則として、「投げかけたものが返ってくる(投げかけないものは返ってこない)」というものがあります。これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、言葉を換えて言うなら、以下のようなことです。


「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」
「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」
「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」
「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」


そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があります。
投げたものがまだ返ってこない間に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、二倍のものが返ってきます。宇宙は非常に律儀な倍返しなのです。
もし人生の中で、普通であれば不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってしまうような出来事が起こったら、「来た!」と思ってください。


ついに私も試験を受けるところまで人格の修練を積んできたのだと。
その試験に「合格」すると、自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっています。


人間の心には、9つのレベルが存在するようです。


1.一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「喜ぶ」ことができる
2、一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「幸せ」を感じる
3、一般的に多くの人が嬉しい、楽しいと思う現象について「感謝」ができる
ここまでは「初級」


4、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「喜ぶ」ことができる
5、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「幸せ」を感じる
6、一般的に多くの人が当たり前と思うことについて「感謝」ができる
ここまでが「中級」


7、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「喜ぶ」ことができる
8、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「幸せ」を感じる
9、一般的に多くの人が不幸と思うことについて「感謝」ができる
これが「上級」


そして、レベルが上がるときに、お試しの現象(事件)が起こるようになっているそうです。
それが前述した「試験」といわれるものです。


給料が増えたら、誰でも喜べますし、感謝します。
いつも当たり前にもらえることにも感謝できるようになったら「中級」です。
給料が思ったように増えるどころか減らされてしまったとしても「感謝」できる人が「上級者」であり、「人格者」といわれます。


体調がいい時に喜べるのは初級、普通の時に喜べるのは中級、悪い時にも感謝できるのが上級。
人がイライラしてしまうようなときにでも、ニコニコしていられる人に、2倍となって返ってくるということです。
 つまり、そんな風に思えないときこそ「愛のある言葉」をかけるチャンスなのです。


「グリフィンの祈り」
大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった
偉大なことができるように健康を求めたのに、
より良きことをするようにと、病気をたまわった
幸せになろうと、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった
人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった
求めたものはひとつとして、与えられなかったが、
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ

力、健康、富、賞賛など、「求めたものはひとつとして、与えられなかった」のには理由があります。2500年前に、釈迦は、この「求める」ことを「執着」という言葉で表現しました。「執着」があると叶わないのです。
よく、「願えば叶う、強く念ずれば必ず願いは叶う」と教えているところがありますが、強く願えば叶うという構造になっているのであれば、ガンで死ぬ人も、倒産する会社もないはずでしょう。ということは、強く念じたからといって、そのようになるわけではないということです。
私が掌握した宇宙の仕組みは、「執着」しないと、その望みは叶うことがあるというものでした。
卑近な例で言えば、結婚なんでもうどうでもいいやと、自分で自分を磨いていけば、そのうち素敵な人が現れるかもしれないし・・・というふうに考えて、結婚に対して執着がない人ほど、素敵な人が現れるものです。
これが宇宙の二重構造、裏返し構造です。

いかがでしょうか?
私たちが普段口にしてしまう言葉で、その現象を引き寄せている可能性があるのです。
これから夏が近づくにつれて暑くなりますが、「暑い、暑い」と口にするのは、天(神さま)に文句を言っているようなものです。「暑い、暑い」と言っても決して涼しくはなりません。そう言いたくなる現象が目の前に現れるだけです。氏はこうも言っています。

 地球上に起こることすべてが宇宙現象であるにもかかわらず、私たちは、なぜ目の前に起きることを「現実」とか「生活」とか、別の概念で捉えてしまうのでしょう。(中略)「宇宙現象は、思いどおりにならないもの」と思い定め、その結果、イライラがなくなると、今度は違う流れになります。スムーズに流れるのです。矛盾しているように見えますが、なぜかそういう方程式になっているようです。(了)

参考文献
安岡正篤;「現在活学講和選集4 人生の五計 困難な時代を生き抜く「しるべ」」(PHP文庫)
小林正観著;「笑顔と元気の玉手箱シリーズ4 究極の損得勘定 損得で考える宇宙法則」(宝来社)
小林正観著;「神様に好かれる話」(三笠書房)